少年プリズン

まさみ

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二百十話

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 「用心棒など不要だ」
 「放っておけばまた厄介ごとに巻きこまれるに決まっている。同じ房のよしみとして無視できん」
 「ロンのお節介が伝染ったんじゃないか?きみの心配性も重症だな」
 怒っているにもかかわらず、僕が話しかければ律儀に答えを返すサムライを鼻で笑う。
 「心配性ではない。現にお前をひとりにすればまたさっきのように、」
 「なんだ」
 余程言いにくいことなのか、そっぽを向いた横顔は苦渋に歪んでいた。てこでも本心を明かさない頑固なサムライにため息をつく。さっきからずっとこの調子で会話が成立せず手におえない。サムライが一度へそを曲げるとなかなか直らないことはレイジとの予想外に長引いたレイジとの不和で痛感したが、自分で体験すると面倒くさいことこの上ない。サムライは元来寡黙な男だから何か不愉快なことがあれば口にだすより態度に表すのだろうが、僕に背を向けて延々墨をすり続ける奇行にはいかに天才といえど対処しようがない。
 あきれ顔であたりを見まわす。現在僕らが歩いてるのは中央棟へと至る渡り廊下。先行するのはさっき食堂でサムライに箸を突きつけられたスリの前科持ちの囚人だ。
 眼光鋭くサムライに脅され、ふてくされた態度でいやいや案内役をつとめる囚人の行く先は知らない。僕はただ彼に従うのみだ。仮に行き先を尋ねたとしても彼の様子じゃまともな会話が成立するはずなく、かえって反感を煽るのは明白。
 焦らずとも目的地はそのうちわかる、と楽観的に構えて足を繰り出せる理由の一つは隣にサムライがいるからだ。
 認めたくはないが、サムライが隣にいてくれると心強い。
 彼の庇護を重荷に思い、友人の負担になりたくないと念ずる自分がいる半面、サムライに守られていることに安らぎを覚える自分もまた否定できない。 
 以前は恵が与えてくれた安らぎを、今はサムライの隣で感じるなんて妙なことになった。
 複雑な感慨に耽る僕の隣でサムライは黙々と歩いてる。食堂の一件から会話が弾まない。いつも無口な侍がいつもよりさらに無口なせいだ。いい加減機嫌を直せ、なにが気に入らないんだと詰問したい衝動をぐっと堪える。大人げないぞ鍵屋崎直、むきになったらこっちの負けだ。頑固で強情なサムライなど放っておけ、お節介にかまうことなどない。
 そう自分に言い聞かせて怒りを静めた僕の周囲が暗くなる。
 「!」
 先頭の案内役がおもむろに廊下を曲がり、その後を無意識に追ったせいだ。唐突に暗くなったのは蛍光灯の殆どが割られて照度が落ちているせいで、荒廃したコンクリ壁が冷え冷え続く廊下は不気味に薄暗い。東京プリズンの内部構造は複雑だ。さながら前世紀に香港に存在し、今は伝説上の廃墟と化した九龍城のように大小無数の通路が複雑に入り組み迷宮を形作る。今僕がどこにいるか、現在地がはっきりと把握できないのもそのせいだ。現在地は中央棟のどこか、と漠然としか言えない。
 廊下の最奥は行き止まりで、一際濃く闇が蟠っていた。
 無残に割れ砕けた蛍光灯の破片が廊下に散乱し、荒廃した様相を呈する廊下の終点に数人、いや十数人か人影が群れている。賑やかな話し声、時折混じる笑い声。廊下の行き止まりにはふさわしくない活況を呈した中へ、案内役はためらいなく歩み入る。
 「よう、やってんな」
 「おうチェン、お先に盛りあがってるぜ。誰だよ後ろの客は、新入りか」
 目ざとく背後の僕らを発見した少年が、なれなれしく声をかけてくる。その一言を皮きりに、好奇心旺盛な野次馬が「東の新入りか?」「おまえ前科何件だ、おれは八十二件」「おれは九十件」「先輩の挨拶はないのかよ」とぞろぞろ群がってくる。
 「汚い手で気安くさわるんじゃない、服が汚れるだろう」
 べたべた肘にさわってきた囚人の手を邪険に叩き落とせば、その囚人がむっとする。
 「歓迎してやってんのにその態度はなんだよ、生意気な後輩だぜ」
