343 / 376
ツバメが帰る場所
しおりを挟む
ツバメは台湾で冬を越す。日本でガキをこさえ、冬になると暖かい南へ渡っていくのだ。
そう教えてくれたのは昔住んでたスラムの老頭児だった。
床几に座って四六時中ボンヤリしてた爺さん……ことによるとぼけてたのかもしれない。
若い時分に台湾からやってきたらしい爺さんは、晩年故郷に帰りたがっていた。
俺が生まれ育ったのは豊島区池袋台湾系スラム。
ごちゃごちゃした街並みを恋しがるには思い出が足かせだ。
お袋はすれっからしの娼婦で俺はその若気の至りの私生児、親父の顔は知らねえ。写真一枚残ってなかった。気性の荒いお袋のこった、仮に手元に残ってたって破り捨てたか荼毘に伏せたに決まってる。股からひねりだされた俺がいうのもなんだがアレはとんでもなく嫉妬深い女だった、わざわざ相手にしたがる命知らずの気が知れねえ、顔面ひっかかれて蹴りだされんのがオチなのに。
東京プリズンで燕の巣を見付けたのは偶然だった。
囚人に許された短い自由時間、コンクリートで固めただだっ広い中庭。白と黒の横縞の服を着た連中の肌と瞳の色はさまざまだが、それぞれ派閥を成して固まってるのが面白い。東棟で一番幅を利かせてるなあアジア系、押し出しのいい凱が仕切ってる。で、案の定俺はハブられる。仲間外れは塀の内でも外でも慣れっこだから今さらだ。俺の中にゃお袋と親父から継いだ血が流れてる。
台湾と中国の混血、通称半々、それが俺だ。
物心付いた時から耳タコの蔑称。結果どっちからも等しく憎まれ孤立する。
俺の名前をわざわざ呼びたがる物好きなんて一握り。だもんで、時々自分の名前を忘れそうになる。看守だって殆どが半々呼びだ、くそったれ。気分がくさくさしてるのは、イエローワークの帰りのバスで足を踏まれたせいだ。因縁ふっかけられるのなんてしょっちゅうで、いちいちイライラしてたらきりがねえ。
当然相手は詫びもしねえ、どこへ行ってものけ者の半々だと最初からなめてかかってるのだ。
レイジに告げ口する気はねえ。王様にチクるほど落ちぶれてねえ。ンなことしたら王様の首輪付きの飼い猫だの反感を招くだけ、第一俺の意地が許さない。テメェの尻拭い位テメェでできなくてどうすんだ。
バスん中で起きたちょっとしたトラブルをひきずって、気分転換に中庭をブラ付いてたら、どこから甲高ェ雛の囀りが聞こえてきた。周囲の連中は馬鹿騒ぎに忙しくて気付くもしねえ。賭博にバスケに喧嘩、煙草とエロ本とドラッグの物々交換。
コンクリートを敷き詰めた殺風景な中庭も死角はある。東京プリズンは古の九龍城砦のような外観で、あちこちに階段だの出っ張りだのが存在する。燕の囀りは東棟A区画、コンクリの建物の軒先から聞こえてきた。
半地下の扉に階段が続いてる。囚人はここから出入りする。でかい声じゃ言えねえが、生きてる人間以外も出入りするってもっぱらの評判だ。ゴルフバックに包まれた死体が夜中こっそり運び出されるのを目撃したヤツもいる。
「どこだ?」
手庇を作って軒先を仰ぎ、かすかに目を見開く。いた。軒先にちゃちな巣がかかり、三羽の雛が口を開け、うるさく餌をねだってる。巣の中で押しくらまんじゅうする雛どもは元気いっぱいで、パッ見禿げ散らかした毛玉のかたまりっぽい。
視界の端を黒い影が颯爽と掠める。親鳥だ。直線と曲線を組み合わせたスピーディーな軌跡に惚れ惚れする。燕の宙返りを見るのは久しぶり……娑婆にいた時以来だ。
食欲旺盛、黄色い口を開けてピーピー催促する雛たち。咥えた毛虫を雛鳥の口ん中に突っこんで、再び飛び去る親ツバメ。藍色の艶を帯びた黒い羽を広げ、悠々と空を横切る。
「ガキの世話に追われて、お袋は大変だな」
苦笑いで親ツバメに同情する。子だくさんはいいことだ、そのぶん生き延びる率が上がる。数年ぶりにツバメを見れて、なんだか得した気分だ。生まれ育ったスラムにゃごろごろいたが、砂漠のど真ん中の東京プリズンじゃとんと見かけねえ。
「こんなトコに巣を作るなんて変わってる。お前らも追い出されてきたのかよ」
死んだ爺さんが言ってた、ツバメは単独で巣作りすると。だから同じ軒先や建物に巣をかける例は少ない。安住の地を求め、はるばる砂漠を渡ってきたならご苦労さんだ。
「……がっかりだろ」
砂漠をこえた先がこの世の地獄の東京プリズンなんて、幻滅だ。ツバメの一家も後悔してるに違いない。
がらにもなく感傷的になっちまったのは、子育てに追いまくられるツバメの姿に、遠く離れたお袋を重ねたからだろうか。もっとも、俺を産んだ女はこんな子煩悩じゃねえ。徹底してガキにゃ無関心、最後まで放任主義を通したっけ。
それから、なんとなくツバメを見守るのが習慣になった。
イエローワークを終えた自由時間、へとへとになった身体をひきずって中庭に行き、ツバメの巣を見守る。雛はどんどんデカくなっていった。今じゃ毛もちゃんと生えそろい、咽喉の膨らみに朱がさして貫禄がでた。
「最近どこ行ってんだよロン」
「別に。どこでもねーよ」
「自由時間になると変にいそいそして消えちまうじゃん。浮気?」
「寝ぼけたこと言ってんなボケ。相手だれだよ鍵屋崎か、それ以前にテメェの女になった覚えねーよ」
「ツレねえなあ。一人でぶらぶらしてると面倒なのに絡まれるぞ」
「送り迎えはいらねーよ、王様はベッドに寝転んでケツでも掻いてな」
レイジのシツこい詮索を巻き、今日も今日とてツバメの様子を見に行く。
気分は保護者か番人か、砂漠と房を往復するシケた毎日に見守る存在が降ってわいて張りがでた。
娑婆じゃ鼻にもかけず素通りしてた。ツバメの成長観察なんかが娯楽になるのは、偏に東京プリズンがろくに楽しみのねえ場所だからだ。
砂漠のど真ん中で肩寄せ合って暮らすツバメに、心のどこかで自分を投影し、憧憬を馳せていたのは否めない。
俺が憧れてとうとう手に入らなかったもの、自由に飛び回れる翼と温かな家族。
よりにもよって東京プリズンなんかに居着かなくても、あの翼がありゃどこへだって飛んでいけるのに。
「元気かチビ」
今日も巣を見上げて、一番小せえのに声をかける。コイツは成長が遅れてんのか、他の兄弟より一回り身体が小さい。ちゃんと食えてんのか心配になる。
