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二百五十五話
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「遅かないで」
道化が降ってきた。
最悪の展開を予期した僕の鼻先に身軽に着地したヨンイルがレイジの腰を掴む。
「吾輩たちの存在を忘れてもらっては困ります」
いつのまにか僕の傍らにいたホセが苦笑いする。北の残党を掃討したホセとヨンイルが全力疾走で駆け付けてくるのとほぼ同時に渡り廊下になだれこんできたのは看守数人。
サーシャの頚動脈を掻き切るはずのナイフが切り裂いたのはレイジの頭上に覆い被さった背広、背広に視界を遮られてナイフの軌道が狂った一瞬の隙にヨンイルが背中に頭突き。ヨンイルに突撃されたレイジがバランスを崩し転倒、その手をこじ開けてナイフを奪い取ったのはホセだ。
見事な連携プレイでレイジを制止したホセとヨンイルのもとへ駆け付けたのは、清潔なシャツにチョッキを羽織った副所長……安田だ。
サーシャの命を救ったのは、咄嗟に背広を投げた安田の機転だった。
レイジの凶行の現場を目撃した安田が背広を投げなければ、今ごろサーシャの頚動脈は切り裂かれて天上まで届く鮮血を噴き上げていた。
「ひどい惨状だな。中央と北の渡り廊下で抗争が勃発したと聞いて駆け付けてみればこれは一体……何が起きたか説明してもらおうか、鍵屋崎」
死屍累々の惨状を見渡し、憂慮に眉をひそめて呟く安田に抗議する。
「そんなことより早くサムライとロンを医務室に運んでくれ!サムライは太股を負傷してる、ロンは覚せい剤を打たれて意識が混濁してる。早急な処置の必要がある!」
普段の平静さをかなぐり捨てて救助を請う僕と、床の血だまりにぐったり倒れ伏せたサムライとロンとを見比べて優先順位を変更した安田が「わかった」と頷く。
「副所長命令だ、そこで倒れている囚人二名を早急に医務室に運べ!ひとりは太股を負傷して大量の血を失っている、輸血が必要になるかもしれない。だれか一足先に医務室に行き手配しておけ。他にも重傷者がいたら適宜医務室へ運べ」
命令するのに慣れた安田が的確な指示を下す中、漸く人心地がついた僕は床に座りこみあたりを見まわす。太股から大量に出血したサムライは蒼白の顔色だが止血の際に確認したら大動脈をかすめただけで切断されてはいなかったので命に別状ないだろう。リョウはいつのまにか消えていた。安田の顔を見て、自分にまで累が及ぶのを恐れて逃走を図ったのだろう。リョウに放り出されたロンのもとへと床を這うように近付き、顔を覗きこむ。
「大丈夫かロン?吐き気や悪寒などの副作用は、」
ロンに声を荒げて問いかけ、その肩を両手で掴まれる。僕の肩に五指を食いこませ、縋るように必死な目をしたロンがぎこちなく笑う。
絶望と希望、相反するものが葛藤する不均衡な笑顔。
「鍵屋崎嘘だよな?レイジが自分からサーシャのとこに行ったなんて嘘だよな。みんなして俺のこと騙してるんだよな。レイジがサーシャに抱かれてたなんて信じねえぞ畜生、みんなして俺のこと担ぎやがってそんなに怪我人おちょくるのが楽しいかよ。お前らみんないい性格してんぜ」
「ロン落ち着け、君は覚せい剤の副作用で思考が錯乱してる。とても正気じゃない」
肩に食いこむ指が痛いが、努めて平静を装いロンを宥める。僕が取り乱したらロンにも動揺が伝染する、僕はいつでも冷静でなければならない。
「嘘だって言えよ、言ってくれよ。冗談だろ。なんでレイジがサーシャのとこにいんだよわけわかんねえよ、俺が入院してるあいだあいつなにしてたんだよ。サーシャの言うことは全部本当なのか、俺が医務室のベッドで寝てる間あいつらは……」
ロンは混乱してる。目は焦点を失い、痴呆じみた表情を晒し、小刻みに震える手で僕の肩をはげしく揺さぶる。無理もない、自分が入院中一度も見舞いに来ないレイジを心配していたら当の本人はサーシャのもとにいた。レイジとサーシャはロンがタジマに襲われた夜も倒錯した情事に耽っていた、それは事実だ。
重すぎる事実が発覚し、口にこそ出さないが誰より信頼していた友人に裏切られた衝撃に打ちのめされたロンは今や精神の均衡を欠いていた。狂気に理性を蝕まれた人間特有の思い詰めた光を目に宿し、悲痛な表情で僕の肩を揺さぶるロンの姿があまりに痛々しくて言葉に詰まる。
「なんでだよ鍵屋崎、お前は知ってたのかよこのこと。知ってて黙ってたのか、ずっと俺のこと騙してたのかよ!?」
「誤解だ、僕も北棟にきて初めて知ったんだ。君を騙したわけじゃない。レイジのことはあとで話そう、君の体調が回復してから本人にじっくり聞けばいい。優先順位を間違えるな、身の安全の確保を最優先しろ。今君がすべきことは医務室に行き覚せい剤が抜けるまで体を休めることだ、たまには謙虚に天才の助言に従え」
