少年プリズン

まさみ

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百六話

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 今日はいい日だった。
 強制労働と夕飯を終えて自由時間が始まってからも俺は上機嫌だった。気分のよさは持続していた、物置小屋でタジマにとっつかまって水をさされる一幕もあったがそれくらいどうってことない、とるにたらないささいなことだ。東京プリズンにぶちこまれてからこんな気分がいい日は初めてかもしれない、今日一日で一生分の運を使い果たしてしまった気がする。
 煎餅のように固いベッドの真ん中に胡座をかき、でたらめな鼻歌を奏でながら麻雀牌を弾いていると隣のベッドから声。
 「たのしそうだな」
 手の中で麻雀牌をじゃらじゃら鳴らしながら振り向けば対岸のベッドに胡座をかいたレイジが仏頂面をしていた。いつもへらへら笑ってるレイジには珍しくふてくされた面をしてるのが愉快痛快きわまりない。
 「聞いたぜ、イエローワークで井戸掘り当てたって。だからそんなにご機嫌なんだな」
 ベッドに後ろ手ついて長い足を放り出したレイジが探りを入れてくるのを無視、交互の手の中で麻雀牌をさばきながら鼻歌を続ける。
 「ったく、ひとの気もしらねえで……いいかロン、お前のおかげで今日はさんざんだったんだぜ!?」
 「気付かないほうが悪い」
 レイジの抗議を鼻で一蹴する。正直者は馬鹿を見る、朝イチで鏡を見ないやつは泣きを見る。身だしなみに気を遣うのは人間として最低限の礼儀だ、たとえ見渡すかぎり野郎しかいないむさ苦しい監獄に身を置いてるのだとしても、だ。洗顔をさぼったせいでレイジが恥をかいたとしてもさっぱり同情する気は起きない、自業自得だ。
 ざまあみやがれ。
 「おい、麻雀牌で遊んでないでこっち向けよ。俺おまえに何かしたか?癇に障るようなことしたか!?」
 「存在自体が」
 「存在自体が癇に障るってか?」
 「あと寝言がうるさい」
 「夢の中まで責任もてねえよ。無罪を主張する」
 「檻の中で無罪主張しても説得力ねえ」
 床に足を投げ出したレイジがこぶしを振って抗議するのをひややかに眺めて麻雀牌を放る。天井の裸電球すれすれに投げ上げた麻雀牌が放物線を描いて戻ってきたのをパシッと掴んで拳をほどく。
 「ロン」
 会心の笑みが顔に浮かぶ。
 「なにやってんだよ?」
 訝しげなレイジの方は見ずにポイポイ続けざまに牌を放り上げ、両方の手を突き出して拳に握る。
 「麻雀牌の図案あて。こうやって目を閉じて適当な牌投げて落っこちてきたやつの図案をあてる」 
 「寂しいひとりあそびだな」
 「放っとけ」
 ダチがいないせいでひとり遊びばかり達者になるのは否めない。まあ、レイジの皮肉じゃないがあんまり格好いい真似でもなし、普段は鼻歌まじりに麻雀牌をもてあそんでひとり遊びに耽ったりはしない。今日は特別機嫌がいいから普段マットレスの下に押しこんで隠してる麻雀牌をベッドにばらまいて神経衰弱をしているのだ。 
 断っとくが、この麻雀牌は外から持ち込んだものじゃない。俺はなにも持たず、殆ど身一つでここに来た。俺が今もてあそんでる麻雀牌は五十嵐から貰ったものだ。五十嵐といえばそろいもそろって人間の屑ばかりと盛大に嘆かれる東京プリズンの中じゃ珍しく出来た看守でとかく囚人に同情的なことで有名で、何か欲しい物があれば五十嵐に相談すれば手を尽くして都合してくれるという噂までまことしやかに流れている。
 いや、根も葉もない噂ではない。今俺の手の中にある麻雀牌が動かし難い証拠だ。
 「仕方ないじゃん」
 唐突にレイジが呟く。麻雀牌で神経衰弱しながら惰性でレイジを振り向けばベッドに腰掛けた姿勢で大袈裟に頭を抱えこんでいた。両手で頭を抱えこみ、悄然と打ち萎れたレイジが長々とため息を吐く。
 「おれフィリピン生まれだもん、冬場の洗顔はこたえるんだよ」
 何のことを言ってるんだろうと一瞬怪しんだが、言い訳がましい台詞から察するに「何故朝イチで鏡を見なかったのか」という質問に対する答えらしい。時差があったせいで殆ど忘れかけていた。
 「鏡見りゃ一発でわかったのに残念だったな」
 「他人事のように言うなよ。お前が諸悪の根源、すべての元凶だろ。おかげで俺はあんな恥ずかしいナリで朝飯食って廊下歩いてヨンイルに笑われて囚人どもの見せ物になって……とんだ裸の王様だ」
 ベッドに後ろ手をついて仰け反ったレイジが頭を振り振り嘆く。そのさまがあんまり可笑しかっ、もとい情けなかったんでフォローをいれてやることにする。
 「そう言うなよ。意外と、」
 『笑えたぜ』と続けようとして、不覚にも吹き出しかけて口を噤む。レイジから顔を背け、笑いをこらえる痙攣で顎、さらには頭全体が震えているのがばれないよう唇を噛んで下を向く。
 「………似合ってたぜ」
 「笑ってるだろ」
 「笑ってねえよ」
 「震えてるぜ」
 「寒いんだよ」
 疑心暗鬼のまなざしをむけてきたレイジを何とかごまかす。今だ疑わしげなまなざしで俺の横顔を凝視していたレイジが嘆息、何食わぬ顔で呟く。
