リーマン×リーマン

まさみ

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五話

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 廊下に硬質な靴音が響く。
 「!」
 タイミングの神様って実在したんだ。
 安堵で涙腺がゆるんで視界が曇る。
 忘れ物を取りに来た同僚か見回りの警備員か知らねえが今この絶体絶命危機一髪のタイミングで扉を開けてくれるなら感謝感激胴に抱き付く。地獄に仏、ぜひともくるおしく拝ませてくれ。
 「だれだか知らねえがいいとこ来た、さっそくこの変態を逮捕……!」
 背後から口を塞がれる。
 「むがっ!?」 
 指の隙間から熱い吐息と一緒に抗議の呻きが漏れる。
 「しーっ」
 耳朶に息がかかる。
 千里がいた。
 俺の背中に密着し、片手でしっかり口を塞ぎ、机の下に転がり込む。
 俺?もちろん逆らった、抵抗したさ。ネクタイで縛られて身動きできないのを承知で精一杯暴れた、千里の抱擁を脱しようと身をよじるも試した甲斐なく無駄だった。哀しいかな、体力を浪費しただけ。
 千里と縺れ合って机の下に転がり込むと同時にドアが開き、靴音が入ってくる。
 「あれ。しょうがないなあ、電気点けっぱなしで帰っちゃったのか」
 あきれた声がする。
 警備員だ。定時の見回りにきたらしい。
 チャンス。
 「むーっ、ふぐ、むぐふぐうー―ーっ!!」
 叫ぶ、必死に叫ぶ。頼む気付いてくれと死に物狂いに念波をとばす。口ふさがれてたんじゃ意味ねえ。薄い手のひらが口を塞ぐ。野郎、窒息させようって魂胆か?
 手のひらで圧迫された口からくぐもった声が漏れる。
 待て、いくな。
 警備員さん気付いてくれ、あんたに見捨てられたらおしまいだ、変態の毒牙にかかっちまう。
 靴音の響き方から推測するに、まだだいぶ距離がある。
 俺と千里が隠れたのはオフィスの最奥の課長の机。警備員はまだ入り口付近をうろついてる……ったくなにちんたらやってんだよ、こっちは貞操の危機なんだぞ!と罵倒したくなる衝動を大人の分別となけなしの理性でぐっと堪える。
 警備員のとろくささに苛立つ俺の耳の裏側で、千里が舌を打つ。
 「タイミング悪いな。いい所だったのに……」
 ざまみろ。悔しがる千里に痛快な優越感を覚える。
 こいつの屈辱に歪む顔が見れねえのが残念。俺の背中にひっついた千里が今どんな顔してるか想像するだけで笑いの発作が襲う。腹筋をひくつかせ笑う俺に気付き、千里がむっとする。
 「楽しそうですね、先輩」
 手のひらの圧迫がゆるみ、若干発声の余裕ができる。
 ここですぐさま大声あげりゃよかったのにまたしても選択を間違えた。とことん俺は馬鹿だ。
 「楽しいに決まってんだろ、自業自得のお前に身の破滅が迫ってるんだから。笑わずにいられっか」
 千里に対し勝利を確信、逆転の爽快感から、舌の滑りがよくなっていた。
 すぐ調子に乗るのは俺の悪い癖だ。この悪癖が原因でこれまで度々ピンチに陥ってきたのに一向に治らねえ。俺は頭にのった。人に栄養ドリンクと騙して睡眠薬飲ませ後ろ手に縛って抵抗封じた上にさんざんおちょくってくれた千里、恋人以外に触らせたことねえ場所をさんざんいじくって恥ずかしい台詞吐いてプライドをぎったんぎったんにしてくれた憎っくき後輩に対し、復讐心が芽生える。
 口角を吊り上げ、せいぜい意地悪な表情を作ってやる。
 「残念だったな、千里。悪巧みもここまでだ。俺が叫べばお前はおしまい、明日にゃ会社をクビで路頭に迷ってファーストフードでバイトだ。スマイル0円なら買ってやるぜ、可愛い元後輩に募金だよ。ああ優しい俺」
 「勝手に僕の将来設計たてないでくださいよ」
 「負け惜しみか?警備員がドア開けたときからカウントダウン始まってるんだよ、いいかげん気付けよ。二十歩、十五歩、十歩……ほら」
 俺の指摘どおり靴音が接近する。
 懐中電灯の光が書類の積もった机上を薙ぎ払い、床に丸い輪っかを落とす。
 じきに警備員がやってくる。課長の机の下に隠れた俺たちを見付け出す。したら千里もおしまい、即逮捕。晴れて俺は悪夢の一夜から解放とあいなる。くだらねー茶番に付き合わされ心身ともにぐったりした。たった一晩で消耗度合いが半端ねえ。でも、もうすぐ終わる。今日の事はきれいさっぱり忘れる。千里がどうなろうが知ったことか。オフィスで強姦未遂働いた性悪ホモとして糾弾されようが放逐されようが関係ねえ、俺は無辜の被害者だ。千里が路頭に迷っても俺のせいじゃ……
 『全然わかってないじゃないか』
 千里の声が耳の奥に甦る。
 辟易した表情に一抹の悲哀をまぶし、這い蹲った俺を見下ろす。
 わかってないって、なんだよ。何がわかってないんだよ?
