少年プリズン

まさみ

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二百九十三話

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 レイジは笑っていた。
 『我愛弥、龍』
 愛してるよロン、と台湾語で言って。
 最後の台詞がそれかよ、格好つけやがって。キザで気取り屋の王様らしいスカした別れの文句だ。扉が閉まる直前、肩越しに振り返ったレイジは俺の目をしっかり見据えて微笑んだ。
 極上の笑顔。
 言いたことは山ほどだった。でも言えなかった。
 レイジの顔を見た瞬間胸が一杯になって喉が詰まって、この一週間心の奥底に溜めこんでたさまざまな感情が噴き上がって、言いたいことの五分の一も満足に言えなかった。
 満足に気持ちを伝えられなかった。 
 だから俺は、無理矢理にでも思いこもうとした。レイジは必ず無事に帰って来る大丈夫、五体満足で帰って来るから大丈夫。へらへら笑いながら俺のとこに戻ってきて「ちょっと手こずっちまったけどヨンイルもホセもサーシャも所詮俺の敵じゃなかったぜ」と不敵にうそぶきながら、俺の頭をなれなれしくかきまわすに違いないと思いこむことにした。
 なんで一週間前なにも言わずに行っちまったんだこの尻軽めとか、溜めに溜めこんだレイジへの罵倒は全部が終わってから盛大にぶちまけてやるつもりだった。レイジが決勝戦に勝利して、俺と鍵屋崎が売春班からぬけて、サムライが処理班に回されることなく大団円を迎えてから言いたい放題レイジを罵倒してやるつもりだった。
 すべてが終わったあとに、俺たち東棟の四人が医務室に集合してから、そこで。
 レイジはきっと懲りない軽口叩いて、そんなレイジに鍵屋崎は軽蔑の表情を浮かべて、ベッドに上体を起こしたサムライは鍵屋崎とレイジのやりとりを微笑ましく見守って。
 俺は「こいつらが仲間でよかったなあ」と幸せに浸りながら、なれなれしく肩を抱いてくるレイジの手を邪険にはたいて。
 そんなくだらない日常が、また戻ってくると信じていた。
 でも。
 「…………まさかな」
 声にだして呟く。
 俺の手の中には麻雀牌がある。無事に帰って来いと願いをこめてレイジに渡した牌の片割れ。以前、激昂した俺が床に叩きつけて割れ砕けた牌を接着剤でくっつけたものだ。手先が不器用な俺は、接着部分が目立たないよう元通りにするのに非常な集中力と長い時間を要したが、苦労した甲斐あってなかなか見事な出来映えだった。
 この牌は、かつてレイジが持っていたものだ。
 俺が五十嵐から貰った牌を、レイジが内緒でパクってポケットに仕込んでいた。レイジが北棟に行った時もズボンの尻ポケットにはずっとこの牌が入っていた。
 俺たちふたりを繋ぐ牌。絆の証。
 だから俺は丁寧に時間をかけて、心をこめて、自分の手で壊した牌を再びくっつけなおした。
 医務室で寝てなきゃいけない俺の代わりにレイジを守ってくれるよう願いをこめて。
 縁担ぎなんて柄じゃないが、今の俺は信じてもない神様にも縋りたい心境だった。扉が閉まる直前、レイジの笑顔を見た瞬間から不吉な予感が拭い去れない。
 不吉な笑顔だった。
 これが最後の別れだといわんばかりの。
 俺はレイジの笑顔に死相を見た。
 「………っ!」
 まさかそんな、レイジが死ぬなんてありえない。なにかの間違いに決まってる。なあそうだろ、そうだと言ってくれ。俺の勘違いだとだれか笑ってくれ、考えすぎだと呆れてくれ。そうしたら俺は救われる、安心してレイジの帰りを待つことができる。あいつを説教する準備を整えて、ベッドに上体を起こしてられる。
 牌を握りこんだこぶしに額を預け、深々とうなだれる。
 どうしてこんなに不安なんだ?俺はレイジの強さをよく知ってる、東京プリズンでレイジにかなう奴なんかだれもいない。道化も隠者も皇帝も王様の敵じゃない。レイジは入所以来何年間も連戦連勝、無敵無敗のブラックワーク覇者の座にあり続けた東京プリズン最強の男なのだ。
 レイジが負けるなんてありえない、絶対に。
 レイジが負けるとこなんて想像できない。
 何度も何度もくりかえし自分に言い聞かせ、焦燥に波立つ心を落ち着かそうと努める。 レイジは負けない、絶対に。その言葉が何故こんなにも言い訳がましく響く、根拠のない気休めに聞こえる?俺はだれよりもレイジの強さをよく知ってる、だれよりレイジの身近にいて怪物じみた強さを見せ付けられてきたのだから自信をもって断言できる。
 そうだろ?
