少年プリズン

まさみ

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二百五十七話

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 ずっと血が滴り落ちるのを見つめていた。
 医務室のベッドに横たわるサムライの傍ら、折り畳み式の椅子に腰掛け、僕はずっと輸血パックを見つめていた。透明な袋に貯まった血液が輸血管を介し、毛布の上におかれたサムライの腕へと注入される。蒼白の瞼を閉じたサムライは死んだように動かない。あまりに静か過ぎて不安になり、鼻腔に手を翳して呼吸の有無を確認。
 かすかに呼吸しているのを確かめ、安堵の息を吐く。
 今日は色々なことがあった。まだ頭が混乱している。
 衝撃が冷めるにはまだもうしばらく時間がかかりそうだ。サーシャのもとにいたレイジ、北と中央の渡り廊下で起きた抗争、ヨンイルとホセの裏切り……一度にたくさんのことが起きて思考が整理できない。そういえば銃。僕としたことが、安田の銃のことを失念していた。不覚だ。天才にあるまじき失態だ。いつからだ?上半身裸のレイジがサーシャの房の扉を開けた時から、サーシャに殺し合いを強要されナイフを手に取った時から?わからない。疲労が澱のように沈殿した頭では思考が働かない。僕は最初安田の銃をさがしに北棟にきた。リョウに案内役を頼み、サーシャと直接交渉するつもりで北棟に赴いた。しかし成果はなにも得られなかった。安田の銃の行方はわからないまま、サーシャの協力をとりつけることもできず、僕は今こうして無力感に打ちひしがれて重傷を負ったサムライのそばに腰掛けている。
 「無様だな」
 自嘲の台詞にも覇気がない。ヨンイルとホセが安田に取引を申し入れてから何時間が経過しただろう?安田の指揮のもと、医務室へと運び込まれた重傷者は医師に治療を施されてる最中だ。その大半はヨンイルとホセに倒された北の囚人で、時折苦鳴とも悲鳴とも似つかぬ声が衝立越しに届いてくる。傷口に消毒液が染みるのか麻酔もろくにされず傷口を縫われてるのかわからないが、サムライに比べればいずれも軽傷だろう。
 「……」
 毛布の下に隠されたサムライの太股を気遣わしげに見下ろす。サムライは僕を庇い重傷を負った。サーシャのナイフで太股を刺され大量に失血したのだ。医務室に運び込まれたサムライに付き添った僕は、それからずっとサムライが目を覚ますのを待っている。医務室に運び込まれたサムライを見た医師の第一声は、「処置が的確だ」だった。応急処置の手際を誉められても嬉しくない。感心してどうするんだこのヤブ医者め、と嫌味のひとつも言いたかったがサムライの診療が済むまではと自重した。
 サムライはまだ目を覚まさない。眠ったままだ。
 ふと、このまま起きなかったらどうしようという不吉な想像が脳裏を過ぎる。サムライが二度と目を覚まさなかったら?……そんなはずはない。サムライは疲労と怪我が祟って深い眠りに落ちているだけだ、何時間後には必ず目を覚ます。そうに決まっている。
 サムライが目を覚まさないなんてこと、あってたまるか。胸裏に湧いてきた不安を打ち消すようにかぶりを振り、必死に他のことを考えようと努める。他のこと……ヨンイルとホセの裏切り?考えたくもない。認めたくはないが、僕はどうやらヨンイルに心を許しかけていたらしい。自覚はなかった。だが、図書室で過ごす時間が多い僕はヨンイルと話す機会も多く、いつのまにかヨンイルへの警戒を解いていたのは認めざるをえない。ヨンイル。西のトップ、漫画好きな道化。いつでもなれなれしく僕に話しかけてくる少年。
 彼が裏切っていた?ホセと組んでレイジを嵌めた?
 信じたくない、否定したい。だが僕はこの目で目撃してしまった。ヨンイルとホセは独断で100抜きを掲げたレイジに不満を抱いていた。レイジが100人抜きを達成するには必然的に西と南のトップを倒さねばならず、ヨンイルとホセのペア戦出場が前提条件となる。身も蓋もない言い方をすれば、ヨンイルとホセは本人の意向に関わらずレイジのわがままに付き合わされる羽目になったのだ。 

