少年プリズン

まさみ

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四十五話

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 東京プリズンに夜がきた。
 廊下にたむろっていた囚人たちが看守の警棒に追い立てられてそれぞれの房に戻り、明日の強制労働にそなえて疲れを癒すためベッドにもぐりこみ睡眠をむさぼる夜。
 一時間前の喧騒が嘘のようにしずかな夜。
 豆電球が消された房には闇がたちこめてる。隣のベッドからかすかに聞こえてくるのは規則正しい寝息と衣擦れの音、壁の向こう側からは悪夢にうなされる囚人の唸り声が断続的に響いてくる。
 カツンカツンカツン。
 規則的に響く硬質の靴音が廊下の向こうからやってきて、房の前で立ち止まる。格子窓の向こうからだれかがじっと覗いてる気配に生きを殺す。どれくらい経っただろうか、格子窓の向こうからこちらを窺っていた気配がふっと消え、威圧的な靴音が無機質な廊下を去ってゆく。                          
 看守は行った。今だ。
 暗がりに目が慣れるのを待ち、そっと毛布を抜け出す。毛布を持ち上げた拍子に枕元のテディベアに肘があたり、バランスを崩したテディベアがあわや転落しかける。あぶない!さっと両手をだし、廊下に接触する寸前にテディベアを受け止める。
 ほっと息をつく。ママから貰った大事な大事なテディベアだ、傷ひとつでもつけるわけにはいかない。
 つぶらな瞳のテディを枕元に戻し、唇の前に人さし指をたてる。 
 『しーっ。ぼくが戻ってくるまでおとなしくしててね』
 念のため隣のベッドに目をやる。ビバリーはよく寝てるらしく、安らかな寝息が聞こえてくる。このぶんじゃ僕が抜け出しても気付かないだろう。抜き足さし足忍び足、暗闇の房をよこぎって扉に接近。ノブを回し、廊下に出る。
 眩い明かりが目を射た。
 廊下を満たした蛍光灯の明かりに目がなれるまで少し時間がかかった。蛍光灯に漂白された廊下をひたひたと歩く。看守の姿はない。廊下を歩きながら、頭の中に仕入れた地図を確認する。サーシャたちとの落ち合い場所は中庭。中庭に辿り着くまでの間に看守と遭遇する危険性もないとはいえないから、できるだけ看守の目の届かない脇道の通路を選ぶ。だいぶ回り道になっちゃうけどしかたない、念には念をってね。
 さて、サーシャたちは上手くやってるだろうか。
 北の連中が僕の指示通りに動いてるなら、今頃意識を失わせて拉致ったロンを監視塔に運んでる頃合だ。ロンには迷惑な話だけどレイジの同房になったのが運の尽きだとこの際あきらめてもらおう。鍵屋崎いわくレイジの最大の弱味はロンらしいし、奴をおびきだす人質にはもってこいだ。もしレイジが来なかったらその時は……ロンには成仏してもらおう。サーシャのところならいいけど僕のところには化けてでないでほしい、オバケ怖いし。
 秘蔵のクロロフォルムまで貸したのに北の連中がとろくて間抜けなせいで作戦失敗してたら泣く。まあ、数ではロンに勝ち目がないからうまくいってるとは思うけど……そんなことをとりとめもなく考えながら七回廊下を曲がると、薄暗い階段にぶちあたる。
 薄暗いのは天井の蛍光灯が割られて壊れているせいだ。  
 この階段を降りれば東棟の裏にでることができる。今はもう使われてない古い階段だから懐中電灯をさげた看守とばったりなんてピンチな展開はないと思いたいけど、少しヒヤヒヤしながら最上段に足を乗せ、違和感を感じる。
 物音。
 うめき声。
 オバケ?んなアホな。
 手摺から身を乗り出し、踊り場を俯瞰した僕の目にとびこんできたのは、不気味にうごめく複数の影。
 くぐもったうめき声に重なるのは、肉が肉を打つ鈍い音と下卑た笑い声。それでなにが行われてるのか理解できた。こんな真夜中、人目を忍んだ暗所で行われることと行ったらふたつっきゃない。
 東京プリズン名物リンチとレイプだ。
