事故物件ガール

まさみ

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十二話

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以来、隼人はぱったりコンビニに来なくなった。
「どうしちゃったのかしらねーあの子」
「どうしたんですかねー。他の店に浮気してるんじゃないですか」
「寂しいこと言わないでよ南ちゃん、目の保養だったのに」
「旦那さんとお子さんがいるでしょうに」
「デザートは別腹、イケメンは別枠」
夏見さんは露骨にがっかりしてるけど、私はホッとしてる。
私は最低の人間だ。隼人に合わせる顔がない。
隼人と喧嘩別れして夜から変化した事があった。ヒカリの夢を見なくなったのだ。
まるで憑き物が落ちたように故人の残滓はなりをひそめ、白っぽい影が窓に映ったり、部屋を過ぎることも絶えてなくなった。
夜道で拾った悪趣味な蜘蛛のおもちゃは、玄関の下駄箱の上に無造作に放りだしてある。
どうせお客様なんてこないし。

隼人が店に寄り付かなくなってから、帰り道はひどく憂鬱になった。
以前は気にしなかったのに廃棄弁当をぶら下げる手はずっしり重く、一人で食べるお弁当はぼそぼそして味がしない。

彼と食べたカレーはあんなにおいしかったのに。
二杯もお代わりしてくれて、作り甲斐があったな。

その日もバイトを終え、川沿いの道をとぼとぼ歩いていた私は、常夜灯の儚い光に照らされたたずむ人影に目を瞠る。
隼人だ。
ダッフルコートにマフラーを巻いた隼人が、ポケットに手を突っ込んで震えながら、私の部屋のベランダを見上げている。
私に少し遅れて隼人も気付き、その顔が険しさを増す。
「…………」
ギクシャクと歩みを再開、向こうからやってくる隼人となるべく平常心ですれ違おうとする。
俯いて、目は合わせず、できるだけ気配を消して……
すれちがいざま、誘惑抗いがたく彼の右手に目が行く。
「包帯とれたんだ」
安堵の吐息と共に独白、顔が強張る。
二・三歩先で隼人が立ち止まる。無視して行こうとしたものの、一応手当をしてもらった恩を思い出したらしい。育ちが良いというか根が優しいというか、ホント損な性分。
「……ドモ」
ぶっきらぼうに軽く会釈、さっさと行こうとする背中を追っていたのは何故なのか、私にもわきからない。
「あの、待って」
隼人が迷惑そうに振り向く。「何?」と片眉を跳ね上げて聞く彼の手に、ポケットをごそごそさぐって期間限定、雪見だいふく味のチロルを握らせる。
「お返し。ちょっと早いバレンタインとでも思って。義理だけど」
おごられっぱなしじゃ気持ち悪いし。
嫌いなヤツにもらっても迷惑かもしれないけど、もうこれっきり会えないかもしれないからこそ、借りはちゃんと返しておきたかった。
「じゃ。……それだけ」
そっけなく別れを告げ足早に歩きだせば、チロルを手袋に掴んだ隼人が混乱しきって叫ぶ。
「待てよいきなり……コートのポッケにチロル常備してんの」
答えない。
無視する。
「たまたまだよ。忘れて」
嘘だ。
本当は彼に会えるかもしれないと思って、限りなく淡い一縷の期待に縋って、あの日からずっとチロルを二個仕込んでたのだ。
「安心して、賞味期限は切れてないから」
「……あっそ」
物言いたげな沈黙の数秒後、諦めたように足音が遠ざかっていく。
常夜灯が不規則に点滅する川沿いの夜道で立ち止まり、ジンと熱を帯びた瞼を瞬いて洟を啜る。
柵の根元には花束もない。
バイト先のコンビニに週一来る高校生、たったそれだけ。
隼人がコンビニを避けるようになった今、私たちには何の接点もない。
前に住んでた学生が隼人の彼女だったっていうのは、私の本性に幻滅した隼人が去り、ヒカリが夢に現れなくなった今じゃ何の意味も持たない接点だ。
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