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百五十七話
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ペア戦開幕を告げるゴングが高らかに響き渡る。
死闘の舞台となる一辺8メートルの正方形は便宜上「リング」と呼ばれる。
猛獣を囲いこむ檻を連想させる景観の高さ10メートルはあろうかという金網で、一度この中に足を踏み入れたら降参を表明するか完膚なきまでに叩きのめされて再起不能になるか次に控えてる相棒にバトンタッチするかしないと外に帰還することができない。
娯楽班の試合にルールなどあってないようなもんで武器の使用は可、普段持ち歩いてるのが看守にバレたらお咎め食らう物騒な凶器もこの日だけは所持が認可されてる。まあ武器といっても刑務所の中で調達できるもんだからナイフや鉄パイプ、または鋭く尖らせた鉄板などに限られてて銃を持ち出してくるような馬鹿は今だかつていない。
ルールはこれひとつと言っても過言じゃない。殺ったもん勝ち。
東京プリズンに服役してから一年半になるが俺が週末の夜に一度の地下闘技場に足を運んだ回数は片手で足りるほど。最初の頃は興味本位でレイジにくっついて覗いてみたがすぐに辟易した。東京プリズン最大の娯楽、週末の夜に地下で催される無差別格闘技試合の噂はもちろん新米の俺の耳にも入ってきたが二三回観てうんざりした。
こんな悪趣味な出し物だれが考えたんだ?完璧いかれてやがる、そいつ。
刑務所にぶちこまれたガキを野犬をけしかけるみたいに競わせて戦わせて無駄な血を流させて一体何が楽しいのか理解に苦しむ。俺も池袋最凶最悪と恐れられた武闘派チームで抗争に明け暮れてた身だがそれは成り行きみたいなもんで、お袋のアパートをとびだして路頭に迷った挙句にたどり着いた場所が路上で暮らしてるガキが寄り集まり、似たり寄ったりな境遇の中国系のガキと陣取り合戦してるチームだっただけだ。好きで喧嘩や抗争に明け暮れてたわけじゃない、ほかにやることがなかったから仕方なくだ。
得意なものが必ずしも好きとは限らないのが世の中辛いところだ。
でも、レイジか出るんなら応援しないわけにはいかない。レイジとサムライは俺と鍵屋崎を、ひいては売春班のガキども全員を助け出すためにペア戦50組100人抜きに挑むんだから責任とって一部始終を見届けなきゃバチが当たるだろう……昨夜の約束はおいといて。
地下停留場は満員御礼。人いきれで蒸せ返り呼吸するのも苦しいほどだ。昼間は強制労働に従事する囚人を各部署へと運ぶ送迎バスがコンコースを走る巨大な地下空間が今は東西南北全棟から大挙して殺到した囚人で埋まってる。髪の色目の色肌の色、外見的には何の統一性もない囚人がある者は金網のフェンスにへばりつき、ある者は押し合いへし合い小競り合いして場所をとりあいながらリングの中央に目を凝らしている。無秩序を極めた無秩序の眺め。地下闘技場には何の秩序も存在しない、日頃囚人を束縛して抑圧してる堅苦しい規則など何もない。
何が起きてもおかしくない、真の無法地帯。
「………」
金網の網目を握り締め、食い入るようにリングを凝視。金網を四囲に巡らせた正方形の中央、フェンスの四隅に設置されたサーチライトの脚光を浴びて対峙してるのは……
レイジと他棟のガキ。先鋒同士の対決だ。
「負けんなよレイジ!」
ゴングを鳴らした看守がレイジの横を走り抜けて金網の外の安全圏に退避する。喉の乾きを生唾で湿らし、肩の凝りをほぐしてるレイジに一声かければ極上の笑顔で振り返る。
「あったりまえだろ。待ってろロン、速攻100人抜きして抱いてやるからな!」
……………あの馬鹿。
よく響き渡る大声をあげ、きっかりとこっちを向いて宣言したもんだから金網のフェンスにしがみついてた俺にまで注目が集まる。あの馬鹿、能天気なツラで手なんか振ってんじゃねえ。まわりの視線が痛いだろ!顔を熱くしてうつむけば隣の鍵屋崎が訝しげに眉をひそめる。
「……どういうことだ?」
「……聞いたとおりだよ」
