少年プリズン

まさみ

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百三十六話

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 「……俺が今のこの状況を喜んでるとでも思うか」
 底冷えする目でレイジを見据えたサムライが、胸引き裂かれるような苦渋が滲んだ独白を吐き捨てる。
 「俺だって鍵屋崎を助けに行きたい、このまま放っておきたくはない、ではどうれすればいい?鍵屋崎は俺を頼るのを拒んでいる、俺が手を貸すのを拒んで嫌がっている。俺はあいつを哀しませたくない、これ以上傷付けたくない。俺が横から手を出すことで鍵屋崎の矜持に泥をぬってしまうなら、余計な口を出すことでさらに鍵屋崎を苦しめて絶望の淵に追いやってしまうような真似はしたくない絶対に」
 「腰抜け」
 「……何?」
 「聞こえなかったか?腰抜けって言ったんだよ」
 顔寄せ合って鉄格子を覗きこんでいた連中が息を呑む。頭から冷水を浴びせられたような戦慄が体を走り抜けた僕らをよそに目の前ではレイジが笑ってる。やさしいとも評せるだろう魅力的な笑顔で、世界中の女を虜にするだろう蕩けそうに甘い笑顔で。
 でも、これまで何人何十人殺してきたのかわからない眼光の鋭さは女たらしの本性全開の甘い笑顔に全く相応しくない。
 「キーストアを苦しめたくないから手をださない、あいつに呼ばれてないから助けにいけない?御託ふかしてんじゃねえよ。ここで重要なのはキーストアがどうこうじゃない、お前がどう思ってるかだよ。いいか?あいつの屁理屈鵜呑みにして指くわえてたらじきに手遅れになるぜ、いちばん近くでキーストア見てるお前がそろそろ限界近付いてんのに気付かねえわきゃねーだろ。あいつが余計なお世話だ何だ喚こうが抵抗しようが手刀でも打ち込んで連れてくりゃいいじゃん、ほんとは今すぐにでも駆け出してってそうしたいくせにやせ我慢してんじゃねえよ」
 「お前に何がわかる。俺だってそうしたい、この六日間あいつの顔を見るたびにずっとそう思ってきた、寝ても覚めてもそればかり考えてきた。俺は二ヶ月前に『生き残るために俺を頼れ』と言った、しかし鍵屋崎はその言葉を受け入れてない、自分ひとりで何とかしてみせると抗いつづけている。俺は、」
 サムライの顔が苦渋に歪み、胸に裂け目が生じ、血を吐くような激情が声に迸る。
 「俺はどうしたらいいんだ!?鍵屋崎はプライドが高い、決して自分の弱さを認めない、仮に認めたとしても俺に弱味を見せることがない。俺が余計な手を出すことであいつがいちばん大事にしているプライドを踏み付けて泥だらけにしてしまったら鍵屋崎は立ち直れなくなる、今度こそ駄目になってしまう、一切の希望を失ってしまう。俺は、」
 唐突に言葉を切ったサムライが自分を落ち着かせるように深呼吸し、毅然と顔を上げる。目に宿るのは痛々しいまでに思い詰めた光、無明の闇の中で迷子になった子供のように途方に暮れた表情。
 「俺はもう、俺のせいで大事な人間を失いたくない」
 切羽詰った声色で吐き捨てたサムライの正面、腕組して反論を聞いていたレイジが口角を吊り上げて獰猛に笑む。
 「鍵屋崎が他の男に抱かれてもいいってのか?」
 「…………」
 「お前がそう言うなら仕方ねえ」
 やる気なさそうに耳をほじっていたレイジがフッと耳垢を吹き、両の手を体の脇にさげてサムライに面と向かい、そして。
 サムライを激怒させる一言を放つ。
 「俺が今度抱きに行ってやるよ。お望みなら感想教えてや、」 

 レイジが吹っ飛んだ。

 「……………」