 『レイジ以外のトップが勝った暁には、そいつが東京プリズンの全権を握る』

 それがヨンイルとホセの望みか?表面上はにこやかなヨンイルとホセも、心の底ではずっとレイジを追い落とし王座を奪取したいと画策していたのか?
 「……っ、」
 嘘であってほしい、嘘であってくれたならどれだけ救われるだろう。ヨンイルとホセが渡り廊下の抗争に乱入したのはレイジへの友情が動機だったと今でも信じたい。
 衝立で遮られた隣のベッドに目をやる。隣のベッドにはロンが寝ている。肋骨を骨折して足首を捻挫した状態で渡り廊下まで自力で歩いてきた上に、リョウに覚せい剤を注射されてボロボロの体だ。医師の話によると、ロンに注射された覚せい剤の量はそれほど多くなく、また常習者でもないので副作用に関しては心配せずともよいらしい。ただ、しばらくは眩暈や吐き気などの症状に悩まされるらしく楽観はできない。
 レイジも医務室にいるはずだが、姿は見えない。
 ロンのベッドに寄りつこうともしない。
 あの二人はどうなってしまうんだろう、と不安が膨らむ。ロンとレイジがどうなろうが僕の知ったことではない、僕には関係ないじゃないかとい冷めた声で誰かが囁く。その通りだ。レイジとロンがどうなろうが僕には関係ないのだ、本来は。
 でも。
 『大嫌いだ、死んじまえ!!!』
 レイジにむかって絶叫したロンの顔には、極大の嫌悪が表出していた。いや、嫌悪感だけではない……憎悪、憤怒、そして嫉妬。ロンは自分では気付いてないかもしれないが、サーシャに対しはげしい嫉妬を感じていた。覚せい剤の影響で興奮していたからレイジに酷い言葉を投げつけてしまったのだろうが、それだけじゃない。あの叫びには、少なからずロンの本音が含まれていた。
 『お兄ちゃんが死ねばよかったのに』
 恵の声が脳裏に響き渡る。僕を冷たく拒絶する眼差しも。
 「………っ、」
 サムライのベッドに肘をつき、頭を抱え込む。思い出したくないのに思い出してしまう、ロンの顔と恵の顔が重なってしまう。ロンの叫びと恵の叫びが重なってしまう。死ね。死んでしまえ。お前には生きてる価値がない、何故まだ呼吸してるんだ図々しい。早く死ね死んでしまえばお前さえいなくなればすべてが上手くいく、さあ何を迷うことがある、今すぐに死んでしまえ。
 あの時のロンの表情は、恵と酷似していた。僕は恵とロンを混同していたのか、ロンを庇護することで恵を庇護していたときとおなじ安堵感に浸りたかったのか?そうまでして誰かに信頼されたかったのか?
 レイジとロンは、もうだめかもしれない。
 そんな諦観が脳裏を過ぎる。二人の関係は修復不可能かもしれない、いっそ別れたほうがお互いのためかもしれない。このまま二人が傷つけあうだけなら、憎しみあうだけなら……
 「どうすればいいんだ?」
 どうすればいいんだ?だれか教えてくれ。僕も自分の頭で考えて行動してみたが、限界だ。レイジとロンの和解は無理かもしれない。ロンは、レイジの上半身に印された痣を見てしまった。サーシャと一度ならず情事に溺れた罪の烙印……裏切りの烙印。ロンがタジマに襲われた夜もレイジはサーシャと情事に耽っていた。それは動かし難い事実なのだ。
 僕にできることは、もうなにもない。
 なにかしたくても、なにもできない。
 「なにが天才だ、なにがIQ180だ。無駄に高い知能指数に何の意味がある?サムライ、僕は君に戦わせてばかりだ。君を傷付けてばかりだ。ロンも守れなかった、レイジを説得することもできなかった。情けない、自分で自分に絶望する。吐き気がする」
 サムライのベッドで頭を抱え込み、連綿と独白する。サムライはどうして何も言わない、答えてくれない?頼むからサムライ、僕を責めてくれ。罵ってくれ。迷惑をかけてばかりのとんでもない友人だと、どうしてお前はそんなに無力な人間なんだと糾弾してくれ。 
 何故目を開けてくれないんだ?このままずっと、目を閉じたままなのか。
 怖い……怖い?何故僕は恐怖を感じているんだ?ナイフを握ったレイジと対峙した時もサーシャに襲われた時も心が麻痺して感じなかった恐怖を、今、強く強く感じる。サムライがこのまま起きなかったらどうしようと想像すれば、それだけで心臓が止まりそうになる。
 僕は君を失いたくない。
 独りになりたくない。
