少年プリズン

まさみ

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二十二話

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 「リュウホウ、君に聞きたいことがある」
 完全に箸を止めてうつむいてしまったリュウホウへと声をかける。リュウホウがびくりと顔をあげる。
 「ブラックワークとはなんだ?」
 わからないことがあると気持ちが悪い。ロンが説明を伏せた理由も気になる。今後の生活に関わってくることなら知っておいて損はないはずだ。これでも僕はわからないことは率直に聞くよう心がけているのだ、天才は時に謙虚にならなければならない。
 しかし僕の直截な質問に、リュウホウは劇的な変化で応じた。
 ズボンの膝を握り締めた手が痙攣の発作のように震えだし、リュウホウの顔から急速に血の気がひいてゆく。青ざめた顔のリュウホウは僕の視線を避けるように足元の床を凝視していたが、やがて、色の失せた唇の隙間からかすれた声を絞り出す。
 「ブ、ブラックワークは………」
 リュウホウの呼吸が浅く不規則になる。呼吸のリズムで浮沈する肩、静脈が透けた貧弱な手が膝に爪痕を残すほど強くズボンに食いこむ。今にも発狂しかねない危うげな様子で椅子に身を沈めたリュウホウが、真っ赤に充血した目を苦痛に歪める。
 「い、今は食事中だし……ここで話すようなことじゃない……」
 荒い吐息の狭間からこぼれたのは、語尾が萎えた拒絶の言葉。安田に同行を命じられるがまま唯々諾々と従っていた入所初日のリュウホウを知る僕にはにわかに信じ難いことだが、食事を放棄したリュウホウは今や全身で「ブラックワーク」の内容説明を拒んでいた。
 戦慄に身を強張らせ、硬直した手を膝におき、不可視の負荷に耐えるように背を丸めたリュウホウの姿を視界から排除し、僕は食事を続ける。薬指を負傷したせいで箸が握りにくい。通常の持ち方ではヒビの入った薬指に響くため、箸の持ち方をおぼえたばかりの幼児のような不恰好な按配になってしまう。鷲掴みに近いかたちで不器用に箸を傾け、左手に持った椀から白米を口へと運ぶ。試行錯誤しながら白米をつまんでいる僕の方をちらちらと窺い、リュウホウが言葉を絞り出す。
 「き、君はどこの担当?」
 「イエローワーク」
 食事中に会話するのは行儀が悪い。それでなくても、以前の僕には食事中に私語を交わす習慣がなかった。僕の家ではひとりで食事をとるのが日常だった。東京プリズンに収監された今も可能ならほかに人目のない房で食事をとりたいのが本音だが、そんな自己中心的な振る舞いは檻の中では許可されない。
 集団生活とはなんて不合理なものだろう。
 僕の配属先を聞いたリュウホウの顔に同情らしき感情の波紋が浮かぶ。彼も知っているのだろう、イエローワークの実態がどれほど過酷なものか。珍しくどもることなく、リュウホウが感慨深げに呟く。
 「たいへんだね……」
 「そうだな」
 興味なさそうに僕は呟き、不自由な右手で焼き魚を正確に四等分してゆく。包帯を巻いた薬指に障らぬよう、注意深く箸を操っている僕の顔を怯えた目で窺い、リュウホウが不思議そうに聞く。
 「たいへんじゃないの?」
 「君の耳は節穴か?ほんの三秒前に『そうだ』と僕は肯定しただろう」
 同じことを反復して聞き返すという時間の浪費としか思えない愚行を皮肉れば、リュウホウは「ご、ごめん」と舌を噛みかねない慌てようで謝罪して申し訳なさそうにうつむいてしまった。そして、弁解がましい口調で付け足す。
 「でも、あんまりたいへんそうに聞こえなかったから……」
 僕の言い方に問題がある、と迂遠に暗喩しているかのような言い草だ。自分の理解力が乏しいのを僕に責任転嫁しないでほしい。自分から誘ったくせに僕と目を合わせるのを避けている消極的なリュウホウは、それでも吶々と言葉を続ける。
 「仕事のことだけじゃなく、ほら、ほかの囚人のこととか……さっきみたいなこと、いっぱいあるんじゃないかな、って」
 「ああ」
