少年プリズン

まさみ

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五十七話

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 「座ったらどうだ」
 安田が背広の内ポケットを探る。シャベルを放棄して突っ立ったままでいると不審げな目で一瞥された。安田の命令にしたがうのは癪だが容赦なく照りつける太陽と砂漠の熱気に音をあげ、砂丘の中腹に腰をおろす。銀縁眼鏡越しの視線を眼下に一巡させつつ内ポケットから煙草の箱を取り出す。男にしておくのが惜しいような細長い指に煙草を摘み、見るからに高価そうな銀の光沢のライターを押しこもうとして僕を振り向く。
 「なにを見ている?」
 「煙草吸うんですね」
 意外だ。潔癖な印象の安田に喫煙の習慣があるなんて。 
 軽い驚きとともに安田の手元を見つめている僕の視線にばつの悪さをもよおしたのか、神経質な手つきでライターをもてあそびながら安田が言う。
 「きみも吸うか」
 正気かこの男。
 よりにもよって強制労働中に副署長の立場にある人間が囚人に喫煙をもちかけてくるなんて規律違反もはなはだしい。東京プリズン入所初日に出会った安田はなにより規律を重視する厳格なエリートに見えたが買いかぶりだったのだろうか?自然、咎めるような目つきをしていたらしい。僕の方へとライターをさしむけた安田が何事もなかったように煙草に火をつける。
 「冗談だ」
 真顔で冗談を言うな。
 という言葉が喉まで出かけるがぐっと飲み込む。煙草の穂先に橙色の光点がともる。風に吹かれた紫煙が顔の方に流れてきて小さく咳き込む。デリカシーのない人間はこれだから困る、いや、囚人を同等の人間と認めてないからこそ堂々とエチケット違反ができるのだろうか。顔の前に漂ってきた紫煙を手で払い、シャベルを手にして腰を上げる。シャベルをひきずって安田を迂回、紫煙の流れてこない風上へと移動する。よし。
 安田は何も言わず煙草を吸っていた。背後に腰をおろした僕を振り向く気配もなく、砂丘の中腹に佇んで荒涼たる眺望を見下ろしている。乾燥した風が気まぐれに吹きすさび、黄土色の砂を舞い上げてゆく。砂に穿たれた無数の穴の周縁で不規則に立ち働いているのは芥子粒のような人影。手に手にシャベルや鍬をふるい、怒声をはりあげる看守の指示の下、ふたりがかりでリヤカーを押している。
 ジオラマのような砂漠の遥か彼方に目を馳せる。
 砂漠の遥か彼方、地平線と空が接するあたりに浮かんでいるのは廃墟のような高層ビル群。蜃気楼だろうか?蜃気楼の出現条件がそろえば日本の東京でも見えなくはない。網膜に像を結んだ映像が蜃気楼か現実か、目を細めて確かめようとした矢先に安田が呟く。
 「新宿だな」
 いつのまにか安田もぼくと同じ方向を向いていた。
 たしかに、距離と方角から目測してあのビル群は新宿にあるのだろう。現実だったのか、この光景は。それにしてはいやに現実感が希薄だ。無国籍スラム化した都心には地震で崩壊したまま手付かずで放置されているビルが多数存在するというが、僕が見ているのもその一部だろう。
 「ちなみに世田谷はあちらだ」
 形よい顎を振り、あさっての方角を向く安田。
 「聞いてません」 
 調書を読んだのなら僕の家の所在地を知っててもおかしくはないが、だれも教えてくれなんて頼んでない。余計なお世話だ。第一、僕が十五年を暮らした世田谷の家には現在だれもいないのだ。僕が両親を殺して逮捕されたあと恵は叔母の家に預けられることになった。
 恵のいない家になど何の未練もない。
 「ここでの生活には慣れたか」
 熱のない口調で世間話を振ってきた安田に不信感がいや増す。なにを企んでるんだこの男は、刑務所上層部の人間が一介の囚人にすぎない僕に接触してきた理由はなんだ?
