少年プリズン

まさみ

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百四十九話

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 刑務所の隠語。
 看守の目を盗んで交わされる囚人間の伝言をキャノンボールと言う。レイジが安田に宣戦布告した一件はまさしく尻に火がついたキャノンボールの速さで東京プリズンに出回った。
  
 「聞いたか、レイジが安田に喧嘩売ったって」
 「売春通りのぼや騒ぎもレイジの仕業なんだろ。何考えてんだ、あいつ」
 「同房の半半守るためなら手段は選ばないってか、王様も無茶やるぜ」
 「面白いことになりそうじゃんか、ブラックワーク100人抜き!」
 「ひさびさに燃えてくるなあ。いくらレイジが化け物みたいに強くても100人50組の強豪相手にストレート勝ちはむずかしい、てか不可能だろ実際。俺の見立てによると50組目でザセツだな」
 「いや、もっと行くだろう。レイジとサムライの最強コンビなんだからよ、40組は突破するだろう」
 「賭けようぜ賭けようぜ!」
 「落ち着けよ、まだ試合始まってねえだろうが」
 「ひょっとするとひょっとして100人抜き達成したらどうなるんだ、マジで売春班撤廃?いやだぜ俺、右手が恋人なんてむなしい」
 「そうなったらレイジがケツ貸してくれるそうだ、ははっ、いいじゃねえか。あいつキレイなツラしてるもんな、ケツの方もさぞかし締まりがあってキレイな色形してるんじゃねえか」
 今日も今日とて出張サービスを終えてビバリーの待つ房への帰り道、廊下にたむろった連中がさざめいて噂してるのは売春通りの一件。普段王様の前じゃびびって縮こまってる腰抜けどももレイジの姿が見えなきゃ言いたい放題だ。ぼや騒ぎ発生時に売春通りに居合わせて一部始終を目撃した囚人が当時の状況を面白おかしく吹聴して仲間を焚きつけ、廊下でも食堂でも図書室でも中庭でも囚人が寄り集まればごく自然な流れで「100人抜き実現は成るか否か」が話題になった。
 今じゃレイジとサムライの最強にして最凶コンビが100人抜きを達成するか否か、また100人50組抜きは不可能でも半分は行くか、行くとしたらどこまで行くかが全棟ひっくるめた最大の関心事かつ賭けの対象となりここ何日かの東京プリズンはお祭り前の浮かれ騒ぎ状態。まだペア戦開始前だってのに気の早い連中は賭けをしてお祭り騒ぎの雰囲気を盛り上げてる始末でもうぶっちゃけ手に負えない。
 「はい50組以上は手を挙げろ、50組以下は人間はこっち!何組目で負けるかつまずくか見事予想できた奴は賭け金独り占めだ、いちばん人気は38組目で12人、大穴は12組目と98組目!」
 身振り手振りをまじえ、黒山の人だかりを成した囚人に声を張り上げてる賭けの胴元の背後をサッと通り過ぎる。「12組、12組に賭けるぞ!」「ばか、楽勝で20組突破するに決まってんじゃん」「大穴狙いで一攫千金狙うんだよ、俺は」と小突き合う暇人どもに背を向け、そのまま10メートルほど行くと房が見えてきた。
 扉に凭れ掛かってる人影も。
 変なの。まるで待ち伏せしてるみたいじゃんか。妙な胸騒ぎを覚えつつ、スキップするような足取りはそのままに扉に接近するにつれ不審感は驚愕に変わる。腕組みして鉄扉に凭れ掛かっていた人物が僕のよく知ってる奴だったから。鉄扉によりかかって僕を待ち伏せしてた、としか思えないそいつは僕の接近にも気付かずに本を読み耽っていた。ちょっと覗きこんでみたけど行間の狭い、字ばっかりで埋め尽くされた本だ。挿絵がない本を読みたがるやつのさっぱり気持ちがわからないのは僕の愛読書が不思議の国のアリスだからかな?……関係ないか、それは。