巣からおっこちて、干からびて死んでる雛を見たことある。道端に横たわる鳥の亡骸。そん時きゃ何も思わなかった、弱肉強食が世の中の必然だ。飛べねえヤツは落ちて死ぬ、それだけだ。あの頃はただ生きるのに精一杯で、ツバメの雛を気にかけてる余裕なんざなかった。市場から饅頭をかっぱらい、空のペットボトルにためた雨水で渇きを癒し、どうにかしのいでいた。
ツバメの雛の世話を焼く余裕ができたのは、きっとレイジのせいだ。
アイツがいるから心に余裕が生まれた、ツバメの雛への思いやりが生まれた。
囚人にゃ嫌がらせされるが、今の俺は幸い食うに困ってねェし、一応は寝床もある。たびたびレイジがもぐりこんでくるせいで、夜の厳しい寒さもしのげる。火照った肌を重ねれば、お互いてっとりばやくぬくもれる。
「俺にナイショで隠し子の様子見?」
聞き飽きた声に振り返る。嫌な予感は往々にして当たる。レイジがいた。
囚人服のポケットに指をひっかけ、ニヤ付きながらこっちを見てる。
「……んだよ。邪魔だ、あっち行ってろ」
「中庭いねーからさがしたんだぜ。俺のロンセンサー、略してロンサーなめちゃ困るね」
「特許は認めねェぞ」
塩対応で追っ払おうとするが上手くいかない。生来厚かましいレイジは俺の隣にやってきて、結局二人並んでツバメの巣を見守る羽目になる。
「ツバメか。レアだね」
「こないだ見付けたんだ」
「東京プリズンに巣をかけるなんて物好きな。わざわざ砂漠をこえてきたのかよ」
「俺がいたスラムでもよく見かけた」
「豊島区池袋台湾系スラム?」
「ごちゃごちゃした汚ェ場所だよ、売人と売女と飲んだくれの吹き溜まり」
「娑婆じゃあちこちにフツーにいたよな」
「お前の故郷にもいたの?」
「フィリピン?もちろん、むこうはあったけえからな。冬越すにゃもってこい」
「ふうん」
知ったかぶって頷き、借り物の知識でドヤる。
「スラムの馴染みの爺さんが言ってた、日本で子作りしたツバメは台湾やフィリピンで冬越すんだ」
「台湾とフィリピン両方通んのか」
「そうだよ。日本を出てから空飛んで、台湾経由でフィリピンに」
「一足先に出所だな」
「翼で堂々風切って」
レイジに相槌打ちながら、なんでもない言葉をしみじみ噛み締める。
王様の指摘で初めて気付いた。コイツらは俺たちより早くここを出て、俺たちの国へ帰るのだ。台湾とフィリピン、俺とレイジの故郷、両方に。
「フィリピン行ったらマリアとマイケルによろしくな、達者でやってるって伝えてくれ、いでっ!?」
ふざけて片手を挙げて言伝てるレイジの腹を肘で小突く。
「なにすんだロン」
「人任せ、もとい鳥任せにすんな。テメェで言えよ」
昔レイジがよこした手紙を思い出し、寂しさの裏返しで憎まれ口を叩く。コイツが生きてここを出られる可能性はとても低い。フィリピンにいるかもしれない、家族とも生き別れだ。
監獄出れないテメェのぶんまで鳥に願いを託すなんて、哀しくなるからやめてほしい。どんなツラをしたらいいかわからない。
「俺たちの代わりに故郷を見てきてくれるんだ。悪くねェだろ?一年たったらまた帰って来る」
「出戻るわけねーだろ、こんなトコ」
「拗ねンなって、東京プリズンもまんざら捨てたもんじゃねえぜ」
「はァ?どこが」
「運命のヤツと出会えた」
「……はあ」
否定するのも疲れる。
レイプとリンチ、看守の虐待や体罰が横行するこの世の地獄・東京プリズンでもツバメの雛は生まれ、日々すこやかに育っていく。
それからはレイジと二人で雛の成長を見守るのが日課になった。
「ツバメって何食うの。虫?」
「毛虫じゃね」
「砂漠にいんのかよ」
「知らねえよ」
「名前は付けてんの」
「右からイー、アー、サン」
「意味は?」
「台湾語で1、2、3。いちばん小せェのがたぶん末っ子のサン」
「安直だなあ」
「うるせえ、麻雀の役名よかマシだろ。お前ならなんて付けるよ」
「ロン、ロンロン、ロンロンロン」
「聞いた俺が馬鹿だった」
王様は暇人だ。強制労働に出てない時間もちょくちょく様子を見に来てたらしい。観察を続けるうちに情も移る、愛着がわく。
「思ったこと言っていい?」
「ろくでもねーから言うな」
「アイツらって俺とロンの子供みてーだな」
「やっぱりろくでもねー」
「大口開けてメシねだる、食い意地張ったとこがお前そっくり」
「イーはお前似だな、弟押しのけて前出るあたり態度がデケぇ」
「大物になる証拠だな」
とぼけたことぬかすレイジに盛大にあきれ返る。
が、反論はやめておいた。ツバメの雛をガキに見立てるレイジのセンスも大概だが、言われてみりゃ確かに、末っ子のサンの面構えは俺に似てなくもねえ。意地悪な兄貴たちに突付き回されても、負けじと餌へ食らい付く根性は見上げたものだ。
「ツバメは一夫一妻でメスが餌とりにいってる間はオスが巣を守る」
「親父に爪垢飲ませてェ。どこにいるか知んねーけど」
「会いてえ?」
「どうでもいいね」
本音を言えば、俺の身体の半分に流れる血の出所が気にならない訳じゃない。が、会うのは諦めている。俺を孕んだお袋を捨てて行方をくらますようなクズと感動の対面は望むべくもない。
「お前は」
「マイケルなら会いてェよ。マリアも」
「そっか」
憎まれ口を控えてそっと横顔をうかがえば、澄んだガラスの目はどこか遠くを見ていた。いずれツバメが帰っていくフィリピンかもしれない。
「……元気でやってるといいな」
会えるさと、無責任に安請け合いはできない。下手に希望を持たせるのはかえって残酷だ。代わりにレイジに寄り添い、褐色の手をとって目を閉じる。
レイジのお袋と親父がわり、序でに俺のお袋も元気でやってるといいとツバメの風切り羽に願をかける。
フィリピンと台湾、海が隔てる近くて遠い国。
すっかりでかくなり、巣立ちが目前に迫った雛を見上げてぼやく。
「台湾なんか行ったことねー」
「綺麗な国だよ」
「は?行ったことあんの」
「ロンのご先祖サマの国だろ」
「……理由になってねえよ」
「ツバメが恋い焦がれる場所が悪いトコのはずねえじゃん」
「それをいうならフィリピンだってあったかくてキレイな場所だろ、イイ女いっぱいいるし」
「マリアとか」
「黙れマザコン」
お互いの故郷を褒め合い照れる。なにやってんだかあきれる。台湾なんて一度も行ったことねえのに、俺の中に流れる血の半分が郷愁を感じているのが不思議だ。