 鉄格子に殺到していた全員が声を失った。あのレイジが、王様が、いつでも自信たっぷりにへらへら笑ってる奴が目にもとまらぬ速さで空を切った拳に薙ぎ飛ばされて壁に衝突。この場の全員、だれ一人としてサムライの拳がレイジの横っ面に入る瞬間をとらえることができなかった。鈍い音、震動。壁を背にしてずり落ちたレイジが糸が切れた人形のように手足を投げ出して項垂れる。顎がゆっくりと持ち上がり、前髪が額を流れる。
 乱れた前髪の隙間から覗いたのは闘争心に火がついた双眸、痙攣して吊り上がった口角から露わになったのは鋭く尖った犬歯。
 「やったな」 
 「それがどうかしたか」
 「いい度胸だ」
 壁に片腕もたれて立ち上がったレイジが床に唾を吐く。サムライに殴られて口の中が切れたらしく唾には血が滲んでいた。唇の端を親指で拭い、過不足なく理想的に引き締まった全身に獰猛な殺気を漲らせて戦闘体勢に入ったレイジが片腕を前に突き出し、ゆっくりと五指を折り曲げてサムライをさし招く。
 「かかってこいよみっちゃん」
 闘いの幕が切って落とされた。
 床を蹴って疾駆したサムライが腕を振りかぶってレイジの顔を殴る、殴る、殴る。やっぱり幼い頃から木刀を振ってきただけあって腕を繰り出す動作ひとつとっても無駄なく贅が殺ぎ落とされてる。
 「刀がなくても強えじゃんか」
 一方レイジは連続で殴られてるってのに口笛を吹く余裕さえある。いや、これはわざと殴らせてるのだろう。その証拠にレイジの顔には余裕の笑みが浮かんでいる。と、レイジの姿が突然消失。拳を穿ったサムライの足もと、壁面に背中を預けて屈んだレイジが這うような低さから蹴りを繰り出す。長い足が宙を綺麗な弧を描いて宙を薙ぎ、ふいをつかれたサムライが叫び声をあげる間もなくすっ転ぶ。形勢逆転、サムライの襟首を掴んで馬乗りになったレイジが鼓膜をびりびり震わす声で吠える。
 「ダチひとり助けられなくて何がサムライだ、格好つけてんじゃねえよ!!」
 「お前はどうなんだレイジ、ロンと喧嘩して行く当てなく人の房を訪ねてきたくせに和解した途端俺に説教か?ずいぶんと変わり身の早い王だな」
 「ああそうだよ、手の早さと変わり身の早さが俺の取り得だからな」
 レイジに襟首掴んで強引に立たされたサムライが再び腕を振りかぶる、風切る唸りをあげて的確に急所を狙ってくるこぶしをスキップ踏むようにラクラクとかわしながらレイジが口早に畳み掛ける。
 「このまま鍵屋崎が弱ってへばってくの見過ごしてていいのかよ、何もしないでいていいのかよ?」
 「俺が何かしたら裏目に出る!!」
 頬を擦過した拳の風圧が前髪を舞い上げる、それでも動じないレイジとは対照的にサムライは動揺をあらわにしつつある。ポケットに指をひっかけたままの大胆不敵な姿勢で身軽に跳躍、柔軟性を存分に生かして顎を逸らし胸を反らし右足を軸に体を半転させ間一髪で拳をかわすレイジに降り注ぐのは野次と罵声。
 「よーし、行け、レイジ!」
 「負けるなサムライ、下克上だ!」
 「いつもへらへら笑ってる王様なんか完膚なきまでに叩きのめして血の海に沈めちまえっ、お前ならできる、やれ!」
 「さあ、どっちに賭ける?ただ今6:4競っております競っておりますレイジがやや優勢であります!」
 「いやいやサムライだって実力じゃレイジに負けてねえ、平和主義者だから表立ってレイジとぶつかってこなかっただけでちょっと本気だしゃスマイル0円のバカ王なんかあっというまだ!」
 「刀持ってねえんじゃレイジに形無しだ!」
 「うめえ洒落言ったつもりかよっ、興醒めだからひっこんでろ!!」
 押し合いへし合い蹴り合い殴り合い、レイジとサムライの対決を巡る賭けを発端にした小競り合いが飛び火して廊下に殺到した囚人同士が取っ組み合いの喧嘩がおっ始める。もう収拾がつかない。頂上決戦の噂が噂を呼んで膨れ上がった人波に揉まれて流されかけ、「勝つのはサムライだ!」「いやレイジだ!」と互いの襟首掴んで喧喧轟々唾とばしあってる囚人二人の股の間をくぐり抜け、髪と服をぐちゃぐちゃにして最前列に戻ってみればレイジとサムライは両者互角の攻防戦を繰り広げていた。
