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七十八話
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「いいかげん機嫌なおしてくださいよリョウさん」
絶賛不貞寝中の僕の背後でお調子者のビバリーがぴーちくぱーちくさえずってる。
「………」
頭からすっぽり毛布をかぶって無視無関心を決め込んだ僕にもビバリーはへこたれない。打たれ強いというか粘り強いというか傍迷惑というか、ドラッグをキメたラッパーみたいな例のハイテンションでまくしたてる。
「カギヤザキのしたことはたしかにひどいっすけどリョウさんだってひどいこと言ったっしょ、どっちもどっち目くそ鼻くそっすよ。最愛の妹悪し様に言われちゃそりゃシスコンメガネは怒りますって、リョウさん地雷踏んじゃったんすよ、あきらめましょうよ事故だと思って」
「最愛のママを悪し様に言われた僕の気持ちを汲んでよ」
「挑発するからっすよ」
毛布の端をくいくいひっぱりながら顔を覗き込んできたビバリーにぷいとそっぽを向く。そりゃたしかに僕はサーシャたちをけしかけて鍵屋崎をはめようとしたけど、だからなに?気に入らない奴を蹴落としてどこが悪いのさ。反省の色がまったくない僕にため息をつき、両手を広げて話題を変えるビバリー。
「特別大サービス、ぼくがしこしこ集めた無修正画像ファイルを見せてあげるからこれで元気出してくださいっす!」
「…………」
「洋モノっすよ洋モノ。下の毛まで金髪」
こそこそ耳打ちしてきたビバリーを寝返り打って追い払う。ビバリーがさも意外そうに驚く。
「金髪はNG?好みはブルネットか赤毛かそれとも……」
「そんなん地毛かどうかわかんないじゃんか」
染めてるかもしれないし。
「夢がないなあリョウさんは……」
ついに僕の機嫌とりをあきらめたか、ベッドに背を預けて床にへたりこんだビバリーが僕の枕元に投げ置かれていた封筒をかっさらう。高級紙の封筒を頭上にかざしてためつすがめつし、中が見えないものかと目を眇めてから便箋を抜き取る。カサカサと紙のふれ合う乾いた音に続いたのはどこまでも能天気を装う道化者の声。
「いいじゃないすっか、ママさんからの手紙は破かれてお空に返って雀に啄ばまれちゃいましたけどリョウさんにはもう一通残ってるんすから。これ読んであげるからいい加減不貞寝やめてくださいよ、リョウさんが塞ぎこんでると房に黴生えそうでいやなんすよ。え~と、なになに……『Dear my sweet リョウ、元気にしてるかい?きみが東京少年刑務所に収監されて何ヶ月が経つだろう。まだ一年も経過してないはずだが私には百年、いや千年にひとしい月日が流れたように思えるよ。売春と恐喝と覚醒剤の所持及び売買、この三つの罪状で最悪懲役五年以上は免れないと法律で定められていたのに私の人柄がなせる技というか、減刑工作が功を奏したようでなによりだ。警察上層部に裏から手を回してきみの減刑をかけあった私の苦労も報われたというものだ。たしか懲役三年―……いや、二年だったかな?生憎とそこまで覚えてないが、二年経って出てきたきみはどんな姿をしてるんだろう。ああ、私の片腕にすっぽりおさまってしまう華奢な肩、まるい膝小僧、あどけなさを残した愛くるしい笑顔。きみが13歳の面影を残して外に出てくる日を思い浮かべれば私の心臓は今もこうしてはげしく動機を打ちはじめ熱く火照った血が全身を巡り始める……Oh My Fairy、My boy リョウ!はやくきみをこの腕に抱きしめたい、シルクのベッドで思う存分ミルクの匂いがするきみの肌をむさぼりたい。そうだ、出所の日に備えてきみによく似合うパールピンクの口紅を買ったんだ。白いワンピースも。今から待ち遠しい、きみと一緒にシャワーを浴びて火照った肌を拭いてワンピースを着せ……』」
途中からわなわな震え出したビバリーの手がついに我慢の限界に達し、コンクリートの床に手紙を叩きつける。
「なんじゃこりゃあ!!」
「ぼくのパトロン、代議士ヤマノベさんのお手紙」
「リョウさん、あんたの客は変態ばっかだ!」