「まさかとは思うが短絡的で直情的な君のことだ、レイジに押し切られる形で100人抜き達成したら抱かせてやるなんて約束したわけじゃないだろうな」
図星だ。動揺した俺を軽蔑的なまなざしで一瞥、眼鏡のブリッジを押さえて物憂げに嘆息する。
「同情で抱いて勢いで抱かれるのか。最低だな」
「同情じゃねえよ」
「勢いは否定しないんだな」
……否定できねえだろ実際。
あげ足とられて押し黙れば、金網を掴んでうつむいた俺にはもう興味をなくしたように鍵屋崎が顔を上げる。鍵屋崎の視線の先、こちら側の入り口には木刀を左手に構えたサムライが佇んでる。周囲の熱狂とは裏腹に、静謐な空気を纏ったサムライの横顔を落ち着きなく窺いながら声だけは平板に続ける。
「減るものではなし素直に抱かれてやったらどうだ」
「は……!?」
耳を疑った、鍵屋崎の口からこんな言葉が出るなんて。当の本人はしれっとしてる。金網のフェンスに凭れかかり脱力のため息をつく。
「……おまえブラックワーク行ってから性格変わった」
「変わらざるをえない体験をしたからな、多少は打たれ強くなった」
卑下して自嘲するでもなく、ありのままの事実を述べるかの如く淡々と言った鍵屋崎に見とれちまったのはこうして肩を並べてじっくり横顔を見て、この半年間でずいぶん成長したなと感心したからだ。半年前、食堂で初めて顔を合わせたときは頑ななまでに人間不信でとっつきにくい印象を受けたのに今じゃこうやって半々で嫌われ者の俺とも普通に話してる。半年前と比べて大分背が伸びて、あどけなさが抜けたぶん輪郭が痩せて大人びた横顔を見上げて独りごちる。
「サムライのおかげ、か」
「何がサムライのおかげなんだ?」
「独り言に口挟むやつは無教養なんじゃなかったのか」
間髪入れずあげ足をとり返せば一本とられた鍵屋崎が憮然と押し黙る。いい気味だ。頬が緩みそうになるのを引き締めて前を向く。間合いはじりじりと縮まってる。リング中央、半歩足を開いて立ったレイジはまだポケットから手を出してもいない。
「馬鹿にしてんのか?」
「寒がりなんだ俺」
どうやら西棟の人間らしい、「いけっやれっ!」「東棟の人間なんかに負けんじゃねえ!」「負けたら帰ってくるな!」「西棟の意地を見せてやれー」と声援に後押しされたガキが歯を剥き出して間合いに踏み込む。
緊張で手が汗ばんでくる。距離は徐徐に縮まりつつあるってのにレイジは慌てる素振りもなくただ突っ立ってる。何を考えてるんだあいつ?房をでるときに武器になりそうなモンをポケットに仕込んでる様子はなかったしマジで素手で戦う気なのか?対戦相手のガキは一見徒手空拳だが、いつポケットからナイフを抜くかわかったもんじゃない。いや、ナイフとは限らない。食堂からかっぱらってきたフォークか秘密裏に入手したスタンガンか鑢で研いで異様に鋭くした針金かそれとも……
「レイジくんは素手ですか」
「!」
驚いて顔を上げる。試合に熱中するあまり存在を忘れていたホセがいた。七三分けに黒縁眼鏡という当たり障りのない容姿のせいか一旦群衆に埋没しちまうと存在感がなくなるんだろう、肘が触れ合う距離に接近してたのに全然気づかなかった。
「いつのまに?」
「カメレオンの保護色の原理だ」
おなじことを考えていたらしい鍵屋崎が上手い例えになぞらえる。俺の横、肘と肘がぴたりと密着する距離から身を乗り出し、金網の向こう、リング中央でいまだ余裕の笑みを浮かべてるレイジを観察。顎の下に拳を当てたホセがふむふむと頷く。
「彼は武器を携帯してない?」
「俺が見たかぎりじゃ房を出るときに何も持ってなかったけど」
「素手で戦うつもりなのか?」
鍵屋崎に確認されて不安になる。いつだったかレイジが図書室から借りてきた聖書はポケットに隠せるほど小さくないし他に武器を身につけてる様子もない。西棟のガキと睨み合ったまま、ポケットに手を突っ込んだ不敵なポーズで間合いをとるレイジを目で追いつつ焦りを禁じえない鍵屋崎が呟く。
「いくらレイジが強くても無謀すぎる、相手がどう出るかわからないのに」
「まあご覧ください、今にわかります。彼がおそろしく堅実な王だということがね」
どういう意味だ?
