チューベローズ

まさみ

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兄より優れた弟はいくらでもいる。
才能に年功序列の概念はない。俺の弟がいい例だ。アイツは俺よりなんでもよくできた。子供の頃からそうだった。
弟の名前は片桐亮かたぎりりょう。ペンネームも同じ。
あんたも知ってるだろ、近年稀に見るベストセラーを連発した売れっ子作家様。著作はほぼ全部映像化されて大ヒット、デビュー以来でかい賞を獲りまくって不況が長引く出版業界の寵児といわれた男。ルックスも恵まれていた。俺みたいに地味で冴えない男とは大違い。
亮の小説は事件後の方が重版がかかっている。最新作の『チューベローズ』は発売一か月で五十万部、だっけ?百万部の大台狙えるかもな。
話題性の追い風は認めるに吝かじゃないが……本当に物好きというか、大衆は悪趣味だ。あなたも同類か。わざわざ刑務所まできて、独占取材を申し込むんだものな。
片桐亮ならともかく、その兄貴の事なんて世間は覚えちゃないだろ。
俺は影が薄いんだ。だからカゲフミ。子どもの頃いた施設の連中にさんざんからかわれたよ。
……不思議そうだな。疑問があるなら言ってみろ。「なんで自分の取材を受けたのか」って……そんなことか。ただの気まぐれさ、暇潰しにもってこいじゃないか。生憎まだ数年刑期が残ってるんだ、房じゃ本を読むしかやることない。
何の本?まだそれを打ち明けるほど親しくないはずだよ、記者さん。急いては事を仕損じる、取材対象とはじっくり向き合わなけりゃ。
あなたは自分勝手に気持ちよくなる早漏じゃないだろ?
ちゃんと俺のことも気持ちよくしてくれなきゃ、見返りはくれてやれないよ。
さて、第一回目の取材テーマはどうしようか。まずは生い立ちから?了解。
名前は片桐景文かたぎりかげふみ。年は28。
生まれたのは東京都近郊の中核都市。両親は平凡な人物だった。父親の片桐裕はサラリーマン、母親の片桐麻美は専業主婦。実家の経済状態は中の上。当時住んでいたのは白い壁と緑の屋根の建売住宅、小綺麗な一軒家だった。
俺はごくごく普通の子どもだった。よその子と比べて特別秀でた所はない。
情報を補足するなら他の子と同じように絵本が好きで、寝る前には母親に読み聞かせをねだっていたらしい。全然覚えてないけどな。まあ、幼児期の記憶なんてそんなものだ。
……違うか。覚えてないのは俺が俺だからだ。亮ならきっと細部まで覚えてる。
アイツときたらぬるい羊水ん中で泳いだ胎内記憶まであったんだぜ、信じられるか記者さん。
亮が生まれたのは俺が三歳の時。
当時はまだ幼稚園児だったから、弟が家に来た日の事すら覚えてない。気付けば家族が増えていた。月並みな表現だが、亮は天使のように可愛かった。
父にも母にも似ていない、突然変異の愛くるしさ。
俺も亮に興味津々だった。ベビーベッドの柵の間から人さし指を突っ込んだら、キュッと握り返された。赤ん坊の把握反射。愛情の証明なんかじゃない、ただの生理現象だ。無力で非力な赤ん坊はそうやって人に母性や愛情、庇護欲を植え付ける。本能的な生存戦略。
両親はすぐ次男に夢中になった。
亮は大して手のかからなかい赤ん坊だった。夜泣きは滅多にしない、始終ご機嫌でニコニコしてる。愛想は抜群だったな。素晴らしく物覚えがよく、よその子と比べて喋り出すのも歩き出すのも早かった。思い返せばあの頃から扱いに差が付いてたんだ。
両親がまだよちよち歩きの亮をちやほや構い倒す一方で、俺はほうっておかれた。亮に読み書きを教える母に絵本を持っていっても、「お兄ちゃんなんだからひとりで読めるでしょ」と追い返された。
内心不満だったよ。嫉妬もした。だけど仕方ない、アイツは特別な子だったから。いわゆる天才児ってヤツ。幼稚園入園時の知能テストじゃとびぬけた数値を記録したらしい。
亮だけ特別扱いする両親を恨んだし、まだ小さい弟を妬んだのは事実だ。それは否定しない。影でこっそり意地悪した事もある。アイツが履いてるゴムサンダルを隠したり知育玩具を隠したりといった可愛いものだが……手を上げたのも一度や二度じゃない。軽くひっぱたいだけでも親にはめちゃくちゃ怒られた。特に頭は厳禁。
今でも強烈に覚えているのは俺が6歳の時。大切にしていた絵本を亮に横取りされ、発作的にぶってしまった。
すると怒り狂った母親が飛んできて、きょとんとした亮をかっさらった。直後、衝撃が頬に爆ぜた。