 1メートル手前で僕が立ち止まったのにも気付いてるのかいないのか、もしくは気付かないふりをしてるのか全く読み取れないポーカーフェイスで読書に集中してる人物に声をかける。
 「何読んでるの?」
 声に反応し、こっちを向いた顔はあからさまに不愉快そうだった。読書を邪魔されて不機嫌なのはわかるけど、だったら人の房の前で立ち読みなんかしてんなよ。
 「トルーマン・カポーティーの『冷血』。あと3ページで読了できたのに、全く間が悪い」
 その口ぶりから察するに待機中ずっと読書してたらしい。長く待たされて不機嫌、というより読書を邪魔されて不機嫌という本音を隠しもしないあたりいい性格をしてる。渋々栞を挟んで本を閉じ、そこで改めて僕へと向き直る。怜悧な知性を宿した切れ長の目と薄く整った鼻梁。銀縁眼鏡がよく似合う理知的な風貌に大人びた雰囲気を纏った少年の名前は鍵屋崎直、僕とはいじめっ子といじめられっ子の関係。もちろん鍵屋崎がいじめられっ子。
 「……じゃあ図書室か自分の房で読みなよ。人の顔見て開口一番間が悪いって、なにそれ」
 憤慨したフリで鍵屋崎を押しのけてノブに手をかければ呼び止められる。
 「用がなければそうしたかったな」
 「用?」
 ノブを握って振り返れば本を小脇に抱えた鍵屋崎が無表情にこっちを見返していた。まじまじと鍵屋崎の顔を見つめて、その視線が若干鋭くなったことに気付く。売春班で強制的に客をとらされてた一週間で体重が減ったらしい、本を抱え直すときにちらりと袖口から覗いた手首なんか女より細くて痛々しいし、肉が削げたように細い首筋からは嗜虐心をくすぐる色香が立ち上ってる。 
 でも、それより僕の目を引いたのは鍵屋崎の手首にくっきり残るロープの痕。青黒く鬱血した縄目の痕のほかに、たとえば注射針の痕は見当たらないだろうかと無意識に手首を追っていたら不審の眼差しを向けられてハッとする。
 「廊下で話すのは気が散るでしょ?中入ってよ」 
 鍵屋崎は拒まず、あっけないほど不用心に房へと足を踏み入れた。鍵屋崎が僕の房に足を踏み入れるのは二度目だ。この前訪れたのはもう数ヶ月前になる。時が経つのは早い。そして人が環境に馴染むのも。ビバリーは留守で房はからっぽだった。
 鍵屋崎とふたりきり。
 何となく息が詰まる。一度殺されかけた相手の生活空間だっていうのに鍵屋崎ときたら警戒心がカケラもない、いや、一対一ならどうでにもなると安心しきってるのだろうか。鉄扉に凭れ掛かった姿勢で腕組みしたまま僕へと冷ややかな視線を投げている。
 「で、用ってなに」
 「君に返したい物がある」
 「返したい物?」
 返して欲しいものじゃなくて?と続けようとして慌てて口を塞ぐ。当惑した僕と対峙した鍵屋崎がポケットを探って何かを取り出す。
 鍵屋崎が手にした物を見てぎょっとした。注射器だった。
 「君のだろう」
 確認、ではなく断言。先端に鋭い針を備えた注射器を無理矢理僕の手に押し付けた鍵屋崎の目には何の感情も浮かんでない。
 「なん、で」
 「この注射器は客が所持していた物だ」
 当たり前のことを説明させられる徒労に小さくため息をつき、眼鏡のブリッジを押し上げる。