 「後輩扱いされるおぼえはない」
 「ちっ、」
 舌打ちした囚人が僕から離れてゆく。おそらく他棟の人間だろう見知らぬ囚人に取り囲まれ、輪の中央で立ち竦んだ僕とサムライを振り返り、案内役の少年がにやりと笑う。
 「そいつらは仲間じゃねえよ。聞いて驚け、あの有名な親殺しとサムライだ」
 案内役の発言に周囲の囚人がどよめく。
 「?」
 なんだこの反応は、とサムライと顔を見合す。不審げな僕らをよそに、周囲に殺到した囚人が好奇心と嫌悪感を綯い交ぜにした表情で口々に叫ぶ。
 「マジかよ、これが」
 「東の王様と組んで100人抜き宣言した人斬りサムライとその彼女かよ」
 「てめえを生み育てた両親とち狂って刺し殺して東京プリズン送りになった日本人?」
 「へえ、元エリートってだけあって線細いし色白いしインテリな顔立ちしてんな」
 「日焼けしねえ体質なのか?どれ、下脱がしてみ」
 背後に立った囚人が無造作に僕のズボンに手をかけ、強制的に引きずり下ろそうとする。やめろ、と僕が抗議の声をあげるより早くサムライが行動にでた。木刀を持たずともサムライは強い。僕のズボンを断りなく下げおろそうとした囚人の手首を手刀で痛打、「ぎゃっ!!」と悲鳴をあげさせる。
 「鍵屋崎に触れるな」
 サムライは怒っていた。僕を庇うように立ち位置を移動し、周囲に群がる囚人を睨みつける。考えたくはないが、もしこの場に彼がいなかったら全裸にされていたかもしれない。その点では頼りになる用心棒といえなくもない。
 「知らなかったのか?てんで身に覚えねえって間抜けヅラしやがってよ。お前ら今じゃ東京プリズン中の有名人だぜ」
 大袈裟に両手を広げた案内役が、虚を衝かれた僕とサムライを見比べおどけて言う。 
 「売春通りで100人抜き宣言して、こないだの試合にゃ乱入して参戦表明して。現場に居合わせなかった連中もてめえらの名前と前科くらい噂で知ってるよ。東棟じゃ王様と並ぶ有名人だぜ」
 「なるほど。確かに僕が参戦表明した地下停留場には東京プリズンの約八割の囚人がいた、噂が広まってないほうが不自然だな」
 「どっこい、勘違いすんなよ。お前らに好感もってる物好きは少数派だ」
 仲間が増えて精神的優位を回復したか、サムライが背後にいたときは表だって反抗しなかった案内役が今は好戦的に目をぎらつかせている。危険な兆候だ。周囲の囚人を見まわせば、案内役の言葉を証明するように陰湿な目つきで険悪な雰囲気を醸していた。
 「目立ちたがり屋は憎まれるのが常だ。特にてめえら、腐れ親殺しと時代遅れのサムライ気取りはむかつくんだよ。てめえの肉親殺しちまうような鬼畜のくせに身のほどわきまえずに偉そうに、売春班撤廃だの100人抜きだの寝言ふかしてんじゃねえぞ。売春班撤廃に賛成してるやつなんざお仲間の売春夫だけだ、東京プリズンの囚人の大半は売春班に世話になってんだ、売春班なくなったらどこでタマの汁ぬきゃいいんだよ」
 憎憎しげに唇をねじ曲げて罵倒を浴びせられた僕は、平然と落ち着き払っていた。今や敵愾心をむきだした案内役と対峙し、余裕を見せつけるように腕を組む。
 「君の右手にはスリ以外にも自慰の用途があるだろう。売春班がなくなったら右手の世話になればいい。女性の体に触れることなくペンを握って学習するでもない君の右手にはスリと自慰の用途しかないんだ、折角の機会に活用しなくてどうする?」
 「………!!!」
 案内役の顔が怒りに紅潮、憤然たる大股で僕との距離を縮める。鼻息荒く僕に接近した案内役が耳元で呪詛を吐き、
 「いい気になんだよクソが」 
 「!―っぐ、」
 すれちがいざま、肘打ちを食らった脇腹に激痛が走りたまらず膝を折る。脇腹を庇ってしゃがみこんだ僕の頭上に案内役が嘲笑を浴びせ、周囲の野次馬も笑い声をあげる。痛い。激痛に眩暈がし額に脂汗が滲みだす。すれちがいざま肘で抉られた脇腹には、こないだ凱にスタンガンを押しつけられた火傷がある。まだ傷が癒えてない患部をシャツの上から痛打され、俄かには立ち上がれない僕の痛がりようを大げさにとった案内役が鼻白む。
 「マジで口だけだな、他愛もねえ。脇腹に一撃くらったくらいでしゃがみこみやがって同情引こうって魂胆が見え見え、」