 リュウホウが示唆しているのは先刻、僕が後ろに並んでいた囚人に肘をぶつけられて味噌汁の器を床にぶちまけた一件だろう。リュウホウは僕が東京プリズンに収監された理由を知っている。ここに連れてこられる途中のジープの上で看守から聞かされたのだ。一見人畜無害な容姿をしているが、リュウホウだって放火八十件の凶悪罪で東京プリズンに収監された前歴の持ち主だ。
 一つ屋根の下で暮らした身内を殺害した者が東京プリズンでどのように扱われるかの知識は当然持ち合わせているだろう。
 同類相憐れむようなリュウホウのまなざしが鬱陶しかったので、トレイに箸をおいて食事を中断し、彼のほうへと向き直る。
 小さく息を吐いた僕は、なにか誤解しているらしいリュウホウに嘘偽りない真理を説いてやる。
 「馬鹿を相手にすると馬鹿が伝染る。具体的にはシナプスの枝葉が消滅する。語彙に乏しい悪態も下品で下劣なスラングもすぐに手をだし足をだす野蛮な振る舞いの数々もすべては知能指数70以下、猿以上人未満の低脳の特徴だ。知能指数180の僕が彼らみたいな低脳相手にムキになるのは大学生に1+1を解かせるような愚行だと思わないか?」
 檻の中のチンパンジーに唾を吐かれても観光客は「不運な事故だ」と諦めがつく。僕の身に現在進行形で起きていることも要はそれと同じことだ。唯一にして最大の相違点は、観察者を自認する僕も同じ檻の中に入っているという境遇の程度の差か。 
 淡々とした講義口調で説明を終えた僕に相対したリュウホウの顔が空白になり、それか二呼吸おいてなんとも形容しがたい崩れ方をする。感心したようなあきれたような、そして、ほんのわずかばかりの羨望が含有された複雑なまなざしを僕へと向け、胃酸とともに染み出してきた苦汁を噛み締めるようにリュウホウが呟く。
 「きみは強いんだね」
 どのような思考過程を踏んでそんな解が導き出されたのか謎だ。
 「………不可解だな。僕は人間と猿の間に言語による意思疎通は成立しないという文化人類学の基本原則を述べただけだぞ?」
 「うん」
 理解しているのかいないのか、曖昧に首肯したリュウホウがおざなりに箸をとる。緩慢な顎の上下運動、必要以上の時間をかけて咀嚼された白米が喉を通過して食道をすべりおちてゆく様子を眺め、味噌汁を飲み干した僕は四等分した焼き魚を口へと運ぶ。
 「ぼくはだめだ」
 唐突に、リュウホウが呟く。まったく脂の乗ってない、苦味ばかりが勝った不味い焼き魚を半ばまで口にいれかけていた僕は、その間抜けな姿で一時停止を余儀なくされる。とりあえず口腔の内容物を飲み下すのを優先し、右手に箸を預けてリュウホウを振り仰ぐ。
 リュウホウはこの世の終わりのような顔で自分の膝を見つめていた。
 「ぼくはもう、やっていけそうにない」
 どこまでも消極的で自滅的な台詞に、しかし、僕はとっさに言葉を返せなかった。先刻と比べてリュウホウの口調はむしろ落ち着いていた。まるで、嵐の前の静けさ。許容量を超えた激情が理性の堰を決壊させ、今しもリュウホウを飲み込もうとしているかのような不吉な冷静沈着さ。リュウホウの目は焦点があっていない。
 これは、精神から壊死していく過程の人間の目だ。
 救いがたい絶望にむしばまれたリュウホウの目の暗さに引き込まれそうな錯覚をおぼえ、その負の磁力に抵抗するかのように目を背ける。薬指が痛むのを承知で箸を握る手に力をこめ、吐き捨てるように僕は言う。
 「まだ三日だぞ」
 リュウホウがこちらを向く。目には半透明の皮膜が張ったまま、相変わらず違う次元を彷徨しているかのようだ。精神と肉体が半ば遊離したリュウホウの姿に胸焼けによく似た不快感を覚え、三分の一ほど減った白米を前に急激に食欲が失せてゆく。
 「君の懲役は十六年だろう?三日の段階で弱音を吐いてどうする、まだまだ先は長いぞ」
 懲役八十年の僕が懲役十六年のリュウホウを説教する奇妙な絵面は、客観的視点で俯瞰すればさぞかし諧謔味のある喜劇に分類されただろう。しかし、当事者の僕にとっては笑い事ではない。僕より懲役は短いが僕より精神が惰弱なリュウホウにとっても同様。
