少年プリズン

まさみ

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六十四話

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 通常強制労働は朝6時から夜6時までの12時間と決まってるが、この日だけは特別。
 強制労働は午後3時で切り上げられ囚人たちはバスに鮨詰めにされてそれぞれの部署から戻ってくる。そっから先の進路は二通りに別れる。房に戻るか中庭にでるか廊下をぶらつくかして暇を潰す奴らと看守によばれて中央棟の視聴覚ホールに出張する奴ら。
 東京プリズンの地理について説明しとこう。
 東京砂漠のど真ん中に建つこの刑務所は奇奇怪怪にこみいった構造をしている。まるで迷路だ。核をなすのは東西南北に配置された四つの棟でそれぞれ東棟・西棟・北棟・南棟という面白みのないネーミングで呼ばれてる。過去、それぞれの棟は渡り廊下でつながれていたが俺がここに入った時にはすでに渡り廊下は封鎖されて棟同士の行き来はできなくなっていた。
 べつにコンクリートで塗り固められてるわけじゃないが、有刺鉄線のバリケードが二重三重に張られているため手の皮がやぶけるのを承知でバリケードを乗り越えないかぎり渡り廊下から隣の棟には行けないわけだ。
 なんで渡り廊下に有刺鉄線なんて物騒なもんが張られてるのか最初は疑問だったがすぐに謎は解けた。
 「棟同士の抗争だよ」
 入所して間もない俺が渡り廊下が封鎖された理由を訊ねたら、レイジはこともなげにそう言った。
 「東京プリズン創立当時から棟同士の仲が悪かったのは聞いてるだろ。隣り合った棟は殆ど戦争状態でその激戦区になったのが渡り廊下だ。渡り廊下じゃ毎日のように対立する棟同士の小競り合いが繰り広げられてどうかすると二桁の死傷者がでることもあった。だから『上』の人間は手を打ったわけだ、渡り廊下を封鎖して行き来を禁止しちまえば流血騒ぎもおきねえだろうって」
 そんなわけだ。
 実際それは名案だった。俺たち囚人はまず自分の棟からでることはないし渡り廊下がふさがれても殆ど不便は感じなかった。
 でも、封鎖された渡り廊下とはべつにもうひとつの渡り廊下がある。東西南北どの棟からも等距離にそびえる中央棟へと通じる渡り廊下で、こっちは今でも頻繁に使われている。中央棟には図書室と視聴覚ホールと医務室がある。刑務所に入ってから読書に目覚めた囚人や怪我をした囚人はこの渡り廊下を通って中央棟に行く。棟同士が直接つながる渡り廊下では火種が絶えなかったが、中央棟ではその心配もない。看守が常駐してる図書室で喧嘩をおっぱじめるような馬鹿な囚人はさすがに東京プリズンにもいない。
 軽い見かけに反して読書家のレイジは三日と空けずに図書室に通っているが、俺は図書室に足を運ぶことはあまりない。医務室に行く頻度はもっと減る、ここじゃ大概の怪我は「唾つけときゃ治る」程度のかすり傷と見なされるのだ。
 残るひとつ、視聴覚ホールは特別なイベントの時だけ開放される。くそつまんねえ映画の鑑賞会や新入りの配属先一覧表公開。
 そして、三ヶ月に一度の今日この日だけ。
 最もすべての囚人にお呼びがかかるわけじゃない。現にレイジは呼ばれて俺は呼ばれなかった。くそ。
 
 房をでたときから空気が浮ついてるのがわかった。
 廊下にたむろった囚人が変にそわそわとしている。落ち着きがねえ。ズボンのポケットに手をつっこんで憤然と歩き出す。すれ違う囚人の表情は二種類、不機嫌そうな仏頂面とほくほくと幸せそうな笑顔。前者の囚人は異常にぴりぴりして、肩が触れた触れないのささいないざこざが殴り合いの喧嘩に発展してる。ほくほくと幸せそうなツラの囚人はその反対、すれ違ったときおもいきり肩がぶつかろうが故意に肩をぶつけられようが「ああ、わりいわりい」と愛想よく返している。
 嬉しそうなツラをした囚人の手には決まって手紙が握られていた。多い奴で十通、少ない奴は一通、平均して二・三通。手紙を持った囚人は中央棟の方角から流れてくる。その流れに逆らうように早足で歩き、階段をおり、踊り場で立ち止まる。踊り場の窓をのりこえ、ひょいと外にでる。