 「頼む目を開けてくれ、貢。僕は怖いんだ。君に死なれるのが怖くて怖くてたまらない。いつからこんなに臆病で惰弱な人間になったんだ?自分に吐き気がする。外にいた頃の僕はこんなに弱い人間じゃなかった。恵に頼られて、恵を守ることで、自分は強い人間だと確信できた。でも東京プリズンに来て守られる側になってから、僕は弱くなってしまった。君のせいだぞ、責任をとれ。僕を弱くしたのは君だ。聞いてるのか?」
 毛布の下に手をさしいれ、サムライの片手を握り締める。サムライの手は冷たかった。その手を僕の体温で温めようと、必死に包む。
 「僕を君なしではいられなくした責任をとれ。貢」 
 サムライの手を額に押し当て、目を閉じ、一心に祈る。
 サムライの指が震えた。
 「!」
 「…………直」
 サムライの目が薄く開いた。
 「起きたのかサムライ、怪我の具合はどうだ!?今医者を呼んで」
 「ここにいろ」
 椅子から腰を上げようとした僕の手を掴んだまま、サムライが頑固に命じる。どうあっても僕の手をはなそうとしないサムライに降参し、大人しく椅子に腰掛ける。僕の手を掴んだサムライが不審げに目を細め、口を開く。
 「俺の名前を呼んだか?」
 「え?」
 聞いていたのか? 
 まさか聞かれてたなんて思わなかった。僕はてっきりサムライが寝こんでいるものと思いこんで、それで本名を呼んだのだ。何度も何度も、くりかえし。怪訝そうにサムライに見上げられ、何故だか頬が熱くなる。待て、何故僕が照れる必要がある?友人同士名前で呼び合うには世間的には何も不自然じゃない、とても自然なことだ。堂々としてればいいじゃないか。
 しかし、僕の口からでてきた言葉は違った。
 「誤解するな、君の名前など呼んでないぞ。幻聴じゃないか?意識朦朧としてたならありえる話だ。第一何故僕が君の名前など呼ばなければならない、意思疎通するにはサムライの通称で十分だ。それとも君は通称で呼ばれるのが不満で本名で呼んでほしいのか?そういう子供じみた願望でもあるのか」
 「呼んでないならいい」
 僕の手を握ったサムライが瞼を閉じてため息をつく。意識は回復したものの体は辛そうだ。無理もない、大量の血を失っているのだから。毛布にくるまったサムライのらしくもなく気弱な様子に良心が咎め、僕はヤケ気味に叫ぶ。
 「~~っ、ああそうだ名前を呼んだ悪いか!世間では友人同士名前で呼び合うのが通例だ。僕が君の下の名前を呼んだところで何も不自然じゃない、そうだろう?異存はあるか」
 「そうか」
 サムライが安心したように砕顔し、感慨深げに呟く。
 「……本名を呼ばれるのは久しぶりだ。自分でも忘れかけていたのに、よく名前を覚えていたな」
 「……忘れるわけがないだろう。僕の記憶力を疑うなら円周率五千桁暗唱してみせるが」
 ベッドに横たわったサムライがふいに遠い目をする。柔和に凪いだ目を天井へと向けたサムライの横顔は、僕の知らない男のそれだ。おそらくは、すでにこの世にいない女性のことを思い出しているのだろう。
 過去にサムライを名前で呼んだ、もうひとりの人物を。
 胸が騒ぐのは何故だろう。僕の踏み込めない思い出に浸るサムライに、疎外感を覚えるのは何故だ。針で刺されるような痛みを胸に感じて押し黙った僕は、うしろめたげにサムライの表情を観察する。
 「……苗と間違えたのか?」
 僕は馬鹿だ、これではただの嫌味だ。
 怪我人を虐待するのは趣味じゃないと言ったくせに、重傷のサムライに毒舌を吐いてどうするんだ。サムライが思い出に浸るのは彼の自由で、僕に口だしする権利はない。サムライにとって苗との思い出は大切なものだ、僕にとっての恵がそうであるように。
 だからサムライが僕と苗を間違えたのだとしても全然……
 「……いや。目を開けて最初にお前の顔を見れたのが、ひどく嬉しかった。それだけだ」
 「……そうか」
 なんだこの妙な雰囲気は。
 サムライがあんまり優しく笑うものだから僕まで動揺してしまう。しっかりしろ天才、鍵屋崎直。相手は怪我人だ、多少おかしなことを口走ってもまともに請け合うな。熱でもあるに違いない。
 「サムライ、君はきっと熱がある。待ってろ、今体温計持ってくる」
 「直、」
 「待ったはなしだ。怪我人は大人しく言うことを聞け、これ以上僕の手を煩わせるな」
 「……すまん」
