少年プリズン

まさみ

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三十五話

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 なにが無論だ、だ。
 「全部貴様のせいだぞ」
 瞬間口をついてでたのは、僕らしくもなく感情的な台詞。黙然と僕に背を向けたサムライが訝しげな視線を向けてくるのが気配でわかったが無視し、溜まりに溜まった怒りを一息にぶちまける。
 「夜起きたら君が隣にいなかったから何事かと思って捜しにでてみたら、とんだ目に遭った。まったく馬鹿馬鹿しい、理解できない、ナンセンスだ。なんだって君と何の関係もない僕がこんな目にあわなきゃならない、低脳で粗野で愚鈍な連中の馬鹿騒ぎにまきこまれて貴重な睡眠時間を削らなければならないんだ?わけがわからない、なんなんだここは、この刑務所は!」
 話しながら興奮してきた。
 らしくもないと自制心を総動員して語気を静めようとしたが一旦堰を切った怒りは凪ぐことなく、巌のように沈黙したサムライの背中めがけ息継ぐ間もなく罵倒の礫をぶつける。拳を振って一歩を踏み出した僕に応じたサムライの声はいつもと同じく……
 否、いつも以上に落ち着き払っていた。
 「東京プリズンだ」
 「そ、」
 そんなことはわかっていると激怒して反論しようとした僕を黙らせたのは、曇った視界を占めたサムライの背中から放たれる威圧感。
 空気がおかしい。
 僕とサムライを中心にした半径10メートル内に押し寄せてきたのは、さざなみ立つような殺気。コンクリートに霜を降らせて足裏から伝わってきた冷気が体温を低下させる。
 「……何が起きているんだ?」
 唾を飲み下し、訊く。
 僕には今の状況が見えない。
 折から吹いた突風に眼鏡を飛ばされ、視界を奪われた無防備な状態の僕には現在進行形で何が起きているかわからない。僕の問いに耳を貸したサムライがおのが右手を腰にと引き寄せ、いつでも迎撃に備えられるよう半歩足を開く。
 「鍵屋崎」
 「?」
 サムライが何かを右手に握っている。じっと目を凝らす。―木刀だ。しなやかに反った形状の木刀がサムライの手の中で輝いている。
 「死にたくなければ俺のそばを離れるな」
 「どういうことだ?」
 偉そうな物言いに反発したくなるのを堪え、冷静を保って聞き返す。答えはない。かわりに耳孔にもぐりこんできたのは、足裏が砂利を踏む耳障りな音。半円を描くようにコンクリートの地面に足先をすべらしたサムライが、木刀の柄を握る五指に力をこめる。
 「じきにわかる」
 意味深な台詞が終わるが早いか、僕は否が応でも自分がおかれた状況を思い知らされることになる。
 「!」
 凄まじい勢いで殺気が膨れ上がり、一点に収束。
 屋上の中央に立った僕らめがけて殺到してきたのは大地を震動させて砂利を踏み砕く足音の大群、奇声を発して突進してくる大勢の人間の気配。咆哮、怒号、罵声。狂乱の坩堝と化した屋上の中心に立ち尽くした僕に、背中越しのサムライが短く命じる。
 「つかまっていろ」
 異論を挟む余地はなかった。
 「!」
 それまで支えを欲して無意識に触れていたサムライの背中が前触れなく右へと移動し、おもわず転倒しそうになるのを囚人服の背を掴んで防ぐ。残像をひいて右へと傾いだ視界を過ぎったのは半弧の軌跡。
 サムライが一閃した木刀が眼前に肉薄した敵の脛を打ち据えたのだ。
 視力を奪われても聴覚は生きている。
 硬い峰が骨を打つ鈍い音が連続し、重たく鼓膜に響く。
 それまで屋上の隅で息を殺していた北棟の残党が、こちらが隙を見せた機に乗じ、多勢の利を生かして逆襲に転じたのだ。
 そう理解した時にはすでに遅く、逆襲の機を窺っていたサーシャの腹心らが次々と攻めてくる。