感染力の強い黴菌にでも触れたかのように両手を上下させる見かけによらず潔癖なビバリーにこらえきれず吹き出す。毛布をどけ、ベッドに起き上がる。床に手をのばして手紙を拾い上げ、ざっと目を通す。ヤマノベさんてば相変わらずだなあ。
「ヤマノベさんは女装じゃなきゃ興奮しない趣味なんだって」
「感謝してくださいよリョウさん、それレイジさんと同房の囚人に危うく読まれかけたんですから……」
「ロン?」
「減刑のコト、バレたらどうします」
ヤマノベさんは僕が渋谷の売春組織をシメていたときに客として知り合った大物代議士のパトロンで今でもこうして繋がりがある。売春と法律で禁じられた各種薬物・覚醒剤の売買、客に対する恐喝罪で逮捕された僕が懲役五年未満で済んだのはヤマノベさんが警察上層部に圧力をかけてくれたからだ。感謝しなきゃね。
「つかえるコネは徹底的に利用するのが僕のモットー」
「最低だアンタ……」
「最低なのはどっちだよ」
ベッドに腰掛け、宙を蹴りながらビバリーを睨む。
「ビバリー、この前の監視塔の一件知ってたんじゃないか。なに初耳みたいな顔してふんふん頷いてたのさ。レイジに火炎瓶原料のテキーラ渡したのビバリーじゃん、本人の口から聞いたんだからすっとぼけても無駄だよ」
まずい。出した尻尾を踏まれたビバリーが大袈裟に顔をしかめ、身振り手振りをまじえて弁明する。
「だってほんとのこと言ったらリョウさん怒るじゃないっすか!」
「怒るよ」
「それにあの晩は寝ぼけてて……今思えばレイジさん監視塔に行く直前にぼくの房寄ったみたいなんすけど、いきなり『テキーラくれ』なんて言い出すからどっかでパーティーでもやるのかな~と……隣のベッドにリョウさんいないことに朝になって気付いたくらいですし。あ、その目は疑ってますね!?マジっす、マジっすってば!!」
不審の眼差しに耐えかねたビバリーがひしと肩にしがみついてきたのを鬱陶しげに振り払う。
「裏切り者」
「そんなあ………」
半泣き寸前の情けない顔で脱力したビバリーを無視してベッドに横たわる。枕元に散らばっているのは展望台でかき集めてきたママの手紙の断片。今だあきらめきれず、もはや原形をとどめぬまでにばらばらにちぎれた断片をパズルのピースのように並べ替えながら呟く。
「アイツ、ぜったい殺してやる」
アイツ。鍵屋崎 スグル。
物騒な発言にぎくっとしたビバリーがおそるおそる背中に問うてくる。
「まだそんなこと言ってんすか……」
「本気だよ僕は」
ママから来た手紙の断片をああでもないこうでもないと並べ替えつつ、固い決意を口にする。
ママを侮辱したアイツだけは許せない、絶対に。鍵屋崎は地雷を踏んだ、僕のママを馬鹿にした。僕が世界でいちばん大好きなママを。
のみならず、僕が指折り数えて待ち焦がれていたママからの手紙を目の前で破り捨てた。何の心の痛痒も感じず、何の罪悪感もおぼえず。
許せない。絶対に復讐してやる、クソ生意気な日本人に思い知らせてやる。
コンコンと扉がノックされる。反射的に上体を起こし、首を傾げてビバリーと顔を見合わせる。目配せを交わしてどちらが応対にでるか譲り合うが愛想のよさでは僕に軍配が上がる。それにこの時間帯に訪ねてくるのはだいたい僕のパトロンの看守か囚人と相場が決まっている、だったら最初から僕が出たほうが早いだろう。ベッドから飛び下り、扉へと歩く。ノブを回し、扉を開ける。
廊下にいたのは見覚えのある看守。いつも笑ってるような糸目、しまりのない口元、日本人特有のなで肩。冴えない中年男の最大公約数のような平凡で個性に欠ける容姿を紺の制服に包んだこの男は―……
「えーと、曽根崎さん?」
やばい、語尾が疑問形になった。
「どうしたの、こんな時間に何か用」
扉を閉じてビバリーの詮索を遮り、僕目当てでやってきた看守と廊下で対峙する。彼の名前は曽根崎、イエローワーク温室担当の看守でなにかにつけ僕を贔屓してくれるパトロンのひとり。このまえサムライの房の前で僕が噛んでいたガムも彼からこっそりもらった物だ。
お人よしが制服を着て歩いてるような曽根崎は下腹部で手を組んでもじもじしていたが、なにかを探るような上目遣いでちらりと僕を見上げるや意を決し、心配そうな声音で来意を告げる。
「いや、用ってほどのことじゃないんだけど……リョウくん最近元気なかったから調子悪いのかなって心配になって、様子を見にきたんだ」
