少年プリズン

まさみ

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六十二話

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 あーそう、やっぱこうなるわけね。
 「………安っぽいソープオペラ」
 くちゃくちゃガムを噛みながら失笑する。鉄扉にもたれてうずくまった僕は中の様子に聞き耳を立てていたが、事態はおもわぬ方向に転がったらしい。強制労働を終えて房に帰る途中サムライの房で騒ぎが持ち上がったと小耳に挟み、どれどれと様子窺いに出向いてきたんだけどとんだ茶番だった。房から締め出された口汚く毒づきながら去っていったあともただひとり廊下に残り、鉄扉に耳を付けて痴話喧嘩を盗み聞きいてたんだけど……
 こんな安っぽいソープオペラいまどき流行らないよ。鍵屋崎も鍵屋崎だ、やっぱり日本人は腰抜けだ。サムライの檄にびびって首吊るのをやめるなんて肩透かしにもほどがある。鍵屋崎が首吊る瞬間をこの目でばっちり見届けようとわくわくしながら格子窓の内側を覗いていたのにさ、ちぇっ。
 舌でこねたガムに空気をいれ、風船のようにふくらます。白い膜が膨張し、最高点でぱちんとはじける。あっけない。この刑務所じゃガムだってひそかに横流しされてる垂涎の的の嗜好品だ、僕が今噛んでるガムはパトロンの看守からもらったものだ。名前は忘れた、平凡な顔だちの冴えない中年男だけどどうやら僕にご執心のようで、口うるさい同僚やほかの囚人の隙を盗み見てはたびたびプレゼントをくれる。
 下唇にへばりついたガムを指でひきはがしにかかりながら考える。
 友達?ばっかみたい。
 友達なんて足手まといになるだけじゃないか、鍵屋崎にとってのリュウホウしかり。友達なんていなくても僕は生きていける、どんな手をつかっても生き残ってみせる。他人をだまし蹴落とし利用し、今の今までそうやって生きてきたんだから僕は。
 まあ、「きみは僕の友達か?」の問いにサムライが「YES」と答えなくてよかったと思うよ。鍵屋崎の性格じゃそれこそ反感をおぼえてサムライの手を払いのけかねない。ほんと損な性分だね、あいつ。ひねくれてるにもほどがある。
 でも結果的に、サムライは賭けに勝った。僕がとことんまで追いつめた鍵屋崎に自殺をおもいとどらせて少しでも前向きな方向に軌道修正したんだからたいしたもんだ。あっぱれお見事、さすがサムライ。僕はつまんないけどね、首を吊る鍵屋崎が見れなくて。
 さて、いつまでも油を売ってるわけにはいかない。これ以上おもしろいことは起こりそうにないし看守やその他の囚人に不審がられるまえに退散するにかぎる。尻を払って立ち上がり、スキップを踏むような足取りで廊下を去りかけた僕のうしろで鉄扉が軋り、開き、低い声がする。
 「待て」
 でたらめな鼻歌をやめてぴたりと立ち止まる。
 廊下の真ん中で停止した僕の背に押し寄せてきたのは抑制された殺気と凄まじい存在感。振り向くまでもなくわかる、背後に佇んでる人物がだれか。
 「盗み聞きしてたのばれちゃったか」
 お茶目に舌をだして振り向く。背後にサムライがいた。右手には木刀をさげている。
 「いつから気付いてた、外に僕がいるって」
 「最初からだ」
 「最初から?」
 目をまんまるくし、大袈裟に驚いてやる。
 「最初から僕に聞かせるつもりであんなクサイ痴話喧嘩演じてたわけ?ごちそうさま」
 皮肉げな口調で揶揄してやるがサムライは動じない。声を荒げて怒るでも羞恥に顔を染めるでもなく、右手に握り締めた木刀の先端をぴくりと動かしただけだ。
 キチガイに刃物、サムライに木刀。ぞっとしない組み合わせだ。
 「勘違いしないでよ」
