ボーダー×ボーダー

まさみ

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スタンドバイミーA面

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「歩くの速くね?」
「お前が遅いんだよ」
「ひとをどんくせえみてえに言うなよ」
「どんくせーんだよ」

憎まれ口を叩き合う帰り道、とっぷり日が暮れて空は茜と紺の中間色に染まっている。
肩に掛けた鞄が重い。さすがに受験生ともなれば置き勉なんて横着はせず毎日真面目に教科書ノートを持ち帰るのだ、誰も褒めてくれねーけど。というかこないだ妹に偉いんだろと自慢したら「何いばってんの?」とひどく冷たい目で見られてこたえた。

麻生は一人すたすたと先を行く。
本に夢中になるとまわりが見えなくなるのがこいつの悪い癖だ。
人と話してる時はちゃんと目を見ろと説教しかけ、そういえば俺が一方的に話しかけてるだけだったなと軽くへこむ。
こいつとの付き合いもそこそこ長くなるというのに、我ながら成長ねえ。
俺の二歩先を行く麻生の背中から影法師が伸びる。
アスファルトに焼き付いた影法師を爪先で踏む。
一人影踏み、なんちて……ちょっと虚しい。

「なー、せっかくなんだからおしゃべりしようぜー。本なんかいつでも読めるじゃんかよー」
「『なんか?』」
失言だった。
「自称活字中毒らしからぬ発言だな。元ミス研部長の肩書が泣くぞ」
「そういう意味じゃねえって」
「じゃあどういう意味だ」
神経質そうに眼鏡の弦に触れ、軽蔑的な一瞥をくれる。
あーくそ、前々から思ってたけどコイツ面倒くせえ。
「本見ながら歩くなよ危ねえだろ、車に轢かれちまったらどうする」
「盾にする。お前を」
「倒置法かよ!」
突っ込む。前科があるから洒落にならねえ。
いや、あの時は麻生が身を挺し庇ってくれたんだっけ。
俺をしっかりと腕に抱き土手を転げ落ちた麻生、口に潜り込んだ土の味や体温感触までもまざまざ甦り顔が熱を持つ。
「と・に・か・く!せっかく一緒に帰ってんだからひとり先いくな……って、いねえし!?」
くどくど注意を垂れてる間に既に遠ざかってしまった背中を罵倒する。
「だーかーらっ、歩くの速すぎなんだよ!」
ママチャリを引っ張って小走りに追いかければ、麻生が呆れ顔で振り向く。
「乗りゃいいじゃんか」
「それだと一緒に歩けねえだろ!」
「意味わかんねえ」
「……お前に友達いなかったワケがよくわかる」

今は違うけど。俺がいるし。

心の中でだけ呟き、あてつけがましくため息をつく。
小学校ン時を思い出す。俺はいわゆる鍵っ子だったが、真っ直ぐ家に帰るのはむしろ珍しい方で、毎日のように子分の聡史と一緒に道草しては、好きなアニメや漫画の話、当時学校中で流行してたカードゲームの話を時間も忘れくっちゃべってた。
こいつにはそんな思い出ないんだろうな、きっと。
こいつにとっちゃ帰り道はただの帰り道、学校と家を繋ぐ殺風景なアスファルトの道それ以上でもそれ以下でもなくて、そこに楽しいおまけが沢山ついてるなんて発想なかったんだろう。
それでも一緒に帰るようになってから少しは歩調を合わせてくれるようになったのだ。
まあ、たまに置いてかれるけど。

「……ちぇ」
悪気はないのはわかってるが、それってちょっと哀しい。というか、俺を忘れるなよ。
すたすた前行く背中を恨みっぽく睨みつつ口を尖らす。
「一緒に歩くのイヤか?」
「イヤじゃねーけど」
「じゃあなんで先行くんだよ」


けして追い抜けない背中に追いつきたくて追いかけて空回って、バカみたいだ。
もっといろんな事話したいのに、最近読んだ本の感想とか漫画の事とか大学入ったらする予定のバイトとか、過去も現在も将来も等価でひっくるめて一日の終わりに話し合いたいのに。


