少年プリズン

まさみ

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百二十八話

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 レイジの顔を見た瞬間、力一杯扉を閉じた。
 「おい!?」
 鼻先で扉を閉じられたレイジが拳で追いすがるが背中で扉を押さえて無視、無関心を決めこむ。
 「それが三日ぶりに来てやった同房の相棒に対する仕打ちか、開けろよ恩知らず!」
 両拳が扉を乱打する騒音とレイジの金切り声を鉄板越しに浴びながら俺はすっかり気が動転していた。なんでレイジがここにいるんだ?四日前の夜に絶縁状を叩き付けたはずなのに、喧嘩別れして愛想尽かされたはずなのに。俺だってこんな風に扉を閉め切るつもりはなかったんだ、でもレイジの顔を見た途端体に染み付いた反射行動でついうっかり……だって、なんで今更?なんで今更レイジが俺なんかの所に?わけわからねえ、夢を見てるんじゃないか。自分がやったことを帳消しにしてレイジとまた軽口叩けるんじゃないかっていう都合のいい夢。眠気覚ましに頬を抓ってみたが痛い損で、ということは俺はどうやら起きているらしいが背後のノック音はまだ止まない。次第に熱を帯びて嵐のようにはげしくなりつつあるノック音に振り返り、断続的に震動する扉を見つめ。
 「うるせえ、おまえの顔なんか見たくねえ!」
 ああ、俺は手におえないバカだ。
 なんだって今、よりにもよってこんな台詞を吐いちまうんだ。売り言葉に買い言葉の愚をこりずに繰り返す気か。背中を扉に密着させ両腕で扉をふさいで癇癪を起こしたガキのように叫ぶ。
 「いまさらなんで会いに来たんだよ、三日も経ってのこのこツラ見せるんじゃねえよ!目ざわりだって言ったろ、お前の胸糞悪いツラが見えなくなってせいせいしてたのによっ」
 そうだ、なんで今更のこのこ会いに来たんだ?何もなかったようなツラして、何もなかったようなフリして。俺はコイツにひどいことを言ったのに、ひどいことをしたのに、なんでいつもどおりの笑顔を引っさげてやってくるんだ。俺はどんな顔してレイジの面を見たらいいのかわからないのに、レイジと面と突き合せて開口一番どんな台詞を吐けばいいかわからなくて混乱してて頭の中はぐちゃぐちゃなのに、心の準備も何もしてなくて無防備に扉を開けたらレイジがいて心臓が喉から飛び出そうな位びびったのに。
 「余計なことすんなよ、だれが見舞いにきてくれなんて頼んだよ、俺とお前はもうなんも関係ねーのにうざってえことすんなよ!」
 違う、こんなこと言いたいんじゃない、こんな憎まれ口叩きたいんじゃない。本当は嬉しいくせに、三日ぶりに再会したレイジが風邪ひいてなくてぴんしゃんしてて、俺が知ってる普段通りのレイジでいてくれて凄く嬉しいのに口が勝手に動いてしまう。レイジに動揺を見抜かれるのは癪だ、すげえ癪だ。アイツの目は苦手だ、俺の心の奥底まで見透かしてしまいそうな色硝子の瞳だ。俺がこの三日間どうしてたかレイジと目が合えば一瞬で見抜かれてしまう、いやだ、冗談じゃねえ。だれがこの三日間寝ても覚めてもレイジのこと待ち焦がれてたってんだ、べつにコイツなんかいなくたって……
 「そうかよ、じゃあ好きにしやがれ!」
 一際大きく扉が震えた。
 怒りに任せて扉を蹴り上げたレイジが靴音高く去ってゆく気配にハッと顔を上げ、耳をふさいでいた手を下におろす。荒廃した廊下にこだまする硬質な靴音が次第に遠ざかってゆく。