 理解不能の言葉を思い出し、その真意がいまさら気にかかる。
 ぐだぐだ堂々巡りする思考に蹴りをつけ、肩で這って前に出る。
 「はやっー!?」
 体をくの字に折り曲げる。
 千里がこれ幸いしめしめと俺の前をまさぐってやがる。
 片手で俺の口を塞ぎ、もう片方の手を股間に回し。
 さっき出した白濁をすりこむように、萎えた前をいじくってる。
 「先輩こそ。冷静なようで、ぜんぜん冷静じゃないんだから。状況を俯瞰したら、先輩が被るダメージだって十分大きいですよ」
 「んっ………ふぐっ……」
 手のひらに圧迫され、声が篭もる。俺の吐息で千里の指が湿る。
 密着した背中に体温を感じる。 
 シャツ越しに感じるスーツのざらつきに背中が鳥肌立つ。
 間接が許す限り体をひねり、不自然な体勢で後ろを向き、煮え滾る目で千里を睨む。
 千里が何故か頬を赤らめ、責めるように俺を見る。
 「潤んだ上目で睨まないでくださいよ。興奮しちゃうじゃないですか」
 しまった、逆効果か。
 俺は馬鹿だ。
 千里が手をゆるめた瞬間声をあげてりゃよかった、くだらねー逡巡ふりきって警備員に助けを求めりゃよかった。
 ああよかった助かったと、余裕ぶちかましたツケが回ってきた。
 現に今、俺の腰に固いものが当たってる。千里が興奮してるのは事実らしい。
 俺の太股に勃起した自身を擦り付け、前に回した手で股間をいじくり倒し、千里が言う。
 「この現場を見られて困るの、むしろ先輩ですよ。警備員さん、どう思うかな。ふたりして机の下に隠れていちゃついてるって、誤解しますよ」
 「ふざ、けたこと、ぬかすな……この状況のどこがっ、合意に見えるんだよっ……!?」
 「警備員の位置から縛られた手は見えない。ぼくたちは後背位でぴったり密着してる。たぶん、こう思いますね。残業中の男二人が、他に誰もいないのをいいことに、机の下に隠れて慰めあってるって。で、どうなるかって?見て見ぬふりで回れ右です。試しに声、出してみたらいいじゃないですか」
 千里が意地悪く促す。
 言われなくても。
 貞操とプライドを秤にかけたら、指針がガッチャンと貞操に傾く。
 見てろよ千里、調子のってられんのも今のうち。
 俺が一声上げれば警備員にボコられた上強姦魔の烙印おされて会社を追放……
 「!ーあ、」
 開きかけた口を即閉ざす。
 股間を揉む手が粘着さを増し、鈴口を指先でくすぐる。
 「どうしたんです?さあ、どうぞ」
 「くっ………」
 「途中で喘ぎ声に変わっちゃうかもしれないけど。背に腹は変えられないでしょ?」
 ……ぶん殴りてえ。
 声を上げようと口を開くタイミングに乗じ、前を掴んだ手が意地悪く動き、快感を導く。
 膝をもぞつかせ、体を二つに折る。
 床を這って逃げようとするも、千里が背中にぴたり覆いかぶさってくる。
 声さえ上げれば。警備員は、気付く。しかし。
 「……ふ………ぐっ………ぅう……」
 「大きな声出さなきゃ聞こえませんよ」
 よく言うよ、てめぇでふさいどいて。
 千里に口をふさがれ、股間をまさぐられながら、聴覚を研ぎ澄まして靴音を追う。
 単調な靴音が室内に反響する。
 懐中電灯の光が床に伸びる。
 机上に放置したパソコンから青白い光が放たれ、千里の顔を照らす。
 パソコンの無機質な唸り、徐徐に大きくなる靴音、性急に弾む息遣い、しめやかな衣擦れの音。 
 それらが一緒くたにまじりあい、上気した耳朶をちくちく突き刺す。