 調子に乗って僕を蹴倒そうとした案内役の前髪が風圧に浮き、額に赤い斜線が走る。斜線から盛りあがった血の雫が、鼻梁に沿い、顎先から滴り落ちる。片手で脇腹を押さえた僕は、もう片方の手でサムライの左肘を掴んで制止。サムライの右手はまっすぐ伸び、その先端には箸が握られていた。
 案内役の額が切れたのは、箸が薄皮を裂いたからだ。
 「……知っているか。気迫をこめれば箸とて剣に代えるのが武士の強みだ」
 サムライは物静かに言うが、とっさに僕が肘を掴んでいなければ額が切れるだけじゃすまなかったはずだ。まったく、剣呑な男だ。僕は事情聴取にきたのだ、喧嘩をしにきたわけじゃない。先走られてはたまらない。深呼吸し、激痛が薄らぐのをひたすら待つ。脇腹から片手を外し、緩慢に立ちあがる。
 額を切られ、顔面蒼白でぱくぱく口を開閉する案内役を正視し、本題に入る。
 「僕は喧嘩をしにきたわけじゃない、話を聞きにきたんだ。君についてくれば他棟のスリグループに面会できる、安田の紛失物の手がかりが掴めると予想して。期待を裏切らないでくれないか」
 「……て、めえ」
 サムライが箸を引っ込めると同時に案内役の顔が醜悪に歪み、気炎を吐く。額を切られた痛みと恥辱に満面を染めた案内役が周囲の仲間を振り仰ぐ。
 「頭にきたぜ親殺しが、無傷で東棟に帰れると思うなよ!!やっちま、」
 「待て!!」
 「え」を言わせずに野次馬の輪から飛び出したのはひとりの囚人。優しげで頼りない顔だちには見覚えがある。売春班で共に生き地獄を味わい、先日のぺア戦では共にロン救出作戦を行ったスリ師のワンフーだ。
 間一髪、僕とサムライを背に庇ったワンフーが凄味を利かせて案内役を睨みつける。
 「勝手に仕切んなよチェン。いつからてめえがリーダーになったんだ、しょぼい前科の持ち主がえばんなよ」
 「な、」
 肩越しに僕を振り返ったワンフーが器用に片目を瞑ってみせる。
 「知ってるか?スリ師の序列はスった財布の数で決まるんだぜ。チャン、おまえの前科は三十件で俺はその倍の倍の倍だ。文句あんなら俺とおなじ数だけ財布スッてこいよ」
 つまり僕たちを案内してきた少年はワンフーよりはるかに格下で、序列が上のワンフーには逆らえないらしい。怒りに震えるこぶしを無理矢理押さえこんだ案内役から僕へと向き直ったワンフーが、事の成り行きに興味津々な野次馬を見回す。
 「聞いたとおりだ。こいつは売春班時代の同僚でいわば俺の顔見知りだ、何の用があっておれらの会合場所にきたんだか知らねえが話くらい聞いてやれ」
 ワンフーの頬にはバンソウコウが貼ってあった。ボイラー室前の廊下で暴れた名残りだ。数日前のペア戦会場にてタジマ更迭に立ち会ったワンフーがぼろぼろだったことを思い出し、小声で聞く。
 「……怪我は大丈夫なのか」
 あの後医務室に運ばれたはずのワンフーが「ああ」と笑顔で首肯する。その顔には錯乱して鏡に突っ込んだ痕跡が残っていたが、何かを成し遂げたように表情は晴れやかだった。
 「心配いらねえよ。見た目ほどひどくなかったんだ、バンソウコウも包帯も明日には全部とれる。凛々がよ、夢ではげましてくれたんだ。夢で膝枕でいたいのいたいのとんでけーのおまじないしてくれたんだ、全快しなきゃ俺の凛々への愛が証明できねえだろうが」
 売春班の隔離房から担架で運び出される際は、虚空に手をのばし恋人の名を連呼するばかりだったワンフーがここまで回復した。人間変われば変わるものだ、と実感する。僕とて例外ではない自覚がある。
 さて、仕切り直しだ。
 他棟のスリグループとこうして面会できたのだから、絶好の機会を逃す手はない。 
 「君たちに聞きたいことがある」
 好奇心と嫌悪と不審と。 
 さまざまな表情を浮かべた囚人の輪を見まわし、物怖じせず顔を上げる。隣にはサムライがいる。いつ何が起きてもいいように、木刀代わりの箸を右手に握り締めている。
 「先日、ペア戦が催された地下停留場にて安田はある大事な所持品を紛失した。その所持品は盗難された可能性が高く、安田本人に気付かれず彼が身に付けてる物品を盗める人間はよほどの腕前のスリという結論に達した。率直に聞く、この中に犯人はいないか」