 「いくらこの刑務所に薬物が蔓延してると言っても注射器なんて物騒な医療器具を所持してる囚人がそう多くいるとは思えない。そう、ドラッグストアの君を除いては。ここからは僕の推理だが、君はどこかで例の客と接触して注射器を渡したんじゃないか?不感症が物足りなくなったら覚醒剤を注射して脳に快楽物質を分泌させろと、いや、君は頭が悪いから実際にはもっと平たい言い回しをしただろうがそれはいい。君は僕のことを目の敵にして二ヶ月前も殺しかけたからな、僕をさらに追い詰めて精神崩壊に追い込むためにはそれ位するんじゃないか」
 「……証拠はあるの?」
 「ない。机上の空論だ」
 注射器をポケットに戻しながら慎重に問えば拍子抜けするほどあっさりした答えが返ってくる。余裕を見せ付けるようにゆっくり腕組した鍵屋崎が偉そうに顎を引く。
 「しかし僕は洞察力に優れてる自負がある、君に下した人物評価は間違ってないはずだ。異論があるなら聞くが」
 なんだ、この圧迫感は?
 これがあの下水道で、僕にやられるがまま無抵抗に徹してた鍵屋崎か?針金を口に突っ込まれて出血して指で口の中を揉まれて戻しかけて、苦しくて苦しくて涙目でうめいてたあの鍵屋崎?ほんの数日前、ちょっと妹のことに触れて挑発したら面白いくらい怒り狂って殴りかかってきたあの鍵屋崎?
 今の鍵屋崎には凄味がある。眼鏡越しに注がれる透徹した眼差しには僕の心の中まで見透かしてしまう徹底した容赦のなさが備わってる。精神的に不安定で繊細さと表裏一体の脆弱さを拭いきれずにいた以前の鍵屋崎とは段違いに冷酷で冷徹、僕のことなんか恐るるに足らないと宣言してるような態度が癪にさわり、注射器で膨らんだポケットに手を添えながら微笑む。
 「ご名答だよ名探偵くん。全く君が言う通りさ、彼に注射器渡してけしかけた黒幕はこの僕だ」
 言い訳は美しくない、もう全部ばらしちゃおう。どうせ鍵屋崎はお見通しなんだし。鍵屋崎の推理通り裏で糸を引いてたのは僕だ、サムライに手紙を配達したあと済まさなきゃいけない用件てのがそれだった。
 「あの客は他棟の人間だ。なぜ僕を買いにくるとわかったんだ?」
 「中央棟のエレベーター付近で待ち伏せしてたんだよ。地下一階の売春通りに降りるエレベーターの前をぶらぶらするふりで見張ってたら売春夫買いにぞろぞろやってきた連中が声高に話してるの聞こえてね。その中のひとりが言ったんだ、『喘ぎもしなけりゃ感じもしねえ、不感症は歯応えねえな』って。誰のことか一発でわかったよ、売春班の不感症と言えばひとりっきゃいないもん。あとは簡単、通りすがりの善人のフリして近付いたんだ、不感症に飽きたんならコレ使わない?って。実際いい取引だったよ、はしたお金と引き換えに注射器と覚醒剤渡して客はご満悦で君は天国イッちゃうほど気持ちよくなれる。ねえ、悪い話じゃないでしょう?みんながみんな幸せになれて損するやつはだれもいない」
 悪びれたふうもなく飄々と嘯いて上目遣いに媚を売るが鍵屋崎の表情は少しも変わらなかった。客に注射器を渡して覚醒剤を打つようそそのかしたのが僕だとわかっても激怒することなく、また、動揺することもない。ポーカーフェイスもここまで徹底してると気味が悪い。鍵屋崎の反応がないことに苛立ち、下から覗き込むように挑発的に見上げてやる。
 「で、覚醒剤打たれてイッた感想は?」
 「打たれる前にサムライが止めに入った」
 「なんだ」
 そんなことだろうと思った。舌打ちしながら身を引く。サムライときたら毎回いいところで邪魔に入る。作戦失敗が明るみに出た僕を見下ろす鍵屋崎の目に初めて感情らしいものが浮かぶ。