 「警備員さんにも僕にいじくられて半勃ちの先輩見せてあげましょうか」
 耳の裏側に落ちた千里の呟きが恥辱を煽り、馬乗りに組み敷かれた体がカッと熱くなる。
 指の動きが理性を散らす。
 靴音に向けようとした注意がそれ、千里の指で轡をされた口元から熱い吐息が零れる。
 巧みな指遣いで男の部分を愛撫され性感を刺激され、半勃ちになる。
 来るな。いや、来い。いや、待て、来るな、来ないでくれ……どっちだ?
 脂汗を垂れ流し葛藤する俺をよそに、靴音はマイペースに近付いてくる。
 「どっちにしろ、後輩に嵌められたなんて情けないですよね」
 千里が小声で囁く。
 俺の股間にあてた手を巧妙に動かし、絶妙な緩急つけて半勃ちの前をしごく。
 「ぼくはまだ入社半年だけど、先輩は二年も会社にいる。同僚や部下には無愛想でとっつきにくいって怖がられてる。そんなデキる先輩がふけば飛ぶような新人にレイプされたなんて知ったら、評判ガタ落ちです。みんなこう思いますね、『久住さんていばってるけど千里なんかにやられちゃうほど頼りなかったんだ』『幻滅』『後輩の下克上許しちゃうなんて』『そんな人の下で働きたくない』って」
 千里の言葉が、ひとつひとつ鈍器となって心を打ち砕く。
 俺は。
 会社では、デキる男で通っていた。
 とぎたてナイフさながら切れる男として、一定の評価を得ていた。
 生来の無愛想と、眼鏡でもごまかしきれねえ目つきの悪さが原因で部下や同僚には敬遠され親しく飲みに誘われることもなかったが、仕事ぶりはそれなりに認められていた。口と態度は悪いが、仕事面に限って言えば頼れる先輩として一目おかれてた自負がある。
 「明日から皆がどんな目で久住さんを見るか、楽しみです」
 「先輩」じゃなく、「久住さん」と言った。
 まるで先輩と呼ぶ価値がないとばかりに。
 「ぼくに色々されちゃったことがばれて失うものが多いのは久住さんの方です。みんな幻滅するでしょうね。駿河さんだって」
 安子の顔が脳裏に浮かぶ。
 この状況で、一番見たくない女の顔。
 『ズミっち、千里くんにヤられちゃったってほんと?うわ、ホントなんだ!情けな~い。千里くんズミっちより背え低いし優しくて可愛い顔してるのに、ズミっち縛られて言うなりになっちゃったんでしょ?二年も先輩なのに、かっこ悪~い。あーあ、元彼が男にレイプされちゃうなんて安子超ショック。別れてよかった~』
 同僚の陰口が聞こえる。部下が幻滅の顔を並べる。上司が苦りきった顔をする。
 好奇と嫌悪と失笑が入り混じった視線の集中砲火。
 お茶汲みがてらちらちらこっちを見る女子社員ども。
 俺を避ける同僚。
 久住さんて男にしごかれてイッたんだろ?変態じゃん。しかも会社で。オフィスで。
 言い訳は通らねえ。千里にレイプされたのは事実だ。千里の手でさんざんいじくられて生理的に達しちまったのは、否定しようねえ事実。俺には陰口叩かれるだけの弱みがある。被害者か加害者かは関係ねえ、無理矢理だろうが強姦だろうが……勃っちまったんだ。 
 最悪。
 こんなことになるなら、昨日ぬいときゃよかった。
 「もし先輩が今まで築き上げた会社での地位をかなぐり捨てても貞操守りたいっていうなら、お好きにどうぞ」
 保身にプライドを上乗せし、貞操と秤にかける。危うい均衡を維持し、秤が中立を守る。
 声を出せば、助かる。
 今だけは助かる。
 でも、その後は?明日からどうなるんだよ。針のむしろで働けるか?
