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四十二話
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食堂は賑やかだった。
腹をすかせた囚人たちが一同に会してるんだからそりゃ賑やかなのは当たり前、喧嘩と罵詈雑言は日常茶飯事。長方形のテーブルの上で食器をひっくりかえして取っ組み合ってる喧嘩っ早い囚人、見晴らしのよい二階の特等席を陣取って他の囚人から飯を強奪してるのは凱の一党だろうか。手摺でさえぎられた一階まで濁声の高笑いが聞こえてくる。
頭上で飛び交うフォークの嵐の中を足早にカウンターに駆け寄りトレイを手に取る。アルミの食器をぱぱっと並べた上に見た目にも栄養的にもお粗末な朝食が盛られていく。
「前から思ってたんだけどさあ」
おとなしく列に並んだ僕の後ろ、「なんスか?」とトレイを抱えたビバリーが身を乗り出してくる。
「署長以下上層部は囚人の食費をこれ幸いと懐にためこんでるんじゃない?じゃなきゃおかしいって、こんなまずしい献立」
東京プリズンの献立は和食と洋食が一日おきと決められてるけどどっちも内容的には褒められたもんじゃない。今日の献立はワカメの味噌汁とかぶの漬物、白米と焼き魚という純和食。正直いって僕の口にはあわない。
「フィッシュアンドチップスが食べたいなあ」
素直な願望が口をついてでる。後ろでビバリーもため息をつく。
「僕はジャンクフードが食べたいっす、油でべとべとの体に悪そうなポテトとハンバーガー。最高っすね」
「むかしむかしの話だけど」
カウンターの列が移動する。アルミの受け皿にワカメの味噌汁が注がれるのを気のない目で眺めながら説明する。
「アメリカのマクドナルドでさ、シェイクが馬鹿売れしたことあったんだ。くる客くる客みんなシェイクシェイクでシェイクばっか飛ぶように売れたの。なんでだと思う?」
「さあ?」
まったくご存じないですと首を振るビバリーを振り返りにっこり笑う。他人が知らないことを自分が知ってると実に気分がいい。
「シェイクについてる先割れプラスチックスプーンが覚醒剤の粉を吸うのにちょうどいいからだって。スプーンの先っぽに粉を乗せて炙って吸うんだ。ま、それがバレてプラスチックスプーンは廃棄されたわけだけど」
「さっすがリョウさん、ジャンキーは物知りっすねえ」
目をまんまるくしたビバリーが感心したように唸る。トレイを片手に預けた僕はもう一方の手で注射器を打つ真似をする。
「クスリのことなら任せといてよ、だてにドラッグストアを名乗っちゃいない。強壮剤から催淫剤までなんでもござれだ」
「リョウさんは朝飯代わりに錠剤噛み砕いてたほうがいいんじゃないスかね」
ビバリーが首を振って給仕の看守から皿を受け取る。朝の献立を受けとってカウンターを離れた僕らは空いてる席をさがして食堂をさまよう。
「今朝やってきたあの看守もリョウさんの噂聞きつけてクスリもらにきたんでしょ?」
「ああ、ラッシ―ね。クスリが必要なのはラッシ―じゃなくて正確には彼の奥さんだけど」
したり顔で頷く。
いつも高圧的に威張り散らしてる看守のゴシップは窮屈な生活を送ってる囚人たちにとって格好の餌。それに男娼兼情報屋まがいの副業をしてれば自然といろんな噂が入ってくるのだ。
「ラッシ―んとこは夫婦仲が悪くて、家じゃ毎日喧嘩してるの。で、精神的においつめられたラッシ―の奥さんは重度の不眠症からアルコールに逃げるようになって……でも最近じゃ免疫ができちゃってアルコールもきかないらしい、市販の睡眠薬なんてぜんぜん」
「だからリョウさんとこに睡眠薬もらいにくるんすか」
「そう、僕が持ってるクスリなら一発で天国にイケるから」
