少年プリズン

まさみ

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三百三十三話

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 「!?っあ、」
 裂けた口腔から大量の涎を撒き散らして、ぎりぎりまで撓めた前脚で地を蹴り、高々と跳躍。白熱の太陽を背に踊り上がった犬が、突出した口腔から鋭く尖った犬歯を覗かせる。獲物の肉を噛み裂き臓物をあさる為に発達した牙は、人間の頚動脈を容易に噛み千切り鮮血の噴水を撒くだろう。
 冗談じゃねえ。
 回れ右で逃げようとした。
 動揺に足を縺れさせ走りだそうとして、無防備な背中をさらしたのが運の尽き。盛大に砂を蹴立てて背後に着地した犬は、喉の奥で威嚇の唸り声を発しつつ、獲物の匂いを追跡するように地面すれすれに頭を伏せる。
 待ての姿勢。
 背中がぞくりと総毛だった。なんですぐ襲いかかってこないんだという疑問は、砂に踝まで埋めてもがきつつ振り返った時に氷解した。但馬が言ったとおり、ハルは賢い。くさっても血統証付きで知能が高い。さっきだって但馬の言うことを理解して相槌打つように吠えてご機嫌とってたじゃないか。
 但馬は言った。ただ殺すだけじゃ見せしめにならないと。
 意訳すると、ただ殺すだけじゃつまらないということだ。
 但馬はとことんくさってやがる。獲物をとことん追い詰めて追い詰めて嬲り殺す気だ。
 とにかく逃げなきゃ、ハルの牙が届かないところへ、追いつかれないようできるだけ遠くへ……
 犬が吠えた。
 「きやがった!!」
 やばい、間に合わねえ!咄嗟に砂から足を抜こうとしたが、焦れば焦るほどにずぶずぶ沈んでいく。鉛のように重たい砂が足首に纏わりついて動きを奪う。砂の足枷だ、まるで。舌打ちしたい気分でまわりを見まわすが、生憎シャベルも鍬も転がってない。手近に鍬やシャベルがありゃ武器にすることができたのに、鼻面殴り付けて撃退できたのに……
 くそっ、ついてねえ。
 「ロン!!」
 鍵屋崎の声がした。わかってるよ畜生、俺だってどうにかしてえよ!
 ヤキが回った頭で叫び返そうとして、背後に野獣の気配を感じる。興奮に息を荒げて砂地に涎を垂らして今にも……
 背中に衝撃。
 黒い塊が背中に突進して視界が反転、顔面から砂に埋まる。目に口に鼻にシャツの内側に大量の砂が流れ込む。口腔がざらつく。激しく噎せた俺は、目に入った砂を涙で洗い流して上体を起こそうとして、背中に何か重い物が乗っかってるのに気付く。はっはっはっ……荒く浅い呼吸が耳の裏側にかかる。獣くさい吐息が首の後ろを撫でる。
 背中に何か、暑苦しい生き物が乗っかってる。
 振り向かなくてもわかる。ハルだ。
 「どけよ、いぬっころ!」
 肘で這いずるようにあり地獄から抜け出そうとするが、遅遅として進まない。懸命に背中にのしかかる犬を振り落とそうとするが、全身砂に沈んで動きがとれない。
 付け加えて、腰が激痛を訴えた。
 うなじがぬるりとした。
 「ふあっ……!?」
 ヘンな声がでた。とろりとした唾液がうなじに流れ落ちて、首筋を伝ってシャツの内側に侵入。気持ちが、悪い。ハルは俺のうなじに顔を埋めて匂いを嗅いでる。時折べちゃべちゃと下品な音が響く。
 塩辛い汗の味がお気に召して俺のうなじを舐める音。
 味見。四肢に組み敷いた獲物を貪り食う下準備。喉笛の肉がごっそり持ってかれる映像が不吉な手触りで脳裏にちらついて心臓の鼓動が跳ね上がる。生きながら臓物食い散らかされるなんざお断りだ。
 このままじゃ俺はハルの胃袋におさまっちまう、骨噛み砕かれて臓物貪られて肋骨バラけた無残な死体になっちまう。
 嫌だ嫌だ、犬に食われるなんざ嫌だそんな死に方ごめんだ俺は生きてここを出るんだレイジのとこに帰るんだ!!