 定年まで勤め上げようって会社で、白眼視に耐えていけるか? 
 「見かけによらず会社に愛着ある、責任感の強い久住さんには辛い選択ですね」
 また「久住さん」ときた。いやみったらしいちゃねえ。
 「耐えるは一時の恥、叫ぶは一生の恥。よく考えてください」
 俺が黙ってれば、ここだけの話ですむ。千里とのあいだにあったことは、まわりの連中に知られずにすむ。
 警備員にばれたら。同僚にばれたら。上司にばれたら。最終的に、身内に行き着く?
 安子にも。
 「…………ッ………、」
 同僚の白眼視は耐えられても、惚れた女の軽蔑は、身を切るように辛い。
 苦悩する俺の背にのしかかり、千里がごそごそやりだす。
 靴音がすぐそこまで来る。叫ぶなら今だ、今しかねえ。
 とまれ、気付けと切実に念じる。その一方、はやく行ってくれと心が急く。
 床を叩く靴音がささくれた神経に障る。はだけたシャツの下で心臓が暴れ、靴音の高まりに比例して鼓動が高鳴る。
 「誰もいませんか……いませんよね」
 念のため確認してみたというおざなりな声とともに、懐中電灯の光が過ぎ去っていく。
 俺たちが隠れた机の上を、懐中電灯の光が照らす。
 生きた心地がしねえ。
 机の下は男ふたりが隠れるにゃ窮屈で、ちょっともぞつくだけで、体のそこかしこが千里とぶつかりあう。
 むさ苦しく暑苦しい空間にふたりっきり、おまけに口をぴっちりふさがれ酸欠に陥りそうだ。
 机の下の暗がりに身を寄せた俺は、警備員の間延びした声を聞く。
 「あーあ、机の上散らかしたまま帰っちゃって……だらしないなあ」
 警備員がのどかにぼやき、懐中電灯を惰性で操作し、机上に山積みになった書類を照らす。
 前の床を光の帯が掠めるたび、心臓が跳ね、足をひっこめる。
 背後の千里は相変わらずごそごそやってる。
 片手で俺の口をふさぎ、片手で自分の背広をさぐる。
 何してやがんだ?
 目だけ動かして後ろを探り、ぎょっとする。 
 千里が何か、手に持ってる。ゴム容器の中に入った、透明なジェル状のもの……あれは。
 蓋を開け、容器の中身を手のひらにあけてのばす。
 「んぐぅぐっ!?」
 とろりとした光沢を放ち、指の間で粘着な糸引くそれを見せびらかし、おもむろに下着に手を突っ込む。
 ちぎれんばかりに首を振り、自由な足で蹴とばすも、たちどころに押さえ込まれる。
 机の向こうを警備員が徘徊してる。
 そのほんの1メートルこっちじゃ、机の下に隠れた千里が、俺の下着に手を突っ込み、後ろをまさぐってやがる。
 ジェルで濡れた手がひやりとした感触を与える。
 前は半勃ちで放置し、ジェルをたっぷり付けた手を後ろに添え、隠れた窄まりを探る。
 唐突に口から手がはずれ、呼吸がらくになる。
 「ーはっ………」
 酸素を貪りながら突っ伏せば、非情な手が腰を掴み、強制的に引き上げる。
 「おまっ…………」
 「声。気付かれますよ」
 硬質な床に額を付け、掠れた声を絞る。
 ジェルでぬめる手が排泄用の窄まりを探り当て、ゆっくりと円を描く。
 猛烈な吐き気に襲われ、切れるほど唇を噛む。胃袋にでっかいしこりができた気分。男の手で前をいじくられた時は屈辱が勝ったが、今は生理的な気持ち悪さが上回る。
 千里は、正気か?
