少年プリズン

まさみ

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八十四話

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 「ここでなにをしてる」
 無感動な声に振り向く。
 「やべっ」
 尻に付着した砂をはたき落とし、ロンが腰をあげる。
 「先行くぜ。ちっ、思い出話に耽るなんて年寄りくせー真似しちまった」
 面映げに舌打ちしたロンが砂に足跡の窪みを残して走り去る。そそくさと退散したロンに遅れをとり、中途半端に腰を浮かせた姿勢で立ち尽くした僕はゆっくりと小屋の曲がり角に視線を流す。
 まず目に入ったのはよく磨きこまれた飴色の革靴、こんな辺鄙な砂漠には不似合いな高級ブランドの物だと一目でわかる。均整のとれた体躯を包むのは地味だが洗練された細身のスーツ、右胸に光るのは副署長の地位を示すバッジ。細い首の上には品よく尖った顎、ノーブルな気品とエリートの矜持が見事に調和した怜悧な目鼻立ち。
 若々しい黒髪をオールバックに撫で付けた三十代の男がさくさくと砂を踏んでこちらにやってくる。現場監督の看守に無断で小休止している現場を掴まれたのでは逃げも隠れもできない。覚悟を決め、両手を体の脇に垂らして恭順の意を表明し、男の接近を待つ。
 手前で立ち止まった男が値踏みするように目を細める。
 「またきみか」
 ずいぶんな挨拶だ。
 「また貴方ですか」
 僕だってなにも好き好んで安田の顔が見たいわけじゃない。何故だか僕の行く所行く所で安田と遭遇するのだ、僕は運命を信じないがこれが運命の悪戯だとしたらずいぶんと悪趣味だ、たんなる偶然の産物だとしても傍迷惑だ。頭頂部からつま先まで低温の視線を上下させた安田が俊敏な駆け足で砂丘を越えてゆくロンを仰ぎ見る。
 「友人ができたようだな」
 「ロンのことをおっしゃってるなら曲解も甚だしいです」
 「隣り合って雑談していたじゃないか」
 「5メートル以上はなれてました」
 「ロンは笑っていたぞ」
 「僕は笑っていません」
 「きみもなにか熱心に聞いていたように遠目には観測されたが、気のせいか?」
 「気のせいです。今度眼鏡の度を上げたほうがいいですよ」
 眼鏡のブリッジに触れて動揺を鎮め、できるだけ素っ気ない口調で安田の追及をかわす。安田の視線がブリッジに触れた人さし指にじっと注がれているのに気付いて眉をひそめる。違和感を感じてブリッジを押さえていた指をはなせば、安田が無表情に指摘する。
 「動揺したときはブリッジに触れるのが癖なんだな」
 ………非常に不愉快だ。
 「あなたみたいに偵察と称してジープで砂漠を駆ける優雅な身分のエリートには関係ないですが、僕には他に仕事があるんです。自他ともに利益のない雑談に興じるつもりはありません、失礼します」
 軽く会釈をして安田を通り越し、持ち場に戻りかけて立ち止まる。
 先日、書架と書架の狭間の黴臭い峡谷でヨンイルに聞かされた話を反芻する。
 東京プリズンに護送された初日の身体検査で大勢の看守に暴行されたサムライを救ったのは、たしかこの男ではないか?
 この機会を逃したら次はいつ安田と遭えるかわからない、この男は神出鬼没だが出現頻度はそう多くない。ましてやこの広い砂漠だ、安田が他日イエローワークの偵察にきても合間見える確率は低いだろう。
 それなら今、この機を逃す手はない。
 「安田さん」
 安田は小屋の外壁にもたれ、背広の胸ポケットから光る物をとりだしていた。眩さに顔をしかめて手中に目を凝らす。銀のライターを右手に、タバコを口にくわえた安田が顔を上げる。
 「なんだ」
 気晴らしの一服を邪魔された安田が口にくわえた煙草をもぎとり、神経質な手つきで胸ポケットに戻す。砂を踏んで安田の前に戻った僕は、少し緊張して彼と目を合わせる。
 「僕と同房のサムライのことについて聞きたいんですが」
 「サムライ?……ああ、少し前までイエローワークにいたな。前回の部署移動でブルーワークに転属になったと聞いたが」
 さすが副署長だ、囚人の個人データと共にその通称も完璧に頭に入ってるらしい。安田の記憶力のよさに内心驚きつつ、質問をたたみかける。
 「ある人物から聞いたんです。サムライが……彼が東京プリズンに来た初日に起きた出来事を」
 あえて婉曲な言い回しを選んだのは安田の反応を探るためだ。記憶の襞をなぞるように眼鏡越しの目を細めた安田が何事か思いだし、「ああ」と嘆声に近いため息をこぼす。よし。安田から望みどおりの反応を引き出したことに満足しつつ、自分の望む方向に話を誘導しようと慎重に口を開く。