 いつ木刀の切っ先が跳ね上がって僕を急襲しても対処できるように警戒しながら口を開く。
 「僕は盗み聞きだけが目的でわざわざ出張してくるような暇人じゃない」
 「ではなんだ?」
 「鍵の使い心地が聞きたかったのさ」
 肩をすくめる。
 「どう、僕が工夫した鍵はうまく使えてる?けっこー苦労したんだよアレ、鍵穴にあわせるのにさ。先端をこうちょいちょいと捻ってヤスリで削って、けっこー時間かかってるんだ」
 僕の言い分は100%ウソじゃない。たしかにサムライの房に足を向けたのは鍵屋崎の自殺騒ぎに野次馬根性をかきたてられたからだが、残り20%か15%くらいはこのまえサムライに渡した即席の合鍵がちゃんと機能してるか気になっていたのだ。片手をポケットにもぐらせ、先端がねじれた細長い針金をとりだすサムライ。
 「申し分ない」
 「そうか、それはよかった」
 感情を欠いたサムライの賞賛に会心の笑みを浮かべる。もちろん、囚人に合鍵が配布されるわけがない。房の鍵は内側からのみかけられるようになっていて、外から開けるのは僕みたいな特殊技能の持ち主でもないかぎり不可能だ。各房の鍵の束を腰にぶらげた看守以外、外側から房の鍵を開けることはできない。仮に同房の囚人がさきに帰還して内側から鍵をかけたとしたら、残るひとりは中の囚人が気付くか目覚めるかするまでずっと待ち惚けをくらわされる羽目になる。だから僕みたいな商売が儲かるわけだけどね。
 「しっかしやさしいね、サムライは。それよか過保護って言ったほうがいいかな」
 挑発的な口調で皮肉ってやると、サムライの眉間にうろんげな皺が刻まれた。怪訝な顔をしたサムライを愉快な気分で眺め、続ける。
 「鍵屋崎が寝てるなら扉をガンガン叩いて起こせばいいのに、あえてそうせずにこっそり僕から借りた鍵でドアを開けて房に入るなんてやさしすぎ」
 僕がサムライに頼まれて鍵をつくってやったのは一週間前だ。強制労働後は真っ先に房に帰り着いていることが多い鍵屋崎は、ここにきた当初のように囚人に襲われるのを警戒して必ず扉に錠をおろすようになった。困ったのはサムライだ。強制労働で疲れきり、精神的にも参っている鍵屋崎は房に鍵をかけたままぐっすり寝込んでいるのが常で、その間サムライは廊下で待ち惚けをくらうことになる。
 相棒が熟睡中で房に入れないならガンガン扉を叩いて起こしてやればいい。僕もビバリーが房に鍵をかけてたらそうするし、他の囚人だってそうするだろう。
 でもサムライはそんな荒っぽいやり方は好まず、僕から借りた鍵でこっそり扉を開けて房に入ることを選んだ。すべては鍵屋崎の睡眠に配慮した結果ーいや、それよりも鍵屋崎の寝言を聞くまいと己に課した誠実な誓いからか。
 反吐がでるね、まったく。
 「きみみたいな人なんてゆーか知ってる?」
 舌でこねたガムに空気をいれてふくらます。まるくふくらんだ風船ガムの向こうにサムライがいる。
 「お人よし」
 「リョウ。お前、鍵屋崎になにをした」
 「べつになにも」
 ぱちんと風船がはじけ、唇にガムがへばりつく。粘着質のガムをひきはがしにかかりながら、サムライを苛立たせるのを承知で笑い声をたてる。
 「ただ、アイツのことが気に食わなかっただけ。廊下ふらついてるところをつかまえて口移しで変なクスリ飲ませたりサディスティックに言葉責めしたりちょーっといじめすぎちゃったかなって思わないでもないけど」
 横隔膜をくすぐられてるように愉快な気分で笑い声をあげつづけていると、サムライの目がスッと細まり、眼光が針に変じた。ひきはがしたガムを指でこねて口に含み、顎を動かして咀嚼しながら、同意をもとめるように微笑する。
 「それしきのことで自殺するならそれまでの人間だったと思わない?鍵屋崎は」
  