 机を隔てたほんの1メートル向こうを警備員が徘徊してるのに、こんな……いかれてる。
 下着にもぐった手が不気味に蠢き、窄まりに人さし指を突きたてる。
 「!!痛ぁッ、」
 音速の激痛が脳天まで貫く。
 靴音がやむ。
 「今、声が……」
 まずい。
 全身に冷や汗が流れ、心臓が跳ねる。
 尻をいじくられる気持ち悪さにも増して、現場を見られる懸念と羞恥が強まる。
 声を出せない代わりに必死に首振りたくり行為の中断を訴える。
 「…………気のせいか?」
 そうだ、気のせいだ。わかったら、とっとと行ってくれ。
 込み上げる声を噛み殺す俺には構わず、潤滑油に塗れた指が窄まりにさしこまれる。
 ゆるりと内壁をこすり、指が出し入れされる。
 「………ふ……………ッく……」
 指一本でも、きつい。
 涙がでるほど、痛え。
 前のめりに突っ伏し、漏れ出る呻きを噛み殺す。
 排泄にしか使ってない器官に指を出し入れされ、胃が固くしこる。
 括約筋が抵抗するも、圧迫を破ってねじこまれた指により、次第に中からほぐされていく。
 くちゃりと孔を拡張し、指が二本に増える。
 人さし指と中指が体内で蠢くのを感じる。
 入り口を掻きだすように、次はもっと深く突き立てられ、痛みに体が反る。
 潤滑油ですべりをよくした指は、思ったよりもあっけなく、中へと飲み込まれた。
 俺は今、何されてる。後輩に、千里に。尻に指突っ込まれて、床に突っ伏して泣き声を殺してる。気色悪いジェルか……ローションか……何かわからねえが、とりあえず、てらてらした妙な潤滑剤をたっぷり使われて、そこを指でほぐされている。 
 屈辱と羞恥と怒りと生理的な気持ち悪さとで体が震える。 
 顎先から汗が滴る。
 背中が撓る。
 眼鏡がずれ、視界の軸が歪む。
 声は出せない。出せば気付かれる。
 どっちに転んでも最悪な生き地獄。
 『痛いですか?……ちゃんとぬらしたんだけどな。処女じゃしかたないか』 
 痛いに決まってるだろ。あと、処女とかいうな。
 言い返そうにも、腹筋が変な具合に引き攣れて声が出ない。呼吸さえ満足にできない。
 くちゃくちゃ悪夢のような音がする。
 指が鉤字に曲がる。
 上体を支える肩から倒れこみそうになる。
 「ーッあ……は………ち、さと……やめ……」
 脂汗がしとどに流れ込み、目がかすむ。
 酸素を欲して薄く開閉した唇から、息も絶え絶えに哀願が迸る。
 この音を、この声を。
 警備員に聞きとがめられたらと考えると、気が気じゃねえ。
 力なく首振るも押しのける体力さえ既に使い果たし、二本指が律動的に抜きさしされるに任せる。
 体に変化が起こる。
 最初は痛く持ち悪いだけだったが、ジェルを捏ねる卑猥な水音とともに二本指を緩急付け出し入れされるうち、息が上擦り始める。
 「!!ッ、く」
 脊髄に電流が走ったような衝撃。
 体の奥、前立腺のしこりに指が触れる。
 前をさわられるのとはまた違う、中から巻き起こる激烈な快感に下肢が跳ねる。 
 前立腺への刺激はたびたび繰り返され、一際感度の鋭いしこりを指がマッサージするたび、仰け反る喉から千里を勘違いさせる声が漏れる。 
 膝に絡むズボンを蹴り、床を這いずって逃げようとするも、千里はどこまでも追ってくる。
 ちょっと身をよじるだけで突っ込まれた指の角度が変わり、鋭い性感が芽生えるため、逃走は断念せざるえない。
 「あ」
 背筋が凍る。
 気付かれた、か?
