少年プリズン

まさみ

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三話

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 安田に先導され、奥へと廊下を進む。
 天井には等間隔に蛍光灯が連なっている。ダイスケの後頭部に視線を固定しつま先を繰り出していると、前方に分厚い鉄扉が出現する。安田が立ち止まる。鉄扉の脇には液晶画面があった。液晶画面に手を翳す安田。画面が青白く発光し、重々しい音をたて鉄扉が割れる。
 鉄扉に隔てられた廊下の向こう側には、暗渠をおもわせる湿った空間が広がっていた。コンクリート内話の壁と床、圧迫感のある低い天井。背後で自動的に鉄扉が閉まる。急激な環境の変化に戸惑いを隠せないダイスケとリュウホウが落ち着きなく目をさまよわす。
 安田の視線を追い、振り返る。背後に控えていたのは看守が一人。半透明の手袋をはめた件の看守は、サディスティックな笑みを浮かべ、整列した囚人一同を見渡す。
 これから何が起きるのだろう。
 不安げに顔を見合わせるダイスケとリュウホウ。僕にはこの後の展開がおおよそ予測できた。
 目の端で安田を探る。安田は無表情に口を開き、命じた。
 「服を脱げ」
 「……な、」
 ダイスケが絶句する。自然な反応だ。有無を言わせず服を脱げと命じられ、思春期の少年がはいそうですかと従うはずがない。リュウホウは縋るような目で安田を仰ぐ。だが、安田の顔色は変わらない。霜の下りた絶対零度の眼差しが、レンズ越しに注がれただけだ。
 反発をおぼえた二人とは対照的に、僕は大人しく安田の言に従った。抵抗しても心証を悪くするだけで、僕にはなんの益もない。シャツの裾に手をかけ、一気に上着を脱ぐ。同じ手順で下着を脱ぐと、薄い胸板があらわになる。ズボンとトランクスに同時に手をかけ、踝までさげおろす。股間を外気に晒した僕を見て、あっけにとられたように口を開けたダイスケとリュウホウ。一糸纏わぬ姿になった僕は、局部を隠すことなく体の脇に手を垂らし、心静かに来るべき時を待つ。
 安田は腕を組んだまま、表情一つ変えなかった。半透明の手袋を嵌めた看守は舌なめずりしている。発情した軟体動物のように下唇が貪欲に蠢き、生理的な嫌悪に肌が粟立つ。看守から目を逸らし、自身の生白い胸板を見下ろす。筋肉が発達してない、貧弱な肢体。
 一体こんなもののどこに、目の前の男は興奮しているんだ。
 「膝に手をつけ」 
 いまだ躊躇しているダイスケとリュウホウを半ば無視する形で看守が命じる。僕は大人しくそれに従う。膝頭に両手をつき、腰を落とす。全裸で前屈姿勢をとった僕の背後で、リュウホウとダイスケが激しく動揺しているのがわかる。
 「はやくしろ!」
 凄まじい剣幕で大喝され、リュウホウとダイスケが竦み上がる。湿った暗渠に大音声が響き、鼓膜が殷殷と痺れる。顔面蒼白のリュウホウと頬筋をこわばらせたダイスケは、背に腹は変えられぬと速攻で服を脱ぐ。服の裾に手をかけた瞬間、二人の目を逡巡の色が過ぎるが、看守の眼光に気圧され覚悟を決めたと見える。迷いを振り切るように一気にシャツを脱ぎ、自棄気味にズボンをさげおろしたダイスケの隣では、のろのろ手間どりながら服を脱いだリュウホウが頬を上気させて俯いていた。踝にひっかかったズボンを蹴散らし、丸めたシャツを後方へと投げ捨てたダイスケをおどおど窺い、裸の胸にシャツを抱きしめたまま看守の前へと進み出るリュウホウ。リュウホウに先を越されてなるものかと僕の右隣にやってきたダイスケは、ごくりと唾を呑んで看守の顔色を窺う。足を引きずるように僕の左隣にやってきたリュウホウは、哀れっぽく潤んだ目で安田に同情を乞う。
 みっともない。
 辟易した僕の耳朶を打ったのは、看守の苛立たしげな叱責。
 「なにぼけっと突っ立ってんだ!お前らもそいつを見習うんだよ!今すぐ!」
 要領の悪い囚人に業を煮やした看守がヒステリックに喚き、リュウホウとダイスケがたじろぐ。だが、二人に選択肢はない。看守の命令に従わなければどうなるか、ここに来るまでの道中で体に叩き込まれただろう。観念したダイスケは僕を真似、おずおずと腰を落とす。半泣きのリュウホウもダイスケを真似、尻を後方へと突き出す屈辱的な体勢をとる。
 交尾に臨む雌犬のような体勢を囚人に強いた看守は、いやらしい薄笑いを浮かべてこちらへと接近してきた。囚人の自尊心を完膚なきまでに打ち砕き、体の細胞一つ一つにまで忠誠心を植え付ける為に。
 背後で靴音が止む。耳を澄ます。荒い息遣い。唾を嚥下する音がやけに大きく生々しく響く。僕は視線を床に固定していた。決して背後は振り向かなかった。ひやり、肛門に冷たい手が触れる。肛門にもぐりこむ異物感、無遠慮に襞をかきわける指の感触。普段排泄にしか用を足してない器官に太い指を突っ込まれ、乾いた粘膜を爪でひっかかれる痛みにおもわず顔をしかめる。腸の内壁を緩急をつけて摩擦され、強烈な嘔吐巻がこみ上げてくる。永遠にも続くかに思えた苦痛な時間が終わった時、僕は我知らずため息を漏らしていた。肛門から指が引き抜かれる。体内に覚醒剤を隠してないか確かめるための直腸検査を終えた看守は、肩越しに安田を振り返り報告する。
 「合格」
 安田が頷く。よろしい。全身から力が抜けてゆく。こんなのはまだまだ序の口だと、シャツを着ながら漠然と思う。シャツの裾をおろして臍を隠し、かぶりを振る。ここは東京プリズン。入ったものは二度と出られない。
 そう。ここは屠殺場なのだ。
 最前まで僕の肛門をほじくり返していた看守が、嗜虐的な笑みを浮かべ、ダイスケへと歩を進める。視界の隅でダイスケの顔が醜く歪み、リュウホウの顔に絶望の帳が落ちる。
 彼らもようやく自分たちのおかれた状況を悟ったのだろう。愚かな。

