少年プリズン

まさみ

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七十話

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 房の前でロンと遭遇した。
 ノックしようとしたら、ポケットに手をつっこみふてくされた様子で歩いてきたロンが目に入った。ロンもこちらに気付いたようで、扉の手前で立ち止まるや否や不審げに眉をひそめ、ポケットから手を引き抜く。
 「どうしたんだ?」
 「なにが」
 沈んだ顔をしていたから何の気なしに尋ねてみたら三白眼で睨まれた。どうやら相当に機嫌が悪いらしく毛を逆立てた猫のようにぴりぴりと全身殺気立っている。またレイジに寝こみを襲われたのだろうか?心中ロンの境遇に同情した僕は鼻腔をついた匂いに顔をしかめる。
 「煙草を吸ってたな」
 「吸っちゃ悪いかよ」
 ロンの囚人服に染み付いていたのは煙草の匂い。鈍感なロンは気付いてないらしいが彼よりは繊細にできている自覚がある僕には耐えられない。不可視の紫煙を払うように手を振った僕を三白眼で睨み、ロンがノブを握る。一応、その背に注意してみる。
 「刑務所内は禁煙のはずだろう」
 「そんな規則律儀に守ってる奴ひとりもいねえよ」
 鼻で笑われた。僕のほうが異常な人間みたいな言い草に反感をおぼえ、皮肉を言う。
 「僕の前では絶対に吸うなよ、将来的にきみが肺癌で死ぬのはかまわないが副流煙でぼくまで肺癌になるのはお断りだ」
 「大丈夫だよ、お前の死因は他殺だ。まわりに敵作る天才だもんな、すれ違った奴に片っ端から殺意抱かれても仕方ねえ。自業自得」
 ロンの死因はきっと肺癌だろう。
 不毛な議論に嫌気がさしていたこともあり、それから先は大人げないと自重して胸の中で反駁するに留めてロンの後に続く。一足先に房へと足を踏み入れたロンの背中を追ってレイジの房へと入る。
 「おかえりロン、面白い客つれてきたな」
 「つれてきたんじゃねえ、最初からいたんだ」
 ベッドに腰掛けたレイジが妙な顔で僕を見る。僕を扉の前に残して方向転換したロンが自分のベッドへと戻る途中、手首を撓らせてレイジに何かを投げる。天井中央の裸電球の光を受けて銀に輝いたそれは、虚空に美しい光沢を放ってレイジの手に吸いこまれる。レイジの手に目を凝らす。褐色の手におさまったのは凝った意匠のライター。
 「東の王様はライターまで所有してるのか」
 「王様は物持ちだからな」
 嘲るような口調でロンが茶化しベッドに尻を投げ出す。手首を軽く撓らせ、否定も肯定もしない曖昧な笑顔でライターをキャッチしたレイジが「で?」とこちらに視線を転じる。
 「キーストアが俺の房訪ねるなんて珍しいじゃん。何か用?」
 「友人でもないのに用件もなくきみの房を訪ねるわけがない、王様と雑談しにくるほど暇じゃない」
 とくに座れとも勧められなかったので、立ったまま話を進めることにする。ベッドに腰掛けたレイジの前に歩み出た僕は殺風景な房を見渡す。
 ベッドの配置から裸電球の位置まで僕の房と殆ど何も変わらない、既視感をかきたてられる無個性な内観。コンクリート打ち放しの床と壁は寒々しい灰色でところどころ亀裂が走っている。天井の四隅に這った配管の接合部からはぽたぽたと汚水が滴っている。
 汚水が滴る単調な旋律を背景音楽にレイジと向き合った僕はどう本題に触れたものかと逡巡するが、これ以上こうしていても埒が明かないと決断を下す。
 「きみはロンにライターを貸した」
 レイジが瞬きする。視界の隅でロンも瞬きする。藪から棒に何を言い出すんだという不審の表情をありありと浮かべたレイジを見下ろし、一息に続ける。
 「ライターを貸したということはライターを所持していたということだ。以前の君自身の発言を総合すればブラックワークの上位陣には特別待遇が約束されるらしい、強制労働の免除や上からの褒賞がそれだろう。ということはつまり、きみはライターの他にもさまざまな日用品や雑貨その他嗜好品を数多く隠し持っているということだ。房を見渡した限りではそれらしい物は見当たらないがおおかたそのベッドの下にでも隠してるんだろう、裏ルートを経由して入手した私物は看守の目が届かないベッド下に貯蔵するのが囚人間の了解になってるからな」
 「なにが言いたいんだよ」
 当惑したレイジを前に大きく深呼吸する。
 「便箋とボールペンは持ってるか」
 「?そりゃ持ってるよ、便箋とペンがなけりゃ全世界のガールフレンドにラブレター書けないじゃんか」 
 なにを今さらとカサノヴァ気取りで両手を広げたレイジと対峙し必死に頭を働かせる。この食えない男相手に何をどうすれば望みどおりの結果を引き出せるか現段階で想定されうるあらゆる可能性を考慮し、最も賢い選択をしようと頭を回転させるが考えれば考えるほど思考が入り乱れて煮詰まってくる。 
 これ以上無駄思考に時間を費やしてもきりがない。
 体の脇で拳を握り締めて決意を固め、おもいきりよく顔をあげ、真正面からレイジを凝視する。
 「ペンと便箋を貸してくれないか」
 「お前に?」
 レイジが瞬きする。次に瞼が上がったとき、精巧なガラスめいた薄茶の瞳には意地の悪い笑みが宿っていた。