 リュウホウはもうなにも答えなかった。無言でうつむいてしまった横顔からは完全に表情が消失していた。力尽きたようにうなだれたリュウホウにいい加減嫌気がさし、トレイを持ち上げた僕は荒々しく席を立つ。そのままリュウホウには一瞥もくれずにカウンターに向かおうとした僕の背を、消え入るような声が追いかけてくる。
 「………ごめん」
 椅子に身を縮こめたリュウホウが、前髪に隠れた目でじっとトレイを見下ろしている。トレイの食事にはほとんど手をつけてないようだ。ブラックワークの仕事内容は知らないが、ほとんど朝食を摂取せずに一日が保つのだろうか?リュウホウから視線を転じ、手中のトレイを見下ろす。焼き魚と味噌汁は無理矢理にでも胃につめこんだが、アルミ椀にはまだ三分の一ほど白米が残っている。リュウホウの話を聞いていると口にいれた白米が砂を噛むように味気なくなり、口内で分泌されたアミノ酸を主成分とする唾液が穀類のデンプンを溶かしてゆく時間までひどく耐え難くなる。

 まったく、こんな悲観的な人間と隣り合わせで食事するなんて冗談じゃない。
 僕はひとりでゆっくりと食事をとりたいのだ。

 足音荒くリュウホウのそばに取って返した僕は、手つかずで放置されていた彼のトレイに食べ残しの白米を押し付ける。トレイの端に割り込んできたアルミ椀を見て、はじかれるようにリュウホウが顔をあげる。都合のよい勘違いを防ぐため、物問いたげなまなざしのリュウホウが口を開く前に先手を打つ。
 「別に君がどうなろうが知ったことじゃないし興味もないが、朝食は残さず摂取しておいたほうがいいぞ。これは僕自身の体験談だが、強制労働中に倒れても医務室送りになる確率は低い。最悪そのまま放置か、体力を消耗して抵抗できないほど弱ったところに目をつけられてリンチされる恐れがある。仕事場で倒れてイエローワークの砂漠に埋められるのが嫌なら必要最低限のカロリーは摂取しておけ」
 淘淘とまくし立てた僕とトレイに追加されたアルミ椀とを見比べ、リュウホウがかろうじて頷く。相変わらず顔色は冴えなかったが、箸を握り直す気力は戻ったらしい。緩慢にではあるが食事に手をつけ始めたリュウホウに背を向け、今度こそ僕は歩き出す。「食べ残しを押し付けて!」という抗議はついに聞かれなかった。当たり前だ、東京プリズンの囚人はそんな贅沢な文句を吐ける立場にないのだ。特にリュウホウはあの通り貧弱な見た目と卑屈で内向的な性格が災いして、凱を代表する先住民たちのいじめの標的と化している。初日のように独りぽつねんとテーブルの隅に座っているところを大群で取り囲まれて食器を強奪される繰り返しで、今日までろくに食事にありつけなかったはずだ。
 別に彼の境遇に同情したわけではない。凱やその他の囚人たちによる陰険ないやがらせに日々曝されているのは僕も同じだ。
 僕はただ、借りを返しただけだ。別にまったくリュウホウになど興味はないし一方的な親近感を抱かれるのは辟易するが、彼が僕に味噌汁を分け与えたのは事実だし、等価交換に食べ残しの白米を譲るのは妥当だろう。一方的に押し付けられた借りとはいえ、善意の利子がふくれあがるのは迷惑だ。「味噌汁あげたんだから友達になってくれ」とでも恩着せがましく言い寄られるのはさらに迷惑だ。

 低脳に友達扱いされるのは本当の本当に迷惑だ。

 ほとんど箸をつけてない白米をリュウホウに押し付けてカウンターへと向かった僕を「おーい」と軽薄な声が呼び止める。声の出所をさがして食堂を見回す。囚人たちで賑わった食堂の中央に見知った顔を見つける。明るい茶髪を襟足で一括りにした、おそろしく整った顔だちの青年がひらひらと手を振っている。
 レイジだ。
 「キーストア、ひとり?サムライと一緒じゃないの?」
 椅子に上体を預けたレイジが、わざと周囲に聞こえるような声で言う。レイジと僕とを往復する複数の視線、その大半は無害な好奇心故のものだが、残り三割は敵意をむきだした剣呑なものだ。レイジが陣取ったテーブルの周囲には凱の取り巻きも少なからず散らばっているのだろう。強制労働初日のように、レイジと関わったせいで凱に追いかけ回されるような事態は避けたい。
 しかし、レイジの視線と声は明らかにこの場の僕に向けられたものだ。今さら無視するのはわざとらしいしかえって聴衆の好奇心を煽ってしまう。仕方なく、僕は答える。