 軽蔑、そして冷笑。

 軽蔑されるのは慣れてるけど冷笑らしき片鱗が目に浮かんだのは意外だった。以前の鍵屋崎には悪事を暴露した僕に対して冷笑を浮かべるほどの精神的余裕や打たれ強さはなかったはずだ。いや、見間違いじゃない。よく見れば薄く整った口元にも人を食った笑みが浮かんでるじゃないか。東京プリズンに鍵屋崎が来てからの半年で初めて笑顔を見た気がして、思わずその表情に魅入られる。色のない唇から笑みがかき消えるのと鍵屋崎が背を翻すのは同時だった。
 「用件はそれだけだ。注射器は返却したぞ。床に落ちた時に強い衝撃を受けて壊れてるかもしれない、次に使用する時は十分注意しろ」
 皮肉っぽく付け足し、用は済んだとばかりに扉を開けて出て行こうとした鍵屋崎を咄嗟に呼び止める。
 「言い忘れてた。こっちも返したいものがあるんだ」
 「?」
 ノブに手をかけた姿勢で鍵屋崎が振り向く。鍵屋崎の視線を顔に感じながらごそごそポケットを探り、小さく折りたたまれたメモを取り出せば鍵屋崎の顔に驚きの波紋が広がる。
 「このまえ殴り倒されたときにポケットから落ちたみたい。気付かなかった?」
 小さく笑いながら問いかけるが本人は無言。ノブに手をかけたままの姿勢で魂を抜かれたように立ち竦み、僕の手の中の紙屑をじっと凝視してる。何も馬鹿正直に返してやることはない、とちらっと考えたが注射器を返しに来てくれた手前ただで追い返すのもフェアじゃない。正直言うとポケットに入れっぱなしにしたまま存在自体をすっかり忘れてたんだけど今日当人の顔を見て思い出した、まだ芽吹きもしない希望の種を僕が持ち歩いてることを。
 「返してほしい?」
 下唇を舐め、なぶるようにねっとりと問いかける。ノブから手を放し、ふたたび鉄扉を背にした鍵屋崎が真剣な面持ちで押し黙る。
 「何をすればいいんだ?」

 話が早い。

 切羽詰ったように声を絞り出した鍵屋崎にうっすらと笑みを浮かべる。僕の考えてることなんかはなからお見通しってわけか。さて、何をさせよう。僕が今握り締めてるのは鍵屋崎にとっては大事な大事な希望の種、何物にも変えがたい最愛の妹の消息を知る手がかりだ。こいつの目の前でメモを握り潰してやったら面白いかもしれない、拳で握り潰してびりびりに破り捨ててやったらどんな顔をするだろうと考えるだけで溜飲が下がる心地だ。
 いつだったか、展望台の突端に立った鍵屋崎が僕の目の前でママの手紙を破り捨てたように真似してみるのも悪くない。
 脳内で愉快な想像を巡らしながら鍵屋崎を観察し、閃く。
 「キスして」
 親鳥に餌をねだる雛のように口を尖らせば眼鏡越しの目がスッと細まる。接触嫌悪症の鍵屋崎がどう出るか楽しみだ。鉄扉を背にして追い詰められた状況じゃ逃げ場はない、この体勢から扉を開け放つのは困難だ。鍵屋崎の顔を下から覗きこむ姿勢で詰め寄って唇を奪いかけ、

