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三十七話
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時が止まったかのような静寂、風すら通るのを避けるような静謐。
片手に大振りのナイフを預けた中腰の臨戦態勢はそのままに、サーチライトを浴びて佇むその姿は一対の彫刻のように微動だにしない。かっきりと弧を描いた凛々しい眉と端正な鼻梁、酷薄そうなラインの唇とを半面闇に沈めたレイジ。
レイジの正面、10メートルの距離を隔てて対峙したサーシャはいつレイジが攻撃してきても対応できるよう抜かりなくくナイフの柄を握り締めていた。火傷の痕も痛々しい背中がサーチライトに暴かれ、きめ細かい白磁の肌との対比を際立たせる。
どちらが先に動くか―
固唾を呑んで勝負の行方を見守っている僕らの関心事はその一点に尽きる。ロンもサムライも一歩たりともその場を動かず、凝然と立ち竦んだまま。
東の王と北の皇帝。
この戦いに第三者が介入することはできない。
口を開いたのはレイジが最初だった。
「北のガキどもは全滅だ」
屋上の死屍累々たる惨状を見渡し、唇の端をふてぶてしくつりあげて挑発する。
「お前も降参したらどうだ、皇帝」
「痴れ者が」
これに応えたのは、侮蔑を隠そうともしないサーシャの台詞。アイスブルーの双眸に冷酷な光を湛えたサーシャがナイフを掲げ、一歩を踏み出す。
「その口に私の靴を舐める以外の用途は認めん。愚にもつかん戯言は聞き飽きた」
「舐めるより舐めさせるほうが好きだな、俺は」
レイジの軽口を聞き流し、無表情に歩を進める。サーチライトに導かれて大股に歩を詰めるサーシャ、微塵の躊躇もないその歩き方には北の少年たちから戦々恐々と畏怖される暴君の奢りが感じられた。
威厳と気品が調和した優雅な歩みで接近してくるサーシャを待ち受けるは、ナイフを握った右手を揺らしながらにこやかに微笑み続けるレイジ。
恐怖とも死とも無縁な、無敵の笑顔。
一歩、二歩、三歩。大股にコンクリートを渡ってくるサーシャの歩数をナイフを揺らしてカウントしながら、倦み果てた口調でレイジが忠告する。
「べつにここで決着つけなくても、二日だか三日後には正規のリングで片がつくんだぜ」
「ブラックワークのリングで、満場の囚人が見守る中で、か?」
サーシャの唇が皮肉げな笑みを刻む。嘲笑。
「お前のような血の汚れた男を神聖なリングにのぼらせるなど、考えただけで虫唾が走る。あまつさえ、お前のように下等な猿の血が流れた男と同じリングで戦えと?褐色にくすんだ肌と薄汚れた茶の髪のいやらしい混血児と同じリングの上で戦い、自ずから囚人の見せ物になれと?反吐がでる提案だな」
「一対一で俺に勝つ自信がねえから、客の前でみじめに吠え面かくのがいやだから、試合前に集団リンチなんて卑怯な手使ったんじゃねえの?」
ナイフをもてあそびながら笑みを深めるレイジ。サーチライトの光を吸いこんだ茶色の目が獰猛に輝き、形よい唇が皮肉げな角度にめくれ上がる。
「お前とおなじリングに上がるなど、満場の客の前で野犬と交尾しろと言われているようなものだ」
「皇帝のプライドが許さないってか」
「そうだ」
「だから試合がおこなわれる前に俺を亡き者にして不戦勝しよーとしたワケか。OK?」
サーシャとレイジの距離が縮まり、サーシャが手にしたナイフがサーチライトを反射して鋭くきらめく。
「賢い犬だ」
大気を裂く音が耳朶をかすめる。
銀髪をなびかせ急速に間合いを詰めたサーシャが右腕を一閃、大きく振りかぶられた右腕が後方にとびのいたレイジの前髪をかすめ、髪の毛を数本宙に散らす。鼻梁を跨ぐように半弧を描いたナイフが音速に迫る勢いで軌道を修正、今度は心臓を狙って迫り来る。
金属質の音が火花を散らす。
心臓を狙って直線の軌道を描いたナイフを受け止めたのは、素晴らしい反応速度でレイジが突き出したナイフの刃。ナイフでナイフを受け止めたレイジは、口の片端にシニカルな笑みをためて吐き捨てる。
「犬じゃねえっつの」
膂力に利してナイフを押しこんでくるサーシャにこれもまた右腕一本の力で対抗しつつ、一言一句アクセントをつけてレイジが復唱する。
「R(アール)」
巻き舌の発音をさえぎるようにナイフの切っ先がくりだされ、レイジの右頬をかすめる。
頬の薄皮を裂いて後方へと流れたナイフの切っ先を目で追う愚を避け横に跳躍、二撃目を回避。
