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四十三話
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「で、君がベッドの下に隠してるそのデカブツはどっからかっぱらってきたわけ」
「人聞き悪いこと言わないでくださいス、フェアプレイで手に入れたんス」
ふざけ半分で聞いた僕に、ビバリーが毅然と胸を張る。ひどく真剣な瞳でディスプレイの初期画面を立ち上げながら指を動かす。いちいちキーを確認したりはしない、奇跡の早業のブラインドタッチ。
「フェアプレイ?看守と寝たんじゃないの」
「リョウさんは下品なことしか考えないんスね」
あきれたような僕らしいとでも言うような嘆かわしげな表情でビバリーがかぶりを振り、手の速度を速める。
「これはれっきとした取引っす。えーと、たとえばですよ。東京プリズンにヤキモチ焼きの看守がいたとします。その看守が奥さんの浮気を疑ってるとします」
「ふむふむ」
「奥さんの浮気を疑った看守が浮気現場の証拠を掴もうとある囚人に泣きついたとします」
「その内容は?」
「監視カメラっすよ。いや、盗撮カメラが正しいかな」
青白く発光するディスプレイを上下に流れてゆく数字の羅列を眺めながら、ビバリーがにやりと笑う。
「市販の防犯カメラじゃ盗撮には不都合なんすよね、耳の感度がいい人の中にはカメラの作動音を聞き分けちゃう人もいるし解像度も悪い。だからその囚人は特別に看守の頼みを聞いてやったわけです。ちょくっと回線をいじくって解像度を上げて、ね」
「やっるー」
「いやあ、それほどでも」
ひゅうと口笛を吹いてやる。頭をかきながら照れ笑いするビバリー。いちおう実名は伏せていてもコロリと変わった態度だけでだれのことを言ってるかはお見通しってね。
「で、このパソコンはそん時の戦利品ってわけっス」
鼻高々に言いきり、かちゃかちゃとキーを押しこむ。パソコンからかん高い音が鳴る。エラー音かといぶかしんだが、違った。ハッキング終了の合図らしい。
「さて、リョウさんはだれのデータを覗き見したいんスか?」
最初こそ嫌なふりをしてみせたけど、その実久々のハッキングで興奮しているらしく、嬉嬉とした様子で指を鳴らすビバリー。その右肩に顎をのせて淡く発光するディスプレイを覗きこみ、頭の中で優先順位をおさらいする。
「トップはサーシャだ」
敵を知る前に味方から。常識だ。最も僕がサーシャを味方と思ったことは一度もないけど。ディスプレイの光に顔を青く染め、ビバリーが頷く。
「了解」
ビバリーの対応は迅速だった。
魔法使いは杖の一振りで奇跡を起こすけど、ビバリーに杖なんていらない。指一本で十分だ。
「でた」
ビバリーが短く呟く。それに応じて画面に表示されたのは、東京プリズンのデータベースに厳重に保管されている囚人のデータ。個人のプライバシーに関わる事柄のため上層部の人間しか閲覧不可となっているが、そんなことは関係ない。自分の保身のために使えるモノならなんでも利用する、それが終始一貫した僕のスタンス。たとえそれが同房のビバリーだって変わらない。
画面に表示されたデータを声にだして読み上げる。
「囚人番号11923、サーシャ。年齢18歳、血液型O。生年月日2065年12月30日。ロシア出身。ロシアンマフィアの重鎮の愛人の子として生まれ表向きの幼少期をモスクワのサーカスで過ごすが、その裏では父に命じられ敵対組織の要人の暗殺をこなす。ロシアンマフィアの勢力圏を広げようと画策した父により14歳で日本に送りこまれ、組織拡張の障害となる広域指定暴力団の要人を八名殺害。東京プリズン送致が決定する。罪状・殺人、暴行、傷害致死、その他諸々。懲役30年」
「ナイフの扱いはサーカス仕込みっすか」
「だろうね」
ディスプレイの右上に表示されているのはサーシャの顔写真。むっつり不機嫌そうに黙りこんでこちらを睨みついているその顔は屍蝋のようにあおざめてこそいるが、いまほど痩せこけてはいない。この頃はまだ覚醒剤中毒の初期段階でそんなにヤク中が進行してなかったのだろう。つまりまだ、心がけ次第でヤクから足を洗って真人間に後戻りできた頃だ。今じゃ手遅れ、お気の毒さま。
「次、レイジと同じ房のムジナ、ロン」
「合点」
かちゃかちゃとキーの鳴る音だけが無機質に響き、画面が切り替わる。
画面右上に表示されているのはロンの仏頂面。逮捕直後に撮られたのだろう、半袖シャツからつきでた手足の至る所に擦り傷が生じている。
「囚人番号11960、ロン。年齢13歳、血液型B。生年月日2070年6月15日、豊島区池袋台湾系スラム出身。台湾人の母親と母子家庭で育つ。父親は中国人だがロンの生後間もなく失踪、以降音沙汰なし。物心ついた時から親子仲は険悪でアルコール依存症で情緒不安定な母からたびたび虐待を受けてきたが、11歳の時母親の情夫を刺して家を出、池袋を中心に十代の少年たちで構成される武闘派チーム『月天心』に所属。対立チームとの抗争に明け暮れる日々を送るが、投擲した手榴弾により敵チームの構成員八名が死傷。うち三名が即死、二名が脊髄と腰椎を損傷する重傷、残り三名が軽傷を負い東京プリズン送致が決定する。罪状・傷害致死。懲役18年」
