少年プリズン

まさみ

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二百八十一話

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 レイジは今朝方独居房に送られた。
 明け方医務室を訪ねた安田は、カーテンを開いた瞬間あ然とした。
 無理もない。
 カーテンを開けてみれば大方の予想を裏切る微笑ましい光景があったのだから。
 たがいの体に腕を回し、遊び疲れた子供のようにぐっすり眠るロンとレイジ。レイジの下になったロンは少し寝苦しげに眉間に皺を寄せてもがいていたが、ロンを懐に抱きしめたレイジはとてつもなく幸せそうににやけていた。
 見てるこっちが腹立たしくなるくらい平和な光景だった。
 腹の下に猫の子を庇う豹のような姿勢で寝そべったレイジに安田はため息をつき、安田の背後に控えた看守数名も言葉をなくす。
 昨晩リングで大暴れして地下停留場を大混乱に陥れた張本人を翌朝連行しにきてみれば、本人は自分がしたことも忘れてベッドで熟睡中だ。気も抜けようというものだ。
 『起こすのが可哀想だな』
 安田が苦笑まじりに感想を述べる。
 『見かけによらず優しいんですね』
 僕が淡々と指摘すれば、一瞬ばつ悪げな表情を覗かせ、咳払いで仕切りなおす。
 『時間切れだ。レイジを起こしてすみやかに独居房に連行しろ』
 腕時計の文字盤を一瞥した安田がてきぱきと看守に指示をとばす。安田の背後に待機した看守らが副所長の命令に即座に反応、容赦なくレイジの肩に手をかけ揺り起こそうとするのを『待て!』と遮る。
 一斉に注視を浴び、今度は僕がばつの悪い思いを味わうことになった。
 『……乱暴にするな。僕が起こす』
 視界の端で安田が微笑ましげに目を細めた気がしたがおそらく錯覚だろう。柔和な表情で僕を見守る安田に背を向け、看守らをどけてベッドに接近。そっとレイジの肩に手をかけ、中腰の姿勢から耳元で囁く。
 『レイジ起きろ、朝だぞ。安田に身柄を引き渡す時間だ』
 『ううん……もう少し寝かせて。キスしてやるから』  
 『しなくていいから起きろ。これ以上待たせるなら強行手段をとるぞ』
 少し力をこめてレイジの肩を揺する。僕の声が届いたのか、漸くレイジが覚醒する。長く優雅な睫毛が震え、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
 いやな予感がした。
 僕の頬に手をかけたレイジが、寝起きの挨拶がてら唇を奪おうとする。  
 『正気に戻れ、相手を間違えてるぞ!』
 『確保!』
 僕が叫ぶのと安田の命令は同時だった。瞬く間に看守数名がレイジにとびかかる。
 唇が触れる寸前にレイジが拘束されて安堵した僕の隣で、何故か安田も胸をなで下ろしていた。
 『いてっ………いでででで!?なんだよ、せっかくいい夢見てたのに爽やかな目覚めが台無しじゃねえか!腕が痛いよ、乱暴にすんなよっ』 
 『自業自得だ』
 じたばた暴れるレイジの腕が後ろ手に回され手錠がかけられる。
 人違いでキスされてはたまらない……レイジのことだから相手が僕だと理解した上での確信犯的犯行という線も捨てきれないが。
 背中に回された右腕が痛むのか、涙目で身をよじるレイジが少し哀れだったが、ロンはいえばどういう神経をしてるのか周囲の騒ぎとは無縁にいまだにぐっすり眠れている。それだけ疲れているのか、久しぶりにレイジと会えた安心感から無防備に爆睡してるのかは謎だが、体の上から重しがのかされて寝顔が安らいだのが見て取れた。規則正しく健康的な寝息をたてるロンを名残惜しげに振り返るレイジだが、その寝顔があまりに幸せそうだったので、結局起こすのはやめたらしい。
 『またな、ロン。一週間後に。そん時は例の約束守れよ』