 ベッドに膝立ちの姿勢で呆然と扉の表面を凝視する。レイジに追いすがるように扉の表面に手をあててると鋼鉄の質感と無機質な冷気が指に染みてくる。またやっちまった、俺はバカだ、大馬鹿者だ。これじゃ四日前の繰り返しじゃないか、折角俺を心配して見舞いに来てくれたレイジにひどい言葉をぶつけてろくに顔も見ずに追い返して……レイジの靴音が彼方に遠ざかってから放心状態でいた俺はようやく正気を取り戻す。体の奥底から湧いてきた衝動に突き上げられてベッドに立ち上がり高々と拳を振り上げてレイジの名を呼ぼうとする、呼び止めようとする。意地なんか張ってる場合じゃないだろう、他に言いたいことがあるはずだろう。大きく深呼吸して口を開く。思い出すのは酷寒の冷気に満ちたアパートの外廊下、情夫を連れ込んだお袋に閉めだされて、それでも諦めきれずにドアを叩きまくってた苦い記憶。
 頼むから行かないでくれ、見捨てないでくれ。
 「レイ、」
 「ああっ、畜生!」
 喉も破れよと悲痛な声をあげようとして、廊下に響いた突拍子もない声に拳を止める。脳天から奇声を発したレイジが廊下で地団駄踏んで大股に戻ってくる、大手を振って憤然と引き返してきたレイジがほんのわずかな扉の隙間に無理矢理手を入れてこじ開ける。
 そして、ヤケ気味に叫ぶ。
 「おまえが俺の顔見たくなくても俺はおまえの顔が見たいんだよ、いやなら力づくでこじ開けるぜ」
 なんだよ、それ。
 「…………」
 扉を押さえていた腕から力が抜けてゆく。無茶苦茶な要求に全身脱力、虚脱状態に陥ってベッドに尻餅ついた俺の前で隙間が広がっていき、その隙間からぬっとレイジの顔が現れる。ふてくされたような拗ねたようなガキっぽい表情。
 「……思ったより元気そうだな」
 扉を背にして床に胡座をかいたレイジが憮然と呟く。レイジの顔を見るのが照れくさく、というかあんなでかい口叩いた一瞬後にはめちゃくちゃに拳を振り回してレイジを呼び止めようとした自分の行動が顔から火が出るほど恥ずかしくなってレイジと背中合わせに蹲る。
 居心地悪い沈黙。
 膝を抱えて蹲りながら扉越しにレイジの気配を感じる。分厚い鉄扉に阻まれていてもレイジの存在感は揺るがず、相棒に背中を守られてる現状に心強い安堵感を覚える。相棒?その連想に動揺する。俺はいつのまにか、レイジのことを相棒だとかそういう風に思ってたのか?俺の動揺をよそにレイジは胡座をかいて扉の前に居座ったまま奴らしくもなく押し黙っていた。内部に設けられた通気口からは依然として聞くに堪えない嬌声が漏れてくるし、売春班のガキが客に虐げられて泣き叫ぶ阿鼻叫喚の地獄が壁一枚隔てた向こうに在るのは動かし難い事実なんだが、俺とレイジの周囲だけがバリアを築かれてでもいるかのような静寂に包まれていた。
 息の詰まる沈黙に嫌気がさし、口火を切ったのは俺だった。 
 「……風邪ひいてねーか」
 「あん?」
 レイジが振り向く。怪訝な顔をしたレイジに見つめられて続く言葉を失いそっぽを向く。 
 「バカは風邪ひかねえって鍵屋崎が言ってたから直接聞いてみようかと」
 四日前、房から閉めだされたレイジがどうしてたか知らないが一晩中廊下をさまよってたなら風邪をひいててもおかしくない。曖昧に口を濁して顔を背けた俺を不思議そうに観察していたレイジの目に理解の光が点り、一瞬後には稚気が閃き、俺がよく見慣れたいつもの笑顔が戻ってくる。
 「心配してくれたんだ」
 「バカ言え」
 「照れるなよ」
 「照れてねえ」
 「腹へってないか」
 「?」
 突然話題を変えられて反射的に顔を上げる。扉の隙間に顔をくっつけて廊下の様子を窺えばすぐ目の前に胡座をかいたレイジが腕に何かを抱えていた。なんだろう?レイジが大儀そうに懐に抱いていたのはコーラの瓶が二本とでかいアルミ缶。一抱えもあるアルミ缶の蓋を開けて手を突っ込み、なにやらごそごそと漁りながらレイジが続ける。
 「だと思って食料持って来たぜ」