「A(エー)」
右腕を切り裂こうと斜め上方から急襲してきたナイフを刃の背で弾き、流れに乗じて頭を低め、サーシャの懐に巧みにもぐりこむ。
「G(ジィー)」
死角からナイフを跳ね上げる。不意をつかれたサーシャの下顎をナイフがかすめ、裂けた皮膚から一筋の血が迸る。
「E(イー)」
完璧な発音。文句のつけようがない抑揚、非の打ち所のない強弱。
先日、刑務所の廊下でレイジと立ち話したことを思い出す。あの時は英語の発音のへたさにあきれたものだったが、今の発音を聞いたかぎりではとてもあれが素だとは思えない。入所して日が浅く何も知らない僕をからかう目的だったのか真意は不明だが、レイジの英語はおそらく幼少期から身に染みついたネイティブなものだ。
この男はどこまで本気でどこまでが冗談なんだ。
まったく理解不能だ。狂ってる。戦闘中だって片時も絶やさないあの笑顔がいい証拠じゃないか。
僕の理解を拒絶する笑顔を浮かべた男は、北の皇帝の異名をとるサーシャを相手に壮絶なナイフさばきを見せていた。戦況は互角、両者一歩もひけをとらない熾烈な接戦。
サーチライトの光の中、野生の豹のようにしなやかな身のこなしでサーシャの猛追をかわしながらレイジが言う。
「RAGE……レイジ。それが俺の名前だ、おぼえとけ」
白銀に輝くナイフがサーシャの心臓を狙う。
あと0.3秒反応が遅れていれば、レイジがくりだしたナイフは狙い違わずサーシャの心臓を抉っていたことだろう。ところがそうはならなかった。一歩後ろに退いたサーシャが手の向きを逆にし、逆手にしたナイフの柄を横に流す。ナイフの柄がレイジの手を直撃し、心臓に擬された切っ先を大幅に狂わす。ナイフの軌道を狂わされたレイジが体勢を立て直し持ち直すまでのわずかな一瞬、その一瞬の隙をつき、無防備な頭上にナイフをかざすサーシャ。
体勢を崩し、上体を泳がせたレイジの頭上にかざされたナイフが物騒に輝くのを見咎め、血相をかえてロンが叫ぶ。
「看上部!(上だ!)」
以心伝心。レイジは即座に反応した。
ナイフを盾にして防御するのが無理と悟るや、前に泳いだ上体はそのままに前転の姿勢にもっていき、これを回避。懐に頭をかばう姿勢で前転して距離と時間を稼ぐや、猫科の猛獣じみた足腰のバネを発揮してとびおきる。
前転寸前、コンクリートの地面に投げたナイフを素早く拾い上げる。
ナイフを手に起き上がったレイジを見て、緊張にこわばっていたロンの顔が安堵に緩む。
「愛してるぜロン!」
「前を見ろ!!」
ロンの指摘にレイジが正面を向いたときには、すでに眼前までサーシャが迫っていた。
狂気に取り憑かれたアイスブルーの双眸がサーチライトの光に輝き、下顎から滴った鮮血が点々とコンクリートを染めてゆく。自らの顎から滴り落ちた血が裸の胸を真紅に染め抜くのもかまわず、陰惨に痩せこけた容貌を飾るには不似合いに美しい銀髪を千々に乱してレイジに肉薄する。
「私は認めん」
走りながらサーシャが呟く。
「お前のような下賎な混血児が私の上に君臨するなど、断じて認めん」
狂熱の野心に身を灼かれ、妄想に取り憑かれたサーシャ。
アイスブルーの目に燃えているのは、氷点下の殺意。骨まで焦がして灰にする青白い炎がサーシャの目で燃えている。
ふと、レイジが顔を伏せる。うつむき加減に顔を伏せたレイジの唇が動き、なにかを口ずさむ。
なんだ?唇の動きに目をこらし、衣擦れの音にかき消されそうにかすかな呟きに耳を澄ます。
レイジが目を閉じる。
長く優雅な睫毛が伏せられ、綺麗な弧を描いた瞼が落ち、色素の薄い瞳を隠す。
『主よ。王をお救いください。私が呼ぶときに私に答えてください』
瞼を縁取る睫毛がかすかに震え、ゆっくりと持ち上がる。
まどろみから覚めるようにゆっくりと見開かれた瞳には、明晰な光が宿っていた。
『Amen』
「王よ、みじめに死ね」
祈りの言葉に風切り音が重なる。
膝を屈め、前傾姿勢をとり、ナイフをくりだすサーシャ。白銀の軌跡をひいてレイジの首筋へと吸いこまれたナイフの刃にロンが絶句し、サムライの眼光が鋭くなる。
レイジの頚動脈が裂かれ、噴水の如く鮮血が噴き出す。
それは一瞬後に確定された未来のはずだったが、予想は覆された。ほかならぬ、レイジ本人によって。
紙一重よりさらにきわどい僅差で首を倒し、ナイフを避けたレイジ。首の薄皮を裂いたナイフが背後に流れ、夜空に何かきらきらしたものが舞う。