 さて、いま行われてるのはどちらだろうと好奇心から目を凝らす。暴行してる側の囚人は五人、されてるのはひとり。囚人たちの足もとに這いつくばって泣きながら許しを乞うているのは品のない馬面の少年だけど服を脱がされた形跡はないからたぶん前者、リンチだ。
 蹴られ殴られ、血反吐にまみれた悲惨な顔をあげた少年と偶然目が合う。手摺越しに目が合った少年の顔に最初に浮かんだのは驚き、次は歓喜。おそらくこの場に居合わせた僕に一縷の希望を託して助けを求めようという魂胆なんだろうが―少年の顔を直視して、頭の片隅になにかがひっかかる。
 間延びした馬面、しまりのない口元。この顔、どこかで見たような……
 「思い出した」
 おもわず呟く。その呟きが命取りだった。
 踊り場にたむろっていた五人が一斉に振り向く。中のひとり、率先して馬面を痛めつけていたのはだれあろう凱だった。東棟でもレイジに継ぐ地位にあり、中国系派閥のトップに立つ凶暴な囚人。
 「だれだ?」
 醜悪な顔に怒気をみなぎらせ、野太い声で凱が誰何する。やれやれ、見つかっちゃった。観念して階段を降り、踊り場に立つ。
 「ぼくだよ」
 「ヤロウの飴玉しゃぶるのが三度の飯より好きな男娼くずれか」
 両手を挙げて降参の意を示した僕に、凱が鼻白んだような顔をする。頭の悪い中国人もペニスをしゃぶらせたことのあるガキの顔くらいは覚えてるらしい。
 「こんな時間になにしてるんだ?」
 「おしっこ。房のトイレ、水がつまっちゃってね」
 笑いながら首をすくめる。
 「そっちはなにしてんのー……って、聞くまでもないね」
 「見ればわかんだろ。このどす汚ねえ変態に東京プリズンの礼儀ってやつを叩きこんでやってんのさ」
 分厚い唇を凶悪にねじ曲げ、馬面の少年の脇腹を無造作に蹴り上げる。容赦ない蹴りが鳩尾を直撃し、馬面の体が弓なりに反る。それを皮切りに、凱の取り巻き連中がリンチを再開する。にやにや笑いながら馬面の顔を踏みつけ踏みにじり、背中を腰を股間を尻を太腿を蹴る。息継ぐ間もなく浴びせられる拳と蹴りに、馬面の少年は胎児のように身を丸めて耐えるしかない。
 頭を抱えて縮こまった様子が面白かったのか、囚人たちの嗜虐心に拍車がかかる。
 「どうした、抵抗してみろよ」
 「強盗殺人でぶちこまれたんだろ、お前。反撃くらいしてみろよ」
 「殴り返してこなきゃつまんねーだろうが」
 「それともなにか、刃物もってなきゃ反撃ひとつできねえ腰抜けなのかよ」
 「腰抜けの日本人なんて生きてる価値ねえな」
 ぐるりを取り囲んだ囚人たちが口々に野次をとばす。罵声と嘲笑が深夜の踊り場に木霊し、右瞼が青黒く腫れ上がった馬面の顔が絶望に暮れてゆく。凱の取り巻きに追いつめられ、腰砕けにあとじさる。背中が壁に衝突し、退路が断たれる。浅い息を吐き、浅く肩を上下させ、恐怖で精神崩壊する寸前のひきつり笑いを浮かべた顔で凱たちを見まわす。
 「なんで、なんで俺なんだ?」
 震える唇からこぼれたのは、呆然とした呟き。
 この期に及んでもまだ自分のおかれた立場と状況を理解してない、いや、かたくなに理解を拒みつづける度しがたい馬鹿の繰り言。
 「教えてくれよ、なんで俺なんだよ」
 獣じみた息を吐きつつ、順番に凱たちの顔を見比べる。もはや恥も外聞もなく、プライドすらかなぐり捨て、この場を切り抜けるためならそれこそ全員のペニスをしゃぶってもいいというなりふりかまわぬ様子で少年が叫ぶ。
 「俺がなにかあんたたちの気にさわることしたか、あんたたちの顔に泥ぬるようなことしたか?してねーだろ!ここにきてからはおとなしくしてたはずだ、こんな目にあわされるいわれはこれっぽっちもねえ。そうだ、俺をリンチするぐらいならアイツ、俺と同じ日にきた鍵屋崎は?どう考えたってあいつを殺るほうが先だろうがよ、アイツは薄汚い親殺しの変態なんだから。変態と同じ空気吸うなんてまっぴらごめんだ、なあ、あんたらだってそうだろ?」
 みっともなく責任転嫁する馬面と対峙し、凱が重々しく頷く。