三十過ぎた中年男のはにかみ笑い、気色悪い。そんな内面はおくびにも出さず、営業スマイルで対応する。
「そっか、わざわざ心配して来てくれたんだ。ありがとう曽根崎さん、やさしいね」
「いやあ……あはは……照れるなあ」
頭を掻きながら恐縮する曽根崎の頬がうっすらと上気している。どうやら本気で照れてるらしい。壁によりかかりながら内心、あんたいくつだよ?とツッコミをいれる。イエローワークの温室。ホースで水やりをしてる最中、体、とくに腰のあたりにまとわりつくような視線を感じることがある。ホースを持って振り返れば十中八九の確率で曽根崎と目が合う。僕と目が合った曽根崎はまずい、という顔をしたあとで決まってぷいと顔を逸らす。侮蔑まじりにささやかれてる曽根崎の噂を思い出す。曽根崎は恐妻家の婿養子で二つ年上の奥さんに頭が上がらないらしく、その反動から腕力や権威で自分が上位に立つことのできる相手―すなわち僕みたいに腕力で御しやすい、見た目小動物系の少年ばかりに性欲を感じるようになったらしい。
つまりはタジマやヤマノベさんのご同類、かなり年季の入った少年愛好者の変態ってわけだ。
「それはそうとなにが原因で落ちこんでたんだい?僕でよければ力になるよ」
善意を装った下心見え見えの申し出に辟易しつつ打算を働かせ、憂い顔で嘆息。
「たいした理由じゃないんだけどね……鍵屋崎スグルって知ってる?僕と同じイエローワークの砂漠担当、両親を殺して東京プリズンに送致されたエリート崩れの日本人。彼とちょっと、ね」
「なんだい?」
「ママから届いた手紙を目の前で破かれちゃったの」
涙にぬれた上目遣いで曽根崎を仰ぐ、これも作戦のうち。思ったとおり、僕にぞっこん首ったけの曽根崎はその言葉を聞いて義憤にいきり立つ。
「なんてひどい……!!」
鍵屋崎にいじめられたと主張してしおらしく落ち込んだフリをしておけば僕にご執心の曽根崎は鍵屋崎を目の敵にして辛く当たるようになるだろう。そう考え、嗚咽をこらえるふりで顔下半分の笑みを隠した僕をよそに事態はおもわぬ方向に転がり始めた。
「鍵屋崎ってサムライと同房のあのメガネの少年だろう?おとなしそうな顔してなんてひどい、とんだいじめっ子じゃないか。きっとサムライに、あの残虐非道な大量殺人犯に感化されたんだな。同じ仙台市民として恥ずかしい……」
「え?」
仙台?
「あ?ああ、鍵屋崎のことじゃない。同房のサムライのことだよ」
「サムライ仙台出身なの?しかも曽根崎さんとおなじって……」
「僕の実家仙台なんだ」
「じゃあ、サムライのこと知ってるの?」
「ここだけの話」
手招きして僕の顔を招き寄せた曽根崎が周囲を憚って耳打ちする。
「初めて聞いたときはすごい偶然もあるもんだと驚いたんだが、僕の叔母さんにあたる人が奴の実家で働いてたんだよ。と言っても数多くいる使用人のひとりとして雇われた身だし例の忌まわしい事件と同時にすっぱり辞めちゃったけど」
「数多くいる使用人のひとりって、サムライんちそんな金持ちだったの」
いつもは慇懃無礼でつれない僕が好奇心むきだしで話に乗ってきて有頂天になった曽根崎が、興奮に頬を上気させ続ける。
「地元じゃ有名な武家屋敷だよ。なんでも元禄から続く由緒正しい武士の家柄だとかで家土地だけで千坪のだだっ広い敷地、立派な松が植わった日本庭園まであって事件で本家の人間が死に絶えてからは県の文化財に指定されてちょっとした名所になってる」
「……へー。すごおい」
棒読みで感心する。まったく日本人ってのは、どいつもこいつも成金揃いでむかつくったらありゃしない。僕とママが住んでたアパートはウサギ小屋みたいに狭くてベッドを並べて置くこともできなくて、僕とママは窮屈に寄り添いあって寝るしかなかったのに。僕を床に蹴落とさないようぎゅっと抱っこしてベッドの隅に身を寄せたママが「ごめんねリョウちゃん、狭くて。ママがもう少しやせてたらよかったんだけど、だめね、ダイエットしなきゃ……」と申し訳なさそうに謝る声が今でも耳から離れない。
「当時はそりゃ騒がれた、地元で有名な道場主の跡取り息子が突然伝家の宝刀抜いて父親を含む門下生十数人を斬り殺したんだから騒ぎにならないほうがおかしい」