謎めいた微笑に促されてリングに視線をやれば、なかなか縮まらない距離に苛立ちと焦りをおぼえたのか、その差3メートルまでレイジを追い詰めた西棟のガキが下卑た笑みを口元に滴らせて挑発する。
「ペア戦100人抜きなんて無茶な目標ぶちあげたブラックワーク覇者ってゆーから期待してみりゃとんだタマなしだな、逃げるばっかで全然手え出してこねえなんて噂ほどでもねえ。おまえみてえなチキン野郎がトップに立ってるなんて東棟の連中はどんだけ弱えんだよ、それとも何か、そのキレイなツラと体でたらしこんで言うこと聞かせてんのか?そんなら王様じゃなくて女王様だ、東棟のクイーンに改名したらどうだ」
「クイーンは別にいるんだよ」
……まさか俺のことじゃねえだろうな。
「ロンくんのことでしょうね」
「頼むから振らないでくれ」
鍵屋崎の視線が横顔に刺さる。やめろ、そんな目で見ないでくれ。金網を両手で握り締めてうなだれてるとリングに変化が起きる、床を蹴って加速したガキが前傾姿勢をとってレイジめがけて突っ走る。
「あばよチキンキング!」
ガキの片足が俊敏な弧を描いて宙を薙いだ、最前までレイジがいた位置を。レイジの鳩尾にめりこもうとしていたつま先が標的を逸して金網を穿つ、やけに重々しい音をたて金網が陥没しフェンスに群がっていた観客が「ぎゃっ!?」と仰け反る。ドミノ倒しの連鎖反応で尻餅ついた観客の鼻先から引き抜かれたつま先からは鋭く尖った鉄板の先端が飛び出ていた。
「スニーカーの底に鉄板仕込んでやがったのか!」
娯楽班の囚人がよく使う手だ。前にも一度このやり方でレイジに挑んでボロ負けしたやつがいた。ポケットばかり警戒してたせいで足元から注意が逸れてて気づかなかった。
「あぶねーあぶねー」
冷や汗ひとつかいてない涼しげな顔でのんびりとうそぶく。避けるのが一瞬遅れてたらガキの靴から飛び出た鉄板が確実に肩に刺さってたってのにレイジときたら落ち着きすぎだ、心配してる俺が馬鹿みてえじゃんか。
「娯楽班は学習能力ねえな。前にも靴に鉄板仕込んでむかってきた奴いたけど……末路聞いた?」
「全治一週間だろ」
「ご名答。おまえは何週間がいい?一週間か二週間か」
「ふざけてろ」
金網をへこませたガキがゆらりと体勢を立て直す。床を蹴り一気に加速、獣じみた雄叫びを発しながら闘争心むきだしでレイジに突っかかってゆく。ガキを加勢するように声援が膨らむ、金網に群がりよじのぼった西棟のガキどもが「殺れ、殺っちまえ!」「レイジを倒したら西が一番だ!」「ブラックワーク新王者は西棟の人間だ!」と檄を飛ばしてる。皆が皆レイジが殺られるところを、完膚なきまでに叩きのめされ無様に地を舐める王の姿を見たがってる。観客の中にゃ東棟の人間もいるはずだが哀しいかな人望がないせいでレイジを応援するやつはあまりいない、それどころか「殺れ、殺っちまえ!」「東棟の劉が許す、いちばん数多い中国系さしおいてトップ名乗ってるフィリピン製の混血児なんて殺しちまえ!」と鼻息荒く駆り立てる始末だ。観客の中に凱の取り巻き連中が多く混じってるらしい。
レイジの味方はだれもいない。そう、俺以外は。
―「レイジ、負けんじゃんねえ!!」―
気づいたら叫んでいた、腹の底から。
鍵屋崎がびっくりしてる。ホセが「おやおや」と微笑ましげに笑ってる。知ったこっちゃねえ。声に反応して顔を上げたレイジが金網越しに俺を見つけて目を見張り、そして。
世界中の女心をかっさらっちまう、無敵かつ不敵な笑みを湛える。
―「クイーンの応援ありゃ百人力だ!」―
レイジが跳んだ。
接触寸前、猛牛めいた前傾姿勢で突進してきたガキの眼前でコンクリートを蹴り、跳躍。高く高く高度が上昇、優雅に長い足がスローモーションめいた弧を描いてガキのこめかみに吸い寄せられてゆく。レイジの鳩尾を狙って繰り出された鉄板仕込みのつま先がむなしく宙を穿ち、バランスを崩したガキが前のめりにたたらを踏む。映画のワンシーンのように時間はひどくゆっくりと流れ、ガキをぎりぎりまで引き付けて横脇に跳び退いたレイジの片足が楕円の軌道に乗って宙を滑ってガキのこめかみに接近し……