 墜落の心配はない。外にはちゃんと固い地面がある……が、ここは一階じゃない。位置的には三階と二階の中間にあたるのだろうか。2・5階の踊り場の窓にはガラスが嵌まってない。窓の下の床は長年風雨にさらされつづけて変色している。暴れて頭から突っ込んだ囚人がガラスをぶち破って以降この状態で放置されているのだ。東京プリズンに何百何千と存在する抜け道・裏道のひとつだ、別段目新しくもなんともない。東棟の囚人で知らない奴のが少ないだろう。
 2・5階の踊り場の外にはコンクリートの展望台がある。展望台ってのは俺たちが勝手に呼んでるだけで実態は下層階の壁の出っ張りだ。収容人数の増加に伴う下層階の拡張工事のせいで二階より下の壁は出っ張ってて、つまりはその出っ張りが2・5階の踊り場と接してるわけだ。まったく変な造りの刑務所だ、九龍城かよ。
 通称展望台とよばれるコンクリートの突堤の向こうには広さだけは十分な中庭が広がってる。見晴らしはいい、バスケットボールを追っかけて走り回ってる囚人どもを一望するには絶好のポイントだ。それに2・5階の高さがあれば多少は風も感じられる、涼むにはもってこいだ。
 展望台にはすでに先客がいた。おれとおなじく視聴覚ホールにお呼びがかからなかった奴らだろう。憮然とした面でだまりこみ、お互い距離をとって展望台に散ったガキどもの間を突っ切ってコンクリートの先端をめざす。もちろん、囚人が立ち入ることを想定してなかったわけだから手摺なんてご大層なもんはない。展望台の先端はそのまま垂直に切り立っている。
 コンクリートの絶壁。
 絶壁の縁に腰かけ、宙に足をたらす。ポケットに手をやり、煙草をくわえる。この前廊下に落ちてた煙草だ。しけてないしまだ吸える、はずだ。煙草は味もろくにわかんないガキのころに吸ったきりだ。いつもはべつに吸いたいともおもわないが、気分がむしゃくしゃした時には無性にニコチンが恋しくなる。惜しむべくはここにライターがないことだが……
 指の間に煙草をはさんでため息をつく。せっかく持ってても吸えないんじゃ宝の持ち腐れだ。レイジが房を出る前にライターを持ってるかどうか聞いとくべきだった、東棟の王様はなんでも持ってるしな。
 口寂しいから火のついてない煙草を口に挟み、後ろ手をついて空を仰ぐ。砂漠はいつもいい天気だ。だだっ広く、はてしがない。この砂漠の遥か彼方に俺の産まれた池袋があって俺を産んだおふくろがいて―……
 「ここは禁煙だぞ」
 俺の感傷をぶち壊したのはクールな声。
 後ろ手をついたまま振り向くと背後に鍵屋崎が立っていた。小脇に本を抱えてるところから察するに静かに読書できる場所をさがして展望台にまでやってきたのだろう。
 「図書室に行きゃいいだろ」
 「騒がしくて落ち着かない」
 たしかに。図書室で行儀よくできない連中はガキ以下だが、ここの囚人はそんな奴ばかりだ。……ちょっと待て。
 「房に帰れよ」
 「……………」
 本を借りてきたんなら自分の房でゆっくり読めばいい、なにも展望台にくることはない。
 「なにか房に帰りたくない理由でもあんのかよ。サムライと喧嘩したとか」
 「変に勘繰らないでくれ、僕が房に帰りたくないのは『奴』がでたからだ」
 「やつ?」
 口から煙草を外し、鍵屋崎を仰ぐ。無言のまま俺の隣に腰掛けて本の表紙を開き、鍵屋崎が言う。
 「クロゴキブリ 学名Periplaneta fuliginosa ゴキブリ科 分布:全国 体長:30~35mm 特徴:本州では最も代表的な家屋性害虫種。ただし、南方ではコワモンゴキブリやトビイロゴキブリ等の方が優勢らしい。若齢幼体時は黒い体色で、中胸部全体や触覚の先端が白く、腹部にも一対の白い斑紋がある。成長とともに赤褐色になり、白い部分は目立たなくなる。成虫は全身黒褐色。いうまでもなく雑食性」
 「ゴキブリか」
 納得。ここにきてずいぶん経つ俺はいまさら房にゴキブリがでたくらいじゃ驚かないが、まだ二ヶ月しかたってない鍵屋崎は慣れないだろう。潔癖症だしなコイツ。
 「ゴキブリ怖さに逃げ出してきたわけか。ご愁傷様」