「手榴弾すかー。ハデにやりましたね」
口笛を吹くかたちに唇をすぼめ、ビバリーが呑気に感心する。ビバリーの肩によりかかった姿勢でロンのデータを読みながら、少し得意げにマメ知識を披露する。
「最近は第二次ベト戦の横流し品が大量に流出してるからねー。しかも不良品。一歩まちがえば爆発にまきこまれて自分自身までボン!さ」
実際手榴弾を手に入れること自体はそうむずかしいことじゃない。治安の悪いスラムには米軍の横流し品が大量に出回ってるのが現状だ。日本政府は日本人にさえ危害が及ばなければいいやと放任主義をきめこんでるからスラムの治安は一向に改善されず、手榴弾ほか危険物の取り締まりはお世辞にも徹底してるとはいえず、ぶっちゃけ野放しでスルーの状態だ。
結局この国は日本人「だけ」がかわいいんだね。むかつく。
たとえ日本で生まれ育ってようが僕みたいな赤毛のガキやロンみたいな台中混血児はやつらの眼中にない、日本人じゃないからだ。かってに日本にきてかってに繁殖して増殖した連中で殺し合おうがなにしようが善良な日本人に危害が及ばなければそれでいいと、凶悪犯罪を犯したガキどもを片っ端から東京プリズンにぶちこんでるのがいい証拠じゃないか。
ま、そんな個人の感情はおいといて、と。
「お次はサムライ」
「レイジさんじゃないんすか?」
キーに手をおいたまま、怪訝な顔で振り返るビバリー。ちっちっちっと舌打ちし、リズミカルに指を振る僕。
「あせんないでよ、時間はたっぷりあるんだ。せっかく東京プリズンデータベースにアクセスしたことだし、謎に包まれたサムライの実体を暴いてもバチはあたんないでしょう。それに」
「それに?」
「東棟でレイジと対等に渡り合えるのはサムライだけだ」
半歩膝を進め、ビバリーに近寄る。おもわせぶりにビバリーの顔を覗きこみ、続ける。
「ロンは―…アイツは対等というより、レイジに気に入られて遊ばれてるから別格として。レイジと互角に渡り合える数少ない人間なんだ、いざって時のために弱味のひとつやふたつ掴んでおいて損はないでしょう」
「脱線してますよリョウさん」
いやそうに顔をしかめたビバリーに両手を打ち合わせておねがいする。
「おねがいビバリー!このとおり!」
自分でも脱線してる自覚はあるけど東京プリズンのデータベースにアクセスできるなんてまたとない機会だし、この機を逃したらサムライの秘密なんて一生知ることができない気がする。ちょっとくらい欲をだしたっていいよね。
「しかたないっすね……」
90度方向転換し、しぶしぶパソコンに向き直るビバリー。やった、なんだかんだ言いつつ甘いんだから。死角でこっそりとほくそ笑み、ビバリーの肩越しにディスプレイを覗きこむ。目にもとまらない速度でキーを操っていた指が、突然動きを止める。
「どうしたのビバリー?」
「リョウさん」
くるりと振り返ったビバリーの眉間に難解な皺が刻まれている。
「サムライさんの本名、なんでしたっけ?」
「………………さあ」
ビバリーが長く長く息を吐く。
「勘弁してくださいよ、本名わかんなきゃ個人ファイルにアクセスできないじゃないスか」
「あ」
忘れてた。
脱力したビバリーに愛想笑いを浮かべ、微妙な沈黙をとりなす。
「ま、まあいいさ!次、次いこう!」
結局サムライの本名は謎のまんまか、ちぇ。期待はずれに終わって内心舌打ちしつつ、ぐったり気落ちしたビバリーの背中を叩いて次を促す。うんざりとかぶりを振りつつパソコンと向き合い手をおどらせるビバリー、その耳朶に吐息をふきかける。
「次は鍵屋崎」
「鍵屋崎っスか?」
またまた理解不能と目を見張ったビバリーの肩に甘えるように腕をもたせかけ、斜め四十五度の角度を計算して小首を傾げる。
「スパイのスパイの身上調査。他意はないよ」
「どこまで本気でどこまで興味本位なんだか……」
ビバリーの指摘はあたってる。鍵屋崎とサムライに関しては、スパイの職務より個人の興味が先行してるのは否定できない。だって気になるじゃないか、鍵屋崎とサムライは生粋の日本人、ぼくらと違ってちゃんと国籍を所持してる日本に認められた日本人だ。それなのになぜ好き好んで犯罪を犯してこんな砂漠のど真ん中にある刑務所にぶちこまれたのか、その理由がどうしても知りたい。
まあ、本人だけしか知らない出生の秘密や隠された過去やらを知って優越感に浸りたいってのもあるけど。
「カギヤザキ ナオ、カギヤザキ ナオ……あれ?何度やってもエラーになっちゃいますよ」
「なんで?」
「さあ……」
本気で困惑した様子のビバリーの耳元でアドバイスする。
「苗字だけで検索してみたら?」
「あ、でました!」