 風が吹いた。

 頬を掠めた烈風の正体は肉眼ではとらえられない速度でサムライが抜き放った木刀だ。途中までふくらんでいた風船ガムが横面を叩いた風圧にぱちんとあっけなくはじけ、木刀が掠った頬に摩擦熱を感じる。
 「……わーお」
 泡沫のようにはじけたガムを顎を上下させて咀嚼し、飽きたように足もとの床に吐きすてる。床に付着したガムを足裏で踏みにじりながらサムライを見上げる。気弱な奴ならちびってもおかしくない眼光と木刀の切っ先までみなぎった凝縮された殺気。
 「怒った?いつもクールを気取ってる寡黙なサムライも同房の相棒のこととなるとムキになるんだね。それともなに、鍵屋崎に気でもあるのかな。難儀な恋だね、あんなカタブツメガネに惚れたら痛い目見るよ。だいいち不感症の男を抱いても面白くな……」
 「勘違いするな」
 手首をかえし木刀をひねり、切っ先で僕の顔を上げさせたサムライが釘をさす。
 「俺はただ、気に食わないからという愚にもつかん理由で人をおいつめる人間が好かないだけだ。おまえのようにな」
 「ひとの命を粗末にするなって?自分の親父まで殺した大量殺人犯のくせによく言うよ」
 床に付着したガムを蹴りつけながら、威勢のいいサムライをコケにするように笑ってやる。
 「その木刀を真剣に持ち替えて何人殺したの?道場は血の海だったんでしょ、死体がごろごろしてたでしょ。そんな地獄を見てきたくせに同房の腰抜けがいまさら首を吊ったくらいでみっともなく狼狽するわけ。ずいぶんと繊細な感受性をお持ちあわせのことで」
 「だからこそだ」
 断固としてサムライが言い、苦渋に顔を歪める。
 「俺はもう身の周りの人間が死ぬのを見たくない。とくに、首を吊る姿は」
 木刀を握り締めた手に異常な力がこもり、切っ先で起こされた顎にまでかすかな震えがつたわってくる。ガムを踏みにじるのをやめ、あらためてサムライを見つめる。針のように鋭い眼光がちりちりと揺れ、眉間に苦い皺がよっている。
 サムライがこんな顔をするのは珍しい。
 もともとが感情の起伏にとぼしい無表情な奴なのに僕と相対したサムライはなにを思い出しているのか、堪えきれないものを堪えるように唇を一文字に引き結んでいた。その鋭さで相手はおろか己自身まで傷つける刃のような両刃の眼光。
 「大事なひとに首を吊られたことがあるの?」
 一瞬、サムライの目に動揺が走った。
 サムライの双眸をかすめた動揺の波紋はすぐに無表情の仮面の下に隠れて見えなくなったが、スッと引かれた木刀と伏せたまなざしがなによりも雄弁に真実を物語っていた。
 「行け」
 興味が失せたように木刀を引き、僕から顔を背けてサムライが命じる。無造作に顎をしゃくられ追い立てられた僕はその場で軽快にターンして歩き出す、と見せかけて立ち止まる。
 「僕が手をだせないようにきみが守ってやんなよ、アイツを」
 物問いたげなまなざしを背中に投げかけてきたサムライを振り向き、唇を笑みの形に歪めて挑発する。
 「トモダチなんでしょう」
 守り抜けるものなら守り抜いてみせろよ、最後まで。
 宣戦布告ともとれる僕の発言を一歩もひかずに受けたサムライが右手に掴んだ木刀を横薙ぎに振り、風を起こす。木刀の一振りで巻き起こった風が前髪を舞い上げ、囚人服の裾をはためかせる。
 「言われずとも心得ている」
 木刀の向こうにいたのはどこまでも冗談の通じない、真面目でカタブツな武士。
 切腹に挑むかのように厳粛な面持ちで誓いを立てたサムライに背を向けて歩き出した僕は、自分の房へと通じる角を曲がってしばらく歩いたところではたと立ち止まり、右の袖口に目をおとす。
 囚人服の袖口がハサミをいれたようにすっぱりと切れていた。
 「カマイタチかよ」
 日本にはそんな妖怪がいるらしい。サムライはカマイタチの化身なのだろうか。だから僕に気付かれることなく木刀の一振りで風を巻き起こすことができた?剃刀のような切れ味の木刀で袖口を切断することができた?ばからしい。
 とはいえ、もしあの木刀が袖口ではなく首をかすめていたらと考えると背筋が薄ら寒くなる。