 僕の襟首が、無造作に掴まれる。

 「!?」
 危うく声を出しそうになった。
 首筋にひやりとした感触。鍵屋崎の唇は冷たいんだな、なんて悠長なことを考えてる暇はなかった。おそらく三秒にも満たないだろう短いキスで、唇から伝わった体温の低さが首筋に浸透して肌が粟立った。乱暴に襟首を突き放され、びっくりして声もない僕の眼前、しつこく唇を拭いながら鍵屋崎が吐き捨てる。
 「これでいいだろう」
 「なんで首」
 「唇がよかったのか」
 「じゃあ最初からそう言え」と目で訴え、手の甲で唇を拭う。そりゃ場所まで指定しなかったけど普通キスっていや唇でしょう、ためらいもなく汗臭い首筋にキスするなんてどんだけウワテなんだよコイツ。天然だとしたらたちが悪い。それとも売春班で客をとってた一週間でキスの仕方からセックスの体位に至るまで基礎から応用まで全部仕込まれたってわけ?
 ……ああ、なるほど。
 「キスは売らないのが娼婦の意地ってわけ」
 「?何わけわからないこと言ってるんだ。もういいだろう、早く返してくれ」
 焦燥に駆られて手を突き出した鍵屋崎の顔を見上げ薄く嘆息、観念してメモを返す。僕の目論見は外れたけど一応約束は守ってくれたんだし、これ以上焦らして意地悪したら本当に絞め殺されちゃいそうだ。念願かなってメモを取り返したというのに鍵屋崎の顔は何故か晴れない。僕がいる手前今にも叫びだしたい喜びを必死に我慢してるのかとも勘繰ったけどそういう感じでもない。
 少しうなだれてるせいで華奢な首筋の白さが際立つ。じっと見てると絞め殺したくなる細首に幾つかの斑点が浮かんでいるのが目にとまる。売春班でセックス浸けの日々を送ってた時につけられた痣がまだ消えないらしい。首筋の痣を見られることにもう抵抗もないのか、無防備にうなだれた立ち姿は酷く嗜虐心をくすぐる。
 いち、にい、さん……声には出さず首筋の痣を数えてた僕の目の前で、次の瞬間、鍵屋崎が思いもよらぬ行動をとる。

