少年プリズン

まさみ

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百八十二話

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 まずいね、こりゃ。
 「サムライさん苦戦してますね」
 「そりゃそうだよ、木刀ないんだもん。刀がなけりゃさすがのサムライも形無しってね」
 「で、肝心の刀はどこ行ったんすかね」
 「さあ」
 不思議そうなビバリーに僕はお手上げポーズで答えるっきゃない。
 前回といい前々回といい背の低さがマイナスに働いて試合観戦できなかった僕は、今、地下停留場の隅に駐車されたバスの上にいる。会場の盛り上がりをよそに、同伴したビバリーの手を借りてこっそりバスによじのぼって屋上の特等席に腰を据えてみたらこれがなんと見晴らし抜群で、なんでもっと早くこうしなかったのか悔やまれる。難点は距離が遠すぎて声が聞こえないところだけど映像だけでも十分迫力は伝わってくる。
 ビバリーがどこからか手に入れた双眼鏡に顔をくっつけ、絞りを調節する。
 双眼鏡の向こうで繰り広げられているのはサムライ対ヤンの手に汗握る熱戦で、いけっやれそこだっ、という威勢良くこぶしを振り上げて歓声を上げる囚人の熱狂ぶりは尋常じゃない。
 地下停留場中央に設置された金網の檻、通称リングに蟻のように群がる囚人たちを見下ろすのはすごく気分がいい。いつも見下ろされてるちっぽけな僕にしてみりゃなおさらだ。耳を聾する大歓声が殷殷とコンクリートに反響し、リングに詰め掛けた囚人がそれぞれ贔屓の側を応援してる。サムライに賭けてる囚人は「負けたら承知しねえぞっ」「切腹させっからなっ」と唾まじりの檄をとばし、ヤンとロンチウの勝利に賭けてる囚人―主に凱の子分だけど―は、「絶対勝てよ」「日本人にしてやられちゃ中国人の恥だ、わかってんだろうな」と叱咤激励してる。
 ハイな囚人がお祭り気分で浮かれ騒ぎ、熱狂の坩堝と化した会場の関心の的はもちろん現在進行形でリングで行われてる試合で、何故か木刀を持たずに出場したサムライが素手でヤンとやりあってるところだ。
 刀を持てば最強で知られるサムライも刀がなければただの人。いや、ただの人よりは確実に強いけど、それだって凱みたいな怪力自慢なわけでもレイジみたいに天才的格闘センスに恵まれてるわけじゃない。おそらくは道場時代、敵に刀を奪われた際に備えて学んだ護身術を生かしてるんだろうけど、稲妻の如き剣技の冴えに比べたらこぶしの瞬発力が鈍くなるのはさもありなん。
 実際サムライは苦戦してた。いくら捻挫が完治して包帯がとれたとはいえ、ひとりでふたりを相手にする試合内容自体が無茶なのだ。ヤンとロンチウは危なくなったらすぐ交代の逃げるが勝ち方式を採用してて、そろそろ息も乱れ始めたサムライをよそに高らかにハイタッチして入れ代わり立ち代わりリングに現れる。
 あ、今またヤンとロンチウが交代した。
 「相棒がピンチだってのにレイジさんはなにしてるんスか!?」
 「鍵屋崎とロンもいないよ」
 焦れたビバリーが叫び、双眼鏡をおろした僕は手庇をつくってあたりを見まわす。さっきから鍵屋崎とロンの姿が見えないのには気付いてた。いや、正確には試合開始前からだ。僕はビバリーと一緒に早めにやってきてバスに這いあがったから、凱に取り囲まれたロンがなにやら万歳して逃げてくところは目撃したけどなんでそうなったのか事情はさっぱりわからない。バスの上からじゃ距離ありすぎで声もろくに届かないのだ。もっとわかんないのは鍵屋崎で、大事なお友達のサムライが戦ってるのに薄情に行方をくらましてる。
 まさか会場の喧騒に嫌気がさして、ひとりで房に帰って本を読んでるんじゃ。
 鍵屋崎のことだから絶対ないとは言いきれない。事実ありえそうなのが怖い。
 「レイジならほら、あそこだ。リングの横っちょで本読んでる」