快哉を叫んだビバリーの隣に強引に割りこみ、食い入るようにディスプレイにかぶりついて文面を読み上げる。
「囚人番号12321、鍵屋崎直。年齢15歳、血液型AB、生年月日2068年11月15日、世田谷区成城出身。父親は東京大学の名誉教授で遺伝子工学の権威でもある鍵屋崎 優(まさる)、母親はコロンビア大学を首席で卒業した才媛・鍵屋崎(旧姓・相楽)由佳利。両親ともに遺伝子工学の分野で数々の業績を成しえたエリート中のエリート。夫妻の長男として生まれた直も例外ではなく、四歳の時の知能検査でIQ180という非常に高い数値を記録。幼少期から父の手による高度な英才教育を施され、非公式の助手として両親の研究を手伝ってきた。しかし十五歳の六月、自宅にて両親を刺殺。動機については完全黙秘したため、東京プリズン送致が決定する。罪状尊属殺人。懲役……」
「80年!?うわ、重いっスね」
ビバリーが絶句する。たしかに重い。たとえ両親といえど、ふたりの人間を殺したくらいの罪じゃせいぜい懲役15年から20年前後が相場だ。鍵屋崎の80年は例外中の例外といえる。でも……
「パパとママを殺したんだもん。それくらいは当然っしょ」
冷たく取り澄ました鍵屋崎の顔写真に向け、苦々しく吐き捨てる。自分のパパとママをぐさりと殺っちゃうような狂人は80年といわず死ぬまで一生檻の中に閉じこめとくに限る。ビバリーが軽くキーを押し、添付ファイルを開く。新たな窓が開く。
ディスプレイの中央に現れたのは一枚の画像データ、大きくとりこまれた写真。
写真に写っているのはパリッとスーツを着こなした紳士然とした中年男性、その隣には目尻に神経質そうな小皺が寄った、どこかヒステリーな印象を与える顔だちの中年女性。中年男女に挟まれて立っている聡明そうな顔だちの少年は、今より少しあどけない鍵屋崎。
鍵屋崎の隣にいるのは……
「眼鏡より大事にしてる妹、か」
鍵屋崎の隣に寄りそうように立っているのは、簡素なワンピース姿の女の子。これといって特徴のない平凡な顔だちだが、虐待された兎のようにいたいけに怯えた目が印象的だ。おさげに結んだ髪を肩にたらし、どこかびくついた様子でこちらを窺い見ている。
「兄妹なのに似てないね」
「鍵屋崎はだれとも似てないっスよ」
たしかに家族のだれとも似てない。これなら安田と鍵屋崎のがよっぽどよく似てる。じっくりと家族写真を見つめ、素朴な感想を抱く。
「イヤミな一家だねえ」
「そうっすねえ。典型的日本人家庭ってかんじ?父親も母親も超のつくエリートで本人も天才児で高級住宅街に住んで……なにが不満だったんでしょうね」
鍵屋崎は幸せだったはずだ。
飢えることもなく寒さに震えることもなく、社会的にも認知された立派な両親に庇護されてエリート中のエリートとしての出世街道を約束されてたのに、何が不満で殺人なんて物騒な真似を?わけがわからない。最も、ヘンタイの考えてることなんて知りたくないけどネ。
ただ、これは僕の感想だけど。
最初にこの写真を見たとき、妙な違和感をおぼえたんだ。異物がまぎれこんでるみたいな、そんな感じ。じっくりと写真の隅々まで見渡して、ようやくその違和感の原因をつきとめた。
妹だ。
鍵屋崎の妹―データによると恵という名前らしいーは、おどおどした目つきでこちらを窺っている。両親と兄が高圧的な無表情でカメラを見つめているのに、彼女だけが自分の存在を詫びるようにうなだれて写っている。
これはただの勘だけど。鍵屋崎がパパとママを殺した背景には妹の存在が関わってるんじゃないかな。
さておき、これだけは言える。
「僕のママのほうが美人だ」
「はいはい」
鍵屋崎のママの顔を見つめて得意げに断言した僕におざなりに応じ、画面をスクロールさせるビバリー。ついでとばかり、囚人ナンバーが鍵屋崎と連番になるふたりのデータを呼び出す。
鍵屋崎の前、囚人番号12320は見覚えのある顔。昨日、食堂で鍵屋崎に話しかけていたあの囚人。
「囚人番号12320、リュウホウ。年齢14歳、血液型A、生年月日2069年1月3日、豊島区中国系スラム出身。典型的崩壊家庭に育つ。両親ともに重度の覚醒剤中毒で幼い頃からたびたび息子に暴力をふるっていた。9歳のとき最初の放火事件を起こして警察に補導されるが、その時は未遂ですんだため釈放。だがこの一年後にふたたび放火事件を起こしアパート一軒を全焼させ、五名の死傷者をだす。以後犯行はエスカレート、わずか四年の間に八十件の放火事件を起こし逮捕される。なお犯行の背景には両親の虐待によるストレスの蓄積、自分を注目してほしいという過度の欲求が潜在していたものと見られる」
「だろうね。殺しなんて犯すタマには見えなかったし……腰抜けでも簡単にできる犯罪、それが放火。腕力に自信がない青白い奴でもパッとマッチを擦って火をつければOK、あとは風任せ炎任せで火がめらめら燃え広がってくとこ見物してればいい。知ってる?放火ってのはね、自分を見てほしい、こっちを振り向いてほしいって願望の現われなんだ。炎が燃えれば燃えるほど注目度は上がる、パパやママその他大勢の人たちが自分の存在に気付いてくれる、承認してくれる。おおかたこのリュウホウって奴はだれもかれもから無視されて寂しい人生送ってきたんだろうね」