「しかも動機は不明だし」
曽根崎が言おうとしたことを先回りして付け加えたがどうも様子がおかしい。僕を覗きこんでる曽根崎の顔、その目に隠そうとしても隠しきれない優越感が滲んでいる。なんともいえない表情でこみあげてくる笑みを堪えた曽根崎を不審がっていると、僕の反応に気をよくした曽根崎が意味ありげに声を低める。
「世間的にはそういうことになってるね」
「世間的にはって……」
「言ったろう、僕の叔母さんは事件があった屋敷で使用人として働いてたんだ。どいうことかわかる?世間体を慮って表には出ずしまいだった情報やその他諸々の理由でマスコミにも伏せられた真の殺害動機をあまねく知る立場にあったってこと」
曽根崎の叔母さんは仙台にあるサムライの実家で使用人として働いていた。
なるほど、長く勤めた使用人なら閉鎖的な家の内部事情にも知悉してるだろう。サムライの殺害動機が外に漏れなかった最大の理由は本人が完全黙秘を貫いたからだが、その他にもいくつか理由がある。まずサムライは人間国宝の祖父を持つ名門道場の跡取り息子、鍵屋崎とは少し意味合いが違うがそれでも輝かしい未来を予定された生粋の日本人。そのサムライが、日本人の中の日本人たるサムライが自分の父親を含む門下生十数人の殺害という重罪を犯した。政府または警察上層部の方針でマスコミに緘口令が敷かれた可能性もある、半世紀前ならいざ知らず無国籍スラム化して混血が進んだ今の日本じゃ苗字を有した血統書つき日本人は中世の貴族のように種特権階級扱いされてる。日本人の鑑となるべく生まれたサムライが自分の父親を含む十数人の人間を大量殺戮したのだ、少年犯罪の増加による日本のイメージ低下を危ぶむ政府にとっては都合が悪いことこの上ない。しかもその動機がマスコミに流布するとまずいような種類のものであるなら尚更だ。
……ああ、そうか。
「教えて曽根崎さん」
曽根崎の首に腕を回し、口付けする体勢で顔を仰ぐ。媚びた上目遣いと甘ったるい猫なで声で媚態を演じ、片手でズボンの股間をまさぐり挑発。曽根崎の股間が反応を示し始めたのをこれ幸いと耳朶に吐息を吹きかける。
「曽根崎さんなら知ってるんでしょ?サムライがここに来た本当の理由……」
ズボン越しに太腿をさする。突然の愛撫に年甲斐もなく動揺していた曽根崎がごくりと生唾を嚥下する。情欲にぬれた目。唇が重なりそうで重ならない距離でささやけば、つりこまれるように曽根崎が息を乱しはじめる。
「サムライがここに来た本当の理由は……」
僕の言葉を復唱し、覆い被さる。囚人服の裾に手がすべりこむ。むさぼるように腹筋を揉みしだく手に湿った息を漏らし興奮してる演技をする。不器用な愛撫に励んでいる曽根崎の口元に耳を近づけ不明瞭にかすれた言葉を拾い上げる。驚愕。そして理解。意外だ、あのサムライがそんな理由で?あんな淡白な顔して、あんな清廉潔白なフリして、そんなことを……
面白い。すごく、面白い。
「あ」
僕の腰を抱きしめ、性急な手つきで股間のジッパーを下げようとした曽根崎に待ったをかける。お預けを食らわされた犬のように物欲しげな目で狂おしく見つめてくる曽根崎、その視線を絡めとり、悩殺的な笑みを浮かべる。
「じゃあ曽根崎さん、サムライの本名知ってる?」
ビバリーのパソコンで個人情報を呼び出そうにも本名を知らなければ検索をかけられない。
「ああ、知ってるさ。アイツの本名は……」
曽根崎が囁いた名前は……
ジッパーの開く金属音が響き、僕の下半身が軽々と持ち上げられる。曽根崎がことに及びやすいよう腰を浮かせて足を開きながら妙に感心する。
まったく、サムライらしい名前だ。
律動的なリズムで貫かれながら快感に朦朧としはじめた頭を回転させる。サムライの本名を餌にすれば鍵屋崎は釣れるだろうか?曽根崎の背中に腕を回してしがみついたとき、はだけて乱れたシャツの裾からはらりと紙片が舞い落ちる。鍵屋崎に破り捨てられた手紙の断片、地べたに這いつくばってかき集めてきたママの手紙の欠片。
展望台のへりに立った鍵屋崎の背中が浮かぶ。
冷酷無慈悲かつ、トンとひと突きすれば奈落の底に転げ落ちていってしまいそうに脆い均衡の上の―
『追いつめて追いつめて殺しやる』
ママのために。僕のために。