 「まったくそのとおりだな」 
 「だろ!?」
 救われた、といわんばかりに満面を輝かせた馬面へと大股に一歩を踏み出し、拳を振り上げる凱。
 「変態とおなじ空気を吸うなんざまっぴらごめんだー……だからお前を殺るんだよ」
 「!?なっ、」
 馬面に口を開く暇を与えず、その顔面に拳を打ちこむ。ぐしゃりと鼻骨が砕け、漫画のような弧を描いて鼻血が噴き上がる。凱を取り囲んだ取り巻き連中が一斉に口笛を吹き、けたたましくはやしたてる。
 「殺っちまえ凱!」
 「そんな変態殺っちまえ!」
 「この場に脳漿ぶちまけてやれ!」
 「ぶちまけた脳漿啜らせてやれ!」
 言うが早いか、凱の横からとびだした体格のよい囚人が馬面の襟首を掴んで強引に立ち上がらせ、その後頭部を背後の壁に叩きつける。コンクリートを穿つ鈍い音が響き、脳震盪を起こしかけた体がくたりと弛緩する。だが、それくらいで許されるはずもない。違う囚人が馬面の腹に蹴りを見舞い、強制的に覚醒させる。胃袋を蹴られ、黄色い胃液とともに胃の内容物をぶちまけた馬面の上にのしかかり、その顔面を殴る、殴る、殴る。
 「な、んで」
 息も絶え絶えに、血膿に崩れかけた顔の中で唇を動かす馬面。
 少し離れた場所でこの光景を眺めていた僕は、あくびを噛み殺して口をひらく。
 「君さ、石動 ダイスケだよね」
 「!」
 馬面ことダイスケが、驚愕に目を見張る。
 「よそ見すんな」
 ダイスケの頬に鉄拳が炸裂し、前歯が飛ぶ。床で跳ねて僕の足元に転がってきた歯の欠片をつまみあげ、しげしげと観察する。そういえば、囚人の歯をコレクションしてる趣味の悪い看守がいたっけな。この歯を変態看守に売りつけたらどれくらい儲かるんだろう。
 手を頭上にかざし、抜けたばかりの歯をためつすがめつしながら続ける。
 「東京プリズンにぶちこまれた罪状は強盗殺人。懲役は二十年」
 なんで知ってるんだといった顔でこちらを見るダイスケににこりと感じよく笑いかけ、宙に放り上げた歯をぱっと握る。
 「君のことならなんでも知ってる。そう、君のしたことなら全部」
 「俺も知ってるぜ」
 もはや血沸き肉躍る興奮も冷め、面倒くさそうな無表情でダイスケの顔面を殴りながら、淡々と凱が言う。
 「東京プリズンの看守は口が軽くてな、囚人のプライバシーなんかないも同然でだだ漏れの状態なんだ。馬面の日本人、お前が娑婆でやったのは強盗だけじゃねえ。覚えてるか?お前が最後にやった犯罪、スラムの母子家庭に強盗に入ってなにをしたか」
 「…………」
 ダイスケがごくりと唾を呑む。
 「なあ、白状しちまえよ。俺たちはただ知りたいだけなんだ、そん時の感想を」
 粗暴な顔に気味の悪い笑顔を浮かべ、うってかわって親しげに自分の肩を叩く凱にダイスケが面食らう。
 「どんな気分だった?気持ちよかったか?」
 「………た」
 「なに?」
 血泡がこびりついた唇がよわよわしく動き、かすれた声を絞り出す。
 「最高だった」
 よく聞き取れるよう自分の耳元に顔を近づけた凱におもねるような笑顔を浮かべ、ダイスケが続ける。
 醜い笑顔。 
 「あの時のことはよく覚えてる、忘れようったって忘れられねえ……あの日強盗に入った家にはガキがいた。女のガキだ。俺はいつもどおり鍵を壊して中に入って、台所にいた女を包丁で刺して……それから金目のものを捜そうって家の中をうろついてたんだけど、どこからか泣き声が聞こえてきたんだ。かん高い、ガキの泣き声だ。泣き声が聞こえるほうに行ってみたら、いつのまに沸いてでたのか……五歳になるかならねえかってメスガキが、死んだ母親にしがみついてびーびー泣いてるじゃねえか」
 「ふむふむ」
 凱が感じよく頷き、輪になった取り巻き連中の視線がダイスケに集中する。一転注目の的となったダイスケは調子に乗り、大仰な身振り手振りをまじえて当時の状況を再現する。
 「まいったよ。ガキの泣き声を聞きつけて近所の連中が駆けつけてくるかもしれねえし、とにかくガキをだまらせるのが先決だ。そう考えた俺は後ろから手をのばしてガキの口をふさいで、ひとおもいにぐさっと殺ろうとしたんだが……」