 「パソコン点けっぱなしだ」
 脱力。
 作業途中でスクリーンセーバーがかかったパソコンを見咎めた警備員が、そっちに歩を向けたのが、靴音の変化でわかる。
 待て。
 まずい。
 「待て待て待て、そのパソコンはっ……!!」
 ケツに指突っ込まれてるのも忘れ制止の声を上げかけるも、時すでに遅し。
 親切心から俺の机に歩み寄った警備員が、パソコンの電源を落とし、画面が真っ暗闇に飲み込まれる。
 …………データ消滅。
 「……………………ははははははは」
 今初めて気付いた。
 人間、絶望通り越すと笑えてくるんだ。
 棒読みの笑い声を上げる。もう涙も出ない。涙腺も枯渇した。乾燥した無表情で俯く。今夜は踏んだり蹴ったり突っ込まれたり、だ。
 三段オチかよ?
 オチなくていいから、たった今世を儚んで消えた俺のデータを返してくれ。
 「あ、こっちも点けっぱなしだ。この課の人はまったくどうしようも……」
 ふいに千里が立ち上がる。
 「大人しくしててくださいね、先輩。……大丈夫だとはおもうけど、念のため」
 しゅるりと布擦れの音。
 手際よくネクタイを抜いた千里が、何すると目を剥く俺に猿轡をかます。
 乾いた布の味が口に広がる。
 「んむぶふっ!?」
 割られた唇の間から呻きを発するも、千里は俺の首の後ろで結び目を作るや、さっさと外へ出て行く。
 「すいません、それぼくです」
 快活に名乗りを上げる。警備員が驚く。
 「うわ、びっくりした!人いたのか。あんたどっから湧いたの?」
 「そこの机の下です。消しゴムさがしてて……警備員さん来たのは気付いたんだけど、出てくタイミング逃しちゃって」
 好感度満点のシャイな新入社員を演じ、疑問の矛先をそらす。
 「残業中なんです。あと一時間で終わるから、待っててくれますか」
 「こっちのパソコンはいいの?消しちゃったけど、だれか使ってたんじゃないの?」
 「あ、それ先輩のです。消しちゃって大丈夫です、帰ったから。先輩ドジだからパソコン消し忘れて行っちゃったんですよ」
 誰がドジだ消し忘れただお前が緊縛して机の下に蹴りこんだんだろこの極悪人。死ね。
 二人が和気藹々話してる間、机の下に放置プレイされた俺は、屈辱と一緒にネクタイを噛み締める。
 ネクタイに唾液が染みる。
 割られた唇の間から獣じみた唸りを発する。
 「じゃ、そういうことで。ご迷惑おかけします」
 「いえいえ。しかし薄情な先輩だね、可愛い後輩に残業押し付けてとっとと帰っちゃうなんてばちがあたるよ」
 あたってるよ現行形で。
 ドアが閉まる。警備員が立ち去る。靴音が遠ざかっていく。
 靴音が戻ってくる。
 机を回り込み、頭上に影がさす。
 再び現れた千里がしゃがみこみ、猿轡を外す。
 「ぶはっ!!」
 息を吹き返す。
 「おま、え、千里、殺す気か!?酸欠で死ぬとこだったよ!!後ろ手縛って色々しただけじゃ飽き足らず猿轡までこの変態、今確信したお前は変態だ、変態の中の変態略して変態って元に戻っちまった!?」
 「猿轡しといて正解だった。まだまだ元気ありあまってるし」
 「………殺してやる」
 「前立腺マッサージ初体験?普通、中からさわってもらえませんもんね。初めてのわりには気分出してたけど」
 カッと顔が火照る。
 「ぼくに指突っ込まれて、感じてたじゃないですか。すぐそこに警備員さんがいるのに。気付かれなくてよかったですね」
 「お前……ばれたらどうすんだよ……こんなことして」
 怒りで声が震える。
 「警備員がうろついてるときにわざと……」
 「わざと?なんですか?わざと先輩のペニスをいじくって、わざと後ろに指入れてほぐしたこと、根に持ってるんですか」
 「……ッ、変なもんまで持参して!!」
 「ローションです。女性とちがって自然に濡れないんだから、準備しとかないと」 
 「四次元ポケットかよ!?布面積の割に無限だろ!!」