ビバリーが薄気味悪そうに距離をとる。
「冗談だよ。僕が売ってる薬だって無茶な飲み方しなきゃ安全さ、たぶん」
ラッシ―が事故に見せかけた睡眠薬の誤飲で奥さん殺そうとしてるなら別だけど、そこまで責任もてない。疑り深げな目つきのビバリーをてきとーにはぐらかしてきょろきょろとあたりを見回す。周囲の席は全部先客で埋まってる。出遅れたと舌打ち。このぶんじゃ立ったままご飯を食べなきゃならなくなる。
食器が床を打つかん高い音が響いた。
「!」
何事かと思い振り向く。僕の目線の先、テーブルとテーブルの間の通路に突っ立っているのは見覚えのある顔―鍵屋崎だ。鍵屋崎の足もとには食器が落ちて一面に味噌汁がぶちまけられている。鍵屋崎のそばにいた囚人がにやにやと笑ってる。
一瞬で状況が理解できた。
「わっりい、当たっちまった。わざとじゃねえんだけどよー」
思ったとおり、その囚人はへらへら笑いながら言った。言葉とはうらはらに反省してる様子はこれっぽっちもない。絶対100%確実にわざとの確信犯だ。
「もったいねえから四つん這いになって舐めたらどうだ?犬畜生にも劣る親殺しにはお似合いの格好だろうが」
呆然と立ち尽くした鍵屋崎の前を声高に笑いながら通り過ぎ、仲間が陣取っているテーブルへと向かう。真ん中の席に腰を落ち着けた囚人を左右の仲間が「よくやったな!」と肩を叩いてねぎらう。
「あちゃー。インケンですねえ」
「避ければいいんだよ」
眉をひそめたビバリーの方は向かず、冷めた声で呟く。
「ほんとうトロいんだから、日本人は」
鍵屋崎はなにも反論しなかった。
わざとぶつかってきた男を追おうともせず、ただ黙って通路の真ん中に立ち尽くしていたが、疲れたようにため息をついてサムライと二言三言交わす。声が小さすぎてこの距離からでは何を話してるか聞き取れないけど、たった数日でまあずいぶんと仲良くなったものだ。
と、鍵屋崎のところにだれかが足早に近づいてきた。小柄で痩せた囚人だ。その囚人は鍵屋崎と顔見知りらしく、床にぶちまけられた味噌汁と彼の顔とを見比べながらおどおどとなにかを申し出る。鍵屋崎が躊躇してあたりを見回す。サムライをさがしてるんだ。僕もサムライをさがして視線を巡らす。
いた。
サムライの姿はカウンターにあった。給仕の看守に何事か話しかけ、雑巾を受け取って会釈する。サムライがなにをしようとしてるか察しがついた。おおかた、鍵屋崎が床にこぼした味噌汁の後始末をする気なんだろう。
律儀なサムライ。
そうとは知らず鍵屋崎は、痩せた囚人と一緒に通路を歩み去ってゆく。
「トモダチっすかねえ」
「鍵屋崎の?物好きだね」
「どっちが?」
「両方」
鍵屋崎は絶対に友人に欲しくないタイプだし、鍵屋崎と一緒に歩いてる囚人にしてもとても友人が多そうなタイプには見えない。刑務所内で孤立してる囚人の間に妙な連帯感が芽生えたという可能性も捨てきれないけど。
なんとなく目で追ってた僕の視線の先で、鍵屋崎とその友人(?)は空いてる席に座った。ふたり、ぼそぼそと会話しながら箸を手にとり食事をはじめる。
「あっ、リョウさん空きましたよ!」
鍵屋崎の口元に注目してた僕の袖を引っぱって注意を促すビバリー。はやばやと食事を終えた囚人がふたり席を立ち、カウンターへとトレイを返却しにいく。しめた。急いで空いた席に座る。立ったまま食事をとらずに済んでほっとした僕の隣、ビバリーが小手をかざして叫ぶ。
「おお、拭いてる拭いてる」
通路にしゃがみこんでもぞもぞと動いてる長身痩躯―サムライだ。鍵屋崎がこぼした味噌汁をきびきびした動作で拭き取っている。
「こぼれた味噌汁とか牛乳とか放っとけないタチなんでしょうねえ」
「イカレてるよ日本人」