「いけっ、イー・アー・サン!」
「も少しがんばれあと一息」
漸く雛どもが飛ぶ練習をはじめた。レイジと二人並んで応援する。親鳥のようにキレイに宙返りすんのはむずかしくても、えっちらおっちら巣から出て、もどってくる程度の芸当はこなす。
「でかしたサン、やればできるじゃねえか」
「イーとアーもすげえじゃん、昨日より高く飛べるようになったな」
すっかりツバメの親になりきって、巣立ちを控えた雛たちを褒めたたえる。一番ちびで心配だったサンも、他の兄弟と見劣りしねェ位でかくなった。
「アレなら台湾フィリピン余裕だな」
喜びを噛み締めてはしゃぐ俺を微笑ましげに見守ってひやかす。
「ロン媽媽のお手柄だな」
「レイジ爸爸は特になんもしてねえな」
「ひっでえ、一緒に応援したろ」
「一応父親だって認めてやってんだから有り難く思え」
こっちもだいぶ譲歩してるのだ。ちょっと前なら冗談でもレイジを親父扱いなんてしなかった。媽媽呼ばわりも願い下げだ気色悪ィ。
けど、今日は気分がいいから怒らないでやった。もう少しで雛が巣立ってくめでたい日に、喧嘩なんかしちゃしらけるもんな。
俺は巣立ちの日を心待ちにしていた。きっとレイジもだ。
できればその瞬間に居合わせたいと望み、強制労働中もそわそわと上の空。上手くタイミングが合うのを祈り、自由時間にゃ毎度中庭に直行し、手に汗握って声援を送った。
だから。
「よう半々、今日も雛の子守りか」
凱の子分どもに巣の場所がバレた時は、冷や汗をかいた。
「ンだよ。何か用か」
「別に。このごろ休憩時間になると中庭突っ切ってこそこそどっかにでかけるから、気になって付けてみたのさ」
「したら案の定」
「燕の巣は滋養強壮にいいらしいぜ、スープにして食うのかよ」
「さすが半々意地汚ェ」
「テメェらにかまってやる気分じゃねえ」
中国人に絡まれてウンザリする。俺を取り囲んでニヤケる連中の一人が、軒先の巣へ大股に歩み寄ってく。
「げっ、糞だらけじゃん。きったねえ」
「景観を損ねちゃいけねえな」
「よせ」
胸騒ぎに襲われて一歩踏み出せば、たちまち通せんぼで押し返される。相手は4・5人、こっちは1人で分が悪い。こてんぱんに叩きのめされるのは目に見えてる。
リーダー格らしい図体でけえのがおもむろにジャンプ、伸ばした片手で無造作に巣をぶっ叩く。雛たちが抗議の合唱。
「ざけんな、やめろ!!」
近寄るに近寄れず、巣の周りで円を描く親ツバメ。ピーピーとヒステリックな囀り。凶暴な囚人どもは容赦せず、頭を突付く親鳥をうざったげに払いのけ、こぞって巣を取り壊しにかかる。
「ツバメに何の恨みがあんだ、ただ巣を作ってただけじゃねえか、もうすぐいなくなんだからほっといてやれよ!」
「テメェと同じで視界にチラ付くだけで目障りなんだよ」
「糞まみれの巣は直に食わしてやっから安心しな」
「ふざけ、待て」
俺がかかわったばっかりに。
凄まじい後悔の念に歯噛みをし、羽交い絞めを振りほどこうと死に物狂いでもがく。調子にのった中国人がツバメにちょっかいをかける、次々ジャンプして巣にタッチ、雛が悲鳴じみた声で啼き叫ぶ。
「イー、アー、サン!」
思わず名前を呼ぶ。野太い嘲笑を浴びせられる。
「あははははは名前付けてんのかよ末期だな、ダチがいなさすぎてオツムおかしくなったか!?」
「ちょうどいい、テメェの前で全部くびり殺してやらァ」
激しく揺さぶられた巣が大きく傾き、極限まで目を剥いて宙に手をのばす。
「頼む、やめ―」
伸ばせど届かない手の先で、ずっと成長を見守ってきた三羽の雛が、コンクリの地面に惨たらしく叩き付けられる。
俺のせいだ。
俺が悪い。
最悪の光景を予期して咄嗟に目を閉じたが、どっこいそうはならなかった。
「ぶへっ!?」
突然拘束がとけた。
間抜けな声を発して吹っ飛ぶ背後の囚人、続いて風が駆け抜ける。すべては一瞬のうちに起きた。
「媽媽が呼んだら爸爸の出番だな」
飄々と余裕をふかせた声で宣言、茶髪をなびかせたレイジが巣を囲む囚人に鋭いフックと蹴りを放って沈めていく。瞬殺。
残像すら捉えるのがむずかしい速度で急所に一撃を入れ右足を軸に回転、王様の頭上でいよいよ巣が外れて垂直落下。
キャッチする?だめだ間に合わない、かくなるうえは……
「「飛べっ!」」
俺とレイジの声がキレイに揃い、宙を滑り落ちた巣から三羽のツバメが飛び立った。
颯爽と翼を広げて空へと駆け上るや宙返り、俺とレイジの頭上で大きな円を描く。
「そうだよ。それでいい」
レイジが手庇をかざし、太陽の光に眩そうに眼を細める。コンクリの地面に落ちた影がだんだんと離れていき、イーとアーとサンが空の高みへ去っていく。
今まさに三羽のツバメを送り出した王様が振り返り、子離れをすました笑顔を浮かべる。
「巣立ちの瞬間に立ち会えてラッキーじゃん。日頃の行いがいいからだな」
今だけ王様に感謝したい。
三羽が無事に飛び立てたのはコイツのおかげだ、俺はただ無力を噛み締め見ているだけしかできなかった。
「お手柄だな爸爸」
腑抜けた安堵の表情でレイジを労い、小走りに駆け寄る。
地面に落ちた巣はひしゃげ、その周りじゃ囚人どもが泡吹き気絶している。
「なあロン、俺が今なに考えてるかわかる?」
「ご褒美ほしいってか」
「そうだよ」
「房で一発」
「駄目だ、待ちきれねェ」
レイジの手が上着をはだけて脇腹をまさぐる。耳に付く性急な衣擦れの音、なめらかな手が胸板を這って乳首を抓る。
「ここでヤんのかよ、盛りすぎだよ」
「ちょっとだけ、先っぽだけ」
「ぜってえやだ」
「ンなこと言わずに。な、頼む」
抗って見せたところで語気は弱い。他のヤツがくるかもしれないとか、そんな事まで気が回らない。拝み倒すレイジの頬に片手をあてがい、せいぜいあきれた顔で微笑んでやる。
「……しかたねェ。くれてやる」
「マジで?」
「さっさと済ませろ、人くるからな」
外で身体を許すのは初めてだ。かまうもんか。ツバメが無事巣立てたのはコイツのおかげだ。見返りを求めるなら全力で払ってやる、ツバメの命の値打ちに比べたら安いもんだ。
「あッ、んっは」
