少年プリズン

まさみ

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百四十六話

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 何回押し倒されりゃ気が済むんだ、俺。

 しかも今覆い被さってるのはこともあろうにレイジだ、レイジとヤる気なんかこっちにゃさらさらねえってのに、くそっ!俺の両手首を押さえこんだレイジが形よく尖った鼻を蠢かしてシャツの匂いを嗅いでる、犬みたいにふざけた動作が癇に障って声を荒げる。
 「悪ふざけも大概にしろよレイジ、全然笑えねえんだよ!」
 はげしく身を捩って抗議するが哀しいかな膂力と体格ではレイジが圧倒的に優勢、やつときたら細身のどこにこんな怪力を秘めてるのか不思議になるほど握力が強くて顔の横に固定された手首なんかびくともしない。「犯ってください」といわんばかに仰向けに組み伏せられた姿勢から額と額が接するほどの至近距離に迫ったレイジにガンをとばせば斜に構えて笑いやがった。
 「冗談なもんかよ」
 狂ったように暴れる俺の耳元に口を近づけてくるレイジ。
 ついさっき、耳の穴に舌を突っこまれた時のえもいわれぬ不快感が生々しく蘇って体が拒絶反応を起こす。発情期の犬みたいに浅い息を吐きながら耳朶を舐めて外縁の窪みを舌で辿って穴の中に舌を突っ込んできたタジマ……
 やめろ、思い出したくない。そんなとこ女にだって舐められたことないのに冗談じゃない、俺は男だ、男に耳舐められて感じまくって甘い声をあげる変態的な趣味はこれっぽっちもない。
 レイジが何をしようとしてるか悟った瞬間タジマの愛撫が感覚的に再現されて頭が真っ白になった。なんとかレイジから逃れようと顔を振りかぶったが駄目だ、レイジの野郎執拗に追尾してきやがる。
 「!レイ、」
 声が萎えた。
 上唇と下唇で耳朶を食まれ、抗議の声が熱く湿った吐息に紛れた。
 ただ耳朶を甘噛みされただけだってのに電流が走った、背骨が撓って踵がシーツを蹴ってベッドに射止められた手の先の五指を掌に爪痕が残るほど強く握り締めていた。
 そうだ爪、一週間前タジマに去勢された爪がもう随分と伸びて元に戻ってる。途方もなく長く感じられたこの一週間でも爪が伸びるのなんてあっというまだ、俺は育ち盛りだから新陳代謝も活発なんだろう。畜生、爪が伸びるなら背も少しくらい伸びりゃいいのにと現実逃避の延長でこの場に全く関係ないことに苛立ったが耳朶に歯を立てられて思考が散らされる。そういや鍵屋崎も耳朶が感じるらしいと聞きたくもないのに聞かされた、男でも耳朶噛まれれば性感帯が刺激されて感じるのが普通なのだろうか、正常なのだろうか?

 知るか、知りたくもない。

 「知ってるか?男でも女でも体の先端て敏感にできてるらしいぜ」
 耳朶を噛まれ、甘く湿った吐息を漏らしそうになるのを唇を噛んで堪えてる俺には揄に切り返す余裕もない。腰に馬乗りになったレイジが耳朶の歯型をいとおしむように舌先で突付いてるのがわかる。
 舌先をすぼめ、尖らし、横這いにし、巧みに角度を変えて刺激を与えられて気が休まる暇がない。こんな時だというのにレイジは薄笑いを浮かべてる、俺が見たこともない酷薄な笑顔、さっきタジマの体に煙草の火を押し付けてた時だってこんなきな臭い、危険な表情はしてなかった。
 「たとえば耳朶、」
 名残惜しそうに耳朶から離れた唇が今度はとんでもないところに落ちてくる。
 「たとえば睫毛」
 「ちょ、」
 待て、と両手を突っ張ってレイジを退けようとしたが遅かった。
 俺の両手首を万力めいた握力で押さえこんだまま、顔に顔を重ね、睫毛と睫毛が縺れる距離に接近したレイジの上唇がそっと瞼に触れる。
 唇に促されて落ちた右の瞼に柔襞の粘膜の感触、上唇と下唇で啄ばむように睫毛を食みながら聞く者を酩酊させ堕落させる声で唄う。
 「泣きすぎなんだよ、お前。睫毛しょっぱい」
 悪魔の歌声だ。
 口元には笑みを絶やさず、丁寧に睫毛を舐めて先端に宿った水滴を舐めとっていく。睫毛には感覚なんて通ってないはずなのに啄ばまれるたびに甘い痺れに似た感覚が走った。

 快感?