 「天邪鬼め。今朝見た夢の中じゃあんなに素直だったのに」
 反抗期の娘につれなくされて拗ねる親父のようなしんみりした述懐が癇に障り、両拳に握った麻雀牌をベッドに叩き付けて身を乗り出す。膝立ちの姿勢でベッドに上体を起こし、「やれやれ」と首を振るレイジを指さして猛然と抗議。
 「お前の夢に許可なく俺をだすな」
 「かってにでてきたんだよ。可愛かったぜ夢の中のロン、俺の腕の中で……」
 「レイジ」
 声に凄味を利かせ手首を一閃、手の中に残っていた麻雀牌をレイジめがけて力一杯投げ付ける。顔の前に平手をかざして麻雀牌を軽く受け止めたレイジを眼光鋭い三白眼で睨んで脅迫。
 「その先言ったら丸刈りだ」
 「へーへー」
 おどけたように首を引っ込めたレイジが手の中の牌を持て余し、指で軽く弾いて宙に投げ上げる。交互の手の中を素早く行き来する麻雀牌を視線で追いながら天井を眺めているとレイジがおもむろに声をかけてくる。
 「頑張ったな」 
 裸電球をかすめて交互の手の中を行き来していた麻雀牌から正面のレイジに向き直れば、東棟の王様は下々のことなどすべてお見通しだといわんばかりの傲岸不遜な、そして、なによりタチが悪いことに憎めない笑顔を浮かべていた。
 何を言われてるのかは一秒後にわかった。一年半かけて達成した俺の偉業を、草一本生えてないイエローワークの砂漠で井戸を掘り当てたという偉業をレイジなりに称賛してるのだろう。
 いつもなら反発しかわいてこないレイジの笑顔だが、今日ばかりは少し事情が違った。ひとの反感を煽ることにかけては天才的な才能を発揮するレイジが手放しで俺を称賛してくれたのだ、なんの含みもないストレートなやり方で俺をねぎらってくれたのだ。
 ひょっとしたら、相手がレイジじゃなければもっと素直になれたのかもしれない。相手がレイジでさえなければ「ありがとう」でも「謝謝」でも鍵屋崎の辞書には載ってない感謝の言葉をさらりと口にすることもできただろう。
 でも、レイジに礼を言うのは抵抗がある。
 ささやかな意地とそれでも死守したい矜持から、麻雀牌を放り上げる手を虚空で止め、呟く。
 「……………がんばったよ」 
 今の俺はおもわず殴りたくなるほど可愛げない、ふてくされた面をしてるだろう。踵をきちんと合わせてベッドに胡座をかいたレイジはただにやにやと笑っていた、お袋やお袋の客のように俺がただそこにいるってだけで邪険にしたりはせず、目つきが気に入らないからと殴ったりもせず、「可愛げないガキだ」とわざと聞こえるように陰口を叩いたりもしない。
 それどころか。少し距離をおいて微笑ましいものでもながめるような、見られてるこっちがくすぐったくなるような人懐こい笑い方をしてる。
 なんだか本当に、俺が成し遂げたことを俺以上に喜んでるようなそんな笑い顔だ。
 「仕方ねえなあ、許してやるよ!」
 踵を擦り合わせて胡座をかいていたレイジが脳天から突拍子もない声を発し、ぎくりとした俺の手からばらばらと麻雀牌がこぼれおちる。何がそんなに嬉しいのか、足裏をくすぐられてるみたいにむずがゆそうな顔でレイジが朗らかに笑う。
 「寝てるあいだにイタズラされたのはムカツクし王様の面目丸つぶれだけどロンが嬉しいならしかたねーもんな、砂漠に井戸沸いたんだもんな、うん、すげーよすげーよ!Congratulations!!」
 流暢な英語の発音をまじえて称賛され柄にもなく照れくさくなる。やっぱりこういう場合「ありがとう」と言ったほうがいいのだろうか?自慢じゃないが俺は礼を言うのにも言われるのにも慣れてない、この十三年間他人から礼を言われるようなことはおろか礼を言うようなことともさっぱり無縁だったのだ。お袋は食事の作法には厳しかったけど礼の言い方なんて教えちゃくれなかったし、毛布をかけようとした俺を邪険に突き飛ばすような女のそばにいりゃ感謝の言葉が自然に身に付くこともなかった。
 なんだ。鍵屋崎のこと偉そうに言えないじゃんか、俺。
 俺の葛藤などつゆしらず呑気な王様はしきりに感心してる、したり顔で腕組みして眉間に小難しい皺まで寄せてる。
 「でも本当びっくりしたぜ、最初に聞いたときゃ耳疑ったもん。イエローワークの砂漠に井戸沸くなんて前代未聞じゃねえか、本当に地下水脈なんてあったんだな、てっきり看守のフカシだと思ってた。ロンさ、パンドラの箱って知ってる?この前読んだ本に載ってたんだけどさ、絶望とか疫病とかたくさんの災いがこれでもかって詰まった箱の底にたったひとつ残ってたのが……」
 「希望だろ」
 そっけなく先手を打たれ、面食らったようにレイジが目をしばたたく。裸電球の光に麻雀牌をかざし、指と指の間に挟まった白い光沢の角が明かりを弾くのに目を細めながら言う。
 「今日鍵屋崎から聞いた。アイツは疑ってたけどな、箱の底にあるのが本当に希望かどうか」
 「へえ?人間不信のキーストアらしいね」
 あきれたような感心したような口ぶりでレイジが相槌を打つ。裸電球の光に透かした麻雀牌の角度を変え、白い光沢の表面がちょうど横手の壁に反射光を投じるように調整しながら考えこむ。