 「さてはサムライだな、俺に頼ればなんでも手に入るとか吹き込んだの」
 その通りだ。馬鹿を装ってるが見かけほど頭は悪くはないらしいレイジは即座にそうと見抜くや、長い足を組んでベッドに後ろ手をつき、眉を八の字にして大袈裟に困り果てたフリをする。
 「あーあ、困ったなあ。そりゃ俺は王様だから便箋もペンも持ってっけど」
 おもわせぶりに言葉を切ったレイジがちらりと挑発的な一瞥をくれる。
 「お前に貸す理由がさっぱり見当たらねえ」
 「…………………………僕もその一点で悩んでいたんだ。友人でもない僕がきみからものを借りる理由がさっぱり無い、しかし僕と面識のある人間で便箋とペンを所持してるらしいのはレイジ、きみだけだ。たとえプライドをねじまげてでも君に頭をさげてペンと便箋を入手しないかぎり外の人間に手紙を書くという最大の目的が果たせない、以上の理由でぼくにペンと便箋を貸してはくれないか」
 「ちょっと待て、お前いつ頭をさげた?」
 ふむふむと頷きながら僕の弁舌を聞いていたレイジがハッと我に返る。三段論法を活用した婉曲表現で主旨を曖昧にしようという目論みは失敗したようだ。
 「ひとにものを頼む態度を知らないんだよ」
 対岸のベッドに腰掛けたロンがやる気なさそうにあくびしながらフォローといえないフォローをいれるが、まったく逆効果でしかない。僕としても便箋とペンを入手するにはこの男を頼るしかないと頭ではわかっているのだが、軽薄な言動が日常化し、やることなすこと本気か冗談か全く区別がつかない天性の虚言症で楽天家、おまけに終始人を食った笑顔を絶やさずにいるこの不愉快な男に自ら頭をさげるなんて屈辱的な行為はプライドが許さない。
 せめて交換条件があれば、レイジに気兼ねすることなくペンと便箋を要求できるはずだ。レイジが提示した条件を滞りなく消化し、屈辱感など味あわず、うしろめたい思いなどせずにペンと便箋を入手する方法が。
 「タダでとはいわない。そちらが何か交換条件を提示してくれれば誠意を持って呑むつもりだ、需要と供給が釣り合ってこその資本主義経済だからな」 
 「交換条件つってもなあ」
 今度は演技ではなく本気で困り果てているらしい、困惑しきった表情を浮かべたレイジがしきりに首を傾げる。
 「お前タイプじゃねえし不感症の男なんて抱いてもたのしくなさそうだし。話のタネに一回ヤッてみてもいいかなーと思わないでもないけどもし俺の超絶テクでもいかせることができなかったら自信喪失だし」
 「下品な上に下劣だな」
 辟易する。どうしてこの男はこう短絡的なことしか考えないんだ、前頭葉ではなく下半身でものを考える人間の典型だな。ベッド上で胡座をかいたロンも同じことを考えていたらしく、心底あきれた顔で横槍をいれる。
 「体以外に要求するもんねーのかよ」
 「そうだ!」
 快哉をあげたレイジが枕元をさぐり、両手に手紙の山を抱えていそいそ戻ってくる。ドサッと膝に投げ落とした手紙の山からアトランダムに一枚を選び取り差出人名を一瞥したレイジが試すような上目遣いで僕を眺める。
 「これ何語だ」 
 クイズでも出題するかの如く面白半分のふざけた言い回しを不快に思いつつ、手紙の封筒に目をやる。
 簡単だ。
 「ヒンドゥー語」
 「正解」
 人さし指の上で器用に手紙を回しながら会心の笑みを浮かべたレイジとは対照的に、背後のロンが何故か驚いた顔をする。ぎょっとして胡座を崩したロンの視線を受け止めた僕はレイジの声で我に返る。
 「キーストア、代筆やってみない?」
 「代筆?」
 手紙に埋もれてベッドに後ろ手をついたレイジがヒンドゥー語の封筒で顔を仰ぎながらうんざり気味に続ける。
 「このとおり、俺には肌の色も目の色もバラバラなガールフレンドが世界中にいる。ムショ入って何年もたつのに今でもこうして甲斐甲斐しくお手紙よこしてくれるけなげなマイ・スイートハニーズにお手紙返そうと思ってシコシコ書き綴ってたんだけど、生憎人間には限界ってもんがある。律儀に一枚一枚書いてたんじゃ腱鞘炎になっちまう。そこでだ、お前をゴーストライターに任命する!」
 「人さし指でさすな。不愉快だ」
 とはいえ、これで決まった。胸につきつけられた人さし指を慇懃無礼に払って顎を引く。
 「条件を呑む」
 「よっしゃ」
 歓喜したレイジが両手を上に挙げて手紙を降らす。滝のように降り注いだ封筒に埋もれてすこぶる上機嫌なレイジをロンがいつにも増して鋭い目で睨んでいることに気付く。口数少なく塞ぎこんだロンを訝りつつ、用件を終えて房を後にしようとした僕に声がかかる。
 「聞いていいか」
 「なんだ」
 ノブに手をかけて振り向く。
 ベッドに腰掛けたレイジが手に取った封筒に口付けながら言う。
 「だれに手紙を書くんだ?」
 彼には珍しく純粋な好奇心に端を発したのだろう裏のない質問に、しかし、周章狼狽する。
 頭に思い浮かぶのは恵の顔、冷たい雨に打たれながら泣き叫ぶ恵の顔。
 『おにいちゃんが死ねばよかったのに』
 「―大事な人だ」
 それだけ答え、逃げるようにノブを回し、扉を閉める。追い立てられるように廊下を歩きながら脳裏で今の言葉を反芻する。大事な人。大事な家族、大事な妹。僕がただひとりこの世で大事だと思える他人、精神的に縋っているかけがえのない存在―譲れないもの。
 
