少年プリズン

まさみ

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五十六話

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 エレベーターの扉が開き、堰を切ったように囚人がなだれだす。
 白と黒の囚人服の波に呑まれて歩きながらイエローワーク、イーストファーム行バス停13番の標識をさがす。あった。円い標識の中央に無表情な英数字で「13」のナンバーが記されている。コンクリートを打たれた地面を歩いて13番の標識へと近寄り、長蛇の列をなした囚人の最後尾に並ぶ。
 周囲の囚人の顔の青白さを悟られないよう顔を伏せ、こみあげてくる吐き気に耐える。 
 気分が悪い。ここにくる前に房に寄って吐いてきたがまだ胃が重い。鉛を飲み込んだように喉が詰まり、息を吐き出すのさえ辛くなる。こんな調子で今日一日を切り抜けられるだろうか?確証はない。イエローワークの仕事場で倒れても医務室送りは望めないだろう。炎天下の砂漠で昏倒したらそのまま放置されて熱中症にかかるか、僕が弱ったところに目につけた凱やその他の囚人たちの手により最悪生き埋めにされるだろう。僕が両親を刺殺して東京プリズンに収監されたことは今や東棟はおろか他の棟の囚人にまで知れ渡るようになった。僕に反感を抱いてる囚人は何十何百人といる。強制労働中も気を抜けない、弱みをみせたらつけこまれる。
 「よ」
 唇を噛んで吐き気を堪えていた僕の背後に人の気配。軽い挨拶に振り向くと面識のある囚人がいた。ロンだ。生死をともにした一週間前の晩から会話を交わしてないから顔を見るのがやけに久しぶりな気がする。
 「…………」
 「無視するなよ」
 口をきくのも億劫だった。ロンを無視して正面を向いたら不機嫌な声が返ってきた。仕方なく、口を開く。
 「レイジは勝ったのか」
 「?」
 前置きもなく、単刀直入に最大の関心事を訊ねるとロンが不審げな顔をした。三秒たち、ようやく僕の意を正確に汲み取る。
 「ああ、ブラックワークのことか」
 一週間前、深夜の監視塔でレイジとサーシャが対決した。レイジの桁外れの強さの前には華麗にナイフを扱うサーシャも形無しでレイジは見事勝利したが、その後の経緯は聞いてない。実際それどころじゃなかったのだ、翌日発見されたリュウホウの死体のことで僕の頭は占められていたから。
 「不戦勝だよ」
 ロンは「なにをいまさら」と言わんばかりのあきれた顔をしていた。
 「サーシャが再起不能になって対戦者がいなくなったからレイジの不戦勝、レイジは暫定一位を保持。聞いてなかったのか?囚人どもが噂してるだろ」
 「僕の耳には届かなかったな」
 「目だけじゃなくて耳もわりいのか?」
 「心外だな、下品なスラングが聞こえないようにできてるだけだ」
 「そりゃまたずいぶんと都合のいい耳で」
 小馬鹿にするように鼻を鳴らしたロンがふいに眉をひそめ、ポケットに手を突っ込んで肘を張った姿勢で僕を覗きこむ。
 「……大丈夫か?」
 「大丈夫じゃなく見えるのか?」
 逆に聞き返す。虚をつかれたように数回瞬きしたロンは僕の返しが皮肉だと理解するや否や、いまいましげな目つきで睨んでくる。
 「口は達者みたいでよかったぜ。二度と減らず口たたけなくなるよう舌ぬいとけ」
 不機嫌そうにそっぽを向いたロンに背を向ける。バスはまだ来ない。気の短い囚人たちが苛立ちはじめ、列の前後で口汚い罵倒が飛び交う。野卑なスラングと下卑た哄笑が鼓膜を満たし喧騒がふくらむ。僕とロンのまわりだけが殺伐とした沈黙を守っていたが……
 「一週間前に首吊ったの、お前のダチだったんだな」 
 半身を傾け、視線を背後に流す。すぐ背後に立ったロンが言いにくそうな顔でコンクリートの地面を蹴っている。磨り減ったゴム底が沈黙に陥りがちな気まずさをごまかすようにコンクリートを蹴りつける音が奇妙に耳に残る。
 何が言いたいんだろう。
 眼鏡のレンズ越しにロンの表情を観察する。続けようかどうしようか躊躇して目を伏せ、他にどうしようもなくコンクリートの地面を蹴り続けている姿は何か気に入らないことがあってふてくされているようにも見える。
 束の間の逡巡の末、人さし指で頬を掻きながらちらりとロンがこちらを盗み見る。
 「……気の毒だったな」
 不器用な労わりの言葉よりなお雄弁に、ロンの目を翳らせていたのは同情の色。返す言葉をなくしてむなしく立ち尽くした僕になにを勘違いしたのか、どこか言い訳がましく焦りながらロンが付け足す。
 「一週間前にお前がさがしてた囚人だったんだろ、そいつ。あの時お前が捜しに行くの止めなけりゃひょっとしたら首吊らせずにすんだかもしれねーし……だから」
 「連帯責任か」
 「え?」
 ロンが眉をひそめる。小さく息を吸い、舌の使い方を忘れてないことを確かめる。他人と会話するのは久しぶりだ、内心の動揺を暴かれないよう最小限の言葉で、なおかつ端的に主旨を伝えることができるか心許ない。