 後ろ手に手錠をかけられてロンに触れることができないかわりに、ロンの寝顔に顔を近付け、額にキスをする。愛情深い眼差しでロンを見守るレイジは、だれもが目を奪われる魅力的な微笑を湛えていた。
 本当に心を許した人間にだけ覗かせる貴重な微笑。
 おそらくそれがレイジ本来の笑顔なのだろう、大人の優しさと子供の無邪気さが絶妙に調和した非常に魅力的な微笑み。
 レイジに極上の笑顔を向けられているのにも拘わらず、だらしなく手足を投げ出し爆睡中のロンに哀れみにも似た感情をおぼえたのも束の間、相棒との別れを済ませたレイジがさっぱりした顔で周囲を見まわす。
 『さあ、これでもう思い残すことは何もない。独居房でもどこへでも好きなところにぶちこんでくれ。安田さん、俺が次でてくるのは?』
 『一週間後だ』  
 安田が淡々と期限を宣告する。
 一週間後、つまりペア戦決勝戦には間に合うのだなと楽観的に解釈した僕だが、すぐに冷静さを取り戻す。レイジは一週間独居房に入れられる。糞尿垂れ流しの狭苦しい暗闇で後ろ手に手錠をかけられ、鉄扉下部に取り付けられた矩形の搬入口からさし入れられた食事をみじめに犬食いする日々をこれから一週間も過ごすのだ。それだけではない、レイジは現在右腕に怪我をしている。
 体調はお世辞にも万全とはいえない。そんなレイジが独居房の劣悪な環境に一週間も耐えられるかどうか、仮に耐えられたとして一週間後に解放されたときはペア戦に出場できる体調なのだろうか……
 暗澹たる予想を巡らし、沈鬱な面持ちで俯いた僕のもとへ軽快な足音が接近。しなやかで隙がない大股、余裕ありげな物腰で僕のもとへ歩み寄ったのは、看守に脇を固められ、後ろ手に拘束されたレイジ。
 『心配すんなよキ―ストア。たった一週間だ。七日日が昇って落ちればあっというまだ、永遠の別れじゃないんだからそんなしんきくさい顔すんなっつの』
 強面の看守に挟まれていながらも、レイジは不敵に人を食った態度を崩さない。
 いつもの、いつもどおりのレイジだ。
 僕に心配かけまいと虚勢を張っているのか、独居房などたいしたことないとうそぶく笑顔は底抜けに明るい。
 『一週間後の決勝戦までには帰って来るよ。タジマとサーシャがご近所さんてのも考えれば愉快な状況じゃん、今から楽しみだ』
 『なんで君はそんなに気楽なんだ?』
 『深刻に悩んだって始まらねえよ。副所長決定は覆らない、だったら潔く腹括らなきゃ。独居送りはこれが初めてじゃない、お前が来る前に何度か体験してるけど現にこうしてぴんぴんしてるだろ?
 懲りないんだよ、俺は』
 『学習能力のなさを誇るな』
 『そうそう、バカは死んでも治らないってな』
 レイジがおかしそうに笑い、ふいに真顔になる。
 『俺がいないあいだ、ロンのことよろしく頼む』
 『保護者責任の譲渡か。いいだろう、一週間の期間限定で請け負ってやる。ただし一生はごめんだ、一週間後には義務を放棄するから必ず帰って来い』
 ロンがこの会話を聞いてたら子供扱いするなと激怒するだろうが、生憎本人は寝ている。寝相悪く毛布をけとばすロンを微笑ましげに眺めながら、ついで僕へと向き直る。
 『お前、実はいいやつ?』
 『不愉快だな』 
 僕はただ、レイジがいないあいだは保護者代理としてロンの様子を見ると約束しただけだ。それだけのことで「いい奴」などとあらぬ疑いをかけられてはたまらない。侮蔑の表情でレイジを睨みつければ、なにがそんなに嬉しいのか理解できないがレイジが笑い声をあげる。
 『また一週間後にな、天才』
 『一週間後に。王様』
 看守に挟まれたレイジが医務室から出て行き、バタンとドアが閉じる。あとに残された安田と僕は、ロンの寝息が流れる医務室にて沈黙を共有する。
 『鍵屋崎、ひとつ質問があるのだが』