「おっと、コイツも日本人だ」
「どれ?」
ビバリーの肩を掴み、身を乗り出す。
「囚人番号12319、石動ダイスケ。年齢16歳、血液型B、生年月日2067年8月8日、練馬区出身。罪状強盗傷害十三件、強盗殺人二件。懲役二十年……うおっと」
データを流し見て、ビバリーが大袈裟にのけぞる。嫌悪に顔をしかめたビバリーの横ですっと目を細め、呟く。
「へえ、コイツ『モンスター』なんだ」
「『モンスター』っすね。きっと殺されますよ」
「またブラックワークの仕事が増えるね」
しみじみと言葉を交わしていた僕らの背後でコンコンとノック音が響く。ビバリーに目配せし、素早く腰を上げる。ビバリーがベッド下にパソコンをしまうのを目の端で確認し、ぱたぱたと扉に駆け寄る。くそ、いいところだったのにだれだよ。不満渦巻く胸中などおくびにも出さず、愛嬌満点の笑顔で扉を開ける。
「は~い」
愛想よいかけ声とともに扉を開けた僕は、廊下に立っていた人物に目をまるくする。
今さっき見た写真とおなじ、いや、あの写真より大人びた眼鏡の少年がそこにいた。
鍵屋崎だ。
「よく僕の房がわかったね。サムライに聞いたの?」
「それ以外にどんな情報入手手段がある」
―どうしてこう日本人ってこうむかつくのかなあ、あはは。
当たり前のことを聞くなといわんばかりに僕の房に踏みこむ鍵屋崎をよそに扉を閉じる。背後に気配を感じて振り返ると、鍵屋崎がじっと僕のベッドの上のテディベアを凝視していた。
視線で汚れるから、鍵屋崎に見られたくない。
鍵屋崎の視線からテディベアを隠そうと駆け出した僕の耳に、明朗快活な挨拶が響く。
「HEY,welcome!」
両手を広げて鍵屋崎に歩み寄ったビバリーが奴の手をとり握手しようとしたが、事前に回避される。反射神経は鈍いくせにこんな時ばっか異常に素早い。
「なるほど……潔癖症ってのはマジだったんスね!」
「ビバリー、新人くんをあんまりからかわないでよ。君のテンションについてける囚人なんて同房の僕くらいだよ?」
わざとらしく感激するビバリーにあきれる。
「からかうなんて人聞き悪いっス、ただ僕はフレンドリーな外人のフリしてコトの真相を確かめてみただけっス!新入りの鍵屋崎はとにかく人にさわられるのを嫌がる、鍵屋崎を剥こうとした凱の手下なんて針金で目ん玉刺されて失明寸前までいったらしいとか、あることないこと噂が流布してるし……どこまで本当だか体を張って確かめてみただけっス、グレテイストでソウルフルなチャレンジ精神を褒めてくださいよ」
「紹介が遅れたね。コイツ僕の同房の住人でビバリーっての」
「ビバリー……本名か?」
「違います!」
ビバリーが鼻の穴をふくらませてあだ名の由来を語りだす。
「僕のグランパは黒人ではじめてビバリ―ヒルズに豪邸を構えたアメリカンドリームの実現者なんっス!だから孫の僕もビバリーって呼ばれてるんス!」
ビバリーの嘘八百に笑いの発作を起こす。よっく言うよ、このハッカーは。
「コイツの言うコト本気にしないほうがいいよ。八割ガセだからさ」
「ガセじゃないっす、本当っス!いくらリョウさんでもマイグランパとマイファミリーを馬鹿にしたら許さないっスよ!?」
「はいはい、じゃあそういうことにしといてあげるよ」
「マジで僕はビバリ―ヒルズ出身なんです、ビバリ―ヒルズの実家ではかわいい妹のロザンナが僕の帰りを待ってるんス!兄の出所の日を待ち望んで僕の好物のママレードパイを焼いてるロザンナの姿が目に浮かびます……」
なーにがロザンナだ。さっき聞いたけど、ロザンナってのはビバリーがマイパソコンにつけてる名前じゃないか。パソコンに愛称つけるのもどうかしてると思うけどさ。
「彼はクスリをやっているのか?」
「あれがノーマルなテンションだよ。脳内麻薬を生成できるからわざわざクスリを打つ必要ないのさ」
鍵屋崎の問いに答え、小首を傾げて切り出す。
「そろそろ用件を聞こうか。なんで僕の房に来たの?」
自分のベッドに腰掛け、鍵屋崎と向き合う。「となりに座れ」とすすめなかったのは鍵屋崎に対するささやかなる意趣返し、不快感の表明ってやつ。僕のいやがらせが通じてるのかいないのか、傍目にはわからないポーカーフェイスで鍵屋崎が口を開く。
「僕が別段親しくもない君の房を訊ねる目的など一つしかない。君に命じられた件を処理しにきたんだ」
「へえ」
驚く。もうレイジの弱味を掴んだっていうの、この眼鏡は。食堂前の廊下で言い含めてからまだ一日っきゃたってないのに、意外と使えるじゃん。
少しだけ鍵屋崎を見直し、わくわくしながら身を乗り出す。
「それなら話は早い。レイジの弱点て、なに」
「レイジの弱点は……」
鍵屋崎がおもわせぶりに言葉を切る。続く展開を期待して、ぐっと身を乗り出した僕は危うくこけそうになった。