胸の内で燻り始めた火種がやがて快楽の熾火に変じて全身に散じてゆくに任せ、曽根崎の背中に強く強く爪を立てた。
絶賛不貞寝中の僕の背後でお調子者のビバリーがぴーちくぱーちくさえずってる。
「………」
頭からすっぽり毛布をかぶって無視無関心を決め込んだ僕にもビバリーはへこたれない。打たれ強いというか粘り強いというか傍迷惑というか、ドラッグをキメたラッパーみたいな例のハイテンションでまくしたてる。
「カギヤザキのしたことはたしかにひどいっすけどリョウさんだってひどいこと言ったっしょ、どっちもどっち目くそ鼻くそっすよ。最愛の妹悪し様に言われちゃそりゃシスコンメガネは怒りますって、リョウさん地雷踏んじゃったんすよ、あきらめましょうよ事故だと思って」
「最愛のママを悪し様に言われた僕の気持ちを汲んでよ」
「挑発するからっすよ」
毛布の端をくいくいひっぱりながら顔を覗き込んできたビバリーにぷいとそっぽを向く。そりゃたしかに僕はサーシャたちをけしかけて鍵屋崎をはめようとしたけど、だからなに?気に入らない奴を蹴落としてどこが悪いのさ。反省の色がまったくない僕にため息をつき、両手を広げて話題を変えるビバリー。
「特別大サービス、ぼくがしこしこ集めた無修正画像ファイルを見せてあげるからこれで元気出してくださいっす!」
「…………」
「洋モノっすよ洋モノ。下の毛まで金髪」
こそこそ耳打ちしてきたビバリーを寝返り打って追い払う。ビバリーがさも意外そうに驚く。
「金髪はNG?好みはブルネットか赤毛かそれとも……」
「そんなん地毛かどうかわかんないじゃんか」
染めてるかもしれないし。
「夢がないなあリョウさんは……」
ついに僕の機嫌とりをあきらめたか、ベッドに背を預けて床にへたりこんだビバリーが僕の枕元に投げ置かれていた封筒をかっさらう。高級紙の封筒を頭上にかざしてためつすがめつし、中が見えないものかと目を眇めてから便箋を抜き取る。カサカサと紙のふれ合う乾いた音に続いたのはどこまでも能天気を装う道化者の声。
「いいじゃないすっか、ママさんからの手紙は破かれてお空に返って雀に啄ばまれちゃいましたけどリョウさんにはもう一通残ってるんすから。これ読んであげるからいい加減不貞寝やめてくださいよ、リョウさんが塞ぎこんでると房に黴生えそうでいやなんすよ。え~と、なになに……『Dear my sweet リョウ、元気にしてるかい?きみが東京少年刑務所に収監されて何ヶ月が経つだろう。まだ一年も経過してないはずだが私には百年、いや千年にひとしい月日が流れたように思えるよ。売春と恐喝と覚醒剤の所持及び売買、この三つの罪状で最悪懲役五年以上は免れないと法律で定められていたのに私の人柄がなせる技というか、減刑工作が功を奏したようでなによりだ。警察上層部に裏から手を回してきみの減刑をかけあった私の苦労も報われたというものだ。たしか懲役三年―……いや、二年だったかな?生憎とそこまで覚えてないが、二年経って出てきたきみはどんな姿をしてるんだろう。ああ、私の片腕にすっぽりおさまってしまう華奢な肩、まるい膝小僧、あどけなさを残した愛くるしい笑顔。きみが13歳の面影を残して外に出てくる日を思い浮かべれば私の心臓は今もこうしてはげしく動機を打ちはじめ熱く火照った血が全身を巡り始める……Oh My Fairy、My boy リョウ!はやくきみをこの腕に抱きしめたい、シルクのベッドで思う存分ミルクの匂いがするきみの肌をむさぼりたい。そうだ、出所の日に備えてきみによく似合うパールピンクの口紅を買ったんだ。白いワンピースも。今から待ち遠しい、きみと一緒にシャワーを浴びて火照った肌を拭いてワンピースを着せ……』」
途中からわなわな震え出したビバリーの手がついに我慢の限界に達し、コンクリートの床に手紙を叩きつける。
「なんじゃこりゃあ!!」
「ぼくのパトロン、代議士ヤマノベさんのお手紙」
「リョウさん、あんたの客は変態ばっかだ!」
感染力の強い黴菌にでも触れたかのように両手を上下させる見かけによらず潔癖なビバリーにこらえきれず吹き出す。毛布をどけ、ベッドに起き上がる。床に手をのばして手紙を拾い上げ、ざっと目を通す。ヤマノベさんてば相変わらずだなあ。
「ヤマノベさんは女装じゃなきゃ興奮しない趣味なんだって」
