リーマン×リーマン

まさみ

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されどそれは受難の日々

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 「久住さん、ちょっといいですか」
 「何だよ」
 「連れションです」

 以下省略で会社のトイレの個室に連れ込まれた。
 「待て待て待てっ、連れションてのは普通小のほうだろ、大の方にこもってどうする!?」
 俺は久住宏澄。自称デキる男他称それなりの会社員だ。
 「遠慮なさらず。ぼくと先輩の仲じゃないですか」
 「遠慮じゃねえ!羞恥だ!」
 意味不明ほざいてにっこり笑うこいつは千里万里という冗談みたいな名前の後輩。女子どもを一瞬で虜にする爽やかな笑顔の似合うイケメンだ。俺的にはイケメンのあとに(笑)を付けて欲しいと切に願う。
 外っ面のキレイさとは裏腹に腹ん中は鬼畜でどす黒い後輩が「連れション行きましょう」と誘ってきた時からいやな予感がした。
 今忙しいんだとテキトー言って断ろうとしたが「ばらしますよ、あの事」と耳元で囁かれ硬直、整理中の書類がばさばさなだれおちたが運の尽き。
 腕を掴まれそのまま強制連行、背後で扉が閉じると同時に観念。
 何せこっちはがっちり弱みを握られている。
 あれといえばあれだ、こないだの夜の一件だ。
 あの時撮られた写メはこいつの携帯にまだ保存されてる。
 今後の俺の態度いかんによっちゃ流出しかねない。
 かえすがえすもあこぎな手にむかっぱらが立つ。

 普通好きなヤツを脅迫するか?
 写メばらまきますよと脅して関係迫るか?

 屋上で語り合った時はなんか知らんが安子の介入で大団円風にまとまっちまったが、あとから考えるとすごくおかしい。なんかすげー騙されてる気がする。
 強姦から始まる恋とかご都合主義は断じて認めたくない。
 「久住さん、いつから連れションいくほど千里と仲良くなったんですかー」
 「久住くんとなら私も連れションしたーい」
 「小はやりにくいんじゃないかなあ」
 「ちょっと今のセクハラなんだけど最低!」
 「え、君のさっきの発言は逆セクじゃないの?」
 ……どうでもいいがうちの部署の連中は異常にのりがいい。業績が心配だ。
 黄色い声で見送る女子と冷やかす同僚をよそに、ねじれた性格に反比例し外面だけはよい(強調)千里は、「すぐ帰ってきますんで」と言い置いて、俺をトイレに連れ込んだ。
 というか、監禁した。
 俺に何ができる?
 こっちは被害者で被脅迫者で千里の気まぐれ次第で社会的に終わる運命だ、あの画像が流出したらとても生きてけない。
 どんな画像だって?
 説明するもクソ忌々しい。察しろ。
 簡単に言ったら、そのなんだ、ハメ撮りだ。
 最近の携帯はホント高性能に出来てやがる、何万画素とかで粒子が細かく画像は細部まで鮮明にばっちりと……
 「あの携帯踏み潰すか窓から投げ捨てたらすっげーすかっとすんだろうなあ。弱小高初出場の甲子園の逆転さよならホームラン、みたいな」
 「考えてること口からだだ漏れですよ先輩」
 ……まずい。
 千里がため息吐き、奥の壁に凭れかかる。清潔な顔だちに憂いの表情がよく似合う。
 ……黙ってさえいりゃあ好青年なんだけど……わかった、正直に言おう。腕を組んでかっこつけたポーズが気に食わねえ。
 「反省の色なしですねえ」
 「反省する理由がない。むしろお前がしろ、全力で。壁に頭ぶつけてかち割る勢いで、それか便器に顔突っ込んで溺れ死ぬ勢いで」
 「トイレの壁壊して弁償するのも便器の水飲むのもいやだなあ」
 千里がのほほんと感想を言う。
 わざとらしい手付きで背広から携帯をとりだしフラップを開閉、写メを一枚表示しつきつける。
 思わず顔をそらす。
 携帯には、俺のあられもない姿が映っていたからだ。そりゃもうばっちりと。
 事の発端は一日前に遡る。
 俺はかねてより温めていた作戦を決行した。
 即ち、写メ消却作戦。
 なんらひねりがない直球タイトルなあたり俺にはネーミングセンスがない。
 作戦内容はおしてしかるべし。

 一ヶ月前、俺はこいつに強姦された。
 残業でふたりぼっちになった夜、こいつは前から俺が好きだったとか犯したかったとか云々かんぬん今思い出しても憤死ものの手前勝手な理由をならべくさって、栄養ドリンクに睡眠薬しこむという姑息な手段を使って俺の気を失わせ……ネクタイで後ろ手にふんじばって脱がすわ卑語で辱めるわ写メで射精の瞬間撮りまくるわフェラチオさせるわの狼藉三昧を働いた。
 惨劇から一ヶ月が経った。
 俺は今じゃ千里のいいオモチャだ。
 千里ごときのオモチャにされるのは癪だが、写メを掴まれた手前逆らえないし、千里は千里で「久住先輩!」と無邪気に懐いてくる。
 で、なんとなくほだされちまった。
 ほだされてずるずる関係を……最悪のパターンだ。
 とんでもないダメ男にひっかかってボロ雑巾のように捨てられる女のパターンを踏襲する二十五歳男、会社員。
 すごく痛い。
 このままじゃいかんと決断、一念発起、起死回生の秘策に打って出た。

 「知らなかった。先輩て意外と手癖が悪いんですね、ひとの机を勝手にあさるような人だったなんて……幻滅です」
 「それを言うのはこの口か?この口か?大体俺の手癖悪いのはぶん殴られた時に身をもって知ったろ、人誅の痛み忘れたとは言わせねえ!」
 しれっと首を振る千里の口をクリップのように摘んで力いっぱい引き伸ばす。
 美形が台無しのヘン顔にちょっとだけ溜飲さげる。
 「いひゃひゃひゃ……やめひゃくだひゃいよせんふぁい」
 「えいこの、お前なんかあひる口の刑だ!」
 あひる口のが愛嬌あるよな。まんざら悪くねえ。
 男は自分より醜男には優しい生き物だ……女ほどあからさまじゃねえけど。
 「!って、」
 手の甲を強くはたかれる。
 口を指で挟んで引っ張られた千里が、俺の手をうざったげに払う。
 険悪に目が据わる。
 ……やば、本気で怒らしちまった。
 俺は昨日、無断で千里の携帯を覗いた。
 ……待て、引くな。話を聞け。これにはちゃんと理由がある。