 レイジもサムライも僕以上にぼろぼろだ。ちょっと目をはなしてるすきに嵐のような拳の応酬があったんだろう、のびきった襟首から覗いた鎖骨には玉のような汗が浮いている。頭の後ろで一本にまとめた髪が乱れ、おくれ毛がこぼれていることに気付いたレイジが素早くゴムを抜き取って口にくわえる。そのまま頭の後ろに手を持っていき、ふたたび一本にまとめて扱いてからゴムで結んでサムライと向き合う。 
 「ハンデやろうか?」
 レイジが意味ありげに一瞥した方角にはサムライの木刀が。ちらりとレイジの視線を追い、サムライが口にした言葉は簡潔だった。
 「情けは無用だ。反吐が出る」
 「言うじゃねえか、上等だ」
 「そうこなくっちゃ」と好戦的な笑みを浮かべたレイジが腰に重心を移動させ、足幅を広げる。空気が撓み、場の緊張が頂点に達する。
 先手を打ったのはサムライだった。
 均衡が崩れ、サムライが満を持して解き放たれた矢のように一直線に疾駆する。極限まで撓められた矢のようにレイジに肉薄したサムライが、これまで堪えに堪えていた何かを解き放つように絶叫する。
 「俺は鍵屋崎を友だと思っている!!」
 叫びながら腕を振りかぶる。
 「鍵屋崎が大事だ、守りたい、守ってやりたい!でも本人がそれを重荷に感じるなら、迷惑だと言うなら俺はどうしたらいい!?何か事が起こり俺が手を出すたびにあいつは哀しい顔をしてきた、ひどく侮辱されたような顔で迷惑がってきた!俺は鍵屋崎にあんな顔をさせたかったわけじゃない、鍵屋崎を傷付けたかったわけじゃない、でも実際そうなんだ、俺が余計な手出しをすることであいつの自尊心を傷つけ何より他人の同情を嫌う鍵屋崎を苦しめて貶めてきたんだ!」
 「それがなんだってんだよ!!」
 おのれの顔面めがけて迫ってきた拳を腕にしがみついて捨て身で封じ、空いた手を拳に握り固めたレイジが負けじと叫ぶ。
 「鍵屋崎が苦しもうが傷つこうかいいじゃないか、あいつはもう十分苦しんで傷ついてんだよ、これ以上苦しみようも傷つきようもねえよ!」
 「黙れレイジ、」
 「だまんねーよバカ!」
 サムライの片腕を締め上げて封じたレイジがもう一方の手を目にもとまらぬ速さで振りかぶる、僕には残像しか見えなかった。サムライの鳩尾に抉るように叩きこまれた拳、その威力は絶大で痩せてはいるが長身のサムライがもんどり打って吹っ飛んだ。
 勝敗は決した。
 僕はさっきレイジとサムライは互角だと言ったけどとんだ勘違いだった。レイジはあの時点でまだ本気をだしちゃなかった、全力をだしちゃなかった。刀を持ったらどうだか知らないけど素手の喧嘩じゃあサムライに勝ち目はない、レイジだって伊達に東棟の王様を名乗っちゃいないのだ。みじめに床に這いつくばり片腕を腹に回し、胃袋を吐き戻しそうな勢いで咳き込むサムライの頭上に影がさす。
 勝者の余裕、墨汁の海を悠々と渡ってきたレイジが醒めた笑顔でサムライを見下ろす。
 「ざまあねえな」
 「………!」
 墨汁で顔を汚し、屈辱に歯軋りしたサムライの前にすとんと屈みこみ、無造作にその襟首を掴む。サムライの襟首を掴んで自分の方へと引き寄せたレイジが顔とは裏腹に真剣な声で言う。
 「いいか?よく聞けよ」
 鳩尾の激痛が原因で額に夥しい脂汗を浮かべ、痛苦に顔を歪めたサムライの視線を正面から絡めとり、レイジが深呼吸する。
 「おまえ以外のだれに鍵屋崎が助けられんだよ」
 「……………」
 頑是無い幼子に世の理を噛み含めるように辛抱強くレイジがかき口説く。
 「もうちょっと自信もてよ、あの気難しいメガネにこの刑務所で唯一友人だって認められたんだからよ。大事な人間を失いたくないから自分じゃ何もしないだ?ふざけんな、お前が何もしないでいるうちに大事な人間はどっか行っちまうっての。それがまだ手が届くところならいいよ、全速力で走って追いつけるとこならいいよ。でもな、そうじゃないだろう?もう二度と手が届かないところに行っちまったらどうすんだよ、取り返しつかないだろ」