 「見ます?この日にそなえて選りすぐって用意した先輩を喜ばせるおもちゃが続々出てきますよ」
 洒落に聞こえなかった。
 「……嘘。冗談。いくらぼくだって初めての相手に使いませんよ、トラウマになる。ちゃんと段階踏まないとね」
 『初めての相手には』『段階』とかところどころ不穏当な単語が混じってたが、聞かなかったふりをする。
 俺の顔をまじまじ観察し、千里がうっとり笑う。
 「先輩は怯えた顔も色っぽいなあ。眉をしかめて、細めた目に尖った険を浮かべて、ちょっと拗ねたかんじがたまらない。犯したくなる」
 「変態の寝言はたくさんだ」 
 手首に痛みが走る。
 ネクタイで拘束され続けて腱を痛めたのかもしれない。
 「……お前がくだらない茶番仕掛けたせいで、とんだとばっちりだ。仕事も終わってねーのに……」
 「できてます」
 「え」
 顔を上げる。
 千里を見る。
 課の女どもを悩殺する後光放つエンジェリックスマイル。 
 「先輩の分までちゃんとやってありますよ。ほら」
 千里が顎をしゃくる。
 課長の机から這い出て近寄ってみれば、千里の机の上で、液晶が光り輝いてる。
 「千里……エロいけどエライ!」
 「エロいは余計です」
 我を忘れ憎き敵を称賛する。
 とりあえず、よかった。千里の分のバックアップはとってあった。あとはこれを出力して……
 「ーって、あの、千里くんなにを?」
 千里がパソコンの電源に指をかける。
 「人質です」
 あくまで敬語はくずさずにこやかに。
 脅迫。
 「ち、さと。もちろん、バックアップとってあるんだよな?」
 「先輩次第ですね。もう八割できあがってるんですけど」
 「待て、さわるな!わかったから!変なとこさわんな間違えて削除しちまったらどうする俺の首がすぱっと飛ぶ!」
 「失礼な。確信犯ですよ」
 頭が白紙に戻る。
 俺の顔も多分、空白になってる。
 「データがこの世から消滅するかどうかは僕の指と気分次第、ひるがえって先輩次第です。先輩が反抗的な態度をとるなら僕の指がうっかりすべって削除しちゃう可能性あり、そしたら困るでしょうね。先輩は課長に叱られ出世の道は閉ざされやがて後輩に追い抜かれて……課の皆も困るな、きっと。先輩の尻拭いで、またいちからデータ集めですよ?責任重大です。同期が残業でひぃひぃ言ってるすがた目に浮かぶなあ」 
 千里のふざけた声が、最悪の想像を招く。
 俺の尻拭いに追われて同僚がてんてこまいしてる絵が、鮮明に浮かぶ。
 俺のせいで、課全体に迷惑がかかる。
 呆然とする俺の傍らにひょいとしゃがみ、千里が耳打ちする。
 「先輩と同期の羽鳥さん、今度の週末家族で遊園地だって、楽しみにしてたのになあ。娘さん息子さんの写真見せてもらったけど、可愛かったな。息子さんは三歳で、遊園地初めてだから今からはしゃいじゃって大変だって。萩原さんは週末デートだっけ?遠距離恋愛してる名古屋の彼氏と半年ぶりに予定組んでるんだそうですよ。課長はゴルフだっけ?好きですよね、あの人も。駿河さんはお相手の実家に……」
 「千里」
 「そろそろお腹が目立ち始める頃ですよね。五ヶ月だっけ?今から産休の準備を」
 「千里ッ!!」
 大声を上げる。
 酷薄な視線が下りてくる。
 「わかってくれましたか?」
 ………わかったよ。
 わかったって、言えばいいんだろうが。
 「……バックアップ消されたくなきゃ言うこと聞けと」
 「ご名答」
 頭がおかしい。狂ってやがる。
 俺を跪かせて、言うなりにして。心底楽しげににこにこしてやがる。良心がからっぽの笑み。 
 葛藤に顔が歪む。
 指を突っ込まれた尻がずきずきする。
 ネクタイとの摩擦で剥けた手首がひりひりする。
 別に親しくもねえ同僚の顔が一人ひとり浮かび、週末の予定を俺の尻拭いで潰された奴らの嘆きの表情へと取って代わる。
 『ズミっち、全然気付かなかったよね』
 『安子の話、ちっとも聞いてくれなかったよね』
 安子の詰る声が甦る。
