少年プリズン

まさみ

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百七十九話

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 ペア戦開幕時刻が着々と近付いてくる。
 試合会場となる地下停留場にも続々と囚人が集まり出し、金属の檻を彷彿とさせる中央のリングを囲んでがやがやと騒いでいる。好奇心むきだしの顔をぐるりに並べ、互いにつつきあうように試合の勝敗を予想してる気楽な囚人たちをよそに僕は苛立ちを隠しきれない。
 レイジのことは見損なった。あんなくだらない男だとは思わなかった。
 今思えばレイジとサムライを和解させるために配慮した僕の行為そのものがおおいなる無駄だった。他人に頭を下げるなんて慣れないことをしてまでサムライを話し合いの場に連れてきたのに肝心のレイジが僕の努力を綺麗さっぱり無にしてくれた。
 東棟のトップであり連戦無敗のブラックワーク覇者、東京プリズン最強の称号を保持する人物があんな幼稚かつ短絡的かつ陰湿な人物だったとは……あんな男に頭を下げるサムライなど見たくない。レイジの方から謝罪を申し入れてくるまで無視してやろうじゃないか。
 大丈夫だ、レイジの助けなど借りずともサムライには僕がついてる。IQ180の天才的頭脳の持ち主、素晴らしい発想力と理論的な思考力を兼ね備えた完璧な人間、鍵屋崎直が。戦略面で僕が指示して勝利への道を示唆すればサムライが負けるわけがない。右手の捻挫が完治して包帯がとれた今のサムライが刀を持てば臨むところ敵なし、怒涛の快進撃で全試合勝利をおさめることとて不可能じゃない。

 天才に二言はない。

 これは自己暗示じゃない、予定された未来を述べているだけ、既にして決定事項を述べているだけ。確信性の高い未来を述べてるにすぎないと念じて落ち着こうと試みるが、照明が眩い無人のリング脇、まだひっそりした観客席の傍らで腕組みしてると時間の経過に伴い焦燥感が蓄積される。
 なにも心配することはない、大丈夫だ、サムライが負けるわけがない。刀を握ったサムライと互角に戦える人間など東京プリズンにいるわけがない。あのレイジとて、体調が回復して刀をとったサムライの前では敵にもならない。
 サムライと刀。この最強の組み合わせに僕という最高の知能がくわわれば、今日の試合にレイジが出る幕もない。
 予定では前半の試合をサムライが、後半の試合をレイジが引き受けることになる。本来ぺア戦はいつ相棒と交代しようが一人あたりの試合数も時間も無制限で参加者の自由裁量に任されているのだが、レイジとサムライが仲違いした現状では片方が意地でもリングを下りない展開が予想されるため、昨日ロンと話し合って前半と後半とに出番を分け、僕はサムライを、ロンはレイジをそれぞれ説得して了承させた。
 本来ならこんなまわりくどいことはせず適宜交代できるといいのだが、あくまでレイジとサムライが互いを拒み続けるなら他に手の打ちようがない。たとえサムライが絶体絶命の窮地に陥ってもレイジは指一本動かさずに傍観してるだろうし、レイジが劣勢に回っても―こちらの可能性は皆無に近いだろうが―サムライは助け船を出さないだろう。
 何故これほどこじれてしまったんだろう。
 サムライとレイジという組み合わせに無茶があったのだろうか。饒舌で軽薄なレイジと寡黙で誠実なサムライでは意思疎通が上手くいかないだろうし連携に齟齬が生じるのも無理からぬ話だ。いくら目的が同じでも性格が違いすぎるのだ、あの二人は。食堂でおなじテーブルに着席してもレイジとサムライの会話が弾んだことなど今だかつてなかったではないか。