 ベッドに身を横たえたままサムライが頭を下げる。器用だ。なんて、妙なところに感心してる場合ではない。医師から体温計を借りてこようと椅子から腰を上げた僕の背に、サムライが未練ありげに声をかける。
 「待て」
 「まだなにかあるのか」
 「待ったはなしだ」と釘をさしておいてこれなのだから無視してもよかったのに、つい振りかえってしまった。僕にもロンのお人よしが伝染ったのだろうか?忸怩たる面持ちで黙り込んだ僕を見上げ、サムライが問いかける。
 「お前の怪我は大丈夫か?」
 「くだらない質問だな、人の怪我より自分の体を心配しろ。僕は軽傷だ、腹部の切り傷にはガーゼを当ててある。医師の話によると痕も残らないそうだ」
 「よかった」
 心の底から安堵したようにため息をつくサムライにあきれる。そんなに僕を守り通せたのが嬉しいのか、とまた皮肉を言いたくなる。ひどく満足げなサムライに対し沸沸と怒りがこみあげてきて、大股にベッドに引き返す。
 「サムライ、何か誤解しているようだが改めて言っておくが僕を庇って君が怪我をしても礼を言うつもりはないぞ。これっぽっちも。それ以前に僕は君に対しさっぱり感謝をしていない。僕を庇って負傷されても迷惑なだけだ。今回は命が助かったからいいようなものの、次があれば即絶交するからな」
 「かたじけない」
 「誠意が伴わない謝罪は耳が腐る」
 殊勝に顔を伏せたサムライを睨みつけ、吐き捨てる。僕に叱責されたサムライが沈痛に黙りこんでいるため、居心地悪い沈黙が落ちる。
 ベッドの傍らに立ち、サムライを見下ろす。
 さまざまな思いが胸裏でせめぎあう。サムライが無事でいてくれてよかった、友人を失わずにすんでよかった。だが、またこうしたことがあるかもしれない。その時も僕が耐えられる自信はない。
 自慢にならないが、少しもない。
 だから僕は思いきって口を開く。僕を守るためなら自分がどれだけ傷付いてもかまわないと刹那的に生きる男に、これ以上傷付いてほしくないという切実な願いをこめて。
 「……僕を独りにしないと、約束してくれ」
 こんな情けない台詞、吐きたくなかった。だがサムライには、単刀直入に言わなければ通じそうもない。本当にどうしようもない頭の固い男だ。それを聞いたサムライが一瞬虚を衝かれたような顔をしたあと、唇を引き結び、毅然と僕を見上げる。
 「約束する。武士の意地に賭けて、お前ひとりを残して逝かない」
 「武士の意地、か。いったい君は何回武士の意地に賭けてるんだ?たまには他のものに賭けてみたらどうだ」
 僕の皮肉に、サムライの口元が綻ぶ。
 「ならば、帯刀 貢の名に賭けて」
 「よし」
 その言葉を信じようではないか。僕は今度こそ踵を返し、衝立のカーテンを開ける。立ち去り際、サムライに背中を向けたまま呟く。
 「僕としたことが言い忘れそうになったが、結構いい名だと思うぞ。帯刀 貢」
 背後でサムライが笑った気配がした。いつも無表情で感情が読みにくい男でも、名前を誉められれば人並に嬉しいらしい。素早くカーテンを閉ざし医師のもとへ行こうとして、足を止める。
 ついでにロンの様子を見ていこう。
 誤解するな、僕はロンを心配してるわけじゃない。ただ僕には保護者代理として責任がある。ロンは僕たち四人の中で最年少で、今まではレイジが庇護者を自認していたが肝心のレイジが見当たらないのでは僕が面倒を見るしかないじゃないか。まったくいい迷惑だ、と胸中で毒づきながらカーテンを開ける。
 「ロン、眠っているのか」
 一応声をかけ、カーテンを閉ざす。応答がないということは、ロンはまだ眠っているらしい。覚せい剤の副作用で深い眠りに落ちているのか?少し心配になり、枕元に立ち、ロンの寝顔を覗きこんでみる。
 「……眠っているんだな。ならいい」
 何がいいんだか自分でもわからないが、悪夢にうなされてる様子がないので少しだけ安心する。踵を返して立ち去ろうとした僕の背後で毛布がめくれる気配がする。
 まずい、起こしてしまったか?
 だが予想に反し、ロンは起きあがってはこなかった。目は覚めているらしいが、じっとベッドに横たわり何事か考えに耽っている。その様子が気にかかり、立ち去るに立ち去れない。
 「………お前ら、仲いいよな」
 「は?」
 突然なにを言い出すんだと面食らったが、ロンは夢うつつに僕とサムライのやりとりを聞いてたらしい。