 でも。
 そう思ってるのは僕だけじゃないか?
 僕から手紙がきても、恵は迷惑なだけじゃないか?


 「そんなことはない」
 足早に僕を追い立てるのは今まで封印してきた罪悪感だろうか、膨れあがる一方の模糊とした不安だろうか。手紙を受け取った恵はどんな顔をする、どんな反応をする?僕はまた一方的に自分の気持ちを押し付けようとしてないか?恵のためによかれと思ってしたことがこれまですべて裏目にでてきたように、今度もまた同じ過ちをくりかえすんじゃないか。
 ―だめだ、まただ。また思考の泥沼に嵌まりかけている。サムライとのあの一件からできるだけ恵のことは考えないよう避けてきたのに恵のことを考えだすと止まらない。
 元気にしてるのか、体の調子はどうか、食事はちゃんととっているのか?
 恵のことが知りたい、遠く離れた仙台の小児精神病棟で今どうしているか知りたい。
 ただそれだけなんだ。
 ……いや、違う。そうじゃない。どんなにそれらしい詭弁を弄したところで本心まで偽れない。
 本当は、僕が手紙を書く本当の目的と動機は。
 『おにいちゃん』
 恵の笑顔が脳裏に浮かぶ。もう二度と僕に向けられることのない、永遠に失ってしまった……
 壁をぶつように拳を預け、顔を伏せ、呟く。
 「手紙くらい、いいよな」
 いいよな?恵。 
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