少年プリズン

まさみ

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百五十三話

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 ペア戦開幕前夜。
 目と瞼が磁石の対極のように反発してくっつかない。まんじりともせず毛布にくるまってるのが苦痛だ。乾いて充血した目をしばたたいて疲労のため息をつく。俺が緊張してどうする?戦うのはレイジなのに付き添って観戦するだけの俺が心配のあまり眠れないなんてどうすんだよおい。
 当のレイジはといえば不眠症には縁のない寝つきのよさで今日もぐっすり眠っている。野郎、人の気も知らないでと舌打ちしたくなる。いや、レイジが俺の為に、ひいては売春班のガキどもを救い出す為にサムライと組んでペア戦出場を決意したのはわかってるし感謝もしてる。
 でもはっきり言って無茶だ。東西南北各棟選り抜きの強豪相手に100人抜きなんてできるわきゃない。
 そりゃレイジは強い、それこそ化け物じみてる。以前本の角で人を殺せると豪語してたのはまんざら嘘でもないだろう、そう納得させてしまう気迫と威圧感、そして殺気が無敵を誇る笑顔の内から放たれているのだ。伊達に東棟の王様を名乗っちゃいない。
 今回のペア戦じゃレイジを倒し名実ともに東京プリズン最強を名乗ろうって自己顕示欲旺盛な連中がわんさかしゃしゃりでてくるはずだ。闘技場に詰めかけた大観衆の眼前でレイジを完膚なきまでに叩きのめし、自分こそが東京プリズン最強の男だと、無敵のレイジを超えた真のブラックワーク覇者だとふれまわりたい連中が。
 東京プリズンの囚人は喧嘩好きが高じて手加減できずに相手ぶち殺して刑務所送りにされた気の荒いガキどもばかりだから、リングに上がるやつもフェンスにしがみついて声援をとばすやつもペア戦開幕を明日に控えた今夜は体中の血が沸騰して眠れないはずだ。まあ、やりすぎて相手ぶち殺しちまったうんぬんじゃ俺も人のことは言えないが俺と奴らとの最大の違いはその事を後悔してるかどうかだ。人ひとり殺したくらいじゃてんで後悔も反省もしないのが東京プリズンの囚人がタチ悪いところで、特に娯楽班の連中はこの傾向が強い。娯楽班にスカウトされる囚人には一定の条件があって「素手で五人以上殺した者」というのが最低条件だそうだが本当かどうかは知らない。あくまで噂だ。

 今俺の隣で眠ってる男なら五人くらいラクに殺してそうだが。笑いながら。

 「………」
 もちろん俺はレイジに付き合って試合観戦に行くつもりだ。正直あまり気乗りしないが、俺と鍵屋崎、ひいては売春班のガキどもの命運を背負ってサムライとレイジがリングに立つというのに当事者の俺が一部始終を見届けなくてどうするんだ。レイジを巻き込んだのが俺ならちゃんと義務をまっとうして責任を果たさなければ……半面、もし試合中にレイジが怪我をしたらどうしようとか逆に歯止めがきかなくなったレイジが相手のガキを殺しちまうんじゃないかとか不吉な予感ばかりが膨らんで気が塞いでくる。
 レイジの闘いを最初から最後まで見届けるのが俺の役目だと頭じゃわかってるが心が納得しない、心の底じゃまだ割り切れない。もはや恐怖心に近い。レイジがもし100人抜きを達成できなかったら俺と鍵屋崎は売春班に逆戻り、半年後の部署替えまで毎日のように客をとらされつづける生き地獄に再び叩き落されるわけだがそれよかレイジの身が保つのか心配だ。ぶっちゃけちまえば男に犯されても死ぬことはない、そりゃ死んだほうなマシな思いはするだろうがマジで死ぬわけじゃない。でもレイジは死ぬかもしれない、殺されるかもしれない―