「試合所要時間三分二十秒というところですか」
レイジの首から泳いだ金鎖が照明を反射して鈍くきらめくのと、眼鏡のブリッジを押さえたホセが呟くのは同時だった。
次の瞬間、レイジの跳び蹴りがガキのこめかみに炸裂した。
頭蓋骨を揺さぶる衝撃にたまらず地に膝をついたガキの背後に羽毛の軽さで着地する、首から泳いだ鎖を引き戻し十字架に接吻。
唇が十字架に触れるのが試合終了の合図だった。
「レイジくんは本でもフォークでも缶きりでも何でも武器にしてしまうことで恐れられてますが近接戦闘も得意なんです。初試合に素手で臨んだのは正しい判断だったと吾輩思います。武器を持ってると余裕が生まれる、武器の威力に頼りきるあまり心身に満ちる緊張感が欠けてしまう。これでわかったでしょう、さきほど吾輩がレイジくんを堅実と言ったわけが」
試合の興奮をおさえきれないホセが頬を紅潮させて説明する。俺と鍵屋崎はただただぽかんとして、リングに寝転がったまま脳震盪を起こして立ちあがれずにいる挑戦者と両手を挙げて歓声に応じるレイジとに見入るだけだ。
「レイジくんは確実に勝てる方法を選んだんです」
「ね、堅実でしょ?」と顔を覗きこんでくるホセを鬱陶しげに振り払って「レイジ!」と声をかければ、跳び蹴りの一撃で挑戦者を屠った王様がにやりと笑う。
「応援ありがとよ、マイ・ディア・クイーン」
「黙れファッキン・キング」
中指を突き立てられ、お調子者の王様は肩を竦めた。
ポケットに手を突っ込んだまま。
死闘の舞台となる一辺8メートルの正方形は便宜上「リング」と呼ばれる。
猛獣を囲いこむ檻を連想させる景観の高さ10メートルはあろうかという金網で、一度この中に足を踏み入れたら降参を表明するか完膚なきまでに叩きのめされて再起不能になるか次に控えてる相棒にバトンタッチするかしないと外に帰還することができない。
娯楽班の試合にルールなどあってないようなもんで武器の使用は可、普段持ち歩いてるのが看守にバレたらお咎め食らう物騒な凶器もこの日だけは所持が認可されてる。まあ武器といっても刑務所の中で調達できるもんだからナイフや鉄パイプ、または鋭く尖らせた鉄板などに限られてて銃を持ち出してくるような馬鹿は今だかつていない。
ルールはこれひとつと言っても過言じゃない。殺ったもん勝ち。
東京プリズンに服役してから一年半になるが俺が週末の夜に一度の地下闘技場に足を運んだ回数は片手で足りるほど。最初の頃は興味本位でレイジにくっついて覗いてみたがすぐに辟易した。東京プリズン最大の娯楽、週末の夜に地下で催される無差別格闘技試合の噂はもちろん新米の俺の耳にも入ってきたが二三回観てうんざりした。
こんな悪趣味な出し物だれが考えたんだ?完璧いかれてやがる、そいつ。
刑務所にぶちこまれたガキを野犬をけしかけるみたいに競わせて戦わせて無駄な血を流させて一体何が楽しいのか理解に苦しむ。俺も池袋最凶最悪と恐れられた武闘派チームで抗争に明け暮れてた身だがそれは成り行きみたいなもんで、お袋のアパートをとびだして路頭に迷った挙句にたどり着いた場所が路上で暮らしてるガキが寄り集まり、似たり寄ったりな境遇の中国系のガキと陣取り合戦してるチームだっただけだ。好きで喧嘩や抗争に明け暮れてたわけじゃない、ほかにやることがなかったから仕方なくだ。
得意なものが必ずしも好きとは限らないのが世の中辛いところだ。
でも、レイジか出るんなら応援しないわけにはいかない。レイジとサムライは俺と鍵屋崎を、ひいては売春班のガキども全員を助け出すためにペア戦50組100人抜きに挑むんだから責任とって一部始終を見届けなきゃバチが当たるだろう……昨夜の約束はおいといて。
