ペトロクロス

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ペトロクロス

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ニューヨーク、ブルックリンの教会。
赤茶の煉瓦を基調にした外壁に、美しい諧調を帯びた薔薇窓が切られた外観は、高飛車に神の威光をしろしめすよりも地域に根差した布教精神を重んじる。
今日も迷える子羊が扉を叩く。

「こんにちは。お時間よろしいでしょうか」
「かまいませんよ、お祈りですか」
礼拝堂に緊張した声が陰々と反響し、床にモップがけしていたピンクゴールドの髪の青年が振り返る。
「あなたは?」
「ただの居候です。なんていうのかな、雑用係が一番近いか?ちょっとした縁あってこの教会で働かせてもらってるんです。礼拝堂の掃除や説教の準備、先生の身の周りのお世話に至るまで色々やらせてもらってます」
「はあ……お弟子さんみたいなものですか」
「そうそれ」
指を弾いて笑顔を見せ、モップを立てかけ一旦奥へ引っ込む。
「新しい人が来ましたよ、先生」
「3丁目のジョアンナさんでしょうか。足が癒えるように願をかけにこられるのですが、バスは事故をおこすのが怖いからと3ブロックを歩き抜くのはよい心がけです。本人がお気付きにならないだけで既に奇跡は起きているのかもしれません。それとも9丁目のセスさんでしょうか?十代で妊娠・駆け落ちした娘さんの無事を祈りに来るのですが、彼女を孕ませた彼氏にショットガンを突き付けたのはまずかった。娘をキズモノにしたと大層怒っていらっしゃいましたが、それを決めるのは娘さんご自身です。お腹の子にも罪はないというのに、些か過激な行動に走りすぎましたね」
「初めての方です」
咳払い。
「失礼しました、ご用件は」
「懺悔に参りました」
傍らの青年の顔が微妙に強張る。この教会における『懺悔』の裏の意味を知っている反応だ。
「案内します、どうぞ」
「わざわざありがとうございます」
告解室の前で別れる間際、殊勝に礼を述べる女性に対し、どもりがちに気遣うそぶりを見せる。
「あの……大丈夫ですか」
「え?」
「顔色が優れないから……すいません、変なこと聞いて」
「ああ……優しいんですね」
女性が義理で微笑む。
「たぶん薬のせいです」
「どこか悪いんですか」
「精神科でもらった薬です」
それ以上の説明は省き、踵を返して会話を打ち切る。
お節介が過ぎた失言を悔やむも時既に遅し、いたたまれなくなった青年はすごすご引き返していく。
ノブに手をかければ扉が軋み、告解室の全容が視界に立ち上がる。
狭い部屋だ。
馬蹄型の天窓には美麗なステンドグラスが嵌め込まれ、聖書の一場面を神々しく描き出す。
正面にはカウンターを備えた木製の仕切りがあり、何者かの気配を向こう側に感じる。
「おかけなさい」
落ち着き払った声音に促され、ぎくしゃくと椅子に掛ける。
仕切りの下部には窓が穿たれていた。女性の位置からは神父の手しか見えない。しなやかな靭さを感じさせる手。
「本日はどんな懺悔でしょうか。ここは神と私とあなたの秘密の小部屋です、プライバシーは絶対厳守しますので心おきなくお話しなさい」
「さっきはだだ漏れでしたけど」
「あれは懺悔として聞いたのではありませんからノーカウントです」
「管理が杜撰ですね……」

本当に大丈夫かしらこの人。

決意を固めてやってきたはずが、本人の声を聞きにわかに不安になる。
が、今さら引き返せない。
この日の為に彼女は必死に働き通して金を貯め、自殺の衝動を辛うじて踏み止まってきたのだ。
女性は顎を引き、感情を封じた声音で断固宣言する。

「復讐するは我にあり」

固い声音が狭い告解室に響き渡る。

数秒の沈黙。
女性は即座に後悔する。

噂はデタラメ?それはそうよ、こんなうまい話あるわけがない。

でも、少しでも可能性があるなら……。

「我、これを報いん」

ハッと顔を上げる。
それは合言葉だ。
新約聖書の中にあるローマ人への手紙、第12章第19節。

「伺いましょうか」

「私はアメリア・オースティンです。十年前に事故で両親を亡くしてから、妹と二人で生きてきました」
アメリアが堰を切ったように話し始める。
「妹の名前はアマンダ・オースティン。ひょっとしたらご存知かもしれません」
「先日の新聞で拝見しました。ご冥福をお祈りします、犯人はまだ捕まってないとか」
「うわべだけの同情はいりません。望みは復讐です」

