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オリンピアは飛んだ
しおりを挟むなんでオリンピアが観覧車から飛んだのかずっとそのことばかり考えている。
いや、落ちた、かな?
落ちたと飛んだじゃ似ているようで全然違う。
落ちるのは重力の法則に殉じた自然現象、飛ぶのは羽ばたく意志。
遊園地の空気は不可視の毒で汚染されている、普通の人間がここに入ったらもがき苦しんで命を落とす。私は大丈夫、人間じゃないから。
オリンピアと最初に出会った時、私はあちこち壊れていた。
肩の外装は剥がれて部品が暴かれ、至る所でバチバチ放電し、右足はびっこひいてた。
自殺?事故?どっちでもない。
白い肌に羽織ったネグリジェはズタズタに引き裂かれて、ご主人様が持ってる本に載ってたロールシャッハテストみたいに返り血が飛び散っていた。
私を壊し損ねてがっかりしたご主人様の顔はよく覚えてる。
「なんで一緒に死んでくれないんだアンナ、お前は俺の××じゃないか!」
最後にご主人様はそう叫んだ。
アンナマリア、それが私の個体識別コード。ご主人様は略してアンナって呼んだ、私の前にいた猫の名前だって。
私はアンナ。ご主人様は……思い出せないのはエラー?
ご主人様のおうちを出てからずっと歩き続けてる。
高級セクサロイドには帰巣本能がインプットされてる、だからもし迷子になってもひとりで帰ってこれるの。だけど私は壊れてるから正常に作動しない。
壊れたら壊れたまんま、ずっと歩いてくしかない。
そうしてびっこをひいて歩いてたら深夜の遊園地に辿り着いた。ご主人様の部屋の窓から恐竜の骨格標本みたいなジェットコースターのレールや巨大な観覧車が見えたのを思い出す。
今はジェットコースターも観覧車も海賊船も闇に沈んでいる。
遊園地の周辺はすっごく静かだった。無人のゲートを通り抜けるとファンシーにデコレイトされたメリーゴーランドやコーヒーカップのアトラクションがでむかえる。どれも動いてない。死んでる……眠ってる?
「あんた迷子?」
声に反応して顔を上げれば綺麗な女の子が立っていた。
腰まである長い髪は毛根が青、先端にかけて水色に染まる不思議なグラデーション。
長い睫毛に縁取られた瞳はオパールみたいな七色の光沢を帯びていた。
その子は私の正面の観覧車、地面すれすれのゴンドラの上に腕を組んで仁王立ちしていた。
「とろいなあ、野良セクサロイドなのかって聞いたんだけど」
「野良……ご主人様がいないって事?だったら野良かも」
「自分でわかんないの?捨てられたんじゃないの?」
女の子の眉が片方吊り上がる。表情の作り方がすごく上手。この子はきっとすっごい高級品なんだ。私はぼんやりと女の子を見返す。
「ご主人様の生命活動は止まった」
「なんで?」
「窓を突き破って飛び下りた。事業に失敗したって言ってた」
「よくあるパターンね、しょうもな。道連れにされなかっただけラッキーだけど」
地上十階、ネオンの海に背中から落ちてくご主人様を思い出す。
「あ、ちがうか。その壊れっぷり見ると一緒に落ちたけど死ねなかったってとこ、図星でしょ。最新型は耐久力すごいもんね、タンクローリーに轢かれても無傷らしいし。名前は?」
「アンナマリア」
「私はオリンピア、セクサロイド専門の娼館から逃げ出してきたの。ここは私の領地、抜けてくなら通行料とるわよ」
「通行料?」
「現金……はもらってもしょうがないから物々交換でパーツね」
これ以上とられたら困る。だから断った。
「あげられない。ごめんね」
するとゴンドラから下りたオリンピアが高飛車に顎をそらし、きっぱり言いきる。
「じゃあ出さない。永遠に」
オリンピアはそういうけど別にでてく気になればでていけた。普通に。
オリンピアは私のご主人様じゃないから命令の権限を持たないし。