黄金の粒子―レイジが首にさげていた金鎖のネックレスの切れ端が、ナイフに裂かれて宙を舞う。
ナイフに切断され、空高く舞い上がった黄金の十字架がサーチライトの光を反射し、眩く輝く。
その光線がサーシャの目を射抜き、一瞬の隙をつくる。
殆ど反射的に手庇をつくり、強烈な光から顔をかばったサーシャへと接近、ナイフを投げ捨て夜空に手をのばすレイジ。レイジの手が金鎖を掴み、ふたたび顔の前へと舞い戻る。
瞬きの後に視力が回復したサーシャの目に映ったのは、サーチライトがあたる角度によって天使の微笑にも悪魔の憫笑にも変化する、とらえどころのないレイジの笑顔。
「あばよ、皇帝」
「……………!」
サーシャが何か言おうとした。しかし、言葉にならなかった。サーシャが口にしようとした言葉は、喉の半ばで濁った泡沫となって潰えた。サーシャの首に金鎖のネックレスが巻かれていたからだ。
サーシャの首の後ろで腕を交差させ、金鎖のネックレスで締め上げていたのはレイジ。気道を圧迫され、呼吸を止められたサーシャの顔がみるみる充血し、後に蒼白になってゆく。それでもレイジは喉にくいこんだ金鎖の圧力を緩めず、瀕死の状態のサーシャにほほえみかける。
「お前の敗因を教えてやるよ」
血がでるまで喉をかきむしり、窒息の苦悶に身をよじるサーシャ。その耳元に慈悲深くささやく。
「ひとつ、ナイフの扱いに長けてるのはお前だけじゃない。ふたつ、俺は身につけてるものこの場にあるもの、すべてを武器にできる。みっつめ……これが決定打だ」
一呼吸おき、レイジは笑みを深めた。向かうところ敵なしの勝者の笑顔。
「お前はアマチュアで、俺はプロだ」
口角泡を噴いたサーシャ、懸命に喉をかきむしっていた五指から力がぬけ、ぐるりと眼球が裏返る。
「レイジ!」
サーシャの異常を悟ったロンが慌てて駆け出すのと、レイジがサーシャを解放するのは同時だった。首から金鎖が外れ、支えを失ったサーシャの体が鈍い音をたててその場に崩れ落ちる。ロンに遅れること数秒、木刀を引っさげて駆け出したサムライに続き、僕も我に返る。
小走りに現場に駆けつけた僕の目にとびこんできたのは、うつ伏せに倒れたままぴくりとも動かないサーシャ。
「……死んだのか?」
念のため、確認する。
「いや、息がある」
サーシャの脇に屈みこんだロンが、ほっと息を吐く。どうやら気絶してるだけのようだ。紛らわしいことこの上ないと横目でレイジを睨むと、レイジは涼しい顔で金鎖の先の十字架に口づけていた。
「愛してるぜ神様」
どこまで本気かわからない笑みを浮かべ、ぬけぬけとそう言い放つレイジに脱力する。
わけがわからない。
この男は僕の理解を超えている。
手におえないと匙を投げた僕は屋上の中心に立ち、あらためて周囲の惨状を見渡す。北棟の少年たちは全滅、肝心のサーシャは意識不明。要するに、レイジに襲撃をしかけた全員が手酷く返り討ちにされた結果と相成ったわけだ。
いったい今夜の馬鹿騒ぎはなんだったんだ。
死屍累々たる惨状を見回し、自問する。答えはない。思考の迷宮に入りこんだ僕の脳裏に、一条の光明がさす。
「―ひとつわかったことがある」
ロンとレイジが振り向く。怪訝そうな顔のふたりを見比べ、抑揚のない声で指摘する。
「ブラックワークについてだ」
なぜリュウホウはブラックワークの仕事内容を説明するのに抵抗したのか。
なぜレイジはわざと気を持たせるような言動で僕を煙に巻き、ブラックワークの実態を明かすのを避けたのか。
その謎がようやく解けた。
眼鏡のブリッジを押し上げるふりで嫌悪に歪む表情を隠し、吐き捨てる。
「サーシャ及び北棟の少年たちの言動、レイジ―すなわち君の言動を総合した結果、導き出される結論はひとつ」
気分が悪い。
この先を言わずに済むものなら言わずに済ませたい、という気弱な考えがちらりと脳裏を過ぎるが、無視して続ける。
「ブラックワークとは東京プリズンの暗部―おそらくレイジ、君が担当しているブラックワークは囚人たちに息抜きの娯楽を提供するのが目的の部署。リョウの言葉から推測すれば、東西南北四つの棟のトップとそれに継ぐ腕自慢の実力者だけがこのブラックワークに配属されるらしい。つまり……」
「バトルロワイヤルさ」
突如割り込んできたのは、場違いに陽気な声。
それまでコンクリート塀に腰掛け、サーシャ及び北棟の少年たちが倒されてゆくのを見物していたとおぼしきリョウがにこにこ笑いながら説明を引き取る。