 気のない声でイヤミを言った俺にはまるで注意を払わずページをめくる。相変わらず無愛想な奴だな、会話が成立しねーじゃんか。あきれながら鍵屋崎の右手薬指に目をやる。腫れはだいぶひいていた。読みやすいよう本を支えることができるくらいだからもう殆ど日常生活に支障はないだろう。 
 つまらなそうに本の活字を追ってる鍵屋崎の横顔をちらりと眺め、コイツが隣にきたときから気になってたことに探りをいれる。
 「お前にはきてねーの、手紙」
 「だれからだ」
 「家族とかよ」
 友人はないだろう。絶対。
 「答える義務がない」
 本から顔をあげた鍵屋崎が迷惑そうに俺を見て吐き捨てる。
 「きてないんだな」
 「黙秘権を行使する」
 「俺もきてねーよ」
 「だからどうした?」
 「どうもしねえけどさ」
 パタン。
 拍手を打つように本を閉じ、くるりと俺の方に向き直る。眼鏡越しの双眸に
 「仮に君とおなじように身内からの手紙が一通も届いてないからといって、それがどうだというんだ。きみだって自分がどうしてここにいるか忘れたわけじゃあるまい、僕らは懲役刑に処された犯罪者なんだぞ。きみの場合被害者の遺族から糾弾の手紙が届くことはあっても身内からいたわりの手紙が届くわけがないじゃないか。もちろん僕もそうだ、僕の場合被害者は両親だから遺族からの抗議文イコール身内からの手紙になるわけだがそれもない、一通もない。だからなんだ?それがどうした?それだけの接点で妙な親近感を抱いて馴れ馴れしく口をきかないでくれ、気色が悪い」
 「これ以上読書の邪魔をするな」といわんばかりの刺々しい口調だった。一緒にムショ入りしたダチが死んでから性格まるくなったと思ってたけど前言撤回、全然変わってねえ。どころか、ますますひねくれてるじゃねーか。
 はげしい徒労感に襲われてため息をついた俺は、指の間に預けた煙草をふたたび口にもっていきかけ、鍵屋崎に睨まれる。
 「同じことを二度繰り返させる気か?」
 「禁煙なんてだれが決めたよ」
 「僕だ。副流煙は体に毒だ、肺がん発生率が上がる」
 「ほんとに自分のことしか考えてないんだなお前。てか、そんなにいやなら俺の隣にくるなよ。どっか他いけよ」
 「断る」
 「なんで」
 「ここがいちばん日当たりがいい。本を読むのにちょうどいい角度で陽射しがあたるんだ」
 議論を続ける気力が尽きた。鍵屋崎は頑固だ、自分の主張を譲る気はこれっぽっちもないらしい。指に煙草を挟んだまま、ほかにやることもなく空を見上げる。
 快晴の空。雲ひとつない青―
 「サムライはどうしてる」
 「房にいるんじゃないか」
 「アイツも手紙きてねーの?」
 「そうらしいな」
 「ふうん」
 サムライは俺がくる前からここにいる。レイジと同じかそれ以上の古株に入るだろう。長年服役してる囚人には手紙もぱたりと絶えて届かないというがサムライもそのクチだろうか。最もサムライの場合、鍵屋崎とおなじで親を殺してるから娑婆の身内からの心あたたまる手紙がこなくてもむりはない。
 話のタネも尽きた。鍵屋崎は読書に集中してる。暇をもてあました俺が大口あけてあくびしかけたその時だ。
 「ん?」
 中庭の一隅に目を凝らす。
 中庭の端っこで仲間を集めてなにやら話しこんでるのは凱だ。なにかと俺を目の敵にしてつっかかってくる面倒くさい囚人。自分の顔の前に取り巻き連中を招き寄せ、手にした手紙をいそいそと開き、俺が見たこともないようなデレデレしたツラで何かを喋っている。
 「女か?まさかな」
 「なんだ?」
 「あれ」
 顎をしゃくる。凱を発見した鍵屋崎の顔がそれこそゴキブリを踏んづけたようにしかめられる。視線の先には満面笑顔の凱。
 「気味が悪い」
 「だろ」
 「凱には手紙がきたんだな」
 「らしいな」
 なんとなく顔を見合わせる。気まずい沈黙。
 鍵屋崎は軽く咳払いしてページをめくり、俺もそっぽを向く。
 互いの目を見ただけで言いたいことがよくわかったからだ。
 意訳。
 凱のような最低野郎にさえ娑婆からの手紙が届いたというのに、俺たちに手紙がこないのはいくら自業自得とはいえ自尊心の危機。
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