レイジが俺を壁に押さえ付ける。唇をこじ開けて割り込む舌が歯列をなぞり、柔く敏感な粘膜を揉みくちゃにする。その間も手は働き通し、片手は俺の股間をねちっこくまさぐって、片手で乳首を捏ね回す。
「エロい声。股間にくる」
「無駄口叩くんじゃね……はッァ」
誰かが来そうで気が気じゃない。今回り込まれたら終わりだ。初体験の青姦が羞恥心を煽り立てる。レイジがズボンの中に手を突っ込んで、直にペニスをいじりだす。
「あッ、ふぁっ、ァっあレイジそこっあっ、んまさわんな」
レイジの手が気持ちいい。気持ちよくて気持ちよくておかしくなっちまいそうだ。背中に感じる壁のザラ付き、はだけた隙間から吹き込む風のひやっこさ。俺にかぶり付くレイジの頭の向こうで、イーとアーとサンが遠大な弧を描く。
「アイツらフィリピン行くかな」
「台湾にもな」
鈴口にとぷりと雫が盛り上がる。
レイジがそれをすくって伸ばし広げ、全体にすりこんでいく。会陰のふくらみにもまぶし、後ろ孔へ突き立てる。
「ツバメは自由だかんな。どこでも好きなところへ行けるんだ」
俺が育ったスラムにも、コイツが育ったフィリピンにも。
マリアとマイケルが待ってる場所に。
なんでか急に泣きたくなって、せっかちな瞬きでこみ上げる涙をごまかす。レイジにぎゅっと抱き付けば片足ごと押し広げられ、ズボンを脱いだ尻を壁が削る。
「また戻ってくるさ」
レイジが耳元で熱い吐息と一緒に囁く。俺は唇を噛んで首を振る。
「もう帰ってくんな」
「どうして?寂しいじゃん」
「こんなとこ、あっ、ふるさとじゃねェよっ、ふあっ、台湾でもフィリピンでも、んぅッァあ、新しい家族作ってよろしくやってろ」
ここよりずっといい場所で。
東京プリズン以外ならどこだって天国だ。
娑婆に出れねェ俺たちの代わりに、俺たちの分までせいぜい青空の下で生を謳歌してくれ。
新天地でのびのび生きてくれ。
別れ難く緩やかに飛び回る三羽のツバメをよそに、俺の足を抱えて突き入れながら、おくれ毛を纏わせたレイジが余裕のない声で囁く。
「ここだってまんざら捨てたもんじゃねえ。お前と会えた」
「かぎやざきっ、や、サムライっ、も」
「そうだな、アイツらも忘れちゃいけねぇよな。でも一番はお前」
「あッ、ァっ、レイジそこっ、ァっンあっ、ふぁっあ」
娑婆のことはできるだけ考えない。
どうせ待ってる人間なんかいやしない。
お袋はガキのことなんか忘れて楽しくやってるし、梅花にゃくそったれ道了がいる。
激しく抽送するレイジにされるがまま前立腺を突かれ、艶っぽい喘ぎをあげまくる。
レイジが俺の額や鼻の頭を啄み、愛しさがあふれでた笑顔で問いかける。
「なあロン、もしツバメになれたら真っ先にどこ飛んでく?」
「決まって、んだろ」
揺さぶられながら辛うじて薄目を開け、褐色の顔の中心に焦点を合わせる。
おもむろに両腕をのばし、首ったまにかじり付く。
儚く滲む空を三羽のツバメが飛ぶ。
台湾でもフィリピンでも、ましてや池袋のスラムでもねえ。
俺が帰る場所はお前の腕の中だと、三羽の軌跡を追いながらハッキリ行動で示す。
レイジは一瞬面食らってからくすぐったそうにむず付き、こんな地獄にゃまるで場違いな、幸せすぎて馬鹿になっちまった笑顔を見せる。
「だよな。愚問だった」
「そういうお前は」
「媽媽の胸ん中」
「マザコンめ」
「のろけだよ、わかれっての」
「だからわざとだよ」
青空の下、忍び笑って二人で繋がる。
ちょっと前なら考えられなかったが、今じゃ普通にコイツを受け入れている。俺の為に毎度身体を張ってボロボロになるレイジ、助けを求めりゃまっしぐらに駆け付ける王様、コイツの為に何かしてやりたいと思ってる。
俺が帰りたがってる場所がコイツの中にあって、コイツが帰りたがってる場所が俺の中にあるなら、お互い繋がるのは必然なのだ。
ケツにペニスが出し入れされる。
ぬかるんだ音をたて抜き差し、奥までみっちり埋まる肉圧に声が上擦る。
「んっ、ァっ熱っ、レイジもッ、キツ」
「可愛いなロン、外でヤんの興奮してる?声ガマンしねーとばれちまうぜ」
「おっ前が、ガッツくからっ、はァあァ」
レイジの舌が口内をぐちゃぐちゃにかきまわし、体中の粘膜がどろどろに蕩けていく。ペニスはすっかり汁だくで勃ち上がり、レイジを求めてどこもかしこも疼いてやがる。
「あッ、ふぁぅっあ、ッすげ」
「どぷどぷあふれてくるな。気持ちいい?」
「お前っ、の、奥まで入ってんのわかるっ、ァあっあ」
レイジの首に手をかけて遥か遠い空を仰ぐ、乳繰り合いに愛想を尽かした三羽のツバメが青い彼方へ飛び去っていく。
あばよ。達者でな。
祖国を架ける旅路に幸あれかしと祈り、幻めいて薄れゆく望郷の念を断ち切って、今たしかにここにいるレイジを強く強く抱きしめる。
「イくっレイジいくっ、あっあ」
「イっていいぜ、よく頑張った」
レイジが腰を抉りこんで最奥に精を放った瞬間、中が収縮して痙攣が広がる。
「あ―――――――――――――――ッ……」
ぐったり果てた俺の腰に手を回し、力強く支えてくれる王様。
汗と涙でぼやける目を薄く開き、ツバメが跡形なく消え去った空を透かし見る。
おいてかれた寂しさとか未練とか、全く感じなかったといえば嘘になる。
そんな俺の孤独を、同じリズムでぬくもった鼓動と抱擁が癒してくれる。
「落ち込むなって」
「あたりまえだ」
レイジが額やこめかみにキスをする。火照り汗ばむ肌を吸い立てる唇のこそばゆさに身じろぎ、邪魔っけに顔をどかす。
余韻に浸るのもそこそこに後戯に移りたい王様をひっぺがし、皺くちゃの上着をおろし、そそくさとズボンを引き上げる。
「とっとと粗チンしまえ、冷えちまうぞ」
「さんざんよがっといて酷くね?」
「ノッてやったんだよ」
「巣は?とっとかねーの」
「食いてェならお好きにどうぞ」
せいぜい憎たらしい笑みでからかえば、レイジがおどけて肩を竦める。
からっぽの巣に興味はねえ。雛が巣立ちを迎えたあとに残るのはただの抜け殻だ。
ほんの数分前まで巣がかかってた軒先から、角張った建物の輪郭に切り取られた空を眺める。
東京プリズンの上に広がる空はフィリピンや台湾、俺が生まれ育ったスラムにだって繋がっている。
この青空のどこかにアイツらがいる。
そう信じられるだけで十分だ。今は。