「ロンだ」
「…………………………は?」
前言撤回。
やっぱ鍵屋崎はバカだ。
「人聞き悪いこと言わないでくださいス、フェアプレイで手に入れたんス」
ふざけ半分で聞いた僕に、ビバリーが毅然と胸を張る。ひどく真剣な瞳でディスプレイの初期画面を立ち上げながら指を動かす。いちいちキーを確認したりはしない、奇跡の早業のブラインドタッチ。
「フェアプレイ?看守と寝たんじゃないの」
「リョウさんは下品なことしか考えないんスね」
あきれたような僕らしいとでも言うような嘆かわしげな表情でビバリーがかぶりを振り、手の速度を速める。
「これはれっきとした取引っす。えーと、たとえばですよ。東京プリズンにヤキモチ焼きの看守がいたとします。その看守が奥さんの浮気を疑ってるとします」
「ふむふむ」
「奥さんの浮気を疑った看守が浮気現場の証拠を掴もうとある囚人に泣きついたとします」
「その内容は?」
「監視カメラっすよ。いや、盗撮カメラが正しいかな」
青白く発光するディスプレイを上下に流れてゆく数字の羅列を眺めながら、ビバリーがにやりと笑う。
「市販の防犯カメラじゃ盗撮には不都合なんすよね、耳の感度がいい人の中にはカメラの作動音を聞き分けちゃう人もいるし解像度も悪い。だからその囚人は特別に看守の頼みを聞いてやったわけです。ちょくっと回線をいじくって解像度を上げて、ね」
「やっるー」
「いやあ、それほどでも」
ひゅうと口笛を吹いてやる。頭をかきながら照れ笑いするビバリー。いちおう実名は伏せていてもコロリと変わった態度だけでだれのことを言ってるかはお見通しってね。
「で、このパソコンはそん時の戦利品ってわけっス」
鼻高々に言いきり、かちゃかちゃとキーを押しこむ。パソコンからかん高い音が鳴る。エラー音かといぶかしんだが、違った。ハッキング終了の合図らしい。
「さて、リョウさんはだれのデータを覗き見したいんスか?」
最初こそ嫌なふりをしてみせたけど、その実久々のハッキングで興奮しているらしく、嬉嬉とした様子で指を鳴らすビバリー。その右肩に顎をのせて淡く発光するディスプレイを覗きこみ、頭の中で優先順位をおさらいする。
「トップはサーシャだ」
敵を知る前に味方から。常識だ。最も僕がサーシャを味方と思ったことは一度もないけど。ディスプレイの光に顔を青く染め、ビバリーが頷く。
「了解」
ビバリーの対応は迅速だった。
魔法使いは杖の一振りで奇跡を起こすけど、ビバリーに杖なんていらない。指一本で十分だ。
「でた」
ビバリーが短く呟く。それに応じて画面に表示されたのは、東京プリズンのデータベースに厳重に保管されている囚人のデータ。個人のプライバシーに関わる事柄のため上層部の人間しか閲覧不可となっているが、そんなことは関係ない。自分の保身のために使えるモノならなんでも利用する、それが終始一貫した僕のスタンス。たとえそれが同房のビバリーだって変わらない。
画面に表示されたデータを声にだして読み上げる。
「囚人番号11923、サーシャ。年齢18歳、血液型O。生年月日2065年12月30日。ロシア出身。ロシアンマフィアの重鎮の愛人の子として生まれ表向きの幼少期をモスクワのサーカスで過ごすが、その裏では父に命じられ敵対組織の要人の暗殺をこなす。ロシアンマフィアの勢力圏を広げようと画策した父により14歳で日本に送りこまれ、組織拡張の障害となる広域指定暴力団の要人を八名殺害。東京プリズン送致が決定する。罪状・殺人、暴行、傷害致死、その他諸々。懲役30年」
「ナイフの扱いはサーカス仕込みっすか」
「だろうね」
ディスプレイの右上に表示されているのはサーシャの顔写真。むっつり不機嫌そうに黙りこんでこちらを睨みついているその顔は屍蝋のようにあおざめてこそいるが、いまほど痩せこけてはいない。この頃はまだ覚醒剤中毒の初期段階でそんなにヤク中が進行してなかったのだろう。つまりまだ、心がけ次第でヤクから足を洗って真人間に後戻りできた頃だ。今じゃ手遅れ、お気の毒さま。
「次、レイジと同じ房のムジナ、ロン」
「合点」
かちゃかちゃとキーの鳴る音だけが無機質に響き、画面が切り替わる。
画面右上に表示されているのはロンの仏頂面。逮捕直後に撮られたのだろう、半袖シャツからつきでた手足の至る所に擦り傷が生じている。
「囚人番号11960、ロン。年齢13歳、血液型B。生年月日2070年6月15日、豊島区池袋台湾系スラム出身。台湾人の母親と母子家庭で育つ。父親は中国人だがロンの生後間もなく失踪、以降音沙汰なし。物心ついた時から親子仲は険悪でアルコール依存症で情緒不安定な母からたびたび虐待を受けてきたが、11歳の時母親の情夫を刺して家を出、池袋を中心に十代の少年たちで構成される武闘派チーム『月天心』に所属。対立チームとの抗争に明け暮れる日々を送るが、投擲した手榴弾により敵チームの構成員八名が死傷。うち三名が即死、二名が脊髄と腰椎を損傷する重傷、残り三名が軽傷を負い東京プリズン送致が決定する。罪状・傷害致死。懲役18年」
