少年プリズン

まさみ

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八十二話

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 「ヨンイルは図書室のヌシなんだ」
 先頭を歩くヨンイルにレイジ、僕と並んで書架の間を進む。
 「しかも東京プリズンにきて長いからヨンイルが知らないことはねえ」
 「ほめてもなんもでえへんで」
 我が事のように自信ありげに豪語するレイジにヨンイルが苦笑する気配。縦一列に並び書架と書架の間を進んでいるとやがて二階最奥、蛍光灯の光も射さない薄暗い場所にでる。壁一面を巨大な書架が占めた行き止まりの手前で立ち止まり思案げに天井を見上げたヨンイルが唐突に方向転換、書架の側面に回りこむ。ヨンイルの奇行を訝しがりつつ、同じく書架の側面へと回りこむ。
 書架の側面にはハンドルが取り付けられていた。
 反射的に足もとを見れば床にレールが敷かれている。合点した、これは移動式本棚だ。床に敷いたレールの上を滑って移動する形式の書架。書架の側面に設置されたハンドルを無造作に握り、鼻歌まじりに操作するヨンイル。ヨンイルが右にハンドルを回すとそれに応じて書架が傾ぎ、レールに沿って右方向に滑ってゆく。それまで書架と書架が密着していた面が離れ、人一人ぶんの隙間が生じる。
 横幅1.5メートルほどの窮屈な隙間、書架と書架の間の黴臭い峡谷に率先してヨンイルが足を踏み入れる。まさかここに入るのか?と目でレイジに問えば本人は至って涼しげ、野生の豹のようにしなやかな身ごなしで書架の隙間にすべりこんだではないか。
 仕方ない。
 図書室二階最奥、書架の前に取り残されるのを危惧して覚悟を決める。レイジの背中が暗闇に没する前に意を決し、横幅1.5メートルあるかないかというわずかな隙間に入りこむ。ヨンイル、レイジ、僕の順に縦一列に進みながら物珍しげに周囲を見渡す。天井に迫らんばかりの巨大な書架には一分の隙なく蔵書が詰めこまれている。知的好奇心を刺激されて背表紙を目で辿った僕はまったく聞き覚えのない題名に眉をひそめる。ブラックジャック……七色いんこ?なんだこれは、変なタイトルだ。ほんの出来心から無作為に中の一冊を取り出し、ページを開いてあ然とした。
 「漫画じゃないか!」
 そう、この書架にあるのは全部漫画だった。
 三桁に及ぶだろう蔵書量の漫画が棚の端から端まで規則正しく全巻整列している。呆れて物も言えない僕を振り返り、ヨンイルが唸る。
 「おお、『奇子』を手に取るなんて渋い趣味やな」
 「ここは図書室だろう?ここの囚人がほとんど左脳を働かせずに生きているのは十分理解していたが……なんでこんなに大量の漫画がおいてあるんだ?こんな下等で低俗な子供だましの、」
 眩暈をおぼえて本を所定の位置に戻した僕の耳をほとんど絶叫に近い声が貫く。
 「俺を馬鹿にするのはいい、せやけど手塚を侮辱するのは許せん!!」
 「まあまあ落ち着けってヨンイル」
 肩を叩いて宥め透かそうとしたレイジを突き飛ばし、わなわな震える両手を頭上にささげてヨンイルが絶叫する。
 「これが落ちついてられるか!ええかよう聞け、ここにある本は今じゃほとんど手に入らん漫画の神様手塚治虫御大の絶版本ばっかやで!?ネットオークションにかければそれこそ五百万の高値がつくんやで、そんな貴重な書物が全巻揃ってる刑務所なんて世界広しといえどここ、この東京プリズンだけや!最高やんか!」
 「……は?」
 なんだって?
 この男は今、東京プリズンが最高だとそう言ったのか?
 「レイジ、彼は……頭がおかしいんじゃないか?」
 不安に苛まれてレイジに囁けば、本人は肩をすくめただけ。その顔には苦笑い。
 「ヨンイルにとっちゃここが天国なんだよ。一生好きな漫画読んで暮らせるんだからな」
 一生?ヨンイルの懲役は一生に匹敵するほど長いのだろうか?
 釈然としないものを感じつつ、ふたたび歩き出したレイジにおいていかれてなるものかと後に続く。行進停止。行き止まり。正面と左右、三面の壁を書架に塞がれた細長い暗闇の最奥に僕らを案内したヨンイルが「さて」と鼻の穴を膨らませる。自慢げな顔。
 「俺の城にようこそ」
 「……ずいぶんとみすぼらしい城だな」
 率直に感想を言う。こんな狭苦しくて薄暗い、書架と書架の隙間の隠れ家が城?ヨンイルの美的感覚は狂ってるにちがいない。  
 「ま、適当に座れ」
