少年プリズン

まさみ

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ボクとテディ

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テディベアの汚れに最初に気付いたのはビバリーだった。
「リョウさん、この子ちょっとボロっちくなってません?」
「え?」
思いがけぬ指摘に両目をぱちくり、枕元にちょこんとお座りしたテディベアを抱っこする。
ママから貰った大事なテディベア、僕のテディベア。寝る時も悪だくみをする時もいっしょだったから慣れ過ぎて気付かなかったけど、言われてみれば確かにそんな気もする。
「そっかなー言うほどホツれてる?」
「やー毛並みがすすけてるっていうかみすぼらしくなってるっていうか」
「持ち主のボクでさえ気付かなかったのに」
「近くにいる人ほど見過ごしちゃうことって案外あるもんすよ。ほらこことか、くたっとしてるじゃないすか」
ビバリーが指さす部位をまじまじ観察する。キュートでまん丸い耳の付け根は糸がくたびれて、ほんの少し縫合が弛んでいる。インドアパソコンオタクと侮ってはならじ、ビバリーは観察力に優れている。
ボクの不調はすぐ見抜くし周囲のアイテムの破損にも目ざとい。こないだロザンナに蹴っ躓いて角っこにキズを付けたら、こっぴどく叱られて酷い目にあった。ボクに言わせれば床においとくほうが悪い、腫れた爪先の治療費を請求したところだ。倍額で。
「大変……手術しなきゃ。ソーイングセットってどこにあるんだろ、医務室かな」
「うーんまずその発想はおかしいっすね!手術用メスでテディベアを切開するのはやめとくのが無難っす、だいいち東京プリズンのお粗末な医療設備で本格的なオペに挑むのはお勧めしないっす」
「親殺しご執心のお医者ならちょちょいのちょいって切って縫ってくれそうなのに」
「ぼられますよ」
手術台にベルトで拘束されたテディベアというシュールな光景を想像したのか、おどけるビバリーの首ねっこに飛び付き、甘ったるい声で頬ずりする。
「ビバリーはボクのナースコス見たくない?ミニスカ派とロング派どっち?」
「僕がリョウさんの破廉恥ナースコス見たがってる前提で話進めるのやめてくださいっす、発想が猥褻っす」
残念、機嫌を損ねちゃった。悪ノリは禁物だね。ビバリーをからかうのに飽きてさっさと離れ、テディベアを高い高いして悩む。
「冗談はともかく汚れだけでも落としたほうがいいよね」
「っすね。てどこ行くんすかリョウさん」
「シャワー室ーちょうど今日シフトだし」
ベッドの上で胡坐をかき、ロザンナと向き合ってキーを打鍵していたビバリーがきょとんとする。
「洗面台で洗えばいいじゃねっすか」
一回宙に放ったテディベアを受け止め、察しの悪いビバリーに大袈裟なため息を吐く。
「洗面台のちびた石鹸じゃろくに落ちないでしょ」
それに。
「一緒にごしごししたげたほうがこの子だって気持ちいいじゃん、ねーテディ」
「はいはいいってらっしゃい」
ここぞとばかり愛情一杯テディベアに頬ずりすれば、愛想を尽かしたビバリーが肩を竦め、手の甲でボクを追い立てる。ヤキモチ焼かせようとしたのに失敗か、まったくノリが悪いんだから。
テディベアを抱っこし跳ねるように歩く。
スキップと鼻歌まじりに鉄扉に近付き、とびっきりの笑顔で振り向く。
「ボクのヌード見たけりゃ一緒にきてもいいよ」
「骨の浮いたガリガリ貧相な身体を?ご冗談っしょ。よっぽどこじらせた小児性愛者は別として、リョウさんのヌードなんて覚せい剤中毒者の末期症例見本にしか使えませんって」
