少年プリズン

まさみ

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三百三十四話

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 俺のズボンを膝まで引き摺り下ろして、狂ったように腰を前後に振っていた。そして、その股間には……ペニスがあった。勃起していた。臓物の表面のように赤黒く光る、尖りきった肉棒……
 それが何を意味するのか、わかった。交尾に臨む準備は万端。今すぐにでも挿入できるという意思表示。喉の奥で悲鳴が絡む。砂を蹴ってあとじさった太股にハルが噛みつく。絶叫。太股から脳髄へと駆け抜けた激痛で瞼の裏側が真っ赤に燃える。
 「さあハルよ、心おきなく交尾に挑め。勃起したペニスを直腸に挿入して精を吐け、お前の種を植え付けてやれ。人のオスでは二度と満足できなくなるよう存分に犯してやれ」
 犯される。犬にヤられる。
 意味不明な悲鳴が喉から迸りでた。近付くんじゃねえ犬ころと声にならない声で叫ぶ俺をよそに、腰振りの間隔が縮まり、スピードが次第に速くなる。ハルが腰を振りながら近付いてくる。俺のズボンを引き摺り下ろして後ろ向かせて、メス犬の代わりを務めさせるつもりだ。
 「近付く、な。俺はメス犬じゃねえ、交尾の相手なんかできねえよ!俺のケツにその醜悪なモンぶちこんでみろ、てめえのツラに蹴り入れて自慢の鼻をへこましてやる!犬鍋にして煮込んでやる、毛皮剥いで売ってやる、あとは……あとは……お前のドッグフード食ってやる!」
 「いい加減諦めたまえ」
 但馬が嘆かわしげに首を振る。いつのまにか俺のまわりには人だかりができて極大の嫌悪が表出した顔をぐるりに並べていた。同じ班の連中がいた。見覚えある奴がいた。恥も外聞もかなぐり捨てて同情乞うて、そいつらの足元に「助けてくれ」と縋り付きたかった。俺は、マジで犯されるのか?運良く難を逃れたイエローワークの囚人が好奇の眼差しを注ぐ中で、犬にヤられちまうのか?
 心臓が爆発しそうに高鳴る。全身の血が燃える。喉がからからに干上がる。どうやら腰が抜けたらしく、肘で這いずってあとじさる俺の方へ犬がやってきて覆い被さる。犬が俺の足の間に顔突っ込んで、俺の体を転がして後ろ向きにする。
 犬にケツ向けた四つん這いの体勢で、両手に砂を握り締めて奥歯を食い縛る。終わりだ。おしまいだ。東京プリズンに来てからいろいろ最悪なことが起きてくそったれな災難に見舞われたけどこれが極め付けだ。
 犬にヤられたと知ったらレイジはどうするだろう。俺なんかもう抱きたくなくなるだろうか、犬が入れた場所になんか入れたくないって言うだろうか。
 ケツが三分の一露出するまでずりおちたトランクスがもっと下に移動、肛門の窄まりに犬のペニスが…