「はぐらかすなよ、ちゃんと俺の目を見ろよ!ふざけんなよ、なあ、どうしてこんなことになったんだよ。全部俺のせいなのか、俺がレイジを拒絶したのが原因なのか?レイジにひどいこと言ったからだからレイジは」
「違うそうじゃない、」
「違わねえよ!!」
力の入らないこぶしで僕の胸に殴り付け、ロンが怒鳴る。
「そうか俺が原因なんだ、俺が悪いんだ、レイジがサーシャにさんざんいたぶられて体じゅう痣だらけになったのも俺が原因なんだろ。俺があいつの手を安全ピンでひっかいたから、殺さないでくれなんて言ったから、どこにも行くとこなくなって仕方なくサーシャのところにきたんだろ?サーシャの犬になっちまったんだろ!?」
「ロン君はおかしい、覚せい剤の副作用で思考が自虐傾向になってるんだ。レイジがサーシャのところへ来たのはレイジ自身の判断だ、君に責任はない。君が責任を感じることはないんだ」
「ちくしょうちくしょう、ああっちくしょう俺のせいだそうだよ俺のせいだよ!!だってそれ以外考えらんねえ、レイジがぼろぼろになったのも全部俺を守るために、俺がそばにいることでレイジを追い詰めて駄目にして」
ロンの様子は尋常じゃない。狂気に呑まれる寸前の目は飢えたようにぎらつき、唾液の泡をとばして喚き散らすさまは癇癪を起こした子供のようだ。
僕の胸を八当たりするように殴りながらロンが身を捩る、僕は無我夢中でそんなロンを抱きしめる。他になにもできることがないから、反射的に背中に腕を回し力をこめ抱擁する。僕の腕の中でこぶしを振りまわしさかんにかぶりを振りロンが叫ぶ、暴れる、泣く。ロンが振りまわしたこぶしが顎にぶつかり頬にぶつかり眼鏡がずれたが、眼鏡の位置を直す余裕もない。
今手を放せばロンは完全に正気を失ってしまう、そんな危惧に駆られて必死にロンを抱きしめる。顎も頬も痛かった、ロンのこぶしが当たった個所がひりひり疼いた。
「鍵屋崎!」
「来るな!」
こちらへと歩を踏み出した安田を振り向きもせず制止する。僕の叱責に鞭打たれた安田が硬直するのを視界の端に確認し、ロンの背中に回した腕を強める。
「貴方は貴方のなすべきことをしろ、僕にかまうな!ロンは僕がついてるから大丈夫だ、貴方は一刻も早く重傷者を医務室へ運んでくれ。それが副所長の使命で義務だろう、忘れたのか」
「ロンくんは吾輩が責任もって医務室へ運びます」
ふいに、僕の肩にあたたかい手が触れる。反射的に顔を上げれば、ホセが包容力に満ちた笑顔を湛えてこちらを覗きこんでいた。僕の肩に手をかけ優しくどかし、金切り声を発するロンの体を軽々と自身の肩に担ぎ上げる。
「君こそ、ご友人が心配で心配でたまらないという顔をしてらっしゃいますよ」
「サムライ!」
限界だった。
ロンのことはホセに任せ、はじかれるようにサムライに駆け寄る。血だまりに足をとられそうになりながら、赤い飛沫を跳ね散らかしてサムライの傍らに屈みこむ。額に手をやり汗を拭う。意識を失ったサムライの体を看守が二人がかりで抱き上げるのを固唾を飲んで見守る。僕が巻いた止血帯は血でしとどに染まっていた。サムライ……もしサムライが死んだらどうしよう。馬鹿を言うなサムライが死ぬわけないと大きくかぶりを振って不安を打ち消そうと努めるがうまくいかない、僕はどうしたんだ、サムライが死んだらと考えるだけで絶叫したくなるようなこの感情は……恐怖?絶望?
いやだ。サムライを失いたくない、絶対に。
気付けば僕はサムライを抱き上げた看守のもとへと走り寄り、蒼白の瞼を閉じたサムライの顔を覗きこみ、叫んでた。
「サムライ……みつぐ、聞こえているか?僕の声が聞こえるなら反応しろ、友人の問いかけに答えろ。こうして名前を呼ぶのは初めてだな、僕はずっと通称のサムライで呼んでいたから微妙な違和感が付き纏う。君もおなじだろう貢、本名で呼ぶなと渋い顔で抗議したらどうだ?眉間に深い皺を刻んだ仏頂面で、いつものように無愛想に……くそ、あくまで僕を無視するつもりか?いつからそんなに偉くなったんだ貴様、起きろ貢しっかりしろ僕を独りにしたら許さないぞ!!」
そばに落ちていた木刀を拾い上げ、サムライの手にしっかりと握らせる。
両手でサムライの手を包み込み、額にあてがう。
「頼むから……何か言ってくれ……」
「なおちゃん、心配すな。そいつは寝とるだけや、じきに目え覚ます」
ヨンイルになれなれしく肩を叩かれ我に返る。どうやら僕を励まそうとしてるらしいが、余計なお世話だ。他人に心配されるほど落ちぶれてない。ヨンイルの手を邪険に振り払い、医務室へと運ばれるサムライを悄然と見送る。ヨンイルと並んだ僕の周囲では、安田の指揮のもと看守が手早く重傷者を回収して医務室へと連行していた。足首に鎖を巻かれたサーシャは抗争の主犯と目され事情を聞かれるらしく、安田に命令された看守が二人がかりでサーシャを起こして手錠を嵌めていた。ロンはまだ暴れていた。ホセの背中をこぶしで叩き足蹴にして意味不明に喚いている。
レイジは?