 まさか、なんでレイジに睫毛舐められて感じなきゃいけないんだ?こんなの性的刺激でもなんでもないただの児戯だろ、レイジ一流の悪ふざけで嫌がらせで全力で嫌がる俺を見て腹ん中じゃせせら笑ってるに決まってるのに思惑通りに反応するのは癪だ、でもどうにもならない、この体勢じゃどうしようもない。

 熱い唇が触れ、また離れてゆく。

 秒刻みの接吻が呼び覚ますのは体の芯が疼くようなじれったい熱、唇の火照りが感染した瞼が微かに震えて目が熱っぽく潤んでくる。
 まだ目尻の涙も乾いてないってのに俺は泣いてばかりいる、格好悪い、最高に格好悪い。レイジにもタジマにも泣かされてばかりで何もできない女々しい奴だ、男のくせにされるがままでこぶしで仕返しもできなくて。
 今まで俺を支えてきた意地と決意が体を苛む熱に飲まれて溶解してく。
 両方の瞼を舐めていたレイジの唇がすっと降りてきて目尻に滲み始めた塩辛い水を意地汚く舐めとる、赤く充血した目尻に舌先を当ておいたレイジが水滴を啜る。
 褐色の喉仏が艶かしく動き、甘露を飲み下したようにレイジが陶然とする。

 涙を飲まれた。

 眼球に舌先を浸けて涙を啜られたせいで唾液が目に染みた、朦朧と膜が張った視界の中央を占めているのは何考えてるかわからないレイジの笑顔だ。
 わからない、次の行動が読めない、次に何やらかすか全然予想つかなくて頭が混乱して爆発しそうだ。完全に恐慌状態に陥った俺はレイジに上体を押さえ込まれてるせいで満足に身動きもできなくて、まさしく手も足もでない状態でも最後まで抵抗する気概だけは見せようとかすれた声を振り絞って喚き散らす。
 「涙なんか飲んで何が美味いんだよ、意味わかんねえよ!もう本当にいい加減にしやがれ、さっさと離れないと殺すぞ!!」
 うろたえきった俺を見下ろすレイジの笑顔には、腹ごなしの戯れに猫をいたぶる豹の愉悦が滲んでいた。ふたたび俺の耳元に口を近づけたレイジが腰にくる低音で囁く。
 「殺れるもんなら殺ってみろよ。その前に犯るからな」
 上着の裾に手がすべりこんでくる。脇腹を撫で擦るなめらかな感触はタジマの乾燥した手が与えてくる粗雑な不快感とは縁遠い。絹のように触り心地いいてのひらが脇腹を撫でるのを成す術なく眺めながら脳髄を焼き焦がす羞恥と屈辱に耐える。
 「『タジマにヤられたほうがマシだった』?」
 俺自身が叫んだ台詞を反芻するレイジ。愛撫の手は休めぬまま、だらしなく緩んだ襟刳りから覗く鎖骨へと唇を触れる。
 「やめ、ろ」
 声が震えた。
 今のレイジには何を言っても無駄だ、レイジをここまで怒らせたのは俺だ。俺が素直じゃないから、自分から助けを求めたくせに手酷く拒絶したから、支離滅裂に矛盾した言動がこいつを本気で怒らせちまったんだ。
 鎖骨に接触した唇が灰被りの火傷を食み、焼け爛れた皮膚に唾液が染みる。 レイジの唾液は媚薬か劇薬みたいだ、舌から分泌された唾液が焦げた皮膚に染み込んで酸のように骨を焼いてく。さらに激しく身悶えれば、手首を掴む手にさらに力がこもる。
 「痛くてもやめねえよ」
 レイジの顔が下腹へとおりてゆく。
 緩慢な動作で下腹部へと移動、しどけなくはだけたシャツの隙間、鎖骨の火傷と同寸大の焦げ跡を見つけてかすかに顔をしかめ、
 「!!っあ、」
 脇腹を舐められて、喉から変な声が漏れた。
 さっきタジマに焼かれた痕を今はレイジが舐めている。
 焦げて黒ずんだ皮膚に生理的嫌悪を催すことなく舌をつけて唾液をのばして広げてゆく、普段外気に触れることもない、人目に晒すこともなく秘された部位を舌で舐められてるという事実と触感に肌が粟立つ。しかも相手はレイジだ。今までだってそりゃ冗談半分に寝込みを襲われることはあったけどこんな事されるの初めてだ、何でこんなことになってんだ、何が原因なんだ?
 答えは速攻でた。俺だ。
 俺がこうなったのも全部俺のせいだ、俺が弱くて何もできなくて、にも関わらずレイジに反抗してばっかで礼の一つも言わないせいだ。
 諸悪の根源は俺だと、全ての元凶は俺だと頭ではちゃんとわかってる。これ以上なく完璧に理解してる。でも心が納得できない、本当はレイジがとんできてくれて凄く嬉しかった、でもそれ以上にタジマに押し倒されて何もできなくてレイジに頼るしかない俺の無力と非力が歯痒くて情けなくてやりきれなくて自己嫌悪を裏返した反感を抱いた、本来ならレイジに感謝して然るべき立場の俺がその本人に、独居房に送られるかもしれない我が身を顧みずにとんできてくれたレイジに性懲りなく八つ当たりして一週間前と同じ過ちを犯して。

