少年プリズン

まさみ

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三百七話

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 「もっと丁寧にしゃぶれよ、男のモンくわえこむのは得意中の得意だろうが」
 太い男の指で口腔を犯される。
 唾液にふやけた指が肥えた芋虫のように奇怪に蠢き、舌の裏側にもぐりこみ、敏感な粘膜を揉み解す。
口腔の粘膜はひどく感じやすく、他人に見られたこと触れられたことのない場所まで指で容赦なく暴かれて、俺のプライドは粉々になった。
 口の中で蠢く異物の生理的嫌悪に何回も戻しかけるが、腕の関節を極められてがっちり拘束されてる上、後頭部に覆い被さった手で顔を正面に固定されて、現在の俺は殆ど身動きとれない状態。逃げ場はない。
 せめて怪我が治癒してたら、体調が回復してたら、俺の状態が万全だったら、こいつらから逃れきれないまでも仕返しに一発見舞ってやるぐらいのことはできたのに。それで俺のこぶしの骨が砕けたとしても未練はない、逆にすっきりするだろう。このままやられっぱなしなんて冗談じゃない、そんな胸糞悪い現実認めてたまるか。凱の子分どもに吊るし上げられて、凱が余裕の物腰で腕を組んでにやにや高見の見物を決め込んでる前で、俺は今両腕をしめあげられ頭を押さえ込まれた前傾姿勢をとらされ、おもいきり牌を噛まされようとしている。
 プラスチック製の硬い牌。無機質な固形物。
 牌を口腔に投げこまれ、おもいきり歯を噛み合わせたらどうなるか……想像したくもねえ。柄の俺の歯は砕けるか欠けるかして根っこからイカレてしまうだろう。
 当然口の中は血まみれで俺は残り一生歯欠けで過ごす羽目になる。悪ふざけのお遊びにしちゃ度がすぎてるだろ、と凱とその子分どもを罵倒したかったが、口に指を突っ込まれてるため舌も回らず、哀願にも似た響きのくぐもったうめきになるばかり。
 捕えられた姿勢で手も足もでず、狭苦しい通路にひしめく連中の嘲笑と悪罵に晒されながら、ゆっくりと徐徐に、だが確実に眼前へと迫り来る牌を凝視する。
 俺の眉間に翳された白い光沢の牌、奇妙にのっぺりとした四角い表面。
 指を触れたときのすべすべした感触がまざまざと甦り、大きく腕を振りかぶり、床へと投げ付けた時の映像が脳裏に甦る。
 床に激突した衝撃で脆くも割れ砕けた牌、欠けた牌。次は、俺の歯がそうなる運命だ。眉間に牌を翳された瞬間もまだ覚悟はできてなくて、動悸は不規則に乱れて、体は恐怖に硬直していた。四肢の間接は糊付けされたように固まって、後にも引けず前にも進めなくて、ただその場に愕然と突っ立ってるしかない俺の周囲で耳障りな哄笑が弾ける。恐怖に青褪めた俺を指さし、凱の子分どもが大笑いしてる。畜生、人の気もしらねえで。耳を塞げない代わりにぎゅっと目を閉じ、やがて訪れるおぞましい現実を拒絶する。全身の毛穴が開き、大量の汗が吹き出す。冷や汗でべったりぬれたシャツが素肌にはりついて気持ち悪いが、そんなささいなことにかまってる暇はない。
 「お前の歯がポロッと取れちまったら、記念に持ちかえって大事に飾ってやるよ」
 俺の右腕を締め上げたガキが、不潔に黄ばんだ歯を覗かせる。
 「俺たちみんなで美味しくしゃぶってやってもいい。それとも、お前がしゃぶるか?いっそ呑みこんじまうか?てめえの体の一部なら汚くねえだろが、歯だって立派にカルシウムだ、自給自足のお手軽栄養補給だ。そしたらお前の背だってちょっとはのびるかもしれねえぜえ、いつまでたってもチビで可愛い半々のロンちゃんよ」
 「ばかだなあんちゃん、元々てめえの体の一部だったモン呑み込んだって意味ないじゃん。栄養補給ってどこらへんがだよ」