 口笛を吹く格好に唇をとがらせて音痴な鼻歌を奏でながらアルミ缶の中を漁るレイジの背中を毒気をぬかれて眺める。またレイジの鼻歌が聞ける日がくるとは思わなかった、相変わらず進歩がなくてへたくそだ。鍵屋崎の爪の垢でも煎じて飲めばいいのに。にも関わらずレイジの唇から流れたでたらめな歌が耳朶にふれた途端、不覚にも涙腺が緩みそうになって慌てて俯き加減になる。
 「ほい」
 鼻孔の奥につんと熱い物を感じて俯いた俺の前へと突き出されたのは扉の隙間を通ってきた一本の手。そして、俺の鼻先に突きつけられたのは……
 「なんだこれ」
 「乾パンだよ。知らねえ?非常食で保存がきくんだ」
 おもわず受け取ってしまって首を傾げる。レイジに無理矢理握らされたそれは乾燥したパンのような無味乾燥な保存食だったがこの状況でえり好みしてられない。というか願ってもない差し入れだ、この三日間水道水しか口にしてない俺にとっちゃ歯応えあって胃にためることができる固形物ってだけで有り難かった。左手に一掴み受け取った乾パンを右手でつまみ、頭上に翳してためつすがめつしてから口に放りこむ。噛み砕く。嚥下する。
 味わう余裕があったのはそこまでだった。
 一心不乱に乾パンをがつがつむさぼり食う、噛み砕く、飲み下す。それから先は延延と咀嚼と嚥下の繰り返し。乾パンを口一杯につめこんで頬を不恰好に膨らませた俺の背中越しに何かを噛み砕く乾いた音。どうやらレイジも乾パンを食ってるらしい、アルミ缶の底を探るごそごそ言う音と小気味良い咀嚼音が代わる代わる聞こえてくる。
 そのまま脇目もふらずに乾パンにがっついてたら能天気な声が聞こえてくる。
 「なあ知ってる?」
 「はんだよ」
 口に物が詰まってる状態で言葉を返したせいでくぐもった発音になってしまった。扉の向こう、俺よりは遥かに余裕ありげに乾パンを齧りながらレイジがとんでもないことを言い出す。
 「乾パンにキャビアのせて食うと美味い」
 豪快に咀嚼した乾パンを飲み下そうとして喉に詰まりかけた。
 「食ったことあんのかよ」
 「あるから言ってんだよ」
 「……まさか今やってんじゃねーだろな」
 はでに咽ながら追及すれば鼻歌でごまかされた。 
 「おい」
 脳の奥で疑惑が膨れ上がる。扉に手をかけて隙間を広げて覗き込めばレイジは鼻歌まじりに乾パンを掲げ、膝の上にはポケットにでも入れてたのだろう缶詰を開け、用意がいいことに右手に握ったナイフで乾パンになにやら黒い物を塗りつけていた。
 キレた。
 「おいレイジこっちむけ!ひとの話聞けよ!」
 扉をどんどん叩いてこちらに注意を向ける。乾パンにキャビアを贅沢に塗りたくりながら鼻歌まじりに振り向いたレイジの面に殴りかかりたくなる衝動を抑え、器用に片眉を動かして視線で「何?」と問うてきた奴に有無を言わせず要求する。
 「………俺にもくれ」
 扉の隙間から居丈高に片手を突き出す。言うまでもなくてのひらに乾パンを盛った方の手だ。自慢じゃないが俺は今までの人生でキャビアなんて贅沢品食べたことない、その手の届かない贅沢品を、貧乏人垂涎の的のキャビアを目の前の男が独り占めしてるのを放っておけるか。俺もご相伴にあずからなきゃ気が済まねえ……意地汚い自覚はあるから何も言わないでくれ。レイジはとくに拒むことなく、かえって嬉しそうに俺の手の中の乾パンにキャビアを一匙乗っけてくれた。ずいぶん気前がいいなとほんの少しだけレイジを見直す。生まれて初めて口にするキャビアに手が震えそうになるのをこらえながらゆっくりと口へと運び……
 「………塩辛い」
 拍子抜けした。
 「舌が貧しいから」
 「あん?ばかにするなよ、だれの舌がまずしいんだよ」
 「よく味わって食えよ、一缶万単位の高級品だぜ。庶民だって一年に一回食えるかどうかって代物なんだからお前みたいな貧乏人は一生に一回食えるかだ。で、その一生に一度の機会は今ここで使っちまったからこの先二度と訪れねえってわけ」