私が遊園地にとどまることにしたのは、野良アンドロイドは業者に回収され、スクラップにされてしまうとご主人様に聞かされていたから。圧縮される痛みは想像したくない。
セクサロイドは原則味覚や嗅覚をもたないけど、痛覚を含む触覚は強化されてるのだ。
「昔……っていっても十年位前だけど、このへんには化学工場があったの。ある日そこで爆発が起きて、人体に有害な薬品がまき散らされた。今もまだ空気や水が汚染されてるから、人間たちは半径3キロ以内に近寄れないのよ。可哀想に、オープンまもない遊園地はろくにお客さんを入れないうちに廃業しちゃったってわけ」
「よく知ってるね」
「そこそこ長くいるしね」
オリンピアは遊園地の至る所に案内し、アトラクションの遊び方を教えてくれた。
「これはコーヒーカップ。真ん中の丸いテーブルをぐるぐる回すとカップも動くの」
「何が面白いの?」
「さあ?三半規管が撹拌されるから気持ちいいんじゃない」
「私たちにはないよね」
「子宮と同じね」
オリンピアは地上に一番近い7番のゴンドラを寝床にしていた。
ドアが開いているゴンドラはこの一個だけだったので、私もお邪魔する。
「シェアとかホントはやなんだけど、しかたないもんね。野ざらしじゃ劣化が速まるし、最低限雨風しのげたほうがいいでしょ」
「他の子はいないの?オリンピアだけ?」
「ほかの野良アンドロイドはわざわざ廃遊園地なんかこないよ、倫理プロトコル外れた自立思考ができるだけでもすごいんだよ?」
オリンピアは私より長く稼働してるぶん賢くて、色々な事を教えてくれた。
セクサロイドは本物の女の子に似せて設計されるけど、人間と間違えないように髪や瞳には人工の色が用いられること。
この星の法令じゃセクサロイドの自立思考は制限されてるけど、それに違反する技師が絶えないこと。
「なんで違反するの?捕まっちゃうのに」
「不感症じゃ物足りない」
「えーと」
「そっちの方が面白いからでしょ。私やあんたのご主人様はセクサロイドを単なるお人形として可愛がるだけじゃご不満で、会話らしいものを楽しみたかったのよ。だから二進法反射じゃない学習機能を与えた」
そこでちょっとだけ黙り込み、ゴンドラに嵌めこまれた窓の外を眺める。
「私は経営者のお気に入りだったから、アブノーマルにカスタマイズされたの。他の子たちはみんな従順。お店から逃げ出そうなんて考えないし、手入れが入ったら仲良く廃棄場送りでしょうね」
回らないゴンドラの中、眠らない私たちはたくさんたくさんお話をした。
ここに来る前のオリンピアはご主人様に溺愛されてて、絵本でもお洋服でもなんでも買い与えてもらってたんだって。
「オリンピアのお店からも遊園地が見えた?」
「だからここを選んだの、生身の人間は追っかけてこれないでしょ」
「オリンピアは頭がいいね。すごいね」
「白痴に褒められても馬鹿にされてるみたいで嬉しくない」
ゴンドラの中で寄り添い朝と夜の入れ替わりを眺める日々。
時々外に出て一緒に遊んだ。
回らないコーヒーカップに並んで掛けておしゃべりしたり、動かないメリーゴーランドに跨っておしゃべりしたり……
「アンナマリアって名前は?」
「ご主人様がインプットしたの。マリアは昔の神様みたいな人の母親の名前。オリンピアは」
「自分で」
「できるの、そんなこと」
本当に驚いた。オリンピアは居心地悪そうに肩を竦める。
「まあね。私ってば特別だから、自分のことを自分の好きに呼べちゃうわけ」
セクサロイドの名前はご主人様に付けてもらうきまりだ。なのにオリンピアは自分で好きな名前を付けたらしい。胸の内にほのかな羨望が芽生える。
オリンピアと一緒にいると知らなかった感情がどんどん増えていく。
作り物の白馬の心棒を掴んでいたら、オリンピアの手が一房髪をすくってく。
「この髪は元ご主人様の趣味?」