 「ぼくが目をはなした隙に引き出し開けて、携帯いじくって……なにしようとしたんですか?」
 知ってるくせに、わざと聞く。
 「……戻ってくんの早すぎだよ……」
 昨日はかねてよりの計画を実行に移す絶好のチャンスだった。
 同僚はあらかた帰宅し、千里は他の部署に交渉にいってるとかで、偶然オフィスには俺一人だったのだ。
 しめしめ、このチャンスを逃す手はない。
 あれはきっと普段理不尽に後輩に虐げられてる俺に神様が与えれくれた人生最大のチャンスだったんだ。
 千里は机の端に携帯を置きっぱなしにしていた。
 今なら誰も見てないと悪魔が誘惑する。
 良心は簡単にねじ伏せられた。というか、この場合自業自得だろう。あいつ、不用心すぎる。
 右見て左見て確認後、足音消して慎重に忍び寄って机上の携帯を取り上げ写メをチェック。
 昨日の行動を反芻しつつ、背筋をただし咳払い。
 「………ところで千里、どうしても言いてーことがあるんだが」
 「なんでしょう」
 「俺のフェラ画像を待ち受けにすんのよせ!!」
 爆発する。
 今の声、絶対外へ漏れたろう。
 「なに考えてんだお前、俺仰天したよ、度肝ぬかれたよ、びっくりしすぎて手がすべって携帯おとしそうになっちまったよ、待ち受けとか人に見られたらどうすんだよお前はどうでもいいよ俺が困るんだよアレ即刻消せ、もしくは代えろ!」
 「後ろ手縛られた先輩がシャツの前はだけて、股間を勃起させてる写メのほうがいいと?でもなあ、あれはアングルが……立て膝のせいで股間が見えそうで見えない悩殺チラリズム、うん、悪くない……」
 「俺から離れろ!!」
 小声でブツブツ検討し始めた千里にキレる。
 怒号を上げてから周囲をはばかり、ドアを隔てた向こうへ耳をすまし、だれもいないのを確認後ほっと息を吐く。
 苛立ち髪をかきまぜつつ、凶悪な三白眼で千里を睨みつけぼやく。
 「心臓とまるかと思った……というか、お前ばかか。ばかだろう。あんな待ち受け人に見られたら俺と一緒に破滅だろ?変態がばれる」
 「先輩と心中なら望むところです」
 そう言ってにっこり笑う。
 きらきらとか擬音が似合いそうな極上スマイル……ぜってー使いどころ間違ってる。
 「そのマイナスイオンでまくりの笑顔、『トイレは清潔に』って標語ポスターに使いたい」
 ご機嫌な千里と反比例し俺の声はどんどん暗く物騒になっていく。
 胸の内でどす黒い感情が溶岩の如く煮え立つ。
 腕を組んで壁に凭れた千里が嘆かわしげに首を振る。
 「先輩はちっとも学習しないなあ。ぼくに逆らおうなんてばかげてます。昨日のはちょっと、気に障っちゃったかな?」
 結果からというと、俺の企みは失敗した。
 現場に当人が踏み込むという最悪の形で。
 「………さっさと消去しときゃあよかった……まさかお前、俺が待ち受けで凍り付くのを予想して、わざと携帯で釣ったのか」
 反省はしない。するもんか、断じて。
 俺は間違った事をしてない。
 悪いのはこいつ、くそったれ強姦犯の千里万里だ。
 千里は否定も肯定もせず心底楽しげに笑ってる。
 煮ても焼いても食えねえ笑顔に腹が立つ、と同時に背筋が寒くなる。
 俺の携帯と勝手が違って戸惑ったのもある。
 そのせいでもたついて、ケータイを四苦八苦いじくってる最中に千里とばったり出くわした。
 俺は元来物持ちがいいほうで、四年前から携帯は買い換えてないが特に不便も不満も感じない。対して千里の携帯はお値段の張る最新機種で、デザインもコンパクトでかっこいい。本人に聞いたところ数ヶ月ごとに更新してるらしい。
 金持ちめ、死ね。
 しかも「機種更新しても先輩の写メは全移植しますんで」とかしれっとのたまいやがって、どこまで偏執狂の変態だ。
 「ま、先輩が要領悪くもたもたしてくれたせいで助かったけど……大事なコレクションが消されなくて」
 千里が喉の奥で小さく笑う。
 細めた目が粘着な光を宿す。
 凄まじく嫌な予感。
 千里がこの手の笑みを浮かべるとろくな事がおきない。
 「………ごめんなさいは?」
 小さい子に言い聞かせるように囁く。
 「謝る必要なんかねえ」
 「勝手に携帯いじったでしょ」
 「それが?強姦犯に説教されたかないね。俺はただ、お前が調子のりくさって撮りまくったふざけた写メを消そうとしただけだ。正当防衛だよ」
 「お仕置きが必要かな」
 言葉が途切れる。
 「やっぱりお仕置きが必要だ。だって先輩、ぜんぜん反省してないし。ごめんなさいもできないんじゃ社会人失格ですよ?」
 千里がひとりごつ。
 お仕置き。
 その言葉を聞いた途端、条件反射で身がすくむ。
 「ふざけるな……」
 トイレの個室に呼び出して、何をする?何をされる?
 最初からそれが目的だったのか。
 「帰るぞ。付き合ってられっか」
 「いいんですか?ばらしますよ」
 ノブを掴み、まわしかけた手が止まる。
 スーツの背中に纏わり付く視線を感じ、首の後ろが粟立つ。
 胸の内で荒れ狂う激情を深呼吸でおさえこみ、自制心を総動員しノブから手を引き剥がし、殆どやけっぱちで千里のもとへ戻る。
 自分の意志でもどってきた俺に、千里が相好を崩す。
 「よくできました。お利口さんだ」
 俺は犬か。
 ……まあ、千里にとっちゃ似たようなもんか。
 なんでも言う事を聞く、いじめがいのある犬。
 上手にとってこいができた飼い犬の頭を満足げになでる。
 骨ばった男の手によしよしされるほど不愉快なことはねえ。
 「さわんな。くずれる」
 髪をしっとりかきまぜる千里の手を首を振って邪険に払う。
 千里が手を引っ込め、少し考える素振りをする。
 「………なにする気だ?」
 緊張で喉が乾く。
 警戒し、あとじさりそうになるのを見栄と意地で堪える。
 俺の問いには答えぬまま千里は意味深な笑みを浮かべ、背広のポケットに手を入れ、なにかを握りこむ。
 「手を出してください」
 「?こうか」
 苦りきった顔で手のひらを上にして突き出す。
 千里が自らの手に包んだものをそっと俺の手におき、愉快そうな上目遣いで反応を窺う。
 「これが何かわかります?」
 「わかんねーよ。……プラスチック?妙につるつるしてるけど……判子入れ?」
 「惜しい。正解は……」
 千里がゆっくりと、じらすように手を放していく。
 手のひらにとりのこされた物を目の当たりにし、息を呑む。
 何かわからないほど、さすがの俺もウブじゃない。
 「………全然惜しくねえよ」
 生理的嫌悪と不快感と拒否感とがごっちゃになって荒れ狂い、手渡された異物を即座に床に投げ捨てたい衝動が襲う。
 「捨てたらそのまま突っ込みますよ?雑菌入っちゃうかも」
 俺の行動を見越し千里が制す。
 腕を振りかぶった姿勢のまま激しく葛藤し、自制心を使い切っておずおず手を引っ込める。
 何回か深呼吸し、強張った指をおそるおそる開いてみる。
 俺の右手に、卑猥なピンク色のローターがのっかっていた。
 プラスチック特有の妙にのっぺりした表面と質感に怖気をふるう。
 「コードレスタイプで遠隔操作できるんですよ、これ。リモコンはこっち。可愛いでしょう」
 千里が反対側のポケットからリモコンを取り出し、顔の横にかざす。
 「こんなもん……いつ……」
 「先輩に使おうと思って」
 あっさり悪びれず言う。
 「会社に持ってきたのか……?いかれてる……」
 憎まれ口に覇気がない。恐怖心が怒りを食う。
 右手の異物を投げ捨てたい衝動を懸命に堪える。
 どうする気だ、なんて間抜けな質問はもうする気になれない。
 千里がローターを出した時点で運命は決まってる。
 それを承知しながら、胃袋がしこるような嫌悪感に耐えかね、精一杯の反論を試みる。
 「……お前、ばかか。なに考えてんだ、今会社だぞ、仕事中だぞ。こんなもん……っ、使えるわけねーだろ!」
 「先輩はいつもどおりにしてくださって結構です。できるものならね」
 そう言って、意地悪く目を細めてほくそえむ。
 「スイッチで強弱調整できるようになってますんで」
 背広のポケットからコンパクトなリモコンをとりだし、ダイヤル式のスイッチをカチカチ捻れば、手の上でローターが振動しだす。
 電動の低い唸りを伴い小刻みに震えるローターとどんどん青ざめていく俺の顔色を見比べ、千里はさらに振動を強くする。
 プラスチックの卵から震えが伝わり、手のひらが痺れる。
 「これが最強。結構うるさいなあ……入れちゃえばだいじょうぶかな」
 「千里………」
 「念のため奥まで突っ込もう」
 「千里!」
 冗談じゃない。
 完全に余裕を失い、大股に詰め寄る。
 「いいんですか、大声出して。だれか来たらどうするんです?」
 「……っ、ふざけ……おま、これ……こんなもん入るわきゃねーだろ、指だってきついのに!」
 「でも、ぼくのはちゃんと入りますよね。奥まで」
 恥辱で顔が染まる。
 振動がやむ。
 千里がスイッチを切り、俺の手からローターを奪う。
 「後ろ向いてください」
 「……いやだ」
 「壁に手を付いて」
 「………音……聞こえたら、どうすんだよ。まわりの連中にヘンに思われたら」
 「だいじょうぶですよ。ちょっと音が漏れたからって、先輩のズボン脱がして穴の中まで調べるような人いないでしょ。ひょっとして……怖いんですか?」
 図星だ。
 「そっか、ローターは初めてですもんね。安子さんに使ったことありません?」
 「使うか!!おもちゃなんかに頼らなくても自前のテクとモノで十分間に合ってる!大体そんなっ、女用だろ……男に入れるもんじゃないだろそういうの……」
 「あー。だから安子さんは単調な性生活に飽きて……」
 「安子関係ない!傷を抉るな!」
 納得、とひとり頷く千里に、テクニックとサイズを全否定され噛み付く。
 俺だっていい年した男だ、それなりに女と付き合った経験がある、でもその、俗にいう大人のおもちゃを使ったことは一度もない。必要ないからだ。
 セックスってのは好きな相手とやるもんで、好きな相手と愛情たしかめあうのにオモチャなんか邪魔で、むしろこれは責め具で……
 千里が俺の方に歩いてくる。
 「気持ちいいんですよ?中で震えて……前立腺を刺激して……粘膜が敏感になって」
 「お断りだ」
 それを俺の中に突っ込む?
 何の冗談だ。想像だけで吐き気がする。
 「あ、俺仕事思い出した。エクセルでグラフ作成中……」
 そそくさノブを掴んだ手に、ほのかに熱を持った手が被さる。
 突然の接触に戸惑う。
 千里が俺に寄り添い横目でうかがう。
 耳朶にかかる吐息がくすぐったい。
 虚を衝かれ立ち竦んだ間に、扉を隔てた向こう側が急に騒がしくなる。
 違う部署の連中が集団でやってきたらしい。
 出るタイミングを逃し舌を打つ。千里が後ろに回る。
 スーツの腰にそっていやらしく手が滑る。
 「!ばっ、へんなとこさわるなっ!」
 「先輩、声」
 指摘され、あわてて口を噤む。
 トイレのむこうからがやがや喧騒が伝わってくる。
 いつまでたむろってるつもりだよ、はやく消えろ。オフィス禁煙だからトイレで一服してんのか?
 なかなか去らない気配にいらだつ。
 予想的中、禁煙のオフィスを追い出されたヤツらがだべっている。
 人がいる。
 今、まかり間違って扉が開いたら……どう言い訳する?
 男二人で個室にこもってナニやってたって白い目で見られる。
 千里の手が動く。
 腰骨にそってゆるやかに上下する手がくすぐったく、控えめに身をよじる。
 「………っ、千里……やめ、さわんな……」
 聞こえたらどうする。
 扉一枚隔てたむこうには大勢人がいる。
 もし気付かれでもしたら……
 千里の手が前に回り、ズボンの股間をねっとり揉む。
 「どこ、さわってんだよ、変態……昼間っからさかるな……」
 前に回った手が断りもなくベルトを外し始める。
 腰をよじって手を振りほどこうと努めるも背後からしがみつかれ身動きしにくい、あんまり暴れたら気付かれる恐れもあって抵抗できない、それでなくても個室は狭くちょっと身をひねっただけで壁や扉にぶち当たりそうになる。
 「!んっく……」
 とっさに唇を噛み、声がもれるのを防ぐ。
 千里の手がなかばおろしたズボンの内側に忍び込む。
 下着の上から陰茎の形をなぞられ、悪寒と紙一重の快感が走る。
 「ばか、抜け……本当にもう行くぞ、付き合ってらんねえよ、仕事まだ残ってんのに……残業こりごり……このあと会議もあるし」
 できるかぎり声をひそめ言う。
 性急な衣擦れの音に上擦る息遣いが混じり合う。
 「助けを呼んだらいいじゃないですか。たくさん人いるし」
 「…………」
 「恥ずかしいんですか?耳まで真っ赤」
