少年プリズン

まさみ

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百九十九話

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 頭が痛い。二日酔いだ。
 「いってー……」
 目を開けた途端、こめかみに疼痛が走る。錐で貫かれる激痛にたまらず奥歯を食いしばり、苦鳴を殺して上体を突っ伏す。ちょっと体を動かすだけでガンガン頭に響く。
ああ、酒は十五までやらないって決めてたのに畜生。残虐兄弟はじめ凱の子分どもときたら調子に乗って無理矢理俺にウィスキー飲ませやがって……凱そっくりの性格の悪さだ。
 昨夜の記憶はおぼろげだ。どう頑張ってみても何があったか正確に思い出せない。俺が覚えてるのは鍵屋崎を助けにいってタジマに体当たりして張り飛ばされて手錠につながれてヤられかけ、休憩がてら引き上げてきた凱の子分どもには鞭でしばかれるはさんざんな目にあって……
 それから何があった?くそ、思い出せねえ。
 ずきずき疼くこめかみを指で揉みほぐし、記憶を掘り起こそうと目を瞑る。
 ……駄目だ。記憶を反芻しようとすればするほど頭痛が悪化していったん思考を放棄、毛布をはねのけて素足を床に下ろす。ひんやりと冷たいコンクリートの床、裸の足裏に直に感じるざらざらした質感。無造作にベッドの下に放りこんでいたスニーカーに踵をもぐりこませながら、俺の酒癖の悪さはお袋譲りだなと妙な感慨をおぼえる。別にまったく嬉しくはない、どころか迷惑な話だ。遺伝子の皮肉というか何というか、俺は似たくないところばかりあの女に似ちまう。顔しかり酒癖の悪さしかり。
 酔っ払ったお袋が手当たり次第に物を投げて俺に当り散らす光景を懐かしく回想する。飛んできた灰皿で起こされてたガキの頃が懐かしい。アル中一歩手前、現実逃避に酒に溺れ男に溺れて一度も実の息子をかえりみることがなかったお袋のことを刑務所の中でもいまだに忘れられないなんて女々しいやつだ、と束の間自嘲に浸り、スニーカーを履く。
 ふと隣のベッドに目をやればレイジはどこに行ったんだかもぬけのからだった。
 俺が起床するまでぐっすり寝入ってるやつにしちゃ珍しい。毛布が中途半端にはだけたからっぽのベッドを漠然と眺めるうちにいやな胸騒ぎに襲われる。
 脳裏に朦朧とよみがえる昨夜の光景。
 銀の金網に囲われたリングにて対峙するレイジと凱。凱を絞め殺そうと手を伸ばすレイジ、その顔には残虐な笑み。俺がいちばん嫌いな種類の、人の命なんかどうでもいいと嘲る笑顔。
 レイジは凱の首を絞めた。俺の目の前で、俺の目を意識して。
 それからどうなった?決着はついたのか?
 ……答えはでない。記憶はそこでぷつりと途切れている。頭の底をさらってみたところで、気紛れに浮上してくるのは断片的な記憶のみ。レイジは勝ったのか?凱は殺されたのか?―わからない。レイジが凱ごときに負けるはずがないと信じたいが、大観衆の注視を浴びたレイジが例の微笑を湛えて凱を絞め殺してしまったんだとしたら……
 はげしくかぶりを振り、不吉な想像を追い散らす。
 俺は凱が嫌いだ。大嫌いだ。ぶっちゃけこの手で殺してやりたいくらい憎いし今すぐに凱が死んでくれりゃ万歳して快哉上げたいが、レイジが人を殺すところは見たくない。レイジとはそれなりに長い付き合いになるが、何やってぶちこまれたのか、何で東京プリズンに来たのか詳しくは知らない。気にならなくもないが、どうも聞き出すきっかけが掴めないのだ。砂漠のど真ん中の刑務所に隔離されたからには複雑な事情があるんだろうし、本人が触れられたくないなら今までどおり無視してやったほうがいい気がする。実際俺も自分がぶちこまれたワケについてはできるだけ触れたくない。ガキの抗争で米軍払い下げの欠陥手榴弾を投げて人殺しましたなんて自慢できるほど俺の神経は図太くない。