「よっ」とコンクリートにとび降りたリョウが、後ろ手を組みながらぶらぶらと歩いてくる。
「さすがだね眼鏡くん、その眼鏡が伊達じゃないってのも今なら頷けるよ。君の言うとおり、ブラックワークの存在理由は囚人どものガス抜き、東京プリズンのエンターテイメント担当、これに尽きる」
「なぜだ?なぜ刑務所にそんなものが……」
「眼鏡くん忘れてない?ここはただの刑務所じゃない、最低最悪のブタ箱と名高い東京プリズンだよ」
大袈裟に両手を広げ、コケットリーに肩をすくめるリョウ。
「とうぜん収容人数だって他に類を見ず、日本全国から集められてる札つきのワルばかり。そんな連中が日々の強制労働でストレスためてぷっつんきて暴動起こしちゃったらどうする?上からの圧力で抑えるにも限界があるっしょ。だいたい数が半端じゃないからね、万一そういう事態が起こったときに看守と囚人の力差が逆転しないともかぎらない」
絶句した僕を振り返り、リョウがウィンクする。
「だから上は一計を案じたわけさ。囚人にも娯楽が必要だろう、適度な息抜きが必要だろうって。それで設置されたのがブラックワーク。三度の飯より喧嘩が好きで、それが高じて刑務所にぶちこまれたオツムの悪いガキどもにはうってつけのショウってわけ。ルールはなんでもありのバトルロワイヤル、どんな手を使っても勝てばいいってのが公然とまかりとおってる共通認識。で、日頃うっぷんをためこんでる囚人どもはブラックワークの試合観戦で憂さを晴らしてせいせいして房に戻ってゆく、とまあこーゆーわけ」
「そのわりにはリンチやレイプが横行してるみたいだが」
口調が皮肉げになるのが否めない僕に、愉快そうに含み笑うリョウ。
「こうは考えられないかな?ブラックワークがあるから『この程度』で済んでるんだ、と」
小悪魔的な笑顔のリョウから顔を背け、レイジに答えを仰ぐ。僕の視線を受け、レイジは肩を竦める。コンクリートの地面に倒れたサーシャをちらりと一瞥し、口を開く。
「ブラックワークがなかったら、今頃キーストアなんて手足の健切られてケツ掘られて捨てられてる頃だぜ。お前が今日まで生き残ってこれたのはブラックワークのおかげだ」
「ブラックワークは上・中・下の三つに分けられると聞いた」
「そこまで知ってんのか」
レイジがかすかに驚きの表情を浮かべる。隣のロンも似たような顔をしていた。ただ一人サムライだけが、我関せずと淡白な表情を保っている。
「『上』はわかった。『中』と『下』はなんだ」
いや、『下』はわかる。さっきこの目で見たではないか。
泣きながらゴルフバッグを引きずるリュウホウ。ゴルフバッグの中にはー
中には。
突然、僕の手の中に薄っぺらい物体がとびこんでくる。反射的に手を出し受け取ってみたところで、おそるおそる五指を開く。
僕の左手が握りしめていたのは―安っぽい、外国産のコンドーム。
「『中』は売春」
僕の手の中へとコンドームを放り投げたリョウは、悪びれたふうもなく笑っている。
信じられない。
「刑務所の中で公認売春が行われているというのか?」
自然、声が上擦る。リョウは動じたふうもなく続ける。
「そう、公認売春―まさにそれだ。上だってもちろんこのことは知ってる。いいかい、ブラックワークは必要悪なんだよ。闘技観戦でストレスを発散し、公認売春で性欲を解消する。そうすれば看守の目の届かないところで行われるリンチやレイプも多少は減るし、犯られるほうだって持ち回りの義務だとおもえば諦めがつくっしょ。念のため言っとくけど、今日まできみが処女を守りとおせたのはブラックワークの売春夫たちの存在あってこそだよ。彼らがいれば、囚人の大半は腕づくで新入りを犯そうなんて気は起こさない。抵抗してくれなきゃ燃えない、反抗してくれなきゃ燃えないって、はねっかえりの新入りのケツばっか追っかけてる凱みたいな物好きもなかにはいるけどさ」
凱の名前がでるとロンが渋い顔をした。試すような上目遣いで僕を仰ぎ、下唇を舐めるリョウ。
「で、『下』だけど」
「―もう、いい」
絞り出すように、ため息をつく。
わかった。わかってしまったのだ。なんでリュウホウが囚人が寝静まった深夜に、死体を運んでたのか。
その理由がわかってしまったのだ。
瞼の上から滴り落ちた血が目にながれこみ、視界が赤く煙る。
興味本位でのぞきこんでくるリョウから顔を背け、瞼をおさえる。
「『下』の仕事は死体処理だろう」
リョウの顔に意外そうな表情が浮かぶが、すぐにそれはこの上もなく愉快げな笑みにとってかわられた。