アメリアが毅然と答え、膝においたバックから取り出した、分厚い封筒を窓口へ差し入れる。
続いて一葉の写真を樫材のカウンターへ滑らせる。

「犯人はわかっています。カイル・ジェファソンです」

神父が写真を受け取って検める。写真に映っていたのは白い歯が光る、軽薄な二枚目だ。染めた金髪をオールバックに撫で付け、耳には高価なダイヤのピアスが光る。
赤いスポーツカーに乗り込む瞬間を盗撮した写真から目を逸らし、アメリカが沸々と憎悪を滾らせる。

「アマンダはジェファソンとその取り巻きに凌辱されました」

深呼吸で多少の冷静さを呼び込み、事の経緯を話し始める。

「アマンダは地元の大学で経済学を専攻していました。1か月前でしょうか、アマンダに新しい彼氏ができました。彼はとても羽振りがよく、高い服やアクセサリーをプレゼントしてくれたそうです。お金持ちの息子らしいとは聞いていました。仕事が早く終わった日、家に帰るとアマンダと彼氏がソファーでじゃれていました。アマンダは私にジェファソンを紹介しました。ジェファソンは挨拶だけしてすぐ出て行ってしまいましたが、正直あんまり良い第一印象を抱けませんでした」

初対面の印象を思い出す。
風貌こそハンサムの部類だが、屈折した眼光とやたら舌なめずりする癖には、品性の卑しさおよび腐った性根が滲みだしていた。

女を物としか思ってない男の顔。

「その後、結婚を前提に付き合ってると聞かされ驚きました。アマンダはすっかりジェファソンに本気でした」

数拍おいてぼそぼそと続ける。

「ジェファソンは名門私大に通ってました。アマンダがバイトしてるダイナーにジェファソン達が来たのが馴れ初めだそうです。さんざんのろけを聞かされました……恋に盲目なアマンダは、私の忠告なんて耳を貸しません。私はこの通り陰気な性格で恋愛も不得手でしたから、そりゃあ説得力ないでしょうね。アマンダはますますジェファソンにのぼせあがって……けれどアイツは」

姉の制止を振り切って部屋を飛び出したアマンダはそれきり帰らず、数日後、歓楽街の路地裏で惨たらしい死体となって発見された。

「妹の身に何が起きたのか、すぐにわかりました。ですが何度警察に訴えても聞いてくれません……あとで判明した事実ですが、ジェファソンはある上院議員の次男だったのです」
「金と権力で揉み消したと」

汚職に染まった警察はカイル・ジェファソンが女子大生を殺した事実を隠蔽し、アマンダの死を通り魔によるレイプ殺人で処理した。

「神父さまも新聞を読んだならご存知でしょうが、アマンダの死体には生前の輪姦の痕跡がありました。新聞にはとても載せられないような事もされてました」

カイルが一方的に持ち出した別れ話に納得できないアマンダは彼を追いかけ、そして……。

「証拠は?」
「ありません。けれど彼しか考えられません。通り魔や地元の不良グループの犯行だなんて冗談じゃない」

アメリアは固く目を閉じ、てのひらに爪が食い込むほど拳を握り込む。

「ジェファソンはアマンダの葬儀にも一切顔を見せませんでした。アマンダを埋葬した私は、喪服のまま彼に会いに行きました。真実を知りたくて……真っ昼間っからクラブに入り浸り、取り巻きと女の子をはべらした彼は、私の顔と名前すら覚えていませんでした。私はアメリアの姉だと名乗り、最後に会ったのはあなただろうと、妹になにをしたと問い詰めました」

瞼の裏に克明に甦るおぞましい光景。
ミラーボールが光をカッティングするクラブの特等席。
半裸に剥いた女を傅かせ奉仕を強いる傍ら、上質なソファーにふんぞり返ったカイルは、退廃に溺れきった眼でアメリアを値踏みする。

「ジェファソンはとぼけました。なお食い下がれば」

『証拠もねェのに決め付けてクソ垂れ流す、下の口がユリぃアマンダに劣らずアンタの口も育ちの悪さが出てんじゃん』
下卑た侮辱にも増してアメリアの心を切り裂いたのは、去り際に投げかけられた卑劣な揶揄。
『アンタの可愛いアマンダ、最期の声よかケツ掘られてる喘ぎの方がデカかったぜ』
クラブにたむろった連中はドッと笑った。
犯行を自白したも同然だ。