 二人が和解するのはもう無理なのか。

 話し合いさえまともに成立しない状況下でふたりの関係には亀裂が生じた。もう取り返しがつかない、僕らはもう後戻りできないところまで来てしまったのだ。予断を許さない危機的状況を打破するためにはレイジの協力が不可欠だというのに……
 「!」
 馬鹿か僕は。まだレイジに頼ろうなどと考えているのか?
 サムライと苗を侮辱した男になど頼るわけにいかないとついさっき決意したばかりではないか。にもかかわらず、開幕時刻が近付くにつれ決心が鈍り弱気になるのが否定できない。僕は無能じゃないが無力で非力だ、レイジのように獣じみた敏捷性も素晴らしい反射神経も超絶的格闘センスもなく体力はむしろ平均以下。戦略面でサムライにアドバイスを与えることはできてもサムライの代わりにリングに立つことはできず、万一彼が怪我をした場合でも休ませることができない。
 僕にできることはただ入り口脇の金網にしがみつき、自分にはなんら危害が及ばない安全圏から偉そうに指示をとばすだけだ。それで本当にサムライと一緒に戦ってると言えるのか、彼を補佐してると胸を張れるのか?
 結局の所僕は部外者で、サムライの戦いには今後一切関わらせてもらえないのではないか?
 いや、僕は当事者のはずだ。サムライがレイジと組んで100人抜きに臨んだのも僕の存在なくしてはありえない展開だ、平和主義者のサムライが戦いを決意したのは売春班から僕を救出する為なのだから。だがいつのまにか立場が逆転した現状を否定できない、僕は金網越しに死闘を見守るしかない無力な部外者で決してリングには上がらせてもらえない。実際死闘に身を投じるのはサムライで、彼は僕を守るために全力を賭して戦う覚悟だが、ペア戦三週目ともなれば敵も一筋縄でいかない強豪揃いで生きて再び帰還できる保証はどこにもない。サムライに限って命を落とすことなどありえない、そう強く確信する一方で黒々とした不安を拭い去れない。
 リングではどんなありえないことが起きても不思議じゃない、それさえ予想の範疇だ。
 正攻法ではかなわなくても、殺傷能力に特化した凶器や卑劣な罠でもって仕掛けてこられたらサムライとて遅れをとるだろう。しかも敵はふたり。消耗したり追い詰められたり、ひとたび窮地に陥ればいつでも交代可能な柔軟性が強みの二人で一組のペアなのだ。
 ひとりでふたりを相手どる試合でサムライの体力がどこまで保つか……
 「浮かない顔だな」
 「浮かなくもなる」
 隣のサムライが声をかけてきて、表情を探られる不快さにブリッジを押さえる。手の影で表情をさえぎり、サムライの方は見ずに続ける。
 「手の調子はどうだ」
 「異常ない。捻挫もすっかり完治した、体調は万全だ」
 右手の木刀を軽く持ち上げてサムライが頷き、不安が少しだけ緩和される。あくまで少しだけ、気休め程度だが。不自然に会話が途切れ、沈黙の帳が落ちる。人で賑わい始めた周囲のざわめきが満ちてくる中、眼鏡のレンズ越しに左右を見渡す。髪の色も肌の色も千差万別、人種の坩堝然とした雑多な様相を呈し始めた地下空間に先日絡んできた少年たちの顔を探す。凱の姿もヤンの姿もまだ見当たらなかった。試合開始までだいぶ余裕があるから来てなくても不思議はない。最前列の場所取りは子分のそのまた子分、派閥の最底辺の使い走りに任じてあるらしい。凱本人が現れるのはまだ先、試合直前と予測される。
 「どうした、きょろきょろして」
 「―いや。レイジとロンの姿が見えないと思って」
 目ざとく指摘され、動揺を押し隠すようにとっさに嘘をつく。レイジの名前を出した途端サムライが憮然たる面持ちになる。もともと表情の変化が少ない男だが、眉間の皺の深まりがわかりやすく不快感を表明してる。嫌悪の縦皺を眉間に刻んだサムライにため息をつきたくなる。
 他人のことを言えた立場でもないが、この男もずいぶんと生き方が不器用だ。
 今ごろ必死にレイジをなだめてるのだろうロンを想像し、あちらもあちらで大変そうだと一抹の同情をおぼえる。断っておくがレイジに同情したんじゃない、ロンに同情したのだ。愛情表現が小学生で、喧嘩をすれば露骨な無視と短絡的ないやがらせでしか感情表現ができない精神構造が未熟なレイジなど勝手に拗ねてればいい。