 その結果がこれだ。現在進行形で起こってる出来事だ。自業自得じゃねえか。

 脇腹にひやりとした金属の感触を感じて視線をおろせばレイジの首から垂れた金鎖が腹筋でうねっていた。舌での愛撫に励むレイジの首の動きにあわせて鈍くきらめきながら脇腹を這う金鎖の先端には華奢な十字架が輝いている。悪寒の正体はこれだった。神様のご威光、じゃないだろうが十字架の光に目を射られて我に返り、脇腹に顔を埋めて舌を使うレイジを押し返そうと足腰に重心を移して手首をつかまれたまま起き上がる、渾身の力をこめて身を捩り手を振り払う、漸く自由になった両手で俺より広い肩幅を押し返そうとするがレイジは脇腹に顔を伏せたまま離れようとしない。
 「やめてくれ、」
 芯の通った声で抗議しようとしたが貪欲に這い回る舌がその余裕を与えてくれない。レイジの肩を押し返そうとして、半ばまで行かずに腕が萎えた格好でベッドに上体を起こせば抱き付いてるようにも見える。これじゃねだってるのか拒んでるのかわかりゃしねえ。
 なんでこんなことになったんだ?
 俺は女だって一人しか抱いたことなくて、人生二度目の体験が男なんて悪い冗談で、レイジとこんな関係になるつもりなんかこれっぽっちもなかったのに。もう何を言っても無駄なのか、通じないのかよ。俺が歯向かってばかりだからレイジもいい加減嫌気がさして痛い目見せてやらなきゃ気が済まなくなったのか?
 タジマと同じように。
 タジマの顔を連想した瞬間、ついさっきまで好き放題に体の裏表をまさぐってた手の感触や舌の生温かい温度が蘇って喉がひきつる。なめくじが這いずった跡みたいにタジマの手の痕跡を正確に辿ることができるのは体が鮮明に覚えてるからだ、いや、あの不快感と恐怖と戦慄は一生忘れられないかもしれない。脇腹を揉みしだかれて胸板を撫でられてケツの穴に指突っこまれて俺は何もできなくてタジマの言うなりになるしかなかった、容赦なく体を焼く煙草の火怖さに命乞いまでしたのだ、殺したいほど憎い相手に。
 哀願なんてしたくなかった。
 俺は悪くないのになんで「ごめんなさい」なんて言わなきゃならない。鍵屋崎だったら絶対こんなこと言わない、自分が悪くもないのに口先だけで謝罪なんかしたりしない。あいつはプライドが高いからこんなみっともなくて恥ずかしい真似するわけない、これから自分を犯そうとしてる男相手に心にもない謝罪を述べ立てて同情を乞おうなんていっそ死んだほうがマシな醜態を晒すはずがない。たとえヤってる最中に強制的に妹の名前を呼ばされたからってだから何だ、強制的に妹の名前を呼ばすことはできても自発的に「ごめんなさい」を言わせることはできなかったはずだ絶対に。
 鍵屋崎は強いのに、今まで十何人という数の男に毎日毎晩犯されてもプライドは屈しなかったのに、心は負けなかったのに、本当の意味で汚れることはなかったのに、なんで壁一枚隔てたこっち側にいる俺は弱いんだよ。鍵屋崎やレイジみたいに強くなれないんだよ。折角助けに来てくれたレイジに反発して余計な真似すんなっていきがって、じゃあ何ができたんだよ?