そう教えてくれたのは昔住んでたスラムの老頭児だった。
床几に座って四六時中ボンヤリしてた爺さん……ことによるとぼけてたのかもしれない。
若い時分に台湾からやってきたらしい爺さんは、晩年故郷に帰りたがっていた。
俺が生まれ育ったのは豊島区池袋台湾系スラム。
ごちゃごちゃした街並みを恋しがるには思い出が足かせだ。
お袋はすれっからしの娼婦で俺はその若気の至りの私生児、親父の顔は知らねえ。写真一枚残ってなかった。気性の荒いお袋のこった、仮に手元に残ってたって破り捨てたか荼毘に伏せたに決まってる。股からひねりだされた俺がいうのもなんだがアレはとんでもなく嫉妬深い女だった、わざわざ相手にしたがる命知らずの気が知れねえ、顔面ひっかかれて蹴りだされんのがオチなのに。
東京プリズンで燕の巣を見付けたのは偶然だった。
囚人に許された短い自由時間、コンクリートで固めただだっ広い中庭。白と黒の横縞の服を着た連中の肌と瞳の色はさまざまだが、それぞれ派閥を成して固まってるのが面白い。東棟で一番幅を利かせてるなあアジア系、押し出しのいい凱が仕切ってる。で、案の定俺はハブられる。仲間外れは塀の内でも外でも慣れっこだから今さらだ。俺の中にゃお袋と親父から継いだ血が流れてる。
台湾と中国の混血、通称半々、それが俺だ。
物心付いた時から耳タコの蔑称。結果どっちからも等しく憎まれ孤立する。
俺の名前をわざわざ呼びたがる物好きなんて一握り。だもんで、時々自分の名前を忘れそうになる。看守だって殆どが半々呼びだ、くそったれ。気分がくさくさしてるのは、イエローワークの帰りのバスで足を踏まれたせいだ。因縁ふっかけられるのなんてしょっちゅうで、いちいちイライラしてたらきりがねえ。
当然相手は詫びもしねえ、どこへ行ってものけ者の半々だと最初からなめてかかってるのだ。
レイジに告げ口する気はねえ。王様にチクるほど落ちぶれてねえ。ンなことしたら王様の首輪付きの飼い猫だの反感を招くだけ、第一俺の意地が許さない。テメェの尻拭い位テメェでできなくてどうすんだ。
バスん中で起きたちょっとしたトラブルをひきずって、気分転換に中庭をブラ付いてたら、どこから甲高ェ雛の囀りが聞こえてきた。周囲の連中は馬鹿騒ぎに忙しくて気付くもしねえ。賭博にバスケに喧嘩、煙草とエロ本とドラッグの物々交換。
コンクリートを敷き詰めた殺風景な中庭も死角はある。東京プリズンは古の九龍城砦のような外観で、あちこちに階段だの出っ張りだのが存在する。燕の囀りは東棟A区画、コンクリの建物の軒先から聞こえてきた。
半地下の扉に階段が続いてる。囚人はここから出入りする。でかい声じゃ言えねえが、生きてる人間以外も出入りするってもっぱらの評判だ。ゴルフバックに包まれた死体が夜中こっそり運び出されるのを目撃したヤツもいる。
「どこだ?」
手庇を作って軒先を仰ぎ、かすかに目を見開く。いた。軒先にちゃちな巣がかかり、三羽の雛が口を開け、うるさく餌をねだってる。巣の中で押しくらまんじゅうする雛どもは元気いっぱいで、パッ見禿げ散らかした毛玉のかたまりっぽい。
視界の端を黒い影が颯爽と掠める。親鳥だ。直線と曲線を組み合わせたスピーディーな軌跡に惚れ惚れする。燕の宙返りを見るのは久しぶり……娑婆にいた時以来だ。
食欲旺盛、黄色い口を開けてピーピー催促する雛たち。咥えた毛虫を雛鳥の口ん中に突っこんで、再び飛び去る親ツバメ。藍色の艶を帯びた黒い羽を広げ、悠々と空を横切る。
「ガキの世話に追われて、お袋は大変だな」
苦笑いで親ツバメに同情する。子だくさんはいいことだ、そのぶん生き延びる率が上がる。数年ぶりにツバメを見れて、なんだか得した気分だ。生まれ育ったスラムにゃごろごろいたが、砂漠のど真ん中の東京プリズンじゃとんと見かけねえ。
「こんなトコに巣を作るなんて変わってる。お前らも追い出されてきたのかよ」
死んだ爺さんが言ってた、ツバメは単独で巣作りすると。だから同じ軒先や建物に巣をかける例は少ない。安住の地を求め、はるばる砂漠を渡ってきたならご苦労さんだ。
「……がっかりだろ」
砂漠をこえた先がこの世の地獄の東京プリズンなんて、幻滅だ。ツバメの一家も後悔してるに違いない。
がらにもなく感傷的になっちまったのは、子育てに追いまくられるツバメの姿に、遠く離れたお袋を重ねたからだろうか。もっとも、俺を産んだ女はこんな子煩悩じゃねえ。徹底してガキにゃ無関心、最後まで放任主義を通したっけ。
それから、なんとなくツバメを見守るのが習慣になった。
イエローワークを終えた自由時間、へとへとになった身体をひきずって中庭に行き、ツバメの巣を見守る。雛はどんどんデカくなっていった。今じゃ毛もちゃんと生えそろい、咽喉の膨らみに朱がさして貫禄がでた。
「最近どこ行ってんだよロン」
「別に。どこでもねーよ」
「自由時間になると変にいそいそして消えちまうじゃん。浮気?」
「寝ぼけたこと言ってんなボケ。相手だれだよ鍵屋崎か、それ以前にテメェの女になった覚えねーよ」
「ツレねえなあ。一人でぶらぶらしてると面倒なのに絡まれるぞ」
「送り迎えはいらねーよ、王様はベッドに寝転んでケツでも掻いてな」
レイジのシツこい詮索を巻き、今日も今日とてツバメの様子を見に行く。
気分は保護者か番人か、砂漠と房を往復するシケた毎日に見守る存在が降ってわいて張りがでた。
娑婆じゃ鼻にもかけず素通りしてた。ツバメの成長観察なんかが娯楽になるのは、偏に東京プリズンがろくに楽しみのねえ場所だからだ。
砂漠のど真ん中で肩寄せ合って暮らすツバメに、心のどこかで自分を投影し、憧憬を馳せていたのは否めない。
俺が憧れてとうとう手に入らなかったもの、自由に飛び回れる翼と温かな家族。
よりにもよって東京プリズンなんかに居着かなくても、あの翼がありゃどこへだって飛んでいけるのに。
「元気かチビ」
今日も巣を見上げて、一番小せえのに声をかける。コイツは成長が遅れてんのか、他の兄弟より一回り身体が小さい。ちゃんと食えてんのか心配になる。
巣からおっこちて、干からびて死んでる雛を見たことある。道端に横たわる鳥の亡骸。そん時きゃ何も思わなかった、弱肉強食が世の中の必然だ。飛べねえヤツは落ちて死ぬ、それだけだ。あの頃はただ生きるのに精一杯で、ツバメの雛を気にかけてる余裕なんざなかった。市場から饅頭をかっぱらい、空のペットボトルにためた雨水で渇きを癒し、どうにかしのいでいた。