 ぞんざいに顎を振り、自身は背後の書架にもたれてうずくまるヨンイル。胡座をかいた膝の上にちゃっかりと漫画本を開いてる。左の書架にレイジがよりかかり、右の書架に僕がよりかかる。ヨンイルを頂点に三角形ができあがる。
 「で?俺に聞きたいことってなんや」
 漫画本を開いているが一応話を聞くつもりはあるらしくヨンイルが気のない声で促す。左の壁に凭れたレイジが僕へと顎をしゃくる。
 「コイツがサムライのこと知りたいんだって」
 「サムライ?―ああ、東のサムライな。知ってる知ってる、お前の次に有名人やもん」
 レイジの目を見てにやりと笑うヨンイル。人の悪い笑顔を浮かべたヨンイルに挑戦的にほほえみ返すレイジ。
 「でも、なんでサムライのこと知りたいんや」
 「モルモットの関心の向きを見定めたい」
 「こいつサムライと同房なんだ。あの変人と四ヶ月も一緒に暮らしてりゃ嫌でも不思議になるだろう、サムライがどうして東京プリズンにぶちこまれたかここにくる前に何をやってたか」
 「かってに代弁するな。僕はあくまで知的好奇心からモルモットの行動原理を追及しそれに関連する事象を抽出……」
 「はいはい」
 背後の壁にもたれてペーパーバッグの推理小説をめくりはじめたレイジに憤慨しさらに言い募ろうとした僕を制したのはヨンイルの心ここにあらずといった声。
 「サムライがここに来たときのことはよく覚えとる」
 推理小説から顔を上げたレイジが興味深そうにヨンイルに向き直り、リラックスした姿勢で書架にもたれて話を聞く体勢をとる。僕はといえば、ヨンイルの口からサムライの名前がでた途端に頭の中で渦巻いていた言葉が全部蒸発してしまった。胸を衝かれて押し黙った僕と好奇心旺盛に身を乗り出したレイジとを見比べ、ヨンイルが話し始める。
 淡々とした、いっそ素っ気ない口調。
 「仙台12人殺しの当事者が東京プリズンにぶちこまれることになったんや、そりゃ看守も囚人も大騒ぎや。いかにプライバシー保護の名目で外の情報が遮断されてるとはいえ看守の口伝やその他もろもろのルートからどうしても噂が入ってくる。サムライが外で事件起こしたときは俺はもう檻の中におったけど、それでも看守の動転ぶりはおもろかったなあ。ま、噂に尾ひれついてたのは否定できん。実の父親をヘイキで手にかけるような血も涙もないガキんこっちゃ、さぞかしふてぶてしい、恐ろしい面構えをしてるに違いないって看守も囚人も震えあがっとった。お前かてそう思うやろ?相手は自分の父親を含む十二人の人間を人間国宝の祖父が愛用した伝家の宝刀でばっさばっさと斬り殺した大量殺戮犯、極悪非道の人殺しや」
 そこで一呼吸おき、やれやれと首を振る。
 「ところがどっこい、現実のサムライを見て拍子抜け。そりゃたしかに眉間に皺寄せた仏頂面で近寄り難いけど、それだけや。実の父親を日本刀でばっさり袈裟斬りにするような危ない奴にはとても見えへん、なーんや、期待して損した。で、野次馬は解散」
 「それだけか?」
 「他になにか聞きたいんか?」
 「たとえば……サムライの本名とか」
 「サムライの本名?むかし聞いたことあったけど忘れてもうたわ。まあええやん、サムライがサムライであることに変わりないし」
 悪びれたふうもなくあっけらかんと白状したヨンイルに脱力する。疲労感はすぐに怒りに変わり、こんな役立たずのところに僕を案内してきたレイジに転じる。当の本人はそしらぬ顔、ペーパーバッグの推理小説を斜め読みしながら「うわあ、アイスピックをそんなふうに使うなんてえぐい殺し方」と半笑いで感想をもらしている。
 とんだ徒労、時間の無駄だった。
 レイジを押しのけて憤然とその場を立ち去ろうとした僕は、右側の書架に片手をついた姿勢で立ち止まる。立ち去ろうとした瞬間に脳裏に閃いた疑問を振り返りざまヨンイルにぶつけてみる。
 「『芽吹かない苗』がなにか知ってるか?」 
 「「あん?」」
 レイジとヨンイル、それぞれ手元の本に熱中していたふたりが示し合わせたような間合いのよさで顔を上げる。同時に顔を上げたふたりを見比べ、僕なりの推理を披露する。
 「サムライが寝言で呟いてた言葉、『なえ』。サムライの手紙に記述されていた一文、『芽吹かない苗』。この符号の一致は偶然とは思えない……サムライが寝言で呟いた『なえ』と手紙の苗とは同一物だと考えるのが妥当だろう。ただ、その意味がわからないんだ。収監された当初からサムライを知っている君ならひょっとしてなにか心当たりが……」
 「ストップ!」
 熱に浮かされたように饒舌な推理をさえぎったのは面前に掲げられたレイジの片手。なぜか、いつになく厳しい顔をしたレイジが執拗に僕の顔を覗きこんでくる。