 「『コーンウォ―ル』を『とうもろこしの壁』と愚直に英訳する中1レベルの呼称はやめてくれ。あまりにも頭が悪すぎて眩暈がする」
 「サムライと痴話喧嘩?」
 僕の正当な抗議を聞き入れる気はないようだ。
 手庇を作ったレイジが僕の隣に不在のサムライをさがし、きょろきょろと食堂を見回す。レイジに感化されたわけではないが、食堂で別れたサムライの行方が気になり、トレイを持ったままの僕も前後左右に視線を馳せる。しかし、途中で諦めた。無個性な囚人服を着こんだ囚人が一堂に会した食堂で特定の人間を見つけだすなど、普通どれだけ視力がよくても困難だ。第一、今の僕は眼鏡をしていない。今だってレイジに声をかけられなければ気付かずに素通りしていただろう。
 「勘違いされては困る。僕とサムライは友人でもなんでもない、食堂の席まで相席する理由はないだろう?」
 「ここにくるまであんなに仲良しだったのに?」
 …………見られていたのか。
 「……あれは危急の措置だ。他に代替案がなかったからいやいや仕方なく不承不承選択したまでだ。それ以上の理由はない、下衆な勘繰りをするな」 
 「あんなにしっかりサムライのシャツを掴んでたのにねえ。迷子の三歳児が漸く再会したお母さんの背中を掴んでるみたいだったぜ」
 自堕落な姿勢で頬杖ついたレイジの隣、仏頂面で箸を握っていた人物が目にとまる。
 「ロン」
 平板な声で名を呼ばれ、苦々しげにレイジを眺めていたロンが顔を上げる。僕は直線のまなざしでレイジをとらえると、氷点下にまで冷えこんだ声で今現在のレイジに対する偽らざる評価を告げる。
 「君の隣の人物は真性の『下衆野郎』だな」
 「俺もそう思う」
 したり顔で頷いたロンと虚を衝かれて頬杖を崩したレイジに踵を返し、不毛な議論を打ち切る。背後で「ダチを裏切るなよ!」「だって事実だし。あとダチじゃねーし」という温度差のはげしいやりとりが聞こえてきたが無視する。カウンターにトレイを返却し、強制労働開始のベルが鳴り響く前に地下のバス停へと向かおうと食堂をよこぎる。
 「とった!」
 変声期の途上のしわがれ声に振り向く。僕が一つテーブルを挟んだ通路を通り過ぎようとしたまさにその瞬間、先刻と同じ席に腰掛けていたリュウホウが五・六人の囚人に取り囲まれ、僕が食べ残したアルミ椀を取り上げられていた。
 多分こうなるだろうと九割九分九厘予想していた。
 別段驚かなかった。囚人たちに小突かれて涙をためているリュウホウを哀れにも思わなかった。僕が哀れんだのはリュウホウを包囲して口々に囃し立てている連中の程度の低さだ。人の残飯を強奪して腹を満たそうなんて卑しい奴らだ。彼らの口なんて不要な器官は一刻も早く退化して消滅したほうがいい。
 なんとも嫌な後味を胃に抱えて食堂を後にした僕は、廊下にでたところで突然声をかけられる。
 「君って二種類しか表情ないね」
 「?」
 鈴を振るように朗らかな響きを宿した、陽気なボーイソプラノ。
 眼鏡が壊れてからというもの、僕は視覚にたよらず聴覚を介して個人識別をするようになった。今も不明瞭な視界より先に、声から人物を特定した。
 案の定、僕の前にいるのはリョウだった。
 「怒ってるか無表情か、そのどっちかだ。喜怒哀楽の喜と哀と楽はどこにいっちゃったわけ?」
 後ろ手に手を組んだリョウが小器用に角度を変え、不躾に僕の顔を覗きこんでくる。至近距離に突き出された顔に反射的に身を引き、感情を殺ぎ落とした口調で注意する。
 「顔をどけろ。僕はこれからバス停にいくんだ」
 進路を譲れと告げたはずだが、僕の指示にリョウが従う気配はない。それどころか囚人服の袖の上から僕の肘を掴むと、無理矢理廊下を曲がった死角へと引きずりこんでゆくではないか。リョウの手を振り払おうと身をよじりかけたが、視界が利かない今の状態ではリョウの手をはたき落としたはずみで転倒しかねない。その危険性を考慮した結果、この場はおとなしくリョウに従ったほうがいいという解答が導き出された。
 廊下の曲がり角へと僕を連れ込んだリョウは、なにやらゴソゴソとズボンのポケットを探り出す。リョウの奇行を訝しげに眺めていた僕の鼻先へ、円筒形を二つ並べた物体が突き出される。