「ソープランドごっこしたくないの」
「興味ねっす、漂白しすぎて自慢の肌色落ちちゃったらどうするんですか」
「きわどいジョークだなあ」
「その子だってシロクマになっちゃうっすよ」
優しいブラウンの毛並みのテディを見下ろし、ふくれっ面で宣言。
「ふんだ、ビバリーのイケズ。せっかく誘ってやったのに……いいもんボク一人で楽しんでくるから」
わざと荒っぽく鉄扉を開けて閉める。自由時間の東棟には囚人が溢れている。廊下にしゃがみこんでサイコロを振る馬鹿が邪魔だけど、トラブルは避けたいんで身軽に回避。刑務所生活もそこそこ長くなるとスルースキルが自然と身に付く、今じゃ目を瞑ってても特にヤバそうな奴は避けて通れる。絡むと面倒な凱の一派とかね。
シャワー室に到着、脱衣所でぶかぶかの囚人服を脱いでロッカーに入れる。時々盗まれるから物騒だ。泥棒の使用目的は……聞かない方向で。
シャワー室は既に混雑していた。芋洗い状態とはよくいったもので、一日の労働を終えた囚人たちが押しくらまんじゅうしている。ドブくさいのがブルーワーク、黄砂にまみれてるのがイエローワーク、煤や灰に塗れてるのがレッドワークだ。
「ふんふんふーん……」
ロッカーに服を突っ込んだ時、視界の隅を過ぎった囚人の裸身に無数の痣があった。鬱血の手形と内出血の痣……色素が沈殿したキスマーク。
「ブラックワークか」
ブラックワーク、売春班に配属された囚人は全身に痣を作ってるから一発でわかる。東京プリズンの囚人は乱暴者ぞろいで、バイオレンスなセックスを好むのだ。だからだろうか、売春班に回されると長生きできないのが常だ。ある意味東京プリズンの部署の中で最悪に過酷といえる。
もっとも悪運に恵まれてか、誰に望まれなくともしぶとく生き延びる例外はいる。
「さーて、キレイキレイしようね」
「そこのチビ、シャワー室は私物持ち込み厳禁だぜ」
「はあ?」
ジト目で振り返ると、見るからに頭が悪そうなニキビ面の囚人が2・3人の取り巻きを連れて立ちはだかっている。
「何キミ、新しい人」
「だからどうしたってんだ。規則は守れよ先輩、俺たちより長くここにいんだろ」
「ナイフや針金の持ち込み許して、流血沙汰になったら困るもんな」
「ボクがナイフや針金隠し持ってるって?どこにさ」
「そのテディベアの中にとか?」
下卑たニヤニヤ笑いに取り巻きが追従する。典型的な弱いものいじめが好きな人種だ。
あーあ、たまにいるんだよねこーゆー身の程知らずな馬鹿。自分の立場がわかってない愚か者。
心の中で盛大なため息を吐き、さも心外そうな顔で言い返す。
「ひっどい言いがかりだなあ、傷付くよ。そんなに心配なら中見てみる?」
いい事考えた。ボクはにっこり笑い、連中には見えない死角でテディベアの背中に手を突っ込む。
テディの背中には縦に切れ目があって、中身の綿に華奢な注射器を収納している。
「ひょっとして怖いんだ?シャワー浴びてる最中にボクに背後からヤられちゃうかもってびびってる?」
「あァん?」
「寝言ふかしてんじゃねーぞテメェ……マワされてえか」
最初からそれが目的なくせに。
胸の中で舌を出す。
コイツらは見かけで侮ってボクに絡んできた。
ちびで痩せっぽち、赤い巻き毛とぱっちりおめめ、団子鼻のそばかすが愛嬌たっぷりのボクは、女の代用に飢えたコイツにとっちゃ格好の獲物。
てきとーに因縁ふっかけて袋叩きにしたあとは、皆で輪姦して楽しむ予定だ。
ああ、順番は逆かな?ヤる前に顔が潰れちゃ萎えるもんね。
「可哀想に、東京プリズンでボクを知らないなんてモグリだね」
小さく独りごち、心の底から同情する。