 「慣れなければ今頃首を吊ってたでしょうね」
 リュウホウのように。
 「安易な選択は勧めない」
 紫煙の向こう側で安田が言う。
 「きみは両親を刺殺して東京少年刑務所に収監される運びになったが一日一日を真面目に務め上げれば明けない懲役などない。それがたとえどんな環境であっても慣れるのはいいことだ、慣れれば考える時間もでてくる。自分が犯した罪を反省して悔やむ余裕も」
 「悔やむ?」
 鸚鵡返しに声をあげる。
 「この刑務所の連中が本気で罪を悔やんでると、そう考えてるんですか」
 笑い声でもあげたい気分だ。もし本気でそう考えているのなら僕は安田に対する評価を下方修正しなければらない。
 「悔やまない者もいるだろうが、悔やむ者もいる」
 否定とも肯定ともつかない意見を述べた安田の目が少しだけ光る。罪を犯した人間の本心を暴きたてんとする司法の犬の目。
 「きみはどうだ?両親を殺したことを悔やんでいるか」
 口先だけでも「はい」と言うべきなんだろうか。それが正しいのだろう、正しかったのだろう。
 「いいえ」
 安田の表情が若干厳しくなる。
 「きみはIQ180の天才児なんだろう、嘘でもいいから『はい』と答えたほうが穏便におさまるとは考えなかったのか」
 「貴方に嘘をつくのは賢いとは言えない」
 錆の浮いたシャベルを見下ろしながら淡々と説明する。
 「もうほとんど見分けがつかなくなってる瞼の傷を目敏く指摘するような洞察力の持ち主たる貴方のことだ、もし僕が『はい』と答えたとしてもごく些細な表情の変化や目線の向きから本心を悟られる危険がある。『反省してるか』の問いに『はい』と即答してそれが心にもない嘘だとばれれば心証はなおさら悪くなる。それよりは率直に本心を述べたほうがいくらかマシだ」
 今の僕の体調は万全とはいえない、完璧に嘘をつきとおせる自信もない。だから効率論を重視した安全策をとった、それだけだ。
 「どうでもいいが」
 事務的にしゃべっていた安田が初めて感情を覗かせる。あきれを通り越して感心に至ったような、複雑な感慨が滲んだ口ぶり。
 「きみは敬語のほうがより人を馬鹿にしてるように聞こえるな」 
 舌打ち。
 説明の途中で敬語を忘れかけていたことに気付く。物心ついたときから父には敬語を使っていた、敬語を使いながら心の中では馬鹿にしていた。その時のクセがいまだに抜けないのだ。
 安田は背広のポケットに手をもぐらせ、ピルケースに似た銀の円盤をとりだした。円盤の蓋をあける。何かと思えば携帯用の灰皿だった。神経質な手つきで煙草を揉み消し、手首を撓らせて蓋を閉じる。
 剃刀のような知性を宿した目で何百人もの囚人が立ち働く砂漠をみまわし、ひとりごちる。
 「東京プリズンは必要悪だ」
 続きを促すように安田を見上げる。
 「未成年による犯罪発生件数は年々増加するばかり、需要があるからこそ供給もある。今をさかのぼること半世紀前には少年院制度の廃止に対する抗議の声も聞かれたというが、それも難民が増えて治安が悪化し、都心が無国籍スラム化するにつれ薄れていった。日本人は日本人の安全を最重要視して異分子を排除する、異分子は脅威だからだ。だからこの刑務所ができた」
 「この刑務所の創立者はアドルフ・ヒトラーのような人物なんでしょうね」
 「『我が闘争』は読んだか」
 「読まされました」
 「?」
 安田が妙な顔をする。仕方なく説明する、あまり愉快ではない思い出を。
 「八歳の時に『我が闘争』を読んでアドルフ・ヒトラーの天才性とその狂気に至る心理についての論文を書くようにと父に言われて」
 それはそれで興味深くはあったが。
 「………鍵屋崎 優は変わった男だな」
 言われなくても知ってる。十五年そばで見たきたのだから。
 しげしげと僕の顔を眺めていた安田が、ふいに呟く。
 「異分子の中の異分子」
 「?」
 「きみのことだ、鍵屋崎 直」
 二本目の煙草の穂先で僕をさし、ライターに点火する。リラックスした様子で周囲をみまわす。
 「きみの立場は理解している。日本人で親殺しで天才児、最悪の三拍子だ。そのすべてが他の囚人にとって嫌悪と憎悪の対象になる」
 安田が促すように足もとを見下ろす。安田の足もとに倒れていたのは僕がここまで引きずってきた砂のこびりついたシャベル。
 「私はこれまで多くの囚人を見てきた。生き残れた者も生き残れなかった者も、生きてここを出ていった者も死んでここに埋められた者も」
 「なにが言いたいんですか」
 「生き残る秘訣を教えてやろうか」
 体温の低い目がなにか、重大なことを問いかけるように僕の目の奥を覗きこむ。
 「友人を作れ」 
 耳を疑った。
 「そして、頼れ」
 安田は真顔だった。
 眼鏡の奥の目はどこまでも真剣で。
 「ひとりでいる者は狙われる、よってたかって虐げられる。それがここの、いや世界の掟だ。肉食動物や草食動物が群れで行動するのはそれがいちばん効率的だからだ。群れで行動すれば被害も分散される、群れで逃げれば敵を攪乱することができる。人間も同じだ、彼らが群れて行動するのは自分の身を守るためだ。鍵屋崎」
 やめろ。
 その先を言うな。 
 心の中で叫ぶ。耳を塞ぎたいが、金縛りにあったように体が動かない。これもクスリの副作用か?