 口にはださずにレイジを罵ってた僕の隣、木刀片手に佇んだサムライがじっと一方向を見つめてるのに気付く。
 「どうした?」
 なにをそんなに熱心に見つめてるのだろうと気になって視線を追う。雑多に賑わい始めた人ごみから少し離れた場所、猥雑な喧騒に身を投じることなく片隅でうずくまる囚人を発見する。人ごみで気分を悪くしたのだろうか?そんな繊細な神経の持ち主が僕以外にも東京プリズンにいたなんて新発見だ。胸を押さえ背を丸め、亀のように縮こまる囚人の方へとおもむろにサムライが歩き出す。泰然自若とした歩みで人ごみを突っ切り、囚人に接近するサムライを追いかける。サムライの背筋はいつ見てもぴんと伸びていて人ごみでは良い目印になる。万一見失いそうになったらいちばん姿勢がよく、人ごみから頭ひとつぶん抜けた長身を探せばいいのだ。
 サムライの背中を追い、人ごみを抜ける。距離的にリングの照明が届かないせいか周囲は薄暗く閑散としていた。人ごみで目立つのを避けるように、なおかつサムライの視線の延長線上にしゃがみこんだ囚人に近付けば「うう、うー」とこもった声でうめいていた。苦しげに胸を掻き毟り、呼吸を乱すさまは尋常じゃない。
 急病か?
 「大丈夫か」
 囚人の傍らにしゃがみこんだサムライが気遣わしげに声をかける。が、答えを返す余裕もないらしく左右に首を振られただけだ。上着の胸を拳で掴み、苦しげに喘鳴を漏らす囚人を冷静に観察。正面に回りこみ、その表情を確かめようと角度を変えて覗きこむ。
 「胸をおさえている、ということは心臓発作か狭心症か。虚血性心疾患は冠動脈の動脈硬化やけいれんによって心筋への血流が不十分となり、虚血が引き起こされた病気の総称で大きく狭心症と心筋梗塞に分けられ胸痛や胸部圧迫などの狭心症症状をともない……」
 「うううう、い、痛えっ胸がっ胸がっ!」
 突然、目の前の囚人がはげしく胸をかきむしってもがきはじめる。しきりに心臓の痛みを訴えて悶え苦しむ囚人を見て、サムライの顔が真剣味を帯びる。
 「医者はどこだ?」
 「姿が見当たらない、医務室で茶でも飲んでるに決まってる」
 あの耄碌医師め、肝心なときに見当たらない。しかし今は緊急事態だ、このまま放っておけば命に関わる恐れがある。いくら僕が他人に冷淡な人間とはいえこのまま放置して最悪死に至られては寝覚めが悪い。とにかく医者を呼ぶのが先決だと踵を返しかけたそばから、サムライの片腕に縋りついたその囚人が息も絶え絶えに訴えてくる。
 「は、はやく。頼むからはやく、医務室につれてってくれ……」
 俯き加減の囚人にことは一刻を争うと判断したか、囚人に背中を向けて腰を落としたサムライが顎をしゃくり「おぶされ」と促す。言われるがままサムライの背中に体重を預けた囚人の顔を見て、漠然とした違和感をおぼえる。
 おかしい。額に汗をかいていない。
 痛い痛いと大袈裟に苦しんでるその囚人が、額に全然汗をかいてないのだ。ただの一滴も。サムライの背中にひしとしがみついた囚人に何か、とてつもなく不吉なものを感じて口を開く。
 「待てサムライ、試合はどうするんだ?」
 「案じることはない、すぐに戻る」
 「しかし、」
 「病人を見捨ててはおけん」
 きっぱり言いきったサムライが僕の方へと片手を突き出し、やや強引に木刀を押し付ける。有無を言わせぬ気迫に負けて上木刀を受け取ってしまってから後悔したが既に遅い。サムライは僕の言うことなどさっぱり聞かず、囚人を背負って医務室へと行ってしまった。
 人ごみの彼方に消え失せたサムライを成す術なく見送り、木刀を手に立ち尽くす。
 さすがに病人を見捨てろとは言えず、自分が感じてる違和感の正体をうまく言葉にすることもできなかった。いや、彼が本当に病人ならば早急に医務室に運ぶべきだが今思えば苦しみようが少々大袈裟すぎやしなかったか?しかも終始俯き加減で顔を覗きこまれるのを避けていて、まるで嘘の芝居を見ぬかれるのを恐れるように……
  