地下停留場は満員御礼。人いきれで蒸せ返り呼吸するのも苦しいほどだ。昼間は強制労働に従事する囚人を各部署へと運ぶ送迎バスがコンコースを走る巨大な地下空間が今は東西南北全棟から大挙して殺到した囚人で埋まってる。髪の色目の色肌の色、外見的には何の統一性もない囚人がある者は金網のフェンスにへばりつき、ある者は押し合いへし合い小競り合いして場所をとりあいながらリングの中央に目を凝らしている。無秩序を極めた無秩序の眺め。地下闘技場には何の秩序も存在しない、日頃囚人を束縛して抑圧してる堅苦しい規則など何もない。
何が起きてもおかしくない、真の無法地帯。
「………」
金網の網目を握り締め、食い入るようにリングを凝視。金網を四囲に巡らせた正方形の中央、フェンスの四隅に設置されたサーチライトの脚光を浴びて対峙してるのは……
レイジと他棟のガキ。先鋒同士の対決だ。
「負けんなよレイジ!」
ゴングを鳴らした看守がレイジの横を走り抜けて金網の外の安全圏に退避する。喉の乾きを生唾で湿らし、肩の凝りをほぐしてるレイジに一声かければ極上の笑顔で振り返る。
「あったりまえだろ。待ってろロン、速攻100人抜きして抱いてやるからな!」
……………あの馬鹿。
よく響き渡る大声をあげ、きっかりとこっちを向いて宣言したもんだから金網のフェンスにしがみついてた俺にまで注目が集まる。あの馬鹿、能天気なツラで手なんか振ってんじゃねえ。まわりの視線が痛いだろ!顔を熱くしてうつむけば隣の鍵屋崎が訝しげに眉をひそめる。
「……どういうことだ?」
「……聞いたとおりだよ」
「まさかとは思うが短絡的で直情的な君のことだ、レイジに押し切られる形で100人抜き達成したら抱かせてやるなんて約束したわけじゃないだろうな」
図星だ。動揺した俺を軽蔑的なまなざしで一瞥、眼鏡のブリッジを押さえて物憂げに嘆息する。
「同情で抱いて勢いで抱かれるのか。最低だな」
「同情じゃねえよ」
「勢いは否定しないんだな」
……否定できねえだろ実際。
あげ足とられて押し黙れば、金網を掴んでうつむいた俺にはもう興味をなくしたように鍵屋崎が顔を上げる。鍵屋崎の視線の先、こちら側の入り口には木刀を左手に構えたサムライが佇んでる。周囲の熱狂とは裏腹に、静謐な空気を纏ったサムライの横顔を落ち着きなく窺いながら声だけは平板に続ける。
「減るものではなし素直に抱かれてやったらどうだ」
「は……!?」
耳を疑った、鍵屋崎の口からこんな言葉が出るなんて。当の本人はしれっとしてる。金網のフェンスに凭れかかり脱力のため息をつく。
「……おまえブラックワーク行ってから性格変わった」
「変わらざるをえない体験をしたからな、多少は打たれ強くなった」
卑下して自嘲するでもなく、ありのままの事実を述べるかの如く淡々と言った鍵屋崎に見とれちまったのはこうして肩を並べてじっくり横顔を見て、この半年間でずいぶん成長したなと感心したからだ。半年前、食堂で初めて顔を合わせたときは頑ななまでに人間不信でとっつきにくい印象を受けたのに今じゃこうやって半々で嫌われ者の俺とも普通に話してる。半年前と比べて大分背が伸びて、あどけなさが抜けたぶん輪郭が痩せて大人びた横顔を見上げて独りごちる。
「サムライのおかげ、か」
「何がサムライのおかげなんだ?」
「独り言に口挟むやつは無教養なんじゃなかったのか」
間髪入れずあげ足をとり返せば一本とられた鍵屋崎が憮然と押し黙る。いい気味だ。頬が緩みそうになるのを引き締めて前を向く。間合いはじりじりと縮まってる。リング中央、半歩足を開いて立ったレイジはまだポケットから手を出してもいない。
「馬鹿にしてんのか?」
「寒がりなんだ俺」