「ご名答」
血はいつまでたっても止まらなかった。
片手に大振りのナイフを預けた中腰の臨戦態勢はそのままに、サーチライトを浴びて佇むその姿は一対の彫刻のように微動だにしない。かっきりと弧を描いた凛々しい眉と端正な鼻梁、酷薄そうなラインの唇とを半面闇に沈めたレイジ。
レイジの正面、10メートルの距離を隔てて対峙したサーシャはいつレイジが攻撃してきても対応できるよう抜かりなくくナイフの柄を握り締めていた。火傷の痕も痛々しい背中がサーチライトに暴かれ、きめ細かい白磁の肌との対比を際立たせる。
どちらが先に動くか―
固唾を呑んで勝負の行方を見守っている僕らの関心事はその一点に尽きる。ロンもサムライも一歩たりともその場を動かず、凝然と立ち竦んだまま。
東の王と北の皇帝。
この戦いに第三者が介入することはできない。
口を開いたのはレイジが最初だった。
「北のガキどもは全滅だ」
屋上の死屍累々たる惨状を見渡し、唇の端をふてぶてしくつりあげて挑発する。
「お前も降参したらどうだ、皇帝」
「痴れ者が」
これに応えたのは、侮蔑を隠そうともしないサーシャの台詞。アイスブルーの双眸に冷酷な光を湛えたサーシャがナイフを掲げ、一歩を踏み出す。
「その口に私の靴を舐める以外の用途は認めん。愚にもつかん戯言は聞き飽きた」
「舐めるより舐めさせるほうが好きだな、俺は」
レイジの軽口を聞き流し、無表情に歩を進める。サーチライトに導かれて大股に歩を詰めるサーシャ、微塵の躊躇もないその歩き方には北の少年たちから戦々恐々と畏怖される暴君の奢りが感じられた。
威厳と気品が調和した優雅な歩みで接近してくるサーシャを待ち受けるは、ナイフを握った右手を揺らしながらにこやかに微笑み続けるレイジ。
恐怖とも死とも無縁な、無敵の笑顔。
一歩、二歩、三歩。大股にコンクリートを渡ってくるサーシャの歩数をナイフを揺らしてカウントしながら、倦み果てた口調でレイジが忠告する。
「べつにここで決着つけなくても、二日だか三日後には正規のリングで片がつくんだぜ」
「ブラックワークのリングで、満場の囚人が見守る中で、か?」
サーシャの唇が皮肉げな笑みを刻む。嘲笑。
「お前のような血の汚れた男を神聖なリングにのぼらせるなど、考えただけで虫唾が走る。あまつさえ、お前のように下等な猿の血が流れた男と同じリングで戦えと?褐色にくすんだ肌と薄汚れた茶の髪のいやらしい混血児と同じリングの上で戦い、自ずから囚人の見せ物になれと?反吐がでる提案だな」
「一対一で俺に勝つ自信がねえから、客の前でみじめに吠え面かくのがいやだから、試合前に集団リンチなんて卑怯な手使ったんじゃねえの?」
ナイフをもてあそびながら笑みを深めるレイジ。サーチライトの光を吸いこんだ茶色の目が獰猛に輝き、形よい唇が皮肉げな角度にめくれ上がる。
「お前とおなじリングに上がるなど、満場の客の前で野犬と交尾しろと言われているようなものだ」
「皇帝のプライドが許さないってか」
「そうだ」
「だから試合がおこなわれる前に俺を亡き者にして不戦勝しよーとしたワケか。OK?」
サーシャとレイジの距離が縮まり、サーシャが手にしたナイフがサーチライトを反射して鋭くきらめく。
「賢い犬だ」
大気を裂く音が耳朶をかすめる。
銀髪をなびかせ急速に間合いを詰めたサーシャが右腕を一閃、大きく振りかぶられた右腕が後方にとびのいたレイジの前髪をかすめ、髪の毛を数本宙に散らす。鼻梁を跨ぐように半弧を描いたナイフが音速に迫る勢いで軌道を修正、今度は心臓を狙って迫り来る。
金属質の音が火花を散らす。
心臓を狙って直線の軌道を描いたナイフを受け止めたのは、素晴らしい反応速度でレイジが突き出したナイフの刃。ナイフでナイフを受け止めたレイジは、口の片端にシニカルな笑みをためて吐き捨てる。
「犬じゃねえっつの」
膂力に利してナイフを押しこんでくるサーシャにこれもまた右腕一本の力で対抗しつつ、一言一句アクセントをつけてレイジが復唱する。
「R(アール)」
巻き舌の発音をさえぎるようにナイフの切っ先がくりだされ、レイジの右頬をかすめる。
頬の薄皮を裂いて後方へと流れたナイフの切っ先を目で追う愚を避け横に跳躍、二撃目を回避。
「A(エー)」
右腕を切り裂こうと斜め上方から急襲してきたナイフを刃の背で弾き、流れに乗じて頭を低め、サーシャの懐に巧みにもぐりこむ。
「G(ジィー)」
