少年プリズン

まさみ

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百七十一話

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 「余計なことをするな」
 試合終了後、開口一番サムライにそう言われた。
 「余計なこと?なにを言ってるか理解できないな、僕はただ手が滑っただけだ。変に勘繰るのはよしてくれないか」
 ペア戦二週目ともなると敵もそこそこ強くなり、利き手にハンデを負っていてもたやすく勝てるほどに生易しくはなくなった。事実、20組を超えるまでは片手一本でも危うげなく立ちまわっていたサムライが本日最終試合の24組目を退けた時点では心身ともにひどく消耗していた。
 一週間が経過して右手の捻挫もだいぶ治癒したとはいえ、まだ安静が義務付けられてることに変わりはない。補助とはいえ多少は右手に負担がかかる、この調子で右手をないがしろにすれば最悪もう一生刀を握れなくなってしまうかもしれない。
 「考えすぎだ」
 木刀の振りすぎでほどけた包帯を口にくわえ、器用に巻きなおしながらサムライがたしなめる。
 「この程度の怪我で一生手が使えなくなるわけがないだろう。食事の時も問題なく箸を使えた」
 「馬鹿じゃないか君は、箸と木刀じゃ重さがちがうだろう」 
 「似たようなものだ」
 「そのまとめ方は少しどころではなく大雑把すぎるぞ」
 「心配性だな」
 リングが撤去された地下空間には試合の余韻に浸って消灯時間ぎりぎりまで長居する囚人と、いまだ感電のショックから覚めやらずにコンクリートの地面に寝かされ医師に介抱されてる囚人がいる。電撃の巻き添えを食って気絶した少年らがコンクリ剥き出しの地面に敷き物もなく並べられ、「大丈夫かね?心臓に異常はないかね?」とやる気のない医師に聴診器を押し当てられてる。
 野戦病院の光景だ。
 電撃に痺れ、今だ満足に手足を動かすことすらできない囚人十数名がうなされているのを横目にサムライに向き直る。
 ふと、サムライの左頬が目に入る。ヌンチャクが頬を掠めた刹那の摩擦熱で痛々しく頬が擦りむけている。派手に目立ちはしないが、何もなかったように見過ごすには気が咎める程度の怪我だ。 
 「頬を怪我してるぞ」
 「かすり傷だ。わざわざ医者の手を煩わせる必要もない、唾をつけておけば治る」
 「いい加減な民間療法だな、おまけに不衛生だ。みっともいいものじゃないからバンソウコウくらい貼っておけ、医師ならバンソウコウくらい常備してるだろう」
 傷口から黴菌に感染して悪化する可能性もある。うるさく説教されたサムライが逡巡の末渋々頷く。腕白が過ぎた子供を叱責してるみたいで奇妙な気分になる。
 木刀を左手にさげたサムライがあまり気乗りしない様子で医師の方へと歩いてゆくのを見送る。恥を忍んで声をかけたサムライに注がれたのは老眼鏡越しの不審の眼差し。手に火傷を負った少年たちを中腰で見て回り、焼け爛れた皮膚に軟膏をすりこんでいた医師とサムライが二言三言交わし、大儀そうに腰を上げた医師が白衣のポケットを探る。
 「ツワモノどもが夢の跡ってか」
 のんきな声に振り向く。
 目の前にレイジがいた。試合中のサムライを放置し、ロンにも僕にも内緒で今の今までどこへ行ってたんだと詰問しようと足を踏み出し……
 小気味よく乾いた音がした。
 「いだっ、なんでぶつんだよ!?」
 「苦戦中の相棒放ったらして俺にも誰にも何も言わずどっか行ってたからだ」
 横合いから踊り出したロンが平手でレイジの額を叩いたのだ。小柄ながら少しでも威圧感を与えようと肩を怒らせ、精一杯の迫力をこめてレイジを睨むさまは怒りに毛を逆立てた猫のようだ。一方、試合終了後二十分も経ってからのこのこ戻ってきたレイジは悪びれたふうもなく「知らなかった、愛の鞭って痛いんだな」と笑っている。
 「反省の色がない」
 「あたりまえだ、これっぽっちも反省してないんだから」
 それがどうしたと両手を広げたレイジがうそぶき、試合中ずっとレイジの行方に気を揉んでいたらしいロンが苛立たしげに吐き捨てる。
 「お前が試合サボったせいで全部ひとりで敵をやっつけなきゃいけなくなったんだぜ、ちょっとは悪いと思えよ」
 「ロンには悪いと思ってる、俺がいないあいださびしい思いさせて。この借りは体で返すから、」
 「ひっつくなよ馬鹿っ、ちげーよそうじゃなくてサムライに悪いと思えっつってんだよ!!」
 毎度お馴染みの痴話喧嘩に傍観者の僕はため息をつくしかない。気まぐれで何を考えてるのかわからないレイジに付き合わされる気苦労多いロンには一抹の同情をおぼえるが、レイジに本音で接することができる数少ない人間であり、一年と半年おなじ房で寝起きして遠慮ない物言いができる相棒の存在は王様にとっても貴重だろう。
 遠慮ない物言いという点では凱も同様だが、彼の場合レイジに対してすさまじい敵愾心を抱いてるからまた別だ。サムライとレイジは対等の関係だが、寡黙なサムライと饒舌なレイジの会話は微妙にテンポがずれて空回ってる印象がある。僕はサムライほど無口ではないが、もともとレイジのように不真面目にふざけた人間が好きではないため積極的に付き合いたくない。