どうやら西棟の人間らしい、「いけっやれっ!」「東棟の人間なんかに負けんじゃねえ!」「負けたら帰ってくるな!」「西棟の意地を見せてやれー」と声援に後押しされたガキが歯を剥き出して間合いに踏み込む。
緊張で手が汗ばんでくる。距離は徐徐に縮まりつつあるってのにレイジは慌てる素振りもなくただ突っ立ってる。何を考えてるんだあいつ?房をでるときに武器になりそうなモンをポケットに仕込んでる様子はなかったしマジで素手で戦う気なのか?対戦相手のガキは一見徒手空拳だが、いつポケットからナイフを抜くかわかったもんじゃない。いや、ナイフとは限らない。食堂からかっぱらってきたフォークか秘密裏に入手したスタンガンか鑢で研いで異様に鋭くした針金かそれとも……
「レイジくんは素手ですか」
「!」
驚いて顔を上げる。試合に熱中するあまり存在を忘れていたホセがいた。七三分けに黒縁眼鏡という当たり障りのない容姿のせいか一旦群衆に埋没しちまうと存在感がなくなるんだろう、肘が触れ合う距離に接近してたのに全然気づかなかった。
「いつのまに?」
「カメレオンの保護色の原理だ」
おなじことを考えていたらしい鍵屋崎が上手い例えになぞらえる。俺の横、肘と肘がぴたりと密着する距離から身を乗り出し、金網の向こう、リング中央でいまだ余裕の笑みを浮かべてるレイジを観察。顎の下に拳を当てたホセがふむふむと頷く。
「彼は武器を携帯してない?」
「俺が見たかぎりじゃ房を出るときに何も持ってなかったけど」
「素手で戦うつもりなのか?」
鍵屋崎に確認されて不安になる。いつだったかレイジが図書室から借りてきた聖書はポケットに隠せるほど小さくないし他に武器を身につけてる様子もない。西棟のガキと睨み合ったまま、ポケットに手を突っ込んだ不敵なポーズで間合いをとるレイジを目で追いつつ焦りを禁じえない鍵屋崎が呟く。
「いくらレイジが強くても無謀すぎる、相手がどう出るかわからないのに」
「まあご覧ください、今にわかります。彼がおそろしく堅実な王だということがね」
どういう意味だ?
謎めいた微笑に促されてリングに視線をやれば、なかなか縮まらない距離に苛立ちと焦りをおぼえたのか、その差3メートルまでレイジを追い詰めた西棟のガキが下卑た笑みを口元に滴らせて挑発する。
「ペア戦100人抜きなんて無茶な目標ぶちあげたブラックワーク覇者ってゆーから期待してみりゃとんだタマなしだな、逃げるばっかで全然手え出してこねえなんて噂ほどでもねえ。おまえみてえなチキン野郎がトップに立ってるなんて東棟の連中はどんだけ弱えんだよ、それとも何か、そのキレイなツラと体でたらしこんで言うこと聞かせてんのか?そんなら王様じゃなくて女王様だ、東棟のクイーンに改名したらどうだ」
「クイーンは別にいるんだよ」
……まさか俺のことじゃねえだろうな。
「ロンくんのことでしょうね」
「頼むから振らないでくれ」
鍵屋崎の視線が横顔に刺さる。やめろ、そんな目で見ないでくれ。金網を両手で握り締めてうなだれてるとリングに変化が起きる、床を蹴って加速したガキが前傾姿勢をとってレイジめがけて突っ走る。
「あばよチキンキング!」
ガキの片足が俊敏な弧を描いて宙を薙いだ、最前までレイジがいた位置を。レイジの鳩尾にめりこもうとしていたつま先が標的を逸して金網を穿つ、やけに重々しい音をたて金網が陥没しフェンスに群がっていた観客が「ぎゃっ!?」と仰け反る。ドミノ倒しの連鎖反応で尻餅ついた観客の鼻先から引き抜かれたつま先からは鋭く尖った鉄板の先端が飛び出ていた。
「スニーカーの底に鉄板仕込んでやがったのか!」
娯楽班の囚人がよく使う手だ。前にも一度このやり方でレイジに挑んでボロ負けしたやつがいた。ポケットばかり警戒してたせいで足元から注意が逸れてて気づかなかった。
「あぶねーあぶねー」
冷や汗ひとつかいてない涼しげな顔でのんびりとうそぶく。避けるのが一瞬遅れてたらガキの靴から飛び出た鉄板が確実に肩に刺さってたってのにレイジときたら落ち着きすぎだ、心配してる俺が馬鹿みてえじゃんか。
