少年プリズン

まさみ

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二百十一話

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 「鍵屋崎!」
 いつのまにか背後に回ったサムライが肘を掴む。ワンフーを殴ろうと腕を掲げた僕は、サムライに肘を掴まれた不自然な体勢で固まる。
 「……手をはなせ。僕は今、脳細胞の六割が蒸発しそうなほど怒っている」
 平板な声とは裏腹に僕の胸裏には激情が荒れ狂っていた。怒りと嫌悪と憎悪が綯い交ぜとなった暴力衝動。ワンフーが許せない。彼の出来心とやらのせいで安田は窮地に追い詰められた、ひとつ間違えば東京プリズンを追われるかもしれない立場になったのだ。安田は売春班の境遇に同情し、タジマを公平に裁き、東京プリズンでも正義が行われる可能性を現実のものにしてくれたのに。
 僕ら囚人に希望を持たせてくれたのに。
 「……安田が貴様になにをした?なにもしてないだろう。貴様の出来心のせいで安田は、」
 言えない。言えるわけがない。ワンフーの出来心が発端で、安田が東京プリズンを永遠に去るかもしれないなんて。口にだせば最後、最悪の想像が現実化するかもしれないじゃないか。深呼吸し怒りを静め、少しだけ冷静さを取り戻す。サムライに促されてこぶしをおさめ、低く呟く。
 「………話はわかった。無責任に銃を放置したあとは、その行方について何ら知りはしないと、君はそう証言するわけだな。ならもう用はない」
 壁に背中を預けたワンフーが痣になった首をさすりながら、怯えと不審が入り混ざった顔で僕を見つめる。これ以上ワンフーの顔を見ていたら何をするかわからない、また首を絞めてしまうかもしれない。用を追えたからには一刻も早くこの場を立ち去るべきだ、これ以上この場に留まっていても利益ある情報は入手できないのだから。
 ワンフーに背を向け、あ然としたスリグループに声なく見送られ、混乱した頭を整理すべく足を進める。
 ワンフーの証言が本当だとするなら、銃は既に見つかっていなければおかしい。ペア戦が行われたのは四日前の夜。翌朝にはバスは出払ってしまうのだから、銃がそのままバスの下に留まっていればその時点で発見されるはず。しかしいまだに銃は行方不明、安田から銃をスッた犯人のワンフーも銃を手放したあとは行方を知らないという。 
 ……ということは、四日前の夜から三日前の朝にかけて、銃はすでに誰かの手に渡ったことになる。
 安田の銃が喧嘩に使われて死傷者がでれば手遅れだ。安田は失職を免れず、副所長の椅子を追われる。
 「くそっ、どうすればいいんだ!!」
 苛立ちが頂点に達し、こぶしで壁を殴りつける。震動にこぶしが痺れたが痛みさえ感じなかった。状況は時間経過にともない悪化する一方だ。日が経てば経つほど僕には不利だ、すでに銃は誰かの手に渡り隠匿されたものとみて間違いない。平常心を失った僕の傍ら、物言わず付き従っていたサムライがふいに呟く。
 「……そうまで安田が心配か」
 「心配してるんじゃない。捜索は僕の自発的行為、そう、レイジのバスケットに付き合うのとおなじ退屈しのぎの暇潰しだ」
 「退屈しのぎの暇潰しのわりには焦っているみたいだが」
 「……貴様、僕を馬鹿にしてるのか」
 違う、冷静になれ、頭を冷やせ鍵屋崎直。こんなのただの八つ当たりだ、サムライは何も関係ないじゃないか。壁にこぶしを置き、ゆっくり深呼吸して沸騰した頭を冷ます。そして、ワンフー事情聴取の場に居合わせたサムライが安田の銃盗難事件を知った事実に思い至る。その割には動揺してないように見えるのは、心を読みにくい無表情のせいか。落ち着き払ったサムライを一瞥、壁に背中を預けて呼吸を整え、言う。
 「……聞いてのとおりだ。安田の紛失物は銃だ。安田の銃が人に向けて発砲されれば、安田は責任を逃れられず東京プリズンを辞めることになる。安田の失職を防ぐため、僕は一刻も早く銃を取り戻さねばならない」