 レイジがいなくなるのが、怖い。
 レイジが殺されるとこなんて、見たくねえ。

 固く固く目を閉じて頭から毛布にもぐりこむ、嫌だ、レイジが死ぬなんていやだ。俺のせいで、俺を助ける為に100人抜きなんて無謀な目標ぶちあげたせいで万一試合中に殺されたらと考えるだけで頭が真っ白になって胸が苦しくなって息ができなくなる。レイジはなんだってあんな勝ち目のない、無謀としか言いようがない賭けにでたんだ?
 いや、わかってる。全部俺のせいだ、レイジは俺の尻拭いを―
 鳥肌だった二の腕を抱きしめ、自分の身を庇うように毛布の中で丸まっていたら隣から呻き声。
 呻き声?
 とっさに毛布をはねのけ起き上がる。暗闇に目をしばたたいて隣のベッドを見れば珍しいことにレイジがうなされていた。同じ房になって一年と半年、レイジがうなされるてるとこなんて初めて見た。そっとベッドを抜け出し、スニーカーを踵で履きつぶして接近。枕元に跪いて覗きこめば額には薄らと汗が浮かんでいた。酸欠に喘ぐように物欲しげに開閉される口といいぴくりぴくりと痙攣する目尻といい、眠りながら溺れてるようでいかにも苦しげだ。寝苦しそうにシーツを蹴り、悩ましげに喉を仰け反らせるレイジを注意深く観察する。
 いつも肌身離さず身につけてる十字架の金鎖が首に絡んでいた。
 うなされてたのはこれのせいか、と腑に落ちてそのまましばらくシーツを掻き毟って苦しむレイジの姿を堪能する。いつも寝込みを襲われたり寝顔を眺められたりしてんだからこれ位してもバチは当たらないだろう。まったくレイジは馬鹿だ、寝るときも十字架身につけてるなんて常日頃神様をなめしくさった言動をしてるくせに根っこじゃどんだけ信心深いんだよ。何も知らないレイジがシーツを蹴ってもがくたびにますます強く金鎖が食い込んで首を締め付けてくる。
 「……ざまあみろ」
 いつも人をおちょくってるからバチが当たったんだよ。そうほくそ笑み、溜飲をさげる。とは言えこのまま放っておくわけにもいかない。気のせいかレイジの顔色がちょっと青ざめて呼吸が浅くなってきたし、面倒くさいけど仕方ない。ベッドの傍らに跪き、レイジの首元へとそろそろ手を伸ばす。レイジを起こさないよう細心の注意を配りながら褐色の首に手を回し、金鎖に触れ―
 その瞬間だ。
 手首の骨が砕けそうな握力で腕を掴まれたのは。
 「!」
 はめられた、と一瞬勘違いした。かなり本気で。
 レイジのやつ、うなされたふりして俺が来るのを待ってたのか。くそっ、人の親切につけこみやがってと頭に来て押し倒される前に殴り返そうとしたがどうも様子がおかしい。あらためてレイジを見下ろす。瞼を閉ざしていてもおそろしく端整な面立ちが暗闇に浮かび上がる。汗にまみれて乱れた前髪がざんばらに額にはりついて妙になまめかしく、ノーブルに筋が通った鼻梁はさながら生ける彫刻のよう。整いすぎてともすれば中性的になりがちな雰囲気を中和し、線の細さからくる脆弱さを拭い去ってるのはシャープに研ぎ澄まされた顔の輪郭の精悍さだろう。
 口さえ開かなきゃ本当に綺麗な顔してんだけどな、こいつ。
 惜しいなと思いつつ、不覚にもレイジの顔に見入っていれば……

