少年プリズン

まさみ

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百六十一話

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 試合中も不穏な気配はたちこめていた。
 気配の出所はレイジだ。金網の外からじゃ手も足も出ず、窮地に追いこまれて苦闘するサムライに再三代われと呼びかけても徹底して無視されて鬱憤をためこむ一方。一旦リングを下りてしまえば入り口に戻ってきた片割れと手と手を打ち合わせて合図しない限り戦線復帰することもできない。ルール無用のペア戦のルール以前の大前提、手と手を打ち合わせて合図しない限りはいかなる場合も交替は認められないのだ。
 手と手を打ち合わせるのは合意の証、信頼を譲渡する証。
 ペアを組んだ相棒に「後は任せた」と承認されなければ決してリングに上がることができず、ひりつくように焦れながら観客の側に回るしかない。
 サムライが梃子でもリングを下りなかったせいで不本意にも外野に回されたレイジは試合中ずっと苛立っていた。鍵屋崎が額に汗して戦うサムライを思い詰めた目で見守ってる間ずっとレイジの手を観察していたが、間接と長さのバランスが絶妙な指が十字架に絡むたびに苛立ちが募ってゆくのが傍目にもわかった。
 「なんで無視すんだよ、あいつ」
 苦々しげに吐き捨てた顔には焦燥が滲み、目には不満の火種が燻っていた。その時から胸を塞いでた嫌な予感が、今、俺の前で現実になろうとしている。
 試合終了後。
 サムライに顎をしゃくり、大股に歩き出したレイジの全身から威圧のオーラが振りまかれる。試合の興奮冷めやらぬ囚人で猥雑にごったがえす地下空間を突っ切れば「おいレイジだ!」「やべえ逃げろっ」「殺されるぞ」と剣呑などよめきが沸き起こり、蜘蛛の子散らすように観客が逃げ惑う狂騒の一幕が演じられる。
 レイジは一度も振り返らず、俺達がちゃんとついてきてるか確認しようともしない。俺達がついてきて当たり前、むしろそれが義務だといわんばかりの傲慢かつ尊大極まりない態度は、普段くだらない冗談を口にしておちゃらけてる身近で庶民的な王様とはかけはなれてる。
 「暴君だ」
 隣を歩いていた鍵屋崎が呟く。そう、暴君……今のレイジは憤怒の権化となった暴君、歩みを阻める奴はだれもいない。もし今レイジの前にとびだしてくる馬鹿がいたら最低でも腕一本はへし折られるにちがいない。
 悪寒がしてきた。
 サムライを従えたレイジが歩を向けたのは地下空間に連結された細い通路。さっき俺がタジマに連れ込まれたボイラー室がある廊下だ。
 試合観戦中からずっとレイジの様子はおかしかった。何度呼びかけても徹底的に無視される歯痒さに業を煮やし、十字架をまさぐる指は力をこめすぎて間接が強張っていた。黄金の十字架さえ砕いちまいそうな握力のこぶしで加減できずにサムライの頬骨を折っちまったら、と気が気じゃなく足を速めれば目の前に火花が散る。
 鍵屋崎の背中に顔面衝突。
 「ぼさっと突っ立ってんじゃねえ、人間急には止まれねえんだよっ」
 鼻血はでてねえよな、かっこ悪い。三歩前行く鍵屋崎が立ち止まったことにも気付かなかった気恥ずかしさを叱責でごまかせば、怒鳴れてる本人は無反応で硬直。横顔にはただならぬ緊張の色。何をそんな熱心に見てるんだろうと視線を追い、今度こそ俺も硬直した。
 蛍光灯が割れてるせいで通路全体が薄暗く、廃墟特有の裏寂れた空気がどんより澱んでいる。