コイツらはこれから自分が辿る運命をまだ知らない、ほんの数秒後にはその愚かさの代償を身をもって支払わされることになるってのに。
「あーあ、終わったよ。リョウを敵に回すなんてアホだな」
「王様やサムライ、凱ほどじゃねーが……ある意味連中よかタチ悪いってのに」
「看守や他棟のヤツにもコネもってんだろ?一度リスト入りしたら最後骨の髄までしゃぶり尽くされる、くわばらくわばら」
民度が世紀末の東京プリズンじゃよくあることだ、今さら驚くにも値しない。我関さずと通り過ぎてく囚人が陰口を叩く。
ボクは愛嬌と媚びで出来た無害な笑顔を保ったまま、ちょうどテディのお尻あたりから注射器の後部を抜き、ゆっくりとポンプに圧をかける。
もう一歩、あと一歩。新入りたちが半円に広がり、ボクと間合いを詰めていく。
「痛くさんのがいやなら嫌なら素直に股を開きな」
「可愛がってやるよ」
じゅうぶんに引き付けたら、いざー
「弱いものはいじめはよしなよ」
凛と澄んだ声が、殺伐とした緊張感に水をさす。
同時に振り向く。シャワー室の入口、ロッカーの前に少年が立っている。白鷺が化けたような美しくたおやかな容姿に滴る清冽な色香、ぬばたまの黒髪と黒い瞳、赤い唇が強烈な印象を与える。
静流。サムライの従弟。
「なんだ、テメェもまざるか」
「こっちは歓迎だぜ、上玉と遊べんだからな」
「まいったな……湯浴みにきただけなんだけどね。大勢で1人を囲んで、っていうのは見苦しいよ。武家の端くれの出として正道に反する行いは看過できない」
静流はおっとりと注意する。綺麗な声には上から目線の説教臭さとは隔絶した、諭すように達観した響きがあった。
「序でに言えば、貴重な湯浴みのひととき位静かに過ごしたい。見苦しいものを見せられちゃたまらない。彼を手籠めにするなら他の場所にしてくれないかな」
謙虚が美徳の物腰でさらっととんでもない事をぬかす。その落差に度肝を抜かれた囚人と相対し、食えない笑みで続ける。
「嗚呼、主語がぬけていたね。誤解させたら申し訳ない。見苦しいっていうのは、君たちの貧相な逸物のことだよ。まだ鞘に入ってる子もいるのかな?ろくに振り方も知らないくせに百人斬りに挑戦する気ならやめたほうがいい、折れて使い物にならなくなる」
うわ、すごい毒舌。鍵屋崎といい勝負だ。
「このッ……!!」
侮辱された新入りが顔真っ赤で激怒する。めんどくさい展開。いい加減付き合うのも飽きてきた。
テディの背中に注射器を引っ込め、だしぬけに声を張り上げる。
「柿沼さーーーーーん、ちょっときてーーーーーー。シャワー室で大変なことがーーー」
「!げっ、」
「看守にチクる気かよ卑怯者!?」
大勢で囲んどいて何寝ぼけたこと言ってんだか。
新入りたちに動揺が広がる。ボクはテディを抱き直しふんぞりかえる。
「ボクとカッキーはマブダチだもん。知らなかったの?」
「どうしたのリョウくん、トラブルかい?」
シャワーを浴びる時は看守が見張りに付く決まりだ、じゃないと殺し合いが起きる。まあ、いたところ賄賂を握らせて追っ払うとか見て見ぬふりするとかでトラブルは生じるんだけど。
「行くぜ」
脱衣所に駆け込んできた柿沼を見るなり、新入りたちは血相変えて退散する。東京プリズンの看守の中じゃ柿沼はなめられてる方だけど、腐っても看守。姿を現しただけで最低限の抑止力が働く。
「うん、ボク困ってたんだ。はやくシャワー浴びたいんだけど長い列ができててさ~この子をキレイにしてあげたいのに」
「そういうことならまかせといて」
「やた、話がわかる!」
テディをバンザイさせ無邪気に喜ぶ、ふりをしてみせる。柿沼はボクの潤んだ上目遣いに弱いのだ。
