少年プリズン

まさみ

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二話

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 『囚人護送車№12到着、ゲートを開けてくれ』
 片手でハンドルを操作しつつ、無線機へと口を近づける運転手。運転手の呼びかけに応じ、前方のゲートが開く。ゲートの横には監視塔があり、この仕事に就いて間もないだろう初々しい風情の看守が二名控えていた。
 「今日到着予定の囚人三人だ。確認してくれ」
 「わかりました」
 窓から身を乗り出した運転手と若い看守が二言三言言葉を交わす。その間にもう一人の看守がジープを迂回し、荷台へと歩み寄る。荷台の隅で胡坐をかいていた年輩の看守がとってつけたように会釈し、若い看守も頭を下げる。
 僕は一目見て両者の関係を理解した。同時になぜ僕らの監視目的で荷台に同乗していた看守がこれほどまでにぴりぴりしているのか、その理由も見当がついた。
 雰囲気でなんとなくわかる。
 ゲート横の監視塔に待機している看守は大学出のエリートで、荷台の看守はそうじゃないのだろう。
 学歴の無い看守は囚人の護送という半日かけて砂漠を越えてくる退屈で過酷な任務に就かされ、大学出のエリートはゲート横の監視塔でジープの進行許可証を出すだけのラクな任務に就いている。ジープが到着するまでは実質的に自由時間であり、茶を呑みながら雑談に興じる優雅な身分の彼らとは対照的に、不規則に揺れる荷台の上で長時間灼熱の太陽に炙られていなければならないみじめな境遇の看守は、僕らに当り散らすことでフラストレーションを発散してるのだ。
 などと思い巡らしていた僕のもとに、ザクザクと砂利を踏む靴音が接近してくる。ぱりっと糊の利いた制服を着用した若い看守が荷台の横で立ち止まり、互いに微妙な距離を隔てた囚人たちをしげしげと眺める。
 「囚人№12319、石動ダイスケ」
 「……」
 名を呼ばれてもダイスケは返事をしなかった。不貞腐れてそっぽを向いている。あまりにわかりやすく子供っぽい態度、幼稚な反発だ。おもわず苦笑しかけた僕の耳に平板な声が響く。
 「囚人№12320、リュウホウ」
 「!」
 リュウホウは過剰に反応した。びくっと顔を上げたリュウホウの顔は蒼白で、呼吸は喘息の発作が起きたように荒かった。虐待された小動物のように卑屈な目で自分を仰ぐリュウホウから視線を外し、リストの文面へと目を戻す看守。
 「次、囚人№12321……」
 事務的にリストを繰っていた看守の手が止まり、感電したように眼球がせりだす。その表情は驚愕と好奇心に隈取られ、見開かれた目には理解不能といった畏怖の念があった。 
 「そうか、お前が……」
 「お前が」なんだって?続く言葉はため息にかき消されて聞こえなかった。放心状態の看守を我に返したのは持ち場に戻った同僚の声だった。
 「確認した。前進を許可する」
 もう一人の看守が大きく手を振りジープを誘導する。リストを抱いた看守が「確認作業終了、前進許可」と言い足し、狼狽したように道の脇に飛びのく。あと一秒遅れていればタイヤの下敷きになっていただろう。
 ゆっくりとトラックが前進する。背後で鈍い音。振り返る。僕の眼に映ったのは嫌悪に歪んだ看守の顔と緩慢に閉ざされつつある鋼鉄製のゲート、その背景に広がる燃え滾る溶鉱炉の夕焼け。
 『もう二度とでることはかなわない』
 ホテルカリフォルニアの歌詞を思い出す。チェックアウトはできるが出ることは叶わない。古い洋楽のフレーズを反芻してると自然と自嘲の笑みが浮かぶ。僕がチェックアウトする予定日は何十年も先だが、その前に二度とこのホテルから出られなくなる可能性の方が高い。
 なにせこのホテルは一度訪問した者は二度と出られないと評判の、万全の警備体制を誇る監獄なのだから。
 絶望的な現実に直面しても、僕は外の世界に未練など感じなかった。
 ただ一つ、例外を除いて。 