 「……るせ……」
 こいつ露出狂のケあるんじゃねーか?会話、すげーデジャブ。
 一ヶ月前は警備員ひとりやりすごしゃよかったけど、今度は状況が違う。
 扉一枚隔てた向こうには少なくとも五・六人がたむろって人の気も知らず談笑してる。
 ………空気読めよ、社会人なら。連れションはせいぜい2・3人にしとけ。
 扉に上体をもたせ、前のめりになる。
 従順な反応に味をしめ千里の手が悪乗りする。
 俺のズボンと下着を膝までおろし潔く下半身を露出させるや、陰茎を掴んでしごきだす。
 「………千里、おま……会社のトイレをSМクラブの個室と勘違いしてねーか……!?」
 「痴漢みたいで燃えません?」
 ダメだこいつ。早く脳除去手術したほうがいい。手遅れっぽいが。
 正面は扉、背中には千里がのしかかり挟まれて身動きできない。
 狭い空間で不自由に身じろぎ脱出を試みるも、千里の手が意地悪く亀頭をくすぐり尿道をほじくり気を散らす。
 「ふ……、いい加減に、お前だってこんなっ、ばれたらまずいだろ……」
 「先輩が黙ってればわかりません。あんまり強く手を突かないほうがいいですよ、蝶番いかれて開いちゃいます。……それとも……ズボンはだけて半勃ちのいやらしいかっこ、会社の人にも見てほしいんですか?」
 唇を噛み首を振る、必死で。
 罵倒しようと口を開いたそばから喘ぎに変わりそうで、悔しさのあまり目に涙がこみ上げる。
 「……場所考えて発情しろ、変態」
 「お仕置きですよ?先輩が一番恥ずかしくていやがるシュチェーション選ばなきゃ意味ないじゃないですか」
 言葉で行動で嬉々として俺を嬲る。
 罵れば罵るほど逆効果。
 ……変態、死ね。
 「いやー昨日のサラリーマンNEO爆笑しましたねー」「いいっすよねーセクシー部長、痺れる憧れるう」「俺はなんたって寅さんだな、哀愁漂っててさあ」「課長寅さん世代ですもんねー、懐かしいでしょ」……表が盛り上がる。まだ当分去りそうにない。テレビ談義ながらよそでやりやがれ、というか仕事しろという抗議が喉元でふくらむ。世の中は真面目なヤツほど損するようにできてるんだろうか?……理不尽だ。泣きてえ。
 「……い、から、手はなせ……ヘンなとこいじるな……」
 腰がへたれる。扉に上体を預け、膝からくずおれそうなのを辛うじて支える。
 体重をかけすぎると蝶番がばかになってドアが開く、頭じゃわかってる、体が言う事聞かない、どうすりゃいい、俺は後ろから千里に抱きしめられて身動きできない、ドアにぴったり密着した姿勢でもぞつき息を荒げる。
 恥辱と怒りで肌が染まる。
 会社のトイレで後輩に前をしごかれてる、ドア一枚むこうでは会社の連中がしゃべってる、顔見知りも混ざってるかもしれない。
 死ぬ気で声を殺す。
 感じてたまるか。
 千里なんかにいかされてたまるか、先輩の面子を保て。
 「強情ですね」
 首の後ろ、敏感な皮膚に息がかかる。
 俺の位置から千里の顔は見えないが想像はつく、きっと胸糞悪い笑みを浮かべてやがるんだろう。
 ふっと股間から手がどく。安堵するも束の間、今度は後ろへ回る。
 「!!ばっ、」
 咄嗟の判断で口を塞ぐ。正解だった。
 「---んんッ、ふく」
 千里の指が窄まりに入りこむ。
 ローションなしだから当然きつい、無理な挿入は痛みしか生まない。
 「何回か入れてるし……ちょっとは慣れたかな。入り口広がったし」
 「解説いらねえ……」
 俺の体が、中が、見えない場所が、着々と千里に開発されていくのが癪だ。
 千里の指で、舌で、アレで、二十何年排泄の用しか足してなかった器官が性感帯へと変わっていく。
 自分の吐く息で手のひらが熱く湿る。
 自重を支える膝が震度四で震える。指が二本に増える。
 「………っ………」
 「なにか言いたいんですか、先輩。ひょっとして、痛い?すごい汗ですけど」
 「……スーツ……皺になる……」
 肩越しに睨みつけた千里がきょとんとし、ついで笑いを噛み殺し、自分の股間を俺の尻に擦りつけてくる。
 「いっそ全部脱いじゃいますか」
 「……は、トイレで素っ裸になる趣味ねえよ……」
 「じゃあ我慢してください」
 畜生。くそったれ。
 現実で声を出せない代わりに腹の中で罵詈雑言を浴びせる。
 ドアの向こうのざわめきに神経がひりつく、ばれるかもしれない恐怖と恥辱で全身が火照る。
 汗がこめかみを伝いシャツにしみる、眼鏡が鼻梁にずれて視界がくもる。
 後ろでささやかな衣擦れの音、千里が手際よくシャツの裾をはだけていく。
 「ローション付けなくても大丈夫ですね。中、ほぐれてるし……ぬるぬる……すごいな、先輩。一ヶ月前と違う」
 「男が濡れるわけねえだろ、頭沸いたこと言ってんじゃねえ……」
 「ゆるくなったの自分でもわかります?ほら、指が二本、三本……動いてるのわかるでしょう」
 からかいつつ、指を鉤字に曲げる。律動的な抜き差しに後ろの穴が収縮する。
 声……だめだ、こらえろ、絶対だすな。
 片手で口を覆う、目を瞑る、もう一方の手をドアに付く。蝶番が軋む。
 激しさを増す抜き差しに伴い粘膜が鳴る。
 前立腺を乱暴に刺激され捏ね回され、中途半端に放ったらかされた前が先走りを滲ませる。
 「うあ……てめ、調子のりすぎ……ぁうぐ、」
 ピストン運動で性急に追い上げられ追い詰められる。
 背中を丸めドアに手を付く、片膝が抜ける、腰を曲げた不自然な姿勢。
 千里が俺の腰を掴み引き上げる。細腕のくせに割と力がある。
 片手に持ったものを見て、ぎょっとする。
 ローター。
 「やめろ……」
 口を塞ぎ首を振る。
 膝の震えは強制された無茶な姿勢のせいばかりじゃない。
 千里が手に持つローターをなめる。
 プラスチックの玩具の表面を赤い舌が艶かしく這う。
 唾液で十分ぬらしてから、それを、俺の窄まりへと近付ける。
 「いい子だから、先輩」
 「俺のが年上だ……」
 「駄々こねないで。手を焼かせないでください。おもて……聞こえますよ」
 耳元で優しく脅す。
 笑みを含んだ目でドアを一瞥、絶望に強張りゆく俺の顔をのぞきこむ。
 逃げる?どうやって?
 密室だ。鍵を開けて、ドアを開けて、それで……それから?
 ヤツらはまだ去らない、トイレを喫煙所と勘違いして楽しげにだべってやがる、その真っ只中にシャツをはだけてズボンが脱げた俺がとびだしてったら……
 笑いもの。
 晒しもの。
 見せもの。
 「千里、それは……昨日のは、俺が、悪かった……と、いうことにしといてやらないこともない」
 最大限の譲歩。精一杯の妥協。
 千里の目の温度が急速に下がる。
 「謝ってるんですか、それ。反省の色ないし」
 「そうだよ、謝ってるんだよ、心の中で土下座してるよ!だから……っ、おふざけはもうやめろ、そろそろ帰んないとあやしまれる、いくらなんでも連れション長すぎだ。若いのに小便のキレ悪いって噂立って糖尿の係長にぬるーい同病哀れむ目で見られたらどうすんだ、俺はいやだ、プライドにかかわる」
 「早漏の先輩に言われたくない」
 「!早漏じゃね、」
 謂われない中傷にカッときて振り返りかけ、千里におさえこまれる。
 窄まりに押し当てられた玩具に圧力がかかり、先端がわずかにめりこむ。
 「ぅあ………」 
 涎にまみれた玩具の表面がゆっくりと沈み込んでいく。
 壮絶な違和感、気持ち悪さ。
 指や舌でほぐされるのとは全然違う、冷たく人工的な感触に鳥肌立つ。
 喉の奥で吐き気がふくらむ、胃がしこる。千里が容赦なく玩具を押し込んでいく。
 「どうですか、異物を突っ込まれたご感想は」
 「……………抜け………」
 固く冷たいプラスチックの玩具に窄まりを犯され、痛みと屈辱に気力が折れる。 
 「直径5センチ、楕円形、コードレスタイプ……どこまで行くか試してみます?」
 笑いながら、恐ろしいことを平気で言う。
 冗談だとは思えない。
 卑猥な薄ピンクのローターが窄まりを犯していく。
 さんざん指でじらされ慣らされた穴は、おもったよりラクに全体を飲み込んでしまった。
 「はあっ、はっ、はふ………」
 前立腺に先端部分があたるよう位置を調整する。
 その動きがまた刺激となって、捏ねあわされた粘膜がもどかしい快感を生み出す。
 「貪欲な粘膜」
 「気がすんだら抜け……っ、早く……すげえ気持ち悪い、後ろ違和感が……」
 初体験のみだらな玩具が窄まりの奥を圧迫し、馴染まない感触に下肢が引き攣る。
 尻に異物を挿入されるのは生まれて初めてだ。
 ……せいぜい座薬くらいか?座薬と比べたってかなりでかい。
 「千里、聞いてんのかよ、いい加減キレるぞ。抜けよ」
 ドアに縋るようにしてこみ上げる情けなさ悔しさを堪え、途切れ途切れに訴える。
 「昨日のは出来心だったんだ、お前が机においとくからいけないんだ、ポンとのっかってたらついやっちまうだろ、あんな……」
 感電したような衝撃。
 「--------!!っあ、」
 スイッチが入る。
 かちかちと小刻みな音、後ろに立つ千里がスイッチを操作する。
 窄まりの奥に突っ込まれたローターが振動する、その震えが粘膜に伝わって腰に波紋を広げ芯を疼かせる、指でされるのとまったく違う機械的振動………
 「弱。これが中」
 千里がカチカチとスイッチを回す。
 無慈悲に容赦なく、俺の痴態を愉悦に酔って眺めつつ。
 「あっぁう、あっ、あ、ふ」
 腹ん中からローターに揺さぶられる、前立腺を揺すり立てられ膝が砕けそうになのをドアにもたれ保つ。
 声……だめだ、もらすな、もらしたら終わりだ、ケツをローターでかき混ぜられて感じてる声なんか絶対死んでも聞かせたくねえ。
 感じてる?俺が?ローターで、機械で、玩具でなぶられて感じちまってるのか?
 いつのまに千里と同類の変態になりさがったんだよ。
 「ふざけ、てめ、調子のんなっ……は……それとめろ、今すぐ、こんな……中、すげー震えてもたね……」   
 謝れば許してくれるのか、トイレの床に土下座すれば解放してもらえる?
 誘惑に心が傾く、負けそうになる、謝罪を紡ぎそうな口を塞ぐ。
 ダメだ、立ってられない、立ってるのが辛い。
 不衛生な床にへたりこみそうなのに膝を笑わせ抗う。
 初めて体験するローターの味は強烈で、体内から湧き起こる振動が前立腺に染みて、萎えかけた前が次第にもたげ始める。
 「聞こえます?こもった音……先輩の中から響いてる。下着はいて、ズボン上げればわからないかな」
 独白に背筋が冷える。
 「……このかっこで、戻れってのか?」
 「はい」
 顔が引き攣る。
 絶望的な半笑い。
 千里は明るく肯定。
 「入れたまま?」
 「ぼくがいいって言うまで出さないでください」
 「仕事中も?」
 「ずっと」
 「正気かよ……」
 こいつやっぱ頭おかしい。
 「~こんな気色わりいもん入れたまま仕事できるかよ、おちょくんのもいい加減にしろ」
 「大丈夫ですよ。だって久住さんはデキる男なんでしょ、ローター突っ込まれたくらいでへこたれたりしませんよ」
 「音……聞かれたら、どうすんだよ……様子ヘンで、課長とか、安子は今いねーけど、同僚とか……ッ、どうやってごまかすんだよ!」
 「自分で考えてください」
 なにを言ってもむだだ。千里の決意は固い。お遊びに本気だ。
 なんとか説得しようと夢中で言葉をさがす、必死に頭を働かせ口を開く。
 ドアの向こうで「そろそろいくかー」と合図、トイレを喫煙所代わりにしていた集団が休憩を終えて出ていく。
 よかった。
 間一髪、救われた心地で息を吐く。
 さあ、とっとと行ってくれ……
 「!!ん――――っ」
 前立腺を殴りつけるような衝撃が続けざま襲う。
 背中がしなる、手で口を塞ぐ、あんまり強く塞ぎすぎて酸欠になりそうでしかし声がもれるよりマシと指を押し付ける、脂汗がながれこみ曇る視界の端で千里が目一杯スイッチを回す。
 最大。
 腹の奥で快感が爆発、それがずっと続く。振動が腰に響いて下肢がジンと痺れる。
 扉のむこうの談笑が遠のく、足音が遠ざかる、がやがや騒ぎながら集団が出ていく。
 忍耐力が底を突く。
 立ってられず膝から砕けて座りこむ、床にズボンの膝が接しそうになったまさにその瞬間、千里が片腕をのばして俺を引き戻す。
 振動が徐徐に小さくなる。
 だが完全にはやまない。
 とろ火のように微弱でもどかしく、達しきれない振動が窄まりの奥をこねる。
 「みんな待ってます。仕事戻らなきゃ」
 「あとで覚えてろよ………」
 とことん性格が悪い。
 歪んでる。
 そとの連中が出ていこうとした瞬間を見計らって、俺が泣きたいくらい安心して油断した瞬間をねらって、設定を「最大」にしやがった。 
 