「娯楽班は学習能力ねえな。前にも靴に鉄板仕込んでむかってきた奴いたけど……末路聞いた?」
「全治一週間だろ」
「ご名答。おまえは何週間がいい?一週間か二週間か」
「ふざけてろ」
金網をへこませたガキがゆらりと体勢を立て直す。床を蹴り一気に加速、獣じみた雄叫びを発しながら闘争心むきだしでレイジに突っかかってゆく。ガキを加勢するように声援が膨らむ、金網に群がりよじのぼった西棟のガキどもが「殺れ、殺っちまえ!」「レイジを倒したら西が一番だ!」「ブラックワーク新王者は西棟の人間だ!」と檄を飛ばしてる。皆が皆レイジが殺られるところを、完膚なきまでに叩きのめされ無様に地を舐める王の姿を見たがってる。観客の中にゃ東棟の人間もいるはずだが哀しいかな人望がないせいでレイジを応援するやつはあまりいない、それどころか「殺れ、殺っちまえ!」「東棟の劉が許す、いちばん数多い中国系さしおいてトップ名乗ってるフィリピン製の混血児なんて殺しちまえ!」と鼻息荒く駆り立てる始末だ。観客の中に凱の取り巻き連中が多く混じってるらしい。
レイジの味方はだれもいない。そう、俺以外は。
―「レイジ、負けんじゃんねえ!!」―
気づいたら叫んでいた、腹の底から。
鍵屋崎がびっくりしてる。ホセが「おやおや」と微笑ましげに笑ってる。知ったこっちゃねえ。声に反応して顔を上げたレイジが金網越しに俺を見つけて目を見張り、そして。
世界中の女心をかっさらっちまう、無敵かつ不敵な笑みを湛える。
―「クイーンの応援ありゃ百人力だ!」―
レイジが跳んだ。
接触寸前、猛牛めいた前傾姿勢で突進してきたガキの眼前でコンクリートを蹴り、跳躍。高く高く高度が上昇、優雅に長い足がスローモーションめいた弧を描いてガキのこめかみに吸い寄せられてゆく。レイジの鳩尾を狙って繰り出された鉄板仕込みのつま先がむなしく宙を穿ち、バランスを崩したガキが前のめりにたたらを踏む。映画のワンシーンのように時間はひどくゆっくりと流れ、ガキをぎりぎりまで引き付けて横脇に跳び退いたレイジの片足が楕円の軌道に乗って宙を滑ってガキのこめかみに接近し……
「試合所要時間三分二十秒というところですか」
レイジの首から泳いだ金鎖が照明を反射して鈍くきらめくのと、眼鏡のブリッジを押さえたホセが呟くのは同時だった。
次の瞬間、レイジの跳び蹴りがガキのこめかみに炸裂した。
頭蓋骨を揺さぶる衝撃にたまらず地に膝をついたガキの背後に羽毛の軽さで着地する、首から泳いだ鎖を引き戻し十字架に接吻。
唇が十字架に触れるのが試合終了の合図だった。
「レイジくんは本でもフォークでも缶きりでも何でも武器にしてしまうことで恐れられてますが近接戦闘も得意なんです。初試合に素手で臨んだのは正しい判断だったと吾輩思います。武器を持ってると余裕が生まれる、武器の威力に頼りきるあまり心身に満ちる緊張感が欠けてしまう。これでわかったでしょう、さきほど吾輩がレイジくんを堅実と言ったわけが」
試合の興奮をおさえきれないホセが頬を紅潮させて説明する。俺と鍵屋崎はただただぽかんとして、リングに寝転がったまま脳震盪を起こして立ちあがれずにいる挑戦者と両手を挙げて歓声に応じるレイジとに見入るだけだ。
「レイジくんは確実に勝てる方法を選んだんです」
「ね、堅実でしょ?」と顔を覗きこんでくるホセを鬱陶しげに振り払って「レイジ!」と声をかければ、跳び蹴りの一撃で挑戦者を屠った王様がにやりと笑う。
「応援ありがとよ、マイ・ディア・クイーン」
「黙れファッキン・キング」
中指を突き立てられ、お調子者の王様は肩を竦めた。
ポケットに手を突っ込んだまま。
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