 サムライの目に戸惑いの波紋が生じる。墨汁の海に手をついて上体を起こしたサムライの襟首をそっけなく放し、レイジが立ち上がる。
 「お前の過去に何があったかなんて死んねーし俺が口出せた義理じゃねーけど今のお前見てるといらつくんだよ。般若心境の読経にも身が入ってねえし木刀の切れ味も悪いし全然サムライらしくねえよ、今のお前はただの腰抜けだよ、サムライ名乗る資格ねえよ。鍵屋崎は今ならまだ追いかければ間に合う、助けに行けば間に合う。じゃあ答えは決まってんだろ?」
 なだめすかすような声音に変じたレイジがうってかわってやさしい物腰で片手をさしだす。不審げな顔で眼前の手を見下ろしたサムライが答えを仰ぐようにレイジに視線を向ければ返されたのは何もかもを見通す笑顔。
 「ダチひとり守れねえで何が武士だ。サムライの心意気見せてみろよ」
 衒いない笑顔の眩さに目を細めたサムライが誘われるがままレイジの手をとりかけて……
 そっけなく、はたき落とす。
 「情けは無用だ。ひとりで立てる」
 「そりゃ結構だ」
 野次馬が固唾を呑んで見守る中、力尽きたように墨汁の海に膝を付いていたサムライがやがて、誰の手も借りずに立ち上がる。ズボンの膝を墨汁で黒く汚し、顔にも手足にも黒い飛沫を付着させていたが、それでも毅然と顔を上げてレイジと目を合わせたサムライの顔にはこの所鳴りを潜めていた武士の矜持が生き生きと息吹いていた。
 「手はとらないが礼は言う。かたじけない」
 几帳面に頭を下げたサムライに踵を返し、レイジが扉を開ける。廊下にたむろっていた野次馬が一斉に道を開ける。モーゼの十戒みたいに真っ二つに割れた野次馬の垣根の真ん中、王様の為に作られた特設の道を大股に歩んで房に帰ろうとしていたレイジに声をかける。
 「どういう風の吹き回しさ、王様。鍵屋崎のことなんかどうでもよかったんじゃないの?」
 ぴたりと立ち止まり、レイジが振り向く。黒山の人だかりに混ざってる僕を見つけたレイジがにこりと微笑む。
 「勘違いすんな。キーストアはどうでもいいけど四六時中やつの喘ぎ声聞かされるロンが寝不足になっちゃ困るだろ?それにな、ロンは俺と違っていい奴なんだ。あのプライドばっか高くて可愛げない鍵屋崎のことを一応ダチだと思って心配してる。キーストアが哀しめばロンが哀しむ、ロンを哀しませないためにはキーストアを哀しませない、つまりはサムライを焚き付ける必要あんだよ」
 「すっごい屁理屈だね」
 「そうか?筋は通ってるだろ。好きな奴哀しませて喜ぶのは筋金入りのサディストだけだよ。つまりお前だ、リョウ」
 指で銃を作って僕を撃ち抜く真似をしたレイジが最後にふっと指を一吹き、音痴な鼻歌を奏でながら意気揚揚と去ってゆく。その後ろ姿を見送って鉄格子の隙間を覗けば、房の真ん中に立ち尽くしたサムライが強い決意を秘めた目で相方不在のベッドを凝視していた。
 さあ、これで準備は整った。
 後ろ手を組み、鼻歌を奏でながらレイジとは逆方向に廊下を戻る。僕が配達した手紙が起爆剤になってサムライが動けばこれから面白くなるだろう、ぐしゃっと握り潰してポイと捨てちゃうよりずっと賢いやり方を選択しつもりだ。レイジに喝入れられてサムライも漸く迷いを吹っ切ったみたいだし近いうちに何らかの行動を起こすだろう。
 早くて明日か……明後日か。
 「まあ、それまで鍵屋崎の体と心が保てばいいけどねえ」
 一抹の不安、あるいは期待。
 そうして僕はレイジと逆方向に廊下を去っていった。まだこれからしなくちゃいけないことがあるもんでね。
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