感動に打たれたように箸を握り締めて放心するビバリーに、率直な感想を述べる。箸を握り締めて食器を手に取る。外にいた時はトーストにスクランブルエッグ、それに紅茶のイングリッシュブレックファーストに慣れてたからいまだに箸の扱いに慣れない。不器用につまんだご飯を一口なげこみ、もぞもぞと顎を動かす。こんがり焼いたシナモントーストが恋しいなあ。
「あ、そうだ」
ご飯を半分ほど食べたところでふと思いつき、ビバリーを見る。
「あとでお願いしたいことがあるんだけど、ビバリー」
「オネガイ?」
僕と同様、不器用に焼き魚を開いて骨をとりのぞいていたビバリーがものすごく嫌な顔をする。
「僕、注射器なんて持ったことないから動脈と静脈間違えちゃうかもしれませんよ」
「だれがきみにクスリ打ってほしいなんて言ったのさ、自分でやるよ」
「え?ついにヤクが末端神経に回って指先の震えが止まらなくなったんじゃないスか、リョウさん」
「ちがくて」
箸を握り締めたままビバリーの方に身を乗り出し、そっと耳元でささやく。
『きみのハッキング能力を信用して頼みたいことがあるの。あとで東京プリズンの個人情報データ―ベースにしのびこんでくれない?』
『は!?犯罪っスよ!』
仰天したビバリーに「なにをいまさら」と苦笑いする。
『いまさらひとつふたつ犯罪歴ついたところでどうってことないでしょ。それに僕知ってるんだよ、檻の中にぶちこまれた今でも暇さえあればきみがパソコンいじってること』
『……バレてたんすか?』
『夜中に隠れてこそこそやってりゃ嫌でも目につくよ』
気の毒なほど青ざめたビバリーに両手をすりあわせ、かわいくお願いする。
『please!同房のよしみで、相方を助けると思ってさ。ね?』
ビバリーはまじまじと僕を見つめていたけど、やがて周囲の耳目を推し量るように落ち着きなさげにあたりを見回し、声を低めて探りを入れてくる。
『なにを企んでるんスか、リョウさん』
『僕は北のスパイだよ』
察しの悪いビバリーの鼻の頭を箸でちょんとつつき、笑う。
『標的とその関連人物の情報収集はスパイのお約束でしょう』
自分がなにをさせられるか悟ったビバリーが反駁しかけたが、翻意させようと手を尽くすだけ無駄だと諦観の境地に達したのだろう。賢い。ふるふると首を振りつつ箸を握りなおし、気乗りしない様子で焼き魚を口に運ぶビバリー。と、ビバリーの頭の向こうで鍵屋崎が席を立った。例の囚人をひとり残してテーブルを去った鍵屋崎は足早に通路を抜け、食堂をでていこうとする。
やばい。
鍵屋崎の姿を人ごみに見失う前に一気にご飯をかっこみ、味噌汁を飲み干す。からになった食器を叩きつけるようにトレイに置き、テーブルを平手で叩いて立ち上がる。
「ごちそうさま、あとよろしくビバリー!」
「よろしくって……自分で片付けてくださいよ!?」
トレイを放置して通路を走り出した僕の背にビバリーの声がかかったけど、足を速めて無視。ビバリーはあれで気のいい奴だから僕のぶんまでトレイを返しといてくれるだろう。それで強制労働に遅刻したらちょっとかわいそうだけど。
フェラで許してくれるかな?だめか、ノーマルだもんね。
食堂をでたところで鍵屋崎に追いついた。食堂をでる際、レイジに呼び止められて時間が稼げたらしい。さいわい周囲に人影はない。なぜか怒ったような顔をした鍵屋崎の背後に歩み寄り、唐突に声をかける。
「君って二種類しか表情ないね」
鍵屋崎が振り返る。眉間には不可解な皺が刻まれている。
その憮然とした表情を眺めていると、素朴な疑問をぶつけずにはいられない。
「怒ってるか無表情か、そのどっちかだ。喜怒哀楽の喜と哀と楽はどこにいっちゃったわけ?」
「顔をどけろ。僕はこれからバス停にいくんだ」
顔を突き出した僕を邪険に振り払い、地下駐車場へ向かおうとする鍵屋崎。つれないなあ。すれちがう間際、鍵屋崎の片腕を掴み、人目を避けて廊下の死角に連れこむ。
