少年プリズン

まさみ

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百十四話

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 殺してやる。
 絶対に殺してやる。
 殺してやる殺してやる本当の本当に殺してやる生皮剥がして唐辛子すりこんで目ん玉を抉り抜いて踏み潰してさびた剃刀でアレをなます切りにして犬に食わせてやる千回でも万回でも億兆回でも殺してやる。 

 裸電球を消した房は真っ暗だ。
 目と鼻の先に人がいても肉眼じゃわからないだろう闇の中、手負いの獣のように息をひそめて壁にもたれる。ベッドの上で膝を抱えて顔を伏せる。房にだれもいないのが救いだ、今レイジの顔を見たら何をするかわからない。さっき言ったのは掛け値なしの本心だった、俺は殺したいほどレイジが憎かった。
 あいつの寝顔を見るたび猛烈に腹が立った。
 何の悩みもないような能天気なツラして、無意識の眠りの中でもリンチやレイプを警戒して萎縮することなくのびのびと手足を伸ばして安らかな寝息をたてた寝顔。人を殺した罪悪感や思い出したくもないガキの頃の思い出に苛まれて繰り返し繰り返し悪夢にうなされる俺とは対照的に充実した睡眠。
 うっかりレイジより先に目が覚めて満ち足りた寝顔が視界に入るたび無性にやるせなくなった、なんでこんな気持良さそうに寝れるんだろう、いつだれに襲われて息の根止められるかもわからない地獄でぐっすり安眠できるんだろう。
 だれにも気兼ねすることなく睡眠を満喫してるレイジが息の根止めたいほど憎らしかった。
 今朝。迎えに来た看守に連れられて房を出て行くとき俺は一縷の望みを賭けたのだ、自分でもはっきりそれと自覚しないほど望みの薄い賭けだったけど。もしレイジが俺が出て行く気配に気付いてくれれば、いつものように瞼をこすりながら「う~ん……」と起き上がってくれればいいと念じながら。鉄扉を閉じる時必要以上に力をこめたのは俺の存在に気付いて欲しかったからだ、俺を止めて欲しかったからだ、抑止力になってほしかったからだ。
 甘かった。何を期待してたんだろう。俺はもうとっくに期待するのはやめたはずなのに。
 わかってたはずなのに。ガキの頃からお袋に裏切られ続けて疎まれ続けてとことん懲りてたはずなのに心のどこかじゃまだ期待してた、未練たらしく縋ってた、一縷の望みを賭けてた。とっくに割り切ったつもりでもそうじゃなかった、認めたくないが、けっして認めたくはないが俺は心のどこかでレイジのことを信頼し始めてたのかもしれない。一年半同じ房で同じ空気を吸って暮らして気軽に憎まれ口を叩くようになって気楽にちょっかいをだされ仕返すようになって、偽物の笑顔が本物と区別できない程に顔の皮膚に馴染んで見分けが付かなくなったレイジに心を許しちゃいけないと自制しつつも、ゆるやかに、でも確実に警戒を解き始めてたのだ。
 だからわざと乱暴に鉄扉を閉めたのだ。あいつならひょっとして、とありえない期待を抱いて。
 こないだ見た夢じゃ俺はアパートの外廊下に閉め出されたまま、なす術なく立ち尽くしてるしかなかった。俺がおもいきり蹴ってもドアは無関心に沈黙してお袋は顔を覗かせもしなかった、ひんやりと拒絶的なドアの前を逃げるようにあとにした俺の脳裏ではお袋への呪詛が渦巻いていたが俺が本当に許せなかったのは裏切られても裏切られても懲りない女々しい自分だ、決して報いることない相手の関心を自分に向けさせようと試行錯誤した挙句に寒空の下に閉め出されて彷徨を余儀なくされた情けない俺自身だ。