時間はいくらあっても足らない。
こいつとの距離を言葉で埋めようとするなら、どんなにちんたら歩いてケチな時間稼ぎしたって全然足りない。
麻生との間に見えない境界線が引かれてるようで不安になるのはこういう時、隣を歩いてると思ったらいつのまにやら置いてかれてた現実にそっけない背中を見て初めて思い至る時だ。


むくれる俺を残照に縁どられた無表情で見返し、言う。
「犬みてえでおもしれーから、つい」
「はあ?」
「ちょっと先行くと小走りで駆けてくるのが面白くて」
「待て、わざとか?今までずっとこの純真な俺を底意地悪くおちょくってたのか愉快犯の確信犯め」
「言ったら怒るだろ」
「当たり前だ!!」
予想通りしてやったり、俺の反応を見て麻生が笑う。最高に憎ったらしい含み笑い。
「自分でも性格悪いと思う」
自転車を押して麻生に追いつき、同じ歩幅で歩きだす。
「お前な……もう一緒に帰ってやんねーぞ」
「それは困る」
間髪入れず返ってきた答えに面食らう。
相変わらず涼しげな横顔をジト目で睨みつつ、せいぜいイヤミったらしく言ってやる。
「なんで?俺みてえなうるさいのいねえほうが読書はかどるんじゃねーか。そのまま歩いて電柱に眼鏡ぶつけて割っちま」
「お前と一緒がいい」
「え?」
不意打ちの如く向き直り、しっかりと俺の目を見据える。
「お前は俺をおいてかないだろう」

まるで、俺ならきっと追いかけてくると確信してるような口調。
信頼なんて大袈裟な表現がこそばゆくなるようなそっけなさは、自他ともに欺くポーカーフェイスの経験則に基づくもので。
「だからいい」
世界でただ一人俺だけが麻生の隣を歩く事を許されたような、そんな特別な存在であるかのように錯覚させるに十分な静かで力強い声音。


世界でただ一人俺だけがボーダーラインの向こう側へ立ち入る事を許されたような


「……なんで先歩いてるくせにおいてかれる心配してんだよ」
「おいてかれないためにはおいていくしかない」

正しいようで間違ってる理屈。
その極端な信条に辿り着くまでにこいつが犠牲にしてきたもの、レンズを隔て見続けた悲惨な現実を思い返せば独善的だの利己的だのと否定も批判もできない。

真っ直ぐに歪んでる。
麻生の背中。 

「麻生!」
迷惑そうに振り向いた友達に一気に距離を詰め、その肩を平手で叩く。
「タッチ!」
「……何したいんだ?」
あっけにとられた友達の前に仁王立ち、夕日に向かって高らかに宣言する。
「ゼロだ」
麻生譲との距離、只今ゼロセンチ。


お前がここにいて、俺がここにいる。
お前がここにいて、俺もここにいる。


手を伸ばせばちゃんと届く距離にいる麻生をしかつめらしくのぞきこんで聞く。
「本と俺どっちが大事?」
「本」
「悩めよ!」
「お前?」
「なんで疑問形!?」
「じゃあ秋山って事で」
話を円滑に進めるには妥協も大事だよな、みたいな諦観ぶった口調で結論づけられ反発が沸くもぐっと堪え、隙をついて本を奪う。
「あ」
「没収。駅に着いたら返す」
丁寧に栞紐を挟んで本を閉じれば、可愛げねーことにさっぱり動揺しやがらねえ麻生が鞄に手を突っ込んで中を漁り出す。
「予備あるし」
「人の話聞け!」
懲りずに二冊目を取り出しかけた麻生を叱り、一言一句区切って大股に詰め寄る。
「俺は!お前の!何!?」
眼鏡の向こうで当惑に揺れる瞳、瞳に映る真剣な顔。
「……ダチ」
「ハイよくできました」
予想通りの答えが聞けて満足した俺とは対照的に麻生は不貞腐れた顔、恥をかかされたようにそっぽを向く。
本を取り上げられたせいか、何だか手持無沙汰で落ち着かない様子のダチの横につく。
「隣歩いていいか」
「別に」
「並んで歩くぞ、べったりと」
「ご勝手に」
「俺の事好き?」
「るっせえ」
なら
「おいてかないって約束する。だからお前も」
続けようとして、迷う。
一緒に歩いてくれなんてプロポーズみたいでおかしくて、重荷にはなりたくなくて
「一緒にいる時はちゃんと俺を見て、その、何だ、おいてかない努力をしてくれると嬉しい、かも」
曖昧に語尾を濁すのは優柔不断なせい、弱気の表れ。