不愉快そうに顔をしかめた鍵屋崎が口を開くよりはやくポケットを探り、彼の手に眼鏡を預ける。
「はい、あがり」
手に握らされた眼鏡に鍵屋崎が驚く。なんだか新鮮な反応だ。おそるおそる眼鏡をかけた鍵屋崎が、ちゃんと焦点のあった目で正面の僕を見る。
「どう?」
「すごいな」
本当に感心してるらしく、声には素直な響きがあった。
それはよかった。でも、僕だってタダで眼鏡を直したわけじゃない。見返りがなきゃね。
「で、そっちのほうは進んでるかな?」
「なに?」
「とぼけないでよ、眼鏡と引き換える代金のことだよ」
一瞬の間があった。
「……いや。まだ何も進んでない」
「あっちゃー」
そんなこったろうと思ったけどね。
額を叩いて廊下の壁にもたれる。食堂をでるときレイジと話してたからなにか進展あったかなと期待して追ってきたのに、とんだ骨折り損だ。がっくりした。自然、口調も恨みがましくなる。
「僕言ったよね?眼鏡を直す代わりにレイジの弱味を探ってきてって、しっかりちゃっかり頼んだよね」
「仕方ないだろ、僕とレイジはとくに親しい間柄じゃない。入所初日に彼の気まぐれでからかわれただけの希薄な関係だ。そんな人間相手にどうやって弱味を掴めばいいんだ?」
「そこは頭の使いようっしょ。メガネが戻ったメガネくん、君頭がいいんだから何かいい案考えてよ」
「僕の頭はそんなくだらないことに使うためにあるわけじゃない」
堂堂巡り。
さすがにむかついてきた。なんだよ、僕は鍵屋崎の交換条件とやらを呑んで速攻眼鏡をなおしてあげたのに肝心の鍵屋崎はまだなにも情報を掴んでないという。にも関わらず、こんなでかい口を叩く。
何様?ファッキンジャップのくせに。
大股に鍵屋崎に歩み寄り、試すように目を細めて可愛げないツラを見上げる。
「メガネくん、君が今やろうとしてるのはおいしいとこどりのヤリ逃げと一緒だよ。僕は約束どおり速攻メガネを直してあげたのに、肝心の君はまだなんにもやってないって言う。レイジの弱味を掴むどころか、レイジと接触してもないって言う。なにそれ?君、ハナから料金ごまかしてトンズラするつもりだったわけ」
「そうは言ってないが、」
「ダメだよそんなの」
先回りしてきっぱり断言する。
「東京プリズンではそんなの効かない。いいかい、これは取引なんだ。一度取引の制約を破った者がどうなるか、知りたい?」
「………どうなるんだ?」
慎重に聞き返した鍵屋崎にイタズラ心を刺激され、笑いながら言う。
「そのメガネ、裏っ返してよ~く見てごらん。弦に超小型爆弾が仕込まれてるの気付いた?」
「!」
はじかれるように眼鏡をはずした鍵屋崎が、爆弾を解除する専門家の手つきでフレームをいじくりだす。
「うっそー」
鍵屋崎が硬直した。
「……メガネのレンズに埃が付着していた」
ポーカーフェイスを装い、囚人服の裾でレンズを拭う。苦しい、苦しすぎその言い訳。笑いを噛み殺すのに苦労しながら、続ける。
「まあ今のは冗談だけど。僕には囚人・看守問わず何人かのパトロンがいてね、僕のおねがいならなんでも聞いてくれるんだ。メガネくんに裏切られた~って目薬さして泣きつけば、僕にぞっこんホレてる彼らがどんな極端な行動にでるかわからないよ?」
「恐喝か」
「脅迫とも言うね」
壁から背を起こし、スキップしながら鍵屋崎の前を通り過ぎる。
「期限はあと四日。四日後までにレイジの弱点を掴んできて」
そう、四日。あと四日までにレイジの弱味を掴んでサーシャに報告しなきゃ、僕はおいしいご褒美にありつけない。
メガネくんの視線を背中に感じながら、鼻歌まじりにスキップを踏む。
とはいえ、鍵屋崎ひとりに任せておくのは不安だ。
サーシャじゃないけれど、念には念をいれておく必要がある。