 レイジは外で人を殺したのかもしれないし、それ以外の犯罪をやらかして東京プリズン送致が決定したのかもしれない。どういう経緯だか不明だが、本で人を殺せる技術を身に付けたレイジが外で殺人を犯してない可能性は限りなく低いが、それでもやっぱりレイジが人を殺すところは見たくない。

 『笑うから殺さないでください』

 唐突に耳によみがえるのは、いつか聞いたレイジの寝言の翻訳。レイジは普段馬鹿っぽく振る舞ってるがアレで実は結構頭がよくて日本語もぺらぺらだ。けど寝言で英語をしゃべったってことは、外では日常会話として普通に英語を使ってたんだろう。本人いわくフィリピン出身らしいし、フィリピンといや米軍占領以降英語をしゃべってる国。第二次ベトナム戦争が始まってから生まれたレイジが無意識に英語を口走ったところで不思議じゃない。
 物騒なのは、その内容だ。
 「笑うから殺さないでくれってどんな状況だよ一体」
 今ごろになって、レイジの寝言の真意が深刻に気になりだす。
 いつもへらへら笑ってくだらないこと言って人からかってるレイジが、「笑うから殺さないでくれ」と懇願した。びっしょりと寝汗をかいて、悪夢にうなされて、俺の知らないだれかに哀願した。だれに?笑うから殺さないでくれ、なんて何だか矛盾してる。謝るから許してくれとか何でもするから殺さないでくれならまだ話がわかる。でも、「笑うから殺さないで」?無理にでも笑わないと殺される状況ってどんなんだよおい。ちょっと悔しいが、俺には全然想像できない。鍵屋崎に相談したら「想像力が欠如してる」と指摘されそうだ。
 鍵屋崎。そうだ鍵屋崎だ。
 あいつ、あれからどうなったんだ?俺がボイラー室に殴りこんだときゃタジマに首絞められてたけど、大丈夫なんだろうか。一夜明けて顔を見てない鍵屋崎の心配をしながら洗面台に行き、鏡に映し出された自分の格好にぎょっとする。 
 「……ひでー格好だ」
 開口一番の感想がそれだった。
 亀裂が入った鏡に映し出された俺はかなり悲惨な格好をしてた。垢染みた囚人服の上着はあちこち破け、包帯を巻きバンソウコウを貼った肌が覗いてる。上着だけじゃない、ズボンの膝も太股も裂けて擦り傷ができていた。ゲンキンなもんで、姿見で怪我を確認した途端に体中の傷が疼き出す。くそ、残虐兄弟め。心ゆくまで人のこと鞭で嬲ってくれやがって、この落とし前はいつかきっちりつけてやる。
 はらわた煮えくり返して蛇口を捻れば勢い良く水が迸る。両手に受けた水を三度顔面に叩きつければ少しは頭がすっきりした。水の冷たさを心地よく感じながら上着の裾で顔を拭き、習慣で蛇口を締める。
 生き返った。
 『Good morning,Long.』
 背後に流れたのはなめらかな英語。反射的に振り向けば、開け放した房の扉に凭れてレイジが立っていた。いつのまに扉を開けたんだかちっとも気付かなかった。その必要もないのに気配を消して接近するなんざ忍び足で獲物を狩りにくる豹より始末が悪い。
 「めずらしく今日は早起きじゃねーか。早朝の散歩でも行ってたのか」
 上着の裾で顔を拭きながらからかえば、レイジがスッと房に入ってきた。バタンと扉が閉じ、レイジがこっちに歩いてくる。片手に抱えてるのはトレイと飯。飯?食堂から運んできたとおぼしきトレイを俺のベッドに置いたレイジがあきれたふうにかぶりを振る。
 「なにが早朝だよ、もう昼だっての。今の時間まで呑気に爆睡してんのはおまえだけ、他の連中はみんな強制労働に出払っちまったよ」
 「は……!?もうそんな時間なのか」
 どうりで廊下がしんとしてると思った。周囲の房からも物音が聞こえてこないし、何より集団生活の朝に特有の喧騒の活気が微塵もないじゃないか。
 こんな時間にほっつき歩いてるのはブラックワーク上位常連で強制労働免除特権ありのレイジかその同類くらいのもんだ。
 「ルームサービスもってきてやったぜ。俺も損だよな、てんで報われない女に貢いでてんで懐かない猫に甲斐甲斐しく餌付けして、恋煩いのピエロかよ」
 「だれが猫だ。女とも比べるな」