 癇にさわることこの上ないレイジの笑い声を無視し、憮然とした面でキャビア盛りの乾パンをぺろりとたいらげる。塩辛いだけであまり美味く感じなかったのはレイジの言う通り味覚が貧しいからか?奴の言うことを認めるのは癪だが滅多に口にする機会がない贅沢品には違いないし、俺が刑務所にいるかぎりキャビアなんかにありつける機会はもう二度巡ってこないと断言できるから意地汚いのは百も承知で指を舐める。舌を出してパン屑を舐め取りながら三日ぶりの満腹感に浸る。とても足りたとはいえないが胃袋がからっぽじゃなくなったぶんずっとマシだ。これで腹が減りすぎたのが原因で眠りたいのに眠れないなんてどっちつかずの状態から脱却できるだろう。
 と、扉の向こうでまたレイジがなにかやりだした。ぷしゅっと気が抜ける音に連続したのはアルミの蓋が床に落下する音。指を口に含んだ格好で膝這いに扉に這い寄る。なにやってんだアイツと不審げに隙間を覗いた俺の鼻先に突きつけられたのはコーラの瓶。
 「こないだ約束したろ、飲ませてやるって。俺の好物のポップコーラ。フィリピン産だし入手困難だよなって半分あきらめてたんだけど第二次ベトナム戦争に派遣された米軍が持ち込んだ奴が今日本に出回ってるらしい、コネのある看守が仕入れてきてくれたんだ」
 思い出した。こないだ食堂でレイジが言ってた気の抜けたコーラか。あのとき冗談半分で交わした会話を有言実行してしまうなんてさすがは王様、実力が伴う権力者はやりたい放題だ。手渡されたコーラに口を付け飲み下す。
 レイジがにやりと笑う。
 「飲んだな?間接キスだ」
 「大丈夫ちゃんと拭いた」
 レイジが考えてる事なんかお見通しだ、服の裾でさっと瓶の口を拭いた。俺の反応を楽しみにしてたらしいレイジが情けない顔をする。
 「……なあ、本当のこと言ってくれ。俺のこと嫌い?」
 「思い上がるな」
 手酷い仕打ちにあった乙女のように今にも泣きそうな顔のレイジが聞いてくるのにそっけなく答え、瓶を逆さにしてコーラを飲み干す。
 「『嫌い』じゃなくて『大嫌い』だ」
 一気に中身を飲み干し、からになった瓶をレイジに突っ返す。どこまで本気なんだか、傷心のレイジが哀しげにため息ついてコーラの空き瓶を受け取る。そのさまがあんまり情けなかったもんだから我慢できずに笑っちまう、レイジに背中を向けたまま喉を鳴らして笑ってるとホッとしたような吐息が耳朶をくすぐる。
 「ようやく笑ったな」
 笑いを引っ込めて振り向けばレイジが安堵を隠しもせずに笑み崩れていた。周囲に快活さを振りまく底抜けに明るい笑顔を見てるうちに舌がかってに動き、今まで必死に目をそむけてきた本心を口に出しちまう。
 「この前は悪かった」
 「?」
 コイツ本気で忘れてるのか、と危惧すら抱かせるほどの天然ぶりでレイジが首を傾げる。いや、コイツの場合演技かもしれないから尚更タチが悪い。内心忸怩たるものを感じつつも俺の口は止まらない、今まで心の奥底に追いやって必死に目をそらしつづけていた感情が堰を切ったようにあふれだして俺を突き動かす。
 「死んじまえなんて本気で言ったんじゃない。たしかにおまえは女たらしでろくでもない奴で寝言がうるさいし、週に二・三回は寝込み襲われておちおち寝てもいらねえしすっげえ迷惑してるけど……すぐ横で気持よさそうに寝息たててるお前の寝顔見て、なんでこんなトコでぐっすり眠れるんだろうって。熟睡中に誰かに襲われたり口ふさがれたりするの怖くないのかって、そう思ったらなんだか無性に腹が立って。俺は寝てる最中もいっつもびくびくしてるのに、お前がそうやって熟睡できるのは自信と実力の表れで……」