ツバメの雛の世話を焼く余裕ができたのは、きっとレイジのせいだ。
アイツがいるから心に余裕が生まれた、ツバメの雛への思いやりが生まれた。
囚人にゃ嫌がらせされるが、今の俺は幸い食うに困ってねェし、一応は寝床もある。たびたびレイジがもぐりこんでくるせいで、夜の厳しい寒さもしのげる。火照った肌を重ねれば、お互いてっとりばやくぬくもれる。
「俺にナイショで隠し子の様子見?」
聞き飽きた声に振り返る。嫌な予感は往々にして当たる。レイジがいた。
囚人服のポケットに指をひっかけ、ニヤ付きながらこっちを見てる。
「……んだよ。邪魔だ、あっち行ってろ」
「中庭いねーからさがしたんだぜ。俺のロンセンサー、略してロンサーなめちゃ困るね」
「特許は認めねェぞ」
塩対応で追っ払おうとするが上手くいかない。生来厚かましいレイジは俺の隣にやってきて、結局二人並んでツバメの巣を見守る羽目になる。
「ツバメか。レアだね」
「こないだ見付けたんだ」
「東京プリズンに巣をかけるなんて物好きな。わざわざ砂漠をこえてきたのかよ」
「俺がいたスラムでもよく見かけた」
「豊島区池袋台湾系スラム?」
「ごちゃごちゃした汚ェ場所だよ、売人と売女と飲んだくれの吹き溜まり」
「娑婆じゃあちこちにフツーにいたよな」
「お前の故郷にもいたの?」
「フィリピン?もちろん、むこうはあったけえからな。冬越すにゃもってこい」
「ふうん」
知ったかぶって頷き、借り物の知識でドヤる。
「スラムの馴染みの爺さんが言ってた、日本で子作りしたツバメは台湾やフィリピンで冬越すんだ」
「台湾とフィリピン両方通んのか」
「そうだよ。日本を出てから空飛んで、台湾経由でフィリピンに」
「一足先に出所だな」
「翼で堂々風切って」
レイジに相槌打ちながら、なんでもない言葉をしみじみ噛み締める。
王様の指摘で初めて気付いた。コイツらは俺たちより早くここを出て、俺たちの国へ帰るのだ。台湾とフィリピン、俺とレイジの故郷、両方に。
「フィリピン行ったらマリアとマイケルによろしくな、達者でやってるって伝えてくれ、いでっ!?」
ふざけて片手を挙げて言伝てるレイジの腹を肘で小突く。
「なにすんだロン」
「人任せ、もとい鳥任せにすんな。テメェで言えよ」
昔レイジがよこした手紙を思い出し、寂しさの裏返しで憎まれ口を叩く。コイツが生きてここを出られる可能性はとても低い。フィリピンにいるかもしれない、家族とも生き別れだ。
監獄出れないテメェのぶんまで鳥に願いを託すなんて、哀しくなるからやめてほしい。どんなツラをしたらいいかわからない。
「俺たちの代わりに故郷を見てきてくれるんだ。悪くねェだろ?一年たったらまた帰って来る」
「出戻るわけねーだろ、こんなトコ」
「拗ねンなって、東京プリズンもまんざら捨てたもんじゃねえぜ」
「はァ?どこが」
「運命のヤツと出会えた」
「……はあ」
否定するのも疲れる。
レイプとリンチ、看守の虐待や体罰が横行するこの世の地獄・東京プリズンでもツバメの雛は生まれ、日々すこやかに育っていく。
それからはレイジと二人で雛の成長を見守るのが日課になった。
「ツバメって何食うの。虫?」
「毛虫じゃね」
「砂漠にいんのかよ」
「知らねえよ」
「名前は付けてんの」
「右からイー、アー、サン」
「意味は?」
「台湾語で1、2、3。いちばん小せェのがたぶん末っ子のサン」
「安直だなあ」
「うるせえ、麻雀の役名よかマシだろ。お前ならなんて付けるよ」
「ロン、ロンロン、ロンロンロン」
「聞いた俺が馬鹿だった」
王様は暇人だ。強制労働に出てない時間もちょくちょく様子を見に来てたらしい。観察を続けるうちに情も移る、愛着がわく。
「思ったこと言っていい?」
「ろくでもねーから言うな」
「アイツらって俺とロンの子供みてーだな」
「やっぱりろくでもねー」
「大口開けてメシねだる、食い意地張ったとこがお前そっくり」
「イーはお前似だな、弟押しのけて前出るあたり態度がデケぇ」
「大物になる証拠だな」
とぼけたことぬかすレイジに盛大にあきれ返る。
が、反論はやめておいた。ツバメの雛をガキに見立てるレイジのセンスも大概だが、言われてみりゃ確かに、末っ子のサンの面構えは俺に似てなくもねえ。意地悪な兄貴たちに突付き回されても、負けじと餌へ食らい付く根性は見上げたものだ。
「ツバメは一夫一妻でメスが餌とりにいってる間はオスが巣を守る」
「親父に爪垢飲ませてェ。どこにいるか知んねーけど」
「会いてえ?」
「どうでもいいね」
本音を言えば、俺の身体の半分に流れる血の出所が気にならない訳じゃない。が、会うのは諦めている。俺を孕んだお袋を捨てて行方をくらますようなクズと感動の対面は望むべくもない。
「お前は」
「マイケルなら会いてェよ。マリアも」
「そっか」
憎まれ口を控えてそっと横顔をうかがえば、澄んだガラスの目はどこか遠くを見ていた。いずれツバメが帰っていくフィリピンかもしれない。
「……元気でやってるといいな」
会えるさと、無責任に安請け合いはできない。下手に希望を持たせるのはかえって残酷だ。代わりにレイジに寄り添い、褐色の手をとって目を閉じる。
レイジのお袋と親父がわり、序でに俺のお袋も元気でやってるといいとツバメの風切り羽に願をかける。
フィリピンと台湾、海が隔てる近くて遠い国。
すっかりでかくなり、巣立ちが目前に迫った雛を見上げてぼやく。
「台湾なんか行ったことねー」
「綺麗な国だよ」
「は?行ったことあんの」
「ロンのご先祖サマの国だろ」
「……理由になってねえよ」
「ツバメが恋い焦がれる場所が悪いトコのはずねえじゃん」
「それをいうならフィリピンだってあったかくてキレイな場所だろ、イイ女いっぱいいるし」
「マリアとか」
「黙れマザコン」
お互いの故郷を褒め合い照れる。なにやってんだかあきれる。台湾なんて一度も行ったことねえのに、俺の中に流れる血の半分が郷愁を感じているのが不思議だ。
「いけっ、イー・アー・サン!」
「も少しがんばれあと一息」