 「言っておくが、リュウホウの死についてきみが責任を感じる必要はないぞ。もちろん僕も」
 下唇を舐め、時間を稼ぐ。自分がこれから言おうとしていることを口の中で反芻し、その正否を自問してから、くだらない逡巡を断ち切るように一気に。
 「もちろん僕も、一片たりとも責任なんて感じてない。リュウホウは弱いから死んだ、それだけだ」
 胸に暗い沼のような感情が広がる。底なし沼のような澱みに投影されるのはリュウホウの憂い顔、時間の経過にともない薄れてゆく面影。それきり口を噤んで会話を拒否した僕へと一歩つめより、ロンが叫ぶ。
 「お前の友達だろ?」
 「他人だ」
 抗議口調のロンを冷ややかに牽制する。僕はいまどんな表情をしているのだろう、平素と同じく無表情を保ててればいいが。眼鏡のブリッジを押し上げるふりで表情をさえぎった僕を納得できない様子で見つめていたロンが、苛立たしげに地面を蹴る。
 やり場のない感情をこめ、八つ当たりするように蹴る。
 「じゃあ、なんでそんな情けないツラしてんだよ」
 今の僕はなさけない顔をしてるのか。
 第三者の感想めいた軽い驚きのあとに訪れたのは羞恥と屈辱が半半に入りまじった、何とも形容しがたく面映い、複雑な感情。眼鏡のブリッジを押さえていた指をおろし、力の抜けた腕を体の脇にたらす。地面を蹴りながら僕を盗み見ていたロンがあきれたようにかぶりを振る。
 「しんどかったらサムライを頼れよ」
 なんでここであの男の名前がでてくるんだ?
 僕がいまいちばん聞きたくない男の名前をさらりと口にしたロンは、風邪をひいたら医者にかかれとでもいわんばかりに気負わず続ける。
 「いい奴だぜ、アイツ。無愛想でパッと見とっきにくいけど、ほんとにしんどいときには力になってくれる」
 周囲を取り巻いていた喧騒がにわかに遠のき、さりげなく吐かれたロンの助言が殷殷と脳裏にこだまする。
 「ロン」
 ロンが顔をあげる。うろんげにこちらを向いたロンの顔を挑むように直視し、叩きつけるように言う。
 「では聞くが、きみはなにか困ったことがあればレイジに泣きつくのか?何か困ったことが起きるたびに他人に泣きついて他人に依存して恥も外聞もなく助けを乞う、それが東京プリズンにおけるきみの処世法なのか」
 一度堰を切った言葉は止まらず、血を吐くように喉から迸る。
 昨晩リョウに含まされたクスリのせいだろうか。悪夢の色彩をおびた眩暈に襲われ、理性が砕け散る。目の前が赤く染まる錯覚にかぶさるのは天井からぶらさがったリュウホウの幻覚。
 排泄物にまみれた下半身とだらりと弛緩した四肢、人間の尊厳などかけらもないみじめな死に様。
 「そんなプライドのない真似は死んでもごめんだ」
 「プライド貫いて死ぬつもりか、おまえ。言っとくけどそれはプライドじゃねえ、駄々こねるしか能のねえガキじみた意地だ」
 ロンは引き下がらない。
 最後に強く地面を蹴ると、ポケットから手を抜いて僕と向き合う。嘘のない、強い眼光。
 「お前のプライドは命と引き換える価値があるもんなのか?」
 排気ガスの煙が大気を白く染め、減速したバスがすべりこんでくる。 
 横腹で列を擦るようにバス停にすべりこんだバスの扉が開き、最前列の囚人がけたたましく靴底を踏み鳴らしてステップを駆け上る。「おっせーよ」「何分待たせんだよ」「蟻地獄にでもつっこんだのかよ」口々に悪態をつきながら不揃いな足並みでバスへと乗りこんでゆく囚人たちをよそに僕とロンは睨み合っていたが、ロンの後ろに並んだ囚人が「はやくしろよ」と肩を小突き、前のめりに崩れる。
 ロンの手が肩に触れるまえに後退する。支えを失ったロンがたたらを踏んで持ちこたえ、背後の囚人と正面の僕とをいましましげに見比べる。
 『咒(呪ってやる)』
 舌打ちに紛れる悪態をつき、僕をおしのけるように歩き出す。憤然とロンに追い抜かされた僕はこれ以上遅れをとってなるものかと足早に後を追う。ステップを踏んでバスに乗り込む間際、手摺を掴んでなにげなく振り返り、列の後ろの方に癖の強い赤毛を発見する。
 リョウだ。
 にっこり笑って僕へと手を振ったリョウに、昨夜の忌まわしい記憶と生々しい唇の感触がまざまざとよみがえり耐え切れないほど気分が悪くなる。上着の胸を掴んで深呼吸し、喉に逆流してきた苦い胃液を飲み下す。
 いったい僕になにを飲ませたんだ?
 今すぐステップを駆け下りてリョウを詰問したいのが本音だが後がつかえている。後列の不興を買うのをおそれ、不承不承バスに乗り込む。僕に続く三人を収容してバスの扉が閉じる。息苦しく密閉された矩形の空間に熱気が充満し、不快指数が加速度的に上昇する。ガラスの扉にもたれるように密着した僕の足もとに重低音を伴う震動が伝わり、エンジンがかかる。ゆっくりと動き出した車窓のガラス越しに見えたのは人当たりよいリョウの笑顔。
 リョウの唇の動きに目を凝らす。
 『い』
 『る?』
 錠剤のシートを車窓越しに掲げ、いたずらっぽく小首を傾げたリョウの顔を見た瞬間目の裏側で閃光が爆ぜた。
 