 残虐兄弟の談笑。意外にも的確な弟のツッコミに、こんな時だというのに感心してしまう。やばい、ツボに嵌まった。無性に笑いたくなった、待て、口に指を突っ込まれたこの状態で笑いの発作に襲われたら吐きたくても吐けねえ生殺しの目にあうぞ。
 俺はたぶん、もうどこかおかしくなりかけてる。頭がまともなヤツなんかただのひとりもいやがらねえこのイカレた状況に毒されて、精神が崩壊しかけているのだ。
 周りは全員敵。涙目でもがき苦しむ俺を方々から指さし、嗜虐の愉悦と暴力の快感とに酔い、高笑いするガキども。
 くそ、ここまでか。
 ここまでなのか、こんなしまらない終わり方しかねえのかよ。
 最悪のオチだ、最低の幕切れだ。俺は何しにここまでしゃしゃりでてきたんだ、痛いの我慢して這いずってきたんだ?レイジに会いたい一心で、レイジに檄をとばしたい一心で無理してベッドから抜け出しても、地下停留場に辿り着くことさえできやしない。
 まったくの無駄。
 ビバリーに迷惑かけただけだ。俺がこうしてるあいだもレイジと鍵屋崎はふたりで頑張っていて、他棟のトップ相手に苦戦を強いられていて、サムライは不自由な片足を引きずってまで鍵屋崎を助けに行って。

 じゃあ俺は?俺にできることだって、何かあるはずだろ。
 あいつらの仲間なんだから。レイジの相棒なんだから。

 いちばん年下だからとか怪我をしてるとかそんなの関係ない、全部言い訳だ、心意気次第でどうとでも克服できるはずだ。あいつらが死ぬほど頑張ってるのに俺が医務室のベッドでのうのうと寝てていいわけがない、ぬくぬくとまどろんでいていいわけがない。
 そんな怠慢が許されるわけがない、他の誰が「おまえは役立たずだから寝てろ」と言おうが他ならぬ俺自身が納得しない。
 俺はまだ諦めない。
 「そんなにおっかないのかよ、こんなちっちぇえプラスチックの塊が」
 「はは、産まれたてで目が開かない子猫みたいに震えてやがる」
 「おもしれえ、びびってやがる」
 俺はまだ諦めない。諦めきれない。だって、俺が今こうしてる間もレイジは戦ってる。鍵屋崎とサムライは戦ってる。それぞれの決勝戦に全身全霊を賭けて挑んでいる。俺が凱一党にからまれてつまんないことで時間食ってる間も試合は着々と進行していて、レイジや鍵屋崎やサムライは傷を負っているのだ。
 仲間を見殺しにしてたまるか。漸くできた仲間なんだ、俺の大事なダチなんだ。ガキの頃からずっと欲しくて欲しくてたまらなかったダチなんだ、
 口は悪いけど実は面倒見のいい鍵屋崎も、口下手で無愛想で不器用なサムライも、ナンパで尻軽で、でも決める時は決めるレイジも。
 あいつらは俺の自慢の仲間だ。
 暴力と裏切りが蔓延する東京プリズンの肥溜めで見つけた、出会えた、心から信頼できるヤツらなんだ。
 手放してたまるか、逃してたまるか。みっともなかろうが、みじめったらしかろうが、最後まで足掻いて足掻いて足掻き続けてやる。それが今の俺にできる唯一のことだ。
 恐怖をかなぐり捨て、しっかりと目を見開き、至近距離に迫った牌を睨みつける。逃げるのはごめんだ、最後まで目を見開いて立ち向かってる。
 せめて最後までレイジの相棒としてふさわしくありたい、「頑張ったな、ロン」とレイジが笑いかけてくれるような相棒でありたい。
 歯の根元がぐらつき、口内が鉄錆びた血で満たされる戦慄の瞬間まで……
 ―『I can fly!!』―
 俺の窮地を救ったのはビバリーの一声。
 凱の子分どもは俺を嬲るのにかかりきりで、その場の誰からも存在を忘れ去られていたビバリーが、唐突な声を発したことにぎょっとする。
 背中に冷水を浴びせ掛けられたように全員が同一方向を振り向く。腕の間接を極められた俺も、のろのろと顔だけ動かしてビバリーがとっ捕まってるはずの方向を仰ぐ。