 『箱の底にあるのは希望を偽装した絶望じゃないか?』 
 なんで鍵屋崎はあの時あの場であの台詞を口にしたんだ?

 鍵屋崎は馬鹿だけど頭がいい。矛盾した言い方だがそうとしか表現しようがない。どんな環境で生まれ育ったんだかわからないが、常識なんて鼻にもかけない世間知らずで一旦自分がこうだと思い込んだらテコでも主張を曲げないとんでもない頑固者だ。
 半面、日常なんでもない場面でなにげなく口にした台詞がおそろしく的確に真実を穿っていたことも一度ならずある。
 『箱の底にあるのは希望を偽装した絶望じゃないか?』
 あの台詞には何か根拠があるのだろうか。
 急激に胸に沸いてきた不安をごまかすように手を開閉、麻雀牌を握りこむ。考えすぎだと自嘲する。鍵屋崎のなぞめいた台詞に惑わされて馬鹿を見るのはこりごりだ、鍵屋崎の疑り深さは筋金入りなのだからやつの一挙一動を真に受けて振り回されるほうがどうかしてる。 
 悲観的な思考に嫌気がさし、後ろ向きにベッドに倒れこんで指先に摘んだ麻雀牌を頭上にかざす。裸電球の光を弾き、雲母の欠片のようにきらきら輝く麻雀牌に見惚れていたら死角から飛んできたゴムが命中、あっけなく弾き飛ばされた麻雀牌が壁に跳ね返り転々と枕元に転がる。
 「!なにすんだよっ、」
 度肝を抜かれて上体を起こせば対岸のベッドに胡座をかいたレイジが「してやったり」と笑っていた。ピストルを真似た指をフッと吹き、たった今披露した射撃の腕前を誇るように白い歯を覗かせる。
 「これで『おあいこ』な」
 ……今朝の仕返しかよ。俺よか年上のくせに大人げないヤツめ。
 腹立ち紛れに毛布の上に落ちたゴムを楕円に伸ばして指にひっかけ、レイジがやったように見事奴の額に的中させようと狙い定めて引き金を引き……
 「痛っ!」
 何故か逆方向に跳ね返ったゴムが額の真ん中を痛打。
 赤く腫れた額を片手でおさえて歯を食いしばった俺の姿が笑いのツボにハマったらしくレイジが手足をばたつかせて爆笑する。
 「やっべお前おもしろすぎ、マジおもしれえ!」
 「ひとに断りもなく面白がってんじゃねえ!!」
 自慢じゃないが俺は不器用なのだ、手先も生き方も。
 こんなむかつくやつに付き合ってたら身がもたないからとっとと寝ちまおうと毛布を羽織りレイジに背中を向ける。壁の方をむいて寝たふりを決めこんだ俺の背後で声がする。
 「いいんじゃねえの?ロンの不器用なとこ結構好きだぜ、俺」
 「だまりやがれ」
 レイジの戯言を一蹴して毛布にもぐりこみ固く目を閉じる。
 明日は新規部署発表だ。格好の標的としてタジマに認知されてる俺がイエローワークを卒業できる日がくるとはおもえないが、砂漠に井戸が沸く可能性も皆無じゃないと確信できた今はそれでもいいやと前向きに思えるようになった。 
 手にマメを作ってやってきたことがやったぶんだけ報われるならイエローワークだってそう捨てたもんじゃない。
 小骨を呑んだようにひっかかるのは鍵屋崎の意味深な台詞と物置小屋で接触してきたタジマだがアイツらの言うことをいちいち本気に取ってたら体がいくつあっても足りない。

 今日は昨日よりマシな一日だった。
 明日もきっと今日よりマシな一日になる。
 
 消灯時間にはまだ早いけど俺はそう信じて寝ることにした。
 今日はぐっすり寝付いて悪夢も見ないだろうと確信めいた予感に胸ふくらませ。
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