「君たちぐずぐずしない、後が閊えてるんだから早くでて」
「ま~たリョウを贔屓かペドフィリア!」
「男娼のケツ穴はめちゃんこ具合がいいだろうな」
柿沼に急かされてブースに入ってた囚人たちが渋々でてくる。全身びしょ濡れでぽたぽた雫をたらす囚人たちの舌打ちやガンとばしを見送り、大手を振って手近なブースにとびこむ。
「ありがとカッキー大好き、あとでいーっぱいサービスするからね!」
「お安いご用さ、少年のお肌はぴかぴかすべすべのほうが触り心地いいものね」
うへ、ホント気持ち悪いなコイツ。
スイングドア越しの柿沼が僕の片頬をいやらしくなでる。そのてのひらに猫みたいに頬を擦り付けて媚を売る。
柿沼が上機嫌で去っていく。漸く待ちかねたシャワータイム、フックに吊られたシャワーの下で仰向けてバルブを捻る。すると温かいシャワーが降り注いで……
「ちべたっ!?」
顔面に水をかぶって叫ぶ。
「またお湯が水になってる、なんでさちゃんと設定したのに、ブルーワークの職務怠慢でしょ全員クビにされちゃえ!いや貯水槽に沈め!!」
東京プリズンのシャワーはポンコツで、よく止まる上にしばしばお湯が水になるわで酷い物だ。全身に鳥肌立ててバルブを右に左に調整すると、やっとシャワーが温まってくる。
「ふー……」
気を取り直し、石鹸をとって泡立てる。
「キレイキレイしよーね」
ボクのお肌は売り物だ、故に手入れは欠かせない。テディとおそろいで泡まみれになり、気持ちよさに浮かれて鼻歌を口ずさむ。
「綺麗なボーイソプラノだね」
右を向く。仕切りを隔てた隣のブースに静流がいた。
「どうも」
「きみの友達が長居の囚人を追っ払ってくれたから、僕も恩恵に浴せたよ」
仕切りに遮られ首から上しか見えない静流が微笑む。シャワーに濡れそぼった黒髪が肌に張り付いて淫靡。
仄赤く火照った肌といい艶めかしい流し目といい、男のボクでもドキッとする程の色気が匂い立っている。
静流が不思議そうな顔をし、ボクが胸に抱いたテディをのぞきこむ。
「クマと入るの?」
「この子も友達なんだ。汚れてきたから洗ってあげようと思って」
「へえ、優しいんだね」
静流が感心する。褒められてまんざら悪い気はしない。
「刑務所の外から持ち込んだのかい?」
「そうだよ、小さい頃からずっと一緒だった。ママにもらった大事なテディベアさ」
「それはそれは」
「病的なマザコンだな君は。処置なしだ」
得意がれば、左隣のブースから憎たらしく取り澄ました声が響く。
まさかと思って向き直れば、天敵の鍵屋崎がシャワーを浴びていた。
「全然気付かなかった。キミって存在感ないのかな、それかお友達のサムライに気配を消す方法学んだの?」
「どちらも不正解だ。君たちの不合理な会話に率先して加わる利益と必然性が見いだせなかったから黙っていただけだ、他意がない」
柿沼が囚人をまとめて追っ払ったせいで、よりにもよってコイツと隣り合わせになっちゃうとは大きな誤算。
「君が看守と懇意にしていたおかげで早く順番が回ってきたのは有り難いがな。不要物の持ち込みは禁止されてるんじゃないか」
嫌味ったらしくボクのテディを一瞥、濡れ髪をかきあげる。
「どうして雑巾を抱いてるんだ?」
「節穴かよ」
鍵屋崎の鼻先にずいとテディを突きだす。
濡れそぼった鍵屋崎はうろんそうに瞬きをし、存在しない眼鏡の弦を押し上げるしぐさでテディに接近する。眼鏡はロッカーみたい。
「雑巾のようなものじゃないか」
「全然似てないでしょ目ぇかっぽじってよく見てよ?!」
「下水を吸った雑巾みたいな毛羽立ちと色合いだ」
「ブラウンだよ!」
「どちらにせよ不要物だな、シャワー室にふさわしくない」