 そして受難の一日が始まった。
[newpage]
 腹の奥で機械が唸る。
 「う…………」
 体が熱い。
 仕事に身が入らねえ。
 奥に埋め込まれた玩具が意地悪く震えを発し、尻の表皮全体に微電流が通って甘く痺れる。
 「久住さんどうしたんですか?汗すごいですけど」
 「~暑がりなんだよ、俺は」
 「あ、そっか。今日あったかいですもんねえ、最高気温23度だっけ?すっかり春めいてきて……もうそろそろクールビズの季節っすもんね。背広だとちょっと暑いくらい……今冷房入ってんのかな?」
 どうでもいいが、同い年の同僚に敬語を使われるって激しく微妙だ。
 俺がいかに職場で敬遠されてるかわかってもらえたろう。
 同僚の軽口に上の空で答えつつ、間接が錆びたような拙い手つきでキーを打つ。
 今のところ俺の異変には誰も気付いてない、周囲の連中は仕事に集中してるか息抜きに同僚とだべってるか上司に説教されてる。
 オフィスは騒がしい。
 さまざまな音程の人声とパソコンの音とコピーの作動音に電話の呼び出し音がごっちゃに混じり合って、俺の体内から僅かに漏れる、くたばりぞこないの蚊の羽音みたいなローター音をかき消す。
 頭の上を飛び交う声を唇を噛みやり過ごす。
 声をかけてきた同僚を三白眼で睨み、苛立たしげに追い払う。
 「~いいから、無駄口叩いてる暇あったらとっとと仕事もどれよ!会議に出す資料できあがってんだろうな、また課長にどやされんぞ!?」
 「はーい、わかりましたー。ったく、カルシウム不足なんだから……」
 口の中で愚痴を呟き、反省の色ない足取りで自分の机へ引き返していく同僚を見送り、ワード画面開きっぱなしのパソコンに向き直る。 
 ばれてない?
 ……よかった。こっそり息を吐く。
 安堵でゆるみかけた顔が、振動が強くなるにつれまた強張る。
 「く、あいつ……」
 さっきから延延この繰り返し。いつ終わるともしれず続くお遊び。
 いい加減業を煮やし、椅子に掛けた姿勢から身をよじって千里の横顔を睨みつける。
 千里は女子社員がコピーしてきた書類の束を受け取りがてら、好感度満点の笑顔で雑談してる。
 いつでもどこでもだれにでも愛想をまくのを忘れない男だと感心。
 そつのない笑顔で女子社員をあしらいつつ、ちらりと意味深な流し目をくれる。
 「千里くん、それでこっちの資料なんだけど」
 「会議で使うからもう十部余計にコピーお願いします。経理の斉藤さんも見たいっておっしゃってて……」
 クソ忌々しいことに千里は職場のほぼすべての未婚女子社員から少なからぬ好感をもたれている。
 女子社員にそれだけ人気がありゃモテない同僚のやっかみで孤立しそうなものなのに、話の分かる相槌と気配り上手な性格のせいで、男からも可愛がられている。
 まったく忌々しい、存在自体が目障りだ、癇にさわってしょうがねえ。
 なんで俺が好きなのか理解できない。
 千里のルックスだったらわざわざ俺なんか脅しておもちゃにしなくても相手に不自由しないだろうに……。
 受難の二字が脳裏にちらつく。
 悪魔に魅入られた心境に近い。
 力一杯断言するが、千里の性格はくさりきってる。
 実際ここに仕事中も束縛される哀れな犠牲者が一人。
 千里と目が合うやプイとそっぽをむく。
 あいつ、完璧楽しんでやがる。
 俺が沸々とこみ上げてくる色々なもんを必死に我慢する様を、遠目に観察してうっそりほくそえんでやがる。
 今すぐ椅子を蹴飛ばして、背広の胸掴んで殴り倒したい。それができたらどんなにすかっとするか。
 でもダメだ。千里に逆らえない。
 一ヶ月間、あの手この手で体に叩き込まれた。千里いわく「調教」だ。
 内容は……言えねえ。察してくれ。
 ぎたぎたにされたとはいえ、俺にもプライドと羞恥心があるのだ。
 千里は俺の写メを掴んでる。俺の首にがっちり手をかけてるも同然、こっちはいつ絞め殺されるかわからずひやひやもんだ。
 行為を拒むか渋るかしたら写メをばらまくと脅された。
 もちろんそんなことしたら千里だってただじゃすまないだろうが、あいつならやりかねない。
 時々わからなくなる。
 あの時、晴れ渡った青空の下、気持ちよい風に吹かれながら千里が言った台詞は嘘なんじゃねえかって。