そこで登場するのが僕の心強い味方、天才ハッカーのビバリーくんだ。
腹をすかせた囚人たちが一同に会してるんだからそりゃ賑やかなのは当たり前、喧嘩と罵詈雑言は日常茶飯事。長方形のテーブルの上で食器をひっくりかえして取っ組み合ってる喧嘩っ早い囚人、見晴らしのよい二階の特等席を陣取って他の囚人から飯を強奪してるのは凱の一党だろうか。手摺でさえぎられた一階まで濁声の高笑いが聞こえてくる。
頭上で飛び交うフォークの嵐の中を足早にカウンターに駆け寄りトレイを手に取る。アルミの食器をぱぱっと並べた上に見た目にも栄養的にもお粗末な朝食が盛られていく。
「前から思ってたんだけどさあ」
おとなしく列に並んだ僕の後ろ、「なんスか?」とトレイを抱えたビバリーが身を乗り出してくる。
「署長以下上層部は囚人の食費をこれ幸いと懐にためこんでるんじゃない?じゃなきゃおかしいって、こんなまずしい献立」
東京プリズンの献立は和食と洋食が一日おきと決められてるけどどっちも内容的には褒められたもんじゃない。今日の献立はワカメの味噌汁とかぶの漬物、白米と焼き魚という純和食。正直いって僕の口にはあわない。
「フィッシュアンドチップスが食べたいなあ」
素直な願望が口をついてでる。後ろでビバリーもため息をつく。
「僕はジャンクフードが食べたいっす、油でべとべとの体に悪そうなポテトとハンバーガー。最高っすね」
「むかしむかしの話だけど」
カウンターの列が移動する。アルミの受け皿にワカメの味噌汁が注がれるのを気のない目で眺めながら説明する。
「アメリカのマクドナルドでさ、シェイクが馬鹿売れしたことあったんだ。くる客くる客みんなシェイクシェイクでシェイクばっか飛ぶように売れたの。なんでだと思う?」
「さあ?」
まったくご存じないですと首を振るビバリーを振り返りにっこり笑う。他人が知らないことを自分が知ってると実に気分がいい。
「シェイクについてる先割れプラスチックスプーンが覚醒剤の粉を吸うのにちょうどいいからだって。スプーンの先っぽに粉を乗せて炙って吸うんだ。ま、それがバレてプラスチックスプーンは廃棄されたわけだけど」
「さっすがリョウさん、ジャンキーは物知りっすねえ」
目をまんまるくしたビバリーが感心したように唸る。トレイを片手に預けた僕はもう一方の手で注射器を打つ真似をする。
「クスリのことなら任せといてよ、だてにドラッグストアを名乗っちゃいない。強壮剤から催淫剤までなんでもござれだ」
「リョウさんは朝飯代わりに錠剤噛み砕いてたほうがいいんじゃないスかね」
ビバリーが首を振って給仕の看守から皿を受け取る。朝の献立を受けとってカウンターを離れた僕らは空いてる席をさがして食堂をさまよう。
「今朝やってきたあの看守もリョウさんの噂聞きつけてクスリもらにきたんでしょ?」
「ああ、ラッシ―ね。クスリが必要なのはラッシ―じゃなくて正確には彼の奥さんだけど」
したり顔で頷く。
いつも高圧的に威張り散らしてる看守のゴシップは窮屈な生活を送ってる囚人たちにとって格好の餌。それに男娼兼情報屋まがいの副業をしてれば自然といろんな噂が入ってくるのだ。
「ラッシ―んとこは夫婦仲が悪くて、家じゃ毎日喧嘩してるの。で、精神的においつめられたラッシ―の奥さんは重度の不眠症からアルコールに逃げるようになって……でも最近じゃ免疫ができちゃってアルコールもきかないらしい、市販の睡眠薬なんてぜんぜん」
「だからリョウさんとこに睡眠薬もらいにくるんすか」
「そう、僕が持ってるクスリなら一発で天国にイケるから」
ビバリーが薄気味悪そうに距離をとる。
「冗談だよ。僕が売ってる薬だって無茶な飲み方しなきゃ安全さ、たぶん」