 口喧嘩ばかりしてるロンとレイジは一見相性が悪そうで、実は相性がいいのかもしれない。 

 いやがるロンを抱き寄せ、子供っぽさ全開の笑顔を振りまいてるレイジは好きな女の子をいじめてたのしむ小学生の典型だ。じゃれあってるようにしか見えないふたりの諍いを少し離れて眺め、幼稚な精神構造の持ち主だな、と内心あきれる。ロンをからかうことでしか親愛の情を表せないレイジも、レイジのいやがらせにいちいちむきになって噛み付くロンも五十歩百歩の進歩のなさだ。
 「ほんっとガキだなおまえ、見そこなったよ。よくそれで王様名乗れるな、恥ずかしくて他の棟の連中に顔向けできねえよ。くそっ、いい加減放せよ!好みの女ならともかく男に抱きしめられても嬉しくね…、」
 ロンの抗議が不自然に途切れる。
 「どうしたんだ、服破けてるぞ」
 肩に腕を回された格好からロンが見上げた先、レイジの胸に人さし指大の穴が開いている。言われて初めて服が破けてることに気付いた。長く着古していれば綻ぶことなど珍しくもないが、それにしては胸の真ん中という場所が不自然だ。
 「蛇に噛まれたんだ」
 「嘘つけ、東京プリズンに蛇がでるかよ。砂漠のど真ん中だぜ、ここ」
 「無知だな君は。蛇の種類は約三千種で生息地域は全世界の熱帯・温帯に広がり、生息環境は草原、砂漠 、川辺、海など種類によってさまざまだ。だから一概に砂漠に蛇がいないとは言えな、」
 「帰参した」
 議論が紛糾しかけたタイミングでサムライが戻ってきた。木刀をさげて帰ってきたサムライが手ぶらなのを訝しんで目に疑問符を浮かべれば、地面に寝かされた少年達の間を行き来してる医師を顎でしゃくる。
 「バンソウコウは切らしてるそうだ」
 一瞬言葉を失った。
 「……あの藪医者が」 
 バンソウコウの携帯は医者として最低限の備えだろう。軽い眩暈に襲われ、さも忙しいふりで少年たちを診療してる医者を忌々しげに睨めば、険悪な雰囲気を察したロンが遠慮がちに口を挟む。
 「バンソウコウなら五十嵐が持ってたぜ、まえに怪我したとき貸してもらったことあるから……さっきちらっと見かけたからまだこのへんに、」
 いた。
 名前を出した途端、視界の端を五十嵐が過ぎ去った。五十嵐がペア戦を観に来てたなんて意外だ、囚人同士の争い事を好むような悪趣味には見えないのに。
 しかし、ちょうどよかった。
 いつ五十嵐に会えるかわからなくてずるずる持ち歩いていた物をようやく渡すことができる。サムライには悪いが、この瞬間バンソウコウは二の次になった。いい機会だ、五十嵐を呼びとめて手早く用を済まそうとしたが様子がおかしい。
 「なんであんなおっかない顔してんだ?」
 ロンが眉根を寄せ、レイジが「さあ」とてのひらを返す。五十嵐は確かに怖い顔していた。人を寄せ付けないオーラを撒き散らして大股に突き進む姿から怒りで視界を狭くしてる心理状態がうかがえる。 
 「五十嵐にバンソウコウをもらってくる、すぐに戻ってくるから君はここにいろ」
 本当の目的は伏せ、有無を言わさずサムライに命じて走り出す。五十嵐が不機嫌なのは遠目に見ただけでもわかったが生憎こちらにも事情がある。この数日間、五十嵐と顔を会わせる機会がなくてやむをえず持ち歩いていた物を直接手渡し、ついでにバンソウコウを貰ってこようと優先順位を入れ替えれば何故かロンが隣にやってくる。
 「?なんだ君は」
 「いや、べつに……ちょっとその、気になってさ」
 曖昧に口を濁したロンが不安げな面持ちで五十嵐の背中を見送る。
 「……あきれた、暇人なうえにお人よしだな」
 「お人よしはどっちだよ、サムライのためにわざわざバンソウコウとってきてやろうなんて……いつからそんな親切になったんだ、気味わりぃ。砂漠にスコールがくる予兆か?」
 「なんとでも言え」