「手榴弾すかー。ハデにやりましたね」
口笛を吹くかたちに唇をすぼめ、ビバリーが呑気に感心する。ビバリーの肩によりかかった姿勢でロンのデータを読みながら、少し得意げにマメ知識を披露する。
「最近は第二次ベト戦の横流し品が大量に流出してるからねー。しかも不良品。一歩まちがえば爆発にまきこまれて自分自身までボン!さ」
実際手榴弾を手に入れること自体はそうむずかしいことじゃない。治安の悪いスラムには米軍の横流し品が大量に出回ってるのが現状だ。日本政府は日本人にさえ危害が及ばなければいいやと放任主義をきめこんでるからスラムの治安は一向に改善されず、手榴弾ほか危険物の取り締まりはお世辞にも徹底してるとはいえず、ぶっちゃけ野放しでスルーの状態だ。
結局この国は日本人「だけ」がかわいいんだね。むかつく。
たとえ日本で生まれ育ってようが僕みたいな赤毛のガキやロンみたいな台中混血児はやつらの眼中にない、日本人じゃないからだ。かってに日本にきてかってに繁殖して増殖した連中で殺し合おうがなにしようが善良な日本人に危害が及ばなければそれでいいと、凶悪犯罪を犯したガキどもを片っ端から東京プリズンにぶちこんでるのがいい証拠じゃないか。
ま、そんな個人の感情はおいといて、と。
「お次はサムライ」
「レイジさんじゃないんすか?」
キーに手をおいたまま、怪訝な顔で振り返るビバリー。ちっちっちっと舌打ちし、リズミカルに指を振る僕。
「あせんないでよ、時間はたっぷりあるんだ。せっかく東京プリズンデータベースにアクセスしたことだし、謎に包まれたサムライの実体を暴いてもバチはあたんないでしょう。それに」
「それに?」
「東棟でレイジと対等に渡り合えるのはサムライだけだ」
半歩膝を進め、ビバリーに近寄る。おもわせぶりにビバリーの顔を覗きこみ、続ける。
「ロンは―…アイツは対等というより、レイジに気に入られて遊ばれてるから別格として。レイジと互角に渡り合える数少ない人間なんだ、いざって時のために弱味のひとつやふたつ掴んでおいて損はないでしょう」
「脱線してますよリョウさん」
いやそうに顔をしかめたビバリーに両手を打ち合わせておねがいする。
「おねがいビバリー!このとおり!」
自分でも脱線してる自覚はあるけど東京プリズンのデータベースにアクセスできるなんてまたとない機会だし、この機を逃したらサムライの秘密なんて一生知ることができない気がする。ちょっとくらい欲をだしたっていいよね。
「しかたないっすね……」
90度方向転換し、しぶしぶパソコンに向き直るビバリー。やった、なんだかんだ言いつつ甘いんだから。死角でこっそりとほくそ笑み、ビバリーの肩越しにディスプレイを覗きこむ。目にもとまらない速度でキーを操っていた指が、突然動きを止める。
「どうしたのビバリー?」
「リョウさん」
くるりと振り返ったビバリーの眉間に難解な皺が刻まれている。
「サムライさんの本名、なんでしたっけ?」
「………………さあ」
ビバリーが長く長く息を吐く。
「勘弁してくださいよ、本名わかんなきゃ個人ファイルにアクセスできないじゃないスか」
「あ」
忘れてた。
脱力したビバリーに愛想笑いを浮かべ、微妙な沈黙をとりなす。
「ま、まあいいさ!次、次いこう!」
結局サムライの本名は謎のまんまか、ちぇ。期待はずれに終わって内心舌打ちしつつ、ぐったり気落ちしたビバリーの背中を叩いて次を促す。うんざりとかぶりを振りつつパソコンと向き合い手をおどらせるビバリー、その耳朶に吐息をふきかける。
「次は鍵屋崎」
「鍵屋崎っスか?」
またまた理解不能と目を見張ったビバリーの肩に甘えるように腕をもたせかけ、斜め四十五度の角度を計算して小首を傾げる。
「スパイのスパイの身上調査。他意はないよ」
「どこまで本気でどこまで興味本位なんだか……」
ビバリーの指摘はあたってる。鍵屋崎とサムライに関しては、スパイの職務より個人の興味が先行してるのは否定できない。だって気になるじゃないか、鍵屋崎とサムライは生粋の日本人、ぼくらと違ってちゃんと国籍を所持してる日本に認められた日本人だ。それなのになぜ好き好んで犯罪を犯してこんな砂漠のど真ん中にある刑務所にぶちこまれたのか、その理由がどうしても知りたい。
まあ、本人だけしか知らない出生の秘密や隠された過去やらを知って優越感に浸りたいってのもあるけど。
「カギヤザキ ナオ、カギヤザキ ナオ……あれ?何度やってもエラーになっちゃいますよ」
「なんで?」
「さあ……」
本気で困惑した様子のビバリーの耳元でアドバイスする。
「苗字だけで検索してみたら?」
「あ、でました!」
快哉を叫んだビバリーの隣に強引に割りこみ、食い入るようにディスプレイにかぶりついて文面を読み上げる。