ラッシ―が事故に見せかけた睡眠薬の誤飲で奥さん殺そうとしてるなら別だけど、そこまで責任もてない。疑り深げな目つきのビバリーをてきとーにはぐらかしてきょろきょろとあたりを見回す。周囲の席は全部先客で埋まってる。出遅れたと舌打ち。このぶんじゃ立ったままご飯を食べなきゃならなくなる。
食器が床を打つかん高い音が響いた。
「!」
何事かと思い振り向く。僕の目線の先、テーブルとテーブルの間の通路に突っ立っているのは見覚えのある顔―鍵屋崎だ。鍵屋崎の足もとには食器が落ちて一面に味噌汁がぶちまけられている。鍵屋崎のそばにいた囚人がにやにやと笑ってる。
一瞬で状況が理解できた。
「わっりい、当たっちまった。わざとじゃねえんだけどよー」
思ったとおり、その囚人はへらへら笑いながら言った。言葉とはうらはらに反省してる様子はこれっぽっちもない。絶対100%確実にわざとの確信犯だ。
「もったいねえから四つん這いになって舐めたらどうだ?犬畜生にも劣る親殺しにはお似合いの格好だろうが」
呆然と立ち尽くした鍵屋崎の前を声高に笑いながら通り過ぎ、仲間が陣取っているテーブルへと向かう。真ん中の席に腰を落ち着けた囚人を左右の仲間が「よくやったな!」と肩を叩いてねぎらう。
「あちゃー。インケンですねえ」
「避ければいいんだよ」
眉をひそめたビバリーの方は向かず、冷めた声で呟く。
「ほんとうトロいんだから、日本人は」
鍵屋崎はなにも反論しなかった。
わざとぶつかってきた男を追おうともせず、ただ黙って通路の真ん中に立ち尽くしていたが、疲れたようにため息をついてサムライと二言三言交わす。声が小さすぎてこの距離からでは何を話してるか聞き取れないけど、たった数日でまあずいぶんと仲良くなったものだ。
と、鍵屋崎のところにだれかが足早に近づいてきた。小柄で痩せた囚人だ。その囚人は鍵屋崎と顔見知りらしく、床にぶちまけられた味噌汁と彼の顔とを見比べながらおどおどとなにかを申し出る。鍵屋崎が躊躇してあたりを見回す。サムライをさがしてるんだ。僕もサムライをさがして視線を巡らす。
いた。
サムライの姿はカウンターにあった。給仕の看守に何事か話しかけ、雑巾を受け取って会釈する。サムライがなにをしようとしてるか察しがついた。おおかた、鍵屋崎が床にこぼした味噌汁の後始末をする気なんだろう。
律儀なサムライ。
そうとは知らず鍵屋崎は、痩せた囚人と一緒に通路を歩み去ってゆく。
「トモダチっすかねえ」
「鍵屋崎の?物好きだね」
「どっちが?」
「両方」
鍵屋崎は絶対に友人に欲しくないタイプだし、鍵屋崎と一緒に歩いてる囚人にしてもとても友人が多そうなタイプには見えない。刑務所内で孤立してる囚人の間に妙な連帯感が芽生えたという可能性も捨てきれないけど。
なんとなく目で追ってた僕の視線の先で、鍵屋崎とその友人(?)は空いてる席に座った。ふたり、ぼそぼそと会話しながら箸を手にとり食事をはじめる。
「あっ、リョウさん空きましたよ!」
鍵屋崎の口元に注目してた僕の袖を引っぱって注意を促すビバリー。はやばやと食事を終えた囚人がふたり席を立ち、カウンターへとトレイを返却しにいく。しめた。急いで空いた席に座る。立ったまま食事をとらずに済んでほっとした僕の隣、ビバリーが小手をかざして叫ぶ。
「おお、拭いてる拭いてる」
通路にしゃがみこんでもぞもぞと動いてる長身痩躯―サムライだ。鍵屋崎がこぼした味噌汁をきびきびした動作で拭き取っている。
「こぼれた味噌汁とか牛乳とか放っとけないタチなんでしょうねえ」
「イカレてるよ日本人」
感動に打たれたように箸を握り締めて放心するビバリーに、率直な感想を述べる。箸を握り締めて食器を手に取る。外にいた時はトーストにスクランブルエッグ、それに紅茶のイングリッシュブレックファーストに慣れてたからいまだに箸の扱いに慣れない。不器用につまんだご飯を一口なげこみ、もぞもぞと顎を動かす。こんがり焼いたシナモントーストが恋しいなあ。