 僕の心の叫びを無視し、煙草を指の間にあずけた安田が言う。
 「きみは自分で思ってるほど強くない、弱い人間だ」
 目の前が赤く染まるような憎悪。
 「……かってに決めるな」
 僕の価値は僕が決める。
 貴様になにがわかる。
 砂を蹴散らして腰をあげ、乱暴にシャベルの柄を掴む。急に立ち上がったせいで立ち眩みに襲われたが、耐える。シャベルをひきずってその場を立ち去りかけた僕の脳裏に恵の顔が浮かぶ。
 僕は安田が嫌いだ。
 今この瞬間に、サムライの次に嫌いになった。でも。
 「聞いていいですか」
 「なんだ」
 次に安田と会えるのがいつになるかわからない。それならば今、聞いておかなければ。
 「恵は、妹は、叔母の家で元気にしてますか」
 僕の調書を読んだのなら当然恵のことは知ってるはずだ。両親と兄を一度に失った恵のその後についても。シャベルを脇に抱えて振り向いた僕を安田は訝しげな顔で見つめていたが、やがてその口からため息ともつかない声が漏れる。
 「知らなかったのか」
 何?
 「知らなかったって、なにをですか」
 「知らなかったのか」という驚きの呟きに含まれた同情の念に急激に不安になる。恵について安田が知っていて僕が知らないことがあるとでもいうのか。おもわず詰問口調になった僕から目を逸らし、携帯灰皿で煙草を揉み消す安田。
 「そろそろ仕事に戻ったほうがいい。看守が呼びにくるぞ」
 一方的に小休止を切り上げた安田が砂丘を踏み越えて去ってゆく。その背に追いすがろうとした僕の背中を濁声が叩く。
 「そこの囚人、許可なくサボるんじゃねえ!腕と足の骨折って独居房に送るぞ!」
 転げるように砂丘を駆けてきた看守の警棒が振り下ろされるまえに、足もとに落ちたシャベルを拾い上げ、息せき切って走り出す。
 頭の中では安田の言葉が回っている。
 『知らなかったのか』
 安田に聞きそびれたことを心の底から後悔する。去り際の態度がわざとらしかったのも気になる。いったい安田はなにを隠してるんだ?
 瞼の裏側でフラッシュバックするのは現実との境目があやふやな悪夢の光景。
 天井からぶらさがったリュウホウの体が傾ぎながらこちらを向き、奇妙に安らかな死に顔に恵の面影がかぶさる。
 『おにいちゃん、ありがとう』
 壮絶に、壮絶に嫌な予感がする。全身から嫌な汗が噴き出し、砂に足をとられかける。足掻いても足掻いても抜け出せない蟻地獄に嵌まりかけ、途中で力尽きて転倒する。砂にまみれて四肢をついた僕の耳に聞こえるのは自身の荒い息遣いだけ。前髪から滴った汗が地面にぽたぽたと染みてゆく。前髪をかきあげて汗を拭おうとして、後方の地面に白い布きれが落ちているのに気付く。
 走ってるあいだにポケットから落ちた、あの手ぬぐい。
 膝這いになって戻り、手ぬぐいを掴む。リュウホウの命を奪った手ぬぐい、夢の中で恵の命を奪った手ぬぐい。
 わからない。
 安田はなにを言おうとしたんだ?
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