 本当の目的は別にある、妙な誤解をするなと喉元までこみあげた反論を飲み下し、鬱陶しくついてくるロンを振りきるように足を速める。ロンもその他の囚人と同様少なからず五十嵐に恩があるのかもしれないが、何故か今日に限り、雰囲気が硬化した五十嵐を心配して尾行に踏みきるなんてお人よしもいいところだ。
 それともなにか、別の理由があるのか?
 深刻な面持ちで黙りこくったロンと声をかけにくい五十嵐の背中とを見比べて勘繰れば、僕の目の前で五十嵐がスロープをのぼり、東棟地下一階へと通じる通路へと足を踏み入れる。人がはけた地下空間から閑散とした通路へと足を向けた五十嵐の前をだれかが歩いてる。
 五十嵐の前を歩いていたのはタジマだった。
 「よりにもよってタジマかよ」
 ロンが舌打ちする。僕も舌打ちしたい気分だった。僕たちふたり、特にロンはタジマに目の敵にされてる。半年前はイエローワークの強制労働中に凱たちを扇動して僕らを生き埋めにしかけたし、つい最近では売春班にも頻繁に通っていた。
 『妹の名前を呼べば許してやるぞ』
 唐突に、声がよみがえる。
 『さあ言えよ』
 『言えよ』
 粘着質に繰り返す声が覚めて見る悪夢のようにこだまし、袖の下で二の腕が鳥肌立つ。やめろ思い出すな、記憶を封印して平静を保て。隣にロンがいるこの状況下で取り乱すわけにはいかない、そんなみっともない真似天才のプライドが許さない。深呼吸し、肌をむさぼる手の感触を忘れ去ろうと目を閉じる……よし、落ち着いた。心拍数が平常値にもどり、頭に上っていた血がスッとおりてくる。唐突に立ち止まった僕を振り返り、「どうした」と問うてくるロンをぶっきらぼうにあしらう。
 「ただの貧血だ。東京プリズンの食事には鉄分が足りてないらしいな」
 眼鏡のブリッジを押し上げ、腑に落ちない顔のロンを足早に追い越す。今さら引き返すわけにはいかない。タジマなど恐るるにたりない下劣で卑小な人間だというのに、今ここで逃げたら自分の負けを認めるようではないか。意志の力で恐怖心をねじふせ、先行するふたりに勘付かれない程度の距離をおき、ロンと前後しながら慎重に尾行を続ける。
 「前にも一緒に歩いてたけど、五十嵐とタジマが仲いいなんて意外だな」
 「看守間の友人関係に口をだす権利は僕たち囚人にないぞ」
 「んなこと知ってるよ、べつに五十嵐がだれとダチだろうがつるもうが本人の勝手だし興味もねえけど……でもなんか、すっきりしねえな。五十嵐も好き好んでタジマにひっついてるようにゃ見えねえし、なんでふたり一緒にいるのか謎だ」
 「君とレイジも傍目にはそう見えるぞ」
 煮えきらない様子で疑問を口にするロンを、翻って自己分析するよう指摘する。
 「おまえとサムライもな。いまだにお前たちの間で会話成立してんのが不思議でしょうがねえ、ふたりきりになったとき何話してんだよ。この前だってほら、レイジが腹立ててサムライ残して行っちまったとき。ずいぶん廊下で話しこんでたみたいだけど、サムライの頭でも撫でて慰めてやってたの?」
 妄想が飛躍しすぎだ。頭は悪いくせに想像力は旺盛なロンに疲労のため息をつき、そっけなく言う。
 「なぜ僕がサムライの頭を撫でなければならない、年上の同性相手に気色が悪い。頭を撫でたくなるような殊勝な可愛げがあるなら話は別だが、そんな人間には妹以外お目にかかったことがないな。僕はただ骨に異常がないか怪我の具合を確かめていただけだ、レイジに乱暴されたサムライが壁に叩きつけられた弾みに右手首を痛めてないか気になってな。そういう君は一週間前の試合直前にレイジとなにを話してたんだ?」
 「たいしたことじゃねえよ」
 「言えないのか?」
 「……言うほどのことじゃねーし」
 「さては100人抜き達成時の約束についてくどくどしく念を押されたんだろう」
 図星か。
 顔を赤らめて舌打ちしたロンが何か言い返そうと大口を開け。
 「頼む五十嵐、この通りだ。三万でいいんだ、なっ?」
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