コイツ……まじムカツク。
見かねた静流がおっとり笑んで仲裁に入る。
「そんな辛辣な事を言うものじゃないよ、彼にとっては大事な思い出の品だ」
「……静流か」
「こんにちは直君」
「君も今日がシャワー日か」
「まあね。シャワーに入れる日が決められているなんて、なかなかどうして綺麗好きにはキツいよね」
「それには同意する、東京プリズンの囚人は不潔すぎだ。おまけにペニスに沸いた毛じらみが脳に転移したとしか思えない低能ぞろいで辟易する」
「どうでもいいけど、ボクの頭を通り越しておしゃべりしないでくれるかな」
無視されてるみたいで気分が悪い。別に仲間にいれてほしいわけじゃないけどさ、断じて。
入所当時はツンツンしてた鍵屋崎も最近はだいぶ丸くなった。サムライやレイジ、ロンの影響かな?でもボクにはあたりがキツい、日頃の行いが悪いっちゃそれまでだけど。
気持ち良さそうに仰け反り、玉の肌に雫を滴らせながら静流が呟く。
「懐かしいね。僕もむかしお気に入りの人形を持っていたよ」
「やっぱくまのぬいぐるみ?」
「いいや、市松人形」
「市松……それ日本人の男の名前だよね?」
初耳の単語に首を傾げれば、鍵屋崎が頼んでもないのにいらない知識をひけらかす。
「市松人形、別名日本人形。日本の伝統的な人形で、黒いおかっぱに着物姿の幼女を模した物だ。昔は着せ替えを楽しむ女児の玩具に用いられていたが、時代が下ると職人が観賞用に手がけるのが一般的になった。ちなみに市松人形の市松は、顔立ちが似ていた江戸中期の歌舞伎役者、佐野川市松からとったとされる説が有力だ」
「でしゃばりは引っ込んでてよ」
「詳しいね直君、さすが博識だ」
「常識の間違いだろう」
「市松人形ねぇ……君にはお似合いだけど。着せ替えして遊んだの?」
今だってこんな美少年なのだから、子供時代の静流はさぞかし可愛かったはずだ。
好奇心から尋ねれば、切れ長の眼差しが郷愁と思慕に和む。
「着せ替えもしたし、庭や縁側でおままごともしたよ。朱塗りの椀にざらざら金平糖をよそって、はいどうぞって……楽しかったな、粗相をすると手の甲をはたかれるのはまいったけど」
「誰に?」
一呼吸の沈黙。
「姉さんに。僕が持ってた人形は姉さんのおさがりなんだ」
「へえー」
「思えば顔もよく似ていたよ」
「その子は今?」
「さあね。実家の蔵かな」
「さすがにもう遊ばないか」
「テディベアと日本人形か。育った環境や家庭の教育方針の干渉も許すから一概に言えまいが、染色体XYの遊びの傾向としては珍しい」
「男らしく、女らしくなんて固定観念に囚われるのは無粋で狭量だよ。縛られる物くらい自分で決めたいね」
素で皮肉めいた鍵屋崎の発言を、静流は涼やかな眼光と笑みで受け流す。
ブースが狭いせいかシャワーの水量が控えめなせいか、コンクリ張りの空間に声がよく響く。
濡れ髪をかきあげた静流が僕の向こうの鍵屋崎に問いを投げる。
「君は?子供の頃に遊んだ玩具とかないのかい」
「遊ぶなんて不合理な概念とは無縁の幼少期を過ごしたな。でも……」
仲間外れにされて寂しかったんだろうか、鍵屋崎が珍しく会話にのってきた。
シャワーに打たれながら俯き、ポツリと呟く。
「……妹は、女の子の人形を可愛がっていた」
「どんなのだい」
「個体名称は忘れたが市販の安物だ。あの両親が買い与えるはずがないから家にあった経緯は不明だが……研究員の誰かにもらったのか。もともと内気で一人遊びを好んでたせいか、大量生産のソフトビニール製人形を大切な友人として扱っていた。小学校低学年までの話だが」
「ぐ」
14になってもテディベアを手放さないボクへの当て付けか?