 …………どうでもいい。
 「…………何すりゃいい」
 自暴自棄で吐き捨てる。
 別に、他の連中がどうなろうが関係ねえ。週末を楽しみにしてる連中の予定が潰れようが、どうでもいい。
 ただ。
 俺も一応、会社員の端くれだ。
 けじめくらい、自分で付ける。
 人にケツ拭かせてしれっとしてられるほど、面の皮は厚くねえ。
 「いいだろ。好きにしろよ。ケツに突っ込みたきゃ突っ込めよ。お前の指でこなれて、ちょうどいいあんばいだろうさ。恥ずかしい写メも撮られてるんだ、いまさらだよ。どうせ手も足もでねーし。俺が逆らったら、あれ、会社中にばらまくんだろ」
 「……………」
 「どうだよ、今の気分は。絶好の脅迫材料手に入れて、気分いいか。情けない俺の姿見れて満足か。すごい念の入れようだよな、睡眠薬仕込みの栄養ドリンクもジェルも前々から用意してたのかよ。今夜がチャンスだって?俺とふたりっきりで、他にだれもいなくて、ちょうどいいやって?さっきのあれ、名演技だったな。警備員やってきてもちっとも動じず、俺を押さえ込んで前も後ろもぐちゃぐちゃにいじり倒して、楽しかったろ。笑ってたもんな、お前。しつっこく……ねちっこく……声出せないようにして」
 肉体的な消耗より、精神的な消耗の度合いが激しい。
 千里万里。
 お前が諸悪の根源だ。
 「くそったれ。死んじまえ。半年も同じ空気吸ってたなんて、吐き気がする」
 ぎらつき殺気立つ目つきで千里をにらむ。
 「こんな卑怯者の変態だって知ってたら半径1メートル内に近寄らなかった、徹底的に無視してやった。口もきかなかった。前から嫌いだったんだよ、千里。お前の平和ボケしたツラが、ふざけた笑い顔が、課の連中に愛される人当たりよさが、目障りでしょうがなかった」
 全身の毛穴からどす黒い憎しみの瘴気が噴き出す。
 今まで腹の底にためこんでいた千里への嫌悪感が、罵詈雑言の洪水と化し、怒涛の勢いであふれ出す。
 「先輩先輩黄色いくちばしでうるさくつきまといやがって、迷惑してんのがわかんねーのかよ。社会人なんだからちっとは空気読めよ。自分が会うやつ会うやつみなに愛されると思ったら大間違いだ、俺がいい例だ、初めて会った時から苦労知らずの世渡り上手が気に食わなかったんだよ!ホモだとかゲイだとか関係ねーよささいなことだ、気持ち悪いけど自分が対象にならなきゃどうでもいいよ、それぬきにしても大嫌いだ目障りだ、にこにこ調子よく笑いながら腹の中で人見下して、世間なめくさってるだろ!?」
 千里の表情が漂白される。
 俺を見詰める目に悲痛な色がやどる。
 「先輩、僕は」
 何か言いかけ、さしのべた手を遮り、怒鳴る。
 「さわるな」
 言葉で制しただけじゃきかず、懲りずに手がのびてくる。
 また、口を塞ぐつもりか。
 窒息の恐怖がぶりかえし、咄嗟にその手に噛み付く。
 「―!?ッ、」
 千里が指を押える。
 片膝立ちぺっと唾吐き、眼光で威嚇、牽制。
 「さわるなよ。卑怯が伝染る」
 「………ゲイが伝染るとは言わないんですね」
 切れた指を吸い、千里が苦笑する。
 「ゲイは生まれ付きの嗜好、性癖。卑怯は個人の性格。治す余地あるのに治さねえ後者が悪い」
 「先輩のそういうまっとうなとこ、好きですよ」
 褒められてもまったくもって嬉しかねえ。
 言葉を眼力にかえ忌々しげに睨み付ければ、千里がおもむろに俺の胸ぐらを掴み、顔を引き起こす。
 そのまま俺をひきずって椅子に座り、足を開く。
 「お言葉に甘えて、好きにします」
 片手で俺を押さえたまま、片手でズボンのジッパーをさげ、下着の内からペニスを引っ張り出す。
 顔に似合わずでかいそれと千里の微笑みを見比べ、息を呑む。
 この展開は、まさか。
 椅子をぎしりと軋ませ、傲慢に命令する。
 「フェラチオしてください」
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