 なあ、そうだろ?
 「勘違いだ。気のせいだ。レイジが死ぬなんてありえない、レイジは殺しても死ぬやつじゃねえ。ひょっこり医務室に帰ってきて、拍子抜けするようなお気楽な笑顔で、挨拶代わりの下ネタ二・三発かますに決まってる」 
 牌に念をこめるように固く目を閉じ、勝手な想像が現実になるよう真摯な祈りを捧げる。レイジ、頼むから無事帰ってきてくれ。俺の不安を蹴散らしてくれ。また笑顔を見せてくれ。
 これっきりなんて、なしだ。
 俺はもうお前と離れたくない。お前と離れて生きてけない。
 「……ロン、起きているか」
 「!」
 衝立越しの声が祈りを中断する。
 反射的に顔を上げ、カーテンを引く。
 隣のベッドに起きあがったサムライが、怪訝そうにこっちを見てた。
 「起きていたのか」
 「眠れるわけねえだろ、この状況で。下じゃもうすぐ世紀の決勝戦が始まるってのに」
 まさかカーテンを仕切って祈りに没頭してたなんて言えない。困った時の神頼みなんて我ながら調子がいいというか、柄にもないことするもんじゃないと呆れる。サムライの目から牌を隠すように右こぶしを毛布の下にしまい、努めてさりげなく話題を変える。
 「さっき鍵屋崎となに話してたんだ?」
 俺の手元からサムライの注意を逸らそうと水をむければ、サムライがほんのわずか気まずそうに目を伏せる。
 「他愛ないことだ」
 「なんだよ、気になるじゃねえか」
 「言いたくない」
 「言えないようなことなのかよ。さてはこないだの乳繰り合いの続きか?」
 下卑た笑顔で邪推すれば、サムライの顔に朱がのぼる。
 「ゲスな想像をするな、乳繰りあってなどおらん。それを言うならお前とレイジだろう、一週間前の夜のことを忘れたとは言わせん。乗る乗らない犯る犯らないと今思い出しても耳をふさぎたくなる破廉恥な会話の数々を隣で聞かされる俺の身になれ、いたたまれん」
 「なっ……」
 一週間前の夜のことを持ち出されて絶句する。
 たぶん俺の顔は今真っ赤になってることだろう。羞恥心をかきたてられ赤面した俺は、サムライに反論しようとぱくぱく口を開閉したが生憎言葉がでてこない。サムライの言うことはすべて事実だからだ。
 けどだからって今この場で暴露することねーだろ、俺だって一刻も早く忘れたい忘れようって日々自分に言い聞かせて一晩の過ちの記憶を封じこめてきたのに。
 一週間前、レイジを引きとめようと必死のあまり奴に跨った記憶がまざまざと甦り、頭を抱え込んでベッドに突っ伏したくなる。
 ちくしょう思い出させんなよ、顔から火が出そうだ。頬の火照りを冷まそうとぶんぶん首を振りながら、きっとサムライを睨みつける。
 「ひとのこと言えたクチかよ、お前だってついこないだ鍵屋崎といちゃついてただろうが!衝立越しに聞こえてきたぜ赤面モンの会話、背中を見せてくれ脱がないなら脱がすまでだ痛くするなこれ以上惑わせるなって何をどうすればそーゆー会話になるんだよ!?いつも眉間に皺刻んだとっつきにくい仏頂面してるくせにこのむっつりスケベの色ボケ侍が、お前もレイジといい勝負の節操なしだ!」
 「俺に男色の趣味はない」
 「嘘つけ、男が好き好んで男の背中見たがる理由なんか他にあるか!隣でお前らのやりとり聞かされる俺の身にもなってみろ、恥ずかしくて死んじまいそうだったよ!今度鍵屋崎の服脱がせるときは俺の目と耳の届かないとこでやってくれよ、隣のベッドから野郎同士のなまなましい音が聞こえてきたんじゃたまったもんじゃねえ」 
 一息に憤懣をぶちまけ、腹立ちまぎれにシーツを蹴る。子供っぽいやつあたりだという自覚はあったがまだ怒りはおさまらない。一週間前の夜のことを何から何までサムライに聞かれてたばつの悪さから無口になれば、視界の端でサムライが首をたれる。
 「……鍵屋崎と約束をした」
 「約束?」