 「こういうのはやなんだよ、」

 レイジをどかそうと肩に手をかけたまま顔を伏せる。これじゃタジマと一緒だ、いや、11の俺を犯そうとした客と一緒だ。俺が何を言っても聞き入れちゃくれなくて、体格差と腕力じゃ歯が立たなくて犯られるがままで二年経っても全然成長してない自分の無力さとか愚かさとか痛感して、でも結局何もできなくて。

 「聞けよレイジ、聞いてくれよ。お前なら俺の話聞いてくれるだろ、なあ」

 そうだ。お袋みたいに無視したりせずタジマのように殴り飛ばしたりせず、レイジはいつだってちゃんと俺の話を聞いてくれた。どんなくだらない話も鼻で一蹴したりせずに根気強く最後まで付き合ってくれた、そして必ず俺が欲しい言葉を言ってくれた。たまに、どころか頻繁に余計な一言もついてきたけど絶対に裏切ったりしなかった。そうだ。いつも、いつだってレイジは俺の期待を汲んでくれた。なにげない一言一言に親身になって報いてくれた。まるで、俺が長いこと心の底で欲しがってた本当のダチみたいに。

 「いやだって言ってんだからちゃんと聞けよ、無視すんなよ」

 無視しないでくれよ。
 お前に無視されたら本当にひとりきりだ、他に頼れる奴がだれもいなくなっちまう。今更虫がいい、先にレイジを拒絶したのは俺じゃねえか。でもこれじゃお袋やお袋の客やタジマとおんなじだ、今ここで大した抵抗もせずに犯られてしまえばレイジまで奴らと同格に堕ちてしまう、堕としてしまう。だから今ここで本音をぶつけなければ怒りに任せて拳を振り上げなければ、また大事な物を失ってしまう。
 ダチかどうかもわかないうちにダチを失ってしまう。
 だから叫ぶ、声を大にして叫ぶ。俺の右手をとって火傷に口付けたレイジに、名伏しがたい衝動に駆られるがまま。

 ―「おまえまで俺のこと無視すんのかよ、レイジ!!!!」―

 自分の声で鼓膜が痺れた。
 絶叫の余韻が殷殷と大気を震わせる。仰向けにベッドに寝転び、もう何も見たくなくて片腕で目を覆えば右手の甲から唇が離れてく。火傷を舐めていた舌が離れ、レイジに軽く掴まれた手首が虚空をすべるようにシーツに落ちてゆく。
 「……そんなツラすんなよ」
 「…………どんなツラだよ」
 「泣きそうなツラ」
 「泣いてねえよ」
 「泣きそうなんだよ」
 「泣かねえよ」
 不毛な押し問答にため息で終止符を打ったレイジが衣擦れの音さえたてない慎重さで力なく垂れ下がった手首をシーツに着地させる。
 すぐそこにいるのにレイジの顔が見れない、片腕をどける勇気がない。片腕で遮った顔にあきれ果てた眼差しを感じながら口を開く。 
 「……やさしくするって言ったじゃねえかよ」
 
 『ポイントはそこだ。好きでもねえ男に抱かれるのがいやなら好きな男なら問題ねえ。違うか?』
 『違う、根本的に違う。まず俺がおまえを好きになることありえねーし男と寝るなんて気持悪い』
 『やさしくするからさ』
 