「ジェファソンにはアリバイがあります、アマンダの死亡時刻には常連のクラブで踊ってたことになってます。店の人間を買収して口裏合わせたのよ……警察もあてになりません、相手は名家出身の上院議員の息子です。遺族の訴えなんて逆恨みで片付けられる」
椅子から腰を浮かせたアメリアが、仕切りに向かって直訴する。
「お願いです神父様。私の代わりに復讐を」

アメリアを送り出したあと、弟子はモップをバケツに突っこみ、礼拝堂に出てきた神父と立ち話をする。
「彼女の依頼受けるんですか」
「喜捨は前払いで受け取りました。事実さえ確認できれば否む理由はございません」
告解室から現れたのは、漆黒のカソックをまとった赤毛の男。
オールバックに撫で付けた鮮やかな赤毛、怜悧な眼鏡の奥に穏やかそうな糸目が鎮座している。
品行と清貧をたっとぶ聖職者の見本のような風貌だが、どことなく掴み所なく、胡散臭い雰囲気もあった。
「そうですか……」
「気乗りしませんか。優しい子ですね」
憂い顔の弟子に気さくに微笑み、口調を改めて指示を出す。
「カイル・ジェファソン氏の前歴を洗ってください、アメリア・オースティン嬢の推測が正しければ余罪があるはずです」
「わかりました」
背筋を正して返事をしたあと、神父の首元に覗く数珠に目をとめる。
「ずっと気になってたんですけど聞いていいですか」
「なんなりと」
「先生のロザリオ、普通と違って逆さまだけど何か特別な意味があるんですか」
弟子の質問に神父は「ああ、その事ですか」と小さく頷き、祭壇にかかげられた白磁の聖母像を仰ぎ、聖寵充ち満てるかんばせを眩げに仰ぐ。
襁褓むつきにくるんだイエスを胸に抱き、慈愛の微笑みを薄っすら留めた聖母の顔に、遠い昔に別れた最愛の人の面影が重なる。

『私はきっと地獄におちる』
『だからあの子をお願い』

カソックの内側に片手を差し入れ、数珠を手繰って銀のロザリオを取り出す。
そのロザリオは通常の十字架と逆の形をしていた。
反十字ペトロクロスだ。
「聖ペトロはネロに迫害を受け十字架による磔刑に処されましたが、その際逆さまに張り付けられるのを望んだそうです。イエスと同じ状態での刑死には値しないしないというのが理由で、ペトロクロスの由来でもあります」
流暢に諳んじてから自らのロザリオを握り、接吻を施す。

「ペトロクロスは常に地獄をさしているのですよ」

罪人が行くべき場所を。
悪人の魂が堕ちる場所を。

ヘヴンリーブル―聖なる天を仰ぐ主に反し、真っ逆さまに地獄に落ちていく。

「これは自分の『仕事』を忘れないようにとの戒めです」

数週間後。
カイル・ジェファソンは愛車を飛ばし、悪友たちと飲んだくれていた。
「親父のヤツ、偉そうにしやがって。ほとぼり冷めるまで出歩くなとさ」
スポーツカーの運転席でビール瓶をラッパ飲みし、空になった瓶を走行中の車から投げる。
路面で破砕した瓶には目もくれず、ネオンを散りばめた夜風に髪を嬲らせる。
「そりゃ仕方ねえ、あんな事があったばかりじゃ」
「大統領選への出馬も噂される有力議員の次男がドラッグとアルコール浸り、日々女を漁るだけじゃ飽き足らず殺人までやらかすなんて大スキャンダルだもんな」
後部座席で騒ぐ腐れ縁がまぜっ返す。皆ドラッグでハイテンションになっている。
手に手に持った瓶を道路に投げ付け、発狂したように咆哮する若者たちを振り返り、ハンドルを回すカイルが嘯く。
「お前らだっていい思いしたろ?おさがりに味をしめてさ」
カイル・ジェファソンは外道だ。
物心付いた時から父親の威光を嵩に着て、好き勝手やってきた。
店を借り切り豪遊し、ドラッグでハイになり、女を酔わせて輪姦するのを愉しんでいた。
アマンダ・オースティンはカイルにとってその他大勢の一人にすぎない。
カイルの脳裏をアメリアの憤怒の形相が横切る。
「姉妹そろってヒステリーだな、クラブまで怒鳴り込んでくるたァたまげたぜ」
「けどよ、いい女だったな。ちょっと地味だけど」
「なんだあーゆーのがタイプかよ?」
「喪服がそそる」
「年増は趣味じゃねェが、お前がそういうならわからせてやるか」
「一発目は譲れよ」
「俺は後ろがいいな」
「変態め」
スポーツカーを颯爽と乗り回し若者たちが哄笑を上げる。
中の一人が虚空に振りかざした瓶が常夜灯の柄に激突、破片が飛び散って鋭利な切り口をさらす。
スポーツカーの運転席に陣取るカイルの横顔を、雑居ビルの屋上から何者かのスコープが捉える。