 レイジとサムライは鍵屋崎の5メートル先にいた。
 壁を背にしたサムライと対峙し、詰問のポーズをとる。
 「なんだよ、その右手」
 不機嫌に凄まれてもサムライは動じず、興味もなさそうに自分の手首を一瞥しただけだ。純白の包帯が巻かれた右手首が鍵屋崎の肩越しの距離から目に入る。
 天井に設置された蛍光灯が忙しない瞬きを繰り返している。
 レイジの顔が闇に沈み、また暴かれる。明と暗がめまぐるしく入れ替わる荒廃した通路に立ち尽くすレイジとサムライを、そして、少し離れた場所で二人のやりとりを傍観するしかない鍵屋崎と俺の四人を沈黙の帳が包みこむ。
 「なんで無視したんだよ、さっき」
 質問を変えて追及するもサムライの表情は変わらない。なにを考えてるかまったくわからない不気味な無表情。質疑応答さえ成立しない無反応に業を煮やしたレイジが語気荒く吐き捨てる。
 「……右手怪我してんならそう言やいいだろ、なんで黙ってたんだよ。武士の意地?サムライの矜持?くだらねえ」
 サムライの双眸が針のように細まり、牽制の意をこめて木刀の鍔に左手を置く。
 「くだらなくなどない」
 「右手捻挫して刀使えないならそう言えよ。何ひとりでムキになってかっこつけてたんだよ、さっきはたまたま運が味方して勝てたからいいようなもの次の試合はどうするんだよ。順当に勝ち進んでけば敵はどんどん強くなる、二十組から先は片手で勝てるほど生易しくねえぞ」
 「最善を尽くす」
 「最善尽くしても結果だせなきゃ意味ねえだろ」
 「最善の結果を出す」
 「全然わかってねえよ、おまえ」
 レイジが嘆かわしげにかぶりを振る。 
 「何の為にペア組んでんだよ俺たち、ひとりが負けそうになったらひとりが助けるためだろうが。なのにおまえときたらさんざん呼びかけたの無視して意固地に剣にこだわりやがって、そんな目立ちたがり屋だとは思わなかったぜ。リングで脚光を浴びた気分はどうだ?気持ちよくて癖になりそうってか」
 「俺に交替したのはおまえだろう」
 「右手捻挫してるって知ってりゃ代わらなかったよ」
 サムライの負傷を事前に知らされてなかったのが悔しいのか腹立たしいのか、おそらくその両方だろう。やるせないため息をつき、無意識に十字架をまさぐる。
 「わかった、冷静にお話しよう。事の重大性ちゃんと理解してるのかなお利口なみっちゃんは。俺たちがペア戦100人抜き達成できなきゃキーストアとロンはおててつないで売春班に逆戻り、半年後の部署換えまで毎日客とらされてケツの穴もてあそばれるワケ。もちろん俺はロンが他の男に抱かれるのなんてぜってえ嫌だし想像しただけで吐き気がする、おまえだって同じだサムライ。そうだろ」
 「異論はない」
 「俺たちは何があってもどんな手使っても絶対勝たなきゃいけないわけ。Do you understand?」
 「無論だ」
 
 その一言でレイジがキレた。

 「じゃあなんで黙ってたんだよ!!?」
 激昂したレイジが片腕一本の膂力でサムライの胸ぐらを締め上げ手加減せず壁に叩きつける。壁を震わせた振動が天井にまで駆け上って蛍光灯を揺らし点滅が一層激しくなる。落下を危惧させる不安定さで軋る蛍光灯の下、壁際に追い詰めたサムライの胸ぐらを容赦なく締め上げるレイジの顔には一片の笑みもない。余裕ありげな物腰をかなぐり捨て、灼熱の溶岩流の如く腹の底から突き上げてくる憤怒を体中の血管一本一本に巡らせたレイジの双眸に激情が爆ぜる。