 勢いよく右腕を振り上げたダイスケが、何かを思い出したようにいやらしく笑う。
 「振り向いたガキと目があったら途端に惜しくなってな。そのガキ、ちょっとかわいい顔してたんだ。目がくりっとしてて鼻がつんと上向いてて……正直タイプだったよ。だからあれは、魔がさしたっていうのかな」
 凱とその取り巻き連中の機嫌をとるようにへらへら笑いながら、そこにいないだれかを押し倒すダイスケ。
 「もちろん体はまだ全然だった。でるとこでてねえしひらべってえし、つまんねえ体だったが……今思い出しても興奮するぜ、あの時の光景。死んだ母親の隣で犯されながら、イタイイタイって泣き喚いて暴れてるガキの顔。ガキのくせに妙に色っぽくて燃えたよ」
 ダイスケが饒舌になるのと反比例し、凱とその取り巻き連中が沈黙し、周囲の気温が低下してゆくのに当の本人は気付かない。壁に背中をつけて上体を起こし、股間を固く勃起させ、タガの外れた大声でダイスケが笑う。
 「ま、その後で首締めて殺したんだけどな……正真正銘、俺が最初で最期の男になっちまったわけだ!」
 膝を叩いて爆笑するダイスケから距離をとり、顔をしかめる。
 コイツ、最悪だ。
 「そうか、それはよかったな」
 ダイスケの爆笑に水をさしたのは、奇妙に感情の欠落した凱の声。
 凱の笑みが薄まり、ダイスケの肩を掴んだ手に異常な握力がこめられる。肩の骨が軋む激痛にダイスケが悲鳴をあげるが、凱の取り巻きが示し合わせたように歩を詰めてきたため逃げるに逃げられず、尻で床を擦って壁際においつめられる。
 「お前が強姦したガキ、五歳だっつったな」 
 「五歳でまちがいねえ、調書にそう書いてあったからな……」
 卑屈な愛想笑いを浮かべたダイスケの顔をのぞきこみ、憤怒の形相で凱が笑う。
 目に赫怒の炎を燃やして。
 「俺の娘と同い年だ」
 「………………………………………………………………………………………!」
 大気を震わす絶叫におもわず耳をふさぐ。
 ダイスケの鼓膜が破れ、耳から血が流れている。混乱するダイスケを続けざまに蹴倒して凱が立ち上がり、後ろに控えていた取り巻き連中が一気に間合いを詰めてくる。
 刑務所内で親殺しの次に軽蔑される犯罪、それは強姦だ。
 最もただの強姦じゃない、残念ながら東京プリズンには強姦ごときで心を痛める良識人はひとりもいない。いやがる女を膂力で制してハクがついたと吹いてまわる連中も少なからずいるくらいだ。
 けど、相手がたった五歳の幼女なら話は別。
 『モンスター』ってのはもともとアメリカの刑務所で発生した隠語で、子供にイタズラして檻の中にぶちこまれた性犯罪者をさす蔑称だ。気がきいた呼称だね。たしかに奴らはモンスターだ、常人の理解を拒む怪物、性欲に取り憑かれた怪物だ。五歳やそこらの女の子に性欲感じてヤッちゃうなんて変態の烙印おされて当たり前。
 いくら東京プリズンだって、超えちゃならない一線ってのがちゃんと存在する。
 自分を産み育てた親を殺すのは最大のタブーだけど、なんの力もないちっちゃい女の子を大の男がレイプするのはそれ以上のタブーだ。しかもダイスケは母親の死体の隣で女の子をレイプした後、非道にも首を締めて殺してる。
 弁解の余地はないし、釈明の余地なんかはなからない。
 「ひゃ、ひゃふけて……」
 次々に振り下ろされる足の間からよわよわしく手を伸ばし、最期の力を振り絞って僕へと助けをもとめたダイスケに薄く笑いかける。
 「君にレイプされて殺された女の子も、最期にそう言ったんだろうね」
 「………!」
 床を掻いて足首を掴もうとしたダイスケの手から踵を返して逃れ、バイバイと手を振る。踊り場に背を向けて階段を降りる途中、ダイスケの断末魔が反響する。
 こういうのなんて言うんだっけ。
 因果応報、自業自得?
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