 ―「ズボンを脱げ、ロン!!」―

 俺の背中に前足付いた犬に、誰かが体当たりでぶつかり、弾き飛ばす。鍵屋崎だった。野次馬の足の間をかいくぐり、猛然と突っ走ってきた鍵屋崎が、いざ交尾にいどまんと後ろ足で立ち上がったハルを捨て身で突き飛ばしたのだ。濛々と舞い上がる砂煙の向こう側、激しく咳き込む囚人たち。ぎゃひんと鳴いて砂に身を投げ出した犬に、「なんてことだ、動物虐待だ!!」と駆け寄る但馬。
 全てが一度に動き出した混乱の中、犬と立ち替わりに俺を押し倒した鍵屋崎が、真剣に叫ぶ。
 「聞こえなかったか、命が惜しければ可及的速やかにズボンを脱げと命令したんだ!」
 「とち狂ったのか鍵屋崎、ズボン脱がせてなにする気だよ!?」
 「助ける気だ!」
 今までズボン脱がせないよう頑張ってきた俺の努力が水の泡だ。両手でズボン掴んでケツを死守する俺に苛立ち、鍵屋崎が凄まじい剣幕で掴みかかる。激しい揉み合いの末に勝利したのはなんと鍵屋崎で聞き分けない俺の手をふりほどき、強引にズボン脱がす。
 俺の足首に絡んだズボンを抜き取った鍵屋崎が、大きく腕を振りかぶり、できるだけ遠くにズボンを投げる。青空に放物線を描いたズボンを目で追いかけ、鍵屋崎が頷く。
 「よし」
 「よしじゃねえよ、ひとの下半身剥いといて!わかるように説明しろよ、お前も発情期だってオチはなしだぜ!」 
 こんな時だってのに鼻梁にずり落ちた眼鏡のブリッジを押し上げるのを忘れず、鍵屋崎が口を開き…
 同時に、犬が吠えた。 
 怒り狂った吠え声を耳にして、俺はさっき、鍵屋崎が犬を跳ね飛ばした光景を想起する。
 次に狙われるのは、鍵屋崎だ。
[newpage]
 「何する気だ!」
 「助ける気だ!」
 説明は後回しだ、時間がない。
 喋ってる暇があれば手を動かせと優先順位を付け、ズボンを掴んで必死の抵抗を続けるロンと力比べをする。あくまで貞操を死守するロンに苛立ちをこらえてゴムが完全に伸びきるまでズボンを引っ張る。
 限界まで引っ張たせいでゴムが弛んでトランクスが垣間見える。
 ロンの股間は濡れていた。さっきまで勃起していた股間も萎えてトランクスの中央に涎染みを残すのみだ。尿漏れに似た涎染みが目に飛び込んで恥辱が再燃したか、ロンの頬が鮮やかに上気して目が潤む。
 最前の光景がまざまざと甦る。
 巨大な黒い塊に飛びかかられて押し倒されたロン。狂ったように手足を振りまわして声を限りに抗議するも、ロンにのしかかった犬は一向にどこうとせず、下品な水音をたてて彼の股間を舐め始めた。
 犬科特有の異様に長い舌がべちゃべちゃ音たててズボンの股間を舐め回す。
 涎に濡れそぼった股間には濃厚な染みができて、ズボンを押し上げる膨らみで生理的反応を示し始めてるのがわかった。
 非常に倒錯的かつ扇情的な光景だった。
 上腕が鳥肌立つ異常さ。喉の奥で閉塞した嫌悪感は嘔吐の衝動へと膨張した。誰もが目を逸らしたくても逸らせない葛藤と戦いつつ、好奇心と欲情と嫌悪とが綯い交ぜとなった表情を貼り付けて、ロンが犬に犯される光景を凝視していた。ロンが金切り声で叫べば叫ぶほど、目に懇願の色を浮かべて周囲に助けを乞えば乞うほどに犬は興奮した。放尿せんばかりに狂喜していた。
犬は、ロンに欲情している。交尾の相手にロンを選んで今まさに挿入しようとしている。
 瞬間、僕は動いた。
 黒い塊が急激に近付いてくる。違う、近付いてるのは僕だ、僕が距離を詰めているからそう錯覚するのだ。
 次第に大きさを増す黒い塊へと砂を蹴散らし猛然と疾駆、全速力で走りに走って跳躍。助走の勢いのままに飛翔、衝突の威力を増して犬に激突。衝撃。きゃひん、きゃひんという哀れっぽい鳴き声を聞いた。
 「なんてことだ、動物虐待だ!」と所長が激怒して砂に倒れ伏せた犬に駆け寄るところが見えた。衝突の衝撃で跳ね飛ばされたのは犬だけではない、僕もまたバランス感覚を失いロンに覆い被さるように倒れた。 