 「東京プリズンに来た初日の身体検査で上着の裏側に手紙を匿っていたことが発覚したサムライは複数の看守から暴行を受け、それでも沈黙を守り通した。その態度に腹を立てた看守に左腕を折られても声ひとつ上げなかった。貴方が駆けつけるのがあと少し遅れていたらサムライは今頃砂の下で白骨化してると聞きました」
 後半は僕の捏造だが、決して誇張ではないだろう。
 性急な口調で述べ立て、一呼吸沈黙する。
 「当時の状況について詳細に窺いたいんですが」 
 「…………いいだろう」
 当然「何故だ」と聞かれるのを予期して身構えていた僕は肩透かしを食らう。緊張に強張っていた体から力がぬけてゆく。あっさりと承諾した安田が小屋の外壁にもたれ、胸ポケットからタバコとライターをとりだす。薄い唇にタバコをくわえ、ライターで点火。美味そうに紫煙をくゆらせながら空を見上げる。つられて空を仰げば、雲ひとつない底なしの青。
 地球が円いという単純な事実を視覚的に実感させる蒼穹。
 「当時のことはよく覚えている。所内でも話題になったからな」
 器用にタバコをくわえながら安田がしゃべる。
 「事件が発生したとき、私は署長の補佐として書類仕事を片付けていたんだが廊下の奥が妙にさわがしい。それに先刻から、扉越しの廊下でばたばたと複数の人間の足音が聞こえる。さすがに不審に思い、書類仕事を中断して廊下にでたら見覚えのある看守が駆けてゆくところだった。私はその看守をつかまえて一体何事かと聞いた、廊下を走るななどいまどき小学生でも知ってる訓示を大の男相手に垂れなければいけないのは情けない。その看守はまだここに来て日が浅く東京プリズンの規則や常識を呑み込めてなかった。……どういうことかわかるな?」
 頷く。東京プリズンに来た初日、ゲート脇の監視塔に待機していた若い看守の顔を思い浮かべる。
 大学卒業したてといった初々しい風情、まだ看守の制服も馴染んでいない青年が東京プリズンの劣悪な環境に順応するには年数を要するだろう。どんなに横柄に威張り散らしている看守にも新人のときはある、若い時は今より多少はマシな人間だったのかもしれない。彼らもある意味東京プリズンの環境に毒されて堕落した被害者と言っていい。
 最も、同情する気はこれっぽっちもないが。
 「看守は青い顔をしていた。その顔色を一目見て、なにか大変なことが起こってると直感した。新米の看守には到底手におえない異常事態が。私はすっかり動転している看守を従えてその場に急行した―……きみも初日に体験したろう?直腸検査が実施された部屋の隣に、収監時の身体検査及び健康診断を兼ねた特別屋が設置されてるのは気付いたか?肛門の奥に麻薬や貴金属を仕込んで持ち込もうとした囚人はその特別室に一時拘束される規則になっていたんだが」
 そこで一拍おき、安田が続ける。
 「特別室に駆け込んだ私が見たものは、床に組み伏せられた少年とその上に馬乗りになった看守が三人……否、四人ばかり。なにがおきたかは明らかだった。リンチだ。看守がよってたかって囚人をリンチするなんてあってはならない事態だ、それがたとえ東京プリズンの常識だとしても私の目の届く範囲ではそんな常識は認めない。それは良心と道徳に反する非常識な行いだろう。副署長の権限で看守を引きはがし、床に倒れた少年を覗きこんだ。左腕がおかしな方向を向いていた。骨折。慌てて医師と看護士を呼び、担架で医務室に運ばせた」
 安田の話に呼吸するのも忘れて引き込まれる。安田の話し方には劇的な抑揚もなく、姑息な演出の意図は微塵も感じられないが抑制された口調がかえってリアルさをともない身に迫ってくる。
 タバコを指の間に預け、紫煙を吐く。
 どこか遠い目をした安田が感慨深げに呟く。
 「印象的だったのは手紙だ」
 「手紙?」
 おもわず声が上擦り、心臓の鼓動が跳ね上がった。
 狼狽をさとられないよう、無表情を意識して顔を引き締めた僕をちらりと一瞥し、安田はふたたび空を仰ぐ。
 「担架で医務室に運ばれるとき私も途中まで付き添ったのだが……彼は無事な右手に手紙を握って離さなかった。一目でその手紙が看守の反感を買った原因だとわかった。よっぽど大事な手紙だったんだろう、指の関節が白く強張るほど力をこめて、骨折の激痛と熱にさいなまれながらそれでも肌身はなさずにー……こういう言い方は不謹慎だが、さすがは武士の子孫だと感心した」
 胸が騒ぎ出す。
 医師と看護士に付き添われて医務室に運搬される途中、激痛と高熱にさいなまれて酷くうなされながらもサムライは決して手紙を離さなかった。それが原因で東京プリズンに来て早々看守から私的制裁を受けたというのに、左腕まで折られたというのに、武士の魂は折れることなく残った右手に頑なに手紙を握り締めていたのだ。
 それほど大事な手紙なのか?
 それほどまでに大事な人間から託された手紙なのか?
 サムライはその人物のことを未だに忘れてないのか?