 『Because I laugh, do not kill me.』 
 
 不意打ちを食らった。
 「な……なに?」
 寝言?にしちゃはっきりしすぎだ。何を言ってるか全然わからない。びこーず……あらふじゅのきーみー?早口の英語だ。金鎖に手をかけたままジッとレイジを見下ろせば眉間に苦悩の皺を刻んで俺の手首を握り締めている。やがて握力が緩み、額に浮かんだ汗と一緒に苦痛の色が引いてゆく。
 『What is this song?……Strange fruits?……I like it.』
 一転柔和な顔つきになったレイジがくぐもった声で何かを呟く。寝言の内容が気になり、幸せそうに緩んだ口元へと無防備に顔を近付け―
 次の瞬間、後悔した。
 「!!わっ、」
 肩を掴まれ、即座に体勢を入れ替えられたのだと気付いたのは視界が反転して天井が正面にきたときだ。二人分の体重でスプリングが軋んで悲鳴をあげ、押し倒された背中で固いマットレスが弾む。押し倒す?だれが?決まってる、レイジだ。
 「……ロンのほうから襲ってくれるなんて今夜は積極的だ」
 「起きながら寝言言うな。今すぐ離れろ、殺すぞ」
 まだ寝ぼけてるのか、ぼんやりした目つきのレイジが戯言をほざくのを一蹴すれば肩にかけられた手が移動して上着の裾に……
 「いだっ、だだだだだだだだだだだだっ!?」
 「そう毎回おなじ手喰うかよ」
 「ギブ、ギブギブ!腕外れるっ、ロンやめ、ちょっと冗談だって!マジで怒んなよっ、寝起きのスキンシップじゃねえかよっ」
 レイジの注意が手に移った瞬間の隙をつき、素早く跳ね起きて片腕を締め上げる。そのまま膝に重心を移動、膝で背中を組み伏せ後方に引いた片腕を絞り上げれば陸に打ち上げられた魚よろしくベッドを叩いて降参の意思を表明する。よし。俺に押さえ込まれた手前とりあえず今晩は変な気を起こさないだろうと予想して腕の戒めを解いてやれば、一瞬で目が覚めたらしいレイジが腕の付け根をさすりながら起き上がる。レイジが寝ぼけててよかった、もし完全に覚醒した状態だったら押さえ込んで形勢逆転するのは不可能だった、絶対に。
 「おまえは寝ぼけてひと押し倒すのかよ」
 「んなことねえよロンだけだよ」
 「なおさら悪い」 
 「なんだよ、俺の目の前にいるのが悪いんだろ。目を開けていちばん最初に見たやつ押し倒すのが男の習性だろ」
 「ケダモノの習性だろ。どこで刷り込まれたんだよそんな傍迷惑な習性」
 「戦場で」
 腕の付け根をさすりながら胡座をかいたレイジにはっきりそれとわかるようにため息をつく。どこまで本気で冗談だか区別がつかねえからコイツと会話すんのは疲れんだよ。
 「さっきうなされてたぜ」
 「うなされてた?俺が?」
 寝耳に水、とばかりにレイジが驚く。意外な指摘に目をしばたたいたレイジの首元を顎でしゃくり教えてやる。
 「十字架の鎖が首に絡んでたんだよ。寝るときくらい外しとけよ、窒息しちまうぜ」
 「心配してくれんの?」
 「自信過剰も大概にしろ。朝起きて隣に死体が転がってたら飯食えなくなるからご遠慮ねがいたいだけだ」
 からかうような笑みを浮かべて胸元の十字架をまさぐるレイジを素っ気なくあしらうも頭の中じゃさっき偶然耳にした寝言がぐるぐる渦巻いてる。レイジと同房になって寝起きを共にするようになってもう一年半が経つが神経の図太さじゃ俺をはるかに上回るこいつがうなされるなんて珍しい、それこそ天変地異の前触れかもしれない。レイジが見た夢の内容に好奇心を刺激されどう切り出そうか迷った挙句、膝でにじりよるようにして顔を覗きこむ。
 「びこーずあらふじゅのきーみー、ってなんだ」
 絡まって縮まった金鎖を器用な指先でほどきながらレイジが変な顔をする。
 「?なんだそれ」
 「こっちが聞いてんだよ」
 「発音へたすぎてわかんねえよ」
 「……悪かったな発音へたでよ、どうせ俺は馬鹿だよお前みたくすらすら聖書暗唱できねえよ」
 「拗ねるな相棒、聖書読めなくても女口説くボギャブラリーありゃ世の中楽しく渡ってけるぜ」
 「ストレンジフルーツは?」
 英語な上に早すぎてほとんど聞き取れなかったが前後に間が空いたせいでその部分だけは聞き分けることができた。ベッドの上で胡座をかき踵と踵をすり合わせて身を乗り出せば、十字架をいじくりまわすのに飽いたレイジが金鎖をシャツの内側にしまいこんで俺へと向き直る。そして、暇さえありゃ唄ってるへたくそな鼻歌をひと通り辿ってからさらりと白状する。
 「俺が気に入ってる鼻歌のタイトル」
 「元ネタあったのか!?」
 度肝を抜かれた。
 レイジ自作のデタラメな鼻歌だとばかり思い込んでたのに元となる歌が存在してたなんて全然知らなかった、いや、たとえ俺が知ってたところでレイジの破滅的音痴が原因で気付かなかったとは思うが。
 「レディ・ディことビリー・ホリディの『ストレンジ・フルーツ』。知らねえ?二十世紀に活躍したジャズ歌手なんだけど」
 「……いや、お前の鼻歌は公害だろ。元ネタになった歌手が聞いたら訴訟起こしそうだ、天国まで届かなくてよかったな」
 あきれて口がふさがらない俺をよそにレイジは機嫌よく歌を口ずさんでる。女を酔わして腰を疼かせる甘くかすれた声の響き自体は決して悪くないのにいかんせん音痴なせいで台無しだ。裸電球を消した暗闇の中、レイジの口をついてでる音痴なメロディーに耳を澄ます。鍵屋崎の鼻歌とはまた違った趣があるなこれも、なんて呑気にあくびしてたら闇に溶け込むように鼻歌が途切れる。
 静寂。
 なんとなく、気まずい。ペア戦開幕を明日に控えた大事な夜だってのに何やってんだ、俺。いや、実際戦うのは俺じゃねえけどだったら尚更こんな事してちゃはまずい、レイジの眠りを邪魔して体力を削っちまうのは。もう自分のベッドに戻ろうと腰を上げかけ、後ろ髪をひかれるように振り向いてしまったのは寝る前にどうしても一言レイジに告げておきたかったからだ。
 「明日、だよな」
 「ああ」
 ベッドに腰掛け、レイジの視線を避けるように俯いて逡巡する。こんなこと改まって言うのは面映い、でもちゃんと言っときたい。ぼろぼろに傷んで擦り切れたスニーカーに踵をもぐりこませ、靴紐を結わえるフリで時間を稼ぎながら背中に意識を向ける。直接レイジの顔を見てこんなクサイ台詞吐く度胸はないから、こうやって背を向けたままで勘弁してほしい。
 深呼吸し、腹を括る。
 あせりすぎて噛まないよう口の中で小さく反芻しながら、いよいよ覚悟を決める。
 さあ、いまだ。言え。