「感謝してくださいよリョウさん、それレイジさんと同房の囚人に危うく読まれかけたんですから……」
「ロン?」
「減刑のコト、バレたらどうします」
ヤマノベさんは僕が渋谷の売春組織をシメていたときに客として知り合った大物代議士のパトロンで今でもこうして繋がりがある。売春と法律で禁じられた各種薬物・覚醒剤の売買、客に対する恐喝罪で逮捕された僕が懲役五年未満で済んだのはヤマノベさんが警察上層部に圧力をかけてくれたからだ。感謝しなきゃね。
「つかえるコネは徹底的に利用するのが僕のモットー」
「最低だアンタ……」
「最低なのはどっちだよ」
ベッドに腰掛け、宙を蹴りながらビバリーを睨む。
「ビバリー、この前の監視塔の一件知ってたんじゃないか。なに初耳みたいな顔してふんふん頷いてたのさ。レイジに火炎瓶原料のテキーラ渡したのビバリーじゃん、本人の口から聞いたんだからすっとぼけても無駄だよ」
まずい。出した尻尾を踏まれたビバリーが大袈裟に顔をしかめ、身振り手振りをまじえて弁明する。
「だってほんとのこと言ったらリョウさん怒るじゃないっすか!」
「怒るよ」
「それにあの晩は寝ぼけてて……今思えばレイジさん監視塔に行く直前にぼくの房寄ったみたいなんすけど、いきなり『テキーラくれ』なんて言い出すからどっかでパーティーでもやるのかな~と……隣のベッドにリョウさんいないことに朝になって気付いたくらいですし。あ、その目は疑ってますね!?マジっす、マジっすってば!!」
不審の眼差しに耐えかねたビバリーがひしと肩にしがみついてきたのを鬱陶しげに振り払う。
「裏切り者」
「そんなあ………」
半泣き寸前の情けない顔で脱力したビバリーを無視してベッドに横たわる。枕元に散らばっているのは展望台でかき集めてきたママの手紙の断片。今だあきらめきれず、もはや原形をとどめぬまでにばらばらにちぎれた断片をパズルのピースのように並べ替えながら呟く。
「アイツ、ぜったい殺してやる」
アイツ。鍵屋崎 スグル。
物騒な発言にぎくっとしたビバリーがおそるおそる背中に問うてくる。
「まだそんなこと言ってんすか……」
「本気だよ僕は」
ママから来た手紙の断片をああでもないこうでもないと並べ替えつつ、固い決意を口にする。
ママを侮辱したアイツだけは許せない、絶対に。鍵屋崎は地雷を踏んだ、僕のママを馬鹿にした。僕が世界でいちばん大好きなママを。
のみならず、僕が指折り数えて待ち焦がれていたママからの手紙を目の前で破り捨てた。何の心の痛痒も感じず、何の罪悪感もおぼえず。
許せない。絶対に復讐してやる、クソ生意気な日本人に思い知らせてやる。
コンコンと扉がノックされる。反射的に上体を起こし、首を傾げてビバリーと顔を見合わせる。目配せを交わしてどちらが応対にでるか譲り合うが愛想のよさでは僕に軍配が上がる。それにこの時間帯に訪ねてくるのはだいたい僕のパトロンの看守か囚人と相場が決まっている、だったら最初から僕が出たほうが早いだろう。ベッドから飛び下り、扉へと歩く。ノブを回し、扉を開ける。
廊下にいたのは見覚えのある看守。いつも笑ってるような糸目、しまりのない口元、日本人特有のなで肩。冴えない中年男の最大公約数のような平凡で個性に欠ける容姿を紺の制服に包んだこの男は―……
「えーと、曽根崎さん?」
やばい、語尾が疑問形になった。
「どうしたの、こんな時間に何か用」
扉を閉じてビバリーの詮索を遮り、僕目当てでやってきた看守と廊下で対峙する。彼の名前は曽根崎、イエローワーク温室担当の看守でなにかにつけ僕を贔屓してくれるパトロンのひとり。このまえサムライの房の前で僕が噛んでいたガムも彼からこっそりもらった物だ。
お人よしが制服を着て歩いてるような曽根崎は下腹部で手を組んでもじもじしていたが、なにかを探るような上目遣いでちらりと僕を見上げるや意を決し、心配そうな声音で来意を告げる。
「いや、用ってほどのことじゃないんだけど……リョウくん最近元気なかったから調子悪いのかなって心配になって、様子を見にきたんだ」
三十過ぎた中年男のはにかみ笑い、気色悪い。そんな内面はおくびにも出さず、営業スマイルで対応する。
「そっか、わざわざ心配して来てくれたんだ。ありがとう曽根崎さん、やさしいね」