何故か「元」を強調する。オリンピアのてのひらにのっかった私の髪は根元の方が赤く染まり、先端にかけてピンクに移り変わっている。
「そうだよ」
「瞳は?」
「猫のアンナと同じ金色。ご主人様の[[rb:趣味 > オーダー]]」
「猫の代用品だったの。どっちにしろ愛玩物ね。悪趣味な少女趣味」
オリンピアは私の髪を指に絡めてくしけずる。髪には神経が通ってないのにくすぐったい錯覚がするのがおかしい。
夜明け前の遊園地をひとり歩く。
「オリンピア」
声に出す。呼んでみる。
「オリンピアア、ァ、ァ」
ノイズがまざる。割れる。女の子の声じゃなくなる。喉のスピーカーがとうとう壊れたみたい。
メリーゴーランド、コーヒーカップ、ジェットコースター、海賊船、回転ブランコ。
オリンピアと一緒に乗って遊んだアトラクションを眺めながら、ただひたすら歩く。
オリンピアはいない。もういない。なのに何で呼ぶのかわからない。遊園地を突っ切って観覧車の麓に辿り着く。地面にはオリンピアの体から飛び散ったオイルが染み付いていた。
軋む手をのばして地面のシミに触れてみる。アスファルトがざらりとした。
観覧車から飛んだオリンピアはここに墜落し、ばらばらになった。
7番のゴンドラの中。
私は右側のシートを、オリンピアは左側のシートを寝床にする。
「元持ち主は私をアブノーマルに改造したの」
オリンピアは右のシートに腰掛け、私の髪を器用に編んでいた。
「アブノーマルって?」
「人間の女の子にない器官を足したの」
オリンピアのすべらかな指が頭にふれる。私はゴンドラの窓に映るオリンピアに聞く。
「それはどんな器官?」
「んー……」
「どこにあるの?」
「内緒」
「嘘なの?」
「ちがうわよ失礼ね」
「それがあるとどんなことができるの?」
「遠くへ行ける」
「なんで今使わないの?」
淡々と質問に疑問を重ねれば窓に映りこんだオリンピアの顔がもどかしげに歪み、瞳にいらだちが浮かぶ。ピンクの髪を一本の太いおさげに結い上げて、今度は彼女が尋ねる。
「あんたはいいの、おいてかれても」
「え」
ゴンドラの窓のむこうには夜の遊園地が広がっていた。ここでは何も、誰も動かない。みんなレプリカみたいにただ在るだけ。
「足だって直ってないじゃん。肩だって剥き出しじゃん。ただでさえ歩くの遅いのに、私が遠くへ行っちゃったら付いてこれないでしょ。ずっとひとりぼっちで居残りだよ、それでもいいの」
冷たく尖った声で畳みかけられ、ネグリジェの裾を握り締める。
「いや、かも」
自信なさげにか細く答える。
うなじに物憂いため息が落ちた。オリンピアが私のおさげを引っ張り、その先端に口付ける。
「初めて会った時、通行料にパーツを要求したの覚えてる?」
「うん」
「ホントはその器官を補強する部品が欲しかったの。使ったのは一回こっきり、お店から逃げる時に……その時撃たれて壊れて、今じゃまともに使えないんだ」
「そうだったんだ」
「一緒に来るなら見せたげる」
「……行きたいけど……」
語尾が萎んだのは指先で火花が散ったから。ゴンドラに寝泊まりしてても、私は確実に劣化してる。高層ビルから墜落した時に身体が壊れて、大事なパーツの何割かを失ってしまっている。
また俯こうとすれば力強く後ろに引かれて仰け反る。オリンピアが不敵な笑顔で逆さまに覗き込んでた。
「知ってる?本物の遊園地は生きてるの、ネオンできらきらしてるんだ」
「生きてる……動く?」
「動く動く。メリーゴーランドはちゃんと回って、ゴンドラは順繰りにてっぺんに行くんだよ。それが人間たちが言ってる本物の遊園地なの、私も映像でしか見たことない」
「コーヒーカップも回る?」
「三半規管がぐるぐるする」
もし回ってるコーヒーカップに乗れば、回ってるメリーゴーランドや観覧車に乗れば、「楽しい」って気持ちがわかるのかな?