 「なんでサムライの手紙の内容をお前が知ってんだよ?」
 まずい。
 「かってに読んだのか?」
 「読みたくて読んだんじゃない、あれは事故だ。偶発的要因が招いた不本意な結果だ」
 メガネのブリッジを押し上げるふりで動揺を隠し、務めて平静を装い反論する。そう、あれは事故だ。ただの不幸な事故だと懸命に自分に言い聞かせる。あの時ゴキブリが足もとを過ぎらなければ動転した僕がころんで小箱をひっかけることも、小箱をひっくり返して蓋を落とすこともなかったのだ。すべては偶然の産物、予期せぬ不運が連鎖した結果だ。
 それは確かに、小箱の中に手紙を発見した瞬間、我を忘れて手をのばしてしまったことは認めるが―
 「おかしいな」
 レイジの疑惑をはねつけてさらに反論しようとした僕の耳にとびこんできたのは、思案げな声。振り向く。背後の書架にもたれてじかに床にうずくまったヨンイルが頬杖をついて唸っている。
 「収監されてこのかた、サムライに手紙きたことなんて一回もないで」
 「……え?」
 馬鹿な。
 じゃあ、僕が見たものはなんだというんだ?僕がじかにこの手で触れたものは……
 「嘘やない。自慢やないけど俺には定期的に手紙がくる、三ヵ月毎に視聴覚ホールにとりにいってる俺が一回もサムライとかちあったことないんや。断言できる、サムライに手紙が来たことは一度もない……まてよ」
 そこまで言ってふと何か思い出したように深刻な面持ちで黙りこくるヨンイルに期待がいやます。生唾を嚥下してヨンイルを見つめる僕の隣、気だるげな姿勢で書架にもたれたレイジの双眸がスッと細まる。
 夢から覚めたように顔を上げたヨンイルがまっすぐに僕を、ついで、レイジを見る。
 「思い出した。その手紙、サムライが外から持ち込んだんや」
 「?今の発言には矛盾がある。東京少年刑務所は囚人の私物持ちこみを厳しく禁じているはずだろう」 
 「建前はな」
 にやりと笑ったヨンイルが意味ありげにレイジを仰ぐ。レイジを振り返れば、ヨンイルとよく似たいやらしい笑みを浮かべている。
 「キーストア、マジで知らないわけ?聞いたことないわけ?」
 「へえ、天然か。いまどき珍しいな、よっぽど育ちがええんやな」
 「何のことだ一体……」
 「変に思わなかったんか?」
 当惑した僕をいたずらっぽく見上げ、ちょんちょんとゴーグルを指さすヨンイル。わけがわからずにレイジを見れば、囚人服の胸元から金鎖をたぐりよせていつかの十字架を覗かせているではないか。
 「東京プリズンが囚人の私物持ちこみを禁止してるなら俺らが今身につけてるモンはどうやって検問をくぐったんやろな」
 ……言われてみれば。
 ヨンイルの一言が引き金となり、これまで日常風景にまぎれこんで漫然と見過ごしてきた矛盾がはっきりと形を取って現れる。ヨンイルのゴーグル、レイジのロザリオ、リョウのテディベア……そして、サムライの手紙。
 東京少年刑務所は原則として囚人の私物持ちこみを禁止しているはずだ。僕はそう言われたから、ここに護送される際に衣服と靴以外のものを全部おいてきた。にも関わらずヨンイルやレイジ、その他の囚人がどう考えても外から持ち込んだとしかおもえない私物を携帯しているのは何故だ?
 「抜け道があるんや、ふたっつほど。なんやと思う」 
 ヨンイルが二本指を立てる。抜け道。看守の検問をくぐりぬけて刑務所内に私物を持ち込む手段……しばらく考え、顔を上げる。
 「嘆願と脅迫?」
 ヨンイルとレイジが顔を見合わせ、失笑。
 「嘆願?笑われるで」
 「脅迫?殺されるぜ」
 その笑みがどこか翳っているように見えたのは目の錯覚だろうか?  
 いや、錯覚ではない。その証拠に……
 「正解は………」
 一拍おき、深呼吸。暗闇に潜む獣のごとく発達した犬歯を剥き、ゴーグルをかけた少年が笑う。
 「フェラチオか懲罰房」
 「………………なに?」
 何を言ってるんだ、この低脳は。
 言葉を失った僕を嘆かわしげに見上げて首を振り、ヨンイルが付け足す。
 「聞こえんかったんか?フェラチオか懲罰房。フェラチオはわかるよな、男のアレをしゃぶるんや。ま、お前もココの看守に変態多いのは知ってるみたいやけど……たとえばどうしても他人にゆずれへん、大事なもんがあったとする。規則じゃ絶対に持ちこみ禁止、看守は絶対に許してくれへんし見逃してくれへん。ピンチ。さて、どうする?そこで交換条件、という建前の強制。俺のモンをうまくしゃぶれば特別に私物持ちこみを許可してやるって東京プリズンにつれてこられたばっかでびびってる新入りにもちかけるんや、ひとたまりもないで」
 