 恩着せがましいレイジに憎まれ口を叩きつつ、遅い朝食を有り難く頂戴する。実のところ二日酔いであんまり食欲がないんだが、飯を粗末にしたらバチが当たる。今日の朝飯は和食、ワカメの味噌汁と白米の飯とあじの開きにナスの漬物という何の変哲もない育ち盛りには物足りない献立。
 ああ、台湾料理が食いてえ。
 二日酔いには味噌汁が効く。味噌を節約したせいで殆ど味がしない味噌汁を啜れば、対岸のベッドに腰掛けたレイジがじっと俺を見てる。
 「?なんだよ」
 箸を片手に聞けば、鼻白んだレイジが声を低める。
 「―おまえ、昨日のこと覚えてないの?」
 「覚えてるよ。凱の子分どもにとっつかまって酷い目に遭わされた」
 忘れられるわけがない。服もあちこち破けてるし、第一まだ体中が痛いのだ。
 「今度は俺が質問する番だ。結局試合どうなったの、おまえの勝ち?」
 「絶頂期のマイケル・ジョーダンにスリーポイントシュートできますかって聞くくれえわかりきったこと聞くなよ」
 「たとえが意味不明だけど、勝ったんだな?」
 箸を持って念を押せば、片手で頬杖ついたレイジがいたずらっぽく微笑んでみせる。
 「俺が負けるとこ想像できる?」
 ……愚問だった。
 「凱は生きてるのか」
 「絞め殺そうとしたら邪魔が入った。惜しかった」
 「だれ。鍵屋崎、サムライ?」
 「本気で言ってんのかよ」
 レイジが大袈裟に手を広げてみせる。俺には意味がわからない。ボイラー室に閉じ込められてから先の記憶が酒のせいであやふやなのだ。顔を掴まれ口をこじ開けられ、強引に喉に流し込まれたアルコールの灼熱感がまざまざとよみがえり再び吐き気をもよおす。
 ガキの頃からさんざん酒かっくらっちゃあ荒れまくるお袋を見てきたから、十五になるまで酒はやらないと心に固く誓ってたのにこのザマだ。酒が入るとぷっつり記憶が飛ぶなんて始末におえない。
 とりあえず、レイジが凱を殺してないとわかってほっとした。試合にも余裕で勝てたみたいだし、俺が心配するこたなかったな。もう全然。
 安堵に胸撫で下ろした矢先、レイジがまっすぐに俺を指さす。
 「凱の命の恩人」
 は?
 「試合に乱入して俺の出番かっさらった張本人が一夜明けて記憶喪失なんざ洒落になんねー」
 味噌汁を吹きそうになった。
 「ちょ、ま……まてまて、たんま、話を整理しよう。昨日俺が何したって?試合に乱入して凱助けたって本当かよそれ、てきとー言ってまた担ごうとしてるんじゃねえだろな?」
 「同房の相棒疑うなんてあんまりだ、ルームサービスまでしてやったのに何でこんなに信用ないかね。黄金の心臓の王様だってさすがに傷付くぜ」
 「前に寝ぼけた俺に『今日は避難訓練だ!頭に水かぶって廊下にでろ、早くしねえとボヤに巻かれて死ぬぞ!』って吹きこんで笑い者にしたのだれだよ」
 「あー、あれは笑えたな。最高だった、おまえ面白すぎ。寝起きのロンいつも以上に可愛くていつも以上にからかいたくなるんだよな。貞操守りたいなら俺以外の男に寝顔見せんなよ、心広い王様は特別にキスだけで許してやる」
 「話をすりかえるな」
 一気に飲み干した味噌汁の椀をトレイに置き、正面に身を乗り出す。心臓の鼓動が速まり腋の下がじっとり汗ばむ。膝の上でこぶしを握り締め、冷や汗をかきつつ質問。
 「……レイジ。俺、昨日なにやったんだ?」
 自分で覚えてないなら他人に聞くっきゃない。
 酔っ払った俺の一部始終を見届けた口ぶりのレイジに恥を忍んで真相を問えば、レイジときたら悩ましげにため息なんかつきやがった。男の癖に長い睫毛が、伏し目がちの目を物憂げに翳らせる。
 「覚えてないのかよ。本当始末におえねえな。ギャラリーの前であんな大胆なことしといて、」
 「大胆なこと?」
 「あんな大胆な発言して」
 「大胆な発言?」
 「しまいには脱いで」
 「脱……………!?」
 愕然とした。