「……レイジはどこにいるんだ」
心臓が強く鼓動を打つ。レイジの不在を認識した途端に不安がいや増す。上着の胸を掴んで周囲を見回す。いた。こちらに背中を向けてたたずんだレイジが見送っているのは、看守に強制連行されるサーシャ。
まさか、
「どないした?おっかない顔して」
レイジの様子がおかしい、雰囲気が一変してる。全身から放たれるのは、獲物に狙い定めた肉食獣のごとき殺気。その瞬間確信した、レイジはまだ諦めてない。
サーシャを殺すのを、諦めていない。
「っ!」
レイジが行動を開始した。動体視力も追いつかぬ素早さで足元の鎖を拾い上げ投擲すれば、サーシャを挟んでいた右側の看守の首に鎖が巻きつく。何が起こったのか理解する間もなく鎖で首を締め上げられた看守が白濁した泡を噴いて失神、首を掻き毟りながら床へとくずおれる。遠距離から鎖を投げて看守を屠ったレイジが床を蹴り加速、肉食獣めいた速さで左側の看守に接近。走りながら首の十字架をもぎとり手のひらに握りこんだレイジが獰猛な笑みを浮かべる。
獣返りしたような、闘争本能むきだしの笑顔。
人間が浮かべてはいけない類の表情。
一瞬だった。
「ぎゃああああああっあああああああああっ、あっ、あ!!!!」
レイジがためらうことなく、十字架の先端で看守の右目を殴打。
十字架の先端で目を抉られた看守が絶叫してその場にうずくまるや鳩尾を蹴り上げる。邪魔な障害物をどけただけ、というような無造作な蹴りだった。つま先で抉られ内臓が破裂したのか、腹部を抱えた看守が悲痛な絶叫を撒き散らし、芋虫のようにのたうちまわる。
血が滴る十字架を握り締め、サーシャと対峙するレイジ。
口ずさむのは、奇妙な果実。
「……っ、」
レイジが一歩を踏み出せば、最前での威勢が剥落したサーシャが蒼白の顔色であとじさる。
「びびんなよサ―シャ、せっかく面白くなってきたとこだってのに退屈させんなよ。俺さ、まだ遊び足りねえんだ。責任とって最後まで付き合ってくれよ」
首を絞められた看守の背中を踏みつけ、レイジが笑う。凶器は十字架、看守の目を抉った十字架。
「どうしたんだよさっきまでの威勢は。情けないぜ皇帝サマ、小便もらしちまったのか?遠慮せずにかかってこいよ。副所長が見物してるまえで皇帝が上か王様が上か決着つけようじゃんか。俺に勝ちたいんだろ、俺が欲しいんだろ。いいぜくれてやるよ、とっときの悪夢をな」
レイジの中で、何かが壊れた。
それが壊れたのは、サーシャがレイジとの関係を暴露した瞬間か上着をはだけられ淫らな痣を晒された瞬間か……僕にはわからない。今やレイジは完全に壊れてしまった。ロンは二度レイジを拒絶した。本人に自覚はなくても、レイジとサーシャの関係が露呈した時に嫌悪に凝り固まった顔をしたのがその証。
「レイジやめろ、なにをしている!サーシャは一時的に独居房に隔離し、精神状態が沈静化してから私が事情を聞く!だから」
「ひっこんでろ安田。殺すぞ」
笑顔で吐き捨てたレイジに、激昂した看守が数人がかりで襲いかかる。
「副所長になんて口ききやがる、かまやしねえ取り押さえろ!」
「独居房におしこめとけ!!」
「待っ……」
安田が制止する間もなくレイジに襲いかかった看守の体が吹っ飛ぶ。レイジの蹴りで顎を砕かれた看守が背中から壁に激突、そのままずり落ちて白目を剥く。二人目の看守、蹴りで膝の皿を砕かれてその場にうずくまる。三人目、腰から警棒を抜き放った看守の死角でレイジの足が跳ね上がる。レイジが蹴り上げたのはその場に転がった鉄パイプ。宙に舞った鉄パイプを掴んだレイジが楽しげに楽しげに笑う。
『Let's dance till a foot breaks.』
足が砕けるまで踊りましょう。
高らかに宣言したレイジの手の中が鉄パイプが旋回、三人目の看守の足を強打。骨が砕ける鈍い音がこちらまで聞こえてきた。一回ではない。二回、三回、四回……無情に鉄パイプを振り下ろすあいだもレイジの口元には薄く笑みがはりついていた。
「やめっ、やめてくれ、ゆるし……」
看守の命乞いを無視して鉄パイプを振り下ろす。五回、六回……十回。足の骨は完全に粉砕され、看守は鼻水と涙を滂沱と流し、激痛のあまり失神した。
瞬く間に看守数人を倒したレイジが、腕を一閃して鉄パイプの返り血を払い、サーシャへと接近する。
「馬鹿な、看守相手にあんな真似をしてただですむはずがないのに……」
止めなければ。
一歩、また一歩とサーシャとの距離を狭まるレイジの姿を目で追いながら葛藤に苛まれる。止めなければ。しかし、今のレイジを止められるのか?