 サムライへと向き直り、鸚鵡返しに問う。伏せた双眸を過ぎるのは、不安と焦燥とが綯い交ぜとなった苦渋の色。レイジと一緒に地下停留場に下りた鍵屋崎の身を真摯に案じ、重傷故医務室で寝てなければならないおのれの不甲斐なさを呪いながら、サムライは口を開く。
 「俺のもとへ生きて帰って来る約束だ」
 生きて帰って来る約束。
 また元気な姿を見せてくれという約束。
 「……鍵屋崎はなんて言った?」
 声を低めて慎重に問えば、束の間思考したあと、思いきったようにサムライが答える。
 「神妙に聞いていた。俺が話し終わるまで一言も口をきかなかった。いつもの毒舌を控え、とても真面目に、少しだけ心細そうにそこの椅子に座って」
 サムライが目線で促した方向には、訪問者用の折り畳み椅子がおかれていた。
 サムライの眼差しはとても優しかった。
 今はからっぽの椅子に鍵屋崎の幻影を見てるかのように、包容力のある微笑が口元に漂っていた。
 「俺が話し終わると同時にこう言った」

 『僕は子供じゃない。
  君が迎えに来なくても、ちゃんと歩いて戻って来れる。君に無理矢理押し付けられた木刀を返すという義務があるからな』

 鍵屋崎の口ぶりを真似して、サムライが言う。
 ああ、そうか。
 サムライの横顔とからっぽの椅子を見比べてるうちに、すとんと疑問が腑に落ちた。鍵屋崎はサムライを怪我させたことにずっと負い目を感じていた。サムライは鍵屋崎を庇って太股に怪我をしてペア戦に出場できなくなった、鍵屋崎はずっとその罪悪感に苦しんでいた。 
 自分を迎えに来たせいでサムライが怪我をしたのなら、今度は自分の足で帰ってこなければ。
 「意地っ張りめ。ほんとは鍵屋崎を行かせたくなかったくせに平気なふりしやがって……白状しちまえよ、本音を言や今すぐ地下停留場にとんでって人ごみかきわけて鍵屋崎の腰にむしゃぶりつきたいくせに」
 「無論だ」
 あっさり肯定され、俺のほうが動揺する。  
 「……むしゃぶりつきたいの?腰に?」
 「額面どおりにとるな、言葉の綾だ」
 なんだ、びっくりした。安堵に胸撫で下ろした俺をよそに、サムライは苦悩の皺を眉間に刻む。
 「……鍵屋崎は自分の足で帰って来ると約束したが、俺は今すぐにでもあいつに追いつきたい。あいつを迎えに行くのではなくともに戦いたい。レイジだけに責を負わせたくはない、鍵屋崎だけに辛い思いをさせたくない。俺たちは仲間だ。仲間の窮地に馳せつけず安穏と床に伏せっているなど武士の名折れ、俺は今すぐにでも地下停留場にとんでいき人ごみをかきわけ、そして」
 「そして?」
 間髪いれず食いつけば、サムライがしずかに瞼をおろす。
 「ひと振りの刃として、直が征く道を切りひらきたい。
 たとえその先にいかなる辛苦が待ちうけていようと、ひと振りの刃として直を守り賭せるなら本望だ」
 ゆっくりと瞼を開けたサムライの双眸には、強靭な意志が宿っていた。
 凛冽と眼光を放つサムライの横顔にしばし魅入られた俺は、皮肉げに笑う。
 「おまえ、本当に幸せそうに鍵屋崎のこと話すんだな。だいぶイカレちまったな」
 鍵屋崎のことを話すサムライは本当に幸せそうだった。鍵屋崎のことを話す時だけ猛禽じみて鋭利な双眸が柔和な光を宿し、頬が緩み、口元に微笑が浮かぶのを見逃さない。
 「失敬なことを言うな。だらしなく鼻の下をのばしてお前のことをのろけるレイジの比ではない」
 「お前も鼻の下のびてたぜ」
 笑みを噛み殺して冷やかせば、サムライがぎくりとする。
 「……まぎらわしい嘘をつくな」
 「今ちょっと信じたろ?ばーか」
 単純。とっつきにくい見た目に反してひっかけに弱いサムライは、自分がからかわれたと知ってこの上なく不機嫌に黙りこむ。シーツを蹴飛ばして笑い転げる俺を射殺さんばかりに睨んでいたが、俺を相手にするのが馬鹿らしくなったのか、大仰にため息をついてドアの方向に目を馳せる。