 そんなまさか冗談だろなにやってんだ俺、公開ストリップショー!?いやいやいや、いくら酔っ払ってたからって俺がそんな馬鹿な真似するわけねえレイジの吹かしに決まってる事実であってたまるかってんだ。
 青褪めた俺を眺めながら、片腹をくすぐられるみたいな愉快さを噛み殺した口調でレイジが続ける。
 行儀悪くスニーカーも脱がずにベッドに飛び乗り、だらしなく足を崩し、全開の笑顔で。
 「酔っ払ったロンが試合に乱入して俺と凱の一戦台無しにした時は焦ったけど、その後地下停留場を埋めた何百何千のギャラリーの前で大胆告白。『レイジ、おまえが好きだ』『おまえになら今この場で、東京プリズンの全囚人が見守る中抱かれてやってもいい』と宣言して俺の腕の中にとびこんできてキスを、」
 皆まで言わせずレイジの顔面にトレイを投げつける。食器は懐に確保して。
 「それらしい作り話してんじゃねえ、鳥肌立ったろうが!!いくら俺が酒飲んで正気なくしたからって自分からてめえにキスするなんてありえねえ、絶対ねえ!おまえにキスするくらいなら鍵屋崎にキスしたほうがマシだっ」
 「俺とタジマなら?」
 「あじ投げるぞ」
 「冗談だよ」
 レイジがおどけた態度で両手を挙げて降参を表明する。顔面にトレイを食らったのに涼しいツラしてるのが憎たらしいっちゃない。ナスの漬物はよけ、先にアジに箸をつける。手先が不器用なせいで骨が巧く取れないのに苛立ってしまいには骨ごと噛み砕こうと頭を口に持ってけば、野良猫のゴミ漁りでも目撃したように微妙な顔のレイジが口を開く。
 「ロンさ、とりあえず肌隠しとけよ。そんな格好でふらふら出歩かれたんじゃ心臓に悪い」
 ベッドから立ちあがったレイジが俺の膝の上で五指を開けば、ばらばらと銀の光沢の安全ピンが降ってくる。ベッドに散らばった安全ピンに意味不明と眉根を寄せれば、レイジが嘆かわしげにかぶりを振る。
 「タジマが警棒さがして這いつくばってたときに落としたらしい。それで破れた個所留めとけよ、応急処置に」
 合点した。これはタジマの安全ピンか。理解した瞬間に耳たぶを安全ピン刺し貫かれる恐怖に身が竦んだだが、レイジの言い分も一理ある。こんな格好で外出歩けば露出狂だと誤解されかねないし、第一風邪をひいちまう。いったん箸を置き、手にした安全ピンで破れた個所を留めて補修する。幾つかの安全ピンで裂け目を縫いとめて応急処置を完了すれば、服を繕った俺に満足したらしくレイジが鷹揚に頷く。
 「……しっかし、こんな大量の安全ピンどうするつもりだったんだタジマは。想像するだけで気分が滅入る」
 「安心しろ。当分タジマの顔見なくてすむよ」
 「?どういう意味だよ。今まで積み重ねた悪事がバレてクビになったのか」
 「あはははは!ギャララリーが見てるまえでタジマのSMクラブ通い暴露してマゾな性癖さらした東京プリズンの女王様がよっく言うぜ」
 ………俺、本当になにやったんだ。
 自己嫌悪からくる頭痛が悪化して頭を抱え込んだ俺を見下ろし、レイジが柔らかく呟く。
 「でもさ、ちょっと嬉しかったぜ」
 「俺がタジマの性癖暴露して晒し者にしたからかよ……」
 レイジの話じゃ晒し者にされたのはむしろ俺だ。記憶にはないが、試合に乱入して酒臭い息吐き散らし、囚人監視のリングの上でさんざんタジマを罵ってる自分を想像し、ただでさえ二日酔いで滅入ってた気分がどん底まで落ちこむ。
 「ちげーよ。俺が言ったのは、」
 何か言いかけたレイジが口を噤む。苦いものを飲みこんだように口をむずむずさせたレイジが照れ隠しに舌打ち、遅い朝飯中の俺をベッドに残し足早に扉に向かう。 
 「それ食ったら俺と来い。紹介したいやつがいる」
 「はあ?だれだよそれ、俺が知らない南のトップとかじゃねーだろな」
 突拍子もない提案に驚く俺を振り向き、いつもの調子を取り戻したレイジがノブに手をかけ、扉を開く。
 「酔った勢いでペア戦参戦表明したどこかのロンを鍛え直してくれる心強いコーチだよ」
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