 レイジの笑顔が脳裏で像を結んだ瞬間、理性が爆ぜた。
 「とっととおりねえと承知しねえぞ、どっかの凱に似た万年発情期のバカ犬!!大体俺なんか食っても美味くねえよ、所長の飼い犬なら俺たち囚人よかよっぽど贅沢なモン食ってるだろ、べちゃべちゃ涎たらして人肉食らうなんざ意地汚え!!」
 前にもこんなことがあった。十ヶ月前、鍵屋崎が来たばかりの頃にイエローワークの砂漠で凱の子分どもに襲われた。こうやって背中にのしかかられてケツ剥かれてギャラリーがやんやと喝采飛ばす中で犯られそうになった。
 あの時だって機転と度胸で何とか切りぬけられた、危機一髪生きぬくことができたんだ。
 俺は必死にもがいた。物分りよく諦めて犬に食われるのを待つのなんざごめんだ、とことん足掻いて足掻いて足掻ききってやる。
 砂を蹴散らし、反転。腰を捻った際に骨盤がずれたかと錯覚する激痛に襲われた。痛え。レイジの奴覚えてろただじゃおかねえぞと心に誓い、上に被さった犬をどかそうと試みる。 ぎゃんぎゃんと犬が吠える。
 「くそ重え、どけよ、どけっつの!しまいにゃ犬鍋にして食っちまうぞ!!」
 抵抗むなしく、ハルが俺にのしかかる。
 布の裂ける音とともに腹部に鋭い痛みが走った。シャツが裂けて肌に血が滲んだ。興奮したハルが俺のシャツを揉みくちゃにする、前脚で押さえて引っ掻いてシャツのあちこちを無残に破く。
 シャツの繊維が千切れた下から薄く血を滲ませた肌が覗く。
 格闘の激しさを物語るように体のあちこちに引っ掻き傷が生じる。
 俺のシャツはズタズタに引き裂かれて肌を隠す役にも立たないボロ布と化して四肢に纏わりついた、手足を振って暴れるたびボロ布が四肢に絡まって繊維が断たれて裂け目が広がった。
 裸の上半身には真新しい引っ掻き傷の他にほの赤い痣が散らばっていた。
 犬をどけようと格闘しながら、俺は羞恥心とも戦っていた。
 服を破かれて、二回目に抱かれたときレイジに付けられたキスマークが外気にさらされた。鎖骨にも胸板にも腹筋にも臍の下にもさらにその下の人には言えない場所にも、色素が沈殿した無数のキスマークが散らばっていた。自分の命が危険にさらされてるこんな時だってのに、上半身に散った痣が目にとびこんできて、レイジの唇の感触がやけに生々しくよみがえる。
 俺の上着をはだけて手を潜らせながら、レイジは何度もキスをした。熱い唇で食んで印を付けた。
 こんな形でキスマークがバレるなんて、最悪だ。
 「っ、う……」
 腕が疲れてきた。さかんに吠えたてて喉笛狙い来るハルの頭を掴み、できるだけ遠ざけようと腕を突っ張ってるのだが、そろそろ痺れて感覚がなくなってきた。力比べで押されるなんて……けど、相手が犬だからって舐めちゃいけない。
 ハルは、でかい。体長は五歳児並だ。
 その上全身が鋼のように鍛えぬかれて、素晴らしい跳躍を見せる四肢の筋肉は発達して、猟犬とはかくあるべしという理想を体現してるのだ。ハルは愛玩犬じゃない、生粋の猟犬だ。飼い主には絶対服従だが、それ以外の人間には血に飢えた猟犬の本性を剥き出して襲いかかる獰猛な犬だ。
 今だって強靭なバネに恵まれた四肢で俺を押さえ付けて、飢えにぎらついた目でどこがいちばん美味そうか探ってる。首筋、胸、腹筋、太股、脹脛……
 筋金の筋肉に鎧われた体が獲物を仕留めた歓喜に震える。
 ハルが、牙を剥く。
 「!!いっ、」
 喉が仰け反る。悲鳴が迸る。ハルが……前脚で、俺のズボンを引きずり下ろそうとしてる。脱がそうとしてる?なん、なにしてるんだこのバカ犬!?