 こんな騒がしい状況でよく本を読めたものだと半ば感心し半ばあきれる。僕が指さした方角を手庇の下から透かし見たビバリーが「オウ!」と変な声をあげる。察するに非難の声らしい。
 「相棒が大変なときになにやってんすか僕らの王様は、顔もあげず目もやらず金網によりかかって優雅に読書なんていいご身分ッスね!」
 「王様だもん、そりゃいいご身分だろうさ」
 憤慨したビバリーにおどけて肩を竦め、ふたたび双眼鏡を目にあてる。双眼鏡のレンズの向こう、周囲を闇に包まれた円の中でレイジはむっつり本を読み耽っていた。なにを読んでるんだろ、と気になって倍率を上げてみればへミングウェイだった。
 「レイジの読書傾向、謎だ」
 「リョウさん双眼鏡一人占めしないで僕にも見せてくださいよっ」
 「いやだ、今いいとこなのにっ」
 「もとは僕のじゃないスかそれ、わがままなしっスよ!」
 双眼鏡を奪い取ろうと手をのばすビバリーと抗議の声を上げて揉み合ってるうちにバランスを崩し、ふたり縺れ合ってバスから転落しそうになる。
 「危ない!!」
 寸でのところでビバリーに抱きすくめられ事無きを得たけど、固いコンクリートの地面に叩き付けられるのはぞっとしない。へたしたら脳挫傷で即死だ。背の低さをカバーするためとはいえ、僕もずいぶんと無茶するもんだと今更ながら肝を冷やす。
 「もう、やめてよね。ビバリー視力いいんだから双眼鏡なんかなくても見えるっしょ、アフリカの原住民は視力7.0で3キロ先のシマウマもみつけられるって言うよ」 
 「ああっ、それを言いましたね言っちゃいましたね!?何度言わせれば気が済むんスかリョウさん、僕は生まれも育ちもビバリーヒルズの生粋のヒルズっ子でアフリカなんか行ったこともないってのに僕の肌が真っ黒いってだけで憶測でものを言うのよしてください、人種差別っスよそれ!?」
 「ご先祖はアフリカ育ちでしょ」
 「何代前のご先祖の話ですか。それ言ったらリョウさん、赤毛でそばかすのくせに日本語のが達者なアンタこそ何人スか!?」
 「さあ?半分はイギリス人だけどね」
 九死に一生を得た安堵に胸撫で下ろしながら愚痴れば、自称ヒルズっ子と主張して譲らないビバリーがいたくプライドを侵害されたらしく猛然と食ってかかる。僕のもう半分が何人かなんてこっちが知りたい。自分に半分流れる血の出所が判明してるだけロンはまだマシじゃないか。
 と、リングの方で唐突に歓声が膨れ上がった。
 何が起きたんだろう、と目を凝らす。僕らの視線の先、眩い照明に映える銀の檻の中では異変が起きていた。肘の関節を極められ、リングに組み伏せられたサムライの姿がまず目に入る。
 サムライを組み伏せてるのはロンチウで、そのまま力をこめれば腕が折れてしまう絶体絶命の窮地。
 「やばいじゃん」
 やっぱ木刀なしじゃ苦しいか、と思いながらのんきに呟く。喧嘩慣れしたヤンとロンチウに二人がかりでかかってこられちゃサムライだって苦戦せざるをえない。ひとりでふたりを相手どって体力を消耗してるとこにつけこまれちゃ成す術ない。
 サムライの背中を膝で押さえ、屈辱的な格好でリングを舐めさせたロンチウが何か言ってる。この距離からじゃ声は聞こえないけど、おおかた「思い知ったか日本人め」「エセサムライが」とか何とか口汚く罵ってるんだろう。双眼鏡の向こう、目を炯炯と輝かせてサムライを侮辱するロンチウの後ろに垣間見えるは応援席の凱一党。サムライには罵詈雑言のつぶてを、ロンチウには称賛のシャワーを。落差のはげしい台詞をそれぞれ浴びせ掛け、集団ヒステリーの猿の大群の如く金網を揺すりたててる。

 これじゃ本当にサムライが負けちゃう。

 僕はサムライの友達じゃないしサムライが死のうが怪我しようがぶっちゃけどうでもいいけど、これじゃあんまりあっけない。まだ試合は始まったばかりなのに……もうちょっと楽しませてくれなきゃ危険を承知でバスに上がった甲斐がない。
 ロンと鍵屋崎はどこ行ったんだよ?