 直腸検査を終えた僕ら一行は暗渠を抜け、地下の廊下を通り、囚人の房がある隣の棟へと向かう。今度は僕が先頭を歩く。二番手がダイスケ、最後尾がリュウホウ。ダイスケもリュウホウも放心状態だった。よほど先刻の直腸検査がショックだったらしい。初対面の他人ーそれも男に肛門を犯されたのだ、無理もない。
僕はというと、まったくショックは受けていなかった。収監前に実施される直腸検査の予備知識はあったし、心構えもできていた。取り乱すほどのことでもない。
 照度を落とした蛍光灯が点々と連なる天井の下、汚れた廊下を縦一列に歩く。暗渠に通される前に歩いた廊下とは違い、地下の廊下はお世辞にも清潔とはいえない。天井から滴った汚水が壁に奇怪な抽象画を描き出している様を横目にしつつ、足を繰り出す。僕の隣を歩いているのは安田だ。細身のスーツを一分の隙なく着こなした洗練された容姿は、もしこの場に異性がいたら十分魅力的に映るだろう。一筋の反乱も許さず撫で付けた髪の下の顔は、端正だがおおよそ表情というものがない。安田の平板な横顔を眺めていたら、ふと虚空で視線が絡まる。
 安田の目はよく切れる剃刀のように鋭利で冷ややかだった。 
 「……なんですか?」
 慎重に探りを入れる。安田は僕の身上を知っているはずだ。なぜ東京プリズンに収監されることになったのか、詳細な経緯を知っているはずだ。もし安田が僕の身上に興味をもっているなら……もっているのだとしても、何も答える気はない。僕が両親を刺殺した動機をあれやこれや他人に詮索され、あることないこと邪推されるのは不愉快極まりない。
 銀縁眼鏡のブリッジを押し上げ、ほんの少しばかり怪訝そうな目で僕を一瞥する安田。
 「……いや。新聞で見た時も思ったのだが」
 安田は何気なく言った。
 「君は、鍵屋崎夫妻のどちらとも似てないな」
 余計なお世話だ。
 眼鏡越しに注がれる体温の低い視線から顔を背け、吐き捨てる。
 「……似てない親子なんてどこにでもいますよ」
 そう。どこにでもいる。そして僕自身、そのことを大いに喜んでいる。高圧的な父と自己中心的な母。戸籍上の両親どちらとも容姿の類似点がないことが、これまで僕の自尊心を支えてきたのだから。 
 「……たしかに」
 安田が呟く。独り言に近い口吻で繰り返す。
 「似てない親子など、どこにでもいるな」
 納得したのか否か、安田はそれきり関心を喪失したように前に向き直る。僕は安田の隣に並び、黙々と足を繰り出す。この男、何を考えているのかわからない。注意深く安田の横顔を探る。線の細い、神経質そうな面立ち。品よく尖った顎とそれを支える首は、男にしておくのがもったいないほど白い。力仕事とは縁のない人生を送ってきた、ホワイトカラーの象徴たる繊細な五指。今の日本ではごく限られた特権階級しか身につける機会がないスーツは、一瞥しただけで外国のブランドに特注したものだとわかる。つま先から脳天まで札束で磨きぬかれたインテリ特有の選良意識を一挙手一投足に漂わせているが、時折その目を過ぎる光は霜の張った剃刀のように冷徹だ。
 安田の横顔を仔細に観察している僕の背後、ダイスケを挟んだ列の最後尾でリュウホウがぶつぶつと呟いていた。東京プリズンに護送される道中も、リュウホウは意味ある言葉を発することなく、熱に浮かされたように不明瞭なうわ言を繰り返していた。長時間極度の緊張状態におかれ、精神に変調をきたしたのだろう。虚空に向けた目の焦点は拡散し、弛緩した唇の端には唾液の泡が付着している。
 リュウホウの前を歩いているのはダイスケだ。直腸検査を終えて後、先刻までの饒舌ぶりが嘘のように暗い顔で押し黙っている。陰気に沈黙したリュウホウとダイスケを省みて、埒もない感慨に耽る。