「カイル・ジェファソン、22歳。婦女暴行と殺人未遂、覚せい剤所持と過重暴行の常習犯。逮捕される都度父親が莫大な保釈金を積んで刑務所行きを免れていますね。脅迫されて訴訟を取り下げたもの、自殺に追い込まれたもの、未だ心身ともに後遺症に苦しむものも多い」

最初から遊んで捨てる算段だったカイルにとって、アマンダに付き纏われたのは誤算であり、大層迷惑だったのは想像に難くない。
取り巻きたちも似たような素性の坊ボンどもで、カイルの犯罪に加担した裏付けがとれた。
屋上に臥せり、隙のない姿勢でスナイパーライフルを構える神父。
闇に擬態するカソックは格好の迷彩となり、彼の姿を覆い隠す。
まるで夜梟ナイトアウル
単眼鏡の照準レティクルを覗き込む。十字の丸枠にカイルの馬鹿笑いを映し、独りごちる。

「準備は整いました」

カイルたちはクラブに向かっていた。ルートは決まっている。
ネオン散り咲きゴミが氾濫する猥雑な路上を駆け抜け、立ちんぼの売春婦を中指立てからかい、ショッピングカーを押す老いぼれホームレスに酒瓶を投擲する。
「今夜も弾けるぜ野郎ども」
一際派手なネオンで主張するクラブの正面に、タブロイドを吹き上げてスポーツカーが滑り込む。
クラブの名前は『Inferno地獄』だ。
「ンん?」
車から降り立ったカイルが目を細める。店の入り口に豪奢なファーの襟巻をたらす女が立っている。
大の女好きなカイルの下心が疼く。格好からして商売女だろうが、一晩買ってやってもいい。はべらす女は多いに越したことがない。
「アンタいくらだ?」
わざと下世話な聞き方をし、背中を向けて佇む女の肩を掴んで……
やけに骨ばっている事に違和感を抱く。
「地獄の渡し賃ならキミの命と等価」
低い声が鼓膜をなでる。
男の声だ。
「罪から来る報酬は死です」
照準レティクルを覗いた神父が穏やかに囁く。
思考停止状態に陥ったカイルの背後で、後部座席の一人の頭が破裂する。
「な……」
血と肉片と灰色の脳髄を撒いて倒れた男。
「リックおいしっかりしろ……畜生死んでやがる誰だどこから撃たれた!?」
「馬鹿野郎頭をさげろ!」
車を捨てて逃走を企てた男の頭を弾丸が貫通、ドアを開け放った男が前傾、突っ伏す。

戦慄の惨状。
一方的な殺戮。

愕然と立ち尽くすカイルの股間が失禁による悪臭を放ち、歯の根がガチガチ鳴る。
逃げる?間に合わない。運転席に飛び付いてキーを回せば……
「無駄だよ」
振り返ったカイルは極限まで目を剥く。
彼の手を払った女が、同情と達観を沈めた眼差しでカイルを見詰めていた。首には鋭く尖った喉仏がある。女装した男だ。
カイルの足止めに回った弟子だ。
「先生は狙撃の天才だ。照準レティクルと肉眼、二重の夜目を研ぎ澄まし1マイル先からでも標的を仕留める。夜梟ナイトアウルの通り名の由来さ」
神父は淡々と引鉄を引いて狙撃をこなす。
闇夜に翻る猛禽の鉤爪さながら上空から音速で飛来した弾丸が脳天を貫き、悪党どもを一発で仕留めていく。
「君は一番最後だ。十分に悔い改めて、苦しんで死ぬんだね」