 レイジを懐柔できるのはロンだけ、サムライを説得できるのは鍵屋崎だけ。うん、それは認めよう。でも肝心のふたりがいないんじゃどうしようもない、レイジはふてくされてるしサムライは間接極められて大ピンチだし……二進も三進もいかない状況がもどかしく、下唇を噛んだ僕の眼前で。
 サムライの肩が外れた。
 いや、正しくは外されたのだ。ごきり、と鈍い音が鳴った気がした。この距離からじゃそんな音聞こえるはずないし幻聴にはちがいないんだけど、情け容赦なくサムライの肩を外したロンチウの顔にはその瞬間もぞっとするような笑みが浮かんでた。無愛想で無表情なサムライもさすがにこれはたまらなかったようで、喉を仰け反らせて苦悶し、次の瞬間には顔を俯け、ぐったりと上体を突っ伏せたきり起き上がろうとしない。
 「ひっ!いだだたたっ」
 自分が肩外されたわけでもないのに、隣じゃビバリーが大袈裟に騒いでる。
 「さすが凱の子分、いい性格してる。武士にとっていちばん大事なのが刀握る腕だと知っててギャラリーの前で肩外したんだね、もう刀握れないように」
 露骨に顔をしかめたビバリーにちらりと一瞥くれてのんびり解説する。金網の外じゃ凱が狂喜していた。凱の子分どもも跳び上がって奇声を発し、サムライ相手に見事勝利をおさめたロンチウとヤンを祝福してる。ペア戦のルールじゃ対戦者が再起不能になるか降参したら敗北確定だから、肩の激痛に声もないサムライは当然負け……
 「ん?」
 「どうしたんスかリョウさん」
 ビバリーの疑問を無視し、双眼鏡の倍率を上げる。丸いレンズの向こう、両手を広げて歓声に応えるロンチウの足元に突っ伏していたサムライがもぞりと身動きした。ロンチウはまだ気付いてない、敗者復活の可能性など少しも鑑みず、また、ロンチウの勝利を確信した凱とその子分たちもこの期に及んでサムライがよみがえろうとは思ってなかった。
 全員の注意が逸れたのが幸いした。
 右肩を押さえ、慎重に上体を起こしたサムライが瞼をおろして深呼吸。疲労と激痛と顔色は悪く、青ざめて見えた。この双眼鏡はよっぽど性能がいいらしく、額に浮いた脂汗まで識別できた。汗にぬれた前髪をざんばらに額に貼り付かせたサムライの胸郭が上下し、そして―
 「―!っ、」 
 今度こそ、僕も顔をしかめた。
 「……信じられない。サムライのやつ、自分で肩はめなおした」
 どんだけ苦痛が伴うか想像したくもない行為を、サムライは平然と、なんの躊躇もなくやってのけた。脱臼癖がある人間ならコツを掴んでればむずかしくないらしいが、それだって、大の男でも絶叫しそうな激痛に耐えなきゃいけないのに。
 自分で肩を嵌めなおしたサムライが緩慢に立ちあがり、両手を上げて称賛の声に応じるロンチウへと忍び寄る。

 ―「ロンチウ後ろだ!」―

 背後に警戒を促したのは相棒のヤンで、その声はここまで聞こえてきた。会場の歓声を圧して響いた大声に振り向いたロンチウの頭上に影がさし、鞭のように俊敏に手首が撓り、手刀が鋭く翻り。
 水平に寝かせた手刀が、ロンチウの首の真横に叩きこまれた。
 刀を持たないサムライの現在唯一の武器は、刀に見たてた己が手しかない。
 手に馴染んだ太刀筋をなぞるように苛烈に、敏速に。
 急所に手刀を叩き込まれたロンチウがあっけなくリングに膝をつき、そのまま突っ伏して動かなくなる。
 交代を急かす相棒のもとへ逃げ帰る暇もない一瞬の早業だった。
 足元に倒れ伏した敵を見下ろすサムライの目には何の感情も浮かんでない。と、思いきや眉間に深い皺が寄り、歯を食いしばっても完全には抑圧しがたい苦痛の色が双眸に揺らめく。無理もない、自分で肩を嵌め直す荒療治でいっそ発狂したくなる激痛を味わったんだから。武士の意地だか何だか知らないけどああして平静を装えるだけ大したものだ。
 「根性あるっスね、サムライさん。相当痛かったでしょうに泣き言ひとつ言わずに……僕だったら絶対おしっこちびってますって」