 どれ位経ったろう。レイジという風除けが消えたせいで途端に寒くなったのか、行儀悪くめくれた上着の裾からへそを覗かせたロンがくしゃみをする。育ちが悪い人間は寝相も悪いんだなとあきれ、ロンの胸まで毛布を引き上げてやりながら「なんですか」と返す。
 『彼は、君の友人か』 
 彼とはレイジのことだ。
 毛布を引き上げる手を止め、振り向く。硬直した僕の視線の先、安田は腕組みをとき、体の脇に手をたらした姿勢で、真摯な眼差しを僕に向けていた。違う、と即座に否定することもできた。レイジが友人なんてとんでもない、あんな軽薄で無節操でお調子者な男が友人だなんて僕の人格が疑われると反論すべきだったのかもしれない。
 だが。
 毛布を掴み、ロンの寝顔を見下ろす。
 健やかに胸郭を上下させ、規則正しい寝息をたてるあどけない寝顔。
 レイジの笑顔を回想する。
 僕を全面的に信頼した屈託ない笑顔。
 僕は昨日レイジに教えられたバスケットボールにこの上なく真剣に取り組み、50メートル離れたネットにボールを入れるという偉業を成し遂げた。成功率の低い賭けだと僕自身そう思っていたが、けして諦めず、何度失敗を重ねても挫けることなく、ロンのもとへレイジを行かせたい一心でボールを投げ続けた。
 五指を広げ、手のひらを見下ろす。
 手のひらには豆ができている。
 運動音痴の癖に50メートル先からネットにボールを入れようと慣れないことをした証。
 僕は何故、そんなことをしたんだ。
 友人でもない他人のために、そんなことができたんだ?
 そんな無意味な行為を飽きずにくりかえすことができたのは、レイジとロンを仲直りさせたかったから。レイジとロンが和解に至る一縷の可能性に賭けたから。無力な僕にできることはとても少ない、ペア戦では役に立たない。だが、皆無ではない。僕にできることがあるなら全力でそれを成すべきだと、僕でもレイジとロンを救える可能性があるならば最後まで希望を捨ててはいけないと自分に言い聞かせてそれで。
 僕は何故、彼らのためにそれほど一生懸命になれた?
 東京プリズンで初めて出会った他人のために、家族でもない他人のために、恵でもない他人のために、一生懸命になることができたんだ?
 答えは、既にでた。本当はとっくにわかっていたが、僕が変わりゆく現実を追認するのが不愉快で、答えを保留してきたのだ。
 だが、ここまできたら認めざるをえない。
 彼は君の友人かと安田は問うた。真剣な表情で、真摯な眼差しで、逃げを許さない態度で。なにかを期待するように、なにかを待ち焦がれるように、静かに僕の返答を待っている。
 息を吸い、毅然と顔を上げる。逃げも隠れもせず、しっかりと安田を見据える。
 東京プリズンに来て僕は変わった。 
 環境の影響が、他人との関わり合いが、サムライとのふれあいが、さまざまな要因が半年の時間をかけて僕を変えていったと今では認めざるをえない。その中にはレイジやロンとあたりまえに食堂のテーブルを囲む日常も含まれていて。
 僕はきっと、東京プリズンの日常を失いたくなかったのだ。
 だから彼らのために、あんなに一生懸命になることができた。
 「彼は君の友人か」。答えは既にでている。挑むように安田と対峙した僕は、三つ揃いのスーツを着こんだ副所長を意を決したように見上げる。
 『違います』
 はきはきと答えれば、安田が失望したような顔をする。僕の回答は安田が予期したものとは違っていたのだろう。
 そう、僕がさんざん回り道をして辿り着いた結論は安田の予想を裏切っていた。
 「彼」ではない。ひとりではない。
 『彼らは、僕の友人です』
 安田が驚いたように目を見開く。
 サムライは僕の大切な友人だ。僕を売春班の苦境から救ってくれた頼りになる友人。そしてまたレイジとロンも、僕の友人だ。彼らを友人と呼ぶのはまだ抵抗があるが、それ以外に彼らとの関係を定義する呼称がないのだから仕方がない。
