少年プリズン

まさみ

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二百十九話

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 「お待ちかね、ロンくんの登場だね」
 ビバリーの肩越しに液晶画面を覗きこむ。
 薄暗い房の中、青白く発光する液晶画面に映し出されたのは地下停留場の映像。
 より正確に言うなら囚人でごった返した地下停留場の中央にある正方形のリングで、リングの真ん中では二人の人間が睨み合ってる。ゴングが鳴る前から喧嘩腰でガンとばしあう二人はどっちも東棟の人間。
 片や三百人の同朋を従える大派閥のボスの凱、片や台湾と中国の混血でどっちからも除け者にされてる可哀想なロン。
 立場も境遇も全然違うふたりが今日のよき日にリングで血生臭い死闘を演じることになるなんて誰が予想したろう?一週間前には誰も予想しえなかった意外な展開だからこそ関心もいや増すらしく、カメラの可視範囲には大勢の人間が映りこんでた。 
 金網にしがみつき金網によじのぼりあるいは床にしゃがみこみ、今か今かと試合開始の瞬間を待つ観客に「おつかれさま」と微笑みかけてやる。
 画面越しに微笑んでも気付かないだろうけどね。
 「映像受信ぐあいは良好、音声はどうっスかね」
 床に座りこんだビバリーがヘッドホンを装着し、ノリノリでリズムをとる。落ち着きなく体を揺らすビバリーがキーをひと撫で呪文をかければあら不思議、ボリュームが上がって会場の音声がはっきり届く。罵声と怒声と揶揄が飛び交う喧騒がスピーカーからもれだして臨場感満点だ。
 『Great!』
 二人同時に歓声をあげ、手のひらを打ち合わす。地下停留場が人で賑わい始めるまえ、金網の檻が出来上がった直後に盗聴機とカメラを取り付けにいったビバリーがにんまりほくそ笑む。
 「どうスかリョウさん、房にいながらにして観戦気分が味わえるなんて贅沢でしょう。僕の人脈とひらめきに感謝してくださいス」
 「サンキュービバリー、愛してるっ」  
 ビバリーの首に腕を回せば、「気色悪いから離れてください」とつれない返事。感謝のキス拒否発言にふくれっ面をしてビバリーの隣に膝を折る。
 「キスは冗談としてビバリーにはほんっと感謝してるんだ。ちびな僕のために特別サービスで盗聴機とカメラを仕掛けてくれて……ビューティフルでグレイトフルな友情に涙がちょちょぎれるよ。持つべきものは世界を震撼させた天才ハッカーの相棒だね」
 「いえいえそれ程でも」
 「それ程でもあるって!なんだっけ、きみがばらまいたウィルスの名前。マザーテレサとシスターアンジェラだっけ」
 「ブラザーマルコムとファーザーキングっス!」
 そうだった。ビバリーがばらまいたコンピュータウィルスの名前はブラザーマルコムとファーザーキング、言うまでもなくマルコムXとキング牧師に由来してる。マルコムXはともかくキング牧師の名前を借りるなんてバチ当たりだね、なんて感想はおくびにもださず気を取り直して画面を見つめる。
 明晰な画面の中、リング中央で対峙したふたりはやる気満々にゴングの合図を待っている。ふと、ロンがへんな格好をしてるのが目に入る。赤いヘッドギアを装着してグローブをつけたボクサーみたいな格好。 
 「コスプレ?」
 格好つけたロンに失笑する。似合ってるんだか似合ってないんだか微妙な線だ。それにしてもあんな物どっから持ち出したんだと不思議に思えば、審判がゴングを鳴らす寸前に「ちょい待ち!」と飛び入り参加したガキがいる。野次馬どもが好奇心むきだしで注視する中、一触即発でガンつけあうロンのあいだに割って入ったのはでかいゴーグルをかけた短髪の少年。
 西の道化ことヨンイルだ。