 目の当たりにした光景に仰天した俺は、両手でズボンを掴んで抵抗する。
 「このっ……お前、俺のズボン狙ってたのか!?なんでズボンなんか狙うんだよ、こんなボロっちいズボン……ちょ、やめろ、足はなせよ、下着も脱げちま……ひ!?」
 喉が引き攣った。ハルがズボンの股間に埋めてべちゃべちゃ涎を飛ばして舐め出したのだ。目と鼻の先で繰り広げられるのは極大の生理的嫌悪をかきたてる異常な光景。でっかい犬が俺の股間に顔埋めてる。ズボンの股間に涎が染みて黒く変色する。犬の涎に濡れた股間はトランクスの柄が浮いて小便漏らしたみたいな有り様だった。
 犬に、舐められてる。しゃぶられてる。
 嫌悪感と不快感が綯い交ぜになって喉の奥で膨張、猛烈な吐き気を覚える。獣くさい吐息が顔を撫でる。はっはっはっ……小刻みな呼吸が犬の興奮を伝えてくる。俺はズボンの裾を両手で引っ張ったまま瞬きも忘れて硬直した、若く健康な犬が人間のオス相手にさかってる倒錯的な光景から目が放せなかった。
 「やめ、ひっ、あ……ふあっ、ああっ、ああ!」
 拒絶の意志に反して声が上擦る。信じ難いことに、股間が昂ぶり始めてる。レイジに抱かれて感度が良くなった体が、相手が犬だろうがお構いなしに反応を示し始めているのだ。信じたくなかった。これじゃまるで、俺が興奮してるみたいだ。犬相手にさかってるみたいだ。
 獣姦。
 性倒錯の最たるものだろうおぞましい言葉が、俄かに現実味を帯びて身に迫ってくる。
 「い、あ、ふ……っ、ううっ」
 ハルはしつこく股間を狙ってくる。前足で俺のズボンを引き摺り下ろしながら、涎の染みができた股間を貪欲に舐める。ズボンの股間はびしょ濡れだった。犬相手に勃ったらおしまいだと自分に言い聞かせてぎりぎり耐えるも、熱い吐息がかかって、異様に長い舌が布の上からペニスにしゃぶりついて、射精の欲求が活発化する。
 このまま、犬に犯られちまうのか。
 大勢の囚人や看守や、安田や鍵屋崎が呆然と見てる前で、犬に犯られちまうのか?
 絶望的な予感。ズボンの裾を掴むだけで精一杯で、視界に覆い被さる黒く巨大な塊を押しのけることもできない俺の耳に哄笑が響く。
 「そいつが気に召したのか、ハルよ。お前の鼻が選んだということは間違いない、その囚人こそ群れを腐らす癌、群れの士気をさげて用水路の工事を遅らせた元凶だな。おや、よく見れば……君は先日、チョコレートを隠し持っていた咎で罰された少年の友人ではないかね」
 但馬がいた。いつのまにかすぐ近くにきていた。軍人めいて律動的な歩調で俺に歩み寄った但馬が薄く笑みを浮かべる。
 「類は友を呼ぶというが、やはり劣等種は劣等種と呼び合うのだな」 
 縁なし眼鏡の奥、爬虫類の冷光を宿した双眸が陰湿に細まる。勢い良く足を振り下ろし、俺の顔面にわざと砂をかける。
 「どうやらハルは交尾の相手に君を選んだようだ。光栄に思いたまえよ。犬のペニスは直腸内で膨張して林檎大の大きさになる、その為一度挿入したらなかなか抜けないそうだ。処女なら地獄の苦しみを味わうことになろうが、まさかそれはあるまい。先日私の前に呼び出された混血の少年と交尾に及んでいるのなら」
 「な、んで知っ……」
 「やはりな。汚らわしい」
 但馬が勝ち誇ったように口角を吊り上げる。眼鏡の奥の目には狂気が渦巻いていた。この目はあの目だ。レイジの十字架を踏み付けていた時の……不意に但馬の手が伸びて、俺の前髪を無造作に掴む。そのまま無理矢理起こされて顔を顰めた俺の耳元で、但馬が囁く。
 「見たまえ」
 意味ありげに促されて、俺は見た。前髪を掴まれ顔を起こされ、無理矢理見せ付けられた。但馬の視線が注がれる方向にはハルがいた。
 腰を、振っていた。
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