 「サムライは武士の末裔だからねー。実家じゃ相当厳しい修行してたみたいだし肩はずれるとか日常茶飯事だったんじゃないの?ぞっとしないけどね」
 想像絶する激痛にも悲鳴ひとつ漏らさないのが武士の修行の成果、か。やるね。肩外れるのが別段驚くにも値しない日常茶飯事なら自分で直すやり方も必然覚えるはずだ。
 敵の隙をつき、あっけなく逆転したサムライのもとへ審判が駆けてゆく。
 「勝者サムライ、サムライ・レイジペアの勝利!」
 勝利を告げるゴングが高らかに鳴り響くも、サムライの顔色は晴れない。勝者の優越とも勝利の爽快感とも縁遠い沈痛な面持ちでリングを去り、次の試合の準備が整うまで小休止を挟む。金網の外へ出たサムライの背に浴びせ掛けられるは、不満爆発のブーイング。なんでもっと早く来ないんだよ、あと三十秒早くカウントとにきてたらロンチウの勝利だったろうが、と金網を滅多打ちして凱が審判に抗議する。
 まだ肩の痛みが残ってるのか、どこか覚束ない足取りで金網の外にでたサムライがちらりと周囲に視線を走らせる。鍵屋崎の姿をさがしてるんだと直感した。鍵屋崎がまだ帰ってきてないことを確認し、ついでにロンもいないことを再確認し、さすがに違和感を感じ始めたサムライだがすぐ隣にレイジがいるのに気付いて常通りの表情を取り繕う。
 サムライが肩を外されたその瞬間もレイジは指一本動かさなかった。
 「無視が徹底してる」
 ある意味あの演技力は見習いたいかもしれない。
 感嘆の吐息を漏らした僕をひややかに眺め、ビバリーが結論する。
 「子供なんでしょ、要するに」
 「どっちが?」
 「両方ともっス」
 言えてる。
 次の試合の準備が整うまで約五分、その間サムライには休息が与えられる。が、五分少々でどれだけ体力回復できるか実際怪しい。いつもは人や物によりかかることなく、凛々しく背筋を伸ばして立ってるサムライがこの時ばかりは疲労困憊して金網に肩を預けていた。サムライとレイジは互いを徹底的に無視して短い休憩時間で口もきかなかった。目さえ合わせなかった。
 頑固者同士の意地の張り合い、というより仲直りの仕方を知らない子供の喧嘩みたいだ。
 「仲直りにはさ、やっぱキスだよね」
 「へ?」
 付かず離れずの微妙な距離で、不均衡な沈黙を守るサムライとレイジとを双眼鏡越しに見比べる。双眼鏡を顔から放し、いたずらっぽい笑顔でビバリーを仰ぐ。
 「キスでだめならフェラチオだね。そりゃもう丁寧に舌使いに心をこめてフェラするわけよ、男娼なりの誠意の見せ方ってやつさ。効果抜群だね」
 「リョウさんの常識は世間一般にあてはまらないからまったく全然これっぽっちも参考になりませんス」
 「まあ確かにレイジにフェラするサムライもサムライにフェラするレイジも想像したくないけどねー」
 「ちょっとリョウさんとんでもないこと言わないでくださいっ、想像しちゃったじゃないスかああ!!」
 半泣きのビバリーに肩を揺さぶられて舌を出す。まあ想像したくないってのは同感だ。あんまりはげしく揺さぶられて手から双眼鏡が滑り落ちそうになる。そのへんにしといてよ、とご機嫌とりしたそばから不安が現実になった。
 「あーーーーーっ!!ぼ、ぼぼぼぼぼぼぼくの双眼鏡がっ、あらゆるコネを駆使して手に入れた800メートル先の女の首筋のホクロまでばっちりわかる双眼鏡がっ」
 「ビバリーが乱暴にするから悪いんじゃん、乱暴されて感じる趣味ないよ僕」
 バスの天井に膝をつき、がっくりうなだれたビバリーの背中があんまり不憫だったもんだから適当になぐさめてやることにした。まあ双眼鏡落とした責任の一端は僕にあることだしね。
 「そんな気に病むことないって、形あるものいつかは壊れるってむかしの偉い人も言ってたじゃん。あの双眼鏡はこうなる運命だったんだって。それにビバリーにはパソコンがあるじゃん、ええと、シンディだっけキャサリンだっけ?」
 「ロザンナっス」