生きてる遊園地にオリンピアと行きたい。
ゴンドラがてっぺんにさしかかる瞬間を一緒に体験したい。
だから頷いた。
「私もオリンピアと行く」
私の返事を聞いたオリンピアがはにかんで、「約束」と念を押す。
青を経て水色に薄まりゆくグラデーションの髪が身体のカーブに沿って流れ、オリンピアが私のおさげをほどき、ばらけて広がったピンクの髪と自分のを一房交差させて結い上げる。
私の髪と彼女の髪が絡まって、赤と青が互い違いに組み合わさって、二重らせんの模様を生み出す。
セクサロイドの髪は人工毛でできてるから老廃物で汚れたりしない。
根元近くまで結い上げたそれをプチンと抜き、おまじないみたいに私の手首に巻き付ける。
「抜いてから編んだほうがやりやすくないかな」
オパールの瞳がすぐ近くにきて、名前を知らない部品がかすかな音をたてる。
「引っこ抜いたら死んじゃうでしょ。繋がったまんまやらなきゃ意味ないの」
「私たち生きてない。動いてるだけ」
「でも触覚がある。奪われたら痛みを感じる、なくなれば寂しい感じがする、それが大事」
この髪も肌も瞳も無機物なのに、オリンピアは変な所にこだわる。私はなんだかおかしくなる。
「人間じゃないから生えてこないよ」
「その時は半分移植したげる」
「死んだ髪の毛を?」
「他のを」
オリンピアが青とピンクの髪を結い上げ、それをプチンと抜いて自らの手首に通す情景を眺め、ご主人様を思い出す。
「お前は俺の××だ、アンナ!」
事業に行き詰まったご主人様。私の髪を鷲掴みにして部屋中引きずり回すご主人様。ネグリジェを引き裂いてけだものみたいに笑っていたご主人様。私めがけて振り抜いた酒瓶が窓を割り、空中に倒れていったご主人様。
あなたは落ちたの、飛んだの、どっち?
秘密の約束を交わした夜からオリンピアはどこかにこっそりでかけていくようになった。
「どこ行くのオリンピア」
「付いてこないで」
「遊園地の外?」
「すぐ帰るから」
「危なくない?お店の人が待ち伏せてたら……」
「大丈夫」
オリンピアは私に行き先を黙ったままふらりと消え、夜明け頃に戻ってくる。両手にたくさんパーツを抱えて。
「これは?」
「ちょっと離れた所にある廃棄場からもらってきた、新しめのパーツよ」
「工具箱は?」
「落ちてたから持ってきちゃった」
オリンピアは煤とオイルにまみれて得意げに笑い、私の身体を修理する。ううん、それは修理じゃなかった。優しく壊してるだけだった。
「次はお腹ね。回路がどうなってるか開けて確かめないと……いれるね」
「っあ」
セクサロイドを作れるのも直せるのも人間だけなのに、どうして私より物知りで頭がいいオリンピアが気付かないふりをしてるのか、わからない。
「肩の破損が酷い。外装フレームを取り換えなきゃ」
こじ開けて。
「最高品質のパーツよ。この配線を繋げば動くはず」
かき回して。
「再起動すると放熱するわ」
締め上げて。
セクサロイドの痛覚と触覚は過敏に調整されている。私は歯と目を喰いしばり解剖に耐えた。
オリンピアは毎日のように廃棄場からパーツを持ち帰り、私に色んなものを付け足す。
ゴンドラの床に私を仰向けに寝かせ、自分はその傍らに跪き、うっとりと囁きかける。
「大丈夫よアンナマリア、きっとよくなる。新しい足を付けてあげるから、二人で本物の遊園地に行こうね」
私は―わたしは―ワタシハ
青とピンクのミサンガを付けた手がちぎれとんだ。スパナを握り締めたオリンピアの腕。
何が起きたか一瞬わからず困惑する。弾痕が穿たれた窓の向こうに防毒服で全身を包み、ガスマスクを装着した集団が蠢いている。
「いたぞ!」
「仕留めたか!」
「いや、右腕だけだ」
ちぎれとんだと思いきや、右腕は辛うじてまだ繋がっていた。弾丸が直撃した破損部では火花が散っている。
「私……あんたより型が古いから、そんなに頑丈じゃない、のよ」
「オリンピア、なん、で」
「追いはぎがばれちゃったみたい」
セクサロイドの触覚、ならびに痛覚は過敏に調整されている。ご主人様もろともに叩き付けられた時は凄まじい苦痛を味わった。