 僕の重大発言にスリグループがどよめく。ある者は疑心暗鬼に苛まれある者は反発もあらわにたがいに顔を見合わせる。
 「安田のなくしもんってなんだよ?」
 「それは、」
 口を噤む。
 「……言えない」
 「それじゃわかんねーよ!」
 顔を伏せた僕に降り注ぐ非難の嵐。この展開も予測の範囲内だ。安田の所持品が盗まれた、しかしその所持品が何か明らかにできないとなれば公平性を損なうと僕とてわかっている。しかし安田が盗まれたのは拳銃、自分の身を守り人を殺すための武器だ。武器は凶器と同義だ。そんな物騒な物が大勢の人間が居合わせた空間で紛失したとなれば、安田は管理責任を問われ東京プリズンを追われることになる。
 東京プリズンの囚人は口が軽い上に噂好きだ。とてもじゃないが、安田が銃をなくしたなど言えない。
 「言えないが、盗んだ本人にはちゃんとわかっているはずだ。どうだ、身に覚えがある者はないか」
 「知るかよ」
 「なになくしたか言ってくんなきゃ答えようがねえよ」
 「身に覚えだけなら腐るほどあるしな、俺ら」
 周囲の囚人が軽口を叩く中、唯一ワンフーだけが親身に僕を案じてくれた。無駄足だったかと落胆した僕の顔を覗きこみ、励ますように言う。 
 「理由はわかんねーが気い落とすなよ、なくし物ならじき見つかるって。俺がスッた銃だって今ごろ手元に戻ってるはず、」
 ………………………なんだって?
 「今の台詞もう一回」
 耳を疑い、平板にくりかえす。僕ににじり寄られたワンフーが目をしばたたき、当惑顔で口を動かす。
 「え?だから俺がスッた銃も今ごろ安田んとこに戻ってるはず……」
 「犯人は貴様か!!」
 言われるがままに同じ台詞をくり返したワンフーに激怒、衝動的に襟首を掴む。普段の僕らしからぬ暴力的な振る舞いと剣幕にワンフーがぎょっとするが襟首から手をはなさない。頭が混乱し憤怒で視界が赤く染まる。目の前のこの男はこの低脳はなにを考えているんだ、なにを考えて安田の銃をスッたんだと最大の疑問が脳裏で膨れ上がり激情に押し流されるがまま指に力をこめる。
 「貴様なにを考えてるんだ、その頭に詰まってるのは窒素かヘリウムか!?何故安田の銃をスッた、返答次第では許さないぞ!!」
 すさまじい剣幕で僕にどやされ、襟首を掴まれ揺さぶられたワンフーの顔から血の気がひく。普段無表情な僕が冷静さをかなぐり捨て感情を奔騰させ、唾がかかる距離で怒鳴り散らしているのだから動揺して当然だ。いや動揺してもらわなければ困る、僕は本気で怒っているもし今力加減を誤ってワンフーを絞め殺してしまっても後悔はないほどに怒りが沸騰して頭は真っ白で周囲の光景も目に入らない。冷静な判断力を失い感情任せに叫ぶ僕の唾を浴び、ワンフーが首を竦める。
 「え、え?安田のなくし物って銃だったのか?なくし物にしちゃでけえし、てっきり財布か万年筆かと思ってたよ。銃なんて目立つからとっくに手元に戻ってると、」
 「言い訳はいい無責任な言い逃れなど聞きたくない、僕が聞きたいのは盗難の動機と現在の在り処だ!何故安田の銃を盗んだ、吐け!」
 「ほ、ほんの出来心だったんだ!信じてくれ嘘じゃねえっ、あん時たまたま安田が近くにいて……ボイラー室に通りかかった安田が俺たちをお付きの看守に運ばせて地下停留場に連れてきてタジマを処分したろ?あん時だよ、盗んだのは」
 あの時ワンフーは安田の最寄りにいた、安田の背広から銃をスるなら至近距離がベストだ。ぎこちない作り笑いで顔面をひきつらせたワンフーが、どうにか僕を宥めようと苦しい言い訳につとめる。
 「スリ師のサガってのかな……後先考えずに指が疼いて手が動いちまって。ただの囚人が副所長とお近づきになることなんて滅多にねえし、緊張してたのもあんだけどそれよりドキドキして。安田がいつも拳銃持ち歩いてることは知ってた。で、安田が油断してる今ならひょっとしたらスれるんじゃねえかって、そう閃いたら我慢できなくなっちまって」
 ワンフーの顔にあまり反省の色はなく、口ぶりは飄々としてさえいる。その態度が僕の反感をかきたて火に油を注ぐとも気付かずに愚かなワンフーが続ける、卑屈な愛想笑いとともに。