 タイヤが軋み、トラックが停まる。 
 不景気なエンジン音が止み、運転席のドアが開く。タラップを踏んで大地に降り立った運転手が大きく伸びをする。
 肩の凝りを揉み解している運転手の横、不機嫌な看守にどやされるがまま荷台から飛び下りるダイスケとリュウホウ。最後尾は僕だ。
 リュウホウの背に続き、荷台から飛び下りる。着地。半日以上ジープの荷台に揺られてたせいか、磐石の安定感を備えた固い地面に違和感を覚える。軽い立ち眩みに襲われたが、看守に悟られるのはプライドが許さない。
 無理を強いて足を運ぶ。看守を先頭にダイスケ、リュウホウ、僕と一列に歩いているとこじんまりしたビルが視界に現れる。周囲の建造物よりひとまわり小さいが、花崗岩の外壁は光沢のある白。小綺麗な外観をした低層のビルは官公庁に相応しく洗練されており、無骨なコンクリートの棟に囲まれ異彩を放っていた。
 看守に先導され正面の玄関へと続くスロープを登る。全員が登り終えたのを見計らい、看守が自動ドアの脇へと歩み寄る。自動ドアの脇に設置されていたのは正方形の液晶画面である。
 液晶画面に掌を翳すと滑るように自動ドアが開く。掌紋照合を終えた看守が中へと進み、後列の僕らも無言で従う。
 室内に一歩足を踏み入れた瞬間、ため息が漏れる。
 空調設備が完全に行き届いた快適な空間、一点の染み汚れもない清潔な白い天井。鏡のように輝くタイル貼りの床には塵一つ落ちてない。
 「ここでお別れだ」
 顔をあげる。僕らを誘導してきた看守がせいせいしたといった口ぶりで言う。ぽかんとした囚人をエントランスホールに残して踵を返した看守は、去り際、意味ありげに僕らを振り返る。
 「もう二度と会うこともねえと思うが、一つ忠告だ。とくにお前」
 看守の人さし指が僕をさす。
 「東京プリズンはただの刑務所じゃない。地獄だ」
 一語一句噛み含めるように看守が言う。その目を漣のように掠めたのは暗い感情ー恐怖。看守は人さし指をおろすと、下劣な笑みを唇の端にたくわえて舐めるように囚人たちの顔を見回した。
 「弱肉強食が東京プリズンの掟。殺られる前に殺るのが常識、犯られる前に犯るのが常識だ。そのことを肝に銘じとかないと一ヵ月後には首くくるはめになるぜ」
 笑いながら自動ドアを抜けてゆく背をいまいましげに見送り、ダイスケが毒づく。
 「……ザーメンくせえマスかき野郎が。あれでびびらせたつもりかよ」
 僕は無言で看守の背を見送っていた。あれはただの脅迫ではない。看守の目を過ぎった感情の波は、決して演技などではない。
 「石動ダイスケ、リュウホウ、鍵屋崎直」
 張りのあるバリトンで名を呼ばれ、反射的に振り向く。廊下の向こうから律動的な歩調で歩いてきたのは、一分の隙なくスーツを着こんだ若い男だ。光沢のある黒髪をオールバックにした若々しい外見は三十代前半にしか見えないが、銀縁眼鏡の奥の怜悧な目はどこか老成した印象を抱かせる。
 男は品よく尖った顎を巡らし、僕らを歓迎した。
 「東京プリズンにようこそ」
 抑揚を欠いた、平板な声だった。感情の揺らぎというものを微塵も感じさせない声の主は、事務的な口調で付け足す。
 「私は副所長の安田だ。これから君たちを所長室に案内する。ついてきたまえ」
 安田の背に控えていた看守が二名、僕らの前後を塞ぐように陣を敷く。囚人の逃走を防ぐための処置だ。最後尾を歩きつつ周囲へと目を走らせる。白く磨かれた床と並行に伸びた白い天井、等間隔に設置された蛍光灯。病院の廊下を彷彿とさせる白で統一された光景が延延と続いている。
 このビルの清掃夫は勤勉なようだな。
 などと感心していると、列が停止した。先頭の安田へと目をやる。安田が対峙していたのは樫材の重厚なドアだ。安田が拳を掲げ、軽くノックする。
 「入りたまえ」
 扉越しに横柄な声が響いた。入室の許可を得た安田は機械的にノブを捻り、滑らかに開いたドアの内側へと進入した。安田に続き、ぞろぞろと入室した一同。最後に足を踏み入れた僕は、豪奢な内装に目を見張る。
 毛足の長い絨毯が敷きつめられた広い部屋。
 右手の壁には蔵書の詰まった本棚があり、左手には最高級の洋酒を並べた飴色の棚がしつらえられている。高価な調度品が配置された書斎の奥、紫檀のデスクにふんぞり返っているのは、恰幅のよい中年男だ。
 革張りの椅子に肥満体を沈めたその男は、見覚えのある紺の制服に身を包んでいた。看守と同じ紺の制服だがずっと金がかかっているらしく、生地に高級感がある。
 その右胸には、金の光沢を放つバッジが威圧的に輝いている。
 所長の印だ。
 「所長、今日到着予定の囚人三名を連れてきました」
 「ご苦労」
 安田の報告に頷き、デスクの前に並んだ囚人を一瞥する。机上に手を伸ばし、バインダーに挟まれた資料を繰る。