 「はい、あがり」
 すこぶる上機嫌なリョウに促されて顔をあげた僕の手に、楕円形を二つ並べた物体が乗せられる。
 この感触は間違いない。 
 手にした物体を頭上に翳し、あらゆる角度でためつすがめつしてから、平行に伸びた弦を左右の耳殻へとひっかける。
 拭われたように視界が明瞭になった。
 「どう?」
 後ろ手に手を組んだリョウがにこにこと笑っている。その前歯が一本抜けていることまで明確にわかる。三日ぶりに明瞭な視界を取り戻した僕は、本心から賞賛の言葉を発する。
 「すごいな」
 凱に握りつぶされたフレームも不恰好な間接が増えた弦も粉微塵に割れたレンズも、すべてが完璧に修復され、元通りの姿形を取り戻していた。原型を留めなぬまでに破壊された眼鏡が完璧な姿で手元に戻ってきたことに安堵した僕は、リョウに対する評価を少しだけ改める気になった。
 その矢先だ。
 「で、そっちのほうは進んでるかな?」
 「なに?」
 「とぼけないでよ、眼鏡と引き換える代金のことだよ」
 不審げに反駁した僕を前に、リョウが唇を尖らせる。もちろん忘れていたわけではない。だが……
 「……いや。まだ何も進んでない」
 「あっちゃー」
 リョウが天を仰いで嘆く。もちろん忘れていたわけではない。ただ、放置していただけだ。実際レイジと口をきいたのでさえ、今日が三日ぶりなのだ。
 「僕言ったよね?眼鏡を直す代わりにレイジの弱味を探ってきてって、しっかりちゃっかり頼んだよね」
 「仕方ないだろ、僕とレイジはとくに親しい間柄じゃない。入所初日に彼の気まぐれでからかわれただけの希薄な関係だ。そんな人間相手にどうやって弱味を掴めばいいんだ?」
 僕の正論に怖じたふうもなく、リョウは処置なしと肩を竦めた。
 「そこは頭の使いようっしょ。メガネが戻ったメガネくん、君頭がいいんだから何かいい案考えてよ」
 「僕の頭はそんなくだらないことに使うためにあるわけじゃない」
 リョウは深いため息をつくと、わずかに鋭くなった目で僕を見つめる。
 「メガネくん、君が今やろうとしてるのはおいしいとこどりのヤリ逃げと一緒だよ。僕は約束どおり速攻メガネを直してあげたのに、肝心の君はまだなんにもやってないって言う。レイジの弱味を掴むどころか、レイジと接触してもないって言う。なにそれ?君、ハナから料金ごまかしてトンズラするつもりだったわけ」
 「そうは言ってないが、」
 「ダメだよそんなの」
 天真爛漫な子役の笑顔から腹黒い商人の笑みへと豹変したリョウが、僕の心の奥底を覗き込むようなまなざしを向けてくる。
 「東京プリズンではそんなの効かない。いいかい、これは取引なんだ。一度取引の制約を破った者がどうなるか、知りたい?」
 「………どうなるんだ?」
 不吉な胸騒ぎを感じながら聞き返す。
 「そのメガネ、裏っ返してよ~く見てごらん。弦に超小型爆弾が仕込まれてるの気付いた?」
 「!」
 ぞっとしてメガネを外した僕は、弦に仕掛けられているという超小型爆弾を判別しようと手中に目を凝らし…… 
 「うっそー」
 ………そのまま硬直した。
 「……メガネのレンズに埃が付着していた」
 囚人服の裾でメガネのレンズを拭うフリをしながら付け加えた僕を1メートル離れた壁際から眺め、笑いを堪えてリョウが続ける。
 「まあ今のは冗談だけど。僕には囚人・看守問わず何人かのパトロンがいてね、僕のおねがいならなんでも聞いてくれるんだ。メガネくんに裏切られた~って目薬さして泣きつけば、僕にぞっこんホレてる彼らがどんな極端な行動にでるかわからないよ?」
 「恐喝か」
 「脅迫とも言うね」
 壁から背を起こしたリョウがスキップするような足取りで僕の方へと歩いてくる。
 「期限はあと四日。四日後までにレイジの弱点を掴んできて」
 耳朶に吐息を絡めてリョウがささやき、鼻歌まじりの軽い足取りで廊下を去ってゆく。
 リョウの尋問から解放された僕は背骨を引き抜かれたような脱力感に襲われ、ぐったりと背面の壁にもたれる。

 あと四日。四日後に一体何があるというんだ? 
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