身動きとれない僕の眼前に安田が立ち塞がり、残りの看守に命令する。
「レイジを取り押さえろ!!」
安田の判断は正しい、レイジの暴走を阻止するには数で圧倒するしかない。レイジめがけて奇声を発して殺到する看守が次々と床に這い壁に叩き付けられ宙に吹っ飛ぶ。レイジの武器は血に錆びた鉄パイプ。レイジが目にもとまらぬ速さで腕を一閃すれば鉄パイプが旋風を巻き起こし、次の瞬間には敵の膝を砕き鼻骨を砕き動きを奪っている。
無敵。
その言葉が、実感を伴い目の前の光景に重なる。無敵……看守とてレイジの敵にはならない、自暴自棄に暴れるレイジを止めることは不可能だ。鼻歌まじりに鉄パイプを振り回すレイジの姿に戦慄を禁じえずあとじさる僕の隣をヨンイルが走りぬける。
「ええ加減にせえ!」
鉄パイプの下をかいくぐり奇跡的にレイジの懐にとびこんだヨンイルが怒鳴る。
その顔面に、レイジの蹴りが炸裂した。
「ヨンイル!!」
鼻血を噴いて倒れかけたヨンイルにも容赦せず、とどめを刺そうと鉄パイプを振り上げる。相手がヨンイルだということもわからないのか、狂気が暴走して判断力が鈍っているのか、顔面を朱に染めたヨンイルにレイジが吐き捨てる。
「邪魔なんだよ」
「上等やんけ!!」
乾いた破裂音が連続し、ヨンイルが宙にばらまいた玉から大量の煙が噴き出す。目くらまし。視界を煙で覆われたレイジが一瞬だけ動きを止めた隙に、こぶしで鼻血を拭ったヨンイルが叫ぶ。
「手錠!!」
「わかった!」
安田は即座に反応し、背広の懐から抜き取った手錠を投げる。
「赤鼻の道化はひっこんでろ」
「調子のりすぎやろ王様。さすがの俺もキレるで」
鉄パイプを靴裏で受け止めたヨンイルが、煙に紛れてレイジの片手に手錠を嵌める。もう一方の手錠はヨンイル自身の手に繋がっていた。ヨンイルと手錠で繋がれたレイジがバランスを崩すのを見計らい、道化の蹴りが鳩尾に炸裂する。
「っ、う」
「おとなしゅう寝とれやレイジ。片腕使い物にならなくしたいんか」
ヨンイルが乱暴に腕を振り、手錠で繋がれたレイジを引きずり倒す。鈍い音をたてて床に転倒したレイジが起きあがろうとすれば看守数人がかりで取り押さえられる。
それでもまだ抵抗を止めず暴れるレイジの姿に呟く。
「レイジ、どうしてしまったんだ……今の君はまるで」
「うるせえよ親殺し」
後頭部を押さえこまれ、床に顔を埋めたレイジが浅い息を吐く。片腕に巻いた止血帯は、はげしい運動のせいで傷口が開いて赤く変色していた。
床に突っ伏した苦しい体勢から僕を見上げたレイジが、ぞっとするような笑みを浮かべる。
「お前はただの天才で、俺は人殺しの天才だ。こちとら生まれた時から人の道踏み外してんだよ。マリアとだって寝てやるしキリストだって殺してやるさ」
レイジなら今言ったことを本当に実行するだろう。鼻歌まじりにやってのけるだろう。
レイジが看守に引きずり起こされる。その姿を呆然と眺めていたのは僕だけではない、ホセの肩に担がれたロンも同様だ。ロンはただただ目を見張りレイジが看守数人を倒す現場を目撃していたが、その視線に気付いたレイジが目を細める。
「わかったかロン、俺はこういう人間なんだよ。人殺しが好きで好きでたまらねえ危ないヤツ、早い話サーシャの同類なんだ。類は友を呼ぶって言うだろ?だから俺はサーシャのところに来た、お前がタジマに襲われた夜もサーシャと寝てた。はは、悪いかよ?俺が誰を抱こうが誰に抱かれようが自由だろ、気持ちよけりゃそれに越したことねえよ。お前がいつまでたっても抱かしてくれねえから浮気したんだよ。なんなら今度3P」
「大嫌いだ、死んじまえ!!!」
悲痛な絶叫が廊下に響き渡る。
ロンの目には、まじりけない憎悪が結晶していた。
誰かを殺したいほど憎んでいる人間の目だ。
道化が降ってきた。
最悪の展開を予期した僕の鼻先に身軽に着地したヨンイルがレイジの腰を掴む。
「吾輩たちの存在を忘れてもらっては困ります」
いつのまにか僕の傍らにいたホセが苦笑いする。北の残党を掃討したホセとヨンイルが全力疾走で駆け付けてくるのとほぼ同時に渡り廊下になだれこんできたのは看守数人。
サーシャの頚動脈を掻き切るはずのナイフが切り裂いたのはレイジの頭上に覆い被さった背広、背広に視界を遮られてナイフの軌道が狂った一瞬の隙にヨンイルが背中に頭突き。ヨンイルに突撃されたレイジがバランスを崩し転倒、その手をこじ開けてナイフを奪い取ったのはホセだ。
見事な連携プレイでレイジを制止したホセとヨンイルのもとへ駆け付けたのは、清潔なシャツにチョッキを羽織った副所長……安田だ。
サーシャの命を救ったのは、咄嗟に背広を投げた安田の機転だった。
レイジの凶行の現場を目撃した安田が背広を投げなければ、今ごろサーシャの頚動脈は切り裂かれて天上まで届く鮮血を噴き上げていた。
「ひどい惨状だな。中央と北の渡り廊下で抗争が勃発したと聞いて駆け付けてみればこれは一体……何が起きたか説明してもらおうか、鍵屋崎」
死屍累々の惨状を見渡し、憂慮に眉をひそめて呟く安田に抗議する。
「そんなことより早くサムライとロンを医務室に運んでくれ!サムライは太股を負傷してる、ロンは覚せい剤を打たれて意識が混濁してる。早急な処置の必要がある!」
普段の平静さをかなぐり捨てて救助を請う僕と、床の血だまりにぐったり倒れ伏せたサムライとロンとを見比べて優先順位を変更した安田が「わかった」と頷く。
「副所長命令だ、そこで倒れている囚人二名を早急に医務室に運べ!ひとりは太股を負傷して大量の血を失っている、輸血が必要になるかもしれない。だれか一足先に医務室に行き手配しておけ。他にも重傷者がいたら適宜医務室へ運べ」
命令するのに慣れた安田が的確な指示を下す中、漸く人心地がついた僕は床に座りこみあたりを見まわす。太股から大量に出血したサムライは蒼白の顔色だが止血の際に確認したら大動脈をかすめただけで切断されてはいなかったので命に別状ないだろう。リョウはいつのまにか消えていた。安田の顔を見て、自分にまで累が及ぶのを恐れて逃走を図ったのだろう。リョウに放り出されたロンのもとへと床を這うように近付き、顔を覗きこむ。
「大丈夫かロン?吐き気や悪寒などの副作用は、」
ロンに声を荒げて問いかけ、その肩を両手で掴まれる。僕の肩に五指を食いこませ、縋るように必死な目をしたロンがぎこちなく笑う。
絶望と希望、相反するものが葛藤する不均衡な笑顔。
「鍵屋崎嘘だよな?レイジが自分からサーシャのとこに行ったなんて嘘だよな。みんなして俺のこと騙してるんだよな。レイジがサーシャに抱かれてたなんて信じねえぞ畜生、みんなして俺のこと担ぎやがってそんなに怪我人おちょくるのが楽しいかよ。お前らみんないい性格してんぜ」
「ロン落ち着け、君は覚せい剤の副作用で思考が錯乱してる。とても正気じゃない」
肩に食いこむ指が痛いが、努めて平静を装いロンを宥める。僕が取り乱したらロンにも動揺が伝染する、僕はいつでも冷静でなければならない。
「嘘だって言えよ、言ってくれよ。冗談だろ。なんでレイジがサーシャのとこにいんだよわけわかんねえよ、俺が入院してるあいだあいつなにしてたんだよ。サーシャの言うことは全部本当なのか、俺が医務室のベッドで寝てる間あいつらは……」
ロンは混乱してる。目は焦点を失い、痴呆じみた表情を晒し、小刻みに震える手で僕の肩をはげしく揺さぶる。無理もない、自分が入院中一度も見舞いに来ないレイジを心配していたら当の本人はサーシャのもとにいた。レイジとサーシャはロンがタジマに襲われた夜も倒錯した情事に耽っていた、それは事実だ。
重すぎる事実が発覚し、口にこそ出さないが誰より信頼していた友人に裏切られた衝撃に打ちのめされたロンは今や精神の均衡を欠いていた。狂気に理性を蝕まれた人間特有の思い詰めた光を目に宿し、悲痛な表情で僕の肩を揺さぶるロンの姿があまりに痛々しくて言葉に詰まる。
「なんでだよ鍵屋崎、お前は知ってたのかよこのこと。知ってて黙ってたのか、ずっと俺のこと騙してたのかよ!?」
「誤解だ、僕も北棟にきて初めて知ったんだ。君を騙したわけじゃない。レイジのことはあとで話そう、君の体調が回復してから本人にじっくり聞けばいい。優先順位を間違えるな、身の安全の確保を最優先しろ。今君がすべきことは医務室に行き覚せい剤が抜けるまで体を休めることだ、たまには謙虚に天才の助言に従え」
「はぐらかすなよ、ちゃんと俺の目を見ろよ!ふざけんなよ、なあ、どうしてこんなことになったんだよ。全部俺のせいなのか、俺がレイジを拒絶したのが原因なのか?レイジにひどいこと言ったからだからレイジは」
「違うそうじゃない、」
「違わねえよ!!」
力の入らないこぶしで僕の胸に殴り付け、ロンが怒鳴る。
「そうか俺が原因なんだ、俺が悪いんだ、レイジがサーシャにさんざんいたぶられて体じゅう痣だらけになったのも俺が原因なんだろ。俺があいつの手を安全ピンでひっかいたから、殺さないでくれなんて言ったから、どこにも行くとこなくなって仕方なくサーシャのところにきたんだろ?サーシャの犬になっちまったんだろ!?」
「ロン君はおかしい、覚せい剤の副作用で思考が自虐傾向になってるんだ。レイジがサーシャのところへ来たのはレイジ自身の判断だ、君に責任はない。君が責任を感じることはないんだ」
「ちくしょうちくしょう、ああっちくしょう俺のせいだそうだよ俺のせいだよ!!だってそれ以外考えらんねえ、レイジがぼろぼろになったのも全部俺を守るために、俺がそばにいることでレイジを追い詰めて駄目にして」
ロンの様子は尋常じゃない。狂気に呑まれる寸前の目は飢えたようにぎらつき、唾液の泡をとばして喚き散らすさまは癇癪を起こした子供のようだ。
僕の胸を八当たりするように殴りながらロンが身を捩る、僕は無我夢中でそんなロンを抱きしめる。他になにもできることがないから、反射的に背中に腕を回し力をこめ抱擁する。僕の腕の中でこぶしを振りまわしさかんにかぶりを振りロンが叫ぶ、暴れる、泣く。ロンが振りまわしたこぶしが顎にぶつかり頬にぶつかり眼鏡がずれたが、眼鏡の位置を直す余裕もない。
今手を放せばロンは完全に正気を失ってしまう、そんな危惧に駆られて必死にロンを抱きしめる。顎も頬も痛かった、ロンのこぶしが当たった個所がひりひり疼いた。
「鍵屋崎!」
「来るな!」
こちらへと歩を踏み出した安田を振り向きもせず制止する。僕の叱責に鞭打たれた安田が硬直するのを視界の端に確認し、ロンの背中に回した腕を強める。
「貴方は貴方のなすべきことをしろ、僕にかまうな!ロンは僕がついてるから大丈夫だ、貴方は一刻も早く重傷者を医務室へ運んでくれ。それが副所長の使命で義務だろう、忘れたのか」
「ロンくんは吾輩が責任もって医務室へ運びます」
ふいに、僕の肩にあたたかい手が触れる。反射的に顔を上げれば、ホセが包容力に満ちた笑顔を湛えてこちらを覗きこんでいた。僕の肩に手をかけ優しくどかし、金切り声を発するロンの体を軽々と自身の肩に担ぎ上げる。
「君こそ、ご友人が心配で心配でたまらないという顔をしてらっしゃいますよ」
「サムライ!」
限界だった。
ロンのことはホセに任せ、はじかれるようにサムライに駆け寄る。血だまりに足をとられそうになりながら、赤い飛沫を跳ね散らかしてサムライの傍らに屈みこむ。額に手をやり汗を拭う。意識を失ったサムライの体を看守が二人がかりで抱き上げるのを固唾を飲んで見守る。僕が巻いた止血帯は血でしとどに染まっていた。サムライ……もしサムライが死んだらどうしよう。馬鹿を言うなサムライが死ぬわけないと大きくかぶりを振って不安を打ち消そうと努めるがうまくいかない、僕はどうしたんだ、サムライが死んだらと考えるだけで絶叫したくなるようなこの感情は……恐怖?絶望?
いやだ。サムライを失いたくない、絶対に。
気付けば僕はサムライを抱き上げた看守のもとへと走り寄り、蒼白の瞼を閉じたサムライの顔を覗きこみ、叫んでた。
「サムライ……みつぐ、聞こえているか?僕の声が聞こえるなら反応しろ、友人の問いかけに答えろ。こうして名前を呼ぶのは初めてだな、僕はずっと通称のサムライで呼んでいたから微妙な違和感が付き纏う。君もおなじだろう貢、本名で呼ぶなと渋い顔で抗議したらどうだ?眉間に深い皺を刻んだ仏頂面で、いつものように無愛想に……くそ、あくまで僕を無視するつもりか?いつからそんなに偉くなったんだ貴様、起きろ貢しっかりしろ僕を独りにしたら許さないぞ!!」
そばに落ちていた木刀を拾い上げ、サムライの手にしっかりと握らせる。
両手でサムライの手を包み込み、額にあてがう。
「頼むから……何か言ってくれ……」
「なおちゃん、心配すな。そいつは寝とるだけや、じきに目え覚ます」
ヨンイルになれなれしく肩を叩かれ我に返る。どうやら僕を励まそうとしてるらしいが、余計なお世話だ。他人に心配されるほど落ちぶれてない。ヨンイルの手を邪険に振り払い、医務室へと運ばれるサムライを悄然と見送る。ヨンイルと並んだ僕の周囲では、安田の指揮のもと看守が手早く重傷者を回収して医務室へと連行していた。足首に鎖を巻かれたサーシャは抗争の主犯と目され事情を聞かれるらしく、安田に命令された看守が二人がかりでサーシャを起こして手錠を嵌めていた。ロンはまだ暴れていた。ホセの背中をこぶしで叩き足蹴にして意味不明に喚いている。
レイジは?
「……レイジはどこにいるんだ」
心臓が強く鼓動を打つ。レイジの不在を認識した途端に不安がいや増す。上着の胸を掴んで周囲を見回す。いた。こちらに背中を向けてたたずんだレイジが見送っているのは、看守に強制連行されるサーシャ。
まさか、
「どないした?おっかない顔して」
レイジの様子がおかしい、雰囲気が一変してる。全身から放たれるのは、獲物に狙い定めた肉食獣のごとき殺気。その瞬間確信した、レイジはまだ諦めてない。
サーシャを殺すのを、諦めていない。
「っ!」
レイジが行動を開始した。動体視力も追いつかぬ素早さで足元の鎖を拾い上げ投擲すれば、サーシャを挟んでいた右側の看守の首に鎖が巻きつく。何が起こったのか理解する間もなく鎖で首を締め上げられた看守が白濁した泡を噴いて失神、首を掻き毟りながら床へとくずおれる。遠距離から鎖を投げて看守を屠ったレイジが床を蹴り加速、肉食獣めいた速さで左側の看守に接近。走りながら首の十字架をもぎとり手のひらに握りこんだレイジが獰猛な笑みを浮かべる。
獣返りしたような、闘争本能むきだしの笑顔。
人間が浮かべてはいけない類の表情。
一瞬だった。
「ぎゃああああああっあああああああああっ、あっ、あ!!!!」
レイジがためらうことなく、十字架の先端で看守の右目を殴打。
十字架の先端で目を抉られた看守が絶叫してその場にうずくまるや鳩尾を蹴り上げる。邪魔な障害物をどけただけ、というような無造作な蹴りだった。つま先で抉られ内臓が破裂したのか、腹部を抱えた看守が悲痛な絶叫を撒き散らし、芋虫のようにのたうちまわる。
血が滴る十字架を握り締め、サーシャと対峙するレイジ。
口ずさむのは、奇妙な果実。
「……っ、」
レイジが一歩を踏み出せば、最前での威勢が剥落したサーシャが蒼白の顔色であとじさる。
「びびんなよサ―シャ、せっかく面白くなってきたとこだってのに退屈させんなよ。俺さ、まだ遊び足りねえんだ。責任とって最後まで付き合ってくれよ」
首を絞められた看守の背中を踏みつけ、レイジが笑う。凶器は十字架、看守の目を抉った十字架。
「どうしたんだよさっきまでの威勢は。情けないぜ皇帝サマ、小便もらしちまったのか?遠慮せずにかかってこいよ。副所長が見物してるまえで皇帝が上か王様が上か決着つけようじゃんか。俺に勝ちたいんだろ、俺が欲しいんだろ。いいぜくれてやるよ、とっときの悪夢をな」
レイジの中で、何かが壊れた。
それが壊れたのは、サーシャがレイジとの関係を暴露した瞬間か上着をはだけられ淫らな痣を晒された瞬間か……僕にはわからない。今やレイジは完全に壊れてしまった。ロンは二度レイジを拒絶した。本人に自覚はなくても、レイジとサーシャの関係が露呈した時に嫌悪に凝り固まった顔をしたのがその証。
「レイジやめろ、なにをしている!サーシャは一時的に独居房に隔離し、精神状態が沈静化してから私が事情を聞く!だから」
「ひっこんでろ安田。殺すぞ」
笑顔で吐き捨てたレイジに、激昂した看守が数人がかりで襲いかかる。
「副所長になんて口ききやがる、かまやしねえ取り押さえろ!」
「独居房におしこめとけ!!」
「待っ……」
安田が制止する間もなくレイジに襲いかかった看守の体が吹っ飛ぶ。レイジの蹴りで顎を砕かれた看守が背中から壁に激突、そのままずり落ちて白目を剥く。二人目の看守、蹴りで膝の皿を砕かれてその場にうずくまる。三人目、腰から警棒を抜き放った看守の死角でレイジの足が跳ね上がる。レイジが蹴り上げたのはその場に転がった鉄パイプ。宙に舞った鉄パイプを掴んだレイジが楽しげに楽しげに笑う。
『Let's dance till a foot breaks.』
足が砕けるまで踊りましょう。
高らかに宣言したレイジの手の中が鉄パイプが旋回、三人目の看守の足を強打。骨が砕ける鈍い音がこちらまで聞こえてきた。一回ではない。二回、三回、四回……無情に鉄パイプを振り下ろすあいだもレイジの口元には薄く笑みがはりついていた。
「やめっ、やめてくれ、ゆるし……」
看守の命乞いを無視して鉄パイプを振り下ろす。五回、六回……十回。足の骨は完全に粉砕され、看守は鼻水と涙を滂沱と流し、激痛のあまり失神した。
瞬く間に看守数人を倒したレイジが、腕を一閃して鉄パイプの返り血を払い、サーシャへと接近する。
「馬鹿な、看守相手にあんな真似をしてただですむはずがないのに……」
止めなければ。
一歩、また一歩とサーシャとの距離を狭まるレイジの姿を目で追いながら葛藤に苛まれる。止めなければ。しかし、今のレイジを止められるのか?
身動きとれない僕の眼前に安田が立ち塞がり、残りの看守に命令する。
「レイジを取り押さえろ!!」
安田の判断は正しい、レイジの暴走を阻止するには数で圧倒するしかない。レイジめがけて奇声を発して殺到する看守が次々と床に這い壁に叩き付けられ宙に吹っ飛ぶ。レイジの武器は血に錆びた鉄パイプ。レイジが目にもとまらぬ速さで腕を一閃すれば鉄パイプが旋風を巻き起こし、次の瞬間には敵の膝を砕き鼻骨を砕き動きを奪っている。
無敵。
その言葉が、実感を伴い目の前の光景に重なる。無敵……看守とてレイジの敵にはならない、自暴自棄に暴れるレイジを止めることは不可能だ。鼻歌まじりに鉄パイプを振り回すレイジの姿に戦慄を禁じえずあとじさる僕の隣をヨンイルが走りぬける。
「ええ加減にせえ!」
鉄パイプの下をかいくぐり奇跡的にレイジの懐にとびこんだヨンイルが怒鳴る。
その顔面に、レイジの蹴りが炸裂した。
「ヨンイル!!」
鼻血を噴いて倒れかけたヨンイルにも容赦せず、とどめを刺そうと鉄パイプを振り上げる。相手がヨンイルだということもわからないのか、狂気が暴走して判断力が鈍っているのか、顔面を朱に染めたヨンイルにレイジが吐き捨てる。
「邪魔なんだよ」
「上等やんけ!!」
乾いた破裂音が連続し、ヨンイルが宙にばらまいた玉から大量の煙が噴き出す。目くらまし。視界を煙で覆われたレイジが一瞬だけ動きを止めた隙に、こぶしで鼻血を拭ったヨンイルが叫ぶ。
「手錠!!」
「わかった!」
安田は即座に反応し、背広の懐から抜き取った手錠を投げる。
「赤鼻の道化はひっこんでろ」
「調子のりすぎやろ王様。さすがの俺もキレるで」
鉄パイプを靴裏で受け止めたヨンイルが、煙に紛れてレイジの片手に手錠を嵌める。もう一方の手錠はヨンイル自身の手に繋がっていた。ヨンイルと手錠で繋がれたレイジがバランスを崩すのを見計らい、道化の蹴りが鳩尾に炸裂する。
「っ、う」
「おとなしゅう寝とれやレイジ。片腕使い物にならなくしたいんか」
ヨンイルが乱暴に腕を振り、手錠で繋がれたレイジを引きずり倒す。鈍い音をたてて床に転倒したレイジが起きあがろうとすれば看守数人がかりで取り押さえられる。
それでもまだ抵抗を止めず暴れるレイジの姿に呟く。
「レイジ、どうしてしまったんだ……今の君はまるで」
「うるせえよ親殺し」
後頭部を押さえこまれ、床に顔を埋めたレイジが浅い息を吐く。片腕に巻いた止血帯は、はげしい運動のせいで傷口が開いて赤く変色していた。
床に突っ伏した苦しい体勢から僕を見上げたレイジが、ぞっとするような笑みを浮かべる。
「お前はただの天才で、俺は人殺しの天才だ。こちとら生まれた時から人の道踏み外してんだよ。マリアとだって寝てやるしキリストだって殺してやるさ」
レイジなら今言ったことを本当に実行するだろう。鼻歌まじりにやってのけるだろう。
レイジが看守に引きずり起こされる。その姿を呆然と眺めていたのは僕だけではない、ホセの肩に担がれたロンも同様だ。ロンはただただ目を見張りレイジが看守数人を倒す現場を目撃していたが、その視線に気付いたレイジが目を細める。
「わかったかロン、俺はこういう人間なんだよ。人殺しが好きで好きでたまらねえ危ないヤツ、早い話サーシャの同類なんだ。類は友を呼ぶって言うだろ?だから俺はサーシャのところに来た、お前がタジマに襲われた夜もサーシャと寝てた。はは、悪いかよ?俺が誰を抱こうが誰に抱かれようが自由だろ、気持ちよけりゃそれに越したことねえよ。お前がいつまでたっても抱かしてくれねえから浮気したんだよ。なんなら今度3P」
「大嫌いだ、死んじまえ!!!」
悲痛な絶叫が廊下に響き渡る。
ロンの目には、まじりけない憎悪が結晶していた。
誰かを殺したいほど憎んでいる人間の目だ。
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