 「右手怪我してんならさっさと俺と交替すりゃいいだろが、なに意地張って一人で戦ってんだよ時代遅れのサムライ気取りが!!なんだよこの包帯は、痛いなら無茶すんなよ二度と剣握れなくなったらどうすんだよ!?」
 「大事はない」
 「嘘つけ、試合中額にびっしり脂汗浮かべてたのはどこのだれだ?木刀振るたびに辛そうな顔して痛み堪えてたのは?俺も鍵屋崎もロンもちゃんとこの目で見てんだよ、いまさら言い逃れできるわきゃねえだろ。刀振れないんなら交替しろよ、後は俺に任せろよ。万一お前がリングで負けたらその時点で100人抜き実現不可能で俺たちの敗北決定するんだぜ、ロンと鍵屋崎を助け出せなくなるんだぜ!?お前が無理して手首痛めて何の得があるんだよ、負けちまったら全部おしまいだろうが!!」
 唾とばして吼え猛る間も手はサムライの胸ぐらを掴んだまま。首を圧迫され罵られてもサムライは瞬きひとつせずレイジの恐ろしい形相から目を逸らすこともない。ただ、左手の木刀を握り直して毅然と顔を上げる。
 「俺は鍵屋崎を守ると誓った。お前もそうだろう、レイジ」
 外見以上に実年齢をあやふやにさせる老成した口吻でサムライが言い、手をつかねて立ち竦む俺に分別くさい一瞥を投げる。その視線が隣の鍵屋崎へと移り、頑なに信念を貫く眼光が強まる。
 「ならばこの程度の怪我問題にもならん。お前の足手まといにならぬよう尽力する」
 「足手まといだあ?」
 レイジの顔に嫌味な笑みが浮かぶ。比類なく整った面立ちさえ下卑て見せる侮蔑的な笑みは、普段見慣れた底抜けに明るい笑顔とは全く性質が異なる不快さと威圧を与えた。
 胸ぐらを掴む手に徐徐に力をくわえれば、息の通り道を塞がれる苦しみにサムライの顔が歪む。
 指の間接が強張るほどに胸ぐらを締め上げ、サムライを壁際に追い詰めてその上に覆い被さる。壁と背中を密着させ、されるがまま無抵抗に徹するサムライへとしなやかに体を摺り寄せる。
 「ふざけんな。足手まといとかくだらねえこと気にしてる暇あんなら意地張らずに俺頼れって言ってんだよ、さっきだってもう少しで負けそうだったじゃねえか。この先まだまだ試合は続くんだぜ、50組100人倒さなけりゃ俺たち四人全員心中する運命なんだ」
 「……お前など頼らなくとも」
 「あん?」
 耳元でささやいたレイジの顔が怪訝そうに歪み、手の力が緩む。その隙をついて褐色の手を振りほどき、皺が寄った胸元をひどく几帳面に手のひらで撫で下ろす。左手の木刀を握り締め、凛と背筋を伸ばしたサムライが眼光冷え冷えと宣言する。
 「お前など頼らなくても俺は俺の力と剣で鍵屋崎を守る。それが俺の信念だ、友人一人守り通すこともできずに武士を名乗るのは愚の骨頂、恥の極み。お前に何をどう言われても刀を握るのはやめん、刀を手放せば俺は俺でなくなる。身に刀を帯びず戦いを放棄するのは矜持を捨てるも同義、信念を貫いて右手を壊すならそれもまた本望だ」
 鍵屋崎の肩がかすかに震え、食い入るようにサムライを見つめる横顔に悲痛なものがこみあげる。 
 サムライは小揺るぎもせず、正面の虚空に目を据えていた。
 虚飾とも誇張とも一切無縁な実直な面持ちで、ただありのままの真実だけを述べ、己に恥じる所など一点もなく背筋を伸ばした立ち姿には清水で浄めた真剣のように清冽な気すら漂っている。
 『……sit』
 レイジの答えは短かったが、反応は激烈だった。
 囚人服の胸に垂れた鎖を力任せにちぎり十字架を毟り取る。鎖が弾けた十字架を握り締めた右手はそのままに前髪で表情を隠して片足を振り上げる。
 「!レ、」
 まさかサムライを蹴る気か!?