 「………がんばれよ」

 あやうく噛みそうになりながら何とかその気恥ずかしい台詞を口にする。顔が熱い、レイジの顔がまともに見られない。何も照れることはないだろうと自分にあきれるが恥ずかしいんだから仕方ねえだろ、と誰にともなく弁解すれば靴紐をいじる手に動揺が出てしまう。なかなか上手く結べず、複雑に絡まってゆくばかりの靴紐に苦戦してると背中に衝撃。
 「ああ畜生かわいいなあロンは本当に!!」
 突進する勢いでレイジにとびつかれ、猫にでもするように頭をかきまわされた。
 「なんだお前誘ってんの俺のこと誘ってんの?誘ってんなら乗るぜよしヤろう今すぐヤろうぱぱっと!」
 「誘ってねえよ襲われてんだよ何だよお前はひとのシリアスな気分台無しにしやがって!?ああもうなしだなし、今のなし!お前なんか頑張んなくていいよ、どうせ頑張んなくても俺が付き添って応援なんかしなくても100人抜きなんか楽勝だもんな無敵の王様は!」
 腹に回された腕を引き剥がそうと躍起になりつつヤケ気味に喚き散らす、ああもうなんだよ、照れ損かよおれ!?柄にもないことするんじゃなかった、ペア戦開幕を明日に控えた一生に一度の夜くらい格好よく決めさせてくれよ。そりゃ俺が出るんじゃねえけど気持ち的にはレイジと一緒にリングにのぼるつもりだしレイジのこと全然まったくこれっぽっちも心配してないって言や嘘になるし……
 ふいに、腹に回された腕が緩む。
 「………」
 つられて暴れるのを止める。抱きしめる力が緩んだんだから振り落とせばよかったのに、そうする気が起きなかったのは背中越しに感じる雰囲気がスッと一変したからだろうか。背中に俺以外の人間の体温を感じながらおそるおそる振り向けばすぐそこにレイジの顔があった。
 「ロンさ、ひとつ頼みがあるんだけど」
 「なんだよ。音痴の矯正法なら鍵屋崎に頼め、アイツのほうが上手いから」
 どうせろくでもないことだろうと鼻で笑って冗談にすれば、耳の裏側にキスするように低くささやかれる。
 「お前にしかできないこと」
 緩やかな動作で腕がほどけてはなれてゆく。ベッドに腰掛け、腰を捻って振り向けばベッドに正座したレイジがこれまで俺が見たこともない顔で黙りこくってる。何だよ一体、早く言えよ。気をもたす沈黙にしびれをきらし、スニーカーをつっかけたままベッドによじのぼって胡座を組みかけ、靴底の泥で汚したらまずいと正座に切りかえる。
 裸電球を消した暗闇の中、同じベッドの上に一対一で正座して向き合えば、小さく息を吐いたレイジが一世一代の決断を下すように毅然と顔を上げる。正面に向き直ったレイジをまじまじと見つめ、まともな顔すりゃ本当に美形なんだけどなあともどかしくなる。俺は女じゃないから全然そんな気起きねえけど、衣擦れの音が異様に耳につく暗闇の中、互いの息遣いがまざまざと伝わる距離で向かい合った男にこんな真剣な目で見つめられたら女の大半が抱かれたくなる気持ちもわかる。