いつまでもずっと一緒だなんて夢みてえな約束不可能だってわかっている、わからないほど子供じゃない。
だからせめて一緒にいられる間は隣を歩きたいし、歩いて欲しい。

一秒、一日、一か月、一年、増えていくのは思い出ばかり。
人生のほんの一瞬交わりすれ違い離れていく線上で出会ったのなら歩けるところまで一緒に歩こう、行けるところまでともに行こう。

「じゃなきゃさ、もったいねーじゃん」
お前と歩くかけがえのない時間、カオ見て話す帰り道。
この濃密な時間を呼吸して体の中に入れておけば、将来もし離れ離れになっても思い出が循環して生きていける気がする。

麻生は黙り、俺を見、ブリッジを押さえる。

「距離の取り方がむずかしいんだ。近すぎると危険だし」
「?何が」
続きは言わせもらえなかった。唇を封じられて。
「!むぐ、」
吐息を盗まれもがく。
自転車のハンドルを掴む手が突っ張る。
眼鏡のレンズが顔に触れて冷たい。マフラーのささくれが顎に当たってくすぐったい。
頭真っ白、路上で棒立ちになった俺からゆっくりと離れ、惚れ惚れするほど長く綺麗な手でマフラーを巻き直す。
「だから言ったろ。ちょうどキスしたくなる角度なんだよ、お前の横顔」

……まさか、それが隣を歩かない理由?

「―ばっ、ばっかやろ、畜生ファーストキスだったのに煙草の味なんて最低だ、禁煙しろよ肺癌で死ぬぞ!」
「ボルゾイにもってかれたんじゃねえのか」
「ねえよ!気色悪ィいことぬかすな、俺の唇は艶ピカヴァージンだよ!!」
「俺との奴はカウントされないのか」
遊ばれてる。あったまきた。
「おめーなんかひとり競歩で電柱ごっつんこ眼鏡割っちまえ!!」
我ながら最高にかっこ悪い捨て台詞を吐いて颯爽と駆け去りかけりゃ、後ろからクールな声がおっかぶさる。
「秋山」
「何だ!」
「本返せ」
「っ!」
怒り任せに投げ返しかけ本に罪はねえとありったけの自制心を総動員、憤然たる大股で引き返し文庫を突っ返す。
本を受け取った麻生が肩を竦め、素直に礼を述べる。
「サンキュ」
そうして、少し考えてから口に出す。
「辞書引け秋山。さっきの捨て台詞は矛盾してる、競う相手がいなきゃ競歩はスポーツとして成立しねえ」
「だから?」
がっくり肩の力が抜ける。
「お前な……いや、もういいや」
一緒に帰りたきゃそう言やいいのに、恥ずかしがり屋なんだか意地っ張りなんだか。
ま、競歩しようぜと爽やかに親指立てる麻生なんてキャラ崩壊もいいとこだけど。
仕方ねえ、今回は許してやるか。
二冊目の文庫をコートのポケットに滑り込ませ、何事もなかったように俺と並んで歩きだす。
唇には感触と体温が淡く残っていて自然と指で触れちまう。
つかずはなれず微妙な距離で歩きつつ、端正な翳りのついた横顔を盗み見る。


ああ、たしかに麻生の気持ちがわかる。
この距離と角度はとても危険だ。
歩調と呼吸を合わせて歩く連帯感が高揚感を煽り立て、不可抗力で唇に注意が行く。
ぎくしゃくと歩く気まずさをお預けの物欲しさにすり替えて、さっきの続きをねだってしまいそうになる。
長い長い帰り道を一緒に歩きながら、なんだか麻生にキスしたいなあとそればっかり考えていた事はもちろん内緒だ。

調子のらせんの癪だからな。
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