 『先輩がずっと好きでした』
 口からでまかせ。
 『だから、安子さんから奪いたかった』
 俺のことを尊敬してるとか、かっこいいとか憧れてるとか、全部あとづけのこじつけで。

 だって普通、好きなヤツにこんな事するか?
 小学生ならまだしも、いい年した大人が、好きなヤツをいじめて楽しむなんてアリか?

 ……ダメだ、だいぶヤキが回ってる。ぐるぐるぐるぐる思考が靄がかって迷走する。
 考えたって始まらない、今は仕事に集中しろ。デキる男の外面を保て。
 俺にもプライドがある。職場で恥をさらしてたまるか、千里が意地悪く観察してんなら尚更だ。 
 やや前のめりになり、そろそろ手を動かしキーを叩く。
 ローターはランダムに設定されていて、強くなったり弱くなったりを不規則にくりかえす。
 一定の振動に設定されていれば慣れてもくるし忘れたふりもできるんだろうが、千里はそれを見越した上で、「退屈しちゃうといけないから」とランダムを選んだ。
 机の下で膝をもぞつかせ擦り合わせる。
 できるだけ体を動かさず、余計な刺激を与えないよう細心の注意を払う。
 ともすれば息が上擦り、耳まで赤く染まる。
 尻に物を挟んだまま椅子に座ると、すげえ変な感じだ。
 ローターは奥、前立腺のすぐ近くまで突っ込まれていて、クッションで包んだ椅子の表面がズボンの上から窄まりを圧迫すると、さんざん異物でかき回されて充血しきった入り口がきゅっと収縮する。 
 「あいつ……ぜってー殺す……」
 どす黒い憤りに駆られて呪詛を吐く。
 シャツと肌が擦れ合う感触さえ妙に意識してしまう。下着がきつい。前が張り詰めている。
 ギッ、と椅子が軋む。
 下半身に体重をかけるとより窄まりが圧迫されて、中の振動を一層感じてしまう仕組みだ。かといって、体重をかけないよう浅く腰を浮かした不自由な体勢を保つのはキツイ。これがホントの拷問椅子……ぜんっぜん笑えねえ。
 まわりの目が痛い。ばれねーように、それだけを一心に念じる。同僚のだれひとりとして、俺がこんなもん尻に突っ込まれてるなんて思わないだろう。
 ばれたら?耳がよいヤツがいたら?隣の机のヤツが「なんだろうこの音」と言い出さないかとはらはらする。
 「んっく………ふ」
 慎重にキーを叩く。
 いつもしてる事をなぞるだけなのに、物凄い疲労がずっしりのしかかる。
 口、塞ぎてえ。
 だめだ、あやしまれる、声を出さないように我慢しろ。
 唇を噛み、噛み締めた歯の間から暑く湿った吐息だけを逃がす。
 腰の中心から響く振動がむずむずと性感をこねて脊髄を溶かす。
 千里に強姦される前は、後ろをかきまぜられて反応するなんて考えられなかった。
 後ろと前は繋がっている。
 連動し相乗する快感。
 ちょっとでも気を抜けば無意識に前に手が伸びそうになり、散りかけた理性をかき集めてそれを制す。
 服と肌が擦れ合う感触さえもどかしい。
 同僚の視線に過敏になる。
 俺がこんな悪趣味なもん突っ込まれてパソコンやってるなんて職場の誰も想像しねえ。酷く場違いに孤立した感じがする。
 頭のてっぺんから爪先まで恥辱で燃え立つ。
 だれかが後ろを通るたび、近くの席のヤツが立つたび、背中がびくりと緊張する。
 「やだー千里くん、超ウケるんだけど今の!」
 千里の名に過剰反応、キーに手を添えデータを打ち込みつつぎくしゃく振り向く。
 ……野郎、まだおしゃべり中かよ。人に放置プレイかましといて。
 いい加減仕事にもどれと体調が万全なら喝を飛ばしたい。
 会社は社交場じゃねーんだぞ?いつまでたっても学生気分がぬけね……
 「お茶どうぞ」
 すっ、と机上にのびた手に促され顔を上げる。傍らに女子社員が立っていた。茶を淹れてきてくれたらしい。
 「サンキュ」 
 自慢じゃないが、俺は職場の女子に敬遠されてる。気難しい眉間の皺と三白眼がいけないそうだ。
 俺に茶をもってきてくれた女子も心なしかちょっとびくびくしてる。たしか千里と同期の新人だ。
 反射的に身を引き距離をとる。
 千里は音が漏れる心配ないと豪語したが、変態の言い分が信用できるか。
 俺の分まで茶を淹れてくれた親切は嬉しいが、正直今のこの状態ではありがた迷惑でしかない。早く追っ払いてえ。
 だからって女の子をびびらせるのも大人げない、「久住さんてば大人げない」「いくら安子さんにフられたからって女全員目の敵にしなくてもいいのに……」と音速で噂が流れそうだ。
 ガチガチに固まった顔の筋肉を酷使し、強張った笑みを浮かべる。
 新人の女子は俺の反応をびくびく上目で窺ってる。
 ……別に舌火傷したからってひっくり返したりしねーのに。そんなにおっかねーか、俺。
 「あー……自分で淹れるから気ィ遣わなくてい」
 言いながら手を出し、俺専用のマグカップを受け取ろうとした、瞬間。
 今までの比じゃねえ情け容赦ない振動が襲う。
 「-----------------っあ!?」 
 たまらず机に突っ伏す。
 キーにのっけた手がすべり、連続で誤字を打ちこむ。
 視界の端、千里が相変わらずおしゃべりを続けながら片手を背広のポケットに突っ込む。
 スイッチを操作する、「最大」に。
 目の端で俺の様子をうかがう。
 野郎、笑ってやがる。
 こっちはそれどころじゃねえ。
 尻の奥のローターが狂ったように動いて前立腺を揺すりたてる、下腹全体がじんわり熱を持って痺れる、ズボンの前が突っ張って苦しい。
 キャスターが床をひっかく、腰の奥でローターが唸り練り上げられた粘膜が収縮する、鼻梁に眼鏡がずり落ち液晶の字がゆがむ。
 「っ………今手がはなせねーから、そこにおいといてくれ」
 震える指で指示をだす。
 新人は目を丸くするも、机の隅に大人しくマグカップをおく。
 自然と丸まりそうな背中を意地で伸ばす。
 下腹の広範囲に粘着な熱が広がって前と後ろが同時に疼く。
 毛穴から汗が噴き出し、頬に赤みがさす。
 努めて平静を装うも息は浅く乱れ、湧き起こり渦巻く快感を堪える声は不自然に掠れる。
 女子社員が机の端、書類の隙間にカップを置き、一礼して去っていく。
 ローターが窄まりの奥、前立腺に接し、もっとも敏感な場所を徹底していじめ抜く。

 今の、ヘンじゃなかったか。
 声、音、平気だったか?

 早く終わってくれ止まってくれ、もういい加減にしてくれ、こんなのもたねえ、ばれたらどうする……同僚がこっちをちらちら見てる。

 自意識過剰?
 被害妄想?

 電話に対応しながら茶を飲みながらコピーを使いながら俺の醜態を目の端で探ってる、ほんとはみんな知ってて知らねえふりしてんじゃねえか、みんなグルで……
 時間の経過がひどく緩慢に感じる。
 太股の筋肉が突っ張り痙攣する。背広の下、シャツが汗を吸ってぐっしょり湿る。  
 だめだ、おかしくなっちまう。頭が沸騰しそうだ。
 血管中に麻薬が拡散して思考が散漫で冗長になっていく。
 熱はもはや下半身全体に広がって、机の陰になったズボンの股間が勃起する。