「囚人番号12321、鍵屋崎直。年齢15歳、血液型AB、生年月日2068年11月15日、世田谷区成城出身。父親は東京大学の名誉教授で遺伝子工学の権威でもある鍵屋崎 優(まさる)、母親はコロンビア大学を首席で卒業した才媛・鍵屋崎(旧姓・相楽)由佳利。両親ともに遺伝子工学の分野で数々の業績を成しえたエリート中のエリート。夫妻の長男として生まれた直も例外ではなく、四歳の時の知能検査でIQ180という非常に高い数値を記録。幼少期から父の手による高度な英才教育を施され、非公式の助手として両親の研究を手伝ってきた。しかし十五歳の六月、自宅にて両親を刺殺。動機については完全黙秘したため、東京プリズン送致が決定する。罪状尊属殺人。懲役……」
「80年!?うわ、重いっスね」
ビバリーが絶句する。たしかに重い。たとえ両親といえど、ふたりの人間を殺したくらいの罪じゃせいぜい懲役15年から20年前後が相場だ。鍵屋崎の80年は例外中の例外といえる。でも……
「パパとママを殺したんだもん。それくらいは当然っしょ」
冷たく取り澄ました鍵屋崎の顔写真に向け、苦々しく吐き捨てる。自分のパパとママをぐさりと殺っちゃうような狂人は80年といわず死ぬまで一生檻の中に閉じこめとくに限る。ビバリーが軽くキーを押し、添付ファイルを開く。新たな窓が開く。
ディスプレイの中央に現れたのは一枚の画像データ、大きくとりこまれた写真。
写真に写っているのはパリッとスーツを着こなした紳士然とした中年男性、その隣には目尻に神経質そうな小皺が寄った、どこかヒステリーな印象を与える顔だちの中年女性。中年男女に挟まれて立っている聡明そうな顔だちの少年は、今より少しあどけない鍵屋崎。
鍵屋崎の隣にいるのは……
「眼鏡より大事にしてる妹、か」
鍵屋崎の隣に寄りそうように立っているのは、簡素なワンピース姿の女の子。これといって特徴のない平凡な顔だちだが、虐待された兎のようにいたいけに怯えた目が印象的だ。おさげに結んだ髪を肩にたらし、どこかびくついた様子でこちらを窺い見ている。
「兄妹なのに似てないね」
「鍵屋崎はだれとも似てないっスよ」
たしかに家族のだれとも似てない。これなら安田と鍵屋崎のがよっぽどよく似てる。じっくりと家族写真を見つめ、素朴な感想を抱く。
「イヤミな一家だねえ」
「そうっすねえ。典型的日本人家庭ってかんじ?父親も母親も超のつくエリートで本人も天才児で高級住宅街に住んで……なにが不満だったんでしょうね」
鍵屋崎は幸せだったはずだ。
飢えることもなく寒さに震えることもなく、社会的にも認知された立派な両親に庇護されてエリート中のエリートとしての出世街道を約束されてたのに、何が不満で殺人なんて物騒な真似を?わけがわからない。最も、ヘンタイの考えてることなんて知りたくないけどネ。
ただ、これは僕の感想だけど。
最初にこの写真を見たとき、妙な違和感をおぼえたんだ。異物がまぎれこんでるみたいな、そんな感じ。じっくりと写真の隅々まで見渡して、ようやくその違和感の原因をつきとめた。
妹だ。
鍵屋崎の妹―データによると恵という名前らしいーは、おどおどした目つきでこちらを窺っている。両親と兄が高圧的な無表情でカメラを見つめているのに、彼女だけが自分の存在を詫びるようにうなだれて写っている。
これはただの勘だけど。鍵屋崎がパパとママを殺した背景には妹の存在が関わってるんじゃないかな。
さておき、これだけは言える。
「僕のママのほうが美人だ」
「はいはい」
鍵屋崎のママの顔を見つめて得意げに断言した僕におざなりに応じ、画面をスクロールさせるビバリー。ついでとばかり、囚人ナンバーが鍵屋崎と連番になるふたりのデータを呼び出す。
鍵屋崎の前、囚人番号12320は見覚えのある顔。昨日、食堂で鍵屋崎に話しかけていたあの囚人。
「囚人番号12320、リュウホウ。年齢14歳、血液型A、生年月日2069年1月3日、豊島区中国系スラム出身。典型的崩壊家庭に育つ。両親ともに重度の覚醒剤中毒で幼い頃からたびたび息子に暴力をふるっていた。9歳のとき最初の放火事件を起こして警察に補導されるが、その時は未遂ですんだため釈放。だがこの一年後にふたたび放火事件を起こしアパート一軒を全焼させ、五名の死傷者をだす。以後犯行はエスカレート、わずか四年の間に八十件の放火事件を起こし逮捕される。なお犯行の背景には両親の虐待によるストレスの蓄積、自分を注目してほしいという過度の欲求が潜在していたものと見られる」
「だろうね。殺しなんて犯すタマには見えなかったし……腰抜けでも簡単にできる犯罪、それが放火。腕力に自信がない青白い奴でもパッとマッチを擦って火をつければOK、あとは風任せ炎任せで火がめらめら燃え広がってくとこ見物してればいい。知ってる?放火ってのはね、自分を見てほしい、こっちを振り向いてほしいって願望の現われなんだ。炎が燃えれば燃えるほど注目度は上がる、パパやママその他大勢の人たちが自分の存在に気付いてくれる、承認してくれる。おおかたこのリュウホウって奴はだれもかれもから無視されて寂しい人生送ってきたんだろうね」
「おっと、コイツも日本人だ」