 嘘。
 嘘の芝居。

 「!サムライ待てこれは罠、」
 まったく迂闊だった、表情を仔細に観察すれば即座に嘘だと見ぬけたのに。
 木刀を片手にぶらさげ、すでに視界から消えたサムライを追い駆け出しかけ。
 脇腹に走った衝撃に、世界が暗転した。

                        +

 

 最初によみがえったのは聴覚だ。
 暗闇の帳越しに大勢の人の気配を感じる。忙しげに歩き回る靴音、衣擦れの音、しゃべり声。時々混じる下品な笑い声。何人……ひとり、ふたり、さんにん。最低五人以上いる。いや、もっといるかもしれない。正確な人数は把握できないが異なる声質の人間が五人以上いるのは確実だ。
 そして徐徐に意識がはっきりとしてくる。
 聴覚の次によみがえったのは触覚。背中にあたる固い感触。今ぼくは何か固い物に凭れ掛かり、弛緩した両足を床に投げ出してるらしい。背後にあるのは壁だろうか?床はコンクリートらしいがやけにじっとりと湿ってる。いや、ぬれてるのは床だけじゃない……壁もだ。空気自体やけに湿度が高くて蒸し暑い。シャツの内側に汗をかいてる。まるでサウナの中にいるみたいだ。
 薄らと目を開ける。
 瞼が上がるにつれ視界が広がりをみせ、自分が今どんな状況におかれてるかおぼろげながらわかってくる。窓がない、狭苦しい部屋だ。唯一の出入り口とおぼしき正面のドアまで目測7メートルの距離がある。周囲の壁に取り付けられてるのは緻密な毛細血管をおもわせて入り組んだ幾何学的軌跡の配管。壁や天井にむきだしで交差した配管の接合部から間欠的に水蒸気が噴き出してる。
 ここは……ボイラー室か?
 それ以外に考えられない。しかしボイラー室など自由に立ち入ることができるのか?鍵は看守が管理してるはずなのに……いや、まてよ。
 僕は何故ボイラー室なんかにいるんだ?さっきまで地下停留場にいたのに。
 記憶を整理する。
 試合開始一時間前、レイジとサムライを引き合わせて和解を示唆したが交渉決裂。その後、入り口脇での待機中に胸を掻き毟って苦しんでる囚人を見つけたサムライがお節介にも医務室まで運ぶと言い出し止める暇もなく行ってしまった。
 サムライは頑固な上に馬鹿だ。救いようがない。
 人の話は最後まで聞く癖をつけてほしい。親切なのは結構だがもう少し警戒心を持ってしかるべきだ、100人抜き達成を明言してからの彼はとかく狙われやすい立場にあるのだから。僕は直後にわかった、あの囚人が仮病を使ってることが。大体にして額に汗をかいてないことからして不自然だったのだ。わざわざサムライの目につくような場所にしゃがみこんでたのにも作為を感じる。何故もっと早く気付かなかったのだ、もっと早く気付けばサムライに注意を促せたのに。しかし既に遅い、サムライは僕に木刀を預けて行ってしまった……
 そうだ木刀。サムライに預けられた木刀はどこだ?
 「これでサムライも負け確定だな」
 下劣な哄笑が弾け、急速に目が覚める。周囲に少年たちが群れていた。誰も彼も似たり寄ったりの品性卑しい顔だちにはいやというほど見覚えがある。僕に犬の真似をさせて手を叩いて笑っていた凱の取り巻き連中だ。
 ということは、当然ボスもいるはずだ。
 僕の予想は的中した。まさに目の前に凱がいた。厚い胸板を反らして高笑いする凱の手の中にあるのはサムライの木刀だ。サムライが手によりをかけて磨きぬいた木刀を、よりにもよって凱が汚い手で掴んでる事実に耐えきれず、凱の手から木刀を取り返そうと身を乗り出しかけ。
 左手に抵抗、鎖が鳴る耳障りな音。
 反射的に目を落とす。左手に銀の光沢の手錠が嵌められていた。手錠のもう片方は壁の配管に繋がれていて、壁から背を起こすことはできてもそれ以上の身動きができない。手錠で拘束された左手を呆然と見下ろせば、無防備な頭上に不穏な影がさす。 