 「囚人№12319、石動ダイスケ」
 けだるげに名を呼ばれ、ふてぶてしくダイスケが歩み出る。所長は退屈そうに文面に目を馳せ、眠気をこらえて続ける。
 「練馬区出身。家族構成両親と祖父母。現在16歳。罪状傷害十三件、強盗殺人二件。懲役二十年……次、囚人№12320、リュウホウ。豊島区アジア系スラム出身。家族構成両親。現在14歳。罪状放火八十件、懲役十六年」
 刑期を読み上げるところで、僕の隣に突っ立っていた貧弱な少年ーリュウホウの肩がびくっと震えた。顔面蒼白のリュウホウから視線を転じ、正面を向く。所長は欠伸を噛み殺しながら続ける。
 「次、囚人№12321、鍵屋崎直……ん?」
 眠たげに垂れ下がっていた瞼の奥、精彩を欠いた半眼が俄かに鋭さを増す。針を含んだ視線が冷徹に僕を一瞥し、所長が低く唸る。
 「鍵屋崎………そうか、お前が例の!」
 一瞬にして眠気が吹き飛んだのだろう。所長が上体を起こし、書類の記述とデスクの前に立った僕の顔とを見比べる。数瞬後。野太い息を吐き、所長が身を引く。眠気を払拭した所長は、表情を厳しく改めて告げる。
 「鍵屋崎 直、世田谷区出身。家族構成両親と妹。現在15歳。罪状……両親に対する尊属殺人。懲役……」
 所長が瞼を下ろす。嘆息。
 「八十年」
 ダイスケが驚く。リュウホウも驚く。僕は大して驚かなかった。心の表面は凪のように静まり返っており、直接刑期を告げられても波風一つ立たない。
 八十年。所長の言葉を反芻し、我知らず暗い笑みを吐く。いかに尊属殺人といえど、懲役八十年は長すぎる。余程の理由が無い限り、刑期が五十年を越えることはない。
 つまり、僕が両親を刺殺した裏には「余程の理由」が介在したわけだ。 
 所長は机上で手を組み、淘淘と語り出す。
 「諸君らは罪を犯し、ここ東京プリズンに収監される運びと相成った。君らはここで更生を目指し、同じ境遇の仲間たちと共に自立を目的とした訓練を受けるだろう。その道程は決して平坦ではないが、君らの努力が実を結ぶ日はきっとくる。君らはまだ若い。将来に絶望するのは早すぎる。頑張ってくれたまえ」
 熱っぽい口調でまくし立てる所長に、喉の奥から笑いがこみ上げてくる。一体この男は一日何度同じ演説を繰り返しているのだろう。所長の境遇に同情した僕の鼓膜を、安田の声が叩く。
 「では、これから君たちをそれぞれの房に案内する。ついてきたまえ」
 デスクの脇に端正な彫像のように控えていた安田が、颯爽と踵を返す。きびきびと室内を横切り、光沢のあるノブを捻る。安田の背に促され、踵を返した僕らを所長が呼び止める。
 「ひとつ忠告だ」
 空咳ひとつ、威儀を正した所長が眼光鋭く囚人を睨む。眉間に皺を寄せた所長は机上で手を組むと、絡めた五指の上に贅肉のついた顎を乗せる。そして、たっぷり間をおいてから口を開く。
 「ここから逃げ出そうなど無謀な試みはしないことだ。ここ東京少年刑務所の敷地面積は30キロ平方メートル。その至る所に監視カメラがあり、二十四時間体制で看守が目を光らせている。万一僥倖に恵まれて敷地外に出れたとしても、四方に広がっているのは涯てのない砂漠だ。諸君らは飢えと乾きに苛まれ、己の愚かさを呪いつつ緩慢に死んでゆくだろう」
 脅迫というにはあまりに静かすぎる口調で、淡々と所長は言った。このビルに一歩足を踏み入れた時から勘付いていた。屋内外の至る所に設置された監視カメラの存在、猛禽のように囚人の動向を探る看守の目。今更念を押されずとも、脱走する気など起こりうるはずがない。

 ここは悪名高い東京プリズン。
 
 増加の一途を辿る少年犯罪に頭を痛めた政府が設立した、史上類を見ない敷地面積と収容人数を誇る少年刑務所。
 都内で犯罪を起こした二十歳未満の少年は、まず殆どと言っていいほど東京プリズンに送致される。窃盗などの軽犯罪から強盗殺人などの重罪に至るまで、東京プリズンにはあらゆる罪を犯した少年が収容され、懲役刑を終える時を待っている。
 成人した囚人は郊外の刑務所に護送される手筈になっているが、東京プリズンで二十歳を迎えることができる可能性は極めて低い。東京プリズンはリンチやレイプが横行する無法地帯なのだ。たとえリンチで死者がでても明るみには出ず、闇から闇へと葬られるだけだ。
 東京プリズンに収監された時点で戸籍は抹消されたに等しく、たとえ東京プリズンに送りこまれた囚人が不審な死を遂げたとしても記録に残ることはない。
 『東京プリズンは地獄だ』
 去り際の看守の言葉が蘇る。あれは比喩ではなく、事実である。
 鍵屋崎 直は司直の手により、地獄へと送り込まれたのだ。
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