 つられてドアの方を向く。
 「試合、始まったかな」
 「さあな」
 「……レイジたち、勝つかな」
 「ああ」
 「ちゃんと帰って来るかな」
 「ああ」
 「レイジたち」
 サムライと同じ方向を見つめ、口にだしかけた言葉を続けようか否か迷う。不自然に言葉を切った俺に訝しげな一瞥を投げたサムライに向き直り、真剣な面持ちで口を開く。
 五指に牌を握りしめ、一縷の希望に縋るように。
 「レイジたちと、また会えるよな。これっきりなったりしないよな、これで最後なんてそんなしまらないオチねえよな。またあいつらと馬鹿騒ぎできるよな。俺、レイジに言いたいこと五分の一も言えてねえんだ。俺のことガキ扱いすんな、ちゃんと相棒って認めろ、もうサーシャと浮気すんなよ、独居房行く時は一言断りいれてけ、それから」
 それから。
 言いたいことはやまほどある、でもきりがないからやめておいた。
 それは嘘だ、本当は希望を繋ぎたかったのだ。俺たちに明日があるという希望、未来が拓けてるという楽観的な絵図。レイジが100人抜きを達成して俺と鍵屋崎が売春班からぬけてサムライも処理班に回されずにすんで、鍵屋崎に肩を抱かれたレイジが呑気に片手を挙げながら「よ、待たせたな」と医務室に戻ってきて、四人で馬鹿騒ぎできる未来を信じたかった。
 だから俺は、喉元まででかけた言葉を飲み込んだ。これで最後じゃない。きっと次がある、俺はまたいつでもレイジに会える。だから言いたいこと全部ぶちまけちまわないで残しとこうって自制を利かせて、俺は大人しくレイジの帰りを待つことにした。
 レイジの帰りを信じて、無事を祈りながら。
 「それから、俺、レイジのことが好きで。一週間前にちゃんと伝えたつもりだったけどまだ足りなくて、あいつ馬鹿だからよくわかってないみたいで、俺のこと守るためなら自分なんかどうなってもいいやって平気で自分の体粗末にしたりするから、腹立って腹立ってしょうがなくて!!レイジのツラ見てもう一度ちゃんと言いたいんだ、俺の気持ち伝えたいんだ。俺だけ無事に生き残ってもお前がいなきゃなんにもなんねえよって、お前に死なれたら残された俺はどうにかなっちまうよって、あの馬鹿で尻軽でどうしようもねえ王様ぶん殴って思い知らせてやりたいんだ!!」
 今までこらえにこらえてた衝動が、体の奥から急激に突き上げてくる。
 「ロン、なにをする気だ!?」
 サムライが取り乱すのを無視し、毛布を蹴りどけてベッドを飛び下りる。
 「決まってんだろ、地下停留場に行くんだ!レイジと鍵屋崎がペア戦にでるってのにじっとしてられるかよ、肋骨あと二・三本折れたってかまうもんか、レイジには俺がついてなきゃだめなんだよ!」
 「馬鹿な、お前は怪我をしてるんだぞ!医者からも安静を言いつけられてるだろう、年寄りの意見は尊重しろ!」    
 「知るか!止めても無駄だぜサムライ、なんならほふく前進で追ってこいよ!俺は育ち盛りだから怪我の治りも早いんだよ、もうぴんぴんしてるぜ!レイジが100人抜きなんて無茶したのは俺が原因なんだ、他でもない俺自身が結末見届けてやんなきゃ今までの苦労が報われねえだろうが!」
 上着の胸を押さえ、足をひきずるようにしてドアを目指す俺を行かせてなるものかとサムライが毛布をはだけてベッドから飛び下りて……

 「ちわっス!ペア戦実況DJこそ皆さんお待ちかねのビバリー・ヒルズ登場っス!」

 あ然とした。
 はげしく揉み合う俺とサムライの視線の先で勢いよくドアが開け放たれ、脇にパソコンを抱えたビバリーが出現する。ちょっと待て、なんでビバリーがここに?思いがけぬ闖入者にあっけにとられた俺たちをよそに、パソコンを抱えたビバリーが大股に医務室をよこぎる。