「あ、そうだ」
ご飯を半分ほど食べたところでふと思いつき、ビバリーを見る。
「あとでお願いしたいことがあるんだけど、ビバリー」
「オネガイ?」
僕と同様、不器用に焼き魚を開いて骨をとりのぞいていたビバリーがものすごく嫌な顔をする。
「僕、注射器なんて持ったことないから動脈と静脈間違えちゃうかもしれませんよ」
「だれがきみにクスリ打ってほしいなんて言ったのさ、自分でやるよ」
「え?ついにヤクが末端神経に回って指先の震えが止まらなくなったんじゃないスか、リョウさん」
「ちがくて」
箸を握り締めたままビバリーの方に身を乗り出し、そっと耳元でささやく。
『きみのハッキング能力を信用して頼みたいことがあるの。あとで東京プリズンの個人情報データ―ベースにしのびこんでくれない?』
『は!?犯罪っスよ!』
仰天したビバリーに「なにをいまさら」と苦笑いする。
『いまさらひとつふたつ犯罪歴ついたところでどうってことないでしょ。それに僕知ってるんだよ、檻の中にぶちこまれた今でも暇さえあればきみがパソコンいじってること』
『……バレてたんすか?』
『夜中に隠れてこそこそやってりゃ嫌でも目につくよ』
気の毒なほど青ざめたビバリーに両手をすりあわせ、かわいくお願いする。
『please!同房のよしみで、相方を助けると思ってさ。ね?』
ビバリーはまじまじと僕を見つめていたけど、やがて周囲の耳目を推し量るように落ち着きなさげにあたりを見回し、声を低めて探りを入れてくる。
『なにを企んでるんスか、リョウさん』
『僕は北のスパイだよ』
察しの悪いビバリーの鼻の頭を箸でちょんとつつき、笑う。
『標的とその関連人物の情報収集はスパイのお約束でしょう』
自分がなにをさせられるか悟ったビバリーが反駁しかけたが、翻意させようと手を尽くすだけ無駄だと諦観の境地に達したのだろう。賢い。ふるふると首を振りつつ箸を握りなおし、気乗りしない様子で焼き魚を口に運ぶビバリー。と、ビバリーの頭の向こうで鍵屋崎が席を立った。例の囚人をひとり残してテーブルを去った鍵屋崎は足早に通路を抜け、食堂をでていこうとする。
やばい。
鍵屋崎の姿を人ごみに見失う前に一気にご飯をかっこみ、味噌汁を飲み干す。からになった食器を叩きつけるようにトレイに置き、テーブルを平手で叩いて立ち上がる。
「ごちそうさま、あとよろしくビバリー!」
「よろしくって……自分で片付けてくださいよ!?」
トレイを放置して通路を走り出した僕の背にビバリーの声がかかったけど、足を速めて無視。ビバリーはあれで気のいい奴だから僕のぶんまでトレイを返しといてくれるだろう。それで強制労働に遅刻したらちょっとかわいそうだけど。
フェラで許してくれるかな?だめか、ノーマルだもんね。
食堂をでたところで鍵屋崎に追いついた。食堂をでる際、レイジに呼び止められて時間が稼げたらしい。さいわい周囲に人影はない。なぜか怒ったような顔をした鍵屋崎の背後に歩み寄り、唐突に声をかける。
「君って二種類しか表情ないね」
鍵屋崎が振り返る。眉間には不可解な皺が刻まれている。
その憮然とした表情を眺めていると、素朴な疑問をぶつけずにはいられない。
「怒ってるか無表情か、そのどっちかだ。喜怒哀楽の喜と哀と楽はどこにいっちゃったわけ?」
「顔をどけろ。僕はこれからバス停にいくんだ」
顔を突き出した僕を邪険に振り払い、地下駐車場へ向かおうとする鍵屋崎。つれないなあ。すれちがう間際、鍵屋崎の片腕を掴み、人目を避けて廊下の死角に連れこむ。
不愉快そうに顔をしかめた鍵屋崎が口を開くよりはやくポケットを探り、彼の手に眼鏡を預ける。
「はい、あがり」