「やめなさい、亮が馬鹿になっちゃったらどうするの!」
平手で頬を張られたと理解すると同時に何故か亮が泣きだした。母は猫なで声で亮を慰めるのに夢中になり、俺はほっとかれた。あの時の頬の痛みと惨めさは忘れられない。
母は……あの人は本当はこういいたかったんだ、「亮があんたと同じ馬鹿になっちゃったらどうするの」って。俺の根性がひん曲がっちまったのは幼少期の体験が原因かもな。あんたたち好きだろ、そういうの。
物心付いた頃から俺は何もかも亮に劣っていた。両親は長男に無関心だ。仕方ない、彼らも人の親だ。優れている方を常日頃から贔屓したくなる気持ちはわかる。
ところが亮は懐いてくれた。俺がひとりぼっちで本を読んでる所にトコトコ寄ってきて、「お兄ちゃん、お話聞かせて」とねだる。何度追い払ってもきりがない。
渋々絵本を読んでやると、ストーリーに一喜一憂の百面相をするのが面白かった。面倒くさいのは話が終わった後で、「それからどうなるの?」と目を輝かせて食い下がる。「どうなるもなにもここで終わりだ」と説明してもなんでなんで攻撃を止めず、仕方なくでたらめな後日談を捏造する羽目になる。
「恋に破れた人魚姫は海の泡になりました。おしまい」
「その後は?」
「泡になって消えて終わりだよ」
「そんなのいやだ、人魚姫が可哀想だよ。お兄ちゃんが続き考えて、人魚姫を幸せにしてあげて」
「無茶いうなよ、泡になった人魚をどうやって甦らせろっていうんだ」
「魔法とか手品とか色々あるじゃん」
絵本の読み聞かせのたび無理難題を吹っかけられ、想像力を振り絞って続きを捻りだしているうちに、それが楽しみになった。
亮は隣にちょこんと座り、兄貴が話す嘘っぱちを夢中になって聞いている。
「人魚姫は海の泡になって消えた、みんなてっきりそうおもいこんだ。けど本当は海の泡になったと見せかけしぶとく生きたんだ、全部自作自演のお芝居だったんだよ」
「なんで人魚姫はそんなことしたの?」
「人魚姫は海の殺し屋の大ダコに命を狙われていて、自分の死を偽装する必要があったんだ」
「人魚姫はなんで命を狙われてたの?」
「王位継承権一位だから。妹姫たちにとっちゃ目障りだった。相続問題は地上でも海の中でも関係なく荒れるんだ」
あらゆる面で優れた弟に尊敬のまなざしを注がれ、自尊心をくすぐられなかったといえば嘘になる。
ちなみに俺が続きを捏造すると高確率でミステリー仕立てになったのは、小学校の図書室にあったホームズ全集にはまってたからだ。
亮の「お願い」に鍛えられたせいか、3と4が並ぶ通知表の中で、唯一国語だけは5を維持していた。作文は得意中の得意だった。
三年生の時の担任は宿題の作文を読み、「大人になったら小説家になれるわよ」と褒めてくれた。物語を書くことと読むことだけが、孤独な子供時代の支えだった。
……ああ、そうだな。小3の時には既に小説家を夢見ていた。目標っていえるほど確固たるイメージは描いてない、漠然とした憧れみたいなもんだ。物語を書く事だけが、俺が唯一人に誇れる特技だったんだ。
そのうち弟にせがまれて話すだけじゃ飽き足らず、原稿用紙や自由帳にオリジナルの話を書き出した。どんな話?小3の男の子が考えそうな、他愛ないファンタジーだよ。剣と魔法が幅を利かす異世界で、勇者一行が魔王やドラゴンを倒すような……図書室で借りたホームズに影響を受けて、ミステリーも書いてたかな。あらすじは殆ど忘れてしまった。俺が創作している事を知っていたのは亮だけだ。誤解しないでほしいが、進んで見せたんじゃない。アイツが人の机の引き出しをあさって、自由帳をめくってたんだ。
小3の春、学校から帰ると部屋に亮がいた。帰宅間もないのか、真新しい黒いランドセルを背負ったまま立ち尽くしてる。
弟の手の中で開かれた自由帳を目の当たりにするなり、血相変えてひったくった。
「勝手に見るな」
「お兄ちゃんは小説を書くひとになりたいの?」
「悪いかよ」
引き出しの奥に自由帳を突っ込み、照れ隠しに怒鳴る。
あの時亮がなんて言ったかは覚えてない。思い出すにも値しないくだらないことだ、きっと。
……一気に話して疲れた。人と喋るの自体が久しぶりだからな。今日はこのへんにしておこうか。さよなら記者さん、今日の取材にこりてなければまた来てくれ。
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