 医者は地下停留場にて治療班の指揮にあたってるため、現在医務室には俺とサムライ他数名の入院患者しかない。俺とサムライの他の患者は自力で起き上がることもできない重病人か重傷人で、比較的元気な俺たちが派手に騒ごうがカーテンを開けるために指一本動かす労力さえ厭うて無視と無関心を決めこんでる現状だ。
 「待て、待て待て!なんでおまえがここにいんだよビバリー、決勝戦見にいかなくていいのかよ?ペア戦最終日ってんで東京プリズンほとんどすべての囚人が大挙して地下停留場に押しかけてるのに、こんなとこで油売ってていいのかよ?」
 「あはは、ロンさんは遅れてまスね!ほかの囚人はともかく時代の最先端を走る天才ハッカーことこのビバリー・ヒルズは、大混雑した地下停留場にわざわざ出向くようなナンセンスな真似はしませんス!」
 「今の駄洒落かよ?」 
 「感謝してくださいよロンさんサムライさん、入院中で退屈してるお二方のためにビバリー・ヒルズが特別出血大サービス!医務室のベッドにいながらにしてペア戦の実況がたのしめる便利アイテムを用意しました」
 いつにも増してハイテンションなビバリーが饒舌な口上でまくしたて、かってに俺のベッドに飛び乗る。
 「てめえ勝手にひとのベッド乗ってんじゃねえよ、下りろよおいこら!つーかリョウはどうしたんだよ、野郎の飴玉しゃぶりが得意のあの赤毛の男娼はよ!?お前らいつも一緒にいたじゃねえか、知らないとは言わせないぜ」
 「知りません。リョウさんの行方なんて興味もありません。僕たちもう絶交したんスから」
 ベッドのど真ん中にどっしり胡座をかくビバリー。正面にパソコンを据えて電源を入れれば、液晶画面の真っ暗闇が途端に明るくなって見覚えある光景が映し出される。
 驚愕した。
 ビバリーの肩に手をかけ身を乗り出した俺の目にとびこんできたのは、今まさに決勝戦が行われようとしてる地下停留場の光景。どういうことだ、なんでビバリーのパソコンに地下停留場が映ってるんだ?
 わけがわからず混乱した俺の耳に、ビバリーのマシンガントークが炸裂する。   
 「房でひとりぼっちで決勝戦観るのもひきこもりの自慰みたいでむなしいし、相棒が決勝戦に挑むって大事なときにベッドから動けずに医務室で腐ってるにちがいないロンさんとサムライさんのために天才ハッカー兼カリスマDJことこのビバリー・ヒルズが実況中継してあげようとロザンナ連れてきたんス!感謝してくださイ」
 俺の肩越しに液晶画面を覗きこみ、そこに映し出された光景に目を見開くサムライ。
 「さあ、お二人ともこの四角い画面にご注目。僕の予想が正しければペア戦決勝開幕まであと三十秒。あと三十秒後には東京プリズン最強の囚人を決める、血も涙もない殺し合いの火蓋が切っておとされまス」
 熱に浮かされたような口調でビバリーが言う。
 ベッドに手足をつき、液晶画面に顔を近付け、リングの周辺を舐めるように観察する。
 いた。
 「レイジと鍵屋崎だ!」
 「どこだ!?」
 ビバリーを挟んで両側から画面を覗きこむ。液晶画面の隅、金網越しに見え隠れする後姿はまぎれもない……レイジ。レイジの正面にいるのは鍵屋崎。なんだか険悪な雰囲気だ、ふたりして何かを言い争ってる。
 「もっと音でかくできねえのかよ、聞こえねえよポンコツ!」
 「ロザンナを侮辱するのはやめてください、ボリューム上げればいいんでしょう!?」
 かってにキーをいじくろうとした俺を制し、ビバリーがパソコンに抱きつく。ビバリーがパソコンのボリュームを上げれば、それまで聞こえなかった地下停留場の喧騒が人声から衣擦れの音に至るまで猥雑に伝わってくる。眉間が痛くなるほど集中して聴覚を研ぎ澄まし、雑音の渦中からレイジと鍵屋崎の声を拾い上げる。
 『……てねえよ、こっちは!お前本の読みすぎで頭どうかしちまったのかよ、医務室で寝てこいよ!』