 「100人抜き達成したら抱かせてくれ」

 「…………………………………………………は?」
 ……うそ、やっぱりわからねえ。
 右耳から左耳へと抜けていった言葉を理解するのを頭が拒否してる。そりゃそうだ、なにとち狂ったこと言い出すんだこの馬鹿は。いつになくマジな顔をするもんだから本腰入れて話聞いてやろうと正座までして損した、もう本当に愛想尽かして腰を上げようとして、腰が抜けたようにその場にへたりこんだまま動けない事実に気が動転する。
 目の前にはおそろしくマジな顔したレイジがいる。
 悪い冗談だと笑い飛ばしたかったが、口角が痙攣したひきつり笑いじゃたいした効果もない。自分の膝に手をおいたレイジが一途に思い詰めた目で、言い逃れなんか許さない眼光でまっすぐこっちを見つめてる。
 「……嘘だろ」
 「本気だ」
 「嘘って言えよ」
 「本気だよ」
 「だって、」
 「抱かせろ」
 「おいちょっと待てよ、変だってこの展開」
 「もうさ、俺限界。これまで一年半待ったんだ、これ以上焦らされたら気が変になる」
 「言う相手間違ってるだろその台詞、女に言えよ。外にたくさん愛人待たせてるんだろ、な?」
 「今抱きたいのはお前だ」
 「抱くとかヤるとか何なんだよ話ついてけねえよ。もう俺寝るからな、まあそのなんだ、明日は殺さない程度殺されない程度にがんばってくれ……」
 一方的に話を打ち切りそそくさと逃げようとしたら片腕を掴んで引き戻され、その勢いでもう何度目かわからないがレイジに押し倒される。上から見上げたレイジの表情は目鼻立ちが暗闇に沈んでるせいでよくわからないが、よく締まった首からぶらさがった金鎖が頬に触れてひんやり硬質な感触を与えてくる。思わず目を奪われるほどにシャープで美しいラインを描く顎から首筋、そして鎖骨が間近に迫る。
 「いいだろ?」
 耳朶にかかる吐息が熱い。何されるがままになってんだよ、早く押しのけろよと脳みそが指示をとばしてるが四肢が言うことを聞かない。頭が混乱して何が何だかわからなくなる。だってレイジは俺を他の男に抱かせたくないからペア戦100人抜きの目標をぶちあげて安田に宣戦布告して売春班撤廃を目指して……

 全部俺の為?
 それ全部俺の為に?