 「やさしくしてやったじゃねえか」
 「やさしくねえ」
 間髪いれず言い返せばばつが悪そうに押し黙る気配が空気を伝わってきた。三呼吸の沈黙をおき、レイジが憮然として口を尖らす。
 「タジマにヤられたほうがマシだなんて言うからむかついたんだよ。せっかく助けにきてやったのにさ」
 「嘘だよ」
 「嘘かよ」
 片腕をどける。額にずりあげた片腕の向こう、ベッドに起き上がって胡座をかいたレイジがあからさまに安心して胸を撫で下ろしてる。レイジの胸で催眠術をかける振り子の如く揺れる十字架を見つめながらぼんやり呟く。
 「マジでヤられるかと思った」  
 レイジが笑みを広げる。俺がよく見慣れた底抜けに明るい笑顔。
 「唾液で消毒」
 「あん?」
 背格子に凭れ掛かって起き上がった視線の先、人を食った笑顔のレイジが口から突き出した舌を指さして説明する。
 「火傷の応急処置だよ。黴菌感染すると困んだろ」
 悪びれたふうもなくうそぶくレイジを面と向かいあってるうちに毒気がぬかれて怒りが沈静化してく。もう拳を振り上げる気力もなくて、虚空で指を解き放って大の字に寝転べば天井がやけに遠く感じられた。
 空腹が突き抜けて距離感がおかしくなってる。
 「紛らわしいことすんじゃねえよ」
 配管むきだしの幾何学的な天井を仰ぎ見ながら文句を言えば悪戯っぽい笑顔のレイジが近すぎる距離で顔を覗き込んでくる。
 「本当にヤられると思った?」
 過激な反応を見越され、からかうように聞かれて反論しかけ、正面のレイジに向けた視線が傍らの床へと吸い寄せられる。コンクリートむきだしの殺風景な床にへばりついてるのはタジマの靴裏に踏み躙られて原形留めぬまでに圧搾された肉粽。
 それを見た瞬間理性が爆ぜ、ベッドから転げ落ちるように飛び下りて床に跪いてた。
 床にへばりついた米粒の塊を爪でこそぎ落として掌で鷲掴んで口に入れて咀嚼する、喉につかえそうになりながら飲み下す、強引に飲み下して食道に送りこんで次から次へと胃袋に貯める。タジマが俺をおびきだすために持参した肉粽は形は無残に崩れて靴裏の泥が付着して見るからに不味そうだけど凄く美味しかった、俺が今まで食ったどんな物よりも素晴らしく美味かった、美味すぎて涙がでてきたくらいだ。それで気付いた、やけに塩辛いなと思ったら涙と鼻水と一塊の米粒とか一緒くたに喉の奥を流れてたからだ。情けない格好わるい恥ずかしい、レイジも見てるってのに腹が減りすぎて理性の抑制が利かなくなってる、食欲に歯止めが利かなくなってる。昨晩から何も食ってない、水一滴飲んでないんだから仕方ないだろう。人間飢えには勝てない、両手に掴んだ肉粽を脇目もふらずにがつがつ貪り食い飲み下す、延延その繰り返しが際限なく続く。何度目だろう、意地汚さ全開で両手に肉粽を握り締め、交互に口を運んでがっついてたら喉に米の塊が詰まって息が堰き止められた。
 苦しい。
 米を喉に詰めてむせ返った背中に手が伸びてくる。あたたかい手が背中に置かれる。はげしく咳き込む俺の背中をやさしく撫で擦ってる奴を振り向く余裕はない、いや、正しくは意地とプライドが邪魔して振り向けない。涙と鼻水でやけに塩辛い肉粽を口一杯に頬張った意地汚い俺を見てもそいつは失笑したりせず、あきれたりもせず、無言で背中を撫で続けてくれた。
 喉に米を詰めそうになったらすかさずトントンと背中を叩いて気道を確保してくれる世話好きの手。 
 床に散乱した肉粽をひとつ残らずたいらげ、一息つく。腹一杯に満たされて漸く人心地がついた。床にうずくまった俺の背中を優しくなでてる奴の顔は見ないまま、膝を抱え、顔を俯ける。
 「レイジ」
 「うん?」
 「一度しか言わねえからよく聞けよ」
 「うん」
 深く深く息を吸い、心の準備をする。大きく深呼吸した拍子に背中を支える手の大きさと力強さを再確認し、次の瞬間驚くほどするりと、今までの葛藤が嘘みたいなあっけなさでその言葉が出てきた。

 『謝謝』

 それまで、本当に長い間喉元で塞き止められてた感謝の言葉を初めて素直に口に出すことができた。今この場で背中を擦ってくれたことに対してのみ感謝を述べたんじゃない、今までさんざん迷惑かけっぱなしで世話になりっぱなしで、そんな自分が情けなくて悔しくて、どうしても素直に表現することができなくて腹の底に積もってたレイジに対する本音だ。
 レイジの顔は見ずに、憮然と、でもはっきりと礼を言えば背後から柔らかに笑う気配が伝わってきた。和んだ空気につられて振り向けば、レイジが俺が見たこともない顔で笑ってた。
 レイジでもこんな、くすぐったそうに笑うことがあるのか。
 「どういたしまして。借りはいつか体で返してくれりゃいいよ」
 前半で終わらしときゃいいのに株大暴落の蛇足をつけるあたり本当にいい性格してやがる。真冬の寒空の下、スラムの路地裏で膝を抱えてた十一歳の俺に言ってやりたい。ほら、やっぱりろくな奴じゃなかったって。 
 ベッドからひょいと腰を上げたレイジがごそごそポケットを探りながら通気口に近付いてく。何をする気だと目で追えばポケットから取り出したのは掌にすっぽり納まる大きさの黒い円球。通気口の真下で足を止めたレイジが癇癪玉によく似たそれを掌中で弄くりながらよく透る声を張り上げる。
 「そろそろ仕上げにかかるぜ」
 その声は明朗に通気口に響き渡り、壁を挟んで同じように通気口の闇を覗いてるのだろう誰かのところに届いた。
 「準備はいいか、サムライ」
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