死角からナイフを跳ね上げる。不意をつかれたサーシャの下顎をナイフがかすめ、裂けた皮膚から一筋の血が迸る。
「E(イー)」
完璧な発音。文句のつけようがない抑揚、非の打ち所のない強弱。
先日、刑務所の廊下でレイジと立ち話したことを思い出す。あの時は英語の発音のへたさにあきれたものだったが、今の発音を聞いたかぎりではとてもあれが素だとは思えない。入所して日が浅く何も知らない僕をからかう目的だったのか真意は不明だが、レイジの英語はおそらく幼少期から身に染みついたネイティブなものだ。
この男はどこまで本気でどこまでが冗談なんだ。
まったく理解不能だ。狂ってる。戦闘中だって片時も絶やさないあの笑顔がいい証拠じゃないか。
僕の理解を拒絶する笑顔を浮かべた男は、北の皇帝の異名をとるサーシャを相手に壮絶なナイフさばきを見せていた。戦況は互角、両者一歩もひけをとらない熾烈な接戦。
サーチライトの光の中、野生の豹のようにしなやかな身のこなしでサーシャの猛追をかわしながらレイジが言う。
「RAGE……レイジ。それが俺の名前だ、おぼえとけ」
白銀に輝くナイフがサーシャの心臓を狙う。
あと0.3秒反応が遅れていれば、レイジがくりだしたナイフは狙い違わずサーシャの心臓を抉っていたことだろう。ところがそうはならなかった。一歩後ろに退いたサーシャが手の向きを逆にし、逆手にしたナイフの柄を横に流す。ナイフの柄がレイジの手を直撃し、心臓に擬された切っ先を大幅に狂わす。ナイフの軌道を狂わされたレイジが体勢を立て直し持ち直すまでのわずかな一瞬、その一瞬の隙をつき、無防備な頭上にナイフをかざすサーシャ。
体勢を崩し、上体を泳がせたレイジの頭上にかざされたナイフが物騒に輝くのを見咎め、血相をかえてロンが叫ぶ。
「看上部!(上だ!)」
以心伝心。レイジは即座に反応した。
ナイフを盾にして防御するのが無理と悟るや、前に泳いだ上体はそのままに前転の姿勢にもっていき、これを回避。懐に頭をかばう姿勢で前転して距離と時間を稼ぐや、猫科の猛獣じみた足腰のバネを発揮してとびおきる。
前転寸前、コンクリートの地面に投げたナイフを素早く拾い上げる。
ナイフを手に起き上がったレイジを見て、緊張にこわばっていたロンの顔が安堵に緩む。
「愛してるぜロン!」
「前を見ろ!!」
ロンの指摘にレイジが正面を向いたときには、すでに眼前までサーシャが迫っていた。
狂気に取り憑かれたアイスブルーの双眸がサーチライトの光に輝き、下顎から滴った鮮血が点々とコンクリートを染めてゆく。自らの顎から滴り落ちた血が裸の胸を真紅に染め抜くのもかまわず、陰惨に痩せこけた容貌を飾るには不似合いに美しい銀髪を千々に乱してレイジに肉薄する。
「私は認めん」
走りながらサーシャが呟く。
「お前のような下賎な混血児が私の上に君臨するなど、断じて認めん」
狂熱の野心に身を灼かれ、妄想に取り憑かれたサーシャ。
アイスブルーの目に燃えているのは、氷点下の殺意。骨まで焦がして灰にする青白い炎がサーシャの目で燃えている。
ふと、レイジが顔を伏せる。うつむき加減に顔を伏せたレイジの唇が動き、なにかを口ずさむ。
なんだ?唇の動きに目をこらし、衣擦れの音にかき消されそうにかすかな呟きに耳を澄ます。
レイジが目を閉じる。
長く優雅な睫毛が伏せられ、綺麗な弧を描いた瞼が落ち、色素の薄い瞳を隠す。
『主よ。王をお救いください。私が呼ぶときに私に答えてください』
瞼を縁取る睫毛がかすかに震え、ゆっくりと持ち上がる。
まどろみから覚めるようにゆっくりと見開かれた瞳には、明晰な光が宿っていた。
『Amen』
「王よ、みじめに死ね」
祈りの言葉に風切り音が重なる。
膝を屈め、前傾姿勢をとり、ナイフをくりだすサーシャ。白銀の軌跡をひいてレイジの首筋へと吸いこまれたナイフの刃にロンが絶句し、サムライの眼光が鋭くなる。
レイジの頚動脈が裂かれ、噴水の如く鮮血が噴き出す。
それは一瞬後に確定された未来のはずだったが、予想は覆された。ほかならぬ、レイジ本人によって。
紙一重よりさらにきわどい僅差で首を倒し、ナイフを避けたレイジ。首の薄皮を裂いたナイフが背後に流れ、夜空に何かきらきらしたものが舞う。
黄金の粒子―レイジが首にさげていた金鎖のネックレスの切れ端が、ナイフに裂かれて宙を舞う。
ナイフに切断され、空高く舞い上がった黄金の十字架がサーチライトの光を反射し、眩く輝く。
