少年プリズン

まさみ

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百八十五話

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 「話はおしまいか?」
 ドアに背中を預け、愛想のない声で聞く。
 「……ああ、これでおしまいだ」
 「何故僕にそんな話を?」
 何故娘の死因を僕に明かしたのか、五十嵐の意図が不明だ。五十嵐は看守で僕は囚人だ、いくら五十嵐が囚人に分け隔てなく接することで知られた親しみやすい看守でも刑務所における明確な上下関係がそこにはある。ましてや伴侶との馴れ初めから故人となった娘の死因に至るまで、公私混同して語っていいのだろうか。
ただでさえ囚人に慕われて同僚に煙たがられてる五十嵐のことだ、職務上一線を引くべき囚人にプライベートな話をしたことがばれれば看守の立場も危うくなるのではないか?
 五十嵐は黙っていた。回想の余韻に浸っているのか感慨に耽っているのか、放心したように虚ろな沈黙が廊下に落ちていた。ドアに妨げられて姿は見えないが、漠然と五十嵐の行動が予測できる。
 今は亡き娘の面影を確かめようと免許証を開き、写真を見つめる。
 孤独な父親の顔をして。
 「……さあ、なんでかな」
 「僕しかいないから気を許したのか」
 「それもある。だれかに聞いてほしかったのかもな」
 五十嵐が嘘をついてるようには思えなかった。
 それも五十嵐の本心には違いない。娘の死から五年が経過した今も五十嵐はそのショックから立ち直れてない。「いってきます」と元気に出かけていった娘が、まさか修学旅行先の韓国で爆弾テロに巻き込まれて死亡するとは想像しえなかったのだ。
 五年前に韓国で起きた爆弾テロのことはよく覚えている。
 僕には当時から鍵屋崎優の意向と影響ですみずみまで新聞を読む習慣があり、家のテレビではニュース番組と教養番組を主に視聴していた。韓国・朝鮮併合三十周年記念パレード中に発生した爆弾テロは新聞の一面で大きく報じられ、各局のニュース番組でも連日取り上げられた。
 KIAの知名度が一躍高まったきっかけの事件である。
 当時から徐々にテロ行為が活発化していた隣国の革命組織のことなど十歳の僕の関心外だったが、朝鮮併合三十周年記念パレードという国家行事の最中に起きた韓国史上最悪の大規模テロであり、ごく一般的な常識と平均的な知識としてニュースや新聞から一通りの情報は得ていた。
 KIAとは韓国独立を提唱する過激派の革命家が集まる組織であり、自らの主義思想を押し通すためにはテロ活動も辞さないことで政府に危険視されている団体である。KIAの革命家がパレード中の沿道で爆弾を爆発させたせいで家族連れの見物客など五百四名の民間人が死亡、重軽傷者は千二名にのぼる大惨事に発展したと先に述べたが、修学旅行中の日本の小学生も何人か犠牲になったとの記述を新聞で読んだ。 