 「おもちゃじゃねえぜ。本物だ」
 見上げれば凱がいた。壁に手をつき、顔一杯に下劣な笑みを湛えてこちらを覗きこんでいる。
 「……僕をここに連れてきたのは君たちか」
 「それ以外にだれがいるよ?」
 「仮病を使ってた囚人も仲間か。迫真の演技だった」
 当然嫌味だ。ふと、上着の裾がめくれて脇腹が覗いてるのが目に入る。上着の裾から垣間見えた脇腹に軽い火傷があった。気を失う直前、脇腹を襲った衝撃を思い出す。
 「スタンガンの味はお気に召したか」
 隣の少年に木刀を押し付けた凱が見せつけるような動作で尻ポケットのスタンガンを抜きとり、僕の鼻先に近付ける。じっくり実物を見るのは初めてだ。一撃で気絶させる威力があるなんて違法な改造がなされてるのかもしれない。スタンガン越しに凱を睨み付け、淡々と訊く。
 「僕を、いや、サムライをどうする気だ?医務室への道すがら待ち伏せして襲うつもりか」 
 「んな面倒なことするかよ。どのみちサムライは勝てねえからな」
 僕の顔面にスタンガンを突き付けた凱がふてぶてしく断言し、周囲の取り巻きが僕の愚かさを哀れむかの如く失笑を漏らす。馬鹿に馬鹿にされるほど屈辱的なことはない。間欠的に噴き出す水蒸気が天井といわず壁といわずぬらしてゆくボイラー室の奥、片手を手錠に繋がれたまま生唾を嚥下する。手も足も出ず追い詰められた僕の焦燥を堪能するかの如く体を舐めていた凱の視線がスッと横にすべり、横の少年に預けた木刀を一瞥する。
 「刀がなけりゃサムライもただの人、ってな」
 左右の手にスタンガンを投げ渡しながら凱が笑う。既に勝利を確信し、嗜虐の愉悦に酔った笑顔で。
 「肝心の刀がなけりゃサムライだって普通よりちょっと喧嘩が強えだけの男にすぎねえ。わざわざ待ち伏せしてボコるなんてまわりくどいことせず、リングで堂々戦って勝ちゃあいいんだよ。東西南北の囚人が見てるまえで半殺しにして恥かかせてやるさ。ああそうだ、オトモダチの親殺しに先に謝っとくがちょっと行き過ぎて殺しちまったらごめんなあ。俺たち手加減へただからよ、サムライの頭かち割ってリングに脳味噌ぶちまけちまうかも。そしたらお前がかき集めてくれるんだろ?犬みたいに這いつくばってよ」
 鼻の先端が触れ合う距離に顔を寄せた凱が生臭い息を吐きかけ、背後で笑い声が炸裂する。凱と凱の取り巻き連中が腹を抱えて爆笑する中、ただひとり僕だけが重苦しく沈黙していた。たしかに凱の言い分も一理ある。ひとたび刀を握ったサムライは無敵だが、刀を失ったら最後、サムライは素手で戦うしかなくなる。レイジをあてにできない現状、刀をなくしたサムライに勝ち目はない。
 「……そうまでして、」
 唾と嘲笑とを一身に浴びせ掛けられ、顔を伏せる。手錠の鎖が擦れ合う音が神経を逆撫でする。
 「そうまでして勝ちたいのか、この低脳ども」
 笑い声が途切れ、沈黙があたりに覆い被さる。軽蔑に凍えた眼差しで少年たちを見まわせば、正面の凱がおもむろにスタンガンのスイッチを入れる。スタンガンの先端で青白い火花が弾け、喉がひきつる。足で床を蹴って距離をとろうとして、背中が壁にぶつかる。背後の壁にそれ以上の後退を妨げられ、手錠に繋がれて逃げることもできない僕のもとへと凱が接近し、片手に掴んだスタンガンへと視線が吸い寄せられる。 
 本能的な恐怖に身が竦む。
 やめろ、と無音で口を動かして接近を拒みかけ、死んでもそんな真似するかと固く口を閉ざす。凱やその他大勢の前で恐怖に取り乱す醜態をさらすなど願い下げだ。こんな愚にもつかない連中に怯える理由などない、知力とプライドでは遥かに僕が勝ってる、こんな数と腕力で人を脅すしか能がないー……
 衝撃が腹部を襲った。
 「!!」