「いやあ……あはは……照れるなあ」
頭を掻きながら恐縮する曽根崎の頬がうっすらと上気している。どうやら本気で照れてるらしい。壁によりかかりながら内心、あんたいくつだよ?とツッコミをいれる。イエローワークの温室。ホースで水やりをしてる最中、体、とくに腰のあたりにまとわりつくような視線を感じることがある。ホースを持って振り返れば十中八九の確率で曽根崎と目が合う。僕と目が合った曽根崎はまずい、という顔をしたあとで決まってぷいと顔を逸らす。侮蔑まじりにささやかれてる曽根崎の噂を思い出す。曽根崎は恐妻家の婿養子で二つ年上の奥さんに頭が上がらないらしく、その反動から腕力や権威で自分が上位に立つことのできる相手―すなわち僕みたいに腕力で御しやすい、見た目小動物系の少年ばかりに性欲を感じるようになったらしい。
つまりはタジマやヤマノベさんのご同類、かなり年季の入った少年愛好者の変態ってわけだ。
「それはそうとなにが原因で落ちこんでたんだい?僕でよければ力になるよ」
善意を装った下心見え見えの申し出に辟易しつつ打算を働かせ、憂い顔で嘆息。
「たいした理由じゃないんだけどね……鍵屋崎スグルって知ってる?僕と同じイエローワークの砂漠担当、両親を殺して東京プリズンに送致されたエリート崩れの日本人。彼とちょっと、ね」
「なんだい?」
「ママから届いた手紙を目の前で破かれちゃったの」
涙にぬれた上目遣いで曽根崎を仰ぐ、これも作戦のうち。思ったとおり、僕にぞっこん首ったけの曽根崎はその言葉を聞いて義憤にいきり立つ。
「なんてひどい……!!」
鍵屋崎にいじめられたと主張してしおらしく落ち込んだフリをしておけば僕にご執心の曽根崎は鍵屋崎を目の敵にして辛く当たるようになるだろう。そう考え、嗚咽をこらえるふりで顔下半分の笑みを隠した僕をよそに事態はおもわぬ方向に転がり始めた。
「鍵屋崎ってサムライと同房のあのメガネの少年だろう?おとなしそうな顔してなんてひどい、とんだいじめっ子じゃないか。きっとサムライに、あの残虐非道な大量殺人犯に感化されたんだな。同じ仙台市民として恥ずかしい……」
「え?」
仙台?
「あ?ああ、鍵屋崎のことじゃない。同房のサムライのことだよ」
「サムライ仙台出身なの?しかも曽根崎さんとおなじって……」
「僕の実家仙台なんだ」
「じゃあ、サムライのこと知ってるの?」
「ここだけの話」
手招きして僕の顔を招き寄せた曽根崎が周囲を憚って耳打ちする。
「初めて聞いたときはすごい偶然もあるもんだと驚いたんだが、僕の叔母さんにあたる人が奴の実家で働いてたんだよ。と言っても数多くいる使用人のひとりとして雇われた身だし例の忌まわしい事件と同時にすっぱり辞めちゃったけど」
「数多くいる使用人のひとりって、サムライんちそんな金持ちだったの」
いつもは慇懃無礼でつれない僕が好奇心むきだしで話に乗ってきて有頂天になった曽根崎が、興奮に頬を上気させ続ける。
「地元じゃ有名な武家屋敷だよ。なんでも元禄から続く由緒正しい武士の家柄だとかで家土地だけで千坪のだだっ広い敷地、立派な松が植わった日本庭園まであって事件で本家の人間が死に絶えてからは県の文化財に指定されてちょっとした名所になってる」
「……へー。すごおい」
棒読みで感心する。まったく日本人ってのは、どいつもこいつも成金揃いでむかつくったらありゃしない。僕とママが住んでたアパートはウサギ小屋みたいに狭くてベッドを並べて置くこともできなくて、僕とママは窮屈に寄り添いあって寝るしかなかったのに。僕を床に蹴落とさないようぎゅっと抱っこしてベッドの隅に身を寄せたママが「ごめんねリョウちゃん、狭くて。ママがもう少しやせてたらよかったんだけど、だめね、ダイエットしなきゃ……」と申し訳なさそうに謝る声が今でも耳から離れない。
「当時はそりゃ騒がれた、地元で有名な道場主の跡取り息子が突然伝家の宝刀抜いて父親を含む門下生十数人を斬り殺したんだから騒ぎにならないほうがおかしい」
「しかも動機は不明だし」
曽根崎が言おうとしたことを先回りして付け加えたがどうも様子がおかしい。僕を覗きこんでる曽根崎の顔、その目に隠そうとしても隠しきれない優越感が滲んでいる。なんともいえない表情でこみあげてくる笑みを堪えた曽根崎を不審がっていると、僕の反応に気をよくした曽根崎が意味ありげに声を低める。