 俺は、断じて、誓って、変態なんかじゃあない。
 後ろにローター突っ込まれて感じたりもしねえ。

 反発し抗う心と裏腹に一ヶ月かけて慣らされた体はずぶずぶと泥沼に沈んでいく。
 職場で、まわりには大勢の同僚や上司がいるのに、俺は……
 自尊心の痛み。
 プライドを踏みにじられる痛み。
 片腕で腹を庇い、椅子から浅く腰を浮かし、余裕をかなぐり捨て猛烈に叫ぶ。
 「千里、ちょっとこい!!」
 千里と話してた女子がびっくりしてこっちを見る。
 まわりの何人かも仕事の手をとめる。
 女子を適当にいなした千里が、鼻歌でも口ずさみかねないご機嫌な様子で赴く。
 「千里なにやったんだ?」「久住さんキレてるぜー」「こぶしではさんでぐりぐりの刑じゃねえか」……畜生、聞こえてるっつの。お仕置きされてんのは俺のほうだ。
 悔しさで目が曇る。千里がすぐ横にやってくる。
 「どうしたんですか」
 「どうしたんですかじゃねえ……もうとめろ……」
 「え?なにをです?」
 張り倒してえ。
 「……っ、お前最悪だ……性格ゆがみきってる……俺が女子と話してる時にわざと……茶あこぼして、火傷したらどうすんだよ。クリーニング代弁償しろよ」
 「負け惜しみしか言えないんですか?」
 周囲をはばかり声をひそめる。
 俺の耳に口を近付け、愉悦に酔って囁く。
 なにげないしぐさで椅子の背もたれに肘をかける。ぎっ、と椅子が軋む。
 そうしてさらに乗り出し、俺の肩越しにパソコン画面をのぞきこむ。
 あたかも仕事の相談をしてるふりで、パソコンについて教えるふりで。
 「違うもので汚す心配したほうがいいです」
 あからさまな嘲弄。
 憤死寸前、思わず殴りかかろうと手を振り上げるも、千里の冷ややかな目に怖じてぐっと拳を握りこむ。
 「………頼む、せめて小さく……弱く……音、聞こえる……」
 切れ切れに紡ぐ声は、殆ど吐息にかき消されていた。懇願というより喘鳴に近い。
 千里が背広のポケットに手を入れリモコンを操作、じれったいほどゆっくりと振動を弱める。
 両隣の机は今留守、同僚は席を外してる。
 オフィスは今一番忙しい時間帯で、よっぽど大声で話さない限り会話を聞かれる心配はないが、念を入れる。
 「はあっ………」
 ようやっと息を吹き返す。
 ローターは止まないが、背筋を伸ばせる程度には体調が回復。
 体の奥を無機物が嬲る。
 カプセル状の器具が粘膜を練り上げて、ドロリと濃厚な快感を生む。
 「だめじゃないですか、我慢できずにぼくを呼んだりして」
 首の後ろを吐息の湿り気がなでる。
 振り向かなくてもわかる。満足そうな声。千里は微笑んでる。
 「………仕事、ぜんぜん集中できねえ……いいだろう、もう……さんざん恥かかせて気がすんだろ、おしまいにしろ」
 「全然。序の口ですよ」
 「~ちゃんと仕事したいんだよ!」
 「どうぞご自由に。先輩が真面目なのはわかってますから、励んでください。腕を拘束されてるわけじゃないんだ、パソコンできるでしょ」
 千里の手が肩に触れる。びくりと身がすくむ。
 「すごい熱い……汗かいてる」
 「やめろ、人が見てる……」
 「ひとに見られて興奮してるんですか?」
 とんでもねーことを抜かす。
 ぎょっとする俺の肩を掴んでむりやり前へ向かせ、自分はその耳元でにやつく。
 「へえ、まんざらでもないんだ。ズボンの前もぎちぎちだし。ローター初体験のくせに、すっかりよくなってる」
 「よくねえよ」
 「嘘ばっか、後ろの穴ぐちゃぐちゃにかき混ぜられて気持ちいいくせに。もしばれたらどうします?みんな、こっち見てますよ」
 「やめろ……」
 「先輩の様子おかしいの気付いてるかなあ。気付いてる人もいるんじゃないかな?久住さん今日なんかへん、風邪かな、顔赤い……背中伸びてないし……久住さんいつもすごく姿勢いいから、そうやって背中丸めてるとすっごく目立ちます」
 千里の指摘に慌てて姿勢を正す。
 途端、また一段振動が強くなり、せっかく立て直した体が前に傾ぐ。
 「同僚にじろじろ見られて感じてる?恥ずかしいかっこ見られるのが好きなんですね。昼間っからローター後ろに突っ込まれて、椅子に座りっぱなしで、外っ面はあくまで涼しげに保って……自分じゃ上手くごまかしてるつもりかもしれないけど、ボロ出まくりですよ。初めてのローターのご感想は?僕の指とどっちがいいですか」
 「お前のパソコンにスパム大量に送り付けてやる」
 「隔離設定にしてるからむだです。……往生際悪いなあ」
 息がくすぐったく耳の裏をなでる。それだけで感じてしまう。
 騙せない。
 ごまかしきれない。
 千里の言うとおり、次第にボロが出はじめている。
 「……いいからはずせ、一日中こんな……頭がどうかなる……」   
 「トイレが近い人って噂立っていいんですか?それに……一度ならず二度もぼくとトイレにこもったら、さすがに怪しまれますよ」
 言い聞かせながら、またポケットに手を入れる。
 制す暇もなくスイッチを調整し、小刻みに振動を切り替える。
 「!あっ、あう、んっく」
 「前向いて。仕事してください。あ、ここ変換ミス。伸び率がノブ率になってる」
 「千里………」
 「だめだなあ、しっかりしなきゃ。あ、ここも。一行目の利益還元が甘言に」
 「千里!」
 切羽詰った声。
 今の俺は相当追い詰められた顔をしてるだろう。 
 千里が画面を指さしミスを指摘する。もう片方の手をさりげなく俺の肩に添え、微妙に指を動かす。
 千里に触られた場所がジンと熱を帯びる。
 朦朧とした頭で、千里に言われるがまま、のろのろとミスを直していく。
 ちょっと腕を動かすだけで下半身がずくんと疼く。
 体温調節が狂い発汗を促す。
 俺をこんな状態にした張本人にミスを指摘されるなんて。
 ぴたりと付き添って変換ミスの修正を促されるなんて、最大の屈辱だ。
 片手を俺の肩に添え、もう一方の手でマウスを導き、丁寧に教える。
 「ほら、スクロールして……最後の行、数字間違えてますよ?15パーセントじゃなくて25パーセント」
 「はなせ……ひとが見てる、べたべたすんな、とっとと席もどれよ」
 「先輩が呼んだんじゃないですか。ぼくが必要でしょう」
 にっこり、悪びれもせず。二人羽織りの要領で俺の手を操りつつ、椅子の横にぴたりと寄り添い、わざと俺の腿に体を触れさせる。
 びきびきと眉間が攣る。顔の筋肉が反乱をおこす。憤りと怒りと憎しみと悔しさと羞恥で頭が爆発しそうだ。
 千里のアドバイスは、悔しいが、非常に的確だった。実はコイツは仕事もできる。……って、俺が教えられてどうすんだ、後輩に。
 あんまり密着してると周囲に不審がられる。
 というのは思い過ごしで、実際そこまで気にされてない。他の連中は会議の準備で忙し……
 会議?
 さっと頭が冷える。
 慌てて時計を確かめる。午後一時五十分、二時から会議が始まる。
 「千里、これ抜け。しゃれになんねーぞ」
 声が険を孕み真剣になる。これ以上千里の悪ふざけに付き合ってらんねえ。
 「言いましたよね、ぼくがいいっていうまで出しちゃだめだって。一人でトイレも禁止。用足しは我慢してください」
 「-っ、お前頭煮えてんのか、知ってるだろ、あと十分で会議が始まるんだよ!こんなもんはめたまま出ろってのか、会議には他の部署の連中もくる、そこで恥かけってか、もしトチったら俺の出世が」
 「意外と野心家なんですね。安子さん寝とった男を見返したい?」
 「失恋の傷えぐんなよ!」
 「先輩の傷口に塩をすりこむのが趣味なもので」
 どす黒い殺意が湧く。こいつ絞め殺したい。
 誠意のない謝罪にはらわた煮えくり返り、射殺さんばかりの目つきで睨みつけるも効果は薄く、千里が言う。
 「大丈夫ですよ。会議、ぼくも出ますから」
 「……………は?」
 それがなにを意味するか理解するのに時間がかかる。
 「大事な会議ですよね。他部署の人もくる。今回のコンセプト説明、先輩の担当でしたっけ」
 「待て待て」
 「原稿、ちゃんと読めるといいですね」
 ほくそえむ千里の目には欲望のぎらつきがあった。

 「異議あり!開発部はユーザーのニーズがちっともわかってない!」
 机に平手打ちをかまし席を立つ熱血漢。
 「藤木さんまあた熱くなってる……」
 「今度はなんの影響?」
 「逆転裁判だって」
 「あーあのゲームやりこんでたもんなー寝不足の赤い目して」
 「困ったもんだよ」
 会議はたいてい長丁場で退屈と決まってる。
 うちの会議もごたぶんに漏れず、是が非でも自分の意見を押し通し辣腕ぶりをアピールしたい野心ぎらぎらの若手と、そんな若手に苦りきった上司との間で統計がどうだのターゲット層がどうだのと不毛な論争が繰り広げられている。
 「っ………」
 会議室は広い。
 そのだだっ広い会議室にぎっしり人が詰めこまれている。
 今日の会議は新商品のコンセプトを決める重大な会議だとかで営業の俺たちにもお呼びがかかった。
 長方形の机には椅子が配置されずらり人がならんでる。
 あくびをかみ殺すヤツ、手持ち無沙汰に書類をめくるヤツ、俯いてこっそりメールを打つヤツとなんらかの内職に励むやる気のねえ社員も多い。
 大丈夫かこの会社。
 会議は二時から始まり三時に終わる予定。
 あくまで予定で延長の可能性大アリ。
 椅子に座ったまま、耐える。
 何もしないでいるのがこんなに苦痛だなんて知らなかった。
 誤解なきよう断っとくが退屈イコール苦痛って意味じゃない、字面どおり受け取ってくれ。
 現に今も体内の奥深く埋め込まれたローターが微弱な震えと唸りを発し前立腺を責め抜く。
 あらん限りの憎しみにぎらつく目で向かいを睨む。
 机をはさみ反対側に座った千里は、俺と目が合うやにこりと笑う。
 ……もうちょっと足が長けりゃおもいっきりすね蹴っ飛ばしてやるのに……自分で言ってて哀しくなってきた。
 どんだけ足を伸ばしてみたところで向こうには届かない。
 「はっ………ぅく………」
 千里の手が動く。
 顎をしゃくり目に強い光をため訴える、ぶんぶん首を振り「ばか、やめろ、それしたら絶交だ」と口パクで力一杯罵る。
 だがしかし俺が嫌がれば嫌がるほど調子に乗るのが千里がドSたるゆえん。
 意味深な笑みを深め、優雅な動作でポケットに手を滑り込ませる。
 「!や、」
 隣に座る同僚が振り向く。
 やべ、気付かれたか?
 慌てて口を噤み、資料の端をそろえなんでもないふうを装った途端、来た。
 「―っうく、」 
 ローターの振動が一段強くなる。
 膝が、がくがくする。
 隣の同僚にばれないよう、近くの席のヤツらにばれないよう、死ぬ気で声を殺す。
 千里は俺がけっして慣れてないよう、与える刺激の強さを常に計算し調整している。
 カチカチと摘みを回し、強くしたら今度は弱く、弱くしたら今度は中位へと不規則に変化させる。
 おかげでこっちは心の準備が出来ない。振動が一定に保たれてるならまだしも我慢できるが、慣れてきたとおもって油断した途端「最大」にされ、ともすれば机に突っ伏しそうになるくりかえしだ。
 会議前に配られたコーヒーはすっかりぬるくなっている。口をつける気になれない。マグカップをとった途端、ローター強められて服に零しでもしたら悲惨だ。
 「どうしたんだ、お前。顔赤いけど……緊張してんのか?もうすぐ出番だもんな」
 同僚の心配そうな声。
 うぜえお節介。ほっといてくれ。
 頬の赤みを悟られたくない。体の震えを悟られたくない。
 ごくりと生唾を嚥下し、ばらけた資料の端を神経質に整え、努めて平静な声を出す。
 「武者震いだよ」
 会議室には今、二十数人が集ってる。
 その殆どは発言者に集中してるけど、俺の様子を怪しみだしたヤツがいないとも限らない。
 くそ、千里め……
 せめて会議が終わるまで我慢だ、そしたらトイレに直行してケツに入ってくる悪趣味なもんを抜く、千里なんか知るか、これ以上付き合えっか。大事な会議に身が入らねえ。
 発言者の意見に耳を傾けようと努力するも水の泡、下半身に広がる痺れに似た快感が邪魔する。 

 俺はデキる男じゃなかったのか?
 叶うなら、今すぐ蒸発してえ。

 会議を抜けてトイレに駆け込んでローターを掻き出したい、もういやだ、あと一時間も生殺しが続いたら気が狂う、おかしくなっちまう。
 最悪、イッちまう。
 会議室で、会議中に、顔見知り含めた大勢の人間にじろじろ見られながら……
 「………………っ」
 最悪の想像に喉が詰まる。
 俺がケツにローター入れっぱなしで会議に出てるなんてこの場の誰が想像する、千里以外知らない、と思いたい。もしばれてたら、ばれたら、おしまいだ。とんでもない変態の烙印をおされる。
 視線が気になって会議に集中できない。
 音が漏れてないか不安だ。
 膝頭を忙しく擦り合わせ気をそらす。
 一時間以上ローターでいじめ抜かれた体はすっかり茹で上がってる。
 中がどろどろに溶けているのがわかる。
 どうかしちまいそうだ、本当に。
 音もだが、匂いが気になる。
 俺の股間は中途半端に張り詰めて、とめどなく迸る先走りを吸った下着が蒸れた匂いを醸す。
 俺はデキる男だ。トチったりしねえ。千里の策略にはまってたまるか。
 今後の出世を左右する重大な会議……それは大げさだが、「デキるヤツだ」とアピールしといて損はない。将来への投資だ。俺にだって係長でジエンドしたくねー程度の野心はある。