 鳥肌だった二の腕をさすりながら小走りに房へと戻る。案の定鍵かかっていたんでガンガンと蹴飛ばす。まもなく鉄扉が開き、ビバリーがひょこりと顔をだした。
 「蹴らなくてもわかりますよ、アングラエロ画像サイトサーフェインしてたのにジャマしないでくださいよ」
 「そう?ごめんね」
 不満げに口をとがらせたビバリーをおしのけて房に入ると、案の定でベッドの上ではパソコン画面が輝いていた。青白く発光するパソコン画面から自分のベッドへと目を転じる。枕元にちょことんと腰掛けたテディベアを抱き上げ、ベッドにごろりと横になる。
 「で?さっきの騒ぎはなんだったんすか、ご近所さんがみんなして廊下を走っていきましたけど」
 「ああ、たいしたことじゃない。鍵屋崎が首を吊ろうとしたんだって」
 「……たいしたことっスよ」
 「そう?」
 テディベアの腕を持ち上げていじくりながら生返事をかえすと、パソコンからはなれて膝這いに床をにじりよってきたビバリーが僕のベッドに顎をのせる。
 「で、どうなったんスか」
 不安げな面持ちでのぞきこんきたビバリーをちらりと流し見て、心の底から残念がってみせる。
 「鍵屋崎の腰抜けってばサムライに説得されてしおしおしおれちゃって首吊り自殺はとりやめ」
 「よかった……」
 「拍子抜けだよ」
 安堵に胸をなでおろした根はいい奴のビバリーが僕の呟きを聞きとがめてぎょっとする。化け物でもみるかのような畏怖のまなざしをむけてきたビバリーをごろんと寝返りを打って仰ぎ、頬杖ついてほほえむ。
 「鍵屋崎が死んだらメガネをもらう予定だったんだ」
 「メガネを?」
 「死体にメガネは必要ないっしょ。この刑務所のやつでメガネしてるやつ少ないし、度がかち合う囚人をさがして売りつけてやろうかなってたくらんでたんだけど水の泡さ。弦は分解して耳掻き棒にすりゃあいいしけっこー使いがっていいんだ。あーあ、鍵屋崎が死んでたらメガネゲットできたのになあ」
 「リョウさん」
 「なあにビバリー」
 「あんた最低だ」
 テディベアを高い高いしながらビバリーに向き直る。辟易したような表情のビバリーを上目遣いにさぐり、不敵に笑う。
 「ありがとう」
 最高の褒め言葉だ。
 ここじゃ最低にならなきゃ生き残れない。最後まで生き残る秘訣は最低の人間に成り下がることなのだ。
 処置なしとかぶりを振って引き下がったビバリーをよそに膝の反動で起き上がり、テディベアの懐をまさぐる。敏感な触覚が異物をさぐりあてる。テディベアの横っ腹、目立たないように存在する手術痕に指をもぐりこませて中からとりだしたのはセロハンにつつまれた白い粉末と注射器。
 洗面台まで歩き、注射器に水を汲む。注射器に組んだ水に白い粉末を溶かしてしばらく待つ。ベッドに腰掛けて袖をめくる。キスマークと見紛う赤い斑点が無数に散った青白い腕、典型的なヤク中の腕。深呼吸して注射器の針を腕にあてがい、ポンプをおしこむ。ほどなく覚醒剤がめぐりだし、陶然とした恍惚感におそわれる。
 「信じられねっスよ。そのテディベア、リョウさんのママから贈られた思い出のブツなんでしょ?ふつー思い出のブツの腹の中にヤクを仕込みますかね」
 ほとほとあきれたといった風情で、目にもとまらぬ指わざでキーを操作しながらビバリーが嘆く。
 「しかたないでしょ、ここがいちばん安全なんだ。テディベアのはらわたに覚醒剤と注射器が仕込まれてるなんて誰も思わないし」
 ふと視線を感じて隣に目をやる。僕の隣にちょこんと座ったテディベアが、つぶらな目で何かを訴えかけている。
 『リョウちゃん、どうしてそんな悪い子になっちゃったの』
 愛くるしい目に映りこんだのは覚醒剤の恍惚感に浸りきり、弛緩しきった僕の顔。飽和しきった目。
 テディベアの方に上体を倒し、機嫌をとるようにその額にキスをし、呂律の回らない舌を動かす。

 「I'm sorry a mom.I love you.」 
 (ごめんねママ。
  でも、愛してるよ)

 酔っ払ったような呟きに、テディベアは哀しげな目をした。 
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