 なんとなく、ばつが悪くなる。
 「……盗み聞きは悪趣味だぞ」 
 「聞きたくなくても聞こえてきたんだよ、隣のベッドだから」
 どうも不穏な雰囲気だ。ロンの声はぞっとするほど暗く、目の焦点も定かではない。
 重苦しい沈黙が続いた。
 衝立に遮られた薄暗がりで、ベッドに身を横たえたロンはじっと暗闇を凝視していた。ひどく声をかけづらい雰囲気だ。力なく毛布においた手といい、放心した表情といい、どこか心を手放した人間のように虚ろだ。 
 唐突に、ロンがこぼした。
 「俺たちは、もうだめだ」
 「君とレイジのことか?」
 わざわざ聞き返した愚を呪う。確認するまでもなく、それ以外にないじゃないか。ロンは僕の声も届いてないのか、完全に自分の殻に閉じこもってしまっている。毛布にくるまり、じっと闇を見透かし、不明瞭にくぐもった声で呟く。
 「知らなかったんだよ、レイジがサーシャのとこにいたなんて。俺の見舞いにも来ずなにやってんだってひとりで腹立てて、馬鹿みたいだ」
 「それは……事実だが」
 フォローしようがない。
 「レイジのやつ、ずっとサーシャのところにいたんだな。俺がタジマに襲われた夜もサーシャとたのしんでたんだよな」
 「…………」
 「体に痣があった。お袋やメイファの体にもおなじもんがあった。男にもてあそばれた痕だ」
 「…………レイジは君に拒絶されたと思いこみ、自暴自棄になっていたんだ」
 「俺にフラれたのがショックで、サーシャに慰めてもらってたわけか」
 ロンが露悪的に笑う。童顔には似合わない笑い方だ。言葉を失い立ち尽くす僕へと鋭い一瞥をくれ、毛布を剥いで上体を起こしたロンが怒鳴り散らす。
 「ぼさっと突っ立ってねえで何とか言えよ鍵屋崎!なあ、本当のこと言ってくれよ。俺が全部悪いのかよ、俺がレイジを拒絶したからあいつおかしくなっちまったのかよ!?俺が大人しくレイジに抱かれてやってれば満足だったのかよ!!」
 「落ちつけロン、君はまだ覚せい剤が抜けてないんだ」
 ロンを寝かしつけようと肩に手をのばし、その手が乱暴に叩き落とされる。僕の手を邪険に振り払ったロンが泣きそうな顔になる。他人を傷付けることで自分も傷付けている、救いがたく悲痛な顔。
 片手で顔を覆ったロンが、切々と訴える。
 「いやだもう……あいつの考えてることわかんねえよ。俺はあいつが人殺しでも笑えなくてもかまわないって、今までどおりダチでやってこうって思って、鼻歌頼りに迎えに行ったんだ。それなのに何でこうなるんだよ畜生。人殺しでも笑えなくてもかまわねえって、そりゃたしかにそう言ったさ!でもサーシャと寝たのは許せねえ。ひとにさんざん心配させといて悪びれたふうもなくケロっとして挙句3Pとか、あいつにとって俺の存在ってなんだよ、どうでもいいのかよ!!?」
 答えられなかった。
 ロンの気持ちはよくわかる。レイジが人殺しでも笑えなくてもかまわない、そう自分の気持ちに整理をつけて迎えに行った矢先に裏切られたのだ。絶望して混乱して、今のロンは完全に自分を見失っている。
 自分の本当の気持ちも、レイジの気持ちもわからなくなっている。
 そんなロンを見るに耐えかね、ポケットをさぐる。手のひらに掴んだのは渡り廊下で拾った麻雀牌。レイジがお守り代わりに持ち歩いていたあの牌だ。
 ロンを刺激しないよう慎重に歩み寄り、顔を覆った手をどける。僕に手首を掴まれたロンが、うろんげに眉をひそめる。 
 ロンの手のひらに、牌を乗せる。
 「これ……」
 見覚えがあるはずだ。ロンの牌なのだから。
 僕自身混乱していた。ロンになんて言葉をかけたらいいかわからない。言いたいことは山ほどあるが、どれが正解で不正解か区別がつかない。説得するか、慰めるか、励ますか?どれが正解なんだ?
 僕は悩んだ。
 悩んで悩んで悩みぬいた末に、その言葉を舌に乗せる。
 「レイジのことは忘れろ」
 ロンの顔色が豹変した。
 大きく目を見張ったロンから顔を背け、罪悪感に苦しみながら一息に続ける。
 「今の君たちは、互いに傷付けあい憎しみあうだけの関係だ。そんな不毛な関係解消すべきだ。レイジに幻滅したんだろう?レイジがサーシャと寝てたと知ってショックを受けたんだろう?なら彼のことは忘れろ。レイジもきっと忘れたが」