 何かを蹴る鈍い音、足裏に衝撃。

 周囲の囚人がぎょっとし、運良く席を確保した囚人が何事かと目を見張る。扉の内側には泥が付着していた。
 僕の靴跡。
 気付いた時にはおもいきり扉を蹴っていた。扉の向こうではリョウが笑っている、檻の中の動物でも眺めるように密やかな優越感に満ちた目で眺められて凄まじく不愉快だ。
 速度をあげてバスが動き出す。リョウの顔が見えなくなったとたん頭に昇っていた血がすっと降り、呼吸がラクになる。吊り革を掴んだ囚人がじろじろと好奇の眼差しを向けてくる、突発的な奇行を目撃して僕の気がおかしくなったのではないかと疑念を抱いたらしいがそんなことはない。ありえない。あったとしても認めない。
 僕はまだ冷静だ。怪我した効き手ではなく、足で蹴ったのがなによりの証拠だ。

                             +


 イエローワークの強制労働が始まった。                            
 穴を掘る、砂を運ぶ、穴を掘る、延延とその繰り返しで時間が過ぎてゆく過酷で単調な肉体労働。中天に輝いた太陽が頭皮を焦がして後から後から毛穴から噴き出す汗を蒸発させ、容赦なく水分を搾りとる。暑いというより熱い、苦しい。頭が茹だり正常な思考活動ができなくなる。シャベルによりかかるようにして休んでいたら背中に一塊の砂を浴びせられた。
 反射的に顔をあげる。逆光を背に穴の底を覗きこんだ少年の顔は影に塗りつぶされてよく見えないが、その声には嘲弄の響きがあった。
 「このシャベルあっちに持ってけ」
 言うが早いか、砂のこびりついたシャベルがどさどさと降って来る。一本、二本、三本……四本。計四本だ。僕ひとりでか?などと今更聞き返さなかった。班で最底辺の扱いに不満を唱える気もない。抗弁するだけエネルギーの無駄だ、ここは素直に従うのが賢い。
 要するに僕は最低の親殺しで、彼らからすれば最下等の人間なのだ。凶悪な罪を犯して東京プリズンに収監されて強制労働に就かされている境遇は一緒でも彼らに僕は理解できない。
 ズボンの膝を砂だらけにし、穴の側面を掻いてよじのぼりながら彼らに命令されるぶんには全然プライドが傷つかない理由をぼんやり考えた。結論、あんまりにもレベルが違いすぎるからだ。いちいち相手にして怒る価値もない、その程度の存在なのだ。
 じゃあサムライは?
 堂堂巡りする思考を一旦放棄し、穴の底に腕をのばしてシャベルを持ち上げる。一本、二本、三本目で腕が吊りかけた。額に滲み出した汗が瞼を滴り落ちて目に染みる。一週間前、サーシャに切り裂かれた瞼の傷はもう塞がった。二・三日でも顔を洗うのを控えれば染みることもなかったのだろうが不潔に過ごすのは耐えられない。瞼に染みるのを我慢して顔を洗った。今ではうっすらと痕が残っている程度だ、至近距離でじっくり観察されでもしないかぎり見分けられることはないだろう。
 四本目までなんとか持ちこたえ、穴の上に引き上げる。危うく吊りかけた腕の筋肉を揉み解し、腰を上げる。どうせ引き上げるのだからわざわざシャベルを投げ落とさずともそこら辺に放置しておけばいいだろうと思うが、これは嫌がらせなのだ。いちいちいらついていてもきりがない。
 まわりを見回す。同じ班の人間は皆忙しげに立ち働くふりをしながら、その実にやにや笑いを浮かべて僕の反応を楽しんでいた。陰湿かつ粘着質な視線がまとわりついてきて気持ちが悪い。早くこの場を立ち去ろうとシャベルを両方の手で二本のシャベルを掴んだが、刹那、右手の薬指に激痛が走っておもわず柄を放す。砂に倒れたシャベルの柄を見下ろしてると舌打ちを禁じえない心地になる。
 薬指の腫れはだいぶひいてきたが完治にはまだ時間がかかりそうだ。一瞬ズボンのポケットに挟んだ手ぬぐいに思い馳せるが、小さくかぶりを振って打ち消す。
 リュウホウの首に巻きついていた手ぬぐいで指を添え木するのはためらわれた。
 仕方ない、一本ずつ持ってゆくしかないだろう。
 左脇にシャベルを持ち抱え、砂に足をとられながら歩き出す。のろのろと砂丘の斜面をよじのぼる途中、何度もつまずいて膝をついた。平衡感覚がおかしい、三半規管が酔っている。リョウに呑まされたクスリの副作用だとしたら相当タチの悪い覚醒剤にちがいない。砂丘を三分の一ほど登ったところではげしい息切れを起こし、シャベルを放り出してその場に四肢をつく。
 一週間ろくなものを食べてないせいで、もともとない体力がいちじるしく落ちている。
 いつまでもこうしていたらサボりだと誤解されて目敏く看守が走ってくる。萎えた膝を支えて立ち上がった僕の視界がぐらりと傾ぎ、後ろ向きにバランスを崩しかける。
 