 ビバリーが跳んだ。
 驚愕の瞬間。
 通路にたむろった全員の注意が、俺へと向いていたのが幸いした。愉快な見世物に熱狂するあまり、お守り役のガキが拘束の腕を緩め、一瞬ビバリーから注意が逸れたことで致命的な隙が生まれた。
 反撃の隙。
 「ぎゃああああっ!!?」
 凄まじい悲鳴が通路を駆け抜ける。
 コンクリ壁と天井に殷殷と反響しつつ、その場に居合わせたガキどもを戦慄せしめた悲鳴の主は、ビバリーのお守り役をおおせつかったガキ。捨て身の反撃に転じたビバリーが、羽交い絞めにされた体勢から肘を後ろ向きに突き上げ、ガキの鳩尾に命中させる。
 たまらずビバリーを突き放し、千鳥足でよろめくガキだがこれだけでは終わらない。
 ビバリーの上着の裾がふわりとめくれ、ズボンの尻ポケットから黒い物体が抜き取られる。ビバリーが高々と振り上げた黒い物体に目を凝らせば双眼鏡だった。何故こんなとこに双眼鏡が、と疑問に思う暇もない。風切る唸りをあげて空を薙ぎ払った双眼鏡が、鈍い音をたて、お守り役の顔面にめりこむ。
 「目、目がああああああああっ!!!!」
 再びの絶叫。目潰し。
 腕振りの加速をつけ、お守り役の両目の位置へと水平に叩きこまれた双眼鏡の威力は絶大だった。真っ赤に充血した両目をおさえて蹲ったガキを飛び越え、ビバリーを取り押さえようと一斉に行動を開始する凱の子分ども。通路を疾駆してビバリーへと肉薄したガキどもが無造作に腕をのばすが、すばしっこいビバリーは造作もなくこれをかわす。
 腕と腕の間を頭を屈め姿勢を低めてひょいひょいとすりぬけ、手前のガキの股下から滑りこむように俺の前へと転げ出たビバリーが、目で合図を送る。
 「ロンさん、今っすよ!」
 「「りょうふぁい!」」
 了解と言ったつもりが、口に半ば指を突っ込まれていたため意味不明な内容になった。不明瞭な発音で請け負い、正気に返った俺は些かもためらうことなく反撃に転じる。俺を拘束した奴らが、突如出現したビバリーに気を取られてあんぐり口を開けてる隙に、腰に捻りをくわえて腕を振りほどく。
 「!!?あああああああっああああうぐああああっうあ、あ!?」
 悶絶。
 唾液にまみれた指が乱暴に口腔から引き抜かれ、背後のガキが股間をおさえて蹲る。
 ええいままよと後ろ向きに踵を蹴り上げて股間に一発見舞った俺は、続き、正面のガキへと標的をかえる。虚空に牌を翳したまま、ぽかんとした間抜け面をしたそいつの手から力づくで牌をひったくり、こぶしで握りこむ。
 「俺のお守りに汚い手でさわるんじゃねえ。ご利益が失せるだろ」
 レイジとおそろいのお守りだとはさすがに恥ずかしくて口にできなかったが、その分怒りをこめ、渾身のこぶしを顔面に叩きこむ。鼻骨がひしゃげる感触、勢いよく噴出する鼻血。さっきまで下劣なにやにや笑いを浮かべ、俺を弄んでたガキを殴り飛ばした気分は痛快だった。
 腕をおろし、溜飲をさげた途端、肋骨が疼きだした。
 「ところでビバリー、お前なんで都合よく双眼鏡なんか持ってんだよ!鈍器持ってんならもっと早く使えよ!」
 「サマンサにそんなひどい仕打ちができますか、ロンさんあんた鬼だ!?」
 「サマンサってだれだよ。まさか双眼鏡の名前か?」
 いや、パソコンに名前をつけて後生大事に恋人扱いしてるビバリーなら十分ありえることだ。双眼鏡だのパソコンだの無機物に恋してるビバリーはヨンイルといい勝負の変態だ。ビバリーの肩に凭れて歩いてるあいだどうも腰のあたりがごつごつすると思ったら尻ポケットにこんな凶器、もとい鈍器を隠してやがったのかとげんなりした俺の視線の先、双眼鏡を胸に抱きしめたビバリーが唇を噛む。