 彼らは僕の友人で、おそらく仲間だ。
 だから僕は彼らのためにあんなに頑張れたのだな、と思う。こんなことは恥ずかしくて口に出せないが、レイジとロンがたがいの孤独を癒すように寄り添いあって眠る姿を見た時に感じた安堵は、長いあいだ喧嘩をしていた友人が仲直りをしたことに対しての感情で。
 自分がやってきたことが無駄じゃないと知り、救われた。
 「友人」と口にだしてから、安田の反応が不安になり、気まずげに表情を探る。
 口に出した途端に面映くなり、頬が紅潮するのがわかった。衝立越しのサムライにも聞こえただろうか?夜に訪ねたときは起きていたが、今は寝ているのだろうか。そういえば彼を含めて第三者に「友人」を紹介するのははじめてだなと思い至り、ひどく落ち着かなくなる。羞恥の感情をかきたてられ、その場から逃げ出したくなった僕の正面でふと空気が和む。
 安田が笑っていた。僕が今まで見たことのない、目に染みるように優しい微笑。
 『……そうか。いい友人に出会えたな』 
 安田は心からそう言った。眼鏡越しの双眸を柔和に細めた慈父の顔に、全然似ていない鍵屋崎優の顔が重なる。本心から喜ばしそうな安田を前に、返す言葉もなく口を開閉する。安田の中に鍵屋崎優の面影を見て動揺してるのか、あまりに優しい言葉をかけられ当惑してるのか、自分でもよくわからない。
 話題を変えよう。そうしよう。
 安田の笑顔が直視できず顔を伏せた僕は、眼鏡のブリッジに触れ、口を開く。
 『そういえば、銃の件ですが。現在も捜索も続けているんですが、依然有力な手がかりは掴めていません。でも近いうちに必ず』
 『銃のことはいい』
 途端に安田の笑顔が消える。僕とおなじ仕草で眼鏡を押し上げた安田が疲労のため息をつき、事務的な口調に思いやりを隠して僕を労わる。
 『君はよくやってくれた。後のことは私に任せろ。もとは私の不祥事だ、私自身が解決すべき問題だ。君は次週のペア戦に集中してくれ』
 そして安田は、医務室を立ち去った。 
 あとにはロンの寝息が響くのみ。

 副所長にレイジの身柄を引き渡した僕は、その数時間後に再び医務室を訪れた。
 時刻は昼近い。今朝方訪ねたときは寝静まっていた医務室も、患者の大半が起き出して活気付いていた。
 レイジと引き離されるときはまだぐっすり寝ていたロンも、昼近くとなればさすがに起きていた。僕がロンを訪ねたのは以前貸した本を回収するためだ。  
 医務室に来る途中、東棟の廊下を歩いていたら、すでにレイジとロンが添い寝した噂が広まっているらしく「ロンもついに王様の女に昇格かあ」「くっそう、レイジの女になる前に食っちまうんだった。惜しいことしたぜ」という会話が方々から聞こえてきた。
 ……ロンには知らせないほうがいいだろう。せめて、健康が回復するまでは。
 医務室をでれば自然と噂が耳に入ってしまう事態は避けられないが、レイジとできてるという誤解が東棟全体に広まってると知れば、ロンは卒倒するかもしれない。
 そんな良心的な判断を下した僕の胸中をよそに、ロンが僕へと突っ返した本はこの数日間読まれた形跡もなく埃をかぶっていた。
 おまけに表紙を開けば涎の乾いた跡があった。
 二度とロンに本を貸すものかと誓ったのは言うまでもない。
 ロンから本を受け取った瞬間、騒々しい足音が医務室になだれこんできた。
 「いやはや困りました、片腕が使えないと案外不便ですねえ。日常生活にも支障がでますし可愛い弟子たちにボクシングの特訓もつけられません。レイジくんもずいぶん無茶したものです、まあ顔を狙わなかったぶん手加減してくれたのかもしれませんが……吾輩は逆に感謝すべきですかね?ワイフと再会したときに面相が変わっていればすぐに見抜いてもらえるかどうか。