手に握らされた眼鏡に鍵屋崎が驚く。なんだか新鮮な反応だ。おそるおそる眼鏡をかけた鍵屋崎が、ちゃんと焦点のあった目で正面の僕を見る。
「どう?」
「すごいな」
本当に感心してるらしく、声には素直な響きがあった。
それはよかった。でも、僕だってタダで眼鏡を直したわけじゃない。見返りがなきゃね。
「で、そっちのほうは進んでるかな?」
「なに?」
「とぼけないでよ、眼鏡と引き換える代金のことだよ」
一瞬の間があった。
「……いや。まだ何も進んでない」
「あっちゃー」
そんなこったろうと思ったけどね。
額を叩いて廊下の壁にもたれる。食堂をでるときレイジと話してたからなにか進展あったかなと期待して追ってきたのに、とんだ骨折り損だ。がっくりした。自然、口調も恨みがましくなる。
「僕言ったよね?眼鏡を直す代わりにレイジの弱味を探ってきてって、しっかりちゃっかり頼んだよね」
「仕方ないだろ、僕とレイジはとくに親しい間柄じゃない。入所初日に彼の気まぐれでからかわれただけの希薄な関係だ。そんな人間相手にどうやって弱味を掴めばいいんだ?」
「そこは頭の使いようっしょ。メガネが戻ったメガネくん、君頭がいいんだから何かいい案考えてよ」
「僕の頭はそんなくだらないことに使うためにあるわけじゃない」
堂堂巡り。
さすがにむかついてきた。なんだよ、僕は鍵屋崎の交換条件とやらを呑んで速攻眼鏡をなおしてあげたのに肝心の鍵屋崎はまだなにも情報を掴んでないという。にも関わらず、こんなでかい口を叩く。
何様?ファッキンジャップのくせに。
大股に鍵屋崎に歩み寄り、試すように目を細めて可愛げないツラを見上げる。
「メガネくん、君が今やろうとしてるのはおいしいとこどりのヤリ逃げと一緒だよ。僕は約束どおり速攻メガネを直してあげたのに、肝心の君はまだなんにもやってないって言う。レイジの弱味を掴むどころか、レイジと接触してもないって言う。なにそれ?君、ハナから料金ごまかしてトンズラするつもりだったわけ」
「そうは言ってないが、」
「ダメだよそんなの」
先回りしてきっぱり断言する。
「東京プリズンではそんなの効かない。いいかい、これは取引なんだ。一度取引の制約を破った者がどうなるか、知りたい?」
「………どうなるんだ?」
慎重に聞き返した鍵屋崎にイタズラ心を刺激され、笑いながら言う。
「そのメガネ、裏っ返してよ~く見てごらん。弦に超小型爆弾が仕込まれてるの気付いた?」
「!」
はじかれるように眼鏡をはずした鍵屋崎が、爆弾を解除する専門家の手つきでフレームをいじくりだす。
「うっそー」
鍵屋崎が硬直した。
「……メガネのレンズに埃が付着していた」
ポーカーフェイスを装い、囚人服の裾でレンズを拭う。苦しい、苦しすぎその言い訳。笑いを噛み殺すのに苦労しながら、続ける。
「まあ今のは冗談だけど。僕には囚人・看守問わず何人かのパトロンがいてね、僕のおねがいならなんでも聞いてくれるんだ。メガネくんに裏切られた~って目薬さして泣きつけば、僕にぞっこんホレてる彼らがどんな極端な行動にでるかわからないよ?」
「恐喝か」
「脅迫とも言うね」
壁から背を起こし、スキップしながら鍵屋崎の前を通り過ぎる。
「期限はあと四日。四日後までにレイジの弱点を掴んできて」
そう、四日。あと四日までにレイジの弱味を掴んでサーシャに報告しなきゃ、僕はおいしいご褒美にありつけない。
メガネくんの視線を背中に感じながら、鼻歌まじりにスキップを踏む。
とはいえ、鍵屋崎ひとりに任せておくのは不安だ。
サーシャじゃないけれど、念には念をいれておく必要がある。
そこで登場するのが僕の心強い味方、天才ハッカーのビバリーくんだ。
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