 「なになに?ボリューム上げてよ」
 「イエッサー」
 ビバリーをせっつけば、ふざけた返事とともに会場の音声が届く。
 『かたっぽだけヘッドギアしてグローブはめてやる気満々でも片っぽ素手やったら肩透かしや、ほら、お前にもコレ持ってきてやったさかいあんじょー気張りや』
 『頭沸いてんのか西の道化。ボクシングの真似事なんか興味ねえよ、俺は素手でやらせてもらうぜ。コスプレで恥さらすのは半半一匹で十分だろうが。俺には三百人の子分がいるんだ、んなみっともねえ格好できるかよ』
 『みっともねえって言うな、俺だって好きでこの格好してるんじゃねえ。ホセがどうしてもって言うから仕方なく』
 『じゃかあしいワレいてもうたるど。しのごのぬかさず言うとおりにせえ。素手で殴り合うだけじゃ芸なしでつまらん、たまには趣向変えてサービス精神発揮してもバチあたらんやろ。なあ頼む、コレ付けて。力石VSジョーも宮田VS一歩の対決が見たいんや俺は、ボクサーがグローブせえへんでどないする!?』
 「……なに言ってんのヨンイル」
 「理解不能っス」
 パソコンに届いた映像を見た限りでは、グローブとヘッドギアを抱えたヨンイルが駄々をこねてるらしい。リングの真ん中で地団駄踏むトップの姿を見かねたか、『恥ずかしいからやめましょうよヨンイルさん、西の恥さらしですよ』『漫画と現実ごっちゃにしないでください』と西の人間が数人駆けこんでくる。『はなせ、はなさんかい、宮田VS一歩の対決見るまで死ねへんで俺は!』と暴れながら、数人がかりでリング外に連れ出されたヨンイルが足元に落としていったグローブとヘッドギアを見下ろし、凱がため息をつく。
 『……西のトップたっての頼みとあっちゃ断れねえな。まあいいや、グローブつけてようが素手だろうが結果は変わんねえ。半半の口から一本残らず歯ァとって俺のモンぶちこんでやるよ』  
 『その言葉そっくり返すぜ、裸の王様』
 凱がグローブとヘッドギアを身に付ける。西の道化の要望で、本日の初試合はボクシングとなるらしい。審判をあいだに気迫をこめた目つきで睨み合う凱とロンに会場の緊張が高まる。
 「レディゴー」
 ゴングが高らかに鳴り響く。試合開始。ビバリーと並び、画面を見つめる。リングの死角に取り付けられた超小型カメラがロンの背中を映す。カメラは遠隔操作が可能だ。二人とも場数を踏んでるだけあり、戦いの火蓋が切って落とされてもすぐには行動にでず慎重に隙を窺っている。先走りは命取り、あせりは禁物。 
 動きの少ないロン達からビバリーに視線を転じ、さりげなく訊ねる。
 「鍵屋崎はどこかな」
 「リング脇にいるんじゃないっスか」
 「カメラ動かしてみて」
 カメラの角度が変わり、視界からロン達が消える。横に移動したカメラの視界に映りこんだのは金網越しに試合を見守る応援席の面々で、その中には鍵屋崎もいた。隣には用心棒のサムライがついてる。心なし鍵屋崎の顔色が悪い気がしたけど、顔色のいい鍵屋崎なんて見たことないからそんなに気にならなかった。
 違和感を覚えたのは、当然いるべき人物の姿が見えないことだ。
 「……変だね。我らが王様はどこ行ったの、いとしのロンちゃんの晴れ舞台だってのに」
 「本当だ。レイジさん見当たりませんね」
 金網越し、緊張の面持ちでリング中央を見つめる鍵屋崎と、そんな鍵屋崎に心配そうに寄り添ったサムライという仲睦まじい光景がなんとなく気に入らない。ロンの初試合にレイジが姿を見せないのは不自然だ。ロンに甘々な王様なら当然デビュー戦に駆け付けるはずなのに応援席に姿がないとなると、考えられる可能性は。
 「サーシャといちゃついてたりして」
 「冗談きついっスよリョウさん。北と西のトップが犬猿の仲なのは有名な話っス、サーシャさんとレイジさんがいちゃついてるのが事実なら東京プリズンがひっくりかえる前兆っス。マグニュチュ―ド7の地震がきます」