 おそらくロシア語だろうが、早すぎて何を言ってるかは聞き取れない獣じみた咆哮に被さるのは風鳴りの音。サムライの右手があざやかに翻り、踊り、舞う。右手の延長の木刀がサーチライトを反射してつややかに輝き、脛や膝などの急所に打ちこまれてゆく。
 風雅かつ俊敏な身のこなし。
 猛々しい歌舞音曲の拍子に身を委ねるかのように、はげしく律動的な体捌き。
 野性的なまでに研ぎ澄まされた勘の鋭さで敵の接近の気配を嗅ぎとるや、正面の空を木刀で薙ぎ払い後ろに跳躍。目論見どおりに間抜けな敵を間合いに誘いこみ、袈裟懸けに木刀を振り下ろす。肩を強打されたロシア人の少年が地に膝を屈するのを見届けゆったりと背筋を伸ばしたサムライが、右手に木刀をさげた姿勢で肩越しに振り向く。
 「そちらはどうだ、レイジ」
 「生きてるよ」
 ロンを背にかばったレイジが苦笑する。
 「参ったね。お約束の展開ってやつか?」
 「敵に情けをかければつけこまれると相場が決まっている」
 にべもなく斬り捨てたサムライがふたたび木刀の柄を握り、臨戦体勢に入る。僕とロンを間に挟み、サムライの背中越しに位置したレイジが屋上の隅に視線を放る。
 「リョウ!お前、サーシャになにか弱味でも握られてんのかよ?そこまで義理立てする理由ってやつを教えてほしーな、二百字程度で」
 片手でサムライのシャツを握り、もう片手で地面を撫でる。あった。このへんに落ちたと予測していたとおりだ。屋上に転がっていた眼鏡を拾い上げ、レンズに付着した砂利を拭ってかけ直す。拭われたように晴れた視界に映ったのは、足元に落ちたナイフ。
 理解した。先刻僕の頬を掠めた風圧の正体は、このナイフだ。眼鏡を吹き飛ばされながらも聴覚が拾い上げたあの金属音は、サムライが一閃した木刀が僕へと投擲されたナイフを弾く音だったのだ。
 間一髪、サムライの到着が遅れていれば。
 否、サムライが腕を振るのが遅れていれば。
 そこまで考えて、全身から汗が引く。サムライが咄嗟の機転を利かせて軌道を逸らしていなければ、このナイフは僕の顔面を抉っていたことだろう。
 片ひざを抱えてコンクリート塀に腰掛けたリョウは、悪びれたふうもなく無邪気に笑っている。
 「二百字もいらないね」
 懐に抱き寄せた膝の上に小さな顎を乗せ、いたずらっぽく含み笑うリョウ。
 「サーシャは上客だ。僕はまだ彼から報酬をもらってない。このまま君たちを帰せば永遠に報酬がもらえなくなるー……」
 「アフターケアは万全ってか」
 「レイジさ、誤解してない?野郎の下で股開くのだけが僕の仕事じゃないんだよ」
 あきたれたような顔をしたリョウが淡々と解説をつけくわえる。
 「サーシャは君のことを憎んでる。そりゃもう手段を問わず亡き者にしたいほどに。そりゃそうだよね、サーシャの混血嫌いは有名だもん。とくにアジアの血が混ざった奴なんて人間として認めてないね、家畜以上犬以下ってかんじ。そんなサーシャにとって東棟の王様は目の上のたんこぶなわけよ、君がいる限りブラックワークの覇者になることはできないもんね」
 リョウが四本指を立て、続ける。
 「北棟・南棟・東棟・西棟……東京プリズンを構成する四つの棟にはそれぞれトップがいて、東西南北それぞれの棟をシメてる四人+その四人に継ぐ腕自慢の実力者のみが栄えあるブラックワークのリングにあがれるわけだけど」
 「よっ」と反動をつけてとびおりたリョウがポケットに腕をつっこみ、コンクリート塀にもたれる。
 「レイジ……君が入所してからというもの、殆ど番狂わせが起きなくてみんな退屈してるんだ。そりゃ下位グループはめまぐるしく変動してるけど、上位陣の顔ぶれは毎回ほぼおなじ。下克上こそブラックワークの醍醐味っしょ?負けた奴はトップの座から退き、首領の座を譲る。それが東京プリズンの暗黙の掟なのに君ときたら何年一位を独占すれば気が済むのかな?さすがにちょーっと図々しすぎない?」
斜め四十五度の角度に小首を傾げたリョウが猫のような足取りでこちらに歩いてくる。
 「サーシャがキレても無理ないよ」 
 「どうでもいいけどリョウ」