 手の中のメモを、びりびりと破きだしたのだ。

 「………な!」 
 強烈な既視感。
 展望台の突端に佇んだ鍵屋崎が僕から奪った手紙をびりびりに破いて空へとばらまいた光景が鮮烈に蘇り、今、目の前の光景と重なる。
ちぎっては捨てちぎっては捨てを繰り返し、原形を留めぬまで細かくした紙屑を手を軽く振って虚空にばらまけば、それはまるで雪のようにコンクリートの床に積もってゆく。
 僕の足もとに散り、鍵屋崎の足もとにも散ってゆくメモの切れ端を指一本動かせずに見守っていたが、最後の一片が落ちきると同時にハッと我に返る。
 「なに考えてんだよ!!?」
 思わず大声を上げてしまった。
 我を忘れて鍵屋崎に掴みかかったのはママの手紙を破り捨てられた時のことを思い出してしまったからだ。せっかく人が親切に返してやったのにその好意を無にしやがって、許せない。そう息巻いて鍵屋崎の襟首を掴めば軽く胸を突いて押しのけられる。
 「僕にはもう必要ない」
 言ってることが理解できなかった。
 「必要ない、って」
 だってそのメモは、大事な大事な妹の消息を知る唯一の手がかりだろう。
 「もう妹さんのことはどうでもいいっての?」
 わけがわからなくて混乱する。だって鍵屋崎にとって妹は世界で一番大事な人間で、心の支えで、生きる意味で……希望で。僕にとってのママみたいなかけがえのない存在だったのに、もう必要ないってどういうことさ?
 「誤解するな」
 咎めるように声を荒げた僕を煩わしそうに一瞥して嘆息、ブリッジを押し上げる。
 次にその口から出たのは、驚くべき一言。
 「天才を見くびるなよ。メモの住所なんて暗記してるに決まってるじゃないか」
 「………………………………………………………………………………は?」
 「まったく君は馬鹿だな。その脳みそに詰まってるのはおが屑か?無能な案山子の生まれ変わりか?僕は円周率五千桁を暗記してるIQ180の天才だぞ、メモの内容を一読完全に理解しなくてどうするんだ」
 「ま、待て待て。じゃあなんでメモを取り返す為に言うコト聞いたの?それじゃ別に取り返す必要なんて……」
 「君には二ヶ月前といい今回といいずいぶん世話になったしささやかな意趣返しを試みたんだ。焦らしに焦らして返してやったメモを目の前で破かれて驚く君の顔はなかなか痛快だった」
 それだけの為に。
 たったそれだけの為に、僕にキスまでしてメモを取り返したっての?イカレてるよ完璧。絶句した僕を愉快げに眺める鍵屋崎の顔には切れ味鋭い冷笑が浮かんでいた。売春班に堕ちる前の鍵屋崎からは考えられないしたたかな笑み。
 ぞっとした。
 「……まあ、惠に繋がる唯一の手がかりを手元に残しておきたかったという側面も否定できないがな。住所は完全に暗記したとはいえ五十嵐が折角持ってきてくれたメモを不注意で紛失したらさすがに後ろめたい」
 と、全然後ろめたく思ってない口調で抑揚なく続ける。
 売春班を体験して鍵屋崎は変わってしまった。一度地獄に堕ちて這い上がってきた人間ほど強い者はない。這い上がれなければ死ぬまでだ。でも、鍵屋崎はしぶとく這い上がってきた。
 サムライの手を借りて。
 今の鍵屋崎はしたたかさでしぶとくて、強い。狩られる一方の無力な獲物じゃない、敵を油断させて隙を作り出して反撃に転じる知恵をつけた本当の意味で賢い獲物。
 話は全て終わったのだろう、ノブを捻って今まさに出て行こうとしてる鍵屋崎の背中にからかい半分に声をかける。
 「用心棒は迎えにきてないの?」
 「何か勘違いしてるんじゃないか?サムライは僕の―……」
 以前の鍵屋崎ならそこで言葉を探しあぐねて無力に立ち尽くすしかなかっただろう。でも、今は違う。ノブに手をかけて振り返った鍵屋崎の顔にはどこか誇らしげな笑みがあった。
 「『友人』だ」
 鈍い残響が鼓膜を震わす。鍵屋崎の姿が消え、ほっと息を吐く。安堵のため息?まさか、鍵屋崎にびびってたなんて認めたくない。絶対に。でもじゃあ、この汗ばんだ手はなんだ?腋の下を流れる冷や汗の正体は?
 複雑な心境で鉄扉を見つめてると鍵屋崎と入れ違いに騒々しく言い争う声が近付いてくる。何だ?何事だ、とノブに手をかけようとした僕の目の前で勢いよく鉄扉が開け放たれて転がり込んできたのはビバリーともう一人。
 ……やばい。
 「ちょっとリョウさんこの人どうにかしてくださいよ、今ぼくそこで賭けに参加してたのに無理矢理引きずってこられて」 
 「アホ抜かせ、賭けなんかあとやあと。今いちばん重要なんはユニコの身柄や、おいそこの赤毛のガキ、お前何日何週間延滞したら気が済むんや?図書室のヌシなめとんのか?ひょっとしたらひょっとしてブラックジャック九巻パクってトンズラこいたんもお前か?」
 「リョウさんはどう思います、レイジさんとサムライさんどこまで行くと思います?ぼくさんざん悩んだんスけど大穴狙いで50組100人抜きに賭けてみようかなーって。あの二人マジ強いじゃないスか、100人抜きもまんざらありえない話じゃないと思うんスよね!」
 「じゃかあしいワレ、今俺が話してんのや!横からいらん口挟むとケツの穴から指突っ込んで奥歯ガタガタ言わせるで!」
 「ちょ、ちょっとやめてくださいよ廊下で脱がさないでくださいよ破廉恥なっ、露出狂だと勘違いされるじゃないスか!それにそう、ケツの穴に指突っ込んで奥歯ガタガタ言わせるならリョウさんが先でしょう!?」
 あ、ひどい裏切り者。
 ビバリーの脇を絞めて廊下に立ってたのは東棟じゃ見慣れないゴーグルをかけた短髪少年。目が合うと同時に鉄扉を閉じようとしたらそれを見越されて素早く片足を突っ込まれる、片足をつっかえ棒にして扉が閉まらないよう妨害した少年が力づくで隙間を押し広げ……
 「―ちゅーワケや」
 借金を取り立てに来たヤクザ顔負けの迫力で笑ったヨンイルが扉をこじ開け、逃げ遅れた僕のズボンをむんずと掴んだ。 
 ……どうやらケツの穴に指突っ込まれて奥歯ガタガタ言わせられるのは不可避の決定事項らしい。
 なんてこった。
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