 静電気を何倍にも凝縮したような凄まじい衝撃だった。抉りこむようにスタンガンを押し付けられた腹部は電流に痺れて感覚を失ってる。とっさに唇を噛んでも完全には苦鳴を殺せなかった。体内に波紋が広がるように神経系統が微電流に麻痺し、瞼の裏側で赤い環が点滅した。
 よわよわしく瞼を開け、朦朧とかすんだ目を凝らす。
 僕の頭上、覆い被さるような前傾姿勢をとった凱がスタンガンを抜こうともせず揶揄する。
 「大袈裟に痛がるなよ。いちばん弱くしてやったのに」
 「あ、いにくと、ぼくは君の仲間ほど演技が上手くなくてな。今のはほんと、うだ」
 荒い呼吸の狭間から途切れ途切れに言葉を返す。気を失わなかったのが不思議なくらいだ。痛覚への刺激で涙腺が緩んだか、視界が半透明にぼやけている。今一度目を閉じ、涙が引くまで待つ。本当に哀しくても泣けないくせに身体的刺激を与えられれば条件反射で涙がでてくる涙腺が恨めしい。完全に涙が引いてから目を開ければ、視界一杯を凱の笑顔が占めていた。
 「遠慮せずたのしめよ、スタンガンプレイがお好みなんだろ。次はもっと強くしてやるよ」
 冗談じゃない、まだ腹筋が痺れて呼吸も満足にできないのに。凱から遠ざかろうとして床を蹴れば背後に忍び寄っていた少年ふたりに肩を掴まれ、強制的に上体を倒される。背中に圧し掛かられ、上体を突っ伏した苦しい格好で頭上を仰げば、嗜虐の悦びに目を輝かせた凱がふたたびスタンガンを握り締める。
 「気持ちよすぎてイッちまうなよ、あとのたのしみが減るからな」
 不吉な宣告を下し、大股広げて屈みこむ。肩の手を振り払おうと身を捩るが、左手を配管に繋がれた上に二人がかりで押さえこまれては無駄な抵抗でしかない。
 鼻先に迫るスタンガンの先端、電極と電極の間で爆ぜる青白い粒子。
 再びの衝撃を予期し、固く固く目を閉じる―
 「凱さん、そろそろいかないとやばいっすよ」
 「お、もうそんな時間か」
 予期した衝撃が訪れず、慎重に目を開ける。
 拍子抜けするほどあっさりと眼前からスタンガンが引かれ、大儀そうに凱が腰を上げた。横柄に顎をしゃくった凱に応じ、背後の少年ふたりも立ちあがる。遊んでる暇はないといわんばかりにスタンガンを尻ポケットに戻した凱が、そばの少年から木刀を奪い取る。
 「残念だが時間がきちまった。あばよ親殺し、あとでたっぷり遊んでやるからな」
 奪い取った木刀をわざわざ僕が見てるまえで床に落とし、靴裏で踏みにじる。サムライが手によりをかけて磨き抜いた木刀が泥の靴跡に汚れてゆく。ついでとばかり僕の手が届かぬ遠方へと木刀を蹴り飛ばし、満足げに頷く。
 「サムライが負けるとこ見せてやれないのは心残りだが、俺が大勝利おさめりゃ大歓声ですぐわかるだろうさ。お前は用済みの木刀と一緒に試合終了まで監禁される運命だ。一日終わるまで指くわえて待ってろ。なんなら、」
 凱が顎をしゃくり、横手の壁に凭れ掛かっていた少年を示す。
 「見張り残してくから指で物足りなくなったらくわえてやれよ」
 聞くに耐えない下卑た冗談に爆笑の渦が巻き起こり、凱を先頭にした集団がボイラー室を出てゆく。最後の一人が出てゆくと同時に扉が閉じ、僕は放心状態で壁際に座りこんだ。
 もうすぐ試合が始まる。
 しかし、肝心の木刀がなければサムライは実力を発揮できない。サムライがサムライたる真価を発揮できない。そしてその木刀は僕がどれほど手を伸ばしても届かない距離に泥だらけで転がってる。
 見張り役の少年と二人きり取り残されたボイラー室。スタンガンのショックさめやらず、弛緩した頭で漠然と考える。
 
 今度こそ、サムライは負けるかもしれない。
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