 それがまさか、五十嵐の娘だったなんて。

 「同情してほしいか?」
 そっけなく聞く。五十嵐の当惑が伝わってくる。
 「同情してほしかったんじゃないのか」
 「……はっ。おまえに同情してもらうほどおちぶれてねえよ」
 「僕に話して多少なりともすっきりしたか?精神科医のカウンセリングで大事なのは終始聞き役に徹し、患者が話し終わるまで相槌以外の言葉を挟まないことらしい。以上の前提条件から僕は精神科医に不適任だが、似非カウンセリングでも多少の効果はあったようで何よりだ」
 「閉じ込められても毒舌治んねえな」
 「僕から毒舌をとったら頭脳しか残らない」
 きっぱり言い返せば五十嵐が苦笑した、ような気がした。僕はといえば懺悔を聞かされた気分だ。懐かしむように過去を語る五十嵐の口調に滲んだ自責の念が何に起因するかはわからない。父親として無力な自分、娘の死を予期できずにむざむざ修学旅行に行かせてしまった自分に対する怒りだろうか。
 どちらにせよ、僕ができることは心理分析のみで五十嵐が抱えている心の傷を癒すことは専門外だ。そっけない対応に失望したか、しばらく黙っていた五十嵐がぽつりと本音を漏らす。
 「……このまえ、リカみたいなこと言われたから思い出しちまったんだよ。昔のこと」
 確かに先週、「アイロンくらいちゃんとかけたほうがいい」と身だしなみを注意したが。
 「僕と娘とを混同してるのか?あきれたな」
 「そうだな」
 力ない笑い声をあげた五十嵐の顔が脳裏に浮かぶ。一気に十歳も老け込んだような中年男の顔。
 「あきれちまうな、こんな父親」
 五十嵐がどんなに情けない父親でも鍵屋崎優よりはマシだ。
 喉元まで出かけた言葉をぐっと飲みこむ。五十嵐をフォローしたいわけじゃない、僕はそんなお人よしじゃない。今もこうして他愛ない世間話をしてるが、五十嵐はタジマに命令されて僕を閉じ込めている張本人だ。五十嵐がボイラー室の前にいる限り、僕は試合終了までボイラー室から一歩も出れずに無為な時間を過ごさねばならない。僕がこうして五十嵐の昔話に付き合わされているあいだ、サムライは苦戦してるにちがいない。そればかりか五十嵐はこれまで偽善者のふりで僕を騙してきたのだ、不幸な身の上話を聞かされたところで反感を覚えこそすれ同情できるわけがない。
 ……そのはずなのに、僕は五十嵐に裏切られた今も、五十嵐を心の底からは憎めずにいる。
 鍵屋崎優は研究者としては優秀だったが父親としての自覚がまるでなく、子供のことを遺伝子操作したモルモットと同一視してた向きがある。僕は鍵屋崎優に対してなんら親愛の情も尊敬の念も抱いてない、あんな俗物を戸籍上の父親と認めたくない。鍵屋崎優は僕に膨大な知識と教養と衣食住が整った快適な環境を与えてくれた、その事には感謝している。
 しかし、彼からそれ以外のものを貰った記憶がない。
 僕はいい、最初からそんなもの興味なかったから。両親に愛してほしいとか誉めてほしいとか、幼い子供なら当然抱くはずの承認欲求すら殆ど覚えたことがない。物心つく前、本当に幼い頃はそう思っていたのかもしれないが僕はすぐに「彼らに愛情をねだるのは愚かだ」と学習した。
 無から有は生み出せない。
 気付いてみれば単純な話だった。鍵屋崎優も由香利も研究者としては立派な人物だが、親としては致命的欠陥があった。可哀想なのは恵だ。僕は自我が芽生える前段階の人格形成時に両親に失望していたからそれ以上絶望を味わうこともなかったが、恵はあの鍵屋崎優と由香利の実子でありながら、ごく平均的な……言いかえればごく健全な感性を有してしまった。子供が両親の愛情を求めるのはごく普通のことで、求めても求めても愛情を与えられない子供は「自分には愛される価値がない」と卑下して自信喪失し、他人の顔色を気にするあまり自己主張できない内向的な性格が形成される。
 恵が上手く周囲との人間関係を結べず、哀しい思いばかりしていたのは鍵屋崎優と由香利の責任だ。「鍵屋崎夫妻の長女」の重責からクラスに溶け込めず同年代の子供の集団に馴染めず、恵はいつも一人ぼっちで泣いてばかりいた。
 恵を哀しませるのは、いつも両親の無関心と無神経だった。
 僕は恵を哀しませる人間が許せなかった。たとえそれが戸籍上の両親であっても。
 だから鍵屋崎優と由香利を殺して恵を守ろうとしたのに……
 『おにいちゃんなんか大嫌い』
 「残念だな」
 物思いから覚めた僕は、五十嵐の嘆きに眉をひそめる。
 「リカが生きてたら今ごろたいした美少女になってただろうによ、出会った頃のカミさんそっくりの」
 「恵のほうが可愛い」
 「恵?……ああ、妹か。本当にシスコンだなおまえ」
 「親馬鹿に言われたくない」
 「子供のことで馬鹿にならない親なんていねえよ」
 冗談めかして言った五十嵐の虚勢が痛々しい。五十嵐は卑劣で惰弱な偽善者だが、鍵屋崎優と比べればどれほど誠実な父親かわからない。さっき僕は五十嵐が公私混同してると非難したが、僕こそ五十嵐の中に「父親らしい父親」の幻影を見てるのは否定できない。
 鍵屋崎優に五十嵐の何十分の一でも子供を思いやる気持ちがあったのなら、僕は今東京プリズンにいないはずだ。
 遺伝子工学の最高権威たる鍵屋崎優は、将来研究を継がせる後継者と有望視していた長男に刺殺された悲劇の父親として新聞の一面で報じられずに済んだはずだ。
 自分の犯した罪を被害者に責任転嫁するつもりはない。僕が鍵屋崎優と由香利、つまりは戸籍上の両親を殺害したのはあくまで僕の意志でだれに命令されたわけでもない。 
 ただ、恵の医者の手紙を読んでから。
 いや、恵と引き離される寸前、恵が叫んだ言葉を思い出してから僕はずっと煩悶していた。現在に至る道のりが何かひとつでも違えば、こんな結末にならなかったのではないか。鍵屋崎優と由香利がもう少し恵に愛情をかけていたら、優しい言葉のひとつでもかけていたら恵は追い詰められずにすんだのではないか。
 あの時、ナイフを握らざるをえないほどに追い詰められずにすんだのではないか。
 もう過ぎたことだと頭ではわかっている。過去には戻れないのだからいまさら何を言っても無駄だ。ありえざる未来の分岐点を指折り数えてもむなしくなるだけで、誰も、僕自身も救われない。
 もし鍵屋崎優と由香利が、五十嵐の何十分の一でも恵のことを考えていてくれたのなら。
 「……故人になにを言っても無意味だが、何十分の一でも見習って欲しかったな」
 「え?」
 ため息まじりの独り言を聞き咎めた五十嵐が間抜けな声をだした、その時。
 「!」
 ドアの向こう側、廊下の空気が変容した。硬質の靴音をコンクリートむきだしの地下通路に響かせ、誰かがこちらにやってくる。反射的に立ちあがり、唾を嚥下して身構え、片耳をドアの表面に密着させる。ドアの向こうに五十嵐以外にもう一人、だれかがいる。
 だれだ?
 「よう、ちゃんと仕事してるか。サボってねえようで感心感心っと」
 野太い濁声が鼓膜を叩く。この声は……、
 『言えよ』
 『そんなんじゃ聞こえねえよ。もっと大きくはっきりと、』 
 『男にヤられながら妹の名前呼ぶなんて変態だな』
 ああそうだ、忘れられるわけがない。現実でも夢の中でも日夜僕を責め苛む、呪縛的な声の主を。その声を聞いた途端、まだ顔も見ないうちから背中に冷水を浴びせ掛けられた気がした。よろけるようにドアから距離を取った僕の視線の先、凝視したドアの向こうでは看守二名の会話が繰り広げられている。
 「タジマ……どのツラ下げて来やがった。ひとに見張り役押しつけて陣中見舞たあいいご身分だな」
 「怒んなよ、おまえと俺の仲だろが。心配して様子見にきてやった同僚にもう少し優しくしてもバチあたらねえだろ」
 「いつまでこうしてりゃいいんだよ」
 五十嵐の口調にどうしようもない苛立ちが覗く。
 「言っただろ、ペア戦終了までだ。ペア戦がすみゃ凱たち帰って来るからそれまでの辛抱だ。暇なら親殺しのケツで遊んでりゃいいんだろ。あいつのケツ使い心地いいぜ、売春班でたっぷり仕込んでやったからな」 
 「タジマ!」
 激昂した五十嵐がタジマに食ってかかるが、タジマの笑い声に変化はない。五十嵐の抗議などはなから取り合わずに軽く言う。
 「どれ、親殺しはどうしてるかな。ボイラー室ん中でミイラ化してなきゃいいけどな。ちょっくら様子見てくるから鍵貸せよ」
 ボイラー室の鍵は五十嵐が持っていたのか。
 なるほど、タジマの手から譲渡されたのだろうが看守の五十嵐ならボイラー室の鍵を所持してても不自然ではない。ただの囚人にすぎない凱が鍵を持ち歩いてることがばれれば看守の関与が疑われて事態がややこしくなる。見かけによらず用心深いタジマが五十嵐に鍵を預けたのは無難な予防策といえる。
 「………、」
 五十嵐の躊躇が濃厚に伝わってきた。タジマと僕とを密室でふたりきりにすれば何が起きるか、どんな事態が発生するか漠然と察しがついたのだろう。それでも五十嵐は逆らえなかった。じゃらりとうるさい音を鳴らして五十嵐が鍵束をとる光景が脳裏に浮かび、一歩、また一歩と足が後退する。
 鍵が鍵穴にさしこまれる音、鍵の先端の形状と鍵穴の型が噛み合う金属音。
 鍵が半回転すると同時に蝶番が外れ、耳障りな軋り音をあげてドアが開く。