 「ずいぶんと安田に肩入れするな」
 「安田は、」
 言葉が続かず、気まずく顔を伏せる。背中に固いコンクリートの感触。サムライは僕が口を開くまで、ただ黙って正面に立っていた。急かすでも問い詰めるでもなく、僕の心の整理がつくまで静かに寄り添ってくれた。足元の床を見つめ、心の奥底に沈んだ言葉をさらう。安田に対するこの感情を何と表現すればいいのか、親愛の情でもなく尊敬の念でもなく、いや、そのどちらでもあるような気さえする複雑な心情。
 近いようで遠いような独特の距離感。 
 「……うまく言えないが、僕は安田を失いたくない。五十嵐ほど親身ではなくタジマほど横暴でもなく、安田は常に一定の距離をおいて囚人に接する人間で、僕はその距離感がいちばん心地いい。正直僕は東京プリズンの副所長としていちばん相応しいのは安田だと思ってる。銃を紛失したのは安田の不注意だが、それが原因で安田が東京プリズンを去ることになれば僕は」
 僕はなんだ、何が言いたいんだ。自分でもよくわからない。今はただ、安田に去られるのが怖い。戸籍上の両親にさえ心を開かずにいた僕が安田には次第に心を許し始め、恵のことやサムライのことを打ち明けるようになった。
 安田はたぶん初めて僕が認めた大人で、安田が東京プリズンを去ることになれば僕は。
 「……僕は、残念だ」
 サムライは無言で僕を見守っていた。荒廃した廊下に沈黙が降り積もり、背中を預けた壁が冷たさを増す。天井の蛍光灯が点滅する下、薄暗がりの廊下で対峙したサムライが一歩を踏み出す。
 「……ならば、辞めさせなければいい」 
 「!」
 ゆるやかに顔を上げる。僕の正面に立ったサムライが淡々と、さも当然のことのように言う。
 「なにも案じることはない。銃はまだ使われたわけではない、必ずや東京プリズンのどこかにあるはずだ。たしかに東京プリズンは広いが、それがどうした。東京プリズンの誰かが銃を持ってる可能性が高いならその人物を見つけ出し取り戻すまでだ。銃が手元に戻れば安田は辞表を出さなくてすむ、お前も哀しまずにすむ」
 驚いた僕からわずかに視線を逸らし、サムライが付け足す。真摯で誠実な口ぶりに、不器用な思いやりをこめ。
 「……及ばずながら、俺も助太刀する」
 まるで、僕を哀しませたくないと言ってるように聞こえた。
 協力者としてサムライが名乗りでてくれたことは心強いが、これ以上迷惑をかけたくない。たださえサムライには週末のペア戦が控えているのだ、僕が持ちこんだトラブルに巻き込みたくはない。目に浮かんだ逡巡の色で僕の葛藤を読んだのか、僕が口を開く前にサムライが先回り。
 「直。改めて言わせてもらうが、これは俺の意志だ。誰に強制されたからでも命令されたからでもない、俺がしたいから、お前の力になりたいから助力を申し出たんだ。……あの時とおなじように」
 『あの時』がいつを指してるのが、すぐにわかった。
 売春班の仕事場、パイプが錆びたベッドの上で、スプリングを軋ませながら。僕の上に覆い被さったサムライが乾いた唇で慣れない愛撫をし、首筋をたどり、鎖骨にふれ。  
 『頼むから、俺を頼ってくれ』
 あの時耳に注ぎ込まれた思い詰めた声音がよみがえり、僕は決意を固めた。
 「……探偵助手には心もとないが、いないよりはマシだな。ワトソン程度の活躍は期待してる」
 不安を打ち消すように笑みを浮かべれば、サムライも応え、心強く微笑する。しかしすぐに笑みを消し、憮然とした顔になる。
 「……助太刀に際して一言言っておく。これからは俺の目の届くところでも届かないところでもなれなれしく他の男に体をさわらせるな」
 「は?何故そうなるんだ」
 わけがわからない。僕が他人と接触して、それのどこに不利益を被るというんだ?サムライには関係ないじゃないか。唐突な話題転換に困惑した僕と意思疎通できない不満を募らせ、サムライの目に険が宿る。
 「危険だからに決まっている。お前は警戒心がたりん、食堂では他の男に肩を抱かれるがままになり抵抗ひとつせず……俺が手を出さなかったらどうなってたか自覚はあるか」