 もう二度と会えなくても、もう二度と触れることができなくても、最愛の人の面影を手紙に閉じ込めてそれで満足しているのだろうか。
 理解できない。
 そんなサムライは、理解したくない。
 「私からもひとつ質問していいか、鍵屋崎」
 低く落ち着いた声で名を呼ばれた。
 はっとして顔を上げる。安田がタバコを指に預けてこちらを凝視している。逃げもごまかしもを許さない眼鏡越しの視線。
 「他人に興味がないように見えるきみがなぜサムライのことを知りたがるんだ?」
 「観察対象だからです」
 「それだけか」
 「それ以外になにがあるんですか」
 「自覚はないんだな」
 「?」
 ふっと目を伏せた安田が携帯灰皿の蓋を開き、タバコの灰を落とす。その繊細な指の動きに見惚れる。肉体労働とは縁のない生活を送ってきたのだろう、間接と長さのバランスが絶妙な指、父性的な包容力を感じさせる華奢だが大きな造りの手。
 パチンと携帯灰皿の蓋を閉ざした安田がふいに顔を上げ、まっすぐに僕を見る。
 真実を見極める眼力に長けた真摯なまなざし。
 「きみはまるでサムライに手紙を託した人物に嫉妬してるようだ」  
 「……………………………………………………………………は?」
 馬鹿な、なんでぼくがサムライに手紙を託した人物に嫉妬しなければならない?見も知らぬ人物を相手に嫉妬などという不条理きわまる感情を抱かなければならない?サムライに嫉妬するなら話はわかる、事実ぼくは小箱をひっくり返してサムライ宛の手紙を見た途端に理性を失ってしまった。僕には一通も手紙が届かないのにサムライには手紙が届いている、こうして大事に保管されている。その事実を理解した途端、どうにもやりきれない感情がこみあげてきて発作的に手紙を読んでしまったのだ。
 嫉妬の対象がサムライなら話はわかる、いや、嫉妬というのは立場が上か対等の人物にのみ生じる感情だ。サムライは僕より立場が上か?対等か?まさか。サムライは観察対象のモルモットで僕は観察者、モルモットと観察者が対等であるわけがない。よしんばモルモットに下克上されては観察と記録という行為の継続すら危ぶまれるではないか。
 僕のアイデンティティを突き崩すような衝撃的な発言をした当の本人は涼しい顔をしている。携帯灰皿を背広のポケットにしまい、そろそろ次の目的地に行こうと踵を返しかけた背中に声をかける。
 「奇妙なことを言いますね、僕は見知らぬ第三者に嫉妬できるほど器用でもなければ精神を病んでもないですよ。最もこんな劣悪な環境の刑務所に長く収監されてれば遠からず精神の均衡を崩して独居房送りになりそうですがね」
 安田が振り返る。
 眼鏡越しの目がまじまじと僕を見つめていたが、やがて口を開く。
 「サムライはきみの友人じゃないのか?」
 「どこからそんな発想がわいてくるんですか」
 失笑する。まだなにか言いたげにしている安田の追及を阻むようにぴしゃりと言い放つ。
 「観察者と観察対象。それだけです」
 「……さしのべられた手を取ることはできても握り返すのは無理か」
 なんだって?
 心臓が縮まり、喉がつかえる。安田はあのことを知ってるのか?僕が首を吊ろうとして手ぬぐいを首にかけて、サムライに止められて、そしてー……
 あの時サムライの手をとったのは心が弱くなっていたからだ。あのときはああするよりほかないと意識朦朧としていたからだ。心の安定を回復した現在の僕が自らサムライの手をとるわけがない。
 ましてや、握り返すはずがない。そんな、友人の真似事みたいな甘ったるいまねをするわけがない。
 「深い意味はない、ものの喩えだ」
 沈黙した僕を励ますように安田が苦笑する、その笑顔に面食らう。こいつ、こんな人間らしい顔もできるんじゃないかと妙に感心した僕に背中を向け、颯爽とした大股で遠ざかってゆく安田。遠くに停めたジープに歩みより、後部座席のドアに手をかけて振り向く。
 「そんなにサムライのことが気になるなら本人に直接聞いてみるのがいちばんの近道だ。らしくもなく、何をためらってるんだ?あの鍵屋崎 優の息子だろう、きみは」
 『鍵屋崎 優の息子』
 その一言が引き金を引く。
 「自分の子供に刺されたりしないよう、父より慎重に生きていこうとしてるだけです」
 最も僕の懲役は八十年。懲役を終えて社会に放逐された頃には生殖機能が低下し、女性との性交はおろか子供をつくるのも不可能になっている公算が高い。そのことを残念に思うほど異性との性交を経て子孫を残すという原始的行為に執着はない、僕には恵がいればそれでいい。
 ……その恵も、今は失ってしまったが。
 安田はドアに手をかけてしばらくこちらを眺めていたが、やがて後部座席に乗り込んでドアを閉める。運転手に指示して車を出す。ジープが蒙蒙と砂埃を巻き上げて砂漠の彼方に走り去るのを見送り、持ち場に戻る。
 
 僕がサムライに手紙を託した人物に嫉妬してるだって?馬鹿も休み休み言え。
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