 「……リョウさんに貸そうと思って、持ち歩いてたんス。リョウさんちびだから、ひとりで会場行ったところで最前列とらなきゃ試合見れないし、僕の自慢のサマンサ貸してあげようと思って。双眼鏡があれば遠くからでも試合の様子わかるし、ありんこみたいにチビなリョウさんのお役に立つかなって……
 頼まれてもいないのにお節介焼いただけっス」
 ああ、そうか。
 ビバリーがパソコン抱えて医務室を突撃訪問したのは、リョウの居場所をさがしてたから。
 直接会場に行く前にリョウが顔見知りの俺らがいる医務室に寄ってるかもしれないと淡い期待を抱いて。
 たのか。たとえ絶交中でも喧嘩をしてても、ビバリーはやっぱりお人よしで、どうしたってひねくれ者で自分勝手なリョウを見捨てられないのだ。
 俺とおんなじくらいの苦労性だ。
 「なんか、他人とは思えねえな」
 「そうっスね。ロンさんと僕、案外相性よさそうっスね」
 「お互い相棒から乗り換えねえか?尻軽で浮気性で下ネタ好きなレイジよかお前の方がよっぽどダチにし甲斐があるぜ」
 「そうっスね、尻軽で浮気性で下ネタ好きでキレたらめちゃくちゃ怖いfackinなキング、歩く性病感染源と東京プリズンじゅうの囚人から恐れられる王様何様レイジ様よりか、ロンさんのピンチにまっしぐらに駆け付けるこの僕のほうが百万倍友達にし甲斐がありますね!」
 親愛の情をこめ冗談まじりの軽口を叩けば、油でも塗ったみたいによく動く舌でビバリーが賑やかにまくしたてる。大仰な身振り手振りをまじえ、芝居がかった動作でかぶりを振りつつ、レイジをけなし倒すビバリーにむっとする。
 「おい待てよ、いくらなんでもそりゃ言いすぎだろ。レイジはあれで結構きちんとしてるんだぜ?たしかにレイジが尻軽で浮気性で下ネタ好きでキレたらめちゃくちゃ怖いfackingだってのは賛成だけど、歩く性病感染源てのはあんまりだ。
 前にレイジ本人が言ってたけど、あいつ女とヤるときは必ずコンドーム付けるんだぜ?感心したよ、ほんと。その一点に関しては俺も見習いたいくらい、ってもまだ一回しか経験ないけどさ……」
 ああくそなに要らねえことまで暴露してんだ俺、レイジ庇おうとして墓穴掘ってんじゃねえよ。レイジの名誉を挽回しようとひどく焦りながら反論を試みれば、意地の悪いにやにや笑いを浮かべたビバリーが肘で俺の脇腹を小突いてくる。
 「ロンさんまさかそれ信じてるんスか、冗談とも本気ともつかない王様の戯言を?嘘ついてロンさんからかったのかもしれないじゃないスか、証拠あるんスか?あるんなら今ここで僕の目の前に提出してください、レイジさんが後生大事に保管して持ち歩いてるという例のコンドームを!!」
 「なんで俺がレイジからコンドームの分け前もらわなきゃなんねえんだよ!!」
 「だってロンさんとレイジさんそういう関係、」
 「凱の子分どもにいい加減なこと吹きこまれて頭っから信じてんじゃねえ、でまかせだでまかせ!俺とレイジはなんでもねえ、まだヤッてもねえしヤられてもねえ清い健全な関係だっつの!あ、いや待て、あれは未遂か……」
 「身に覚えがあるんスね、破廉恥な!」
 「ああもうしつけえな、前言撤回だ!お前みたいに好奇心旺盛で野次馬根性丸だしなダチなんていらね」
 悪乗りしたビバリーにむきになってつっかかり、レイジとの仲を邪推された恥ずかしさから、赤面して喚きたてる。くそっ、まだ女とだって一回しか体験してないのにビバリーも凱も凱の子分どもも、いや、ことによると東京プリズンの全囚人が俺とレイジがもうとっくに出来てるって誤解してんのか?そりゃ俺だって最近じゃレイジの過激かつ過剰なスキンシップにも免疫ができて笑いながら受け流せるようになったし、あいつに髪撫でられたり抱きしめられたりするのも不愉快じゃなくなったし、それどころかあいつの腕の中で、無意識とはいえ胸に頬すりよせて、日溜りの藁床の猫みたいにぐっすり熟睡しちまったし……
 ああ、くそ、反論できねえ!