 こんなのはまだまだ序の口だ。
 僕は地獄の入り口にも辿り着いていない。

 革靴が廊下を叩く規則的な音が、コンクリート打ち放しの寒々しい廊下に反響する。先に進むにつれ、廊下は次第に不衛生な様相を呈してきた。天井に設置された蛍光灯は心許なく瞬き、壁には大小の亀裂が生じている。天井から滴り落ちた汚水が壁を伝い、ひたひたと床に触手を伸ばしている。つま先を過ぎる水の触手を目で追っているうちに、鼓膜に甲高い悲鳴が蘇る。
 『お父さん!』
 『お母さん!』
 つま先を掠めた水流が赤く変色してゆく。あの時と同じ、床を流れた血と同じ鮮やかな赤に。
 瞼の裏側に蘇るのは、恵の顔。極限まで目を剥き、恐怖と憎悪に駆られて僕を糾弾する妹の顔。恵の目に映った自分の顔を思い出すと、心臓が締め付けられるように痛む。

 恵。今頃どうしているのだろう。

 塀の外に唯一残してきた肉親の存在が、僕の心を呪縛する。外に未練などないが、恵だけは別だ。一度に家族を失った恵の心境とこれからを思うと、とても平静ではいられなくなる。恵の生みの親を葬り去ったのはこの僕だが、それは決して恵を哀しませるためじゃない。
 むしろ僕は、恵のために……
 「ここだ」
 靴音が止んだ。鼓膜に浸透する静寂。目を上げる。廊下の行き止まりには巨大な鉄扉があった。天井から床まで達するその扉は黒光りする鋼鉄製で、十分な強度と耐性を兼ね備えていた。鉄扉の前で立ち止まった安田は、囚人たちの度胸を試すように一行を見下ろす。固唾を呑んで立ち竦むダイスケ、がくがくと震え出すリュウホウ。
 僕は白昼夢の余韻に浸ったまま、ぼんやりと安田を仰ぐ。
 「地獄の門を開けるぞ」 
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