 俺はレイジになにを期待してたんだろう。
 俺は鍵屋崎になにを期待してたんだろう。

 止めてほしかったのか?たすけてほしかったのか?感謝してほしかったのか?うすっぺらい慰めの言葉でもかけてほしかったのか?
 そんなの全部無意味だ、偽善だ。ここで生き残るために必要なのは偽善なんかじゃない、真にあてにすべきは自分のみだ。
 八つ当たりなのは百も承知だ。レイジを恨むのは筋違いだ、かってに期待して裏切られたからってそれがなんだ?レイジに俺を助ける義務なんかない、看守を制止する権利もない。いかに東棟で絶大な権力を誇る王様でも看守に逆らうなんてできっこない、そんなことしたら最悪独居房行きの憂き目に遭うのは必至だ。レイジが本当に寝ていようが寝たふりをしてようが関係ない、アイツに連れて行かれようとしてる俺を止めることなんかできなかったしましてや助けることなんかできなかった。
 そうだろ。違うか?
 せめて俺がもうちょっと強かったら、タジマを張り倒せるくらい強ければこんなことにはならなかったのに。裸電球を消した真っ暗闇で膝を抱えていじけてるようなみっともない真似はせずにすんだのに。俺だって東京プリズン送りになったからにはそれなりの前科がある、ガキの頃から十分に喧嘩慣れして二・三人相手でも逃げずに立ち回れる度胸も付いたと自負してたのにタジマに押し倒された瞬間いっぺんで虚勢なんか吹き飛んだ。
 
 恐怖。
 理屈じゃ括れない本能的な、体の細胞ひとつひとつに至るまで執拗に強烈に刻みこまれた恐怖。

 俺がまだここに来てから一年半だ、たった一年半しか経ってない。にもかかわらず俺はタジマが警棒を抜いた瞬間条件反射で身が竦むようになってしまった。みっちり一年半かけてそう躾られたのだ、飴と鞭は犬をしつける基本だがタジマが実践したのは後者だけだ、毎日毎日鞭だけを徹底して実践しつづけたのだ。ここに来てタジマに引き合わされてから何百回警棒を喰らったかわかりゃしない、この一年半体に生傷と痣が絶えたことなんかなかった。その大半がタジマにやられたものだ、タジマはあの手この手を尽くして囚人をいたぶることに命を賭けてる節がある、だからあんなことができるのだ、あんな……

 『手え抜くなよ、いつまでたっても終わんねーぞ』  
 『ちゃんと持ち上げろよ、よく見えるように』 
 『泣くほど気持ちいいってか?やらしいツラしやがって』
 『ひとに見られてイッて恥ずかしくねえのかよ』
 『ちゃんと後始末しとけよ』

 「………っ、」 
 両手で耳を塞ぎ膝と膝の間に頭を突っ込む。
 五指で隙間なく塞いでも無駄だ、声は頭の中から聞こえてくる。悪辣な嘲弄が陰陰滅滅と鼓膜を震わし三半規管を浸食し平衡感覚を狂わせる、均衡が崩れて重心を失った体がともすると倒れそうになるのを背後の壁面によりかかることで何とか保つ。心臓の動悸がはげしくなり頭蓋骨の裏側で狂った銅鑼のように鳴り響き体内を巡る血液が全身の毛穴から赤い水蒸気となって噴出しそうに煮え滾る。理性が蒸発し血液が沸騰し憎悪が奔騰し憤怒が頂点に達しそうになるのを寸前で堪える、堪えきる。駄目だ思い出すな思い出すな忘れろあんなことは実際なかったんだ無かったんだ。自己暗示をかけて事実を全否定するが網膜に灼き付いた光景が鮮明に自動再生されるたび屈辱と羞恥で体が火照って発狂して絶叫しそうになる。
 