 逃げるか?

 一瞬判断に迷ったがすぐに冷静さを取り戻す。逃げれるわけがない。廊下は五十嵐が見張っている、ドアの向こうにはタジマが立ち塞がっている。タジマに体当たりして突き飛ばすには体格差がありすぎ、横幅の体積に差がありすぎる。仮にタジマを突き飛ばすことができても僕の足で五十嵐をまくのは不可能だ。
 絶望で足が固まり、成す術なく立ち尽くすしかない僕の眼前で完全にドアが開く。
 タジマがいた。
 隣には五十嵐がいた。僕と目を合わすのを避け、苦渋に満ちた顔で俯いている。五十嵐は僕を閉じ込めていた張本人なのだからまともに目を合わせられない気持ちはわかる。
 通路の蛍光灯を背にしたタジマが、大股にボイラー室へと踏み入ってくる。
 「すぐに閉めろ。鍵も忘れんなよ」
 五十嵐とすれちがいざま、素早く耳打ちしたのを聞き逃さない。おそろしく卑猥な笑顔のタジマの意図を正確に察し、五十嵐が何か言おうと口を開きかけたが、いまさら何を言っても無駄だと反論の気力も尽きて憂わしげに黙りこむ。
 『すまない』
 謝罪の眼差しを冷淡に無視する。これから自分を見殺しにしようとしてる人間を許せるほど僕は度量が広くない。僕は五十嵐を心の底から憎めはしないが、心の底から軽蔑する。これ以上五十嵐の顔を見てると不快さと怒りから来る暴力衝動を御せなくなる。体の脇で拳を握り締め、五十嵐もタジマも視界に入らないように下を向く。 
 まだなにか言いたげに室内にとどまっていた五十嵐が、「早く行けよ」とタジマに追い払われ、後ろめたげに振り返りながら廊下に出る。ドアを閉ざして鍵をかけた五十嵐が僕を見殺しにした罪悪感に苦しもうが知ったことではない、僕はこれからもっと酷い目に遭うのだから。
 否、正確には「遭わされる」のだ。目の前の、この男によって。
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