 言ってることが支離滅裂だ。相当ヤキが回ってるな、俺。でも止められない、今まで腹の底にためにためこんできた様々な感情が一気に噴き上げてきて口を動かしてるのだ、レイジに対する劣等感とか嫉妬とか羨望とかそう感じてしまうことへの自己嫌悪とか無力感とか全部ごっちゃになって訳わからなくなってきた。俺は鍵屋崎と違って頭良くないんだから考えすぎて煮詰まって墓穴掘るに決まってるのに。
 でも、これだけは言いたい。
 ちゃんと誤解を解いておきたい。あの時俺が飲みこんでしまった言葉を一対一で言わせて欲しい。
 「監視塔のときだってそうだ。俺がシャワー室の帰りに拉致られたら助けにきてくれた、でも素直によろこべなかった、だって俺は強い男になりたかったから。ガキの頃からずっと思ってたんだ、自分の身くらいちゃんと自分で守れるような強い男になりたいって、自分が好きな女や自分のガキとか……ついでにお袋とか、身の周りの人間もちゃんと守ってけるような男になりたいってずっとそう思って俺なりにやってきたんだ。喧嘩の腕を磨いて一対一の勝負じゃ負けなくなって漸く自信がついたのに……」
 レイジの顔を見れない。
 こんな顔を見せたくない、ぐだぐだ弱音吐いていじけてるこんな情けない顔を見せたくない。膝を両手で抱いて顔を伏せる、続ければ続けるほどに胸の痛みがはげしくなるのに耐えて意気地のない本音を吐露する。 
 「東京プリズンに来たら全部変わっちまった。俺は全然弱くてカッコ悪いガキだし、危なくなったらいっつもお前にたすけてもらってて、その癖自分じゃだれも助けられなくて」
 鍵屋崎のことも助けられなくて。
 見殺しにして。
 「タジマはおっかねえし、あいつが警棒に手をかけると条件反射で身が竦んじまうし。あんなブタびびるに値しねえって頭じゃわかってんのに体が言うこと聞かないんだ、かってに震え出すんだ。外にいた時は大人数相手の喧嘩だってびびったことねえのにタジマひとりに怯えて腰ぬかして、すげえかっこわるいだろ。あんな風に怯えたのってガキの頃以来だ、足が竦んで逃げることもできなくて……ザマあねえよ、自分じゃ幾つも修羅場くぐりぬけて強くなった気になってたのにココに来て全部ひっくりかえされた」
 俺はもうお袋に殴られっぱなしのガキじゃないのに、自分の身くらい自分で守れると高を括ってたのに。
 俺だけじゃない、そのうちできるだろう大切なだれかを守れるくらい強くなった気でいたのに。強くなりたかったのに。将来俺が好きになった女とかその間に出来たガキとか絶対殴ったり蹴ったりせずにちゃんと守ってやるってあの寒空の下で決意したのに今の俺ときたら何ひとつ実行できてないじゃんか。タジマにやられっぱなしで何もやり返せなくて、壁の向こうで鍵屋崎が酷い目にあってても知らん振りを決め込むことしかできなくて、こんな情けない俺は俺がなりたかった俺じゃない。

 俺はレイジみたいに強くなりたかった。
 今わかった。俺はずっとレイジが羨ましかったんだ。

 「……ガキだ、俺」
 レイジが面倒見切れなくなって当然だ。レイジの寝顔を見るたびに腹を立ててた自分が情けない。突き詰めればレイジに対する劣等感を裏返した愚にもつかない嫉妬じゃねえか。にもかかわらずレイジにガキっぽく八つ当たりして今もこうして湿っぽい愚痴をこぼして……膝を抱えてうなだれた俺の背後、レイジが後頭部を仰け反らせて鉄扉によりかかる気配がした。隙間から覗けば片膝立て、もう片方の足を無造作に投げ出したなげやりな姿勢でレイジは天井を仰いでいた。
 「あのさ、ロン。勘違いしてねえか」
 一呼吸の間。面映げに鼻の頭を掻きながらレイジが呟いた言葉に耳を疑う。
 「俺がぐっすり眠れるのはお前が隣にいるからだよ」
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