 すれちがう間際、耳朶を噛むようにささやかれたリョウの台詞にレイジは肩を竦める。
 「二百字超えてる」
 「……うっわー、やな性格」
 半笑いになったリョウが不敵な笑みを湛えたレイジから身を引く。ポケットに手をつっこんで五歩あとじさったリョウが芝居がかったしぐさで首を振る。
 「ハイ、時間稼ぎおしまい。復活の時間だよ、皇帝」
 「「!」」
 やる気なさそうに手を叩いたリョウに、僕とロンが同時に振り返る。それより一呼吸ばかり遅れ、サムライとレイジが振り向く。
 よろめく膝を叱咤したのろのろと上体を起こしたのは、左手と頭部から流血したサーシャ。
 その右手に握られているのは―……
 先刻、レイジがサーシャから奪いその左手を貫いたナイフ。
 「―しぶといね、本当」
 サーシャの左手を貫いた後は興味を失ったように投げ捨てたのが仇になった。さすがにうんざりしたようにレイジが顔をしかめる。必殺の武器を手中に取り戻したサーシャの双眸には殺意と闘志が蘇り、ふたたび立ち上がったその背からはなみなみならぬ殺気が迸っている。
 「下賎な雑種に慈悲をかけられるなど、北の皇帝の名誉にかけて断じて許せん」
 「命の恩人に感謝するフリくらいはしろよ」 
 「恩人?」
 サーシャの唇が侮蔑に歪み、アイスブルーの双眸に嘲るような色が覗く。
 「これはたとえ話だが……一匹の犬がいたとする。血の汚れた雑種だ。その犬が飼い主に噛み付いたとする。それがたまたま喉笛でなく足首だった。さて、飼い主は『喉笛ではなく足首に噛み付いてくれてありがとう、お前は本当にやさしい良い犬だ』と感謝すると思うか」
 サーチライトを背負い、屋上中央の舞台で頭から血を流しながらも饒舌に詠じたサーシャを見上げ、レイジがため息をつく。
 「Oh my god」
 僕は神を信じてないが、レイジが神に助けを乞いたくなる気持ちはよくわかる。
 「レイジ」
 手元の鎖が鳴る。
 僕の隣からおもむろに歩み出したロンが二歩進んで腰を屈め、無造作にナイフを拾い上げる。先刻僕の頬をかすめたあのナイフだ。
 レイジの手にナイフを押し付け、ロンが言う。
 「もういい、めんどくさい。決着つけろ」
 ロンの吐息には疲労が滲んでいた。
 ロンから手渡されたナイフをまじまじと見つめ、細緻な装飾の施された柄を危うげない慣れた手つきでもてあそぶ。サーチライトの光を顔の右側面に浴び、顔の左側面を闇に沈めたレイジが薄く笑みを浮かべて念を押す。
 「いいのか?お前、俺がとどめ刺さなくて安心したんじゃねえの」
 「お前らのような殺人狂と一緒にすんな、今だって血なんか見たくねえよ……けど、むこうに引き下がる気がないならケリつける方法はこれっきゃねえだろ」
 隈の浮いた目を眠たそうにしばたたき、喉元まででかけたあくびを噛み殺してロンが付け足す。
 「第一、俺は眠いんだ。明日も強制労働がある。お前らブラックワークの特権階級は試合日以外やりたい放題好きに過ごせていいだろうけど、こちとら庶民階級はそうはいかねえ」
 眠気にふさがりかけた三白眼に挑発的な光を宿し、語気を強めて断言するロン。 
 「東京プリズンでラクできるのは王様だけだ。俺は庶民だから、睡眠時間削ってまで王様の茶番に付き合わされるのはこりごりだ」
 たしかにいい迷惑だ。ロンもいい迷惑だが、僕のほうがもっといい迷惑だ。
 「後腐れなく今この場で、一対一で決着つけろ。でも、できれば殺すな」
 ロンに渡されたナイフを五指に握り締め、レイジが顔をあげる。レイジの視線の先にはサーシャが待機している。準備万全、全身に闘志をみなぎらせて足腰を支えた皇帝の勇姿を見守っているのは北棟の少年たち。屋上中央で対峙したレイジとサーシャを取り囲む形で僕とサムライとロン、その僕らをさらに取り囲む形で生き残りの少年らが展開している。
 二重の円の中心で対峙したサーシャとレイジは、しばし神聖な儀式に臨む者特有の厳粛な沈黙を守っていたが、同時に目が見開かれた時に両者の双眸に宿っていたのは。