 意欲。
 意気込み。

 もちろんある。安子を寝取った男は他部署の出世頭で、だからむきになってるというのも、ある。
 ああ、くそ、なんだってこんな事に。
 甘い顔見せたのが悪かったのか、きちんと拒むべきだったのか。
 『好きですよ、先輩』千里にほだされて『大丈夫ですか?』事後に見せる心配顔にだまされて『本当はずっと尊敬してたんです。憧れてた』口からでまかせに乗せられて。
 だから付け上がる。俺がちゃんと拒まなかったのがいけない。
 つくづく写メを消せなかった不手際が悔やまれる。
 恥ずかしい。頭が働かない。気持ち悪い。尻の違和感が消えない。
 窄まりの奥にはめ込まれた悪趣味な玩具は、周囲に聞こえない程度の音でずっと唸り続けている。
 突然振動が強まる。
 背筋が強張り、太腿が突っ張る。
 ただ椅子に座っているだけで、窄まりの奥の粘膜がうねって蕩けるような快感を生み出す。
 「はあ………」
 何度も何度も寄せては返す波を硬直と弛緩の繰り返しでやりすごす。
 机上の手を握りこみ、肩の浮き沈みに伴い犬みたいに息を吐く。
 「本当に大丈夫かよ?具合悪いなら医務室行けよ」
 「大丈夫だよ……大したことねえよ、武者震いだって言ってんだろ?どうやったら逆転裁判よりインパクトあるアピールができるか考えてんだよ」
 退室は許されない、勝手に会議を抜け出してトイレに駆け込んだらもっと厳しいお仕置きが待つだろう。

 びびってる?
 俺が?
 後輩に?
 千里ごときに?
 ……認めたくねえ、断じて。

 でも実際もうぎりぎりで、俺はもうどにもならないとこまで追い詰められていて、今すぐ会議を抜けてトイレに駆け込んでらくになりたいが千里の目があって実行できない監視される観察される周囲のヤツらだって不審がる、頭も体もぐらぐらする、見世物にされてる気がする。異常だ、こんなの。とても普通じゃねえ。尻がむずむずする。下半身が熱い、前がきつい。もう少しでイきそうになるたび振動が弱くされる、じらされる、お預けをくらう。
 生理的な涙で潤み始めた目で千里を睨む。
 よせ。
 止めろ。
 口パクで、目で、全身で、訴えたところでやめたりしねえ。
 千里の手が動くたびびくりとする。
 ぐっと手を握りこみ、耳まで染めて俯く。
 千里は俺が過敏になっているのを知りながら、机上のコーヒーに手を伸ばし優雅に口をつけたり、資料をめくって読むふりをしたりと、フェイントを巧みに混ぜて仕掛けてくる。
 早く終わってくれ。
 焦燥に焼かれる。ローターでかきまぜられっぱなしの腹の奥で、気持ち悪いを通り越し、ヘンな感覚が疼いて騒ぐ。
 もどかしい感じ。イけそうなのにイけねえ。まわりのヤツらが見てるんじゃないかという被害妄想が働き、疑心暗鬼に苛まれ、些細な物音にびくつく。
 咳払い、資料をめくる音、椅子の足が床を擦る音。
 平素なら一緒くたに掃き捨てられる雑音に近いそれらの音が、いちいち俺を脅かし怯えさせる。神経がざわめく。
 殺気だった目で千里に命令、懇願。即刻ローターを止めろとせがむ。今の俺はきっと泣く子もひきつけをおこす凶悪な顔をしてるだろう、もとからの悪人づらが高利貸しから殺し屋にグレードアップしてる予感がする。
 快感と羞恥とプライドがせめぎあう。眼鏡越しの目に涙がたまる。いい年した男が泣くか、普通?慌てて涙腺を引き締める。自分があんまり情けなくてみじめで勝手に涙が……ちがう、たんなる生理現象だ。ほら、気持良すぎたり何だりすると勝手に涙がにじむだろ?だからだ。……意味不明支離滅裂、たとえに失敗した、気持ちよすぎてってなんだよ、ぜんぜん気持ちよくねーよ、気持悪ィよ、気持悪くて泣いてんだよくそったれ。
 「ではここで商品のコンセプト説明を営業の久住くんに……久住くん?」
 「久住、課長が呼んでるぞ」
 「んだよ、うるせえな……いそがしいんだよ、あとにしろよ」
 「お前の番だって!」
 同僚に肘をつつかれはっと我に返る。
 椅子を蹴倒す勢いで起立、硬直。一身に視線を浴び、心臓が蒸発しそうに脈を打つ。
 「……はい」
 資料を手に持つ。
 小脇に挟み、何かの養成ギプスを嵌めたような動きでぎくしゃく歩く。
 横顔に視線を感じ体が火照る。
 前屈みにならないよう姿勢を保つ。
 机はちょうど俺の腰の高さで、ズボンの前は隠れて見えない。助かった。
 これから話す内容を朦朧とした頭でおさらいする。
 口内で唾液を分泌、舌に油をさす。
 課長の目配せに軽く頷き、机の先頭に立つ。
 横にはホワイトボードがあり、新商品の写真が数点添付されている。
 机を埋めた全員の視線が集中する。
 毅然と顎を引き、まずは礼。挨拶は基本。
 「ただいま課長からご紹介に預かりました営業の久住です。今回は市場調査の総括を担当します。当報告書では、日用消費財製造業者の成功の秘訣となる利便性というメガトレンドについて注目し、利便性に関連した消費者ニーズ、製品開発・マーケティング機会などをまとめ、概略下記の構成でお届けいたします」
 ペンを持ち、参加者に背中を向けホワイトボードに書き込む。
 きゅきゅっとペンが走る音が耳につく。
 ペンにキャップを被せ、改めて正面を向く。
 これからしゃべる内容。さっきざっと復習した。大体頭に入ってる……はず。
 腹をくくるっきゃねえ。
 ばれねーように、できるだけ普通に、冷静に、はきはきと。
 顔の赤みを俯き隠し、資料に目を通すふりをする。
 「まずは1ページ目、トレンドフレームワークの利用と新製品開発における品質向上についてですが……」
 俺の説明につられ、皆が資料をめくる。
 自分の声が自分の声じゃないみてえに遠い。
 喉が、異常に渇く。
 舌が勝手に動く。催眠術にかかったみたいだ。
 早く終われ。
 注目が耐え難い。
 勘の鋭いヤツの中には、俺の様子がヘンだと気付いてる者もいるかもしれない。
 知らなかった。
 立ちっぱなしはキツイ。
 椅子に座ってるほうがまだマシだ。
 ズボンの前は机に隠れて見えない、後ろの窄まりではローターが唸り続ける。
 「っ………く、……」
 唇を噛む。息を継ぐ。
 眼鏡ごしの目で平然とした千里を睨みつける。
 最高に素敵で不愉快な人たらしの笑顔。
 「……技術革新は主な成長促進因子ですが、一方課題の多いプロセスです。それを克服するためには市場の声を積極的に取り入れ、現場で働く人々の声を聞き、個々の面での更なる改善が……」
 体が熱い。前が窮屈。
 なに話してるんだ、俺?支離滅裂、意味不明。席、戻りてえ。
 上司も同僚も他部署の連中もじっとこっちを見てる、真剣に説明聞いてる。
 ボロを出すな。今は会議中だ、自分の役目を放棄するのは社会人としてどうなんだ、最後までやりとげろ、じゃないとプライドが許さねえ。
 膝が震える。
 「………詳細は5ページ目のグラフを参照………」
 振動が強くなる。
 「!!んんっ、」
 机の端を掴み、耐える。耐え抜く。
 説明が不自然に中断され、何人かが怪訝そうに顔を見合わせる。
 「君、大丈夫かね?」
 他部署の課長が、心配そうに聞く。
 必死に呼吸を整え、汗にまみれた顔でぎこちない笑みを形作る。
 「………すいません……足が攣りました」
 苦しい言い訳だ。
 あちこちで笑いがおこる。冗談ととってもらえたみたいだ。
 汗も、目立たなくてよかった。
 畜生……千里……絶対殺す。百回は殺す。ぎったんぎったんに殺す。
 爪先からシュレッダーにかけて千切りの刑だ。
 「失礼しました。説明を続けます」
 机にもたれかかるのは行儀悪い、だから耐える、我慢する、ホワイトボードの横に背筋をのばし立ち尽くす。
 「グラフをご覧いただければわかるとおり、主要な購買層はおもに三十代から四十代となっていて、二十代の伸び率が悪い。今後はここに力をいれ、どうやって若者にアピールする商品を開発していくかがキーとなります」
 「質問だが、このグラフを見ると二十代の中でもとくに学生層が弱いね」
 「はい。その点ですが、学生は性能よりはむしろデザインを重視する傾向にあるようです。たとえば、性能が同じならよりフレームのバリエーションが多い他社の製品を買う。パソコンを例にとるとわかりやすいかもしれません。どんなに容量が多く性能が優れていても使いこなせるのは一握り、ならば買う買わないの最大の決め手となるのはビジュアルです。十代や二十代は特にその傾向が強いですね。口コミ……友人が持ってるのを見て、友人から使い心地を聞いて買うという声も無視できません」
 掠れた声で注釈をつければ、「なるほど」とひとつ頷き、質問者が引き下がる。
 机の前のほうに座ってる何人か―ということは、他部署のお偉いさんだーも、感心したような顔をする。
 ここまではまずまず順調。
 時々声が詰まり途切れる他に致命的なミスもない……気付く範囲ではしてない、はず。
 どうだ、おそれいったか。
 優越感の光を目にやどし、千里を見る。俺はちょっと得意げな顔をしてるはずだ。
 もう少しで終わる、読み通せる。遂に最後のページをめくり、口を開くー
 
 バチバチと、高圧電流みたいな衝撃。

 「!!―――――っ、」
 膝がかくんと抜ける。
 油断した。それがいけない。
 最後のページをめくった瞬間もう少しで終わる解放される席に戻れると安心し油断した、緊張の糸がゆるんだ瞬間を見計らってアイツ「最大」にしやがった、「最小」から「最大」へ一気に……
 「また足が攣ったのかね」
 すぐ近く、俺から見てもっとも手前、ということはこの場における一番お偉いさんの課長がからかう。つられ、笑いが爆ぜる。
 どうにかこうにか愛想笑いを浮かべようとしてまた膝がずりおち、机の端を掴み、苦しい体を支える。
 「ぅっく……ふ………」
 震える指で、ずりおちた眼鏡をもどす。
 がくがくする膝を叱咤し、上体を起こす。
 窄まりの奥、凶悪なローターが狂ったように前立腺を揺すりたてる。
 括約筋が収縮、腿の筋肉が痙攣する。
 だめだ、こんなところで、人が見てる、いくか、いけない、四つんばいになってー……だめだ、耐えろ、我慢しろ、もう少しだけ
 「説明、続けます」
 生唾を飲む。
 下半身が熱く痺れる。
 ズボンの前がぎちぎちに張り詰めて動きにくい。
 会議中に勃起してるなんてばれたらおしまいだ。
 自分が何をしゃべってるかわからない。ただ、資料の活字を声に出してなぞっているだけ。
 人が見ている。
 俺を見てる。
 会議室を埋め尽くした全員が、机を占めた全員が、時々頷きながら俺の説明を聞いている。