「どれ?」
ビバリーの肩を掴み、身を乗り出す。
「囚人番号12319、石動ダイスケ。年齢16歳、血液型B、生年月日2067年8月8日、練馬区出身。罪状強盗傷害十三件、強盗殺人二件。懲役二十年……うおっと」
データを流し見て、ビバリーが大袈裟にのけぞる。嫌悪に顔をしかめたビバリーの横ですっと目を細め、呟く。
「へえ、コイツ『モンスター』なんだ」
「『モンスター』っすね。きっと殺されますよ」
「またブラックワークの仕事が増えるね」
しみじみと言葉を交わしていた僕らの背後でコンコンとノック音が響く。ビバリーに目配せし、素早く腰を上げる。ビバリーがベッド下にパソコンをしまうのを目の端で確認し、ぱたぱたと扉に駆け寄る。くそ、いいところだったのにだれだよ。不満渦巻く胸中などおくびにも出さず、愛嬌満点の笑顔で扉を開ける。
「は~い」
愛想よいかけ声とともに扉を開けた僕は、廊下に立っていた人物に目をまるくする。
今さっき見た写真とおなじ、いや、あの写真より大人びた眼鏡の少年がそこにいた。
鍵屋崎だ。
「よく僕の房がわかったね。サムライに聞いたの?」
「それ以外にどんな情報入手手段がある」
―どうしてこう日本人ってこうむかつくのかなあ、あはは。
当たり前のことを聞くなといわんばかりに僕の房に踏みこむ鍵屋崎をよそに扉を閉じる。背後に気配を感じて振り返ると、鍵屋崎がじっと僕のベッドの上のテディベアを凝視していた。
視線で汚れるから、鍵屋崎に見られたくない。
鍵屋崎の視線からテディベアを隠そうと駆け出した僕の耳に、明朗快活な挨拶が響く。
「HEY,welcome!」
両手を広げて鍵屋崎に歩み寄ったビバリーが奴の手をとり握手しようとしたが、事前に回避される。反射神経は鈍いくせにこんな時ばっか異常に素早い。
「なるほど……潔癖症ってのはマジだったんスね!」
「ビバリー、新人くんをあんまりからかわないでよ。君のテンションについてける囚人なんて同房の僕くらいだよ?」
わざとらしく感激するビバリーにあきれる。
「からかうなんて人聞き悪いっス、ただ僕はフレンドリーな外人のフリしてコトの真相を確かめてみただけっス!新入りの鍵屋崎はとにかく人にさわられるのを嫌がる、鍵屋崎を剥こうとした凱の手下なんて針金で目ん玉刺されて失明寸前までいったらしいとか、あることないこと噂が流布してるし……どこまで本当だか体を張って確かめてみただけっス、グレテイストでソウルフルなチャレンジ精神を褒めてくださいよ」
「紹介が遅れたね。コイツ僕の同房の住人でビバリーっての」
「ビバリー……本名か?」
「違います!」
ビバリーが鼻の穴をふくらませてあだ名の由来を語りだす。
「僕のグランパは黒人ではじめてビバリ―ヒルズに豪邸を構えたアメリカンドリームの実現者なんっス!だから孫の僕もビバリーって呼ばれてるんス!」
ビバリーの嘘八百に笑いの発作を起こす。よっく言うよ、このハッカーは。
「コイツの言うコト本気にしないほうがいいよ。八割ガセだからさ」
「ガセじゃないっす、本当っス!いくらリョウさんでもマイグランパとマイファミリーを馬鹿にしたら許さないっスよ!?」
「はいはい、じゃあそういうことにしといてあげるよ」
「マジで僕はビバリ―ヒルズ出身なんです、ビバリ―ヒルズの実家ではかわいい妹のロザンナが僕の帰りを待ってるんス!兄の出所の日を待ち望んで僕の好物のママレードパイを焼いてるロザンナの姿が目に浮かびます……」
なーにがロザンナだ。さっき聞いたけど、ロザンナってのはビバリーがマイパソコンにつけてる名前じゃないか。パソコンに愛称つけるのもどうかしてると思うけどさ。
「彼はクスリをやっているのか?」
「あれがノーマルなテンションだよ。脳内麻薬を生成できるからわざわざクスリを打つ必要ないのさ」
鍵屋崎の問いに答え、小首を傾げて切り出す。
「そろそろ用件を聞こうか。なんで僕の房に来たの?」
自分のベッドに腰掛け、鍵屋崎と向き合う。「となりに座れ」とすすめなかったのは鍵屋崎に対するささやかなる意趣返し、不快感の表明ってやつ。僕のいやがらせが通じてるのかいないのか、傍目にはわからないポーカーフェイスで鍵屋崎が口を開く。
「僕が別段親しくもない君の房を訊ねる目的など一つしかない。君に命じられた件を処理しにきたんだ」
「へえ」
驚く。もうレイジの弱味を掴んだっていうの、この眼鏡は。食堂前の廊下で言い含めてからまだ一日っきゃたってないのに、意外と使えるじゃん。
少しだけ鍵屋崎を見直し、わくわくしながら身を乗り出す。
「それなら話は早い。レイジの弱点て、なに」
「レイジの弱点は……」
鍵屋崎がおもわせぶりに言葉を切る。続く展開を期待して、ぐっと身を乗り出した僕は危うくこけそうになった。
「ロンだ」
「…………………………は?」
前言撤回。
やっぱ鍵屋崎はバカだ。
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