 ぐずぐずしてる暇はない。
 眩暈が回復するのを待たずに顔を起こし、ロンのズボンに手をかけ下げおろそうとすればしぶとい抵抗に遭う。ロンが赤い顔で何か喚いているが、今は彼と議論する時間も惜しい。とにかく一刻も早くズボンを脱がさねばならない。現在の状況では何よりロンのズボンを脱がしてできるだけ遠くに放ることを優先するのだ。
 「脱げた!」
 ロンの手をふりほどき、一気にズボンを脱がす。
 ロンの顔にしまったという表情が浮かぶが、遅い。トランクスの股間に恥ずかしい染みを作ったロンの下半身からズボンを強奪した僕は、うるさく吠えるロンに背を向け、大きく腕を振りかぶる。
 「よし」
 ズボンの飛距離と落下地点に満足した僕に、ロンがすさまじい剣幕で食ってかかる。
 「よしじゃねえ、次はお前の番だぞ!?お前が俺のズボンひん剥いてるあいだにほら……っ、」
 憎悪に濁った唸り声が、低く、地を這うように流れる。
 「きやがったぜ、バター要らずが!」
 僕の肩を掴んだ手が強張る。ロンの表情が恐怖に凍りつく。唸り声は背後から聞こえた。最悪の想像が徐徐に形をとり始めたのを意識しつつ慎重に振り返れば、そこに犬がいた。最前、僕が体当たりではねとばした犬だ。
 裂けた口腔から真珠の光沢の犬歯を覗かせ、無駄なく引き締まった四肢に殺気を漲らせて僕らを威圧する。獲物を仕留め損ねた屈辱か交尾を中断された憤怒か、猟犬から狂犬へと変貌した漆黒の犬が姿勢を低くして獲物に狙い定める―……
 「鍵屋崎逃げろ、今度こそ食われる!冗談じゃねえ、食うならまだしも犬に食われるなんざごめんだ!俺は半分は中国人だ、俺の半分にはろくでなしの親父の血が流れてるからだから犬鍋だって食えるさ!!知ってるか赤い犬が美味いんだとさ、いちばん脂のって身がしまってるんだとさ!凱の子分の中国人が食堂でしゃべってたの前に聞いたことが、」
 恐怖と混乱のあまりロンが意味不明なことを口走る。どうでもいいがうるさい、耳のそばで喚かないでほしい、僕の鼓膜は君と違って繊細にできているんだからと顔を顰める。
 倒れた際に目に砂が入ったのか、不安定によろめきながら徐徐に犬が近付いてくる。
 「たかが囚人の分際で可愛いハルに手をあげるとは言語道断だ!ハルよ、遠慮はいらない。その少年を裸に剥いて犯してしまえ、公衆の面前で交尾して人生最大の屈辱を味あわせろ!」
 「鍵屋崎、逃げろ!そのままそこにいれば君は酷い目に遭う、ロンを連れて早く逃げるんだ!」
 但馬所長が熱弁する。看守に拘束された安田が必死な形相で促す。
 「畜生腰が立たねえよ、逃げられねえよっ!」
 ロンの顔が焦燥に歪む。何度も立とうとしては失敗して砂に埋まる不毛なくりかえし。砂を掻いて掻いて膝を叱咤して何とか立とうとしても、腰を上げるなり膝が砕けて尻餅をつく。
 「鍵屋崎お前だけでも逃げろ、できるだけ遠くへ行け!できんだろそんくらい、俺助けに走ってきたときスピードならバカ犬が来る前に余裕で距離稼げるよ!だから」
 「ロン、心外な発言は慎んでくれないか。ホモサピエンスの最高傑作にして最終進化形、IQ180の天才たるこの僕が食肉目イヌ科イヌ属の四足動物に頭脳で負けるはずないじゃないか」
 僕の計算が正しければ、僕らは指一本動かすことなくこの窮地を切りぬけられる。いくら犬が賢くても人とは比較にならない、霊長類の知恵に勝りはしない。動揺するロンを片手で制し、犬と対峙。
 眼鏡越しに鋭利な視線を向ければ、犬の唸り声がますます険悪になる。 
 「いけ、ハルよ!!」
 それが合図だった。飼い主の命令に忠実にハルは走り出した。砂煙を巻き起こして猛然と疾駆するハルを睨みつけた僕は、ロンをこれ以上動揺させないよう、努めて平静な表情で数を数える。いち、に、さん…
 白熱の太陽を背に、ハルが跳ぶ。
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