 「OK, let's fight(殺るか、皇帝)」
 純粋な殺意と。
 「望むところだ、サバーカ」
 狂気。

 「さて、こっちはこっちで殺ろうか」
 ポケットに指をひっかけたリラックスした姿勢で振り向いたリョウが、仕切り直しとばかり笑みを広げる。
 リョウの背後から歩み出たのはサーシャ配下の少年たち。一連のやりとりの間にサムライの太刀の打撃から回復したらしく、したたかに打ち据えられた脛の激痛と僕らへの殺意をむきだしにして包囲網を敷く。
 じりじりと間合いを詰めてくる敵の気配に圧倒されあとじさりながら、背中越しに追い詰められたロンへと囁く。
 「いい加減君との腐れ縁を解消したいな」
 「同感だ」
 思えば強制労働初日に凱に追われた時もロンと一緒だった。僕とロンはお互い顔を合わせるたびにトラブルに巻き込まれている気がする。うんざり気味に吐き捨てた僕の耳朶を打ったのは、低い声。
 「縁は切れないが、鎖は切れる」
 一瞬の早業だった。
 それこそ神速に迫る勢いで振り下ろされた木刀が、僕とロンとの間の手錠を叩きのめしたのだ。
 そして、信じられないことが起きた。
 木刀の一撃を受けた鎖が糸もたやすくちぎれとび、鋭い切り口を見せた金属の破片となって宙を舞う。どちらからも等距離にあたる中間で鎖を両断され、手錠の輪だけを手首にぶらさげた僕らは愕然としてサムライを見上げる。
 「その木刀は木刀に見えるだけで、本当は鉄なのか?」
 おもわず声が懐疑的になる。しかし、答えは至って淡白なものだった。
 「玩具の手錠を切るなど造作もない芸当。……それに、最初からひびが入っていた」 
 思い出す。先刻、頭上に降ってきたナイフをふたり同時に掲げた鎖で受け止めたことを。察するにあの時、鎖にひびが入ったのだ。 
 ともあれこれで自由になったと安堵する暇もなく、手首をさすっていた僕にサムライが声をかける。
 「鍵屋崎、目は見えるか」
 「眼鏡をしてるからな」
 なにをいまさらとあきれかえって返事をした僕に背を向け、木刀を上段に構えるサムライ。
 「それならば、俺の背を掴まなくても自分の身くらいは守れるな」 

 え?

 ちょっと待てと呼び止めようとしたが遅かった。上段に構えた木刀を鋭い呼気とともに振り下ろしたサムライ、その切っ先が敵を屠るのを見届ける間もなく、奇声を発してとびかかってきた少年に全体重をかけて殴り倒される。
 結論。東京プリズンの囚人は人の話を最後まで聞かない。
 サムライがいい例だ。
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