一瞬の死では生ぬるい。
神父はアメリア・オースティンの復讐を代行した。

「-----っ!!」
顎関節が外れんばかりの断末魔が血泡で濁る。
神父はカイルの喉を撃ち抜いた。苦しみを長引かせた上で、確実に死に至らしめる為だ。
弾丸は頸動脈を抉っている。
標的を一掃し、きな臭い硝煙立ち込めるスナイパーライフルをおろした神父が無表情に宣告。
「汚い断末魔ですね」
照準レティクルの十字架に祈り、カソックの裾を靡かせ黙祷。
「懺悔と断罪を同時に行える。聖職と暗殺を兼ねた我が身に、これほどふさわしい道具はありません」

深夜の教会で合流した弟子は、礼拝堂の長椅子に座り、スナイパーライフルの手入れに勤しむ師に尋ねる。
「先生はなんで神父になったんですか」
「突然なんですか」
「だって真逆じゃないですか、表の顔は聖職者で裏の顔は復讐代行だなんて三流パルプフィクションみたいだ」
「囮に使われたのがご不満で?」
「先生の腕なら俺がでしゃばらなくても片付けられたのにどうして女装なんて」
脱いだカツラを膝において不満を述べる弟子に対し、神父はあっさりと答えを述べる。
「神父になったのは神様が嫌いだからです」
祭壇に飾られたキャンドルの列。
暖色の火影が揺らめき、静謐な穹窿を陰影が隈取る。
「神父なのに神様が嫌いとか倒錯してますね」
「結構言いますね」
神父が肩を竦めて苦笑いする。
「理不尽が罷り通る世界において、悪徳の栄えに不干渉を貫く我らが神を、はたして嫌わずにいられましょうか。そして人は嫌いな者の事ほど貪欲に知りたがるものです。まあ依頼人と秘密裏に打ち合わせるには、この職と場所が良い隠れ蓑なのは否めません。告解室は三位一体の密室ですね」
「じゃあ『この仕事』をはじめたのは……」
言いにくそうに口ごもる弟子に瞠目。
「地獄に会いたい人がいるからです」
「え?」

人殺しは地獄に落ちる。
例外なく。
神父の副業は正義の執行にあらず、復讐の代行だ。
そこに私怨は在っても正義など在りはしない。

「人を殺せば罰される。罪人だろうと悪人だろうと、人は人です」

キャンドルが煌々と照らす祭壇に佇む聖母を仰ぎ、眼鏡のレンズを染めて追憶に耽る。
「昔ある人に言われました。彼女はとても心優しく聡明な人物でした。当時、私は言われるがままただ人を殺していました。余計な事は考えず、それがお前の仕事だと言われ。ですが彼女との出会いが私を変えました。彼女は私を信じ、最期に大事なものを託してくれましたが、自分もまた地獄に堕ちると頑なに主張してやみませんでした」

『天国なんかどうでもいい』
『だって私、この子が助かるなら他に何もいらないって願っちゃった。追ってくる人皆死んでもいいい、みんな殺してもこの子だけはって』

彼女は組織のボスに飼われる少女娼婦で、彼はそのボディガード。
天涯孤独の二人はやがて結ばれ、それを知ったボスは制裁の追っ手をかけた。
生まれたての赤子を抱いた彼女は追っ手と相討ちになり、彼の腕の中で息絶えたのだった。

『お願い……私たちの子を……』

一息吐いて向き直り、彼女とよく似た顔を覗き込む。
彼女がいる地獄なら喜んで落ちるが、人殺しの胎と種からできている真実を、どこまでも心優しい弟子に伝えられない。
「君は私の最大の保険です。仕事を手伝ってくれて感謝してますよ」
罪の烙印の反十字ペトロクロスを手繰り、血を分けた息子の額に祝福を授ける。

夜梟ナイトアウルは地獄を恐れない。
そこで天使が待っているから。

いまだ父と明かせぬ息子を囮に使うのは、万一引鉄を引く手の箍が外れた時も、十字架レティクルの中心に彼女と重なる彼の顔を見れば帰ってこれるからに他ならない。

後日。

アマンダ・オースティンの墓には黒いリボンを結んだ百合の花束と、カイルの死亡を報じたタブロイドが手向けられたらしい。

『R.I.P』……安らかに眠れと墓には彫られていた。
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