その光線がサーシャの目を射抜き、一瞬の隙をつくる。
殆ど反射的に手庇をつくり、強烈な光から顔をかばったサーシャへと接近、ナイフを投げ捨て夜空に手をのばすレイジ。レイジの手が金鎖を掴み、ふたたび顔の前へと舞い戻る。
瞬きの後に視力が回復したサーシャの目に映ったのは、サーチライトがあたる角度によって天使の微笑にも悪魔の憫笑にも変化する、とらえどころのないレイジの笑顔。
「あばよ、皇帝」
「……………!」
サーシャが何か言おうとした。しかし、言葉にならなかった。サーシャが口にしようとした言葉は、喉の半ばで濁った泡沫となって潰えた。サーシャの首に金鎖のネックレスが巻かれていたからだ。
サーシャの首の後ろで腕を交差させ、金鎖のネックレスで締め上げていたのはレイジ。気道を圧迫され、呼吸を止められたサーシャの顔がみるみる充血し、後に蒼白になってゆく。それでもレイジは喉にくいこんだ金鎖の圧力を緩めず、瀕死の状態のサーシャにほほえみかける。
「お前の敗因を教えてやるよ」
血がでるまで喉をかきむしり、窒息の苦悶に身をよじるサーシャ。その耳元に慈悲深くささやく。
「ひとつ、ナイフの扱いに長けてるのはお前だけじゃない。ふたつ、俺は身につけてるものこの場にあるもの、すべてを武器にできる。みっつめ……これが決定打だ」
一呼吸おき、レイジは笑みを深めた。向かうところ敵なしの勝者の笑顔。
「お前はアマチュアで、俺はプロだ」
口角泡を噴いたサーシャ、懸命に喉をかきむしっていた五指から力がぬけ、ぐるりと眼球が裏返る。
「レイジ!」
サーシャの異常を悟ったロンが慌てて駆け出すのと、レイジがサーシャを解放するのは同時だった。首から金鎖が外れ、支えを失ったサーシャの体が鈍い音をたててその場に崩れ落ちる。ロンに遅れること数秒、木刀を引っさげて駆け出したサムライに続き、僕も我に返る。
小走りに現場に駆けつけた僕の目にとびこんできたのは、うつ伏せに倒れたままぴくりとも動かないサーシャ。
「……死んだのか?」
念のため、確認する。
「いや、息がある」
サーシャの脇に屈みこんだロンが、ほっと息を吐く。どうやら気絶してるだけのようだ。紛らわしいことこの上ないと横目でレイジを睨むと、レイジは涼しい顔で金鎖の先の十字架に口づけていた。
「愛してるぜ神様」
どこまで本気かわからない笑みを浮かべ、ぬけぬけとそう言い放つレイジに脱力する。
わけがわからない。
この男は僕の理解を超えている。
手におえないと匙を投げた僕は屋上の中心に立ち、あらためて周囲の惨状を見渡す。北棟の少年たちは全滅、肝心のサーシャは意識不明。要するに、レイジに襲撃をしかけた全員が手酷く返り討ちにされた結果と相成ったわけだ。
いったい今夜の馬鹿騒ぎはなんだったんだ。
死屍累々たる惨状を見回し、自問する。答えはない。思考の迷宮に入りこんだ僕の脳裏に、一条の光明がさす。
「―ひとつわかったことがある」
ロンとレイジが振り向く。怪訝そうな顔のふたりを見比べ、抑揚のない声で指摘する。
「ブラックワークについてだ」
なぜリュウホウはブラックワークの仕事内容を説明するのに抵抗したのか。
なぜレイジはわざと気を持たせるような言動で僕を煙に巻き、ブラックワークの実態を明かすのを避けたのか。
その謎がようやく解けた。
眼鏡のブリッジを押し上げるふりで嫌悪に歪む表情を隠し、吐き捨てる。
「サーシャ及び北棟の少年たちの言動、レイジ―すなわち君の言動を総合した結果、導き出される結論はひとつ」
気分が悪い。
この先を言わずに済むものなら言わずに済ませたい、という気弱な考えがちらりと脳裏を過ぎるが、無視して続ける。
「ブラックワークとは東京プリズンの暗部―おそらくレイジ、君が担当しているブラックワークは囚人たちに息抜きの娯楽を提供するのが目的の部署。リョウの言葉から推測すれば、東西南北四つの棟のトップとそれに継ぐ腕自慢の実力者だけがこのブラックワークに配属されるらしい。つまり……」
「バトルロワイヤルさ」
突如割り込んできたのは、場違いに陽気な声。
それまでコンクリート塀に腰掛け、サーシャ及び北棟の少年たちが倒されてゆくのを見物していたとおぼしきリョウがにこにこ笑いながら説明を引き取る。
「よっ」とコンクリートにとび降りたリョウが、後ろ手を組みながらぶらぶらと歩いてくる。
「さすがだね眼鏡くん、その眼鏡が伊達じゃないってのも今なら頷けるよ。君の言うとおり、ブラックワークの存在理由は囚人どものガス抜き、東京プリズンのエンターテイメント担当、これに尽きる」