 墜落。

 無重力の浮揚感の一瞬後に訪れるのは落下の速度と砂の地面の感触だろう。そう予期して反射的に目を閉じたが、後ろに倒れかけた体は重心を保ったままだ。不審に思いつつ薄目を開ける。灼熱の陽射しが降り注ぐ中、僕の腕を掴んでいるのは―

 安田。

 「なんでここにいるんですか」
 「見回りの一環だ」
 「はなしてください」
 安田の腕を払い、二本の足で立つ。重心が安定した。安田の後ろに目をやる。砂丘の彼方に平坦な道が延び、中央にジープが一台停まっている。あそこから降りて歩いてきたらしい。背広の胸に目をやる。
 「心配しなくても撃ちはしない」
 「いつも拳銃を持ち歩いてるんですか」
 「護身用兼威嚇用だ。人にむけて発砲したりはしない」
 事実なのか嘘なのか、端正だが表情に乏しい顔から推測するのはむずかしい。砂漠に三つ揃えのスーツという場違いに洗練された出で立ちの安田は、銀縁眼鏡の奥の双眸を細め、何か言いたげに僕を見る。
 「瞼に怪我をしてるな。右の薬指にも。その手でシャベルを運ぶのは大変じゃないか?」
 親切心からでた忠告ではなく、見たとおりの感想を述べたにすぎない冷淡な口調。
 「仕事ですから」
 無関心に指摘した安田にそっけなく答え、シャベルを持ち直す。シャベルの刃先で斜面をひきずりながら砂丘をのぼりかけた背中でさくさくと足音を聞く。振り向かなくても安田がついてくるのがわかる。
 「何か用ですか」
 「顔色が優れないようだが」
 「眼鏡が曇ってるんじゃないですか?僕の顔色は普通です」
 「体調が優れないなら医務室へ行けばいい」
 シャベルの刃先が砂を抉り、細い溝を作ってゆく。
 「看守の許可がでればぜひそうしたいですね」
 たまに視察にくるだけの安田がイエローワークの現状についてどの程度把握してるかは知らないが、先の台詞を口にしたということは殆ど何もわかってないか、わかりすぎるほどわかっていて見過ごしているのだろう。倒れた囚人を医務室へ運ぶ手間を考えれば穴を掘って埋めるほうが断然手軽だ、お誂えむきなことに井戸掘りが頓挫して放置されている穴が無数にある。
 人工の墓穴だ。
 背後の足音が止むのと、シャベルを抱えて歩いていた僕が蹴つまずいて斜面に膝をつくのは同時だった。
 「少し休んでいかないか」
 幻聴が聞こえた。
 ズボンの膝を払って立ち上がりかけ、振り向く。膝を払う手を止めて探るように安田を見る。
 今のが幻聴でないのだとしたら安田はいったい何を企んでるんだ?
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