 「それも考慮していた。体を代償に情報が得られるならいいじゃないか」
 「良いわけがない」
 「売春班で男を知ったんだ、普通じゃないセックスを体験して男を受け入れるのにも慣れた。僕の体と引き換えに情報入手できるなら安い、」
 「直!!」
 廊下中に大声が響き渡り、肌に痛いほどに空気が震動する。
 鼓膜が割れるほどの大音声で怒鳴ったサムライに体が竦み、驚愕に目を見開く。正面のサムライが怒りもあらわに、青白い殺気を放つ双眸でまっすぐ僕を見つめる。
 「お前がよくても俺が不愉快なんだ。いいか、俺を助手にするなら軽軽しく他の男に体を許すな。自分の体を粗末にする真似は許さん」
 「小姑みたいだな」
 「友人としての忠告だ」
 「粗末にするな、か。『汚れたら洗えばいい』と言ったのは君じゃなかったか、それともやはりこんな汚れた人間を友人に持つのは……」
 「お前は汚れてなどない、その考えは今も変わらない」
 一呼吸おいたサムライが耐え難く悲痛な目で僕を見据え、苦い声で吐き捨てる。
 「……しかし今のお前は、率先して自分を汚そうとしてるみたいだ」
 顔をぶたれた気がした。
 姿勢を正して僕へと向き直ったサムライが、僕の肩に手をおき、まっすぐに顔を見る。自分を偽ることない潔白な眼差し、一文字に結ばれ強靭な意志を感じさせる口元。僕の肩を握り締め、正面に視線を固定させたサムライが、この上なく大事なことを告げるように口を開く。
 「約束してくれ、直。今後は決して他の男に抱かれないと、自分を粗末にしないと」
 「……わかった」 
 サムライの目があまりに真剣で、手にこめられた力が強く、もはや言い逃れできずに頷く。サムライの手が緩み、唇から安堵の吐息が漏れた。そしてサムライは僕の肩に手をかけたまま、念を押す。
 「約束を反故にすれば斬るぞ」
 「待て、君が言うと冗談に聞こえないのだが」
 「本気だ」
 「斬られるのはぞっとしない、針千本にまけてはくれないだろうか」
 サムライの目は真剣だった。よもや木刀で斬られることはないと思うが、サムライは有言実行の男だ。約束を破った場合、斬られる可能性を否定できずに動揺した僕は妥協案で手を打とうとする。しばし思案の末、「仕方ない」とサムライが頷きホッとする。針千本の入手経路には考え及ばなかったようで、サムライが馬鹿で助かったとこっそりほくそ笑む。
 そうだ。
 「サムライ、君に頼みがある。剣を教えてくれないか」
 唐突な申し出にサムライが戸惑うが、この機を逃さずに続ける。
 「僕もペア戦参戦表明をしたんだ、いざという時身を守るために剣の使い方くらい学んでおくべきだろう。僕にはIQ180の天才的頭脳という素晴らしい武器があるが、腕力で勝る敵を相手にするには自己防御のひとつくらい身に付けておかなければリングに上がる資格はない」
 「だから剣を学びたいと?」
 「そうだ」
 本当はそれだけじゃない。サムライの負担を減らすためには、僕自身強くなる必要があると痛感した。せめて自分の身は自分で守れるくらいに強くならなければこれまで同様これからもサムライの足を引っ張ってしまう。
 それだけはいやだ、絶対に。僕のプライドが許さない。
 僕の決意が固いと悟ったのか、束の間黙考した末に諦念の嘆息。サムライが柔らかく苦笑する。
 「強情だな。お前は一度言い出したら聞かない男だ、翻意させるのはむずかしい。自分の身を守る方法くらいは写経の手が空いたときにでも伝授してやろう」
 「強情なのはお互い様だ」
 「似た者同士ということか」
 サムライに誘われるように苦笑し、締めくくる。
 「『類は友を呼ぶ』だ」 
 とはいえ、事態はなにも進展してない。
 安田が紛失した銃の行方は杳として知れない。一体東京プリズンのだれが、何の為に、安田の銃を持ち去ったのだろうか。
 用心棒兼助手を得ても名探偵への道のりは遠い。
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