妹の話になると途端に鍵屋崎は饒舌になる、無表情はそのままに生き生きとする。
「一時期はどこへ行くにもその人形と一緒だった、勉強する時も食べる時も寝る時も……両親は放任主義で多忙だったから、僕が妹の面倒を見る場面が多々あったが、必然人形と同席を余儀なくされたな」
「食事中のテーブルに人形がお座りしてたのか……シュールだね」
「雑菌が付着してると大変だから接触前にアルコール消毒を徹底しろと注意したら何故か怒られた」
「それは怒るだろうね」
静流があきれ半分感心半分、(おそらくは妹に)同情する。僕も同感。
しかし鍵屋崎は甚く不満げで、前髪の先端から雫がしたたる間抜け顔で異議申し立てる。
目をキツく眇めてるのは近眼なせいか怒ってるからか判じがたいけど、人さし指でブリッジを支える癖が反射的に出る。
「不条理だ。理解できない。肉眼で認識できない微小なダニが繁殖するカーペットに長時間放置されたソフトビニール製品は雑菌の温床だぞ、人形を介して恵の体内に異物が侵入したらどうする」
「だってそりゃ大切にしてる物を汚物扱いされたら怒るでしょ」
僕のツッコミに鍵屋崎は束の間考え込むが、納得はしてない様子。やっぱり人の心がない。
「そろそろ出るよ」
別にいう義理ないんだけど、一応断ってバルブを締める。シャワーの最後の一滴が落ちるのを待たずドアを開け放ち、隣の鍵屋崎に訊く。
「で?その人形はどうなったの」
「……さあな。忘れた」
IQ180の天才的頭脳の割には、随分と都合よく記憶の齟齬を引き起こす。
言いたくないのだろうきっと、鍵屋崎にしてみれば偶然隣り合ったボクたちにプライベートの事情をもらしてしまっただけでも痛恨の失態。
しかも1人は東京プリズン屈指の情報通ときて、どんな弱みを掴まれるかわかったもんじゃない。

それでも話さずにいられなかったのだ、大好きな妹の微笑ましいエピソードを。
ママの素晴らしさなら何時間でも語っていられるボクよろしく。

「ボクはやさしいからそーゆーことにしといてあげる。ね、テディ」
そっけなくごまかす鍵屋崎ににこりと笑いかけ、片手でテディを頷かせる。
「お先に失礼~」
「またねリョウくん」
背後じゃまだシャワーの音が響いてる。静流は気さくに返すけど鍵屋崎は堂々シカト……死ねばいいのに。
ボクがいなくなったあと2人がどんな話をするか興味津々。
気まずくダンマリ?バチバチ牽制?サムライの本妻選手権でもおっぱじめたら面白いんだけど……
「……盗聴器仕掛けたいなー」
半ば本気で惜しむ。まあ防水仕様の盗聴器なんてレアアイテム入手困難だけど……看守に頼めばイケるか。ビバリーにおねだりするのもアリ?
オーバーサイズの囚人服を身に付けて廊下を歩く。
石鹸でごしごししたテディは生まれ変わったようにキレイになって、ブラウンの毛並みが光り輝いてる。
「ビバリーに見せたら驚くぞ」
もちろん、シャワーを浴びる前に中の薬物は抜いてきた。溶けちゃうからね。
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