 本気、なのか?
 本気で言ってるのかヨンイルは。これは……現実なのか?

 「嘘だろう」
 声が上擦っていた。嘘だと信じたかった。だが、レイジもヨンイルも一向に否定しようとしない。
 レイジは笑っている。ヨンイルも笑っている……醜悪かつ、おぞましい笑み。
 「残念ながら真実や」
 刑務所でそんなことが行われてるなんて信じられない。否、信じたくない。
 たしかに東京プリズンはひどいところだ、最低の刑務所だ。でも、しかし、ここまでとは―……
 「きみも、したのか」
 なにをした、とは言えなかった。口にするのも汚らわしい。嫌悪感をこめて吐き捨てた僕を見上げてヨンイルが皮肉っぽく笑う。
 「俺んときは十五秒やった。相手が早漏でな、こう、目え閉じて口動かしてたらあっというまやった。ラッキー」
 「いいなあ。俺んときは六分かかったぜ、顎が疲れた」
 「!!」
 なんでもないことのようにさらりとレイジが口にした台詞に戦慄、驚愕。
 床を蹴ってあとじさった背中が書架に激突、上段の本がばさばさとなだれ落ちてくる。頭上に被さった本に視界をさえぎられ、バランスを崩して尻餅をつく。頭が混乱する。何だ?何が起きてるんだ……
 レイジは今なんと言った?俺のときは、だと? 
 「レイジ、まさかきみも………」
 信じたくない。否定してほしかった。悪い冗談だと笑ってはぐらかしてほしかった。
 しかしレイジが次に口にした言葉は、一縷の希望さえ打ち砕くものだった。
 「舌テクには自信あったんだけど、男のモン舐めるのは慣れてないからさ」
 ……最悪だ。
 東京プリズンは看守も囚人も最悪かつ最低な人間ばかりだ。そのきわめつけが今、目の前にいる。ふたりも。
 「同性との口腔性交に抵抗はないのか?」  
 それが最大の疑問だった。震える声で質問した僕の頭上で顔を見合わせ、ヨンイルが説明を引き取る。
 「抵抗ない、ゆーたらそりゃ嘘になるけど背に腹は変えられん」
 「懲罰房よかくわえるほうがマシだ」
 しれっと主張したレイジが金鎖を指に巻き、十字架に口付ける。 
 「母さんの形見だしな」
 どこまで本気かわからない。 
 「この刑務所の看守は少年愛好者の変態しかいないのか」
 最悪だ。最悪だ。看守も囚人もなにを考えてるのか理解できない、こんな化け物みたいな連中― 
 「それは違う」
 ヨンイルの声が響く。
 その声がやけに生真面目に聞こえてハッとする。僕の前に膝を屈めてうずくまったヨンイルが間近で顔を覗きこんでくる。そうしてまっすぐに僕の目を見据えていたが、おもむろにゴーグルを押し上げて素顔をさらす。
 あらわれたのは射抜くような光を放つ双眸。おとなびた少年にもあどけない青年にも見える吊り目がちの精悍な顔だちはどこか野性味をおびて雄雄しくさえある。
 ヨンイルがスッと人さし指を立てる。
 「野良犬にペニス舐めさせたことあるか?」
 「……あるわけないだろう」
 質問の意図がまったく理解できないが、ほとんど生理的な反応で全否定する。ヨンイルは苦笑。
 「オレはあるで。いや、育ちの悪いませガキならだれでも一度は経験あるやろ。そこらほっつき歩いてる野良犬とっつかまえてパンツさげてアレ舐めさせるんや。そういう遊びや、一種の」
 「なにが言いたいんだ?」
 ゴーグルを下げおろして翳りある表情を隠し、素っ気なく呟くヨンイル。
 「遊び半分でアレ舐めさせる野良犬がオスかメスかなんてどうでもええやろ」
 ようやくヨンイルの言いたいことがわかった。
 看守にとって、僕ら囚人はおなじ人間じゃない。同格の人間ではない。自分の権限で好き放題になぶることができる下等の人間、もしくは犬や家畜と同列の存在なのだ。東京プリズンの看守が受刑者に手を出すのは真性の変態だからではない。ここでは看守が絶対的存在であり、囚人はたとえどんな無茶な命令だろうとそれに服従するよりないのだ。全能の優越感に酔いしれた彼らの多くはその権力を弱者にふるうことで証明したくなる、自分が人の上に立っているということを、自分が絶対的な強者であるということを。
 その為には相手が最も屈辱に打ちのめされる行為を強制し、相手が最も嫌がることを嬉々として行えばいい。二度と逆らう気など起こさぬよう、生意気な囚人には特に徹底して。それに嗜虐の快楽がともなう場合は絶対に外には漏らせない陰湿な娯楽になる。