 「冷静になれ!」
 俺がとびだすよりも早く血相変えて走り出したのは鍵屋崎、サムライのもとに駆けつけようと床を蹴った鍵屋崎の頭上で蛍光灯が不規則に点滅。サムライの横脇、木刀にかけた左手を牽制するようにおもいきり壁を蹴りつけ、荒い舌打ちとともに足を下ろす。くっきり靴跡がついた壁から天井まで振動が駆け上り、衝撃に翻弄された蛍光灯が傾ぐ。
 「………よーくわかったよ。お前がとんでもねえ意地っ張りの頑固者でひとの話なんかこれっぽっちも聞かねえってことが」
 泥で汚れた壁から足をどけたレイジが底知れず暗い声と憎悪に濁った双眸で吐き捨てる。
 「勝手にしやがれサムライ気取り。そっちがその気ならこっちも好きにやらせてもらう。ペアだ?相棒だ?知るか。100人抜きなんて俺ひとりで楽勝だ。お前の手首が炎症起こそうがどうなろうが知ったことか、俺は俺のやり方で100人抜き成し遂げてロンを売春班から足抜けさせる」
 「俺は俺の剣に賭けて鍵屋崎を売春班から足抜けさせる」
 「交渉決裂だな」   
 皮肉げに笑ったレイジが去り際のついでとばかりに壁を蹴る。二度の衝撃に耐えかねた壁からは粉塵が舞い落ち、命脈を絶たれた蛍光灯が完全に瞑目する。
 荒廃した闇がわだかまる通路の片隅、背丈では分のあるサムライを覗きこんだレイジが、最後のチャンスを与えてやろうとでもいう風に舐めきった口調と見下した目つきで尊大に問う。
 「『代わってください』って土下座しても代わってやらないからな」
 暗闇の中、サムライがかすかに笑う気配した。口の端を歪める嘲笑。
 「こちらの台詞だ」 
 鼻白んだように黙りこみ、それ以上押し問答する愚を犯さず背を翻す。サムライを通路に残して歩き出したレイジとすれ違うように鍵屋崎が駆け出す。サムライのもとに辿り着いた鍵屋崎が小声で何か言ってる。だが俺の目は、すれ違い際視界を掠めた端正な横顔に吸い寄せられたまま離れなかった。
 サムライを突き放したレイジがほんの一瞬、あまりに短すぎて錯覚かと疑わせる一瞬、酷く傷ついた表情をしたからだ。
 サムライと鍵屋崎を通路に残し、俺のことなんかまるきり忘れたようにずんずん突き進むレイジの背中を小走りに追いかける。
 何て声をかけたらいいかわからない。
 看守の手により迅速に解体されてゆくフェンスの周囲にはまだ興奮の余熱冷めやらぬ囚人がたむろっていたが、通路に入る前と比べれば随分と閑散としていた。解体作業に着手されたリング周辺を用もないのにぶらついてる連中は、次のペア戦が行われる来週末まで強制労働に汗水流す日々が続く現実に帰還するのが惜しくて、ささやかな抵抗にだらだら駄弁って一日を引き延ばそうとしている。
 レイジは左手を軽くポケットにかけ、十字架を握り締めた右手を力なくたらし、さっきまでの賑わいが夢か嘘のように閑散とした地下空間を芒洋と見つめていた。解体されたフェンスが数人がかりで運び出されて行く光景を見送る目には一言では表現できない複雑な色がある。

 何か声をかけてやらなければ。

 こんな頼りないレイジはらしくない。さっきまでの怒りが嘘のように萎んだ背中は勢いだけでサムライと絶交しちまってこれからどうしようと途方に暮れてるようにも見える。
 ……まあ、目の錯覚かも知れないが。
 どっちにしろ、いつでも自信満々大胆不敵な笑みを絶やさないレイジのこんな背中は見たくない。
 「サムライの右手が心配なのか」
 「サムライなんか心配なんかしてねえよ」
 「日本語おかしい」
 「うるせえ」
 少しだけ背中に元気が回復する。深呼吸し、完全に気を取り直したレイジが振り向く。鍵屋崎とサムライが通路から出てくる気配はない。二人で何を話してるんだろうと気にならないと言ったら嘘になるが精神的に不安定なレイジを放っぽって様子を見に行くわけにはいかない。
 お人よしな自分がいやになりため息をつく。ポケットに手を突っ込み、レイジの隣に立つ。レイジが見てるのと同じ方向に視線を投じれば、三々五々去ってゆく囚人の向こう、金網が撤去された正方形の空間がぽっかり口を開けていた。
 潮が引くように人が去った地下空間を漫然と見渡し、口を開く。
 「……謝らなくていいのか」
 「なんで俺が。何も間違ったこと言ってねえだろ、右手が痛きゃ俺と代わればよかったんだ、無理して戦って勝っても右手壊したら意味ねーだろ。庶民は王様の言うこと黙って聞いてりゃいいんだ、変な意地張って交替拒んでリングに上がり続けて……もういいよ、サムライなんかあてにせずに俺一人で100人抜きしてお前抱くから」