 頭が混乱して顔が沸騰する。舌が上手く回らない悔しさから、地団駄踏み踏みビバリーに食って掛かった俺の目にとびこんできたのは……
 復讐の炎を燃やし、ビバリーの背後に忍び寄る怪しい人影。
 残虐兄弟。
 『!危険、』
 残虐兄弟のどちらか片方……弟だか兄だかが、ビバリーの頭蓋骨を陥没させようと、風切る唸りをあげて鉄パイプを振り下ろす。
 ビバリーの死角を狙い、狂気と殺意にぎらつく目で狂気を振り下ろした残虐兄弟の片割れに気付いた瞬間、即座に行動にでる。
 「わぷっ!?」 
 妙な声をあげたビバリーの頭に手を持っていき、力づくで無理矢理屈めさせる。
 いきなり頭を押さえ込まれたビバリーがわけもわからず手足をばたつかせるが、無視。ビバリーと立ち位置を入れ替えるように前方へと身を乗り出し、鉄パイプを空振りした残虐兄弟の片割れに肉薄。
 「!このっ、半々のくせに人様の獲物に手えだしやがって!」
 慌てて体勢を立て直し、再度鉄パイプを振りかぶる片割れだが、時すでに遅い。片割れの間合いに踏みこんだ俺は、手首をおもいきり蹴り上げる。いい角度で蹴りが入り、片割れの手から鉄パイプが吹っ飛ぶ。
 「半々のくせに半々のくせにってうるせえんだよ、中国人が!!喧嘩の強い弱いに国も人種も関係あるか!!」
 俺にだって、できることがある。鍵屋崎のように、サムライのように。
 仲間のために体を張れる。命を張れる。
 さっき、ガキの手からとり返したお守り代わりの牌を握りこんだ鉄拳を全力で顔面に叩きこむ。
 鈍い音、こぶしが顔面にめりこみ肉が潰れる感触。
 ひとを殴るのは久方ぶりだが、すぐに感覚が戻ってきた。長いこと慣れ親しんだ感覚、喧嘩に明け暮れて磨かれた第六感。胸は苦しかった、折れた肋骨がずきずき疼いて吐き気がこみあげてきた。でも大丈夫、まだやれる、俺はまだ戦える、レイジのところへでもどこへでも自分の行きたい場所に自分の足で行ってやる!
 決心を改め、顔を上げる。
 「ロンさん、危ないっス!」
 「!?―っ、」
 さっきとは立場が逆になった。咄嗟にビバリーに押し倒されてなけりゃ、今ごろ俺の頭は鉄パイプでへこまされてた。俺の背後に立ち塞がっていたのは、おなじく鉄パイプを構えた残虐兄弟の片割れ。くそ、こんな物騒な得物どこに隠してやがった?そこらへんに転がしてあったのなら兄弟揃ってつまずきゃよかったのに。
 「ふたりがかりなんて卑怯だぞ残虐兄弟、そっくりおなじ顔しやがって気味わりいんだよ!一発で見分けつくように額に兄か弟か書いとけ!」 
 「可愛い弟の仇だ、強姦魔はツラとペニスが命なんだよっ」
 「あんちゃんいてえよう、はなぢ、はなぢぃー」
 鼻血で顔面朱に染めた弟が滂沱の涙と鼻水を垂れ流し、腰砕けに床にへたりこみ、天井を仰いで泣き出す。逆上した兄が怒りに任せて鉄パイプを振りまわし、旋風を伴う残像が俺の前髪を舐めてゆく。
 鉄パイプを避けて後退しかけた刹那、足首に激痛。まだ完全には治ってない捻挫の痛みが再発したらしい。
 まずい、逃げ遅れた。
 足首に気を取られ、無防備に突っ立ったままの俺めがけ、横殴りに風が叩きつけてくる。首の側面に鉄パイプを入れて頚骨を折る気か?