 人間は、自分より弱い存在には驚くほど残酷になれる生き物だ。

 「で、もういっこの選択肢が懲罰房。フェラチオなんか死んでもごめんて男気あふるる奴は大抵こっちを選ぶな、必ずあとで後悔するけど。話は簡単、エロ本でもタバコでもどうしても没収されたくないモンがあれば懐にぎゅって抱き込んではなさなければええんや。警棒で何回、何十回殴られて気が遠くなっても腕と足の骨を折られても絶対はなしたらあかん、看守の暴行が止むまでずっとそれで通す。看守が痛めつけるのに飽きたか疲れるかしたらこっちの勝ち、言うコト聞かない生意気な新入りはそのまま懲罰房送り。早い話、腕と足の骨と引き換えに大事なモンを守り通すんや。サムライはこっち」
 サムライの名前に反応して顔を起こす。  
 書架にもたれたヨンイルが天井の方を向いて話し始める。
 「サムライがここに来た初日、事件が起きた。オレも人づてに聞いただけで実際見たわけやないんやけど」
 そう断ってから。
 「サムライが収監された初日の身体検査で、上着の裏側に手紙を隠し持ってたのが発見された。とうぜん刑務所は私物持ちこみ禁止、サムライが後生大事に隠し持ってた手紙はあわや没収されかけたんやけど本人は頑として渡さん、譲らん。頭にきた看守が殴る蹴る、さらにひとり増えふたり増え、最終的にはリンチ状態。サムライはどんなに殴られ蹴られても無抵抗やったらしい。ただ懐に手紙をかばって、一言も口きかへんで床に這いつくばっとった。いや、正確にはよってたかって床に這いつくばらされたんやけどな。看守は容赦なかった。サムライが一言も口きかへんのにさらに腹を立てて、ついには」
 自身の左腕を掴んで折り曲げる動作をしてみせたヨンイルに不吉な予感がふくらむ。
 「ボキッと左腕を折ってもうた」
 「…………」
 「サムライはそれでも悲鳴ひとつあげへんかったらしい。実際左手骨折だけで済んだのは騒ぎを聞きつけた安田が止めに入ったからや、だれも止めに入らんかったら殺されてた。サムライのこっちゃ、殺される瞬間の断末魔も武士の意地でこらえるにちがいないけど……そんなわけで、オレの話はおしまい。お前が見たっちゅー手紙はサムライが外から持ち込んで、大勢の看守によってたかって殴られ蹴られても後生大事に懐にかばって肌身はなさんかったブツや。よっぽど大事な人間からの手紙なんやろな」

 大事な人間。
 左腕を折られても声ひとつ上げずにサムライが守りぬいたもの―……かけがえのない、大事な人からの手紙。
 それはだれだ?
 どこにいるんだ?
 なにをしてるんだ?

 サムライは未だにその人物を忘れてないのか?こんな、檻の中でも。
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