 「わかってるよ、ほんの冗談。サーシャとレイジがそんなことになるなんてゴシップのネタでも信憑性ないしね。マジバナだったら面白いけどさあ」
 「想像したくないっスねえ」
 僕が真っ先にレイジとサーシャの仲を疑ったのはボイラー室のことが頭にあったからだ。レイジとサーシャが二人ともリング周辺にいない奇妙な偶然の一致が合意の必然だとしたら面白いな、と想像が飛躍しただけ。ロンのデビュー戦をフケたレイジが人目につかないところでサーシャといちゃついてるんなんて本気で考えたわけじゃない、ぶっちゃけありえないっしょそれは。
 「……サーシャがいないなら直接試合見に行ってもよかったかも」
 「……リョウさん、あんたってひとは人の苦労を水の泡にする爆弾発言をさらりと」
 床に手をつき、ラクな姿勢で足を崩す。鉄扉の外からは物音ひとつ聞こえてこない。囚人が皆出払ってるせいか廊下はしんと静まり返ってる。裸電球の下、隅々まで光の届かない房の真ん中にビバリーと二人ぼっち、肩を寄せ合い画面を見つめる。
 「僕が地下停留場に行くの渋った最大の理由、背がちっこくて毎回ひどい目にあうってのも勿論だけどサーシャと顔合わせたらどんなお仕置きされるかわかんなくてブルッたってのもあるんだよね。ほら、試合会場には東西南北の囚人が集まるし誰といつすれ違ってもおかしくないじゃん?事実こないだもレイジに絡んでるサーシャ見かけたし、念には念を入れて対応策考えとかなきゃ」
 「リョウさん裏切り者ですしねえ。今まで賢く逃げ回ってたけど、会場でつかまえられたら言い逃れできませんね。ナイフで顔切り刻まれてどの棟の誰だかわからなくされたうえに裏通路に死体遺棄が妥当スか」
 「僕は常に利用価値のある人間の味方だよ」
 人聞きの悪いビバリーに飄々とうそぶく。こないだは好奇心に負けてサーシャとレイジについてったけど、監視塔の一件以降サーシャとの邂逅はできるだけ避けたいのが本音だ。蛇のように執念深いサーシャならレイジに敗北したのは僕のせいだと逆恨みしてるだろうし、見つかり次第ナイフで喉かっさばかれるのは確実。
 いや、それだけじゃない。
 「こないださ、ユニコ取り戻しにきたヨンイルにうっかりバラしちゃったんだよね。いつだったか、ビバリーが囚人の個人情報データベースハッキングして呼び出した資料あったでしょ?アレに掲載されてたサーシャの生い立ちを」
 「リョウさん口軽すぎ」
 「仕方ないじゃん。ヨンイルすごい怒ってたし、ケツの穴に指つっこんで奥歯がたがた言わせただけじゃおさまりそうになかったし……サーシャの秘密教えたげるからカンベンしてよ、ね?っておてて合わせて命乞いしたんだよ。東京プリズンに四人っきゃいない自分と肩並べるトップの生い立ち、気にならない方が嘘だもん」 
 「人の生い立ち話本人の承諾なくぺらぺらしゃべってデリカシーに欠けます、反省してください」
 「はあい、反省します」
 ビバリーに叱責され、反省するふりで舌を出す。ヨンイルはおしゃべりだから今ごろは別の人間にサーシャの生い立ち話が伝わっててもおかしくないけど、まあ過ぎたことを悔やんでもしょうがない。サーシャにバレたらと考えるとおっかないけど、要はバレないよう上手く立ちまわればいいんだ。大丈夫、要領よく逃げ回るのは子供の頃からの得意技だ。これまでもこれからもしっぽ掴まれることなく上手く逃げきってみせる、まあ見てなって。
 画面で動きがあった。
 「!」
 先に動いたのは凱だった。
 睨み合いに焦れて特攻、猛然とロンに殴りかかる。おたけびを発して突進した凱が大きく腕を振りかぶりロンをぶん殴ろうとするが、すばしっこいロンは敏速に反応。顔面ぶん殴られる寸前に軌道を脱し、難なくかわす。反感を持った凱が次々にパンチをくりだすが、ロンは物怖じせずこぶしを見極めて軌道を読んで右へ左へと素早く移動する。