 『討厭!!』 

 いやだ、とロンは叫んだ。
 物凄い目で僕を睨みつけ、掌中の牌をおもいきり床に叩きつける。サーシャに踏まれてひびが入っていた牌は、床に叩きつけられた衝撃で脆くも砕ける。
 そのさまを眺めた僕は、自分でもぞっとするほど冷たい声をだす。
 「その牌は、レイジが常に持ち歩いていたものだ。北棟に行ってもずっと手放さなかった。覚えているか?ペア戦開幕日の初試合、リングに上がったレイジがずっとポケットに手を入れてたことを。おそらくあの時から、レイジはお守代わりの牌を持ち歩いてたんだ」
 深く俯いたロンの表情は読めないが、僕の言葉に衝撃を受けているのが硬直した肩から見てとれた。
 「レイジが何故そんなにも牌を大事にしていたかわかるか?」
 微動だにせず俯いたロンを見下ろし、断言する。

 「『君の』牌だからだ」

 ロンが小さな声で何かを言ったが、よく聞こえなかった。
 ベッドに上体を起こし、独り言を呟くロンはそのままにカーテンを開ける。僕にできることはもう何もない、レイジとロンの問題にこれ以上僕が立ち入ることはできないのだ。 
 これは二人が解決すべき問題だ。僕は所詮、部外者だ。
 ロンは振り向かずに外へ出た僕の耳朶に、低い、低い呟きがふれた。
 懸命に嗚咽をこらえているような、かすれた声だった。

 『忘記比較好?』

 忘れたほうがいいのか?
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