 無機物に女の名前つけるなんてどうかしてる、真性の変態だなこいつ。
 そんな本音はおくびにもださず、猫なで声で続ける。
 「ロザンナちゃんが無事なら名無しの双眼鏡が壊れたって落ちこむことないよ、ロザンナちゃんに降りかかる災厄の身代わりで壊れたんだと思えばあきらめが……」
 「ああ、僕のサマンサがリョウさんにさんざんもてあそばされた末にポイ捨てされてしまった」
 双眼鏡にまで名前つけてんのかよ。
 しかも何気に人聞き悪いし。
 「~わかったようもう、拾ってくりゃいいんでしょ愛しのサマンサのご遺体をさ!」
 そりゃいやがるビバリーから無理矢理双眼鏡ひったくって独占したのは僕だけど、済んだことをぐちぐちとしつこすぎる。意外と根に持つタイプのビバリーにうんざりしてバスから下りようとして、「おーい」と間延びした声に反応。
 「「ん?」」
 ビバリーと顔を見合わせて下を向く。
 バスの真下、双眼鏡の落下地点にいたのはどでかいゴーグルをかけた囚人だ。ヤマアラシみたいな短髪の囚人には見覚えがある、西のトップ、ヨンイルその人だ。
 ヨンイルの手に握られた物を見て、「ああっ!」とビバリーが叫ぶ。
 「これおまえのか?さっき上から降ってきたんや、危うくドタマかち割られるとこやった」
 「西のトップも試合見物にきたの」
 危うくドタマかち割られるとこだったにしては呑気なヨンイルに、窓枠に足をひっかけてバスを降りながら聞けば、本人は八重歯を覗かせて笑いかけてくる。
 悪くない笑顔だ。
 「気分転換にな。図書室にこもってばっかじゃ体に悪いし散歩がてら敵状視察でもと」
 ヨンイルが心配げに目配せしたほうにはレイジがいた。
 「―思ってたんやけど、なんか雲行きあやしいな」
 「西の道化は知らなくても無理ないけどここんとこずっとあんなかんじさ」
 「喧嘩か」
 「みたい」
 「そや。お前ケツの具合どう?」
 ……言うなよ、それ。
 以前ヨンイルにケツの穴指突っ込んで奥歯がたがたいわせられた記憶がトラウマになってたから表面上平気なふりして話題を避けてたのに。苦虫を噛み潰した僕の表情ですべてを悟ったヨンイルが爽やかに笑い、ふいに真面目な顔になる。
 「念のため言うとくけど、今度ユニコに手え出したら奥歯がたがたどころの騒ぎやないで。くすぐり腸捻転の刑や」
 「わあ、ネーミング直球でおしおきの内容さしてるあたり素晴らしいね」
 たぶん僕は半笑いになってたことだろう。
 僕に続いてバスから下りたビバリーがへこへこ頭を下げながらヨンイルから双眼鏡を受け取り、「ああサマンサよく無事で!」と愛しげに頬擦りしてる。なんかもう変質者にしか見えない光景だ。
 双眼鏡に頬擦りするビバリーにどん引きした僕へと、ヨンイルが人懐こく話しかけてくる。
 「そういやアトムもといロンとなおちゃんの姿見えへんけど、どこ行ったんや。レイジとサムライはふたりの為に戦ってるのに薄情な……」
 「鍵屋崎は知らないけどロンならさっき凱たちに取り囲まれて、それから急にどっか走ってって……」
 「地下停留場でマラソンか?だだっ広いから息切れしそ……」
 ヨンイルの言葉が唐突に途切れ、ゴーグルの奥で不審げに目が細まる気配がした。反射的にヨンイルの視線を追えば、リングから離れた場所、喧騒の外側に突っ立ってる囚人が目にとまる。黒髪七三分けに黒縁眼鏡の人ごみから浮きまくった囚人を見つけた途端、ヨンイルの顔がパッと輝く。
 「メンドゥーサ!」 
 「「は?」」
 メデュ―サなら知ってる、頭が蛇の化け物だ。
 でもメンドゥ―サってなんだ、なんとなく人名ぽいけど……困惑した僕とビバリーをその場に残し、一目散にヨンイルが駆けていく。何故だか大はしゃぎで自分のもとへ駆け付けたヨンイルをその囚人は軽く片手を挙げて迎えた。
 ……で、メンドゥ―サってなに?
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