 「やるね」
 口笛を吹く。前からすばしっこいヤツだったけどこの一週間で格段に動きがよくなった。やればできる子じゃないか、と感心した僕の隣じゃビバリーが「イエア!」と興奮してる。眩い照明に晧晧と映えるリングにて、凱を相手にロンは健闘してる。レイジとサムライには劣るとはいえ凱は東棟で三番目に強い男だ。こぶしが威力を発揮する肉弾戦ではサムライをも上回ると一部じゃ噂される。その凱を相手に、試合開始十分が経過しても一発も貰わず逃げ回ってるんだからロンも大したものだと拍手を贈りたくなる。
 ま、逃げ回ってるだけじゃ勝てないけど。
 悪戯心が芽生え、ビバリーの肩をつっつく。
 「どっちが勝つか賭ける?」
 「賭けになりませんよ」
 「どっちが勝つか一緒に言ってみる?せ―の、」
 「「凱」さん」
 ぴたりと声が揃った。ロン残念。予想に反してなかなかやるねと見直されてるはいるけど期待はされてないロンが不憫で忍び笑いをもらせば、画面の中で歓声が爆発する。
 「?」
 なにが起こったんだと身を乗り出せば、画面の中じゃ予想外の事態が起きていた。素早い動きで凱を振りまわしていたロンが、凱が腕を振りかぶり体勢を立て直すまでの時間差につけこみ反撃に転じ、凱の鳩尾にこぶしをめりこませていた。抉りこむような一撃に顔を苦悶にゆがめ、よろけた凱に肉薄して今度は顔面にパンチをお見舞いしようとする。
 まさか、決着?
 「そりゃないっしょ、凱の勝利に3万賭けた僕の立場は!?」
 「そりゃないっスよ、凱さんの勝利に1万5千賭けた僕の立場は!?」
 ビバリーと同時に立ち上がり、パソコンを揺さぶって文句を言う。万一凱が負けたら大損だ、冗談じゃない、僕の三万円を返せと怒鳴りかけたその時だ。
 鳩尾の打撃に耐え、足腰踏ん張った凱が憤怒の形相で顔を上げる。好戦的にぎらついた目が殺気を放ち、一気呵成に凱の間合いにとびこんだロンが「しまった」という顔をした時は既に遅く、その右頬にこぶしが炸裂。
 ロンの体が軽々吹っ飛んだ。 
 ロンと凱の体格差は歴然、それこそ大人が子供を相手にしてるようなもんで体重も倍は違う。小柄なロンなんか鉄拳の一撃で脳震盪を起こしたっておかしくない。凱のパンチの威力は絶大で、画面越しに見てる僕にも総毛立つ迫力が伝わってきた。
 凱が一矢報いたことにより中国人多数派の会場は大いに盛り上がり、「いいぞ凱、生意気な半半に目に物見せてやれ!」「台湾人はクズだ、クズはクズらしく死んでろ!」と嘲笑に沸く。
 ロンの味方は少ない。
 「王様がついてりゃ心強いだろうに」
 ほんのちょっとロンに同情する。レイジの姿はどこにもなく、ロンはひとりぼっちで戦ってる。唇の端に血が滲んだ悲痛な顔で、負けず嫌いの本領を発揮して唇を噛み、強気な眼差しで凱を睨みつける。
 『無簡単』
 小声でロンが呟いたが、何て意味だかさっぱりわからない。台湾語は範疇外だ。
 「ちょ、勝手にいじんないでくださいよ!」
 「ボリュームおっきくするだけだよ。ズームアップはどうするんだっけ」
 ビバリーの抗議を無視し、キーに指をすべらす。見よう見真似でキーを叩いてみたけどカメラが遠隔操作できずに当惑した僕に激怒したビバリーがパソコンを両腕に抱え込む。
 「汚い手でマイラバーを蹂躙するな、ロザンナは僕の指じゃないと感じないボディなんス!」
 僕の魔手からいとしのロザンナを庇うようにひしと抱きこんだビバリーの懐から何かが落下。
 驚愕のあまり言葉を失う。
 ビバリーが懐に隠し持っていたのは、銃だった。
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