 『Do you remenber Beverly Hills!!』
ビバリー・ヒルズを忘れるな。
 
 俺を突き飛ばし、両手を広げて立ちはだかったのは……ビバリー。
 物怖じしない瞳で鉄パイプを睨みつけ、きっと唇を引き結び、床に尻餅ついた俺を庇うように立ち塞がったビバリーの首めがけ、ほぼ水平に鉄パイプが打ちこまれる。普通なら首の骨が折れてもおかしくない、致命傷になりかねない衝撃だった。
 だが、ビバリーは死ななかった。首の骨をへし折られることもなかった。
 一瞬たりとも鉄パイプから目をそらさず、軌道を完全に見極めたビバリーは、身を挺して俺を庇い、そしておのれ自身をも鉄パイプから守り通した。ビバリーが首からぶら下げた双眼鏡がちょうど横にきて、鉄パイプを受け止めたのだ。双眼鏡のレンズが粉微塵に砕け、硝子の破片が舞い落ちる。ビバリーの首の骨がへし折れずに済んだのは、偶然か計算か、持ち主の身代わりとなり鉄パイプを防いだ双眼鏡のおかげ。
 リョウに双眼鏡を貸そうと持ち歩いてたことが、元を正せばビバリー自身のお人よしな性格が、絶体絶命の窮地における奇跡的な幸運をもたらしたのだ。
 ビバリーの行動は素早かった。双眼鏡を破壊した兄がうろたえた隙に、急所の股間に蹴りを見舞う。
 「あ、あんちゃん!タマだいじょうぶかああああっ」
 「だ、だいじょうぶなもんかいおとうとよ……俺のきんたまが、強姦魔の命がああああ」
 「ロンさん、今のうちっス!どさまぎで逃げますよ!」
 仲良く折り重なった残虐兄弟は一顧だにせず、いてもたってもいられないと俺の手を引っ張るビバリー。ビバリーに急かされて正気に戻った俺は、真面目くさって頷き、ビバリーに肩を借り、地下停留場の方角目指し、足並み揃えて歩き出す……  
 通路に足音の大群がなだれこんできたのは、その時。
 「何の騒ぎだ、これは!?」
 「くそ、囚人どもは全員決勝戦見に地下停留場におりてるはずじゃなかったのかよ?」
 「とりあえず倒れてるガキども起こして連れてけ、あとで話を聞く。暴れて手におえねえやつは独居房行きだ。ああもう、こんなことやってる場合じゃねえのによ!はやく脱走したタジマ見つけねえとこちとら大目玉……」
 口々に悪態を吐きつつ、前方の角を曲がって通路に殺到したのは看守が数人。話の内容から推量するに、独居房から脱走したタジマを捜してる途中、現場の騒動を聞きつけてここまで駆けてきたものらしい。
 「やべえ、看守だ!とっ捕まったら面倒なことになるぞ!」
 「独居房行きはごめんだぜ、畜生め!」
 「ひとまず退散だ、てめえら凱さんに迷惑かけねえよううまく看守を巻けよ!」
 看守の姿を確認した生き残りの子分どもが我先にと逃げ出し、ただでさえ道幅が狭く窮屈な通路は、大混雑の大混乱を極める。ビバリーともども人ごみに揉みくちゃにされた俺は、半死半生、這いずるようにして横脇の通路に身を隠す。
 「ロンさん、これからどうします?看守が通せんぼしてるんじゃ地下停留場行けませんよ、僕たちも見つかり次第とばっちりで独居房に……」
 「黙ってろ、今考えてんだよ!」
 くそ、凱の次は看守か。つくづく邪魔が入る運命だ。通路のど真ん中を封鎖した看守をどかさないかぎり俺とビバリーは地下停留場に行けない、かといって医務室へ逆戻りもできない。不用意に通路にとびだせば、たんに巻き添え食った俺とビバリーまで騒動の主犯と目されて独居房送りにされかねない。
 どうする?
 前門虎、後門の狼という諺が脳裏をよぎる。今ここからとびだすのは危険だ、危険すぎる。頭ではわかっている、わかってるんだ。けど、ずっとここに隠れてたってどうしようもない。
 レイジに会いたい。今すぐに会いたい。
 こうなったらイチかバチか……
 「「わあっ!?」」
 ビバリーがすっとんきょうな声をあげる。馬鹿っ、そんな大声だしたら外で見張ってる看守どもに気付かれちまうだろうがと叱責しようとして、危うく俺も腰を抜かしかける。
 たった今脇道にとびこんできたのが、東棟最大の中国系派閥のボスであり、ついさっきまでしつこく俺を嬲ってくれた張本人……
 「こんなところに隠れてやがったのかよ、肥溜めのドブネズミが」
 凱だったからだ。
 
 はは。俺が本気だしてレイジに会おうとすると、とことん邪魔される運命らしい。
 どこまでツイてないんだよ?畜生。
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