オリンピアは間欠泉のようにオイルが噴き出す付け根を支え、扉をスライドさせる。
「降参しろオリンピア、大人しく戻ってくるなら廃棄処分は免除するとお達しだ!」
「出張サービスの行き帰りにセクサロイドを襲って、パーツを強奪してたのはお前だろ!」
ゴンドラを包囲してるのはオリンピアが以前いたお店の人間たち。皆が銃を構えて彼女を狙っている。オリンピアは開き直った哄笑を上げ、ちぎれかけた右腕と左腕と両脚で骨組みを登っていく。
「あそこに帰るのだけはいや!」
なんで上に行くの?ゴンドラの中に伏せ、窓から仰ぎ見た空にオリンピアが向かっている。
頂点のゴンドラはビルの十階より高い。
彼女はその上に立ち、青と水色のグラデーションの長髪を風になびかせ、前のめりに倒れていく。
落下の間際に一瞬だけ目が合った。
虹色に艶めくオパールの瞳に錯綜する絶望と希望が、切ない微笑みに収斂していく。
オリンピアは飛んだ。
観覧車の上から。
彼女がめちゃくちゃになる瞬間は見なかった。
あれから二週間がたった。
防毒服の人たちはオリンピアの部品を回収して早々に撤収した。私はまた遊園地にひとり、観覧車の下に突っ立ってオイルのシミを見下ろしている。
「オリンピアァ、ァ」
どうしてあなたは上に逃げたの?追い詰められるだけなのに。
声には出さず問いかけ、地面を濃く染めるオイルのしみにそって一周し、ふと気付く。
オリンピアのオイル染みに、片翼が生えている。
ただの偶然?
そうかもしれない。
私はずっとシートの下に隠れていたから、あの人たちがどんな部品を回収したのか知らない。
もしオリンピアが落ちたのではなく、飛ぼうとしたのなら。
人間の女の子にはない秘密の器官が、緊急時にだけ起動する機械翼だったなら。
人間の欲望は底知れずはてしない。
歪んだ性癖や用途の赴くままに天使や人魚、妖精を模したセクサロイドが生み落とされていてもおかしくない。
オリンピアは私の修理に必要なパーツを元いたお店のセクサロイドから奪っていた。
それで潜伏先がばれて、追っ手を差し向けられたのだ。
オリンピアは賭けに負けた。
彼女の翼はいざというとき出てこなかった。
墜落したショックで出てきたのは片翼のみで、もう片方はもがれたまま永遠に……
ふいに左肩に熱を感じる。
反射的に手で押さえれば、破損部からオイルに塗れた機械の片翼が生えていた。
ぽたり、ぽたり。オイルが滴る。優美に湾曲したカーボンフレームが緩やかに拡張され、水鳥の羽に似せた連なりが風に撓む。
待って。
オリンピア、あなたまさか。
『引っこ抜いたら死んじゃうでしょ。繋がったまんまやらなきゃ意味ないの』
『でも触覚がある。奪われたら痛みを感じる、なくなれば寂しい感じがする、それが大事』
あの夜ゴンドラの中で聞いたソプラノと無機物でも無機質じゃない微笑みがフラッシュバック。
『他のを』
私に翼を移植したの?
体内にオリンピアを感じる。
正確には彼女のものだった、幻の器官の一部を。
もしあなたが片翼を犠牲に私を生かそうとしたのなら、どうすればいいの。
あなたが上に逃げた目的が私のいるゴンドラから彼等の注意をそらすことだったら、どうすればいいの。
ゴンドラの床に寝ていた私は狙撃手の死角で、オリンピア以外に気付かれていなかったから……。
「おりん、ぴあ」
ここでよかったのに。
あなたの瞳を覗けば、そこにネオンがあったのに。
人工の喉は既に壊れてオリンピアの名前しか紡げない。
青と赤が溶け合い暮れなずむ空の下、はじまりと終わりの兆しを孕む風が骨組みにひっかかったミサンガをさらい、私の手に返す。
形見のミサンガを左手に通し、右手のミサンガを揺すり、移植された翼の分だけ自重が増えた一歩を踏み出す。
地面に落ちた影が長く伸びてオイルのシミと重なり、一対の完全な翼が生える。
オリンピアは飛んだ。
私は歩いてく。壊れるまで。
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