 『聞いてなくてあたりまえだ、言ってなかったからな。事前に知らせたら君は反対するだろう』
 『開き直んなよ!』
 激昂したレイジが鍵屋崎の胸を突く。レイジに押された鍵屋崎がよろけ、サムライが気色ばむ。危うくパソコンに掴みかかる気配を見せたサムライを遮るようにビバリーがカウントダウンを始める。
 「あと二十秒」
 『Fack,shit!どうして今ごろになってそういうこと言い出すんだよ、お前がリングに上がったところで勝てるわきゃねえだろうが!なあキ―ストア理解してるか。これは決勝戦、初戦の相手はヨンイルだぜ?お前がどう足掻いたところで勝てる相手じゃねえよ、ヨンイルをただの漫画好き道化だと見くびったら死ぬぞ』 
 「!………な、」
 サムライが絶句する。俺も自分が耳にした言葉が信じられない。鍵屋崎が決勝戦にでる?ヨンイルと対決する?なんでそんなことになってんだよおい。予測不能な展開に度肝を抜かれた俺とサムライの眼前で事態は最悪の方向へ転がってゆく。
 『僕はヨンイルを見くびってなどいない。彼の実力はこの目で確認した』
 『だったら!』 
 画面の中、レイジに詰め寄られた鍵屋崎が毅然と顔を上げる。
 まるでレイジの後ろに俺たちがいると見抜いてるかのように強い眼差しで、鍵屋崎が宣言。
 『だが、僕はもう逃げないと決めたんだ』
 「じゅう」
 二人の会話に挟まれるカウントダウン。
 『僕だっていつまでも逃げてばかりはいられない。いつかは戦わなければならない』
 「きゅう」
 『その「いつか」は「今」だ』
 「はち」
 『レイジ、今の君は体調が万全ではない。独居房から出された直後で消耗してるのにくわえ、右腕には怪我をして足元もおぼつかない。そんな状態で決勝戦に臨めば100人抜き達成できるかどうか不安が残る、なら僕がヨンイルの相手をして時間を稼ぐしかない。そうだろう、それが効率重視の結論というものだろう?君とサムライが100人抜きに挑んだのは僕たちのため、僕とロンを売春班から助け出すため』
 「なな」
 『いいか、よく聞けよ。君たちが身も心もぼろぼろになりながら、それでもリングに立ち続けなければならない原因を作ったのは僕たちなんだ。ロンは凱戦で立派に戦って責任をまっとうした、だが僕は何もしてない、君とサムライに守られてばかりの無力で非力な情けない人間じゃないか!他人に庇護される立場に甘んじるのは屈辱以外のなにものでもない、僕は君たちと対等になりたい、君たちが苦しいときに僕が助力してなにが悪い!?』
 鍵屋崎の剣幕に気圧され、レイジがあとじさる。
 『僕は仲間を見殺しにしない』
 「直」
 サムライが呆然と呟く。
 鍵屋崎に翻意を求めてるようにも聞こえる呟き。
 「ろく、ご、よん」
 ああ。
 鍵屋崎は変わった。初対面のときとは見違えるように成長した。レイジの目をまっすぐ見つめ、レイジの後ろにいる俺たちをまっすぐ見つめ、「仲間だ」と言えるようになった。
 俺はどうだ?あいつと出会った頃となにか変わったのか?レイジに守られてばっかの飼い猫からちょっとは強く逞しくなったのかよ?
 「さん」
 『どけ、レイジ。怪我人は休んでいろ、僕の邪魔をするな』
 「に」
 『天才の実力を証明する良い機会だ。凡人は指をくわえて傍観していろ』
 「いち」
 ビバリーのカウントが終了する直前、レイジの肩越しに目撃した鍵屋崎はたしかに笑っていた。
 底知れぬ自信に満ちた不敵な笑み。 
 したたかでずる賢くて、他者を傲慢に見下してはばからない尊大な表情。
 『IQ180の頭脳が持てる知力を総動員して無能な仲間を救ってやろうじゃないか』
 高らかに高らかにゴングが鳴り響き、鍵屋崎がリングに上がった。
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