 おやいけない、吾輩としたことが弱気なことを!吾輩とワイフの夫婦愛は無敵、強い絆で結ばれた夫婦なら片目が潰れていようが鼻がなくなっていようがすぐにわかるはず!と、そう信じることが大切です」
 「大袈裟やなあ、ちょいとナイフが刺さっただけやないか。ぐさっと。心配せんでもすぐに両腕使えるようになるわ、見た目ははでやけどたいしたことないて医者も太鼓判押しとったやろ。心配せんでも一週間後の決勝戦、は無理やけど二週間後には包帯とれて……」
 いやに聞き覚えのある声だ。
 僕の予想が正しければ、今しも背後に接近してるのは僕が二度と会いたくない人間の足音だ。
 「ホセの診察のついでや、見舞いに来たったでえーロンロン」
 予感が的中した。
 勢い良くカーテンが開かれる。反射的に振り向けば、ヨンイルとホセがいた。
 「勝手にあだ名つけるな。ロンロンてだれだよおい」
 「怒ると体にさわりますよロンロン」
 ベッドに片膝立てて気色ばむロンをおっとりと宥めるホセの隣、僕を見咎めたヨンイルがなれなれしく挨拶する。
 「なんや直ちゃんもいたんかい。ちょうどよかった、話したいことがあったんや。都合がええ」
 「僕には話したいことなど全然これっぽっちもないが」
 人懐こい笑顔のヨンイルをひややかに睨みつける。ヨンイルとホセは僕の敵、裏切り者だ。友好的な態度に騙されてなるもかと警戒する僕をよそに、ベッドから身を乗り出したロンが早速ホセに噛みつく。
 「さっそく呼び方変わってんじゃねえか、お前影響されやすぎだ!それとも何かそりゃわざとか、俺んことおちょくってヨンイルと二人して楽しんでんのかよ!?くそ、怪我人からかって楽しむなんて悪シュ…」 
 ロンの言葉が不自然に途切れ、その視線がホセの片腕へと吸い寄せられる。
 「……それ、レイジが?」
 うってかわって心配げに眉をひそめたロンに、腕の包帯を撫でながらホセが微笑みかける。
 「うっかりよそ見してたらぐさっとやられてしまいました。レイジくんはダーツの才能もあります」  
 「見事な放物線描いとったなあ」
 ヨンイルがけらけら笑う。笑い事ではない。ホセの痛みを想像したのか、沈痛な面差しで黙りこくったロンが呟く。
 「……悪かったな」
 「ロンくんが謝る必要はありません。それに吾輩ホセ、伊達に鍛えてはいません。腕の強靭な筋肉にはじきかえされ傷が予想外に浅かったせいで、二週間後には包帯もとれて健康体へと戻れるとお医者さんも保証してくださいましたしね」
 「どこまでお人よしなんだ。彼は敵だぞ?」
 ロンのお人よしは死んでも治らない。
 ホセとヨンイルは今や完全に僕らの敵、100人抜き達成を阻む最大の障害だ。うんざりと首を振る僕を非難めいた目つきで睨み、ロンが反駁する。
 「けど、レイジが怪我させたのは事実だろ!?だったら相棒としてちゃんと詫びいれとかねーとすっきりしねえし」  
 「ロンの言い分が正しい。だれに対しても礼を欠くのをよしとしない姿勢は好ましい」
 衝立に遮られた隣のベッドから声がした。サムライだ。サムライまでロンの味方をするのかと反感が湧いた僕は、隣のベッドの衝立へと歩み寄り、声を荒げてカーテンを引く。
 「甘いぞサムライ。君だって目撃したろうヨンイルとホセが渡り廊下で僕らを裏切った瞬間、を……」
 あ然とした。
 カーテンの向こう側には意外すぎる光景。
 ベッドに正座したサムライと医師が、将棋の駒台を挟み、両者難しい顔で唸っていた。
 「………なにをしている?いやそれ以前に、その駒台はだれがどこから持ちこんだ」
 「いやあ、これはまずいところを見られてしまったね」
 言葉とは裏腹に全然まずいとは思ってない恬然とした表情で、医師が頭を掻く。 
 「客がこないので暇を持て余していたら、彼に将棋の心得があるというじゃないか。折角だからお相手願おうと宿舎で埃をかぶっていた将棋の盤を持ちこんで……」