漸く雛どもが飛ぶ練習をはじめた。レイジと二人並んで応援する。親鳥のようにキレイに宙返りすんのはむずかしくても、えっちらおっちら巣から出て、もどってくる程度の芸当はこなす。
「でかしたサン、やればできるじゃねえか」
「イーとアーもすげえじゃん、昨日より高く飛べるようになったな」
すっかりツバメの親になりきって、巣立ちを控えた雛たちを褒めたたえる。一番ちびで心配だったサンも、他の兄弟と見劣りしねェ位でかくなった。
「アレなら台湾フィリピン余裕だな」
喜びを噛み締めてはしゃぐ俺を微笑ましげに見守ってひやかす。
「ロン媽媽のお手柄だな」
「レイジ爸爸は特になんもしてねえな」
「ひっでえ、一緒に応援したろ」
「一応父親だって認めてやってんだから有り難く思え」
こっちもだいぶ譲歩してるのだ。ちょっと前なら冗談でもレイジを親父扱いなんてしなかった。媽媽呼ばわりも願い下げだ気色悪ィ。
けど、今日は気分がいいから怒らないでやった。もう少しで雛が巣立ってくめでたい日に、喧嘩なんかしちゃしらけるもんな。
俺は巣立ちの日を心待ちにしていた。きっとレイジもだ。
できればその瞬間に居合わせたいと望み、強制労働中もそわそわと上の空。上手くタイミングが合うのを祈り、自由時間にゃ毎度中庭に直行し、手に汗握って声援を送った。
だから。
「よう半々、今日も雛の子守りか」
凱の子分どもに巣の場所がバレた時は、冷や汗をかいた。
「ンだよ。何か用か」
「別に。このごろ休憩時間になると中庭突っ切ってこそこそどっかにでかけるから、気になって付けてみたのさ」
「したら案の定」
「燕の巣は滋養強壮にいいらしいぜ、スープにして食うのかよ」
「さすが半々意地汚ェ」
「テメェらにかまってやる気分じゃねえ」
中国人に絡まれてウンザリする。俺を取り囲んでニヤケる連中の一人が、軒先の巣へ大股に歩み寄ってく。
「げっ、糞だらけじゃん。きったねえ」
「景観を損ねちゃいけねえな」
「よせ」
胸騒ぎに襲われて一歩踏み出せば、たちまち通せんぼで押し返される。相手は4・5人、こっちは1人で分が悪い。こてんぱんに叩きのめされるのは目に見えてる。
リーダー格らしい図体でけえのがおもむろにジャンプ、伸ばした片手で無造作に巣をぶっ叩く。雛たちが抗議の合唱。
「ざけんな、やめろ!!」
近寄るに近寄れず、巣の周りで円を描く親ツバメ。ピーピーとヒステリックな囀り。凶暴な囚人どもは容赦せず、頭を突付く親鳥をうざったげに払いのけ、こぞって巣を取り壊しにかかる。
「ツバメに何の恨みがあんだ、ただ巣を作ってただけじゃねえか、もうすぐいなくなんだからほっといてやれよ!」
「テメェと同じで視界にチラ付くだけで目障りなんだよ」
「糞まみれの巣は直に食わしてやっから安心しな」
「ふざけ、待て」
俺がかかわったばっかりに。
凄まじい後悔の念に歯噛みをし、羽交い絞めを振りほどこうと死に物狂いでもがく。調子にのった中国人がツバメにちょっかいをかける、次々ジャンプして巣にタッチ、雛が悲鳴じみた声で啼き叫ぶ。
「イー、アー、サン!」
思わず名前を呼ぶ。野太い嘲笑を浴びせられる。
「あははははは名前付けてんのかよ末期だな、ダチがいなさすぎてオツムおかしくなったか!?」
「ちょうどいい、テメェの前で全部くびり殺してやらァ」
激しく揺さぶられた巣が大きく傾き、極限まで目を剥いて宙に手をのばす。
「頼む、やめ―」
伸ばせど届かない手の先で、ずっと成長を見守ってきた三羽の雛が、コンクリの地面に惨たらしく叩き付けられる。
俺のせいだ。
俺が悪い。
最悪の光景を予期して咄嗟に目を閉じたが、どっこいそうはならなかった。
「ぶへっ!?」
突然拘束がとけた。
間抜けな声を発して吹っ飛ぶ背後の囚人、続いて風が駆け抜ける。すべては一瞬のうちに起きた。
「媽媽が呼んだら爸爸の出番だな」
飄々と余裕をふかせた声で宣言、茶髪をなびかせたレイジが巣を囲む囚人に鋭いフックと蹴りを放って沈めていく。瞬殺。
残像すら捉えるのがむずかしい速度で急所に一撃を入れ右足を軸に回転、王様の頭上でいよいよ巣が外れて垂直落下。
キャッチする?だめだ間に合わない、かくなるうえは……
「「飛べっ!」」
俺とレイジの声がキレイに揃い、宙を滑り落ちた巣から三羽のツバメが飛び立った。
颯爽と翼を広げて空へと駆け上るや宙返り、俺とレイジの頭上で大きな円を描く。
「そうだよ。それでいい」
レイジが手庇をかざし、太陽の光に眩そうに眼を細める。コンクリの地面に落ちた影がだんだんと離れていき、イーとアーとサンが空の高みへ去っていく。
今まさに三羽のツバメを送り出した王様が振り返り、子離れをすました笑顔を浮かべる。
「巣立ちの瞬間に立ち会えてラッキーじゃん。日頃の行いがいいからだな」
今だけ王様に感謝したい。
三羽が無事に飛び立てたのはコイツのおかげだ、俺はただ無力を噛み締め見ているだけしかできなかった。
「お手柄だな爸爸」
腑抜けた安堵の表情でレイジを労い、小走りに駆け寄る。
地面に落ちた巣はひしゃげ、その周りじゃ囚人どもが泡吹き気絶している。
「なあロン、俺が今なに考えてるかわかる?」
「ご褒美ほしいってか」
「そうだよ」
「房で一発」
「駄目だ、待ちきれねェ」
レイジの手が上着をはだけて脇腹をまさぐる。耳に付く性急な衣擦れの音、なめらかな手が胸板を這って乳首を抓る。
「ここでヤんのかよ、盛りすぎだよ」
「ちょっとだけ、先っぽだけ」
「ぜってえやだ」
「ンなこと言わずに。な、頼む」
抗って見せたところで語気は弱い。他のヤツがくるかもしれないとか、そんな事まで気が回らない。拝み倒すレイジの頬に片手をあてがい、せいぜいあきれた顔で微笑んでやる。
「……しかたねェ。くれてやる」
「マジで?」
「さっさと済ませろ、人くるからな」
外で身体を許すのは初めてだ。かまうもんか。ツバメが無事巣立てたのはコイツのおかげだ。見返りを求めるなら全力で払ってやる、ツバメの命の値打ちに比べたら安いもんだ。
「あッ、んっは」
レイジが俺を壁に押さえ付ける。唇をこじ開けて割り込む舌が歯列をなぞり、柔く敏感な粘膜を揉みくちゃにする。その間も手は働き通し、片手は俺の股間をねちっこくまさぐって、片手で乳首を捏ね回す。
「エロい声。股間にくる」