 俺がいちばん殺したい人間はお袋だった。
 でも、あのときあの瞬間からタジマになった。

 みじめに床に這いつくばって自分がだした物の後始末までさせられてる間中、いやらしい薄笑いを浮かべて俺を見下ろしてるタジマを肉片にすることばかり考えていた。今手の中に手榴弾があればこいつを微塵の肉片に変えることができるのにと歯噛みしながら。
 俺が殺した連中のことなんかたいして憎くもなかったのに。
 殺らなけりゃ確実に殺られる極限状況下だからこそ俺は手榴弾のピンを抜いて三人もの人間を肉片と血霧に変えた、それ以外の選択肢はなかった。まわりを敵に囲まれて退路を絶たれた絶望的状況で味方は全滅、一発逆転なんか不可能だ。即刻決断しなければ死んでたのは俺の方だ、だからピンを抜いたのだ、自分が生き残るために他人を犠牲にしようという取捨選択の打算が働いて。いや、打算というには必死すぎた。打算なんて呼べるほど余裕がありはしなかった、俺は今も昔も生き残るために死に物狂いだったのだから。
 殺意と呼べるほど明確な殺意があったわけじゃない。俺が殺した連中のことなんかよく知りもしなかった、ただ国が違うというだけで、十五年前にやらかした戦争で親兄弟だか親戚だかが死傷したという自分の身には直接関係のない「身内のだれか」の怨嗟を肩代わりして戦ってただけだ。くだらないガキの戦争ごっこだ。どんな理由があったとしてもガキの戦争ごっこに手榴弾なんて物騒な物を持ち出した俺が責められるのは当たり前だ、取調べ中「なにも殺すことはなかった」と顔面に唾をとばされ刑事に説教されたがそのとおりだ、俺はなにもわかってなかった、あの間合いで手榴弾のピンを抜いたらどんな惨状が出現するか想像してなかったのだ、全く。
 本当は殺したくない人間を殺して入れられた檻の中で本当の本当に殺したい奴に出会っちまうなんて。
 まったく、皮肉が効きすぎてる。タチの悪い冗談みたいな人生だ。救いもなけりゃ報いもない無い無い尽くしの人生だ。
 「………」
 冷たく無機質な壁面に後頭部をもたせ、力なく天井を仰ぐ。天井中央から裸電球が吊り下がった殺風景な天井も消灯した今は暗闇に沈んで様相を一変させてる。体前に引き付けていた両足を無造作に投げ出し、惰力で毛布を蹴る。踝で毛布をめくれば昨日ばらまいた牌の一つが顔を覗かせた。ゆっくりと腕をのばし、牌を拾い上げる。暗い視界じゃ何の図案が描かれてるのかもわからない。

 俺は何度勝ち目のない賭けに出たんだろう。

 全力でアパートのドアを蹴ったとき。
 手榴弾のピンを抜いたとき。
 イエローワークの強制労働初日に裸にされて泣くのをよしとせずタジマを睨み付けたとき。
 今朝出て行く際乱暴に扉を閉めたとき。   
 そして、

 あの時こうしときゃよかったなんて繰り言は所詮負け犬の遠吠えにすぎない。「ひょっとしたら」と絶望的に勝率の低い賭けに出て「ええいままよ」と大穴の博打を打って、期待が報いられなかったことに幻滅して救いのない現実にむしばまれて根深い絶望に至る。
 俺はとてつもなく博打運が悪いんじゃなかろうか、という不吉な疑惑がちらりと脳裏をかすめる。 
 顔も知らない親父が付けてくれた名前は麻雀の役名が由来で体面は悪いが縁起はいい、親父譲りの博打運で麻雀じゃ負けなしだけど人生の大事な局面じゃ常に負け続けてきたじゃないか。不利な状況を好転させようと無茶を承知で無謀な賭けにでては常に事態を悪化させてきたじゃないか。
 なんだ。そうだったのか。
 ゆっくりと指を閉じ、唯一残された牌を手の中に握り締める。
 「たったひとつの取り得もなくなっちまったな」
 音痴な鼻歌以外で俺が唯一レイジに勝てそうな取り得だったのに。
 『いつまでもそうやって拗ねてろガキ、もう面倒みきれねえよ!!』
 レイジの声がいつまでも耳に残る。いつでも泰然自若と居直った態度をくずさないレイジが感情をあらわにして怒鳴るなんて稀だ、きっと相当頭に来てるんだろう。俺のことなんかどうでもいいと、こんな扱いにくいガキ本当に愛想が尽きたとでもいうような叫びだった。
 「………………」
 俺は本当にどうかしてる。
 レイジに愛想尽かされた今になって、すべてが手遅れになった今になって、麻雀であいつを打ち負かすことができなくなったのが少し残念だなんて思い始めるなんて。

 ブラックワークの勤務は明日からだ。
 レイジの顔を見ずに絶交できて、よかったのかもしれない。
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