 「東京プリズンにぶちこまれてだいぶ経つから、スリの腕なまってねえか確かめたくなったんだよ。お前に言われて五十嵐から鍵スる大仕事やりとげたあとだったし興に乗ってる今ならできんじゃねーかって、うまくすりゃ安田に気付かれずに銃をスれるんじゃねえかって……猛烈に試したくなったんだ。安田には悪いことしたけど、」
 「悪いことだ?ふざけるなよ」
 ふざけるなこの低脳が、後先考えずに行動し人に迷惑をかけたくせに何をぬけぬけと。安田を窮地に追い込んだ張本人が今僕の前でぬけぬけと弁明してる、悪気はなかったと、悪い癖がでちまっただけだと反省の色などなく飄々とうそぶいてるのが我慢できない。ワンフーの胸ぐらを強く強く掴む、指が白く強張るほどに上着を締め上げワンフーの顔に顔を近付ける。鼻の先端が接する距離でワンフーを覗きこめばワンフーの吐息で眼鏡のレンズがぼんやり曇る。
 「忘れたのか?安田は僕を、僕たちを助けてくれたんだぞ。ボイラー室前で懸命に戦ってた君を助けてくれた恩人だぞ、タジマの横暴を裁いて僕らを救った公平な男だぞ!?恩に仇を返すとは貴様の行為をさす言葉だな、恩を仇で返す指など良心的に切り落としてしまえ!」
 頭が沸騰する。はげしい口調で罵れば、ワンフーの目が当惑に揺れる。何故僕がこれほど怒っているのか、何故これほどまでに自分が怒られてるのかよくわかってない顔だ。副所長の銃を盗むことでただ純粋にスリの力量を試したかっただけ、というワンフーの主張に嘘はない。嘘がないぶんタチが悪い。 
 ワンフーの襟首を掴んだ手に力をこめ、背中から壁に叩き付ける。ワンフーの上に覆い被さり、声を低める。
 「……吐け。安田の銃はどこだ、君がスッた銃は今どこに保管されている?即刻僕に渡せ」
 「し、知らねえよ」
 「とぼける気か」
 ワンフーの出来心で安田は窮地に追い詰められた、一晩で見違えるように憔悴し辞表を書くまでに追い詰められたのだ。ワンフーの出来心のせいで安田が失職したら僕は一生ワンフーを恨む、ワンフーに名前を教えたことを永遠に後悔する。指が軋むほどに力をこめ、壊れた照明の下、ひんやり冷たい壁にワンフーを押し付ける。鼻と鼻の先端が接する距離で、唇さえふれそうな距離で、ワンフーがよわよわしく喘ぐ。
 「嘘じゃねえ、マジだよ。安田から銃をスッたはいいけど、こんなあぶねえモン持ってんのもおっかねえし独居房送り間違いなしだし……安田に返そうにも、一度ヤっちまった手前言い逃れできねえし処分はまぬがれねーだろ。そのへんに落ちてましたよなんてバレバレの嘘安田は鋭いからすぐ見ぬいちまうし、第一銃なんか落としたらゴトリと音鳴って気付くはずだし、看守に『落し物です』って届けでようにも追及されたらおしめえだし、困った挙句に捨てたんだ」
 「捨てた?」 
 今なんと言った、この人騒がせな愉快犯の低脳は。銃を、こともあろうに安田の銃を、人を殺傷するための武器を凶器を地下停留場に捨てたというのか。だれか人手に渡る危険性がある地下停留場に無責任に放置したというのか。
 汗が冷や汗にかわり、てのひらと腋の下がじっとり汗ばむ。いやな胸騒ぎが高まり、緊張に口が乾く。
 「捨てたと、今そう言ったのか」
 自分の台詞がいやに平板に耳に届いた。混乱が極まり、感情が漂白された声。棒読みの台詞。
 僕の態度が豹変し、ようやく事態の重大さが飲み込めてきたワンフーが冷や汗をかく。
 「ああ、捨てた。いや、捨てたっつーか放ったらかした。あとはしらねえよってそっぽ向いて足元に落っことして、人目にふれちゃまずいからバスの下に蹴りこんだんだ。安田の命令で医務室に連れてかれる途中、足に怪我したふりしてびっこ引いて懐から銃引っ張り出してスの下に……バスなら朝イチで動かすし、そん時銃も見つかるだろ。安田がなくした銃がバスの下からでてくりゃ誰も俺がスッたなんて思わね、」
 ワンフーの愛想笑いに何かが切れた。
 おそらく、理性の糸が。 
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