 「患者を客と呼ぶな、倫理観が疑われるぞ……話を戻す。つまりあなたは患者がこなくて退屈だから太股を十五針縫う重傷を負ったサムライを無理矢理将棋に付き合わせているというわけか」
 「無理矢理とは人聞き悪い。合意の上だよ」
 さも心外そうに医師が訂正する。合意?納得いく説明を乞うようにサムライに視線を流せば、当の本人は慣れた手つきで盤面に駒をおいていた。詳しいルールはわからないがどうやら王手をかけたらしく、盤面の配置に目をやった医師が慌てふためく。
 「待った!」 
 「待たん」
 「君、ワシは医者だよ?君の傷口を懇切丁寧に縫ってやった恩人だよ?今後も快適な入院生活を送りたいなら一回や二回大目に見逃して……」
 「十五回目だ」
 「サムライ、君は……」
 もういい。相手にするのも馬鹿らしい。
 将棋に熱中するサムライと医師を無視してロンたちの方へと向き直れば、何故だか全員が同情的な顔をしていた。
 「大変やなあ」
 「大変ですね」
 「大変だな」
 「語尾だけ変えておなじことを言うな」
 全員に鎮静剤を打ちたい。
 背後ではパチン、パチンと駒をおく音が連続する。精神衛生上悪いので今すぐ医務室を離れたい。そんな僕の心を見抜いたように、ゴーグル越しの目をやんちゃに細め、ヨンイルが快活に笑う。
 「場所変えよっか?悪いけどロンロンは怪我人やから遠慮したって。ここでこうして直ちゃんと会えたんも手塚神のお導き、奇妙なご縁。直ちゃんとは一回じっくり話し合うて誤解ときたいなって思っとったんや」
 「待て、勝手に話を決めるな。僕に話したい用件とはなんだ、既に僕たちは敵同士で来週のペア戦でぶつかることが決定してる。君たちはどうだか知らないが、敵と馴れ合う趣味はない」
 「まあそう言わずに。ヨンイルくんのおっしゃるとおり、君は少し誤解してるようです。人間話し合えばわかります、人類愛の第一歩は話し合いからと吾輩のワイフも……」
 ホセの惚気話に辟易し、かくなるうえは一秒でも早くその場を離れようとヨンイルたちに背を向ける。
 「短気起こさんといてや、直ちゃん」
 図書室への一歩を踏み出した僕の背中に、真剣な声がかかる。
 振り向けば、腰に手をあてたヨンイルがあきれ顔で僕を見返していた。ヨンイルの隣のホセは、腕の包帯を無意識に撫でながら苦笑してる。
 ヨンイルは口元に笑みを浮かべていたが、ゴーグルに隠れた目はひどく剣呑な色を浮かべているようで。
 「たしかに俺たちは敵同士や。来週の決定戦では俺とホセのペアVS直ちゃんレイジがぶつかって、どちらか一方が生き残るまで戦う運命や。
 だからなんや?
 西の道化直々に話があるゆーとんじゃ、大人しくついてきさらせこのだあほ」
 「南の隠者は西の道化と違って紳士的なので脅迫などしませんが、君と話したいのは本心です。吾輩たちはまだ、ペア戦出場を決めた真の動機を打ち明けてない。それは少々アンフェアじゃないかと一週間後に決勝戦を控えた今になって気が咎めましてね」
 「真の動機?」
 謎めいた台詞に興味をひかれ、ロンと顔を見合わせる。急な展開についてけないのは僕だけではないようで、ロンもなにがなんだかさっぱりわからない顔をしていた。
 どういうことだ?
 ヨンイルとホセがペア戦出場を決めたのは、東京プリズンの全権を握りたいからじゃないのか?
 まだなにか、他に隠された理由があるのか?
 「…………わかった、いいだろう。
 本を返しに行くついでだ。君たちの言い訳とやらに付き合ってやろうじゃないか」
 「そうこなくっちゃ」
 逡巡の末に首肯した僕を見て、ヨンイルが軽快に指を弾く。
 会心の笑顔になったヨンイルの隣で、ホセがロンに会釈する。
 「ではしばらくお友達をお借りしますね、ロンロン」
 絶対わざとだ。
 南の隠者は腹黒い。
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