 逃げてたまるか。
[newpage]
 今逃げ出したら千里の勝ちだ。
 俺のプライドと出世のためにぜってー最後までやりぬく、やりとげる。
 燃え立つ闘志とは裏腹にローターで責め立てられた窄まりはひどく敏感になって、捏ね回された粘膜が波打ち、前立腺をほぐす。
 座るのは拷問、立つのは見せしめ。ぐちゃぐちゃの頭とどろどろの体じゃどっちがマシかなんてわからねえ。
 絶対見返してやる。
 俺をこんな状況に追い込んだ千里を、すっかり勝ったつもりでいやがる鼻の穴あかしてやる。
 何度も何度もつっかえそうになりながら、そのたび千里への憤りとぐらつくプライドを糧に持ち直し、とうとう最後の段落に辿り着く。
 何度も何度も呼吸を整え、上擦り漏れそうになる声を飲み込み、抑制して吐き出す。
 「………以上、終わります」 
 限界だった。
 何の比喩でもなく、頭が真っ白になる。 
 「久住さん!?」
 「君、大丈夫かね!?」
 周囲が突然ざわつく。何人かが席を立つ。視界がぐらついて―床が近くー倒れる?
 資料を床にばらまく、ばらけた資料の上にあっけなく片膝付く。頭がぐらぐらする、誰かが助け起こそうとして俺に触れる、電流が走る。
 床で体を丸め息を荒げる、体が熱い、もどかしい、苦しい、イきてえ、それしか考えらんねえ。
 ぎりぎりまで追い詰められた体が疼く、ばらけた資料を拾い集めようと震える指を伸ばす……
 「医務室へ連れていきます」
 ふっ、と体が軽くなる。
 誰かが俺に肩を貸し、立たせる。
 「頼んだよ、千里くん」 
 「貧血かね」「ちょっと様子ヘンだったもんね」「体調悪いのによく頑張ったよ」「責任感強いなあ、さすが久住さん」……うるせえ、お門違いの勘違いだ。
 心配そうなまなざしに見送られ会議室を出る。
 「………死ね、本当に死ね、今すぐ死んでくれ……」
 ゆだった頭で呪詛を吐く。千里にぐったりもたれ、足をひきずるようにして歩く。突き飛ばしたいが、力がまるっきり入らねえ。
 目的地は医務室、ではない。会議室を出たその足でトイレに向かう。
 個室のドアを開け、ふたりで転がりこむ。扉が閉まるのを待ち、千里の背広を掴んで脅す。 
 「……っく……ふ……とれよ、これ……」
 ちょっと泣きが入る。
 脅すというか、事実に即せば縋るのほうが正しい。
 「お前のせいで会議めちゃくちゃだ、資料読んでる時もずっといれっぱなしであんなのアリかよ、音もれたら声聞かれたらってはらはらして全然集中できねーし……最悪だよ、なんだよ、いじめかこれ?楽しいかよ社会人にもなって先輩いじめ、つかなんで俺がいじめられなきゃいけないんだよおかしいだろ、後輩いびりの仕返しかよ!?」
 「先輩、落ち着いて」
 「落ち着けねえよ!いいから早く抜けよ、腹ン中ぐちゃぐちゃで気持悪くて……ずっと音なりっぱなし、震えっぱなしで……お前その性根カウンセリングで矯正してこい。俺が資料読んでる時に最大にして、慌てる様にやにや眺めて満足かよ?変態ぶっ殺す、もう絶対殺す、お前なんか大嫌いだ」
 「ごめんなさい、大好きです」
 千里が俺の肩を掴んで宥める。唇を狙う顔を振り払う。
 「嘘吐け、信じられるか、好きだったらなんで俺のいやがることばっかするんだよ!?ぜんぶぜんぶ嘘だろ、俺が好きとか憧れてるとか口からでまかせで、それさえ言っときゃ警察にチクらず許してくれるって計算済みなんだろどうせ!?一瞬でも信じた俺がばかだった、乗せられたんだよ、あの時屋上でなんかお前がしゅんとしてたから、捨て犬みたくしょんぼりしてたから」
 俺がぶっ倒れた時、千里は真っ先に駆けつけた。
 思い出す、こいつの顔。
 椅子を蹴倒し駆け寄る必死な形相、本気で心配してる顔。
 「………抜いてほしいですか?」
 探るように聞く千里に、一も二もなく頷く。
 「帰るまで我慢できない?」
 「勘弁しろよ……もたねえ……」
 顔が上げられない。
 まともに目を合わせられない。
 死ぬほど恥ずかしくて悔しくて情けなくて頭はぐちゃぐちゃで、千里のスーツに顔を埋め洟を啜る。
 「よく頑張りましたね。えらいえらい」
 しゃくりあげる子供を宥めるみたいな手付きで、俺の背中をさすって褒める。
 キレる。もうキレた。実力行使だ。
 千里のポケットをねらって手をくりだす、スイッチを奪い返そうと試みるも見越され回避、千里が仕方なさそうに笑う。
 「ズボンおろしてください」
 「俺が?」
 「そこまでぼくにやらせるんですか?意外だな、プライド高い久住さんが」
 千里が鼻白む。やけっぱちだ。
 じれた手付きでベルトをはずし下着ごとズボンをおろす。
 ローター音が一層大きくなる。
 「後ろむいて。壁に手をついて」
 屈辱を噛み締め、命令に従う。
 壁に両手を付き、剥き出しの下半身を晒す。尻を突き出す惨めな格好をとらされ、片腕をずらし、涙が滲み始めた目を隠す。
 「自分でやってみます?……ああ、無理かな。結構奥まで入ってるから掻き出せないか」
 「いいから早くやれよ!」
 千里が嘆かわしげに首を振り、窄まりの入り口を広げ、指を突き立てる。
 「!んっ………馬鹿、もうちょっと加減しろ……」
 「すごい。もうぐちょぐちょじゃないか。会議中もずっと感じてたんですか?前もどろどろだし……」
 「誰のせいでこうなったと思ってんだよ、変態……いきなり強くしたり弱くしたり、おかげで全然、身が入らなくて……さんざんだよ、畜生、厄日か、お前と知り合ってから一年中厄日だよ、もう完全に出世の道閉ざされたよ、声震えてたし、絶対、だめだ、ヘンに思われた、噂になってる……田舎帰る……」
 「考えすぎですよ」
 「安子にあわす顔ねえ……」
 「今産休中だし。元カノの事なんてどうでもいいじゃないですか、失恋ふっきって前を向きましょうよ」
 「むこうとしたらお前が立ちはだかったんだよ!」
 「新たな恋愛対象ってことで?」 
 「倒すべき宿敵とかそんなかんじで……っ、ふあ!」
 体内に突っ込まれた指が鉤字に曲がる。……コイツ、わざとやってる。じらして、反応見て楽しんでやがる。
 「……千里、早く……」
 「どうしてほしいですか?」
 「抜いてくれ……」
 「反省は?」
 「は?」
 「昨日の。ごめんなさい、まだ聞いてないんですけど」
 肩越しに振り返る。俺の背に密着し、千里が囁く。
 「……正気かよ、この状況で……どうでもいいだろ、そんな、ひっ!」
 ずるりと指が抜ける。
 「電池切れまで入れといたらどうですか?2・3日でとまりますよ」
 耳を疑う。顔が引き攣り、曖昧な半笑いが浮かぶ。冗談だよな?と目で念を押すも、千里は無表情に見返すだけ。
 「先輩は淫乱だから、そっちの方が寂しくなくていいじゃないですか。うん、これで解決。ぼくが慰めてあげなくてもすむし、一石二鳥だ」
 「ふざけ、んな」
 「いやなら自分でひりだすとか。だいぶゆるくなってるからできるでしょう」
 壁に縋り、膝にズボンを絡めた格好で尻を突き出し、奥に挿入された物をなんとか自分の意志で排泄しようとする。
 「う………」
 「自分で指使って。突っ込んで、掻き出して。括約筋操作して」
 「無茶いうな、できるか、ケツの穴に自分で指突っ込むとか汚え……」
 「入れっぱなしがいいんだ。欲張りだなあ」
 嘲笑が耳を嬲る。千里がわざとゆっくりと後孔のふちをなぞる。それだけでぞくぞくと快感が走り、達しそうになる。
 「く…………、」
 ぶん殴りてえ。張り倒してえ。
 それから?
 俺の体内には悪趣味な玩具が入ったまま電池が切れるまで動き続ける、電池が切れても入ったまんまだ。
 その状態がありあり想像でき、恐怖で頭の先から爪先まで冷たくなる。
 千里なら本気でやりかねないのが怖い。
 謝っちまえ。
 携帯勝手に見てごめんなさいって言っちまえ。
 「……………る、かった」
 「聞こえない」
 「……………た………」
 「もっと大きな声で」
 容赦ない催促が鞭打つ。
 凄まじい葛藤に脂汗を流す。片腕で腹を庇い、悩ましい疼きに耐える。背中を壁に預けずりおちそうなのを膝の力のみで支え、深呼吸。
 「『ごめんなさい。掻き出してください』」
 千里が復唱する。俺の頬にそっと手をかけ、顔を寄せる。睫毛が長い。 
 「『手伝ってください』」
 「……………………」
 顔を背ける。千里の手が動く。待て、と制すより早くまたスイッチが入り、快楽の波が続けざま襲う。
 「……お前には、頼らねえ。俺は間違った事してねえ、悪いなんて思っちゃねえ、謝るのはお前の方だ。土下座しろ」
 振動が強く
 「-!っとに、いい性格してるよ……ぅあ、んく、ふ……ふざけんな、なめるなよ、なんだって無理矢理ヤられた上にこんなおもちゃ扱い……耳の穴かっぽじってよく聞け、俺はお前のおもちゃじゃねえ、これ以上好き勝手させてたまるか、ああそうとも冗談じゃねーよ、何様だ?後輩サマか?お前に頭さげるなんてお断りだね、そんなに俺に頭さげさせたきゃ腹に蹴りでもいれろよ、お前の靴に反吐ぶっかけてやる」
 強く、強く―強く
 意を決し、後ろへと指を持っていく。
 自分で見ることもできない、さわるのも初めての場所に、おそるおそる指を入れる。
 最初は浅く。
 「自分でやるんですか?へえ。すごいかっこ。アナルオナニー?後ろだけでイく練習、ですか」
 千里が口の端を曲げる。サディスティックな冷笑。
 言葉で、視線で、どこまでも残忍に執拗にえものを嬲る。
 指だけで、キツイ。すげえ違和感。
 千里には何度もされてるけど、自分でやるのは初めてだ。
 「はっ……はあ、ぅぐ……」
 指を二本、ねじこむ。できるだけ奥まで……奥に……
 腹が苦しい。
 ぐちゃぐちゃのどろどろに溶けた粘膜が指を咥えこんで放さない。
 眼鏡がずれて壁がぼやける。
 入り口に入れただけで、奥のほうから震えが伝わってくる。指が……俺の指、必要に迫られて仕方なく……千里が見てる、笑いながら、勝ち誇って。
 「感じちゃってます?すごく」
 「うるせえ……」
 ダメだ、届かない、掻き出せない。
 指が根元まで沈む。
 片手を壁に付き、もう片方の手を後ろに回し、二本指で窄まりをかきまぜる。
 自分のケツに指突っ込んでる現実に打ちのめされ打ちひしがれる。
 筆舌尽くしがたい屈辱、羞恥。 
 トイレの壁だということも忘れ額を擦りつける。
 腕をねじって後ろの窄まりに指を突っ込み鉤字に曲げる、長さが足りない、掻き出せない。
 「イきてぇ……もう……」
 上の空で口走り、愕然とする。
 千里が満面に邪悪な笑みを広げる。
 「ぼく、もう戻らなきゃ。ひとりで頑張ってください」
 「……千里……」
 「じゃあ」
 「行くな、千里、もどれっ!!」
 身を翻す千里、ドアノブを掴み開け放とうとする、大声を出す。
 ドアを後ろ手に閉ざし、待つ。
 ゆっくりと二回深呼吸し、諦めに達して目を瞑る。
 「………掻き出してくれ」
 「何を?どういう状態かちゃんと説明してくれなきゃわからないです」
 どうしてこんな事に。
 俺が何したんだよ。
 なんで俺なんだよ。
 壁に身をもたせ、腕で顔を隠し、上擦る息のはざまから途切れ途切れに説明する。
 「……腹、苦し……中、入りっぱなしで、さっきからずっと体がぞくぞくして、やまなくて、前熱くて、どろどろで。後ろ、奥、ケツん中、ローターがずっと震えっぱなしで、お前が弱くしたり強くしたりするせいで、頭おかしくなっちまう……頼むから、これ、抜いてくれ。膝、感覚ねえ……中も痺れて……なんか、ヘンで、ずっと唸ってて、空耳聞こえて、頭ン中で蚊が飛び回ってるみたいで」 
 「説明が下手だな、先輩は。さっきはかっこよかったのに」 
 「仕事とプライベートは別……」
 気取った足取りでもどってきて、俺の腰を抱き寄せ、再び壁に手を付かせる。
 「!あっあっあ、」
 声と腰に弾みがつく。窄まりに突っ込んだ指をさらに奥へ奥へと挿入し、今だ振動中のローターを器用に掻き出していく。
 入り口近くまで移動したローターを円を描くように動かす。
 「う……ひと思いに抜け……」
 「ごめんなさいは?」
 「言、たくね……だってあれはお前が、写メなんか撮るから、あんなもん携帯にいれたまんま、脅迫のネタにして……っ、お前が言ってることやってることむちゃくちゃだ、俺が好きだとか嘘だろ、好きなら何でこんな……わけわかんねえ、男同士で……いや、男同士なのは横においとくとしても、お前は好きな相手にローター突っ込んで、我慢する様見ンの楽しいのかよ……ド腐れ外道のド変態が」
 「そうです。ド変態です。だから……先輩が謝ってくれないと、もっと酷いことしちゃいますよ」
 「何、」
 「ローター突っ込んだままぼくのを入れるとか。コードレスだからほんとにとれなくなっちゃうかも」
 耳の裏側で愉悦に満ちて囁く。俺の前に手を回し、優しく抱きしめる。
 シャツの前をはだけ、前を包む。ローターは入り口近くで鈍い音を発し、その上から千里がモノを押し付ける。
 「やめ……ろ……」
 怖え。理屈じゃねえ。本能的な拒絶反応を示す。
 「顔青いですよ。怖いですか。想像しちゃったかな。ああ、でもすっごく気持ちいんですよ、びりびり震えるローターの上から突っ込まれて揺さぶられるの。意識が飛んじゃうくらい。先輩だってさんざんじらされて我慢できないんじゃないですか。ドロドロのぐちゃぐちゃで、前からしずく滴らせて……凄いな、会社でこんな……恥ずかしくないんですか?仕事する場所ですよね?」
 「ここはトイレだ……」
 「会議中、ずっともぞついてたじゃないですか。机の下で股間固くしてたくせに。みんなに見られて顔赤くしてた」
 「お前が……お前のせいで……」
 「変態」
 ゆるゆると、前をしごかれる。
 鈴口ににじむ先走りを指でのばし塗りこめ、根元から先端へとやすりがけるように勃ちあがった陰茎をしごく。
 ようやく求めていた刺激を与えられねだるように腰が弾む、亀頭の下の括れに指を巻き糸引くまで擦り合わせる。
 「はあっ……ふ、ぅあ……やめ、さわんな……そこいいから、はやくうしろ、入ってんの、抜けよ!!」
 前と後ろを同時になぶられじらされ、忍耐力が焼き切れそうで、叫ぶ。
 こいつ本気かよ、信じらんねえ、やる気か、ほんとにローターの上から突っ込む気か?熱い肉の塊が入り口付近をゆるゆるなぞる、先端部分がめりこむ、ローターを押し戻す。スイッチが入る―また―何度目だ?波が来る、襲う、下半身が痺れて膝がくじけへたりこむ。
 「千里、も、……イきて………イかせて……」
 「イきたい?先輩今そう言いました?」
 「る、かった……もう見ない、さわんねえ、昨日のは出来心で……はっ、だってお前が不用心にだしっぱなし、机の上ほったらかしとくから……教育的指導で……」
 「言い訳はいいから。どうしたいんですか。ローターでいきたいのか、僕のでいきたいのか、両方一緒がいいのか……はっきりしてください」
 ローターが発した震えが脊柱にそって入りこみ、首の裏の皮膚を通って、脳天まで突き抜ける。
 言え。言っちまえ。
 言えばらくになれる解放される、理性が蒸発霧散する、イきたくてイきたくてどうかしそうだ、もうすでに先走りに混じっていくらか漏れてる。
 千里。
 くそむかつく。
 答えなんかわかりきってるくせに。
 「いれてくれ……」
 「どっちを?」
 「お前を……」
 「ぼくの、なにを?指ですか、舌ですか、それとも……」
 「お前の……それ、今俺のケツをなぞってる……入り口つついてる……固いの……」
 「ローターでさんざんかきまわされてぐちゃぐちゃなのに物足りないんですか。栓してほしいんですね?欲張りだなあ」
 もう帰りてえ。
 羞恥で頭がふやけて働かない。
 あっさりとローターが引き抜かれる。
 全身が弛緩し、その場にぐったり座りこみそうになれば、千里が代わっておのれをあてがう。
 「!?――――っああああああ!」
 「息抜いて、先輩」
 無理矢理押し広げられる感覚。ローターよりもっとでかい、生き物みたいに熱く脈打つ肉が、一気に押し込まれる。
 「……やっぱり、中すごく熱い……体温上がってる……」
 「誰のせいでこんな……お前のせいだろ、変態……ヘンなもん突っ込んだまま、すっげえ恥かいた……」
 「ごめんなさい。やりすぎました。……その、先輩いじめるのが楽しくて。ちがう、気持ちいいのと悪いの必死に我慢する先輩が面白くて」
 「今の訂正の意味ねえよ!?スーツも皺くちゃで……汗くせえし……どんな顔して戻ればいいかわかんねーよ、全部お前のせいで……」
 慣らされていてもやっぱキツイ。
 千里がリズミカルに動く。
 俺の動きに合わせ腰を使う。
 前をしごく手も動く、加速する、抜き差しされるたび快感が加速して派手な喘ぎ声を上げる。
 「俺が、出世街道はずれたら、責任とれよ!?今日の会議、重要なターニングポイントだったかもしれねえのに、はっ、ああっあっあ!」
 千里の熱と鼓動と息遣いを感じる、体の中に直接流れこむ。
 ローターの無機質な振動とは違う、肉と熱ですみずみまで充たされ満ち足りていく感覚。
 「責任、とりますから、ちゃんと」
 余裕を失い始めた声で千里が囁く、壁と向き合う俺の位置から顔は見えない、腰使いが速く激しくなる、追い上げられる。
 イく、
 「------ッああああああああああっあああああ!!」
 イった。
 千里の手の中に連続で精を吐き出す、さんざん嬲られた後ろがひくつく。
 喉が仰け反る、背中がしなる、壁に両手を付きずるずるとへたりこむ。
 消臭剤の匂いがしみた壁にもたれ、焦点のぼやけ始めた目で、後ろに立つ影を仰ぐ。
 「……やっぱり大嫌いだ、お前なんか……死んっ、じまえ……」
 それを最後にプッツリ意識が途切れた。
[newpage]
 久住が気絶したあと、個室に取り残された千里は苦笑して首を振る。
 「………だらしないなあ先輩。下半身だしたまま寝ちゃって……風邪ひきますよ?」
 答えはない。久住は寝ている。
 壁によりかかって、脱力した四肢を放り出し、精液で汚れた下半身を晒したまま、気を失っている。
 「………やりすぎちゃったか、また」
 どうも僕は手加減が下手だ。
 気絶するまで追い詰めるつもりはなかったのに、と少し反省。
 久住の体内から引っ張り出したローターを便器の蓋の上におき、てきぱきと後始末にとりかかる。
 ハンカチを出し、内腿にかかった白濁を丁寧に拭う。萎れた股間は特に重点的に。
 トイレットペーパーを切り取り、窄まりの奥にたまったものを掻きだして受け止め、便器に捨てて流す。
 久住はしばらく起きそうにない。寝かせといてあげよう。
 下着とズボンをはかせる。ベルトを通すのは諦めた。座り込んだ人間を相手にそれをするのは大変だし、金具のふれあう音で起きてしまったら困る。
 一通り後始末を終え、久住とは反対側の壁にもたれかかる。
 「ふう」
 会議は順調に進んでるだろうか。
 時間を確認するため背広をさぐり、携帯をとりだし、フラップを開く。
 そして、今回の「お仕置き」の発端となった出来事を思い出す。
 「………………」
 だらりと手足を投げ出した久住を一瞥、携帯の液晶に目を戻す。
 ボタンを操作し、保存してある写メの一枚を呼び出す。
 一ヶ月前、久住を強姦したあの夜撮ったうちの一枚。そして、もっともお気に入りの一枚。
 それは後ろ手縛られた久住が千里の手でしごかれ屈辱に顔染める画でも、シャツの前を赤裸々にはだけてそっぽを向く画でも、強気な目に涙をためて正面を睨みつけるS心をくすぐる画でもなく。
 「……………レアだもんなあ」
 カシャリ。
 千里が携帯に呼び出したのは、ただ単に、眠りこける久住の顔。
 安らかで、間抜けな寝顔。
 眉間の皺は伸びてなくなり、床につけた側の頬は少し潰れている。
 口元はだらしなくゆるみ、今にもよだれがたれそうだ。
 可愛いなと、掛け値なしにそう思ってしまう。見ているだけでにやけてしまう。 
 昨日、久住が自分の携帯を勝手にチェックしてる現場に遭遇し、少なからず動揺した。
 脅迫材料の写メを消されるのは勿論の事、いや、それより何よりも一番心配だったのは、消された写メの中にこれが含まれてないかということ。
 千里の危惧は杞憂で終わった。久住の計画は未遂で終わった。
 「だって先輩、ぼくの前でこんな顔、してくれないもんな……」
 少しだけ、哀しげに呟く。
 久住はいつも怒ったような顔つきをしている。千里に対しては特にそうだ。笑いかけてくれる事なんかめったにない。久住が自分をどう思ってるか、千里だって、わかる。正しく理解してる。
 潔癖な久住は、千里を決して好きになりはしないだろう。
 薬を飲ませ後ろ手に縛り写メを撮り、さんざん自分を嬲りものにした人間を、決して許しはしないだろう。
 だから。久住が本当の意味で笑いかけてくれることなんかもうないんじゃないかと、千里はなかば諦めている。
 自業自得だ。
 僕には悔やむ資格もない。
 久住とこの先ずっと関係が続くなら。久住の体も心も束縛できるなら、久住が好きになってくれなくたって、諦めがつく。
 笑いかけてくれなくても、
 心を許してくれなくても。
 「先輩はお人よしだから、あの時、屋上では許したふりをしてくれたけど。ホントは僕なんか好きじゃないって知ってますよ。卑怯ですもんね」
 強姦魔だから、僕は。
 先輩の言うとおり卑劣な人間だから。
 僕から逃げようとした先輩が許せなかった。勝手に関係を解消しようとした。そんなのは建前で、本当はもっと子供っぽい理由で怒って、それはきっと先輩がぼくの宝物を消そうとしたからで、宝物はあの夜、一ヶ月前、先輩が気絶中に撮った写メで。
 現実の先輩がどれだけぼくを憎んで嫌って軽蔑しても、今液晶に映る先輩は、こうしてふやけきった寝顔を見せてくれる。
 許されてるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる無防備な寝顔。
 まるで免罪符。 
 無言で携帯を掲げ、カシャリと一枚。
 足音を消して慎重に歩み寄り、うなだれた久住の顔を注意深く起こし、カシャリともう一枚。
 「………寝顔は子供っぽいんだよなあ、この人」
 苦笑し、正面に屈み込む。
 規則正しい寝息をたてる久住の頭にそっと手をおく。
 「ごめんなさい」
 返事はないのを承知で、謝罪する。
 誠実に。
 ありったけの心をこめて。
 「でも、放しません。ずっとそばにいてください」
 心が縛れないなら、体だけでいい。体だけでも自分の物にしたい。
 ぼくは愛情表現がへただな、と思う。
 強姦から始まった関係を恋と呼ぶのはどう考えてもずうずうしくて、恋と呼べばきっと気に障るだろうし、だからこの感情をどう名付けたらいいかわからない。
 寝顔を見てるだけで幸せと罪悪感で胸が詰まって、苦しくなるこの感じを。
 「好きって伝えるやりからがよくわからなくて、ごめんなさい」
 言葉で?行動で?態度で?
 わからないんだ。
 最悪の夜から始まった、恋とも呼べない恋だから。
 最低の夜から始まった、ひどく一方的で自己満足な感情だから。
 携帯を懐にしまい、こんな時しか許されないやりかたで、じっくりと心ゆくまで久住の寝顔を見詰める。
 そのうち見詰めるだけじゃ飽き足らなくなり、起こさないように気を付けて、息遣いさえひそめて
 
 唇を重ねる。
 先端がふれるだけの、ひどく謙虚なキス。

 相手が寝ている時しかちゃんとキスできない自分は腰抜けだなと、千里は泣いてるように笑う。
 
 千里に翻弄される久住の受難の日々。
 されどそれは久住だけか?
 久住が好きで好きでたまらないくせに、正面からキスする資格もないと自分を蔑み嘲って、想いを伝える事さえできない千里の受難の日々ではないか。
 
 素直になれない先輩と素直になれない後輩の受難の日々は続く。
 前途多難。
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