「なぜだ?なぜ刑務所にそんなものが……」
「眼鏡くん忘れてない?ここはただの刑務所じゃない、最低最悪のブタ箱と名高い東京プリズンだよ」
大袈裟に両手を広げ、コケットリーに肩をすくめるリョウ。
「とうぜん収容人数だって他に類を見ず、日本全国から集められてる札つきのワルばかり。そんな連中が日々の強制労働でストレスためてぷっつんきて暴動起こしちゃったらどうする?上からの圧力で抑えるにも限界があるっしょ。だいたい数が半端じゃないからね、万一そういう事態が起こったときに看守と囚人の力差が逆転しないともかぎらない」
絶句した僕を振り返り、リョウがウィンクする。
「だから上は一計を案じたわけさ。囚人にも娯楽が必要だろう、適度な息抜きが必要だろうって。それで設置されたのがブラックワーク。三度の飯より喧嘩が好きで、それが高じて刑務所にぶちこまれたオツムの悪いガキどもにはうってつけのショウってわけ。ルールはなんでもありのバトルロワイヤル、どんな手を使っても勝てばいいってのが公然とまかりとおってる共通認識。で、日頃うっぷんをためこんでる囚人どもはブラックワークの試合観戦で憂さを晴らしてせいせいして房に戻ってゆく、とまあこーゆーわけ」
「そのわりにはリンチやレイプが横行してるみたいだが」
口調が皮肉げになるのが否めない僕に、愉快そうに含み笑うリョウ。
「こうは考えられないかな?ブラックワークがあるから『この程度』で済んでるんだ、と」
小悪魔的な笑顔のリョウから顔を背け、レイジに答えを仰ぐ。僕の視線を受け、レイジは肩を竦める。コンクリートの地面に倒れたサーシャをちらりと一瞥し、口を開く。
「ブラックワークがなかったら、今頃キーストアなんて手足の健切られてケツ掘られて捨てられてる頃だぜ。お前が今日まで生き残ってこれたのはブラックワークのおかげだ」
「ブラックワークは上・中・下の三つに分けられると聞いた」
「そこまで知ってんのか」
レイジがかすかに驚きの表情を浮かべる。隣のロンも似たような顔をしていた。ただ一人サムライだけが、我関せずと淡白な表情を保っている。
「『上』はわかった。『中』と『下』はなんだ」
いや、『下』はわかる。さっきこの目で見たではないか。
泣きながらゴルフバッグを引きずるリュウホウ。ゴルフバッグの中にはー
中には。
突然、僕の手の中に薄っぺらい物体がとびこんでくる。反射的に手を出し受け取ってみたところで、おそるおそる五指を開く。
僕の左手が握りしめていたのは―安っぽい、外国産のコンドーム。
「『中』は売春」
僕の手の中へとコンドームを放り投げたリョウは、悪びれたふうもなく笑っている。
信じられない。
「刑務所の中で公認売春が行われているというのか?」
自然、声が上擦る。リョウは動じたふうもなく続ける。
「そう、公認売春―まさにそれだ。上だってもちろんこのことは知ってる。いいかい、ブラックワークは必要悪なんだよ。闘技観戦でストレスを発散し、公認売春で性欲を解消する。そうすれば看守の目の届かないところで行われるリンチやレイプも多少は減るし、犯られるほうだって持ち回りの義務だとおもえば諦めがつくっしょ。念のため言っとくけど、今日まできみが処女を守りとおせたのはブラックワークの売春夫たちの存在あってこそだよ。彼らがいれば、囚人の大半は腕づくで新入りを犯そうなんて気は起こさない。抵抗してくれなきゃ燃えない、反抗してくれなきゃ燃えないって、はねっかえりの新入りのケツばっか追っかけてる凱みたいな物好きもなかにはいるけどさ」
凱の名前がでるとロンが渋い顔をした。試すような上目遣いで僕を仰ぎ、下唇を舐めるリョウ。
「で、『下』だけど」
「―もう、いい」
絞り出すように、ため息をつく。
わかった。わかってしまったのだ。なんでリュウホウが囚人が寝静まった深夜に、死体を運んでたのか。
その理由がわかってしまったのだ。
瞼の上から滴り落ちた血が目にながれこみ、視界が赤く煙る。
興味本位でのぞきこんでくるリョウから顔を背け、瞼をおさえる。
「『下』の仕事は死体処理だろう」
リョウの顔に意外そうな表情が浮かぶが、すぐにそれはこの上もなく愉快げな笑みにとってかわられた。
「ご名答」
血はいつまでたっても止まらなかった。
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