 「なんでそうなるんだよ……」
 ガキっぽくむくれたレイジの横でため息をつく。俺のほうが年下のはずなのに、まったく手のかかる王様だ。どこまで本気か冗談かわからない人の誤解を招く言動が多いレイジだが、こいつはこいつなりに本気でサムライを心配してたんだろう。同じ目的の為に手を組んだ相棒として、安心して背中を預けられる存在として。だからこそ、右手の捻挫を隠してリングに上がったサムライが許せないのだ。
 「……『汝 偽りの証しを立てるなかれ』」
 「?」
 「十戒の九戒目、『汝 偽りの証しを立てるなかれ』。つまんない嘘つくなってこと」 
 「サムライは嘘ついてないぜ」
 その指摘にレイジが振り向く。
 「言わなかっただけだ」
 「なおさらタチ悪い」
 舌打ちしたレイジがばつ悪げな表情で手の中の十字架を見下ろす。自らの手で鎖をひきちぎった十字架を見下ろしながら苦々しげに吐き捨てる。
 「……相性悪いのかもな、俺たち。共闘なんかするんじゃなかったぜ」
 持て余し気味に十字架をまさぐる横顔に自嘲的な笑みを上らせたレイジを見てると何か声をかけてやりたくなる。だが上手い言葉が見つからない。落胆したレイジに免疫がないせいか、うまい慰めの言葉や励ましの文句がさっぱり思い浮かばない。伏し目がちにうなだれたレイジにとにかく何でもいいから声をかけようと口を開きかけ、
 「よくもやってくれたな、ロン」
 コンクリの地面に巨大な影がさす。
 「!」
 反射的に振り返り、影の主を確認した途端心臓が止まりかける。ボイラー室のある通路からよろばいでてきたのは鼻柱を赤く擦りむいたタジマだ。全試合終了する頃になってやっと目が覚めたらしい。
 俺の耳たぶに安全ピンで穴を開けようとしてお預け食らったことが相当腹に据えかねてるらしい。憤怒で満面朱に染めたタジマが凶暴に唸る。
 「待ってろ、今すぐそっち行ってさっきの続きしてやる。二度と舐めた真似できねえように安全ピンでその生意気な口と舌縫い合わせて、そうだズボン脱がせて下も……」
 腰の警棒に手をかけたタジマが狂気に目をぎらつかせて鼻息荒く歩いてくる。最悪だ、何でこんな時に。自分の不運を呪ってみても始まらない、一刻も早く逃げなければ、いやだめだ、もう遅い。タジマはもうそこまで来てる……
 「タジマさん」
 警棒を抜こうとした手がびくりと硬直。
 やんわりタジマに呼びかけたのはそれまで背中を向けていたレイジ。声をかけられ、初めてレイジの姿が視界に入ったとばかり仰天したタジマを振り向き、にこやかに言う。
 「俺、今最高に機嫌悪ィんだけど。それ以上ロンに近付いたら掘るから」
 だがしかし、その目はこれっぽっちも笑ってなかった。
 背筋がぞっとするような冷ややかな微笑で脅迫されたタジマがひどく苦労して生唾を嚥下、ぎこちない動作で警棒を腰に戻す。
 体ごとタジマに向き直り、無防備に歩を踏み出し、芝居がかって大仰な身振りで畳みかける。
 「今ここであんたのケツ剥いて括約筋ずたずたにしてやろうか。この十字架中に突っ込んで抉ってやろうか。これまでさんざん売春班のガキども犯して美味しい思いしてきたんだ、だったらたまには楽しませてくれよ、なあ」
 おどけた動作で両手を広げながらタジマに歩み寄ったレイジが扇情的に赤い舌を覗かせ、手の中の十字架を美味そうに舐める。
 背徳の十字架を舐める冒涜のキス。
 「あんたがこれまで体験したことないくらい最高に気持ちよくさせてやるよ」
 「………っ!!」
 タジマの喉が恐怖にひきつり、絞め殺される豚によく似た悲鳴を漏らす。
 「くそっ、覚えてろよレイジ、それにロン!100人抜きなんて無理に決まってんだろうが、負けちまえ負けちまえてめえもサムライも負けちまえ!売春班に落ちてきたらロンとかわるがわる楽しんでやるっ」
 捨て台詞だけは威勢良く踵を返したタジマが全速力で逃げ去ってゆく。十字架に舌を這わせながらその後姿を見送り、顔を上げる。
 「尻は重いくせに逃げ足速いな」
 「………今言ったことマジじゃないよな?」
 頼むから否定してくれと内心気を揉みながらおずおず追及すれば、尻軽な王様はあっさりうそぶく。
 「マジ」
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