「世間的にはそういうことになってるね」
「世間的にはって……」
「言ったろう、僕の叔母さんは事件があった屋敷で使用人として働いてたんだ。どいうことかわかる?世間体を慮って表には出ずしまいだった情報やその他諸々の理由でマスコミにも伏せられた真の殺害動機をあまねく知る立場にあったってこと」
曽根崎の叔母さんは仙台にあるサムライの実家で使用人として働いていた。
なるほど、長く勤めた使用人なら閉鎖的な家の内部事情にも知悉してるだろう。サムライの殺害動機が外に漏れなかった最大の理由は本人が完全黙秘を貫いたからだが、その他にもいくつか理由がある。まずサムライは人間国宝の祖父を持つ名門道場の跡取り息子、鍵屋崎とは少し意味合いが違うがそれでも輝かしい未来を予定された生粋の日本人。そのサムライが、日本人の中の日本人たるサムライが自分の父親を含む門下生十数人の殺害という重罪を犯した。政府または警察上層部の方針でマスコミに緘口令が敷かれた可能性もある、半世紀前ならいざ知らず無国籍スラム化して混血が進んだ今の日本じゃ苗字を有した血統書つき日本人は中世の貴族のように種特権階級扱いされてる。日本人の鑑となるべく生まれたサムライが自分の父親を含む十数人の人間を大量殺戮したのだ、少年犯罪の増加による日本のイメージ低下を危ぶむ政府にとっては都合が悪いことこの上ない。しかもその動機がマスコミに流布するとまずいような種類のものであるなら尚更だ。
……ああ、そうか。
「教えて曽根崎さん」
曽根崎の首に腕を回し、口付けする体勢で顔を仰ぐ。媚びた上目遣いと甘ったるい猫なで声で媚態を演じ、片手でズボンの股間をまさぐり挑発。曽根崎の股間が反応を示し始めたのをこれ幸いと耳朶に吐息を吹きかける。
「曽根崎さんなら知ってるんでしょ?サムライがここに来た本当の理由……」
ズボン越しに太腿をさする。突然の愛撫に年甲斐もなく動揺していた曽根崎がごくりと生唾を嚥下する。情欲にぬれた目。唇が重なりそうで重ならない距離でささやけば、つりこまれるように曽根崎が息を乱しはじめる。
「サムライがここに来た本当の理由は……」
僕の言葉を復唱し、覆い被さる。囚人服の裾に手がすべりこむ。むさぼるように腹筋を揉みしだく手に湿った息を漏らし興奮してる演技をする。不器用な愛撫に励んでいる曽根崎の口元に耳を近づけ不明瞭にかすれた言葉を拾い上げる。驚愕。そして理解。意外だ、あのサムライがそんな理由で?あんな淡白な顔して、あんな清廉潔白なフリして、そんなことを……
面白い。すごく、面白い。
「あ」
僕の腰を抱きしめ、性急な手つきで股間のジッパーを下げようとした曽根崎に待ったをかける。お預けを食らわされた犬のように物欲しげな目で狂おしく見つめてくる曽根崎、その視線を絡めとり、悩殺的な笑みを浮かべる。
「じゃあ曽根崎さん、サムライの本名知ってる?」
ビバリーのパソコンで個人情報を呼び出そうにも本名を知らなければ検索をかけられない。
「ああ、知ってるさ。アイツの本名は……」
曽根崎が囁いた名前は……
ジッパーの開く金属音が響き、僕の下半身が軽々と持ち上げられる。曽根崎がことに及びやすいよう腰を浮かせて足を開きながら妙に感心する。
まったく、サムライらしい名前だ。
律動的なリズムで貫かれながら快感に朦朧としはじめた頭を回転させる。サムライの本名を餌にすれば鍵屋崎は釣れるだろうか?曽根崎の背中に腕を回してしがみついたとき、はだけて乱れたシャツの裾からはらりと紙片が舞い落ちる。鍵屋崎に破り捨てられた手紙の断片、地べたに這いつくばってかき集めてきたママの手紙の欠片。
展望台のへりに立った鍵屋崎の背中が浮かぶ。
冷酷無慈悲かつ、トンとひと突きすれば奈落の底に転げ落ちていってしまいそうに脆い均衡の上の―
『追いつめて追いつめて殺しやる』
ママのために。僕のために。
胸の内で燻り始めた火種がやがて快楽の熾火に変じて全身に散じてゆくに任せ、曽根崎の背中に強く強く爪を立てた。
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