「無駄口叩くんじゃね……はッァ」
誰かが来そうで気が気じゃない。今回り込まれたら終わりだ。初体験の青姦が羞恥心を煽り立てる。レイジがズボンの中に手を突っ込んで、直にペニスをいじりだす。
「あッ、ふぁっ、ァっあレイジそこっあっ、んまさわんな」
レイジの手が気持ちいい。気持ちよくて気持ちよくておかしくなっちまいそうだ。背中に感じる壁のザラ付き、はだけた隙間から吹き込む風のひやっこさ。俺にかぶり付くレイジの頭の向こうで、イーとアーとサンが遠大な弧を描く。
「アイツらフィリピン行くかな」
「台湾にもな」
鈴口にとぷりと雫が盛り上がる。
レイジがそれをすくって伸ばし広げ、全体にすりこんでいく。会陰のふくらみにもまぶし、後ろ孔へ突き立てる。
「ツバメは自由だかんな。どこでも好きなところへ行けるんだ」
俺が育ったスラムにも、コイツが育ったフィリピンにも。
マリアとマイケルが待ってる場所に。
なんでか急に泣きたくなって、せっかちな瞬きでこみ上げる涙をごまかす。レイジにぎゅっと抱き付けば片足ごと押し広げられ、ズボンを脱いだ尻を壁が削る。
「また戻ってくるさ」
レイジが耳元で熱い吐息と一緒に囁く。俺は唇を噛んで首を振る。
「もう帰ってくんな」
「どうして?寂しいじゃん」
「こんなとこ、あっ、ふるさとじゃねェよっ、ふあっ、台湾でもフィリピンでも、んぅッァあ、新しい家族作ってよろしくやってろ」
ここよりずっといい場所で。
東京プリズン以外ならどこだって天国だ。
娑婆に出れねェ俺たちの代わりに、俺たちの分までせいぜい青空の下で生を謳歌してくれ。
新天地でのびのび生きてくれ。
別れ難く緩やかに飛び回る三羽のツバメをよそに、俺の足を抱えて突き入れながら、おくれ毛を纏わせたレイジが余裕のない声で囁く。
「ここだってまんざら捨てたもんじゃねえ。お前と会えた」
「かぎやざきっ、や、サムライっ、も」
「そうだな、アイツらも忘れちゃいけねぇよな。でも一番はお前」
「あッ、ァっ、レイジそこっ、ァっンあっ、ふぁっあ」
娑婆のことはできるだけ考えない。
どうせ待ってる人間なんかいやしない。
お袋はガキのことなんか忘れて楽しくやってるし、梅花にゃくそったれ道了がいる。
激しく抽送するレイジにされるがまま前立腺を突かれ、艶っぽい喘ぎをあげまくる。
レイジが俺の額や鼻の頭を啄み、愛しさがあふれでた笑顔で問いかける。
「なあロン、もしツバメになれたら真っ先にどこ飛んでく?」
「決まって、んだろ」
揺さぶられながら辛うじて薄目を開け、褐色の顔の中心に焦点を合わせる。
おもむろに両腕をのばし、首ったまにかじり付く。
儚く滲む空を三羽のツバメが飛ぶ。
台湾でもフィリピンでも、ましてや池袋のスラムでもねえ。
俺が帰る場所はお前の腕の中だと、三羽の軌跡を追いながらハッキリ行動で示す。
レイジは一瞬面食らってからくすぐったそうにむず付き、こんな地獄にゃまるで場違いな、幸せすぎて馬鹿になっちまった笑顔を見せる。
「だよな。愚問だった」
「そういうお前は」
「媽媽の胸ん中」
「マザコンめ」
「のろけだよ、わかれっての」
「だからわざとだよ」
青空の下、忍び笑って二人で繋がる。
ちょっと前なら考えられなかったが、今じゃ普通にコイツを受け入れている。俺の為に毎度身体を張ってボロボロになるレイジ、助けを求めりゃまっしぐらに駆け付ける王様、コイツの為に何かしてやりたいと思ってる。
俺が帰りたがってる場所がコイツの中にあって、コイツが帰りたがってる場所が俺の中にあるなら、お互い繋がるのは必然なのだ。
ケツにペニスが出し入れされる。
ぬかるんだ音をたて抜き差し、奥までみっちり埋まる肉圧に声が上擦る。
「んっ、ァっ熱っ、レイジもッ、キツ」
「可愛いなロン、外でヤんの興奮してる?声ガマンしねーとばれちまうぜ」
「おっ前が、ガッツくからっ、はァあァ」
レイジの舌が口内をぐちゃぐちゃにかきまわし、体中の粘膜がどろどろに蕩けていく。ペニスはすっかり汁だくで勃ち上がり、レイジを求めてどこもかしこも疼いてやがる。
「あッ、ふぁぅっあ、ッすげ」
「どぷどぷあふれてくるな。気持ちいい?」
「お前っ、の、奥まで入ってんのわかるっ、ァあっあ」
レイジの首に手をかけて遥か遠い空を仰ぐ、乳繰り合いに愛想を尽かした三羽のツバメが青い彼方へ飛び去っていく。
あばよ。達者でな。
祖国を架ける旅路に幸あれかしと祈り、幻めいて薄れゆく望郷の念を断ち切って、今たしかにここにいるレイジを強く強く抱きしめる。
「イくっレイジいくっ、あっあ」
「イっていいぜ、よく頑張った」
レイジが腰を抉りこんで最奥に精を放った瞬間、中が収縮して痙攣が広がる。
「あ―――――――――――――――ッ……」
ぐったり果てた俺の腰に手を回し、力強く支えてくれる王様。
汗と涙でぼやける目を薄く開き、ツバメが跡形なく消え去った空を透かし見る。
おいてかれた寂しさとか未練とか、全く感じなかったといえば嘘になる。
そんな俺の孤独を、同じリズムでぬくもった鼓動と抱擁が癒してくれる。
「落ち込むなって」
「あたりまえだ」
レイジが額やこめかみにキスをする。火照り汗ばむ肌を吸い立てる唇のこそばゆさに身じろぎ、邪魔っけに顔をどかす。
余韻に浸るのもそこそこに後戯に移りたい王様をひっぺがし、皺くちゃの上着をおろし、そそくさとズボンを引き上げる。
「とっとと粗チンしまえ、冷えちまうぞ」
「さんざんよがっといて酷くね?」
「ノッてやったんだよ」
「巣は?とっとかねーの」
「食いてェならお好きにどうぞ」
せいぜい憎たらしい笑みでからかえば、レイジがおどけて肩を竦める。
からっぽの巣に興味はねえ。雛が巣立ちを迎えたあとに残るのはただの抜け殻だ。
ほんの数分前まで巣がかかってた軒先から、角張った建物の輪郭に切り取られた空を眺める。
東京プリズンの上に広がる空はフィリピンや台湾、俺が生まれ育ったスラムにだって繋がっている。
この青空のどこかにアイツらがいる。
そう信じられるだけで十分だ。今は。
11
お気に入りに追加
198
あなたにおすすめの小説







塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる