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二百四十七話
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「直!!!」
すべてが一瞬のうちに起きた。
ナイフの切っ先が鈍り、肩越しに僕を見咎めたサーシャの表情が豹変。
同時にサーシャの腕が半弧を描く。恐慌をきたした北の囚人が騒然と入り乱れる中、ナイフが僕の頚動脈へと―
誰かに背後から抱きとめられた。片腕で僕を抱きすくめた人物が横ざまに身を投げ出す、その腕に抱かれた僕も床に横転。
眼鏡がずれ、視界がぶれた。
鈍い音、体に衝撃。
僕の腰あたりに腕を回して床へと引きずり倒した人物の背中が視界を占める。
精悍に引き締まった背中。端正な姿勢。
一見細身に見えるが僕を抱きすくめた腕の力は強く、僕を床に引きずり倒した力はもっと強かった。
腰に巻かれた腕から伝わってきたのは、決して僕を手放さないという固い決意。
甲高く苛烈な音が散った。
床に転倒した際に落としたナイフはそのまま捨て置き、眼鏡の位置を直し、上体を起こす。
眼前には驚くべき光景。
サムライが、サーシャと対峙している。
サムライの眉間の位置に水平に掲げられていたのは木刀。飴色の刀身が受け止めているのは鋭利なナイフ。さっきのあれは木刀とナイフが衝突する音だったのだ。
木刀の背に切りこんだナイフ、その向こうにはサーシャがいた。
僕が自分にナイフを向けたことに激怒し、ナイフを抜いたのだ。
僕がサムライに抱擁され引きずり倒されるまで三秒もない。その短時間にサーシャはナイフをとりだし鞘を抜き放った。即断即決。サーシャは一瞬たりとも復讐を遅らせず殺戮をためらうこともなかった。サムライがもしこの場に現れなかったら僕は確実に頚動脈を切り裂かれていた。
ぞっとした。
僕が奇跡的に即死を免れたのはサムライが庇ってくれたからだ。
「何故君がここに!?」
疑問をそのまま声に出していた。
頭が混乱している。都合のよい白昼夢でも見ているのか?強制労働終了時間までにはだいぶある、本来サムライがこんな場所にいるわけない。こんな場所……僕とレイジの殺し合いが行われた北と中央の渡り廊下。床には血痕が残っている。
「強制労働はどうしたんだサムライ、今は下水道に潜ってるはずだ!」
「さぼった」
なんでもないことのようにさらりとサムライが言い、耳を疑った。
「今さぼったと言ったのか?さぼったって……強制労働を!?」
僕に背中を向けたサムライが憮然と呟く。
「お前のことが心配で仕事が手につかなかった。おのれの心に嘘はつけん」
心なしか言い訳がましく聞こえた。
「馬鹿か君は、なにを考えてるんだ!?自分がしたことを胸に手をあててよく考えてみろ、強制労働をさぼったんだぞ!精勤の評価を台無しに、地道な努力を無に帰す真似をしたんだぞ!?まったく君という男は理解に苦しむ、昨晩僕は約束したじゃないか、子供じゃないんだからお守はいらない必ず無事に帰って来ると」
「その結果がこれだ」
サムライの顔が渋くなる。
「昨晩お前と約束し、俺は今朝強制労働にでかけた。だが下水道に潜っても、いつもならするはずもない失敗の連続でひとときも気が休まらなかった。ボルトのネジ加減を誤り配管を壊し、顔面に水を浴びたりもした。コケで足を滑らし下水に転落もした。
幸い水が少なく流れが穏やかだったから助かったが、下水道で尻餅をつくなど初めての体験だ。今日の俺は朝から注意力不足で失敗の連続で、なにをしていてもお前のことが頭から離れなかった。つい先刻、現場監督の看守に早退を申し出た。当然却下された、体調を悪くしたわけでもなく怪我をした様子もないのに早退は認められんとすげなく一蹴された。……いや、たとえ理由を告げたところで厳格な看守が許可するとは思えん。
だから、殴り倒して逃げてきた」
「殴り倒……」
絶句した。まさかサムライがそんな真似を?冗談であってくれと願ったが、サムライの眼光は真剣極まりない。
そして、真顔で続ける。
「後悔はしてない、あのままあそこにいたら焦燥に焼き殺されていた。途中看守数人に制止されたが何とか無事突破した」
「無事じゃないだろう全然!」
今漸く気付いたがサムライの横顔には誰かに殴られたとおぼしき擦り傷ができていた。おそらく看守数人がかりで取り押さえられた痕跡だ。サムライの愚行を聞かされ眩暈をおぼえた。まさかこの男は、心配性の友人は、生真面目な武士は、僕を心配するあまり矢も盾もたまらず強制労働を抜け出してきたということか?
混乱が冷めれれば、目の前の男に対しはげしい怒りが湧きあがる。
「何故ここに来た、何故僕を助けにきた!?頼んでもいないのにお節介な男だ、たった三つの年齢差もないのに保護者気取りも大概にしろ!自分がしたことがわかっているのか君は、東京プリズンで強制労働をさぼるということがどんなことか、看守に逆らうということがどういうことか!明日から看守に睨まれ生きにくくなるぞ、今までどおりブルーワークで働けるかもわから……」
「どうでもいい」
糾弾をさえぎったのは沈着な声。頑健な背中にたゆたうはしずかな闘気。木刀を眉間に捧げ持ったサムライが断言する。
「俺が今ここにいるのは信念に殉じるためだ。刃に賭けて信念を貫くこともできずになにが武士か、大事な者を守りぬくこともできぬぐらいなら切腹したほうがマシだ」
「時代錯誤だ……」
呆然と呟く。まったくこの男は救いがたい愚か者だ、僕もとんでもない男を友人に持ってしまったものだ。強制労働の途中放棄は重罪だ、東京プリズンでは看守の許可なく仕事をさぼった囚人には厳罰が与えられることになっている。過酷なイエローワークを耐え抜き、勤勉な仕事態度が認められ、レッドワークを飛び越してブルーワークへと特例の出世を成し遂げたサムライ。今回の一件で彼が失ったものは計り知れない。
明日以降ブルーワークに復帰できる見込みはない。
へたらしたら独居房送りになるかもしれない。
サムライは甚大な犠牲を払ってまで、僕を、僕なんかを助けに来た。
看守の信用を失うのも承知で、精勤の評価を損なうのも承知で、看守を殴り倒すなどという命取りにもなりかねない振るまいをして……
「礼は言わない」
礼を言う気分じゃない。
僕は昨夜サムライに約束した、僕は無事帰るから心配するなと、僕のことは気にせず強制労働にでろと執拗に言い聞かせた。だがサムライは今ここにいる。僕はまたサムライの足を引っ張ってしまった、彼の評価を貶める遠因になった。たとえサムライに救われたのだとしても、サムライがここに現れなければ即死していたとしても、手のひらを返したように感謝するわけにはいかない。
そんな卑劣な真似プライドが許さない。
だが。
「……礼は言わないが、実のところ君の声が聞けて安心した」
それもまた、本音だった。
サムライにあきれるより怒るより先に、サムライの声が聞けて安堵した。サムライに名前を呼ばれた瞬間、指から力が抜けナイフの軌道が狂った。心の奥底で僕はサムライを待ち続けていた。
声が聞きたい、顔が見たい、手に触れたいと希求していた。
今も医務室のベッドでロンがそうしているように。
無意識な動作でサムライの上着の背中を掴む。さっきはサムライが僕を抱いた。決して手放さないと決意をこめ、しっかりと抱きすくめた。サムライの上着の背中を握り締める行為は無意味で、自分でも何故こんな不可解な行動をとったのか説明がつかなくて、でも不思議と手からぬくもりが伝わり安らいだ。
サムライに守られているという確かな実感が、なによりも心強い。
「四匹目のサバーカか。皇帝の領土を土足で踏み荒らすとは、東の犬は礼儀知らずの駄犬ばかりだな」
その声が僕を現実に引き戻す。サムライの上着の背中を握り締め、ハッと顔を上げる。 木刀が軋り、微塵の木片が散る。
力と力の拮抗、はげしい鍔迫り合い。サムライもサーシャも細腕には見合わぬ剛力の持ち主だ。床に片膝ついた体勢から頭上で木刀を支えるサムライと片腕の膂力でナイフを押しこむサーシャの間に殺気が交流する。
「お前の顔には見覚えがあるぞ。レイジと組んでペア戦に出場した物好きだな」
「いかにも」
木刀が削れる音はひどく殺気立っていた。
注射針の痕が目立つ腕に静脈を浮きあがらせたサーシャが、陰惨な笑みを刻む。
「東の犬は色情狂ばかりだ。レイジが100人抜きを宣言した理由は同房の囚人を救うため、売春班を潰すため。噂ではお前も同じ目的で試合に挑んだそうではないか。お前の背に庇われているその囚人、眼鏡をかけた無表情な少年、地味で印象の薄い顔だちばかりのヤポーニャにしては上品かつ聡明な顔だちをしている。
ずいぶんと毛並みのよさそうな犬だが、血統書付きか?」
「なんだと」
サムライの目が据わり、声が低まる。サムライの頭越しにサーシャと目が合う。
氷点下の双眸には侮蔑の色、僕を人間と認めず徹底的に犬扱いして見下す目。
「東が迎え入れた親殺しの噂は北にも届いたぞ。両親ともまじりけなしの日本人で家名をもっているなら即ちこの国では血統書つき……ははははははっ、笑えるな!
闇のように不浄な黒髪と黄色い肌、一様に無個性で見分けのつかん風貌の黄色人種が血の優劣を競って何の意味がある!
いいかよく聞け、この世界で最も賢く美しく気高い民族はロシア人だ。ロシア人こそ至高の人種だ、他はすべて不浄の血の流れる汚らわしい雑種だ。私が最も憎悪するのは」
サーシャが壁際へ視線を流す。レイジは壁に背中を預けぐったりと座りこんでる。麻薬を溶かした唾液を喉に流しこまれ、無理矢理嚥下させられたのだ。強烈な快楽で頭が朦朧としているのか、四肢が弛緩して立てないのか、壁に背中を凭せて無造作に手足を投げ出したさまは、子供に乱暴されて壊れた人形のようだ。
「そこの男のように、高貴なる白き民族の血と黄の肌の淫売の血とが不浄に混ざり合った出自卑しき私生児だ。
しかもその男は淫売の私生児の分際で、薄汚れた髪と目と肌の雑種の分際で、こともあろうにこの私を見下しブラックワークの王座に君臨した!そればかりではない、卑しき雑種の分際で私の背中を切り刻み生涯消えない傷痕をつけた。
私から奪い取ったナイフで鼻歌まじりに上着を切り裂き背中を切り刻み人生最大の屈辱を与えたのだ!!」
サーシャが勝ち誇ったように口角をつりあげる。
「だが、やつも今や私の犬だ。主人の言うことに忠実かつ従順な去勢された犬だ」
犬。
レイジが犬?
木刀にナイフが切りこみ、上下で力が拮抗する。ナイフを押し返す力と木刀を押しこむ力とはほぼ互角、どちから一方が腕の力を緩めればその瞬間に勝負が決する。サムライの動揺を誘う魂胆か、いや、たんにレイジを罵倒するのが楽しいらしいサーシャが炯炯と眼光を強める。
「お前ら東の犬どもの首領がどれだけ淫らな男か教えてやろうか。私に組み敷かれどれだけ淫らに喘いだか、両手でシーツを掻き毟り全身に薄らと汗をかきいやらしく上気した顔で私に挿入を懇願したか」
「嘘だ!」
やめろ聞きたくない、そんなことは知りたくない。耳を塞ぎたい衝動にかられて叫び返せば、演説を邪魔されたサーシャが不快げに目を細める。
「嘘なのものか。東の王は私のもとに下った、今や主の命令に絶対服従の飼い犬だ。たまに反抗することがあれば拷問部屋の鎖に繋いで存分に調教し上下関係を叩き込む、それが北の流儀だ」
「胸糞悪い流儀だな」
サムライが吐き捨てる。木刀を両手で支えた体勢から身を捩り、背後の僕と壁際のレイジとを見比べる目には憂慮の色。自暴自棄のレイジを真摯にいたわる半面、サーシャのもとへ下ったことを嘆く悲痛な色。
サムライも顔には出さないがずっとレイジのことを心配していた、レイジが消息を絶ったこの数日間というもの食堂では正面の空席が気になりろくに箸も進まなかった。
そのレイジが北棟にいた。
東の人間を犬扱いしてはばからない、最も冷酷なトップのもとに匿われていたのだ。
驚愕・混乱・当惑・幻滅・憤怒……数日ぶりにレイジと対面した僕とおなじく、さまざまな感情が胸に渦巻いているのは想像に難くない。苦渋の面持ちで押し黙るサムライを傲然と見下し、優越感に酔ったサーシャが哄笑をあげる。
「お前の背後に匿われている犬も私が飼ってやろうではないか。東京プリズンでは珍しく毛並みの良い犬だ、物覚えもよさそうで芸の仕込み甲斐がある。そうだ名案を閃いたぞ、レイジと一緒に拷問部屋の鎖に繋いで飼ってやる。一生飼い殺しにしてやる。
主人に逆らえば鞭打つぞ、それでも懲りぬならナイフで肌を裂く。
餌は犬食いだ。手鎖に縛られた体勢で上体を突っ伏し、みじめに残飯を貪り食え。手を使うのは認めん、犬の分際で人間の真似をし匙やフォークを使うなど滑稽きわまる」
饒舌に妄想をしゃべりたてるサーシャが、驚くべき発言をする。
「『元』東の王は命令に忠実だった。お前も見習え」
にわかには信じられなかった。サーシャが冗談を言ってるのかとも疑ったが、もとから正気の沙汰でないサーシャが嘘をつくわけない。サーシャは以前にもレイジを拷問部屋に連れこんで虐待した。
僕がまだ足を踏み入れたことのない禁断の部屋、北棟のどこかにひっそりと存在する血生臭い部屋。おそらく、レイジに幼少期の記憶を喚起させる悪臭と闇が淀んだ部屋。
一度ならず二度までも、レイジをそこに閉じ込めるつもりか。
ロンの声が届かない暗闇に幽閉するつもりか。
認めない。
「認めないぞ!」
頭で考えるより先に体が動いた。劣勢になりはじめたサムライの横に片膝つき、両腕で木刀を支える。サムライの手に手を重ねるように木刀を握り締め、奥歯を食い縛り、渾身の力で押し返す。
僕の行動に狼狽したのはサーシャだけではない、サムライもまた目を見張っていた。
「僕は犬じゃない、鍵屋崎直だ。レイジは貴様の犬じゃない、東棟の王様だ。鎖に繋がれて飼い殺しにされるなどごめんだ、僕は絶対に東棟に帰る!異論反論は一切認めない、これは予定された未来を述べているにすぎない決定事項だ」
壁に背中を預けて座りこんだままのレイジを振り返る。
「ついでにレイジも連れ帰る。トップ不在だと力の均衡が崩れ東棟の治安が悪化する、東棟におけるレイジの存在は意外に重要だ。貴様が思っているよりずっとレイジは必要とされている。100人抜きを達成するためには彼の力が不可欠、個性が強烈な囚人ばかりの東棟を治めるにはマイペースな王様が適任、僕とて認めるのは癪だが彼には彼にしかできないことがたくさんある」
なにより、レイジを待つ人間がいる。
今も医務室のベッドでレイジの帰りを待ち続ける人間がいる。
「レイジに会わせたい人間を待たせているんだ、天才のプライドに賭けて王様を連れ戻す!」
僕の決意がサムライにも伝わったか、木刀を掴む手に力が加わる。サムライの手のぬくもりを感じ、サムライと心をひとつにし、二人分の力で木刀を押し返す。
油断していたところを突き上げられ、ナイフが弾かれる。
白銀の弧を描いて宙に舞ったナイフをむなしく振り仰ぎ、サーシャが歯軋りする。
「サバーカの分際でよくも……」
「直を犬呼ばわりするのは即刻やめろ」
サムライの目に燐光がともる。
「直は無二の友人、刃に賭けて守り貫くと決めた生涯の友、俺の半身にひとしい大事な人間だ。断じて犬などではない。
今一度直を侮辱すればその時は北の皇帝とて容赦せん……斬る」
「小賢しいヤポーニャめ、皇帝の怒りを思い知らせてくれる」
気迫をこめた双眸でサムライに睨まれ、サーシャが優雅に手を翳す。腕のひと振りで劇的な変化が起き、北の囚人が僕らを包囲する。
「メガネくん!」
リョウの声がした。振り向けば、リョウが羽交い絞めにされ人質にとられていた。
「ちょっとこれなんとかしてっ、北の案内役なんて損な役目引き受けたばっかりにこんな目に遭ってるんだから助けてよ!ねっさっき助けてあげたっしょ、今すぐ恩返しを」
「案内役を承諾したのは君自身だ。君が今そうして羽交い絞めされてるのは自分の注意力散漫が原因だろう。だいたい僕をおいて東に逃げ帰ればそんな目に遭わずにすんだのに前出の会話の時点ですぐさまそうしなかったのが不可解だ」
「バカメガネっ!!」
何故僕が罵られなければならないのか理解に苦しむ。不可解かつ不愉快だ。さっきは僕を庇うふりをしたり今度は助けてくれと注文したり、リョウの言動には矛盾が多い。こんな時でさえなければ徹底的に矛盾点を追求し分析してみたいのだが、北の囚人に包囲され退路を絶たれた現状ではそうもいかない。
「サムライ、策はあるか」
輪の中心にサムライと背中合わせで追い詰められた僕。
「ある」
「なんだそれは、あるなら具体的に説明しろ」
生きて北を脱する策があると明言したサムライに畳みかければ、無言のまま木刀を正眼に構える。
いやな予感がした。
「実力行使で正面突破」
いやな予感は往々にして的中する。木刀を正眼に構えたサムライがとんでもない無茶をしようとしてると察し、振り向きざま声を荒げる。
「なにを考えてるんだこの低脳、実力行使の正面突破など無策の代表例じゃないか!いいかよくまわりを見回し冷静に考えろ、相手は何人いる?ナイフの名手サーシャ率いる北の囚人三十名前後、この大人数を相手に無傷で切り抜けるなど不可能だ。つけくわえればここは広さに制限がある渡り廊下、監視棟の時ほど上手くいくはずがない。重傷を負えばペア戦に影響が、」
「黙ってついてこい」
有無を言わさず命令したサムライが、少し首を傾げ、僕の目を見据える。
「お前が隣にいれば、俺は無敵だ」
臆面もなく恥ずかしい台詞を吐くサムライに動揺し、何故だか頬が熱くなる。だがサムライは本気だった。言葉には信念の重みがあり、眼光は真剣だった。
武士に二言はない、サムライは嘘をつかない。
ならば彼を信じるしかないと覚悟を決め、サムライの隣に並ぶ。
「まったく頑固者だな。君のように強情な男を友人にもった僕の身にもなってみろ」
「すまん」
律儀に頭を下げて謝罪するサムライから顔を逸らし、中指で眼鏡のブリッジに触れる。
「……誤解するなよ。迷惑だが、後悔はしてない」
それを聞いたサムライが薄く笑った。
心強い味方を得たとでもいうようなひどく満足げな微笑だった。
すべてが一瞬のうちに起きた。
ナイフの切っ先が鈍り、肩越しに僕を見咎めたサーシャの表情が豹変。
同時にサーシャの腕が半弧を描く。恐慌をきたした北の囚人が騒然と入り乱れる中、ナイフが僕の頚動脈へと―
誰かに背後から抱きとめられた。片腕で僕を抱きすくめた人物が横ざまに身を投げ出す、その腕に抱かれた僕も床に横転。
眼鏡がずれ、視界がぶれた。
鈍い音、体に衝撃。
僕の腰あたりに腕を回して床へと引きずり倒した人物の背中が視界を占める。
精悍に引き締まった背中。端正な姿勢。
一見細身に見えるが僕を抱きすくめた腕の力は強く、僕を床に引きずり倒した力はもっと強かった。
腰に巻かれた腕から伝わってきたのは、決して僕を手放さないという固い決意。
甲高く苛烈な音が散った。
床に転倒した際に落としたナイフはそのまま捨て置き、眼鏡の位置を直し、上体を起こす。
眼前には驚くべき光景。
サムライが、サーシャと対峙している。
サムライの眉間の位置に水平に掲げられていたのは木刀。飴色の刀身が受け止めているのは鋭利なナイフ。さっきのあれは木刀とナイフが衝突する音だったのだ。
木刀の背に切りこんだナイフ、その向こうにはサーシャがいた。
僕が自分にナイフを向けたことに激怒し、ナイフを抜いたのだ。
僕がサムライに抱擁され引きずり倒されるまで三秒もない。その短時間にサーシャはナイフをとりだし鞘を抜き放った。即断即決。サーシャは一瞬たりとも復讐を遅らせず殺戮をためらうこともなかった。サムライがもしこの場に現れなかったら僕は確実に頚動脈を切り裂かれていた。
ぞっとした。
僕が奇跡的に即死を免れたのはサムライが庇ってくれたからだ。
「何故君がここに!?」
疑問をそのまま声に出していた。
頭が混乱している。都合のよい白昼夢でも見ているのか?強制労働終了時間までにはだいぶある、本来サムライがこんな場所にいるわけない。こんな場所……僕とレイジの殺し合いが行われた北と中央の渡り廊下。床には血痕が残っている。
「強制労働はどうしたんだサムライ、今は下水道に潜ってるはずだ!」
「さぼった」
なんでもないことのようにさらりとサムライが言い、耳を疑った。
「今さぼったと言ったのか?さぼったって……強制労働を!?」
僕に背中を向けたサムライが憮然と呟く。
「お前のことが心配で仕事が手につかなかった。おのれの心に嘘はつけん」
心なしか言い訳がましく聞こえた。
「馬鹿か君は、なにを考えてるんだ!?自分がしたことを胸に手をあててよく考えてみろ、強制労働をさぼったんだぞ!精勤の評価を台無しに、地道な努力を無に帰す真似をしたんだぞ!?まったく君という男は理解に苦しむ、昨晩僕は約束したじゃないか、子供じゃないんだからお守はいらない必ず無事に帰って来ると」
「その結果がこれだ」
サムライの顔が渋くなる。
「昨晩お前と約束し、俺は今朝強制労働にでかけた。だが下水道に潜っても、いつもならするはずもない失敗の連続でひとときも気が休まらなかった。ボルトのネジ加減を誤り配管を壊し、顔面に水を浴びたりもした。コケで足を滑らし下水に転落もした。
幸い水が少なく流れが穏やかだったから助かったが、下水道で尻餅をつくなど初めての体験だ。今日の俺は朝から注意力不足で失敗の連続で、なにをしていてもお前のことが頭から離れなかった。つい先刻、現場監督の看守に早退を申し出た。当然却下された、体調を悪くしたわけでもなく怪我をした様子もないのに早退は認められんとすげなく一蹴された。……いや、たとえ理由を告げたところで厳格な看守が許可するとは思えん。
だから、殴り倒して逃げてきた」
「殴り倒……」
絶句した。まさかサムライがそんな真似を?冗談であってくれと願ったが、サムライの眼光は真剣極まりない。
そして、真顔で続ける。
「後悔はしてない、あのままあそこにいたら焦燥に焼き殺されていた。途中看守数人に制止されたが何とか無事突破した」
「無事じゃないだろう全然!」
今漸く気付いたがサムライの横顔には誰かに殴られたとおぼしき擦り傷ができていた。おそらく看守数人がかりで取り押さえられた痕跡だ。サムライの愚行を聞かされ眩暈をおぼえた。まさかこの男は、心配性の友人は、生真面目な武士は、僕を心配するあまり矢も盾もたまらず強制労働を抜け出してきたということか?
混乱が冷めれれば、目の前の男に対しはげしい怒りが湧きあがる。
「何故ここに来た、何故僕を助けにきた!?頼んでもいないのにお節介な男だ、たった三つの年齢差もないのに保護者気取りも大概にしろ!自分がしたことがわかっているのか君は、東京プリズンで強制労働をさぼるということがどんなことか、看守に逆らうということがどういうことか!明日から看守に睨まれ生きにくくなるぞ、今までどおりブルーワークで働けるかもわから……」
「どうでもいい」
糾弾をさえぎったのは沈着な声。頑健な背中にたゆたうはしずかな闘気。木刀を眉間に捧げ持ったサムライが断言する。
「俺が今ここにいるのは信念に殉じるためだ。刃に賭けて信念を貫くこともできずになにが武士か、大事な者を守りぬくこともできぬぐらいなら切腹したほうがマシだ」
「時代錯誤だ……」
呆然と呟く。まったくこの男は救いがたい愚か者だ、僕もとんでもない男を友人に持ってしまったものだ。強制労働の途中放棄は重罪だ、東京プリズンでは看守の許可なく仕事をさぼった囚人には厳罰が与えられることになっている。過酷なイエローワークを耐え抜き、勤勉な仕事態度が認められ、レッドワークを飛び越してブルーワークへと特例の出世を成し遂げたサムライ。今回の一件で彼が失ったものは計り知れない。
明日以降ブルーワークに復帰できる見込みはない。
へたらしたら独居房送りになるかもしれない。
サムライは甚大な犠牲を払ってまで、僕を、僕なんかを助けに来た。
看守の信用を失うのも承知で、精勤の評価を損なうのも承知で、看守を殴り倒すなどという命取りにもなりかねない振るまいをして……
「礼は言わない」
礼を言う気分じゃない。
僕は昨夜サムライに約束した、僕は無事帰るから心配するなと、僕のことは気にせず強制労働にでろと執拗に言い聞かせた。だがサムライは今ここにいる。僕はまたサムライの足を引っ張ってしまった、彼の評価を貶める遠因になった。たとえサムライに救われたのだとしても、サムライがここに現れなければ即死していたとしても、手のひらを返したように感謝するわけにはいかない。
そんな卑劣な真似プライドが許さない。
だが。
「……礼は言わないが、実のところ君の声が聞けて安心した」
それもまた、本音だった。
サムライにあきれるより怒るより先に、サムライの声が聞けて安堵した。サムライに名前を呼ばれた瞬間、指から力が抜けナイフの軌道が狂った。心の奥底で僕はサムライを待ち続けていた。
声が聞きたい、顔が見たい、手に触れたいと希求していた。
今も医務室のベッドでロンがそうしているように。
無意識な動作でサムライの上着の背中を掴む。さっきはサムライが僕を抱いた。決して手放さないと決意をこめ、しっかりと抱きすくめた。サムライの上着の背中を握り締める行為は無意味で、自分でも何故こんな不可解な行動をとったのか説明がつかなくて、でも不思議と手からぬくもりが伝わり安らいだ。
サムライに守られているという確かな実感が、なによりも心強い。
「四匹目のサバーカか。皇帝の領土を土足で踏み荒らすとは、東の犬は礼儀知らずの駄犬ばかりだな」
その声が僕を現実に引き戻す。サムライの上着の背中を握り締め、ハッと顔を上げる。 木刀が軋り、微塵の木片が散る。
力と力の拮抗、はげしい鍔迫り合い。サムライもサーシャも細腕には見合わぬ剛力の持ち主だ。床に片膝ついた体勢から頭上で木刀を支えるサムライと片腕の膂力でナイフを押しこむサーシャの間に殺気が交流する。
「お前の顔には見覚えがあるぞ。レイジと組んでペア戦に出場した物好きだな」
「いかにも」
木刀が削れる音はひどく殺気立っていた。
注射針の痕が目立つ腕に静脈を浮きあがらせたサーシャが、陰惨な笑みを刻む。
「東の犬は色情狂ばかりだ。レイジが100人抜きを宣言した理由は同房の囚人を救うため、売春班を潰すため。噂ではお前も同じ目的で試合に挑んだそうではないか。お前の背に庇われているその囚人、眼鏡をかけた無表情な少年、地味で印象の薄い顔だちばかりのヤポーニャにしては上品かつ聡明な顔だちをしている。
ずいぶんと毛並みのよさそうな犬だが、血統書付きか?」
「なんだと」
サムライの目が据わり、声が低まる。サムライの頭越しにサーシャと目が合う。
氷点下の双眸には侮蔑の色、僕を人間と認めず徹底的に犬扱いして見下す目。
「東が迎え入れた親殺しの噂は北にも届いたぞ。両親ともまじりけなしの日本人で家名をもっているなら即ちこの国では血統書つき……ははははははっ、笑えるな!
闇のように不浄な黒髪と黄色い肌、一様に無個性で見分けのつかん風貌の黄色人種が血の優劣を競って何の意味がある!
いいかよく聞け、この世界で最も賢く美しく気高い民族はロシア人だ。ロシア人こそ至高の人種だ、他はすべて不浄の血の流れる汚らわしい雑種だ。私が最も憎悪するのは」
サーシャが壁際へ視線を流す。レイジは壁に背中を預けぐったりと座りこんでる。麻薬を溶かした唾液を喉に流しこまれ、無理矢理嚥下させられたのだ。強烈な快楽で頭が朦朧としているのか、四肢が弛緩して立てないのか、壁に背中を凭せて無造作に手足を投げ出したさまは、子供に乱暴されて壊れた人形のようだ。
「そこの男のように、高貴なる白き民族の血と黄の肌の淫売の血とが不浄に混ざり合った出自卑しき私生児だ。
しかもその男は淫売の私生児の分際で、薄汚れた髪と目と肌の雑種の分際で、こともあろうにこの私を見下しブラックワークの王座に君臨した!そればかりではない、卑しき雑種の分際で私の背中を切り刻み生涯消えない傷痕をつけた。
私から奪い取ったナイフで鼻歌まじりに上着を切り裂き背中を切り刻み人生最大の屈辱を与えたのだ!!」
サーシャが勝ち誇ったように口角をつりあげる。
「だが、やつも今や私の犬だ。主人の言うことに忠実かつ従順な去勢された犬だ」
犬。
レイジが犬?
木刀にナイフが切りこみ、上下で力が拮抗する。ナイフを押し返す力と木刀を押しこむ力とはほぼ互角、どちから一方が腕の力を緩めればその瞬間に勝負が決する。サムライの動揺を誘う魂胆か、いや、たんにレイジを罵倒するのが楽しいらしいサーシャが炯炯と眼光を強める。
「お前ら東の犬どもの首領がどれだけ淫らな男か教えてやろうか。私に組み敷かれどれだけ淫らに喘いだか、両手でシーツを掻き毟り全身に薄らと汗をかきいやらしく上気した顔で私に挿入を懇願したか」
「嘘だ!」
やめろ聞きたくない、そんなことは知りたくない。耳を塞ぎたい衝動にかられて叫び返せば、演説を邪魔されたサーシャが不快げに目を細める。
「嘘なのものか。東の王は私のもとに下った、今や主の命令に絶対服従の飼い犬だ。たまに反抗することがあれば拷問部屋の鎖に繋いで存分に調教し上下関係を叩き込む、それが北の流儀だ」
「胸糞悪い流儀だな」
サムライが吐き捨てる。木刀を両手で支えた体勢から身を捩り、背後の僕と壁際のレイジとを見比べる目には憂慮の色。自暴自棄のレイジを真摯にいたわる半面、サーシャのもとへ下ったことを嘆く悲痛な色。
サムライも顔には出さないがずっとレイジのことを心配していた、レイジが消息を絶ったこの数日間というもの食堂では正面の空席が気になりろくに箸も進まなかった。
そのレイジが北棟にいた。
東の人間を犬扱いしてはばからない、最も冷酷なトップのもとに匿われていたのだ。
驚愕・混乱・当惑・幻滅・憤怒……数日ぶりにレイジと対面した僕とおなじく、さまざまな感情が胸に渦巻いているのは想像に難くない。苦渋の面持ちで押し黙るサムライを傲然と見下し、優越感に酔ったサーシャが哄笑をあげる。
「お前の背後に匿われている犬も私が飼ってやろうではないか。東京プリズンでは珍しく毛並みの良い犬だ、物覚えもよさそうで芸の仕込み甲斐がある。そうだ名案を閃いたぞ、レイジと一緒に拷問部屋の鎖に繋いで飼ってやる。一生飼い殺しにしてやる。
主人に逆らえば鞭打つぞ、それでも懲りぬならナイフで肌を裂く。
餌は犬食いだ。手鎖に縛られた体勢で上体を突っ伏し、みじめに残飯を貪り食え。手を使うのは認めん、犬の分際で人間の真似をし匙やフォークを使うなど滑稽きわまる」
饒舌に妄想をしゃべりたてるサーシャが、驚くべき発言をする。
「『元』東の王は命令に忠実だった。お前も見習え」
にわかには信じられなかった。サーシャが冗談を言ってるのかとも疑ったが、もとから正気の沙汰でないサーシャが嘘をつくわけない。サーシャは以前にもレイジを拷問部屋に連れこんで虐待した。
僕がまだ足を踏み入れたことのない禁断の部屋、北棟のどこかにひっそりと存在する血生臭い部屋。おそらく、レイジに幼少期の記憶を喚起させる悪臭と闇が淀んだ部屋。
一度ならず二度までも、レイジをそこに閉じ込めるつもりか。
ロンの声が届かない暗闇に幽閉するつもりか。
認めない。
「認めないぞ!」
頭で考えるより先に体が動いた。劣勢になりはじめたサムライの横に片膝つき、両腕で木刀を支える。サムライの手に手を重ねるように木刀を握り締め、奥歯を食い縛り、渾身の力で押し返す。
僕の行動に狼狽したのはサーシャだけではない、サムライもまた目を見張っていた。
「僕は犬じゃない、鍵屋崎直だ。レイジは貴様の犬じゃない、東棟の王様だ。鎖に繋がれて飼い殺しにされるなどごめんだ、僕は絶対に東棟に帰る!異論反論は一切認めない、これは予定された未来を述べているにすぎない決定事項だ」
壁に背中を預けて座りこんだままのレイジを振り返る。
「ついでにレイジも連れ帰る。トップ不在だと力の均衡が崩れ東棟の治安が悪化する、東棟におけるレイジの存在は意外に重要だ。貴様が思っているよりずっとレイジは必要とされている。100人抜きを達成するためには彼の力が不可欠、個性が強烈な囚人ばかりの東棟を治めるにはマイペースな王様が適任、僕とて認めるのは癪だが彼には彼にしかできないことがたくさんある」
なにより、レイジを待つ人間がいる。
今も医務室のベッドでレイジの帰りを待ち続ける人間がいる。
「レイジに会わせたい人間を待たせているんだ、天才のプライドに賭けて王様を連れ戻す!」
僕の決意がサムライにも伝わったか、木刀を掴む手に力が加わる。サムライの手のぬくもりを感じ、サムライと心をひとつにし、二人分の力で木刀を押し返す。
油断していたところを突き上げられ、ナイフが弾かれる。
白銀の弧を描いて宙に舞ったナイフをむなしく振り仰ぎ、サーシャが歯軋りする。
「サバーカの分際でよくも……」
「直を犬呼ばわりするのは即刻やめろ」
サムライの目に燐光がともる。
「直は無二の友人、刃に賭けて守り貫くと決めた生涯の友、俺の半身にひとしい大事な人間だ。断じて犬などではない。
今一度直を侮辱すればその時は北の皇帝とて容赦せん……斬る」
「小賢しいヤポーニャめ、皇帝の怒りを思い知らせてくれる」
気迫をこめた双眸でサムライに睨まれ、サーシャが優雅に手を翳す。腕のひと振りで劇的な変化が起き、北の囚人が僕らを包囲する。
「メガネくん!」
リョウの声がした。振り向けば、リョウが羽交い絞めにされ人質にとられていた。
「ちょっとこれなんとかしてっ、北の案内役なんて損な役目引き受けたばっかりにこんな目に遭ってるんだから助けてよ!ねっさっき助けてあげたっしょ、今すぐ恩返しを」
「案内役を承諾したのは君自身だ。君が今そうして羽交い絞めされてるのは自分の注意力散漫が原因だろう。だいたい僕をおいて東に逃げ帰ればそんな目に遭わずにすんだのに前出の会話の時点ですぐさまそうしなかったのが不可解だ」
「バカメガネっ!!」
何故僕が罵られなければならないのか理解に苦しむ。不可解かつ不愉快だ。さっきは僕を庇うふりをしたり今度は助けてくれと注文したり、リョウの言動には矛盾が多い。こんな時でさえなければ徹底的に矛盾点を追求し分析してみたいのだが、北の囚人に包囲され退路を絶たれた現状ではそうもいかない。
「サムライ、策はあるか」
輪の中心にサムライと背中合わせで追い詰められた僕。
「ある」
「なんだそれは、あるなら具体的に説明しろ」
生きて北を脱する策があると明言したサムライに畳みかければ、無言のまま木刀を正眼に構える。
いやな予感がした。
「実力行使で正面突破」
いやな予感は往々にして的中する。木刀を正眼に構えたサムライがとんでもない無茶をしようとしてると察し、振り向きざま声を荒げる。
「なにを考えてるんだこの低脳、実力行使の正面突破など無策の代表例じゃないか!いいかよくまわりを見回し冷静に考えろ、相手は何人いる?ナイフの名手サーシャ率いる北の囚人三十名前後、この大人数を相手に無傷で切り抜けるなど不可能だ。つけくわえればここは広さに制限がある渡り廊下、監視棟の時ほど上手くいくはずがない。重傷を負えばペア戦に影響が、」
「黙ってついてこい」
有無を言わさず命令したサムライが、少し首を傾げ、僕の目を見据える。
「お前が隣にいれば、俺は無敵だ」
臆面もなく恥ずかしい台詞を吐くサムライに動揺し、何故だか頬が熱くなる。だがサムライは本気だった。言葉には信念の重みがあり、眼光は真剣だった。
武士に二言はない、サムライは嘘をつかない。
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「まったく頑固者だな。君のように強情な男を友人にもった僕の身にもなってみろ」
「すまん」
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