 いや、俺の為にとかそういう発想自体が思いあがりだ。レイジは以前から売春班の存在が気に食わないって言ってたし和姦がいちばんってうそぶいてたし俺ひとりの為にやったことじゃない、はずだ。でもペア戦100人抜きを条件に売春班撤廃という無謀すぎる賭けにでた原因は俺、レイジを突き動かす原動力は俺なのか?そうだ、レイジは今までさんざん俺の面倒を見てくれた俺の尻拭いをしてくれた。報われないのに尽くして尽くしてどんなにつれなくされても懲りずにお袋につきまとってたガキの頃の俺みたいに……。
 じゃあ、ここで断るのはアンフェアじゃないか?
 これまでさんざん迷惑かけてきたくせに、いや、現在進行形で迷惑かけてるレイジの頼みを蹴るのはあんまり恩知らずじゃないか? 
 俺を助けるために自ら命をかえりみない危険にとびこんでいこうとしてるレイジの頼みをひとつくらい聞いてやれなくてどうするんだ。
 

 なにかひとつくらい借りを返せなくてどうするんだ。


 全身の血が沸騰し、体が燃えるように熱くなる。喉がからからに渇いて舌が下顎にへばりついてる。くりかえし唾を飲み下し、すべりをよくしてから舌を引き剥がす。暗闇に慣れた目が普段からは想像もできない神妙な面持ちのレイジをとらえる。レイジも同じか、いや、それ以上に緊張してるのだろうか?そう思い当たればますます手が汗ばんできて心臓の鼓動が高鳴って頭が真っ白になって、
 堰を決壊させたのは頬と頬が接する距離で、薄らと汗ばむ肌と肌とが交わる距離でささやかれた言葉。
 「いいだろ?」
 俺の中で何かが切れた。

 ―「ああもうわかったよっ、抱かせてやるよ!!!!!!!!」― 

 コンクリートの空間にやけっぱちの絶叫が響く。
 コンクリートの壁と天井に反響した声が長く尾を引く余韻を残して大気に浸透してゆく。鼓膜を震わし大気を震わす音の波紋が完全に収束したときに訪れたのは耳が痛くなるような静寂。 
 『Great』
 そっと薄目を開ければレイジが満面に笑みを湛えていた。
 嬉しくて嬉しくてもうしんぼうたまらねえ、今にも叫びだしたいのを唇を噛んで必死に噛み殺してる有頂天の笑顔。
 …………やばい。
 「今の本当だな、本当の本当に本当だな。あとからナシとか言うなよ絶対に!?」
 「本当だよ、ただし100人抜き達成したらの話だ!98人でも7人でもまけられねーぞっ100人きちんと倒したらな!」 
 「100人抜いたら抱かせてくれるんだよな直前になって駄々こねたりやっぱりなかったとか言いっこなしだぜ、」
 「しつけーなそんな往生際わりぃこと言わねえよ、100人抜いたらヌかせてやりゃいいんだろうがこの尻軽が!!」
 肩を掴んでがくがく揺さぶられたせいで眩暈に襲われて壁と天井が回りだす。期待と興奮で頬を紅潮させたレイジが我を忘れて手加減も忘れて無我夢中で俺を揺さぶりながら気が触れたようにはしゃいでやがる。シャツから引っ張り出した十字架にキスの嵐を降らせ、俺には聞き取れない早口の英語でたぶん神への感謝の言葉でも口走ってるんだろうレイジに茫然自失してれば手をひったくられる。
 「な……、」
 「指きりしようぜ!」 
 なにすんだ、と続けようとした抗議をさえぎり一方的に小指に小指を絡めて腕がもげそうな勢いで上下させる。傍から見りゃそりゃ間の抜けた光景だろうが、自分がやってることが滑稽だなんて自覚がこれっぽっちもないレイジが相手じゃ怒る気も失せる。
 「あーもう断然殺る気と犯る気でてきた、ロン、俺頑張るからな!タジマなんか目じゃねえ、『もうお前なしじゃいられねえよレイジ』って泣いてねだるようになるまでヤるから皮剥いてケツの穴洗って待ってろよ!」
 「皮かぶってねえっつの」
 半ばヤケになって小指が上下するにまかせながら、喜び全開、顔をくしゃくしゃにして笑み崩れたレイジを絶望的に眺める。
 俺はまた、勢いだけでとんでもないことを言っちまった。
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